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【覚え書】「記者の目:ボスニア内戦、戦犯・カラジッチ被告=町田幸彦(欧州総局)」、『毎日新聞』(2008年09月10日付(水))。

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読んでいていよいよかと実感する。
大学在学中から今日まで、人間の醜さをいやというほど突きつけられ、自分自身の問題として考えることができたのが旧ユーゴスラビアの内戦です。どこまで人間は人間に対して愚かに振る舞えるのか、そしてどこまで人間は人間をモノとして扱ってしまうのか……哀しみと絶望の呻吟の中で考えさせられた“世界史的出来事”です。こうした出来事は長くなればなるほど、ひとびとは問題に鈍感になり、次のニュースを求めだす。

人間を幸福にした民族とか国家とかイデオロギーは全く存在しない。

人間をあるがままの人間として認め合いながら、お互いに薫発していくなかでしか幸福は存在しない。だからこそ、人間は絶望の彼方からでも希望を紡ぎだすことができるのである。

はっきりいうと、フランクフルト学派を代表するドイツの思想家・ハーバーマス(Jürgen Habermas,1929-)は苦手です。コミュニケーション的理性を論じる中で、市民の側から公共空間を創出する理論を説いたわけです。が、そこで論じられている市民像には、19世紀的な教養人のサロン空間が色濃く意識されているがゆえに苦手です(ちなみにそこを読み違えた本邦の市民主義者たちが、敵の首をとって自喜する行動と言説にも違和感があります)。
しかしながら、次のハーバーマスの言葉は重く受けとめる必要は十全に存在するのではないでしょうか。

「集団の罪はあり得ない。あるのは個人の罪だけだ」

集団として人間存在を見てしまうとそこには生きた人間の姿を見出すことは不可能になる。得てして集団同士の殴り合いとなったとき、個々人の罪責性が見失われてしまうことが多々あるがそれは虚偽にすぎない。いかなる理由があるにせよ、関わることには必然的に罪責性を伴うものである。

今回の法廷開催の意味は大きいであろう。
それがたとえ、勝者の裁きであったとしても、意味はある。
ヘゲモニー的な勝者も敗者も殺しているのでしょう。しかし、ひとを殺すという意味を真摯に見つめ直す舞台であれば、そこには意味がある。そもそも勝者か敗者かだけで、英雄になるのか、犯罪者になるのか、なんて根源的にはナンセンスだ。やったことは確認しておかなければならない。意味はそれから作られる。

さて逆説的な叙述になるが、セルビア人もクロアチア人も、そして介入した人々をも責めたくはない。
なぜなら、関わった総ての存在が、そこでは一様に敗者になっているからだ。戦争は決して勝者を作らない。勝った者も負けた者も、一様に敗者であり被害者である。だからこそ、その罪責性は冷静にそして霊性に追及される必要がある。

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 95年夏、クロアチア政府軍のクライナ地区進攻、ボスニアのセルビア人勢力撤退で、多くのセルビア人がセルビア本国に逃れた。でも、彼らは難民として扱われ、当時ユーゴ連邦(セルビア、モンテネグロ)の住民になれなかった。セルビア民族主義を鼓舞されながら、本国に助けを求めたら結局「よそ者」でしかない。威勢のいい民族主義の冷たい仕打ちだった。

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威勢のいいひとびと、号令だけ掛けるひと、そして生活を大切にしないひとにはついていけません。

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「ボスニアの同胞が攻撃されたら、ナイフを持ってでも米国と戦う」と豪語したセルビア人は黙り込むだけだった。みんな自分の生活を守るので精いっぱいだった。

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自身の生活を顧みずして、他者への虚仮威しの差し伸べほど、ありがた迷惑なものはない。自己の生活を顧みながら、その生活実感のなかで、できることを始めるしかないのだ。

どこにもファイナルアンサーは存在しない。
大きな声、威勢のいい叫び、生活と遊離したスローガン……何かが空虚です。

哲学を講ずる身でありながら、内容が理路整然とせず恐縮です。
違和感への感情こそ原動力になるのでは、常々思っている次第でして……

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記者の目:ボスニア内戦、戦犯・カラジッチ被告=町田幸彦(欧州総局)
 ◇「辺境の民族主義者」の末路--自国民からも見捨てられ
 欧州を揺るがしたボスニア・ヘルツェゴビナ内戦(92~95年)の大物戦犯が裁かれようとしている。元セルビア人勢力指導者、ラドバン・カラジッチ被告(63)。約12年の逃亡の末7月21日、セルビアの首都ベオグラードで拘束され、オランダ・ハーグの旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷に姿を現した。

 「集団の罪はあり得ない。あるのは個人の罪だけだ」。ドイツの哲学者ユルゲン・ハーバーマスが述べたように、欧米では個々の責任者の罪を最重視する。20世紀末の欧州の一角で荒れ狂った民族主義。その破綻(はたん)の末路をカラジッチ被告は体現している。

 ボスニア内戦は冷戦後、イタリアやオーストリアと国境を接した旧ユーゴスラビア連邦が解体する過程で起きた惨事だった。

 92年秋以降、旧ユーゴ紛争を現地取材する中で、カラジッチ被告には93年、94年に計2回インタビューした。印象に残っているのは2度目の会見のときに見た、指先のかみ裂かれた無残なつめだ。優勢だった戦況がほころび始めていた。彼は精神科医出身の政治家だが、かなり神経質な人物だった。

 表向きカラジッチ被告は大胆な急進的民族主義者に見えた。あるいはそういう姿を演じていた。内戦前にボスニアの人口約440万人の44%を占めたイスラム教徒勢力に対して、「掃滅も辞さない」と公言した。セルビア人勢力(人口比率31%)の代表として強気に出られたのは、何よりもセルビア本国の軍事支援があったからだ。内戦初期、カラジッチ被告はベオグラードに行くとホテルのカジノで興じ、豪放ぶりを誇示した。

 ユーゴ紛争が本格化する一方で、欧州の非力があらわになるばかりだった。欧州連合(EU)の調停工作の相次ぐ失敗。さらに欧州主体の国連防護軍の停戦監視も有名無実になっていた。セルビア人が国際世論を見くびる要因だった。

 状況が根本的に変わったのは米国の政策転換による。当時のクリントン米大統領は2期目再選を目指し、ボスニアへの積極介入に転じ、北大西洋条約機構(NATO)軍の懲罰空爆強化の道を開いた。

 セルビア本国に加え、ボスニア、クロアチアのセルビア人居住地域を訪れて、次第に人々の心理的変化を本国ベオグラードで察知した。「セルビアは一つ」を合言葉に民族主義の大号令を発した本拠地で、住民は自国の経済危機に見舞われていた。かつて「ボスニアの同胞が攻撃されたら、ナイフを持ってでも米国と戦う」と豪語したセルビア人は黙り込むだけだった。みんな自分の生活を守るので精いっぱいだった。

 95年夏、クロアチア政府軍のクライナ地区進攻、ボスニアのセルビア人勢力撤退で、多くのセルビア人がセルビア本国に逃れた。でも、彼らは難民として扱われ、当時ユーゴ連邦(セルビア、モンテネグロ)の住民になれなかった。セルビア民族主義を鼓舞されながら、本国に助けを求めたら結局「よそ者」でしかない。威勢のいい民族主義の冷たい仕打ちだった。

 セルビア悪玉論に憤慨し被害者意識を強調するベオグラードの友人に批判したことがある。「一番の被害者はクロアチア、ボスニアのセルビア人じゃないか」。友人は力なく答えた。「少なくともセルビア本国が最後まで支援するのでないと伝えるべきだった」

 こうした思い出は今、ロシアが軍事介入したグルジアの南オセチア、アブハジアの独立派住民の運命と重なってくる。民族主義の旗振り役にされがちな辺境の人々は結局、大国や中核国の都合によって犠牲を強いられるだけではないのか。カラジッチ被告擁護の声をセルビアのメディアは熱心に報じたが、ベオグラードでの真の雰囲気は、「あきらめに尽きる」と友人は言う。

 ボスニア内戦では十数万人が死亡した。スレブレニツァ虐殺などの責任は無論、カラジッチ被告に問うべきだ。今後2~3年の審理を経て終身刑を言い渡されるであろう。被告のほおのこけた表情には辺境の民族主義者の無念がにじむ。彼は自分が夢見た民族主義に見捨てられた戦犯である。

(出典) http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20080910ddm004070131000c.html

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※蛇足ですが、ちなみに写真の男性はハーバーマスではなく、カラジッチ被告です。1枚目の写真は、破壊されたサラエボの国立図書館で演奏するチェロ奏者です(1992年)。
書物を焼く国民はやがて自らをも焼いてしまいます by ハイネ

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