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地面と植物が発散させるあの秋の香り

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 わたしたちが帰路につくためにふたたび俥の中に腰を下ろすころには、もう地平線の上には黄ばんだ太陽の最後の一端が残っているばかり。
 黄昏の中を、わたしたちは今朝と同じ道を反対の方向にとって返す。小さな谷々の同じ迷路の中を、わたしたちの視野を仕切る小さな丘陵の同じ連なりのあいだにある、あの同じいくつもの稲田を縫って。
 空はヴェールのように落ちてくる大きな雲のためにそっくり蔽われてしまう。そして驟雨がわたしたちの上を通り過ぎる。あたりの黄ばんだ葉を濡らしながら、地面と植物が発散させるあの十一月の香りを強めながら。
 いまは日本で豊富に熟れるあの唯一の果物、即ち、蜜柑をこころもち長くしたような、けれども、もっともっと美しい色をした、ちょうど褐色の金の球のようにすべっこくてぴかぴか光、あのカキの季節である。途々到るところで、わたしたちはそれを枝もたわわにつけている樹木に出あう。
 この日本の田野では、じつにたくさんのものが、わがフランスの秋を想い出させる。あちらこちらに、垂れさがっている葡萄の紅い枝、裸にされた枝々。それからいまにも枯れしぼみそうな高い雑草の中の紫の花々。--ここでは、わがフランスと同じようにそれらの花々はほとんどみな紫の色をした晩秋(おそあき)の花々である。茎の先に花をつけている紫の矢車草、まつむし草、釣鐘草、--さらにまた、色合は同じであるが、道の種類のほかの花々。
    --ピエール・ロチ(村上菊一郎・吉永清訳)『日本の秋』(角川書店、昭和28年)。

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なんどか書いているかもしれませんが、自分が一番好きな季節が、日本の秋です。ちょうど10月から11月にかけての、どこまでも透明な秋の空気と匂いがここちよい時期が一番いいです。

秋は実りの秋と呼ばれるますが、これまではきのこ類には見向きもしませんでしたが、これも二十歳を超えると、その旨さを感じるようになってきました。

シンプルにホイル蒸しとかで素材をそのまま楽しむのが秋の快味です。

さて、昨日。
ちょうど、市井の職場を、今年の春先と初夏に辞めたバイトくんの慶事(?)があり、仕事を終えてから一献、宴席を行う。

くだらない話や大切な話をしながら、きのこずくしで旬を味わう。

慶事といっても、それは「はじめて彼女ができました!」っていうだけの、いわば“どこにでも転がっている”ような些事にすぎません。が、それを“転がっているような”話としてどこか遠くへ起きたくはないと常々思っておりますので、気の置けない連中を呼んで健闘をたたえ合う……という理由で集まった。ただ呑みたいだけという話ですが、理由があって呑むのはウマイので、理由を造るわけですが。

生まれて初めて告白したそうですが、結果としては「案ずるより産むが安し」のようで、言葉に出してみれば、「こんなものか」という感じのようでしたが、その一言を紡ぎ出す“勇気”が問題であったとのこと。

告白だけではありませんが、何も為す前から、自分自身の徹底的な思索とアクションへの想像で、ひとはものごとに躊躇してしまう部分が現実には多々ありますが、ことをなしてしまうと、「こんなものだったのか」……っていうところが正味のところかもしれません。その境界線を超える勇気を学ばせて戴いたようです。

とはいえ、呑みながら実感するのは、ますます酒に弱くなってきたということです。
年をとることで飲めなくなるのは不可避的な自然現象ですのでかまいませんが、頭と心だけは硬直化させたくないものです。

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