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自由研究はしたほうがよい

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 「なぜ?」という原因をたずねる問いについては、まず因果関係について考え、ついで目的論的な見方から、できごとやふるまいの目的をたずねる問いを取りあげた。意味や目標や意図や目的というテーマでは、道徳についての問いを立てた。これらはさらに二つの問いに分かれる。一つは、世界には道徳の規律も目的もあるとうけあってくれる造物主がいるのか、という問い、もう一つは、善についての問いだ。そしてここであきらかになったのは、善というものを厳密に定義すると、どうしてもこの世界にマイナス評価をあたえなければならなくなり、世界をつくった造物主が批判の矢面に立たされることだった。
 道徳的な理由から神を信じることができなくなったとしたら、独力で自分の幸せをきずくしかない、と人間は肝にめいじて生きなければならない。神をあてにすることも、自分の失敗を悪魔のしあわざだと言いのがれることもゆるされてはいないのだ。そうすると人間にあたえられたつとめは、自由な自己決定にもとづき、理性、ここでは道徳的理性に支えられて、自分のふるまいの掟を自分で定めることになるだろう。
    --ローラント・ジーモン・シェーファー(須田朗・鈴木仁子訳)『ベレーニケに贈る小さな哲学』(青土社、2001年)。

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短大の『哲学入門』の定期試験では、れいのごとく「貴女にとって哲学とはいかなるものか」と問うことにしている。

さまざまな、いわば「哲学観」が出てくるのだが……人生論から知への探求観に至るまで……今回、面白いなアと思う“表現”がひとつあった。

すなわち……

「哲学とは、私にとって小学校でやった夏休みの自由研究のようなものです」

とのことである。

確かになあと納得する。
自由研究だから、極論すれば、提出しなくても問題ない。
しかし、自由に自己自身が探求するからこそ意味があり、醍醐味がある。

面白表現をするものだなあと感銘する。

ソクラテスは無智の知があるからこそ、ほんとうのことを知りたいと人を思い、そこから真の知への愛としての探求が始まると語った。

アリストテレスは「哲学は驚きから始まる」と説き、対象に関して驚くからこそ、その対象が何か探求がはじまると語った。

哲学とはその意味で、個人としての人間に対峙した自由研究なのであろう。
選択してもよいし、選択しなくても生きていける。

確かに、哲学者の書いた文物は読んでいると難しくその議論は煩瑣にさえ思えるふしもあるが、その心根は自由研究の探求なのであろう。

しかし、人間としての行き方としてみた場合、どちらが、いわば“価値的”なのか。人生を無意味と思えば無意味になってしまうし、意味あるものと位置づければ意味あるものとして浮かび上がってくる。それと同じかもしれない。

これから出勤ですが、大雨でちとつらい。
しかし、探究心をわすれずに、何からでも学びたいものである。

そういえば、うえに引用した書物は、ドイツ人の哲学者(大学教授)が、自分の娘に哲学とは何かを語るというスタイルをとって、哲学の大きな見取り図を示したものである。その帯に「十二歳からでも百歳からでも」とある。

はじめようと思えばどこからでもいつからでもはじめることができるのが哲学だ。

ベレーニケに贈る小さな哲学 Book ベレーニケに贈る小さな哲学

著者:ローラント ジーモン=シェーファー
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