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善はただ善の実践を通してのみ知らるる

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これさだのみこの家の歌合のうた
いつはとは時はわかねど 秋の夜ぞ物思ふことのかぎりなりける(189/巻第四 秋歌上)
--佐伯梅友校注「巻第六 冬歌(319)」、『古今和歌集』(岩波文庫、1981年)。

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先週末より降り続く雨のお陰か、昨年とうってかわって秋の気配を感じる東京です。
暦の上ではとっくに秋ですが、やはり「夏と秋と行きかふそらの通路(かよひぢ)は かたへすゞしき風やふくらん」(168 巻第三 夏歌/古今集)のとおり、いわば夏と秋が混在した状況なので、湿度がいささか高く部屋の中は、微妙な状況です。

さて……。
昨日は市井の仕事が休みなのですが、たまった課題と格闘するために、自室に引きこもり状態です。夕方、束の間雨足がひいたので、気分転換に近所の、誰もいない公園など散策しつつ、煙草を買いに行く。室内よりもひんやりとした外気とそぞろ鳴り響く虫の声が秋の到来を実感させる。そして、最寄りの自販機に到着、銭を入れるのですが、タスポを忘れたことに気づき、コンビニへ。そこで「限定商品」をゲットする。

で……。
デッドラインのレポートがひとまず終わったので、先にスクーリング試験の採点を行う。倫理学なんてえものは、機械的な試験なんぞで判定できる学問とは思ってないので、一題目は教材から出題したが、二題目は、「あなたにとって倫理(学)とは何か」と問う。こういう出題をすると、逆に書き手の力量といいますか、倫理力とでもいいますか、人生観とでもいいますか……ある程度、本人に蓄積がないと書けない問題を敢えて出題する。しかしながら、このお題ですと、書き手の自由な発想をうかがい知ることができるので、不思議なものですがこちらも勉強になる。

しかしながら、一番読んでいて面白い(?)のが解答用紙の末尾にコメントのようなカタチでメモ書きされた学生さんからのメッセージ。

「先生は偏っていないですよ、控えめに踏み込んでいただきありがとうございます」

「私自身もたいがい変わった方ですが、先生も変わった方で安心して楽しく授業を聞けました。先生が息子と同じ年なのでお話が興味深かったです。是非ドイツにお越しの際は声をかけてください」(ドイツ在住の方)

「先生は、ご自身の歩みに無力感を感じないで下さい」

ありがたい励ましである。
本来、教員としては自分自身が学生さんを励まさなければならないものだが、いつも学生さんに励まされてしまい忸怩たるものがあるのだが、試験を採点しながら、良い授業ができたのではないかと安堵する(しかしこの安堵に安住してはいけないよ、宇治家参去さん)。

で……
ときどき、こうした倫理学とか、哲学ないしは、神学・宗教学といった学問は、近代諸学問の成果を前にすると、いわばすでに“実験済み”“期限切れ”のような、カビ臭い・古くさい伝統的な学問であることから、講じているなかで時々無力さを実感することがある。

すなわち、これまで、いわば諸学の王として君臨してきた伝統的な人文諸科学が、人間を特定の方向に導いてきてしまったがゆえに、そうした伝統は唾棄されるべき、書斎で参考程度に聞いておくぐらいでちょうどいい……そうした雰囲気も現実にはアカデミズムの潮流にも存在するし、現代哲学は、そうした伝統的な人文科学が果たしてきた暴力性の追求に余念がない。

また研究者自身も「善をなせ」などと訓戒を垂れることは、控えるべきだと自分自身も思うので、「善」を探究しながら、それ以上踏み込めないというのでしょうか……もどかしい部分があります。

学問としてアカデミズムとしては、そうした矜持を護りながらコツコツと研鑽するのでいいのですが……やはり、研究したこと内容を人間を前にしてかたると(すなわちそれが研究の両輪である教育・講義という側面)、そういう二律背反とでもいいますか、そうした引き裂かれたジレンマ、ないしは隔靴掻痒に直面します。

ゆえに、「私見ですが……」、「個人的見解ですが……」、「私は偏った人間なので……」等々の前フリをしながら、語るわけですが、ああ、もどかしい。

しかし、そのもどかしさをいつも痛感しながら、自分自身が語るという契機は、その営みを自分が終えるまで、忘れてはいけないのだろうと思う。たとえば、理念と現実にしてもそれは対立ではなく相互的な緊張関係にあるとき、よりよい成果を生み出すものである。どちらかの立場に開き直ってしまうと、理念が現実を圧迫し、現実が理念を呑み込んでしまう。いかなる在り方にせよ、どこかで、その現実の営みを照射するとでもいえばいいのでしょうか、批判の契機が必要なのだと思われる。

だから、「もどかしさ」を実感しながら、善とは何か、そして価値とは何か、自分自身が善とは何かを考えるだけでなく、身近な生活の中でその実践で七転八倒しなければならない。

戦前日本を代表するいわばモラリストといってよいキリスト者・三谷隆正(1889-1944)は次のような言葉を残している。

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 中学を卒業して専門学校に入学した頃の青年、即ちわれに眼醒(めざ)め始めた頃の青年がよく言う、善を為せというが、その善がわからない、何が善であるかが分からない。これが善だとはっきり分かれば、その善を実践するにやぶさかなるものではないが、善が善と分からないのに、ただ実践せよ善戦せよと言われたって、小学生ではあるまいし、そんな勧説に唯々諾々と盲従するわけには往かない。盲従すべきものでないと思う。そういう風に青年たちはいう。つまり青年たちは知を求めているのだ。そうして知を求めるのは正しい。これは善いことだ。すくなくともこの一善はかれらもまた善と知っているのだ。だが道徳的善は先ずこれを実践してからでないと、善が善とはっきり分からないような性質のものなのである。何故なれば善はその本質において実践的なものであり、従って又実践的にしかこれを把握する道がないからである。例えば水泳を学ぶようなものである。水泳についての理論的知識は単に水泳の可能性について議論し得るに過ぎない。そういう議論をいくら重ねたところで、水泳の現実は会得できるものでない。現実の水泳は、現実の水に現実に飛び込んで泳ぎを実践してみるのでなければ、他にこれを会得する方法がないのである。畳の上の水練では現実の水を泳ぐことはできないのである。善もまたかくの如し。善はただ善の実践を通してのみ知らるるのである。そうして人生の究極の善はいさ知らず、日常茶飯の現前の小善事がひとつもわからぬということはない。盗むなかれ。欺くなかれ。姦淫するなかれ。懶(なま)けるなかれ。虚心にして善を追求すれば、足前数歩の光明を得られぬということはない。得られぬとは言わせない。得ようとしないのだ。足前数歩の光明を頼りに先ず立って歩くが良い。歩いて躓くなら躓いてみるが良い。かくして真摯に実践するものは、進むも躓くも必ず得るところがあるのである。それによって善を把握し進むのである。
 だからわれらの実践生活における最も根柢的な問題は知識ではないのである。悪は無知の生むところではないのである。そもそも善を追い求めようとする熱心がないのである。熱心がないから善を追い求めず。追い求めないから善を知らず、知ろうともせず。随って又善を為さず、為そうともしないのである。即ち人間の悪の根柢にあるものは、善知識の貧困であるよりは、善意志の欠乏である。カントのいわゆる根元的悪性である。
    --三谷隆正「パウロとニコデモス」、『三谷隆正全集 第2巻』(岩波書店、一九六五年)。

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三谷は譬えがうまい。
畳の上で水泳の練習をしても会得することは不可能である。

「畳の上の水練では現実の水を泳ぐことはできないのである。善もまたかくの如し。善はただ善の実践を通してのみ知らるるのである。そうして人生の究極の善はいさ知らず、日常茶飯の現前の小善事がひとつもわからぬということはない。盗むなかれ。欺くなかれ。姦淫するなかれ。懶(なま)けるなかれ。虚心にして善を追求すれば、足前数歩の光明を得られぬということはない。得られぬとは言わせない。得ようとしないのだ。足前数歩の光明を頼りに先ず立って歩くが良い。歩いて躓くなら躓いてみるが良い。かくして真摯に実践するものは、進むも躓くも必ず得るところがあるのである。それによって善を把握し進むのである」

逃げ出すことができないのがこの生命活動の舞台である日常生活である。その舞台のうえで、自分の頭と心と、そして足をつかって、驚いたり、躓いたりしながら、歩み続けるしかありませんね。そのなかで、自分の語る善とか価値といった命題が光りだしてくるのだと思います。根源的悪は、善の知識の貧困よりも、善意志の欠乏ですから。

学生さんにもつくづくいいましたが、「自分の歩みを無駄だとお思いなさんな」。

さ、仕事に戻ろう……かと思ったのですが、今日は朝から頑張ったので……コンビニで一年ぶりに対面した「秋味」(麒麟麦酒株式会社)飲んで締めます。

ちなみに、KIRINのビールでは、「秋味」と「ブラウマイスター」が一番旨いと思っています。「ブラウマイスター」は通年販売(取扱店が希少)ですが、「秋味」は限定なので、これから1ヶ月お世話になりそうです。KIRINさんありがとう。

ちなみにトリビアルなネタですが、麒麟の図表にキ・リ・ンの隠し文字がありますよ。

もうこんなものの出回る季節になってしまいました。

「秋の夜ぞ物思ふこと」で、限りなく考察できる季節なのですが、今日は素直に(?)飲んで寝ましょう。

水曜は市井の職場で“大人”が誰もいず“店長代行”なので。

明日も頑張ろう。

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