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その思想に言表的生命を与え、その思想をして我國に於て郷土的発展をなさしめることでなければならぬ

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 他の國語にて物せられた思想家の書を謂み、深く之を理解するには、先づその國語に通ぜざるべからざるは云ふまでもない。まして我國の今日、フィヒテの哲学を理解し得る程のものの独逸語を解せざるものも少かるべきにと云はれるかも知れない。併し大思想家かの書を我國語に訳することは、単に他國語を知らざるものをしてその思想を理解せしめるのみでなく、我國語をしてその思想家の思想を語らしめることによつて、その思想に言表的生命を与え、その思想をして我國に於て郷土的発展をなさしめることでなければならぬ。言語と思想とは離すべからざる内面的関係を有つて居る、生きた思想は自らそれ自身の表現を生み出さねばならぬ、生きた表現は自らそれ自身の思想を生み出さねばならぬ。フィヒテを我國語に訳することは、フィヒテに我國語的生命を与えることによつて、我國に於てフィヒテ的思想を生み出すに資することでなければならぬ。フィヒテの訳はフィヒテを日本的に歪めるかも知れない。併しそれは一方から見れば却つてフィヒテを郷土化することでなければならない。
 私は常に思ふ。我々の心の奥底から出た我國の思想界が構成せられるには、徒らに他國の新なる発展の跡を追ふことなく、我々は先づそれ等の思想の源泉となる大なる思想家の思想に沈潜して見なければならぬ、そしてその中から生きて出なければならぬ。フィヒテの哲学の如きはかゝる意味に於て何人も一たび之に沈潜して見なければならないものではなかろうか。希臘哲学の深さ大さに比すべき深く大なる独逸理想主義の哲学の出立点をなしたものはフィヒテそのひとでなければならない。独逸理想主義の哲学の核をなすガイストは実に独逸化せられたイデヤである、而してヘーゲルによつてその発展の極致に達したガイストの哲学はその源をフィヒテに発したと云ひ得るであらう。希くば、かゝる訳書によつてフィヒテの哲学が我國に移植せられ、我國の文化に培はれて新なる意義と生命とを得来らんことを。若し私自身のことを一言するを許されるならば、嘗てベルグソンの如き立場とリッケルトの如き立場との統一に苦心した私は、それをフィヒテの事行に求めた。数年前までは、私は尚フィヒテの旗印の下に立つてゐたものと云つてよい。今日といへどもフィヒテを離れたのではないが、唯フィヒテの事行的発展の背後にプロチノスのそれに類する自己自身を見るものを求め、かかる立場からフィヒテの事行的発展の思想をも包容したいと思ふのである。

 昭和五年三月        西田幾多郎
    --西田幾多郎「序」、フィヒテ(木村素衛訳)『全知識学の基礎 上巻』(岩波文庫、1949年)。

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教養(Bildung)ってものがひとつの文化的エートスとして整備されるのは19世紀後半のことなのだが、それが整備されたとたん、実は当初目指していた幅広い人格形成の一助となる理想が失われ、教養層と非教養層を分断する契機として作動したのが、人間のあゆみである。ドイツでは、教養をもった人物という存在ないしはグループが、官僚層および知識人階級を独占し、教養を排除の構造として形成し、新興市民(ブルーカラーから技術系官僚・科学者・商人)を一段低い存在としてつきはなし、結句はナチズムへの合流へとつながる、暗い歴史をもっている。

教養とは、本来的には、うえにも書いたように、まさに幅広い人格を形成し、所属や信条に左右されない、市井の知の巨人としてあり方を提示したはずなのに、結局は、門地や信条に左右されるひとつの契機として機能したことは、まことに悲しい歴史である。この問題は後日論じようと思うのだが、そういう教養概念を準備した人物のひとりが、「ドイツ国民に告ぐ」の演説で有名なドイツ観念論の大家のフィヒテ(Johann Gottlieb Fichte,1762-1814)である。今日はそうした経緯を追跡するためにフィヒテの著作を紐解く(……んな時間があるなら専門研究の時間に当てなさいとの声も聞こえてきそうだがお許しあれ)。

さて、そのことを論じる前に、耳朶に染み付いて離れなくなってしまったのが、上に紹介した邦訳文献に対する西田幾多郎(1870-1945)の序文である。

そこを読み始めると、本論へ入る前に脱線する。

先日、中村元博士の「奴隷の学問」論を紹介したが、西田の議論は奴隷を避ける、内発化の試みのひとつとしての、それを文化内開花ないしは文化内受肉(incarnation)と呼ばれる方向性を提示しているからである。

西田がいみじくも指摘している通り、異文化の思想・宗教をその意味において理解するためには、確かに、その言語に精通することが一番である。しかし、「我國語をしてその思想家の思想を語らしめることによつて、その思想に言表的生命を与え、その思想をして我國に於て郷土的発展をなさしめることでなければならぬ」のも事実である。それが翻訳であり、文化内開花ないしは文化内受肉の営みである。

しかし、そこが難しい。

日本的フィヒテなんては必要ない。
必要なのは、フィヒテを日本の言語が理解し、その営みを提示することである。それこそが、「我國語をしてその思想家の思想を語らしめることによつて、その思想に言表的生命を与え、その思想をして我國に於て郷土的発展をなさしめること」。

かつて戦前において、思想の世界ではないが、キリスト教の世界においては、「日本的基督教」の主張がさけばれた。日本におけるキリスト教の受容を振り返ると、歴史的なキーワードとして抽出するなら、切支丹、洋教、基督教……それが日本人の一般的なキリスト教理解である。一番目は邪教としてのキリスト教であり、二番目は文明開化の宗教としてのそれであり、三番目は、市民権を得たけれども、どこか東洋世界においてはよそよそおさしさののこるそれである。

そのなかで提示された一つの方向性が「日本的基督教」である。
端折っていうならば、日本における神概念(国家神道)とキリスト教における神概念の一致である。これは、「その思想に言表的生命を与え、その思想をして我國に於て郷土的発展をなさしめること」あり方とはまったくかけ離れたあり方であろう。キリスト教としての独自性のあり方を全く払拭して、誤受容したあり方である。
戦後、こうしたあり方は批判され、メインストリームとしては語られなくなるが、まだ、輸入教のほうが無害でよいかもしれない。

しかし、文化における、独自性の発揮は、そうした体制への擦り寄りでない、独自の開花・受肉があるはずだ。

キリスト教においては、それが一つのあり方として提示されたのが内村鑑三(1861-1930)の歩みである。内村はあえて現世の組織制度としての日本という共同体を撃つとともに、西洋の借り物としての、そして輸入品としてのそれを拒絶する中で、ひとつの道を提示した。それが無教会主義であり、「ふたつのJ(JesusとJapan)」である。内村のあゆんだ営みには、神道的な「日本的基督教」と異なる歩み方でもある。

さて話がそれたが、西田の序文を読みながらそのことをつくづく実感する。中村元のいう輸入品の紹介に終始する「奴隷の学問」としてあり方も避けなければならないが、あやまった受容も避けなければならない。

そのためにも必要なのが、通俗的だが、ひとつは公定史の学習と、その内在的理解(生きている生活の中での反芻)であろう。その生きている現場とは、国家ではない。いきているその人自身の……ふるい言い方ですが……郷土なのでしょう。

そのアンビバレントな状況の中で、学び、反芻する必要が必要不可欠なのでしょう。

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言語と思想とは離すべからざる内面的関係を有つて居る、生きた思想は自らそれ自身の表現を生み出さねばならぬ、生きた表現は自らそれ自身の思想を生み出さねばならぬ。フィヒテを我國語に訳することは、フィヒテに我國語的生命を与えることによつて、我國に於てフィヒテ的思想を生み出すに資することでなければならぬ。フィヒテの訳はフィヒテを日本的に歪めるかも知れない。併しそれは一方から見れば却つてフィヒテを郷土化することでなければならない。

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興味深いのは、西田がどこまでも“日本化”とは言っていないことである。“郷土化”である。郷土にこめた言葉とは、擬似的創造の共同体としての国家に対する愛着ないしは公定化ではなく、そのひとが生きている現場で創出する創造的思想性のあり方なのではなかろうかと思われる。

そうしたあり方を考えていかないといかないなと思うのですが、ぼちぼち、冷やしトマトと酒ですこしまわってきたので、今日はこのあたりで。

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