« Plato, Not Prozac ! | トップページ | 今日は、「弱い、ほうけた人間」でお許しを »

すべての人間に対して正しい態度でのぞみ、ひとりの人間を隣人として敬意をこめて扱う

01_r0011024

-----

 国家が個人を、国家よりも高い、独立した力として認識し、国家の力と権威はすべて個人の力に由来すると考えて、個人をそれにふさわしく扱うようになるまでは、真に自由な文明国は決してあらわれないであろう。すべての人間に対して正しい態度でのぞみ、ひとりの人間を隣人として敬意をこめて扱う国家が、ついに出現する日のことを想像して、私はみずからを慰めるものである。そのような国家は、隣人や同胞としての義務をすべて果たしている少数の人間が、国家に口出しせず、かといって歓迎もされず、そこから超然として生きてゆくとしても、それが国家の安寧を乱すものだ、などと考えたりはしないであろう。国家がそのような実を結び、実が熟すればたちまち地上に落下するにまかせるならば、それはいよいよ完璧なすばらしい国家に向かう道を準備することになるであろう。私はこれまで、そのような国家についても想像をめぐらせてきたのだが、そうしたものはまだどこにも見あたらない。
    --H.D.ソロー(飯田実訳)「市民の反抗」、『市民の反抗 他五篇』(岩波文庫、1997年)。

-----

べつにどうのこうのというわけでもありませんが、「美しい国」と「希望と安心のくにづくり」に続く大きなヴィジョンが「明るく強い国」と出てきました。

極端な言い方ですが、政治家には大きな物語の提示は全く期待しておりませんし、革命的なヴィジョンを仮託しようとも思いません。

グラッドストーンとかチャーチル、ワシントンとかF.ルーズベルトのようなカリスマ的リーダーシップを期待するわけでもありません。もちろんそうしたものがあったならあったでいいのはいいのでしょうが、逆にいえば、問題のある方向へ導いていく可能性も否定できない部分もある。だから、自分としてはそうしたヒーロー政治家よりも、淡々と問題を発見し、現状を漸進させていく実務の人であれば問題ないだろうと思います。

国民国家という制度は、人工物の仮象にすぎません。

強制力と保護力はひとつものの裏表であるがゆえに、そこに何か実体を感じてしまう感覚は現実には存在する。
そうした力をみると、なにかそうした人工物の仮象を実体であるかのように錯覚してしまう側面がありますが、しかし、どのような国家論をとろうとも、近代以降の国家制度は、仮象にすぎません。

しかしその仮象が実体味を覚えれば覚えるほど、「国家の力と権威はすべて個人の力に由来すると考えて、個人をそれにふさわしく扱うよう」とする方向性とは逆の報告へ進んでしまうのがこれまでの世界の歩みであったし、日本の歩みであったのだと思います。

そういう意味では、「美しい」とか「強い」国構想には、その組み立て方の議論は別にしても、なんとなく居心地の悪さを感じてしまいます。

ソロー(Henry David Thoreau,1817-1862)は、不正な政府に対しては断固として非暴力な市民的不服従で抵抗すると宣言した人物です。このソローの発想と運動の定式化がいうまでもなく、ガンジーとM・L・キングの運動に具体性を与えた淵源になっておりますが、ソローの国家観を見ていると、本来そういう方向性へ人々は歩みをはじめるべきだと思うわけですが、現実はほど遠いです。

「すべての人間に対して正しい態度でのぞみ、ひとりの人間を隣人として敬意をこめて扱う国家」こそ、“美しく”“強い”国家なのだと思います。

ソローの謂いは理想的なヴィジョンに過ぎないかもしれません。
しかし、その理想的な在り方を早急に実現しようとして失敗したのがこれまでの急進的な革命・改革だったのであり、それは単なるまた一方での幻想だったのだろうと思います。

「国家がそのような実を結び、実が熟すればたちまち地上に落下するにまかせるならば、それはいよいよ完璧なすばらしい国家に向かう道を準備することになるであろう」

実を結ぶ努力を怠ってはならないなと実感しております。

02pxhenry_david_thoreau_2

市民の反抗―他五篇 (岩波文庫) Book 市民の反抗―他五篇 (岩波文庫)

著者:飯田 実,H.D.ソロー
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

|

« Plato, Not Prozac ! | トップページ | 今日は、「弱い、ほうけた人間」でお許しを »

現代批評」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/451663/24011602

この記事へのトラックバック一覧です: すべての人間に対して正しい態度でのぞみ、ひとりの人間を隣人として敬意をこめて扱う:

« Plato, Not Prozac ! | トップページ | 今日は、「弱い、ほうけた人間」でお許しを »