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頭の中で、ループするといふやうな

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今日一般に単純な宗教の否定をなす人々は殆ど見当らないがと言つてよいが、然しその際多くは宗教を肯定する仕方が、結局文化としての宗教を認めようといふのであつて、得に宗教的な世界観を自ら認めるといふやうな、宗教の肯定とは自ら異なつてゐるやうに思はれる。近代の十九世紀までのヨーロッパの所謂近代思想の立場では、かのオギュスト・コントの実証主義的な三段階説で言はれるやうに、古代人の神話的な宗教的なものの考へ方から、哲学的形而上学的な抽象的理念で考へる立場に発展して、更に之を克服して実証主義的な科学的な現実の観察と法則の把握へと言つた進展の仕方を以て、次第に合理主義的な考へ方によつて、宗教的な世界観の立場は殆ど理論的にはその立場を失つたと言はれるやうな状況にまでなつて来たのである。かうした帰するところ人間中心的自然主義乃至唯物主義に帰する立場が、広く西洋的な精神史に於いて、無神論的な悲劇的な状況にまで押しつめられて行つた処に、所謂ヨーロッパ文化の危機の問題があるのであるが‥‥
    --吉満義彦「文化と宗教の理念」、『吉満義彦著作集 1』(みすず書房、1947年)。

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どうも、こういう文体ばかりを読んでおりますと‥‥

知らぬうちに文体が体になじんでまゐるやうに思はれます。
不思議なもので、頭の中で、ループするといふやうな情況で、現代の文体が失はれていくやうに思はれてほかなりません。

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