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Auf Wiedersehen, Monsieur !

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一、さてこの書(引用者註--18世紀オランダの医学書・ターヘルアナトミアのこと)を読みはじむるに如何(いか)やうにして筆を立つべしと談じ合ひしに、とてもはじめより内象(ないしょう)のことは知れがたかるべし、この書の最初に仰伏全象(ぎょうふくぜんしょう)の図あり。これは表部外象のことなり、その名処(などころ)はみな知れたることなれば、その図と説の符号を合せ考ふることは、取付きやすかるべし。図のはじめとはいひ、かたがた先づこれより筆を取り初むべしと定めたり。即ち解体新書形体名目篇(かいたいしんしょけいたいみょうもくへん)これなり。そのころはデの、またアルス、ウエルケ等の助語の類も、何(いず)れが何れやら心に落付きて弁へぬことゆゑ、少しづつは記憶せし語ありても、前後一向にわからぬことばかりなり。たとへば、眉(ウエインブラーウ)といふものは目の上に生じたる毛なりとあるやうなる一句も、彷彿(ほうふつ)として、長き春の一日には明らめられず、日暮るゝまで考へ詰め、互ひににらみ合ひて、僅か一二寸ばかりの文章、一行も解し得ることならぬことにてありしなり。また或る日、鼻のところにて、フルヘッヘンドせしものなりとあるに至りしに、この語わからず。これは如何なることにてあるべきと考へ合ひしに、如何ともせんやうなし。その頃ウヲールデンブック(釈辞書)といふものなし。漸く長崎より良沢求め帰りし簡略なる一小冊ありしを見合せたるに、フルヘッヘンドの釈註に、木の枝を断(た)ち去れば、その跡フルヘッヘンドをなし、また庭を掃除すれば、その塵土聚(じんどあつ)まりフルヘッヘンドすといふやうに読み出だせり。これは如何なる意味なるべしと、また例の如くこじつけ考え合ふに、弁へかねたり。時に、翁思ふに、木の枝を断(き)りたる跡癒(い)ゆれば堆(うずたか)くなり、また掃除して塵土聚まればこれも堆くなるなり。鼻は面中に在りて堆起(たいき)せるものなれば、フルヘッヘンドは堆(ウヅタカシ)ということなるべし。然ればこの語は堆と訳しては如何といひければ、各〻これを聞きて、甚だ尤もなり、堆と訳さば正当すべしと決定せり。その時の嬉しさは、何にたとへんかたもなく、連城の玉をも得し心地せり。かくの如きにて推して訳語を定めり。
    --杉田玄白(緒方富雄校注)『蘭学事始』(岩波文庫、1982年)。

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冒頭は『蘭学事始』の愁眉となる一節から。
江戸中期、厳しく制限されていた西洋の諸学(蘭学)を苦心しながら、日本に紹介した杉田玄白(1733-1817)が、蘭学開拓期・草創期の挿話としてまとめた書物である。有名な話だが、オランダの医学書ターヘルアナトミア(Tafel Anatomie)の翻訳時の回想がうえの一文である。まわりから奇人変人とみられながらも、自分たちの目で事実を確認(刑場での腑分けの見学)したり、まったく読めないオランダ語に一から挑戦し、学び抜き、そのなかで、本格的な西洋医学の訳書『解体新書』へとその営みを結実させていく。先人たちの血のにじむような足跡を読むといつも励まされてしまう宇治家参去です。

さて本書『蘭学事始』が、一般に広まるきっかけになるのは、福澤諭吉(1835-1901)が再版したことがきっかけのようである。1890年(明治23)に記した「蘭学事始再版の序」の中で福沢が次のように述べている部分も興味深い。

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書中の紀事(引用者註--『蘭学事始』の文章)は字々皆辛苦、明和八年三月五日蘭化先生の宅にてターフルアナトミアの書に打向ひ、艫舵(ろかじ)なき船の大海に乗出せし如く茫洋(ぼうよう)として寄る可きなく唯あきれにあきれて居たる迄なり云々以下の一段に至りては、我々は之を読む毎に、先人の苦心を察し、其剛勇に驚き、其誠意誠心に感じ、感極りて泣かざるはなし。
    --「解説」、前掲書。

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幕末に蘭学者・洋学者として生き抜き、御一新のあとは、啓蒙思想家として八面六臂の活躍をなした福澤だが、先人たちへの尊敬の念とその苦心を尊ぶ誠心には、こちらこそ「感極りて泣かざるはなし」でございます。

どの学問も恐らくそうなのでしょうが、その道を切り開いた先人や先駆者たちの苦労があってこそ現代があるのであり、そのことを決して忘れてはいけない。教室で向かい合う学生と教員に関しても自体は同じである。現在の研究者・教育者はその地位に決して甘んじてはならないのであろう。

……という、蘭学者の精神に学ぶというのが実は本論ではありません。
それはそれで大事なのですが、ひとまずここで区切りをつけます。

そして気分を変えて、フルヘッヘンドの苦労のごとく、語学の話へ入っていこうと思います。

というのも……、本日の市井の職場での話です。
久し振りの晴天のためか、これまでの雨降りの分が一辺に押し寄せてくるとでもいえばいいのでしょうか、何もない平日の数倍の来客者。嬉しい悲鳴といえば悲鳴ですが、体も心も精神的には悲鳴です。ですけど、やはり平日なのでしょうか、引けも早く、ピーク時をすぎると穏やかな状況になる。

さて、団子を頂き、喫煙室で一服していましたが……最近休憩中に甘いものを欲してしまいよくないのですが……やおら、携帯の内線が鳴り響く。
いつもそうなのですが、このダイレクトに呼び出されるというのはヤナものです。
あまりいい話ではないのがわかっているので……。

「宇治家参去さん、お疲れ様です。ちょっと外国のお客様が品物を探しているので……」
……来て応対して欲しいとのことだそうである。
通常、だいたい日本語の単語で通じるパターンがほとんどなので、まあクレームでもなかったわけなので紫煙を消してから、さあ仕事!って思い直して売り場へ出ましたが、ほかに適任者がいるのでは?って驚いてしまう。その外国からいらっしゃったお客様、まったく日本語がNGとのことだそうである。

……だから、バイト君から切実な電話がかかってきた次第です。

a foreign customer , Can you Speak English ?
UJIIE Sankyo       , Very very little,ベリー、ベリー、リトルだよっ!

そうなんです。
教員やっていてナンですが、読み書きと聞くだけは相当できる自負があるのですが、まったくしゃべれません。そこがすごくダサイのですが……語学の担当教員ではないのでご寛恕を。

a foreign customer , Ja !
UJIIE Sankyo       , Oh,Deutsche ?
a foreign customer , Ja,ja,Can you speak Deutsch ?
UJIIE Sankyo       , Nein,nein.....Ich kann Deutschland nicht sprechen.

このへんまではなんとかなった。
とわいえふたりの第二外国語が相当怪しいことも判明した。

英語もドイツ語もRWというか、read and write only なのですが、どんぐりのせいくらべでいくとチトましなフランス語でも試してみた。

UJIIE Sankyo       , Est-ce que vous pouvez Parler français ?
a foreign customer , Nein !
UJIIE Sankyo       , O.K.huumm.....

左様でございますかああ……。
お互いの状況は確認できた。
英語とドイツ語だけだ。どうするか。どちらもしゃべれないんだよなあ~。
ここでひとつひらめいた!

UJIIE Sankyo       , Oh,Jesus!
a foreign customer , Was ?

レトロな手法ですが、筆談です。

メモ用紙を取りだして、要望を英語とドイツ語で書いてもらった。
そして、こちらも、わかる方の言葉で書き込んで応対し、案件が無事クローズする。

ふう。冷や汗かいたゼ。

帰りしな……

a foreign customer , Thank you ! Auvoir !
UJIIE Sankyo       , Oooh,Auf Wiedersehen, Monsieur !

ちぐはぐですが、粋ですね! お客様。

さて……
語学は書くよりも読むよりもしゃべれる方が便利ですが、古来より伝わる筆談という手法でも意志疎通ができることが確認できたのは有意義な体験でした。

おもえば、オランダの語で、鼻を形容する言葉にフルヘッヘンドという言葉が使われていたが、その用例から、“堆い”という意味を数日かけて導き出した先駆者たち。

語学は一日にては為らず……ですね。
なんか、再度勉強したくなってきました。
所用が済んで本業専念体制になったら、また挑戦してみようと思います。
しかし、まあ、18世紀ヨーロッパ世界の普遍的な流通言語(外交での第一外国語)は、フランス語だったのですが、昔日の勢いはありませんね。

自分の専門の仕事をする分には、読めるだけで現実には十分です……というかおつりが来ます。しかし、しゃべれないでの教えることは不可能です。

「だから、銭にならねェ」……と細君のぼやきが鬱陶しい昨今です。

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