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夏去らむとして冷気きたるころ 寄り添う 介在しない慈愛

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 善八は、浜松をすぎて、舞坂の〔きょうが屋〕という旅籠へ泊まってくれ、明日の昼ごろまでには、かならず追いつくからといい、
 「どうかね、平さん……わしといっしょに、これからもやって見る気になってくれたかえ?」
 「うむ……よかろう」
 「よし、きまった。だがね、平さん、もうすこし、お前さんの様子を見させてもらうよ。なにせ、この伊砂(いすが)の善八が三十何年もかけてものにした奥義秘伝をつたえようというのだからねえ」
 「なるほど……」
 「ともかく、わしが死んだのち、これをねむらせてしまうにはもったいないのだ。血をながさず、争わず、有るところから盗(と)って無いところからは盗らぬ。女子供に手をつけてはいけない……と、まあ、盗人(ぬすっと)の本道をまっすぐに歩いて行ける人でねえと、この秘伝が却って毒になるものねえ」
 いいつつ善八が、ふところから何か出した。
 うすい帳面のようなものである。
 「岡部の旅籠で、お前さんに見せようとおもい、ちょいと書いておいたのだが……ま、今夜ゆっくり眼を通しておいて下さいよ。わしの奥義秘伝のうちの、ごく初歩(はじめ)のことだけを書いてあるのさ。お前さんしだいで、もっともっと、むずかしくて、しかも、おもしろいことを教えてゆくつもりだよ」
 「ほほう……」
 「では平さん。明日また……」
 にっこりとして見せ、伊砂の善八は木立の中から出て行き、田地の道を北の方へ去って行ったのである。
 平蔵は、その善八を見送るうち、後をつけようとする姿勢を見せたけれども、すぐ思い直したように苦笑をもらし、木立の奧へ入って行き、草の上へすわりこみ、善八がよこした帳面を見た。
 おもてに〔盗法秘伝〕と書いてあった。
(なるほどな……)
 第一頁に、こうある。

 一、つとめ(盗み)するときは、まず、月の出入りの時刻をよくよく知りわきまえおくべきこと。夜のつとめには月のひかり大敵なり。
 一、家やしきへ忍び入るには、やしき内の人のねむりがふかければ、もっともよし。まず、ことに中春から末は、いよいよあたたかく、人のねむりふかし。夏は暑さはげしく、人の気もちからだもくたびれつくし、そのくせ、夜に入りても暑きゆえ、宵のうちにはなかなか寝つけぬものなり。ゆえに、みじかき夏の夜なおさらにみじかくなるものなり。真の盗人(ぬすびと)なれば、夏ばたらきはせぬがよし。なれど、夏去らむとして冷気きたるころこそ、つとめばたらきにはもっともよし。

 などとあって、それから微細にわたり、なかなかどうして、善八の〔秘伝〕なるものは穿ったことを書きつけてあるのだ。
    --池波正太郎「盗法秘伝」、『鬼平犯科帳 (三)』(文春文庫、1975年)。
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日中はまだまだ暑い日が続きますが、夜にもなると秋の訪れを感じざるを得ない今日この頃です。冒頭は、ひょんなことから、独りばたらきの老盗・伊砂の善八と知り合うことになった長谷川平蔵が、その人格と度胸をみとめられ、「オレの後継者にならないか」とスカウトされ、その盗みの秘伝を伝えられた一コマから。

「夏去らむとして冷気きたるころこそ、つとめばたらきにはもっともよし」

夏の疲れが一挙に噴き出すこの季節、夜も涼しくなり始め、深い眠りがひとびとをいざなう季節です。月はこうこうと出ておりますが、戸締まりはご用心のほどを。

……とわいっても、この「世知辛い世の中」、本格のおつとめを行う手練れの盗人はいないかもしれませんが……。

ということで(?)……
市井の仕事へ出勤すると、夕方より東京では断続的な豪雨。
今日は帰るときも雨かなあ~、濡れて帰らなければならないのかなあ~、と懸念しておりましたが、思った以上に雨がはやくあがり、22時過ぎからはお月様も顔をだす。
24時に仕事を終えましたが、このまま帰るのも「MOTTAINAI」と思いましたので、ビールを買って、自宅への途上の公園にぶらりとたちよる。

虫の音がここちよい一夜です。

頭上には、お月様があたたかいともしびをふり注いでくれる。
誰もいない、雨後の公園で、「秋味」@KIRINをのみつつ、せんだってから読み続けている有島武郎(1878-1923)をひもとく。

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 パンの為に精力のあらん限りを用い尽さねばならぬ十年--それは短いものではない。それにも係わらず、君は性格の中に植え込まれた憧憬を一刻も捨てなかったのだ。捨てる事が出来なかったのだ。
 雨の為とか、風の為とか、一日も安閑としてはいられない漁夫の生活にも、為す事もなく日を過ごさねばならぬ幾日かが、一年の間には偶(たま)に来る。そう云う時に、君は一冊のスケッチ帖(小学校用の粗雑な画学紙を不器用に網糸で綴ったそれ)と一本の鉛筆とを、魚の鱗(うろこ)や肉片がこびりついたまま、ごわごわに乾いた仕事着の懐ろにねじ込んで、ぶらりと朝から家を出るのだ。
 「逢う人は俺ら事気違いだというんです。けんど俺ら山をじっとこう見ていると、何もかも忘れてしまうです。誰だったか何かの雑誌で『愛は奪う』と云うものを書いて、人間が物を愛するのはその物を強奪(ふんだ)くるだと云っていたようだが、俺ら山を見ていると、そんな気は起したくも起らないね。山がしっくり俺ら事引きずり込んでしまって、俺ら唯惘(あき)れて見ているだけです。その心持が描いてみたくって、あんな下手なものをやってみるが、から駄目です。あんな山の心持を描いた画があらば、見るだけでも見たいもんだが、ありませんね。天気のいい気持のいい日にうんと力瘤(ちからこぶ)を入れてやってみたらと思うけんど、暮しも忙(せわ)しいし、やっても俺らにはやっぱり手に余るだろう。色も付けてみたいが、絵具は国に引っ込む時、絵の好きな友達にくれてしまったから、俺らのような絵には又買うのも惜しいし。海を見れば海でいいが、山を見れば山でいい。勿体ないくらいそこいらに素晴らしい好いものがあるんだが、力が足んねえです」
    --有島武郎「生まれ出づる悩み」、『小さき者へ・生まれ出づる悩み』(新潮文庫、昭和五十五年)。

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巧まざる自然に何かを望んだり、願ったりしたことはありません。
しかし、何か、神々しいまでの真理に対して頭を深く垂れざるを得ないような……そういう祈りにも似た、圧倒感は時折感じております。
それを祈りといえば祈りなのかもしれませんが、そういう宗教学的な定義化のカテゴリーに選別される以前の、何か、人間としての向かい合い方を感じることがあります。

これは自然に対してだけでなく、人に対してもそうなのかもしれません。

「勿体ないくらいそこいらに素晴らしい好いものがある」

大自然ドキュメンタリーで垣間見る自然の営みにのみ“素晴らしい”自然があるのではないのでしょう。

都会を優しく照らす月光にも、
郊外をさやさやと包み込む月光にも、
そして、
田舎にひとしく降り注ぐ月光にも、
……巧まざる自然の営み、「しっくり俺ら事引きずり込んでしまって、俺ら唯惘(あき)れて見ているだけ」の現在が絶え間なく営まれているのだろうと思います。
しかも、さりげない日常生活の一コマとして。
実際のところ、日常生活とかけ離れた○○とは、仮想の○○なのかもしれません。
これが「超越的内在」のひとつの契機かもしれません。

おもえば、ビールをもう一本買っておくべきだった。

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 君よ!!
 この上君の内部生活を忖度(そんたく)したり揣摩(しま)したりするのは僕のなし得る所ではない。それは不可能であるばかりでなく、君を瀆(けが)すと同時に僕自身を瀆す事だ。君の談話や手帳を綜合した僕のこれまでの想像は謬っていない事を僕に信ぜしめる。然し僕はこの上の想像を避けよう。ともかく君はかかる内部の葛藤の激しさに堪えかねて、去年の十月にあのスケッチ帖と真率な手紙とを僕に送ってよこしたのだ。
 君よ。然し僕は君の為めに何を為す事が出来ようぞ。君とお会いした時も、君のような人が--全然都会の臭味から免疫されて、過敏な神経や過量な人為的智見に煩わされず、強健な意力と、強靱な感情と、自然に哺(はぐく)まれた叡智とを以て自然を端的に見る事の出来る君のような土の子が--芸術の棒誓者となってくれるのをどれ程望んだろう。けれども僕の喉まで出そうになる言葉を強いて抑えて、凡てを擲(なげう)って芸術家になったらいいだろうとは君に勧めなかった。
 それを君に勧めるものは君自身ばかりだ。君が唯独りで忍ばなければならない煩悶--それは痛ましい陣痛の苦しみであるとは云え、それは君自身の苦しみ、君自身で癒さなければならぬ苦しみだ。
 地球の北端--そこでは人の生活が、荒れくれた自然の威力に圧倒されて、痩地(やせち)におとされた雑草の種子にように弱々しく頭を擡(もた)げてい、人類の活動の中心からは見逃される程隔たった地球の北端の一つの地角に、今、一つのすぐれた魂は悩んでいるのだ。若し僕がこの小さな記録を公けにしなかったならば誰もこのすぐれた魂の悩みを知るものはないだろう。それを思うと凡ての現象は恐ろしい神秘に包まれて見える。如何なる結果を齎(もた)らすかも知れない恐ろしい原因は地球のどの隅っこにも隠されているのだ。人は畏れないではいられない。
 君が一人の漁夫として一生を過すのがいいのか、一人の芸術家として終身働くのがいいのか、僕は知らない。それを軽々しく云うのは余りに恐ろしい事だ。それは神から直接君に示されなければならない。僕はその時が君の上に一刻も早く来るのを祈るばかりだ。
 そして僕は、同時に、この地球の上のそこここに君と同じ疑いと悩みとを持って苦しんでいる人々の上に最上の道が開けよかしと祈るものだ。この切なる祈りの心は君の身の上を知るようになってから僕の心の中に殊に激しく強まった。
 ほんとうに地球は生きている。生きて呼吸している。この地球の生まんとする悩み、この地球の胸の中に隠れて生れ出ようとするものの悩み--それを僕はしみじみと君によって感ずる事が出来る。それは湧き出で踊り上る強い力の感じを以て僕を涙ぐませる。
 君よ! 今は東京の冬も過ぎて、梅が咲き椿が咲くようになった。太陽の生み出す慈愛の光を、字面は胸を張り拡げて吸い込んでいる。春が来るのだ。
 君よ、春が来るのだ。冬の後には春が来るのだ。君の上にも確かに、正しく、力強く、永久の春が微少(ほほえ)めよかし……僕はただそう心から祈る。
    --有島武郎、前掲書。

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月光を浴びながら読んでいた有島武郎(1878-1923)のつづきでも……。

上に引用した書物の筋はつぎのとおりです。

すなわち……
すぐれた絵の才能をもちながらも、貧しさゆえに漁夫として生きなければならない主人公の青年は、激しい労働と不屈な芸術的魂の相剋の間で逞しく“生きざる”を得ない。
多感であればあるほど、かえって親兄弟や世間との絆をガムシャラに断ち切ることもできない。
告げようもない苦しみを苦しむ若者によせた限りない人間愛の書物と呼ばれているのが、この『生れ出づる悩み』であります。

人間という生きものは、この話にあるように、どうしようもない、そして切れないしがらみや悩みの網の目のなかで現実には格闘しながら生きている。そして、それが本意でないときも種々あるものです。だからこそ、ゲーテがいうように“努力すれば迷う”ものであり、そこに実は人間の成長も存在する。

そこに第三者は介在することはある意味で不可能である。

ただ、それでも、そうした苦悩や葛藤に対して、寄り添い、祈ることはできる。
うえから介在したり、理論として忠告したりすることは「君を瀆(けが)すと同時に僕自身を瀆す」ことになってしまうことが殆です。

だからといって“関わり”を断つことも出来ない。

話を聞き、寄り添い、そして祈る。
しかしそのなかで、決断するのは、当人自身である。

しかし、関わりを断ってはいけない。

なにも指示も、示唆も、道を示すことも出来ないかもしれない。道を示すということすら存在に対する冒瀆といってもよいかもしれない。

しかし、関わりを断ってはいけない。

関わり続ける努力のなかに、人間愛の感情、ないしは慈悲の勇気が生まれてくるのではなかろうか。

有島の作品を読むとそのことを考えさせられます。

有島は人物として、優等生であり、孝行息子であり、模範的紳士であったという。
しかし、そうした在り方と現実との相剋で苦悩し続けた人物である。
最後は『婦人公論』記者と不倫のあげく縊死心中を図る歩みなので、到底、長谷川平蔵の人生観とは相容れない人物ではあります。しかし、その容赦のない自己呵責が崇高に歌い上げられた作品にはどうしてか、この年になってくると惹かれてしまうようになってしまった……。

ともすれば、人間はスパッと、熱く対象に関わり、喧々諤々のすえ、同抱するような在り方に若い頃はひかれたものでありますが、それだけがすべてというわけでもないのでしょう。

苦悩や葛藤に直接介在しなくてもよい、在り方における人間愛とか、慈悲を有島はそれとなく示してくれてるように思われる。

こういうのを読むと、本当に“焦らなくてもよい”し、奥底で決断したことはかならず「冬の後には春が来る」ように、自ずと道は開けるのではないだろうか……などと思ってしまいます。

もちろん、いうまでもありませんが、それに対する努力は必要ですけど。

存在と存在に対する関わりの多様性だけは、なんといっても認めざるを得ません。

例の如く、いっぱいやりながら書いているので支離滅裂でセンチメンタルですいません。
お月様のおかげです。

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