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近代の陥穽:聖徳太子と比べなくても……

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 一般に近代的なものといはれるものは欧羅巴的なるものである。近代は政治的・経済的にも文化的にも、欧羅巴的世界が世界全体へ自らを拡大した「近世」の末期に位する。日本に於ける近代的なるものも、明治維新以後に移入された欧羅巴的なるものに基く。然るに、欧羅巴文化の移入における顕著な特色は、文化の諸部門が殆ど相互の連絡なしに離ればなれに輸入されたといふことである。これを例へば聖徳太子の時代以来の支那文化の輸入と比較すれば、そこに著しい相違が見られると思ふ。支那文化の輸入の際には、仏教や儒教を中心にして他の諸部門のものが連関的に輸入されたのである。この相違は、西洋文化が既に各専門的な部門に分類したもの、その意味で所謂「進歩」した文化であつたことによるともいへるかも知れない。併し単に専門的な領域への分化といふだけならば、その間に連関があり得る筈である。然からば日本自身が連関あるものを切れ切れに輸入する仕方をとつたのであらうか。併し原因は寧ろ一層根本的なところにあると思はれる。即ち輸入された西洋文化が、既に西洋自身に於て連関性を喪失してゐたからである。従つて、単に専門的領域への分化といふだけではなくして、其等の分化したものを統一する中心がなく、文化が全体としての統一性を失つてゐたのである。然もそのことは既に欧羅巴近世の初めから伏在してゐる。近世欧羅巴は屢々世界観的無統一の時代といはれるが、一層根本的には、統一的世界観を可能ならしめる基盤の分裂の時代である。近世は、文化的には、宗教改革とルネッサンスと自然科学の成立といふ、三つの運動によつて、中世との訣別を決定的にしたといへる。この三つの運動は近世全体を通じて近代までの西洋の精神文化を支配した三つの大きな流れの源となつたのであるが、然も其等の流れは一つの本流の支流といふべきものではなくして、相独立した、そして根本において相衝突すべきものである。
    --西谷啓治「『近代の超克』私論」、『文學界』(文藝春秋、昭和17年九月)。

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15時に紀要掲載論文を脱稿。
ようやくひとつのやまから解放です。
いつもぎりぎりですが、今回は前日に大幅手直しで、一日で原稿用紙四〇枚の記録達成です。あまり名誉な記録ではありません。

メールにて無事入稿。

ただ完成はしましたが、まだ納得いきません。

とりあえず、夕方に慰労会を強引に開催。
ひといきついて今日は休ませて戴きます。

皆様、励ましありがとうございます。

さあ、次はいよいよ博論を1ヶ月でまとめます。

過酷なロードレースは果てしなく続きます。

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告白・独白・毒吐の日々」カテゴリの記事

コメント

平凡な中年主婦Tです。
紀要、陰ながら応援いたしておりました。
  (活字入力がもたもたしており、もう焦ってきました)

いつか、信濃町でのブログでありました、専任になってください!
陰ながら心よりお祈りいたしております。
 (声のトーンがお伝えできず又、言葉足らずがありましたらすいません)

投稿: T | 2008年10月 1日 (水) 09時54分

Tさんゑ

ありがとうございます、宇治家参去です。
お陰様でなんとか仕上がりました、ただ内容には納得がいっていないのですが、かたちにはなりました。

これからもうひとやま大きな仕事があります。
この秋は公私ともに忙しくなってしまいそうですが、がんばりますので、どうぞ宜しくお願いします。

声のトーン、文脈から伝わっていますよ!

投稿: 宇治家 参去 | 2008年10月 1日 (水) 14時55分

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