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学を伝達することの困難

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……自己を伝達すること、それはたしかに自己を開くことである。だが、このような開口も、相手に承認されることを待ち望む場合には、全面的な開口ではない。他人の「光景」ないし他人による承認へと自己を開くことによってではなく、他人に対する責任と化すことによって、開口は全面的な開口となる。開口のこのような誇張、それは身代わりに行き着く、他人に対する責任であり、身代わりにおいては、他人への開示ないし顕出としての対他が、責任としての「他人のために」〔他人の変わりに〕に一変する。
    --E.レヴィナス(合田正人訳)『存在の彼方へ』講談社学術文庫、1999年。

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昨日、無事に通信教育部の秋期スクーリングの担当講座「倫理学」無事終了する。
履修された皆様方、ありがとうございました。

いつも、講座を担当して講義がすべて終了してから思うのが「これでよかったのか」という部分です。内心忸怩たらざることを得ない宇治家参去です。

ただ「倫理学」という学問そのものが、なにかできあがった体系を初手から学ぶという学問ではなく、先哲の言葉に耳を傾けながら、今・生きている・この世界のただ中で自分自身が省察し、そしてひとびとと語り合う学問であるとするならば、そのひとつの導きになったのであれば、ひとつは成功なのでしょう。

この自分自身で省察するということは決して恣意的に孤立的に探究するというであっては欲しくない。そのために、「自己を開く」「開口」「他人に対する責任」という契機が必要なのでしょう。これは制度として教える側、すなわち宇治家参去自身に関してもひどく適用される部分なのだと思います。

そこにおいて、「自己を開く」「開口」「他人に対する責任」としての「構え」のような部分を欠如してしまった場合、倫理学とか哲学といった根源的な諸学は、そのひとにとって、無味乾燥な、できあがった体系になってしまうのかもしれません。そこにおいては、有機的・創造的な関係は喪失し、学問自体と学習者自体の関係のみならず、教師-学生の関係においては、殺伐とした荒涼たる世界が現出するだけなのだろうと思います。

しかし、今回は、ヘビーな質問(内面的な質問)は少なかったのですが、根源的な質問も多く、かえってこちらが学ぶ機会になってしまった。また学問のこと以外でも、大学のあり方(大学論)に関しても学生さんとつっこんで話し合うことができたのは収穫でしょう。

皆様、本当にありがとうございました。

さて、ヘロヘロになって帰宅すると、国産松茸が用意されておりました。
焼き松茸とビールでひといきつき、早い時間に寝てしまった。
布団と一体化すること9時間あまりです。朝、健やかに?起きてしまった。

さあ、これから短大での講義です(おわると市井の仕事ですが)。

しかし、一番ご苦労をお掛けしたのは、手話通訳の方々かもしれません。今回受講された方で聾の方がいらっしゃったのですが、連日3名体制で補助してくださりました。馴れた流ちょうな教員なら苦労されることはなかったと思いますが、ワタシの場合、きわめてメンタルなナイーブな独特な語りをしてしまいますので、ご苦労をお掛けしたと思います。

本当にありがとうございました。

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著者:E. レヴィナス
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