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「人間とは何か?」

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「近代は人間性の解放時代だ」などといふ標語と「近代は人間性の喪失時代だ」といふ告白との間には、夢と現実の差がある。その点で教権の圧迫から解放された自由な人間性が、近代の素晴らしい科学文明と社会文化を造つたのだと、如何にも芝居じみた政談演説のやうな尤もらしい無数の教科書的常識の前に、「人間とは何か?」とヨーロッパ知性が真に問ひ始めたのは、つい最近の事であることを考へねばなるまい。カール・アダムが例の『カトリシスムの本質』の中で、十六世紀における「教会よりの分離」は、十七、八世紀における「基督よりの分離」(理神論)となり、十九世紀以来の「神よりの分離」(無神論)へと必然的論理を辿つて行つた事を指摘するものに西欧精神史の現実的弁証法があり、而して「神を殺すのもは人間を殺すものだ」となすベルジアエフの言が直ちにこれに呼応するであらう。も一つ近代的無神論の弁証法をマリタンの仕方で指摘すれば、デカルトにおいて神は人間の造物神(デミウルゴス)の活動の背後に、その合理的世界支配の保証者(garant)として、人間性より方法論的に二元論的に分離されてゐたものから、ヘーゲルにおいて神は限界概念として人間の理性理念のうちに吸収される所の一元論(モニズム)に解消され、やがて唯物論的無神論と人間性の技術主義的規定の文明風土において人間其のものゝ生命停止となる所に、近代人間中心的ヒューマニズムの厳格な弁証法があるのである。
    --吉満義彦「近代超克の神学的根拠」、『吉満義彦著作集 1』(みすず書房、1947年)。

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あいかわらずループしておる宇治家参去でございます。

ただ、考えるのは、徹底的批判としてあらわれたプロテスタンティズムが、自然と文化と人間を分断する側面として機能したのであれば、なんらかのとらえ直しは必要なのだろうということ。

まったく考察できておりませんが、あと2,3日でこの仕事も終わりますので、おわりましたらまたじっくり考えてみようと思います。

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