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耐え難きは忘恩

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九月二十日
忘恩は耐えがたいものである。しかし、これは自分の方がまだしも、実際的にも精神的にも優越的立場にあることを示すものだ。だから、忘恩者には忍耐をもってのぞみ、また感謝することを知っている人をそれだけ尊重するのが正しいであろう。だれにも忘恩を非難してはならない。相手が善い人ならば忘恩をみずから非難するであろうし、悪人に対してはそういう非難はなんの感銘をも与えない。それどこかろか、そういう非難を聞くと、悪人は相手が感謝を期待して、つまりいわば前貸し式に、多くの称賛と報酬を予期して親切をほどこしたことを白状でもしたように、むしろ心の重荷をおろすであろう。悪人の目から見れば、ただ相手は投機に失敗しただけで、自分の方が利口にふるまったのだ、ということになる。
    --ヒルティ(草間平作・大和邦太郎訳)『眠られぬ夜のために 第一部』(岩波文庫、1973年)。

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以下、少し感情的な吐露ですので、興味のない方はスルーを。忘恩をめぐる日常生活の一コマです。

たしかになあと、スイスの公法学者・ヒルティ(Carl Hilty,1833-1909)の言葉を噛みしめる。
詳しくは割愛しますが……
先週、門出を見送った知己に裏切られるとでもいいますか、裏切られるだけならまだしも、根も葉もない放言のプレゼントまで付けてくださいまして……そのことを別の方から、「大丈夫?」と声をかけられて、「なんだったのだろうか」と茫然自失することがありました。

忘恩は耐えがたいものであります。
ただしそのことを当人に批判しても、「悪人の目から見れば、ただ相手は投機に失敗しただけで、自分の方が利口にふるまったのだ」と思うふしが確かにあります。忘恩の行為すら自覚がないのでしょう。

「忘恩者には忍耐をもってのぞみ、また感謝することを知っている人をそれだけ尊重する」しかありません。

そのためにも、自分自身は決して忘恩者になってはならないし、ひととひととの間柄的関係のなかで、そうした全体のなかで、生されているという感覚を失ってはならないと自覚する。
常々、「うそつきと臆病者にはなってはならない」ということをモットーにしておりますが、そこのカタログ配置に付け加えてもよいかもしれません。
否定的な発想かもしれませんが、裏切るよりは、裏切られる側の方がまだいいかもしれませんが、どうせなら、裏切られない叡智と関係も必要なのでしょう。

で……
そのことはそのこととして置いておきますが、ただいけないのは根も葉もない放言のほうだろう。

ここはシビアにその罪責を確認し、あやまりであることはあやまりであると、言い切っていくしかない。

忙しいのに、いろいろと難事が現出する。

それだけ、考え行動する材料を与えてくれる「この世界は幸いです」。

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