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大正時代瞥見(1)

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大正時代瞥見(1)

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 人間の凡ての活動の中で芸術上の活動ほど特殊性に依頼する活動はないと云っていい。芸術上の製作は全然芸術家の特殊な性惰と修練とが生み出す者であらねばならぬ。芸術家が自己の性惰と修練とに疑惑を生じ、破綻を見出し、欠陥を感ずるが最後、その人の製作はその瞬間から向下して価値を失って行く。それは信仰を生命とする人が信仰の対象を見失った時と全く同じ結果に陥る。そこには最早生命の燃焼がなく、その人も死に、神も亦死ぬ。
 如何なる芸術家も如上の一事を念頭から離れさしてはならぬ。又離れさすことが出来ない。彼等は、若し僅かな自覚だにあれば、自分の生命がどんな釘に垂れ下げられねばならぬかを知っている。自分の生命、即ちその制作を、自分の特殊な性惰と修練との結合点に見出さねばならぬと云うことを知っている。
    有島武郎「大なる健全性へ」、『惜しみなく愛は奪う --有島武郎評論集-- 』(新潮文庫、平成12年)。

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「生まれ変われるとしたらどの時代に生まれ変わりたいか」などと聞かれた場合は、たいてい日本に於けるそれの場合は、「平安時代」か「大正時代」と答えることにしております。もちろん、現実はエアコンのない時代ですので「生まれ変わり」たくは全くありませんが、思考実験としては、そのどちからの時代に心惹かれる部分があります。戦間期への憧憬とでもいえばいいのでしょうか。

さて吉野作造(1878-1933)が活躍したのも大正時代であり、周知の通り「大正デモクラシー」の旗手として華々しく活動したのもその折りです。日露戦争集結に伴うポーツマス講和条約締結に対する反対運動が爆発した日比谷焼討事件に、実は「大正デモクラシー」の潮流は開始されますので、時代としては先行スタートしておりますが、日露戦争を経て、「世界の一等国」の意識のもとで、デモクラシー以外にも、様々な思想潮流が一挙に溢れ出してくるのが、まさに大正時代であります。

※もっとも各論者が指摘するとおり、「内にデモクラシー、外に帝国主義」という大正デモクラシーの限界を指摘するのはたやすいのですが、その時代におけるコンテクストをふまえた場合、そうも言い切れない部分は厳然と存在すると宇治家参去は思っております。

さて……、
明治がおわり、大正にはいると社会が比較的安定していくなかで、政治としてはデモクラシーの発想が一大潮流となってくる。そして、日比谷焼き討ち事件や米騒動、そして普通選挙の高まりと、護憲運動……。明治に比べると、はるかに自由な雰囲気が生み出された時代になったきたわけですが、そのなかで、「個人の自覚と教養を高め、近代的な自己を確立すること」がひとびとの大きな関心になってきます。
漱石・夏目金之助の小説をひもとくまでもなく、まさに「自我」(個人の自覚)とは何か、そしてそれを高めるにはどのようにすればよいのか、そういう課題がひとびとの間で大きな問題となった時代であると思えます。そこで探究された問題とは何か。これも大ざっぱな言い方をするならば、「自我の解放はどのようにして可能になるのか(外なる制度としての封建的なシステムに対して、自由な自己を確立するにはどのようにすればよいのか)」という問題です。おもえば、明治後半、藤村操という旧制一高の学生が、「萬有の真相は唯だ一言にして悉す、曰く『不可解』」との言葉を残して、華厳滝で入水自殺を行いましたが、まさに「自我」とか「個人」の「煩悶」を象徴する出来事だったのでしょう。
※当時はこれがマスコミ知識人の間で哲学的議論の対象となったのですが、実のところは失恋が原因のようですが、それはそれでまさに、「個人の問題」が哲学的な考察の対象となったという意味では、まさに事件なのだと思います。

話がそれましたが、そうした時代意識のなかで、大きなムーブメントとなってくるのが、「大正教養主義」とよばれる一大思潮です。キーワードとしてピックアップするならば、「生命」主義、「人格」主義、そして生命や人格を薫育するものとしての「修養」主義と「教養」主義という発想です。

自己の当体である「生命」を向上させる教養、そして(宗教的な)修養、このふたつのアプローチが特徴的なのですが、両者に共通しているところは、やはり「実践的」という点なのではないかと思います。

ベルグソン(Henri-Louis Bergson,1859-1941)やウィリアム・ジェームズ(William James,1842-1910)から影響を受け、西田幾多郎(1970-1945)は日本で最初の哲学書と呼ばれる『善の研究』を著しますが、自己の人格の実現を最高の善として、その実現に宗教的な体験とか修養が必要であるという立場が貫かれておりますが、そうした発想もそのひとつなのでしょう。西田の場合、自身の参禅経験がヒントになっております。また国際派で知られるキリスト者新渡戸稲造(1862-1933)も朝晩の修養を大切にしたといわれております。

冒頭に引用した白樺派の有島武郎(1878-1923)や武者小路実篤(1885-1976)らの「新しき村」の運動も生命主義・人格主義の立場や、民衆に根差そうとするトルストイ(Lev Nikorajevich Tolstoj,1828-1910)の影響から、それを単なる理論におわらせるのではなく、理想的な共同体をこの地上に実現させよう……そうした善意の実践運動だったわけで、その成否はともかく、さまざまな理想や理念、発想をどう着陸させていくのか、ひとびとは思想と実践のなかで、まさに種々思考し実践していた時代だったのだろうと思います。

その意味で、大正時代の思想界・文学界にはいわば、新しい可能性が含まれていた時代の空気があったのではなかろうかと思います。そこに惹かれる部分があるわけですが。

もちろん、そうした時代の空気は、関東大震災を境にして、社会的な不均衡の増大、そして内外の時局の不安定化というながれのまえに、なし崩し的に霧散していきますが、その実験は確認してみる必要が厳然とあると思います。

……って、概論的な教科書的な叙述になってすいません。
明日から授業なので。
それがおわれば、もうすこし、個別の問題(例えば、生命主義、人格主義、教養主義の問題)にはいって行ければと思います。

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