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「複眼の士」(dhu al-‘aynain)の眼差し

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 日常的経験の世界に存在する事物の最も顕著な特徴は、それらの各々が、それぞれ己れの分限を固く守って自立し、他と混同されることを拒む、つまり己れの存在それ自体によって他を否定する、ということです。華厳的な言い方をすれば、事物は互いに礙(さまた)げ合うということ。AにはAの本性があり、BにはB独自の性格があって、AとBとはそれによってはっきり区別され、混同を許さない。AとBの間には「本質」上の差異がある。Aの「本質」とBの「本質」とは相対立して、互いに他を否定し合い、この「本質」的相互否定の故に、両者の間にはおのずから境界線が引かれ、Aがその境界線を越えてBになったり、Bが越境してAの領分に入ったりすることはない。そうであればこそ、我々が普通「現実」と呼び慣わしている経験的世界が成立するのであって、もしそのような境界線が事物の間から取り払われてしまうなら、我々の日常生活は、それの成立している基盤そのものを失って、たちまち収拾すべからざる混乱に陥ってしまうでありましょう。
 森羅万象--存在が数限りない種々様々な事物に分れ、それぞれが独自の「名」を帯びて互いに他と混同せず、しかもそれらの「名」の喚起する意味の相互連関性を通じて有意味的秩序構造をなして拡がっている。こんな世界に、人は安心として日常生活を生きているのです。
 つまり、事物相互間を分別する存在論的境界線--荘子が「封」とか「畛(しん)」(原義は、耕作地の間の道)とか呼んだもの--は、我々が日常生活を営んでいく上に欠くことのできないものでありまして、我々の普通の行動も思惟も、すべて、無数の「畛」の構成する有意味的存在秩序の上に成立しているのであります。
 このように、存在論的境界線によって互いに区別されたものを、華厳哲学では「事(じ)」と名づけます。とは申しましても、華厳思想の初段階において、第一次的に「事」と名づけておく、ということでありまして、もっと後の段階で、「理事無礙」や「事事無礙」を云々するようになりますと、「事」の意味もおのずから柔軟になり、幽美深遠な趣を帯びてきますが、それについては、いずれ適当な場所で詳しくお話することといたしまして、とにかく今の段階では、常識的人間が無反省的に見ているままの事物、千差万別の存在の様相、それが「事」という術語の意味である、とお考えおき願いたいと思います。

 ところが、事物を事物として成立させる相互間の境界線あるいは限界線--存在の「畛」的枠組とでもいったらいいかと思いますが--を取りはずして事物を見るということを、古来、東洋の哲人たちは知っていた。それが東洋的思惟形態の一つの重要な特徴です。
 「畛」的枠組をはずして事物を見る。ものとものとの存在論的分離を支えてきた境界線が取り去られ、あらゆる事物の間の差別が消えてしまう。ということは、要するに、ものが一つもなくなってしまう、というのと同じことです。限りなく細分されていた存在の差別相が、一挙にして茫々たる無差別性の空間に転成する。この境位が真に覚知された時、禅ではそれを「無一物」とか「無」とか呼ぶ。華厳哲学の術語に翻訳していえば、さっきご説明した「事」に対する「理」、さらには「空」、がそれに当たります。
 しかし、それよりもっと大事なことは、東洋的哲人の場合、事物間の存在論的無差別性を覚知しても、そのままそこに坐りこんでしまわずに、またもとの差別の世界に戻ってくるということであります。つまり、一度はずした枠をまたはめ直して見る、ということです。そうすると、当然、千差万別の事物が再び現れてくる。外的には以前とまったく同じ事物、しかし内的には微妙に変質した事物として。はずして見る、はめて見る。この二重の「見」を通じて、実在の真相が始めて顕(あらわ)になる、と考えるのでありまして、この二重操作的「見」の存在論的「自由」こそ、東洋の哲人をして、真に東洋的たらしめるもの(少なくともその一つ)であります。
(中略)
 ただ、二重の「見」とか二重操作とか申しましても、これら二つの操作が次々に行われるのでは、窮極的な「自由」ではない。禅定修行の段階としては、実際上、それも止むを得ないかもしれませんけど、完成した東洋的哲人にあっては、両方が同時に起こるのでなければならないのです。境界線をはずして見る、それからまた、はめて見る、のではなくて、はずして見ながらはめて見る、はめて見ながらはずして見る。決して華厳だけ、あるいは仏教だけの話ではありません。例えばイスラームのスーフィズムでも、意識論的に、また存在論的に「拡散(フアルク)」(farq)--「収斂(ジヤムウ)」(jam‘)--「収斂の後の拡散」(farq ba‘da al-jam‘)という三「段階」を云々いたしますが、ここで「収斂の後の(ba‘da)拡散」というのは、修行上の段階を考えてのことでありまして、本当は、「収斂・即・拡散」の意味でなければならない。そういう境位が、最高位に達したスーフィーの本来的なあり方であるとされているのです。だからこそ、スーフィズムの理論的伝統はそのような人のことを、「複眼の士」(dhu al-‘aynain)と呼んでいる。どんなものを見ても、必ずそれを--さきほどの『老子』の表現を使っていえば--「妙」と「徼」の両側面において見ることのできる人という意味です。しかし、すぐおわかりになると思いますが、事物を「妙」「徼」の両相において同時に見るということは、とりもなおさず、華厳的にいえば「理事無礙」の境位以外の何ものでもありません。しかも、華厳哲学において、イブヌ・ル・アラビーの存在一性論においても、「理事無礙」はさらに進んで「事事無礙」に窮極するのであります。
    --井筒俊彦「事事無礙・理理無礙」、『コスモスとアンチコスモス』岩波書店、1989年。

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つねづね日記でも書いておりますが、宇治家参去が一番苦手とするのが、自前の思考・反省という契機を欠いて「あれか・これか」と二者択一を強要するあり方、ないしは、対象を固定的に捉えるものの見方でございます。

すこし、過去の日記を振り返ってみますと、最近ですと11/22付のものになりますが、次のように記しておりますが、すなわち……。

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おそらく、例の如くの持論になりますが、その両者を絶えず見放さず、両方を見ながら、相関的に関係させていくことが一番大切なのではないだろうか--などと思い直す秋の夕べでございます。

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こうしたものの見方をとるきっかけになったのは、どこかでも触れましたが、社会的・歴史的事件としては冷戦構造の崩壊とそれに引き続く現状という情況の存在です。

それとともに、思想的・哲学的に、ものごとを固定化してみる・実態として対象を固定的に見ることを生理的に嫌悪するようになったきっかけというのがありますが、それが上に長々と引用した、慶應義塾の輩出した最高の学者といってもよいでしょう……井筒俊彦先生(1914-1993)の言葉との出会いです。

体裁としては華厳哲学における存在論をわかりやすく語った部分のちょうどその前半になりますが、そこで注目したいのが、①存在の差別性と無差別性を同時に見る、そして②覚知しても、そのままそこに坐りこんでしまわずに、またもとの差別の世界に戻ってくるということ、というところです。
なかでも触れられておりますが、スーフィズムのいうところの「複眼の士」(dhu al-‘aynain)というものの見方・あり方です。

通俗的なもの謂いで恐縮ですが、日常生活に置いては、確かに差異そのものが、われわれの実存を形作り、他と区別をし、そのことによって自他の存在が排他的に確立されるわけですが、それを固定的な在り方として捉えてしまった場合、「「本質」的相互否定」が差異を表象する境界線から、差別相そのものを実体化させてしまう暴力の境界線となってしまいます。もちろん、そうした「相互否定作用」において、境界線が立ち現れ、自己の存在そのものが確立され、その差異を覚知することで、日常生活は成立しているのですが、それを固定化した在り方として捉えてしまうと、そこには存在論的な落とし穴ができてしまうのでは?……そうしたところです。

本来……おそらく……そうした関係は固定的な実体論ではなく、流動可能な関係的概念なのだろうと思います。そしてもう一歩踏み込んで言うならば、哲学的な意味合いでいう実体論から関係論へという表現すら、そのあり方を正確には表現できないもの謂いになってしまいますが、ひとつアナロジカルに表現するならば、差別相を超越した真理の真理性を覚知しつつ、リアルな差別相のなかでの歩みを辞めないあり方でもいえばいいのでしょうか……ひとつの目で真理をみながらも、もうひとつの目で、差別相のなかでそれを反映させていくあり方……とでも謂えばいいでしょうか。

真理を覚知することで、現実世界と遮断していくのではないあり方のひとつの可能性を得た気分を懐いたものであります。

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 しかし、それよりもっと大事なことは、東洋的哲人の場合、事物間の存在論的無差別性を覚知しても、そのままそこに坐りこんでしまわずに、またもとの差別の世界に戻ってくるということであります。つまり、一度はずした枠をまたはめ直して見る、ということです。そうすると、当然、千差万別の事物が再び現れてくる。外的には以前とまったく同じ事物、しかし内的には微妙に変質した事物として。はずして見る、はめて見る。この二重の「見」を通じて、実在の真相が始めて顕(あらわ)になる、と考えるのでありまして、この二重操作的「見」の存在論的「自由」こそ、東洋の哲人をして、真に東洋的たらしめるもの(少なくともその一つ)であります。

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おそらく、「事物間の存在論的無差別性を覚知しても、そのままそこに坐りこんでしまわずに、またもとの差別の世界に戻ってくる」ことで、「外的には以前とまったく同じ事物、しかし内的には微妙に変質した事物として」世界が「瑞々しいもの」として浮かび上がってくるのだろうとおもいます。「はずして見る、はめて見る」この不断の作業、すなわち「この二重の『見』を通じて、実在の真相が始めて顕になる」のだろうと思います。

プラトンのようにどこかにイデアの世界を想定しなくても、イデアの世界にあるような存在根拠や普遍的真理を、「もとの差別の世界」で覚知できるとすれば、これほど素晴らしいことはないよなあ~などと関心して読んだ記憶があります。

(実現はしませんでしたが)ひところは、華厳哲学でも真剣に探究するか!などと仏教学系への進学をも考えましたが、現実には神学に進学するという選択肢を選びました。しかし、そうしたところでも、どこかで「二重の『見』」を心がけながら、真理の探究、そして現実との対話を繰り返していきたいなと日々思っております。

怒り心頭で、「頼むから静かにしてくれ」などとぼやきたくなる日常生活で、そしてその舞台で、人間関係とかあらゆる関係性のなかで、喜怒哀楽を繰り返しながら、悩んだり・喜んだりしているわけですが、そういう感情とか思念とか全く払拭して、何か真理性を現実に見出していくのは不可能かも知れません。

そうしたものをもっていることを把握しながら、真理を見出していく「複眼の士」(dhu al-‘aynain)として生きていきたい……それが自分自身の課題であろうと思います。

形而上学で説かれる理念の王国は、独り書物のなかだけの難解な話題というわけではなく、生きているこの世界で何かかかわりがあるはずだと常々思っております。その架橋をなんとかして生きているうちにやっておきたいものです。

それが、世界を、そして人々を、温かく見つめ続ける「複眼の士」(dhu al-‘aynain)の眼差しであればと思います。

さて、最後に余談ですが……

井筒俊彦先生のことばとの出会いは、2年の初夏……ですから1991年の頃だろうと思いますが……ちょうど三田の大学図書館で「井筒俊彦展」(だったと思いますが、うろ覚え)をやっており、そこでは井筒先生の学生時代のノートや、調査カードなどが展示されておりました。

話題としては知っておりましたが、びっしりと書き込まれたノートに驚愕した思い出がございます。そのあとから、著作集をまとめて買い、乱読したわけですが、やはり、その異能ぶりに、腰を抜かしてしまいました。古代ギリシアから現代に至る西洋哲学、イスラーム、仏教、中国思想、キリスト教学……。どこまでやればここまで辿り着けるのか……思想や宗教を扱うのであれば、ひらたくいえば、その分野のどこにでも精通しておれば、なんでもできるわけなのですが、そういう人物は殆ど存在しておりません。いわば生きた図書館……とでも言えばいいのでしょうか、そうした人物が井筒先生なのだと思います。

wiki的に井筒先生を紹介すると……次の通り。
学者としてはやってはあるまじき安普請ですが、井筒先生の人生を紹介するのが本論ではありませんので、ちょゐ多めにみてください(苦笑)。

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井筒 俊彦(いづつ としひこ、1914年5月4日 - 1993年1月7日)は、言語学者、イスラーム学者、東洋思想研究者、形而上学者。ギリシア哲学、ギリシャ神秘主義と言語学の研究に取り組み、ギリシャ語、アラビア語、ヘブライ語、ロシア語など20ヶ国語を習得・研究した。

ちなみに、語学的な才能に富んでいた井筒は、アラビア語を習い始めて一ヶ月で『コーラン』を読破したという。語学能力は天才的と称され三十数カ国語を使いこなしたとも言われる。司馬遼太郎は対談の中で井筒を評して「二十人ぐらいの天才が一人になっている」と語っている。

思想研究の主要な業績はイスラム思想、特にペルシア思想とイスラム神秘主義に関する数多くの著作を出版したことだが、自身は仏教徒出身で、晩年には研究を仏教哲学(禅、唯識、華厳、大乗)、老荘思想、朱子学、西洋中世哲学、ユダヤ思想などの分野にまで広げた。またギリシア哲学やロシア文学に関する専門書を若くして出版している。東洋思想の「共時的構造化」を試みた『意識と本質』は井筒の広範な思想研究の成果が盛り込まれた代表的著作とされる。

独自の内観法を父親から学び、形而上学的・神秘主義的な原体験を得た。その後、西洋の神秘主義も同じような感覚を記述していることに気付き、古今東西の形而上学・神秘主義の研究に打ち込んだ。世界的に権威ある碩学であり、現代フランスの思想家の一人であったジャック・デリダも、井筒を「巨匠」と呼んで尊敬の念を表していた。

あらゆる思想研究をおこなったが、イスラムに特別深い愛着を持っていた。著作の『コーラン』に特に顕著に現れている。一方で「井筒は感情移入しすぎている」[要出所明記]という批判もある
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E7%AD%92%E4%BF%8A%E5%BD%A6

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