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Plato, Not Prozac !

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 幸福こそが哲学の目標です。もっと正確に言うなら、哲学の目標とは叡智であり、だからこそ幸福でもあるのです--なぜなら、繰りかえしになりますが、哲学の歴史を通してみると、そしてとりわけギリシアの伝統のなかでもっとも評価されている見解の一つによれば、叡智がそれと認められるのは幸福のもとでのことであり、すくなくとも幸福のある種のあり方においてのことなのですから。というのも、賢者が幸福であるとしても、そのためには、どんな方法によっても、どんな犠牲を払ってもよいというわけではないからです。叡智が幸福であるとしても、そのためには、どんな幸福でもかまわないということではありません。たとえば、麻薬や幻想や気晴らしなどを通じて得られるような幸福ではありません。医者達がこの先数年のうちに--もう先の話ではないと言う人たちもいますが、ご安心ください、まだそれなりの進歩をまたなければならないようです--新薬を、たとえば一種の抗不安剤や絶対の抗鬱剤を、しかも強壮剤でもあり多幸感発現剤でもあるような薬を発明し、さしだすとしてみましょう。いわば幸福の丸薬です。青や赤や緑の小さな丸薬を毎朝飲むだけで、完璧な幸せの状態に、完全な幸福のうちにいつまでもいることができるようになるのです(副作用もなければ、耐性がつくこともなく、依存症になることもありません)……。それを試すのを絶対に拒否しろとは言えませんし、ときには、たとえば人生があまりにつらいときなどには、しばらくのあいだ定期的に服用してみることもなくはないでしょう……。でも私が思うに、ほとんどの人がこの薬を常用するのをよしとはしないでしょうし、いずれにせよ薬による幸福を誰も叡智とは呼ばないでしょう。もちろん、さまざまな幻覚や偽りや忘却からなるそれなりに効果のあるシステムだけから生ずる幸福についても、同じことです。私たちの望む幸福とは、つまりギリシア人たちが叡智と呼び、哲学の目標ともなっている幸福とは、麻薬や偽りの幻覚や、パスカルの言葉を借りれば気晴らしによる幸福などではないのです。幸福とは真理とのある種の関係のなかで得られるものであり、それが正真正銘の幸福、真の幸福なのです。
    --アンドレ・コント=スポンヴィル(木田元・小須田健・C.カンタン訳)『幸福は絶望のうえに』(紀伊國屋書店、2004年)

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フランスには、例えば現代哲学における最新の尖鋭な理論知もあれば、その対極に位置する人間論の系譜としてモラリストの伝統がかっちりと存在する。

アンドレ・コント=スポンヴィル(André Comte-Sponville,1952-)も、そうしたモラリストの伝統にたつ人物ではなかろうかと思われる。もちろん、モンテーニュやアランのそれを期待することはできないが、それでも、日常生活の喧噪のなかで、考えることの意味や、生きることの意味を問い為すその試みは、そうした人間論の系譜におくことができるだろう。

アリストテレスが「善とは幸福である」(『ニコマコス倫理学』)と定式化したように、「幸福こそが哲学の目標」なのでしょう。

幸福とはおそらく何か恣意的なもの、何かに依るもの、何かを宛てにするものではないのかもしれない。感覚的な喜びや楽しみが決して無意味なものということではない。いうまでもなく、そうした潤いを欠いた生活はモノクロームでどこかギスギスした空虚な世界を伴うものである。しかし、そうした喜びや楽しみのみが幸福の本質でもなかろうということは本能的になんとなく理解できる、言葉にできないとしても。

理念が人間を規定してしまうと、人間/非人間という分断化をもたらしてしまう。にもかかわらず、現状を相対化させる超越の契機としての理念は一方で必要である。

それと同じように、幸福にも何らかの理念乃至は真理概念との関わりが必要なのだろう。理念乃至真理が幸福を規定するのではなく、現状を内在的に超越させる契機としての理念乃至真理との関わりはどうしても必要なのだろうと思ってしまう。

そのあたりをスポンヴィルの議論は、巧みな譬えと表現で証示しているようである。

「幸福とは真理とのある種の関係のなかで得られるものであり、それが正真正銘の幸福、真の幸福なのです」

現実の世界とは別の世界に幸福があるわけではない。
しかし今の現実そのものが幸福であるわけでもない。
しかし、得られる場も、同じく現実の実存の生活空間において他にはない。

しかしだからこそ、やはり何か、自己自身の現在の有り様を、理念や真理、叡智との関わりにおいて、なんらかの形で現在を相対化させ、別の世界へ飛ぶという意味合いではなく、内在的に“超越”させていく必要がどうしても必要なのでは……とふと思う。

こういうことを考えているので、どこかバタ臭さがあるのでしょうか。

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コメント

ご無沙汰してます!先生のブログ、いつも楽しく拝見させていただいてます。

「現実の世界とは別の世界に幸福があるわけではない。
しかし今の現実そのものが幸福であるわけでもない。
しかし、得られる場も、同じく現実の実存の生活空間において他にはない。」

やはり現実の葛藤の中でしか本当の幸せとか、哲学は見えてこないんですね!
先生のブログを読んでると、悩んでることがちょっと楽しくなってきます!新学期も始まりましたが、悩みぬいてやろうと思いました!ありがとうございます。

投稿: ツルハ | 2008年9月24日 (水) 22時43分

ツルハさんゑ

いえいえ、こちらこそご無沙汰しております。
いよいよ、新学期ですね、一歩一歩の歩みを決して無駄だとは思わずに、がんばってください。でも、例のごとくですが、がんばりすぎると〝疲れます〟から、時折生き抜きで。

本当に、いつも酒の飲んで書いている駄文におつきあい頂きありがとうございます。

さて……。
>やはり現実の葛藤の中でしか本当の幸せとか、哲学は見えてこないんですね!
自分も常々実感します。またその葛藤を楽しんでいる部分も実はあるのかもしれませんね。さあ、やってるやるか……みたない部分です。
実は……今月末締の紀要論文、まだ数枚しかかけておりません。しかし、仕事も山積みです。でもなんとかしてやるぞ~みたいな部分で、実は追いつめられていますが結構それも楽しんでいるような……根拠のある楽観主義でおおしく人生を〝楽しんで〟いきたいと思います。

悩みがあるからこそ成長もあります。
悩みを笑い飛ばすような心意気で、がんばってください!!

投稿: 宇治家 参去 | 2008年9月25日 (木) 05時14分

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