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他者との連関において存在するということ

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 我々は間柄を形成する個々の人を突き留めようとして、それが結局共同性のうちに消え去るのを見た。個々の人はそれ自身においては存しないのである。しかるに今やその共同的なるもの全体的なるものを突き留めようとして、逆にそれが個人の独立性の否定にほかならぬことを見いだした。全体者もまたそれ自身においては存しないのである。しかも全体者が個人の独立性の否定において成り立つというとき、そこには否定し制限せられる個人の独立性が認められている。従って個々の人は全体性との連関においては存しているのである。同様に個人の独立性が共同性の否定において成り立つというとき、そこには否定し背反せられる全体性が認められている。従って全体者もまた個人の独立性との連関においては存していると見られねばならぬ。そうすれば個人と全体者とは、いずれもそれ自身において存せず、ただ他者との連関においてのみ存するのである。
 ところでこの他者との連関は、いずれも否定的関係であった。個人の独立性は全体者に背くところにあり、全体者の全体性は個人の独立を否定するところにある。従って個人とは、全体者が成り立つためにその個別性を否定せらるべきものにほかならず、全体者とは個人が成り立つためにそこかあら背るべき地盤である。他者との連関において存在するということは、他者を否定するとともに他者から否定せられることにおいて存在するということにほかならない。
    --和辻哲郎『倫理学(一)』(岩波文庫、2007年)。

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たしかに、「人それぞれ」でいいのだと思います。
人によって、趣味や思考や嗜好は違う。そのことを何かの鋳型にいれて金太郎飴のように、おなじものを製造しようなどとは思わない。

人はたしかに「人それぞれ」なのでしょう。
しかし、自分が「人それぞれ」として尊重して“戴く”ためには、他のひとをも「人それぞれ」として尊重“しなければならない”そうした尊重して“戴く”ことと尊重“しなければならない”両者が存在してはじめて、“人それぞれ”が成立する。

個の独立性と全体の全体性との連関も同じなのでしょう。
個の存在性は全き「他者」を否定する契機でありながら、「他者」から否定せられることにおいて成立する。この緊張関係のなかにこそ、個の独立性と全体の全体性という否定の弁証法的関係ともいうべき間柄的関係が存在するのでしょう。

そのあたりが、議論としては納得するのだが、現実に適応した問題として考えていくとなかなか難しい。
個の独立性が圧倒的な勢いをもって迫ってくる。
また全体の全体性が所与の不動のできあがったものとして圧倒的な勢いをもって迫ってくる。
発想としてはその二者択一がいつわざる現状なのでしょう。

ちょうど本日、短大の哲学の授業で、哲学における二つの契機をもってして第一章をしめくくる。哲学とは徹底的な個々人の探究の営みに他ならないが、それは世界や他者と孤立した独断的な思考となってはいけないのがルールである。

そのために何が必要なのだろうか。

それが対話である。

ものごとを根源的に探究する試みである人間学としての哲学においては、いわば①徹底的な探究、②対話による相互吟味・批判、この二つは車輪の両輪である。

徹底的に探究すればよい。
そしてそのことを対話によって世界へ、そして他者へ開いていかなければならない。
探究と対話によって個の確立と公共世界の創出が哲学的思考の主軸なのだと思います。

個ありきでもなく、全体ありきでもない、生きた人間に即した徹底的探究と他者理解が今こそ必要なのでしょう。そのあたりで今日はしめくくる。

どうも傾向とか体質として、いまの若い人々はどちらかというと、他者から切り離された「ひとそれぞれ」を選択するような傾向が顕著に強いと思われます。他者から「切り離された」内向的な「ひとそれぞれ」の場合どうしても、ある日突然、コロっと、その正反対の「公共ありき」に地滑りのように転換してしまう場合が多いと思う部分があるので、そのこところは念を押しておいた。

徹底的に「ひとそれぞれ」であって下さい。
しかし、その「ひとそれぞれ」は全く孤立した孤独人としての「ひとそれぞれ」ではなく、他者へ開かれた「ひとそれぞれ」であってほしい。そしてそういう契機を創出する対話を決して忘れて欲しくない。
そう思うある日の宇治家参去です。

帰宅すると、ようやく秋期スクーリングの開講依頼書類一式が届いてた。
先週末、事務局の手違いで別の担当者へ出講要請を届けていたようで、どうやら宇治家参去のもとへ届くのが遅くなったようであります。

とりあえず、“不開講”は免れ、ほっとしております。

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