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2008年11月

多くのものを私は落とし、こぼす

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軽蔑者
多くのものを私は落とし、こぼす、
それを見て君らは私を軽蔑者とよぶ。
溢れるばかりの盃から飲む者は、
多くを落とし、こぼしはしても、--
酒のせいとは思いはしない。
    --ニーチェ(信太正三訳)「たわむれ、たばかり、意趣ばらし」、『ニーチェ全集8 悦ばしき知識』ちくま学芸文庫、1993年。

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ときどき、自分で自分を軽蔑することがあるのですが、今日もそうした一日です。
昨日、ちょい遅くから約束があったので、飲みに行ったのですが、かなり鯨飲した模様にて、久しぶりに?「二日酔い」。

若い頃は、どんなに飲んでも、翌日が大学の体育の授業であったとしても、まったく平気の平左で学校へ行ったものですが、そうした力が衰えて生きていることを、最近、飲むたびに実感しております。

量的には、激減しているわけではないのですが、翌日に響くようになったことが悲しいのと、それじゃあそこまで飲まなきゃいいのに--というところをまったく学んでいないのが辛いところでございます。

市井の仕事のぎりぎりまで爆睡。
そして、二日酔いでのレジ打ちはかなりきつかったです、ハイ。
ようやく今になって落ちついてきたところです。

よって、今日は、禁酒です。
ことしは2月末に一度、休肝日を入れたのを最後に、走り続けてきたのですが、これからはちょいちょい入れながら、旨く飲んでいこうかと思います。

しかし、精神・肉体ともに惰弱になってきなあ~というか年を取ってきていることに今更ながら驚かされます。それにみあった生き方を選択していかないとマズイですね。

実際、酒だけでなく「多くのものを私は落とし、こぼす」自分自身でございますが、あまり「軽蔑」しないようにしていきたいです今日この頃でございます。

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「複眼の士」(dhu al-‘aynain)の眼差し

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 日常的経験の世界に存在する事物の最も顕著な特徴は、それらの各々が、それぞれ己れの分限を固く守って自立し、他と混同されることを拒む、つまり己れの存在それ自体によって他を否定する、ということです。華厳的な言い方をすれば、事物は互いに礙(さまた)げ合うということ。AにはAの本性があり、BにはB独自の性格があって、AとBとはそれによってはっきり区別され、混同を許さない。AとBの間には「本質」上の差異がある。Aの「本質」とBの「本質」とは相対立して、互いに他を否定し合い、この「本質」的相互否定の故に、両者の間にはおのずから境界線が引かれ、Aがその境界線を越えてBになったり、Bが越境してAの領分に入ったりすることはない。そうであればこそ、我々が普通「現実」と呼び慣わしている経験的世界が成立するのであって、もしそのような境界線が事物の間から取り払われてしまうなら、我々の日常生活は、それの成立している基盤そのものを失って、たちまち収拾すべからざる混乱に陥ってしまうでありましょう。
 森羅万象--存在が数限りない種々様々な事物に分れ、それぞれが独自の「名」を帯びて互いに他と混同せず、しかもそれらの「名」の喚起する意味の相互連関性を通じて有意味的秩序構造をなして拡がっている。こんな世界に、人は安心として日常生活を生きているのです。
 つまり、事物相互間を分別する存在論的境界線--荘子が「封」とか「畛(しん)」(原義は、耕作地の間の道)とか呼んだもの--は、我々が日常生活を営んでいく上に欠くことのできないものでありまして、我々の普通の行動も思惟も、すべて、無数の「畛」の構成する有意味的存在秩序の上に成立しているのであります。
 このように、存在論的境界線によって互いに区別されたものを、華厳哲学では「事(じ)」と名づけます。とは申しましても、華厳思想の初段階において、第一次的に「事」と名づけておく、ということでありまして、もっと後の段階で、「理事無礙」や「事事無礙」を云々するようになりますと、「事」の意味もおのずから柔軟になり、幽美深遠な趣を帯びてきますが、それについては、いずれ適当な場所で詳しくお話することといたしまして、とにかく今の段階では、常識的人間が無反省的に見ているままの事物、千差万別の存在の様相、それが「事」という術語の意味である、とお考えおき願いたいと思います。

 ところが、事物を事物として成立させる相互間の境界線あるいは限界線--存在の「畛」的枠組とでもいったらいいかと思いますが--を取りはずして事物を見るということを、古来、東洋の哲人たちは知っていた。それが東洋的思惟形態の一つの重要な特徴です。
 「畛」的枠組をはずして事物を見る。ものとものとの存在論的分離を支えてきた境界線が取り去られ、あらゆる事物の間の差別が消えてしまう。ということは、要するに、ものが一つもなくなってしまう、というのと同じことです。限りなく細分されていた存在の差別相が、一挙にして茫々たる無差別性の空間に転成する。この境位が真に覚知された時、禅ではそれを「無一物」とか「無」とか呼ぶ。華厳哲学の術語に翻訳していえば、さっきご説明した「事」に対する「理」、さらには「空」、がそれに当たります。
 しかし、それよりもっと大事なことは、東洋的哲人の場合、事物間の存在論的無差別性を覚知しても、そのままそこに坐りこんでしまわずに、またもとの差別の世界に戻ってくるということであります。つまり、一度はずした枠をまたはめ直して見る、ということです。そうすると、当然、千差万別の事物が再び現れてくる。外的には以前とまったく同じ事物、しかし内的には微妙に変質した事物として。はずして見る、はめて見る。この二重の「見」を通じて、実在の真相が始めて顕(あらわ)になる、と考えるのでありまして、この二重操作的「見」の存在論的「自由」こそ、東洋の哲人をして、真に東洋的たらしめるもの(少なくともその一つ)であります。
(中略)
 ただ、二重の「見」とか二重操作とか申しましても、これら二つの操作が次々に行われるのでは、窮極的な「自由」ではない。禅定修行の段階としては、実際上、それも止むを得ないかもしれませんけど、完成した東洋的哲人にあっては、両方が同時に起こるのでなければならないのです。境界線をはずして見る、それからまた、はめて見る、のではなくて、はずして見ながらはめて見る、はめて見ながらはずして見る。決して華厳だけ、あるいは仏教だけの話ではありません。例えばイスラームのスーフィズムでも、意識論的に、また存在論的に「拡散(フアルク)」(farq)--「収斂(ジヤムウ)」(jam‘)--「収斂の後の拡散」(farq ba‘da al-jam‘)という三「段階」を云々いたしますが、ここで「収斂の後の(ba‘da)拡散」というのは、修行上の段階を考えてのことでありまして、本当は、「収斂・即・拡散」の意味でなければならない。そういう境位が、最高位に達したスーフィーの本来的なあり方であるとされているのです。だからこそ、スーフィズムの理論的伝統はそのような人のことを、「複眼の士」(dhu al-‘aynain)と呼んでいる。どんなものを見ても、必ずそれを--さきほどの『老子』の表現を使っていえば--「妙」と「徼」の両側面において見ることのできる人という意味です。しかし、すぐおわかりになると思いますが、事物を「妙」「徼」の両相において同時に見るということは、とりもなおさず、華厳的にいえば「理事無礙」の境位以外の何ものでもありません。しかも、華厳哲学において、イブヌ・ル・アラビーの存在一性論においても、「理事無礙」はさらに進んで「事事無礙」に窮極するのであります。
    --井筒俊彦「事事無礙・理理無礙」、『コスモスとアンチコスモス』岩波書店、1989年。

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つねづね日記でも書いておりますが、宇治家参去が一番苦手とするのが、自前の思考・反省という契機を欠いて「あれか・これか」と二者択一を強要するあり方、ないしは、対象を固定的に捉えるものの見方でございます。

すこし、過去の日記を振り返ってみますと、最近ですと11/22付のものになりますが、次のように記しておりますが、すなわち……。

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おそらく、例の如くの持論になりますが、その両者を絶えず見放さず、両方を見ながら、相関的に関係させていくことが一番大切なのではないだろうか--などと思い直す秋の夕べでございます。

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こうしたものの見方をとるきっかけになったのは、どこかでも触れましたが、社会的・歴史的事件としては冷戦構造の崩壊とそれに引き続く現状という情況の存在です。

それとともに、思想的・哲学的に、ものごとを固定化してみる・実態として対象を固定的に見ることを生理的に嫌悪するようになったきっかけというのがありますが、それが上に長々と引用した、慶應義塾の輩出した最高の学者といってもよいでしょう……井筒俊彦先生(1914-1993)の言葉との出会いです。

体裁としては華厳哲学における存在論をわかりやすく語った部分のちょうどその前半になりますが、そこで注目したいのが、①存在の差別性と無差別性を同時に見る、そして②覚知しても、そのままそこに坐りこんでしまわずに、またもとの差別の世界に戻ってくるということ、というところです。
なかでも触れられておりますが、スーフィズムのいうところの「複眼の士」(dhu al-‘aynain)というものの見方・あり方です。

通俗的なもの謂いで恐縮ですが、日常生活に置いては、確かに差異そのものが、われわれの実存を形作り、他と区別をし、そのことによって自他の存在が排他的に確立されるわけですが、それを固定的な在り方として捉えてしまった場合、「「本質」的相互否定」が差異を表象する境界線から、差別相そのものを実体化させてしまう暴力の境界線となってしまいます。もちろん、そうした「相互否定作用」において、境界線が立ち現れ、自己の存在そのものが確立され、その差異を覚知することで、日常生活は成立しているのですが、それを固定化した在り方として捉えてしまうと、そこには存在論的な落とし穴ができてしまうのでは?……そうしたところです。

本来……おそらく……そうした関係は固定的な実体論ではなく、流動可能な関係的概念なのだろうと思います。そしてもう一歩踏み込んで言うならば、哲学的な意味合いでいう実体論から関係論へという表現すら、そのあり方を正確には表現できないもの謂いになってしまいますが、ひとつアナロジカルに表現するならば、差別相を超越した真理の真理性を覚知しつつ、リアルな差別相のなかでの歩みを辞めないあり方でもいえばいいのでしょうか……ひとつの目で真理をみながらも、もうひとつの目で、差別相のなかでそれを反映させていくあり方……とでも謂えばいいでしょうか。

真理を覚知することで、現実世界と遮断していくのではないあり方のひとつの可能性を得た気分を懐いたものであります。

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 しかし、それよりもっと大事なことは、東洋的哲人の場合、事物間の存在論的無差別性を覚知しても、そのままそこに坐りこんでしまわずに、またもとの差別の世界に戻ってくるということであります。つまり、一度はずした枠をまたはめ直して見る、ということです。そうすると、当然、千差万別の事物が再び現れてくる。外的には以前とまったく同じ事物、しかし内的には微妙に変質した事物として。はずして見る、はめて見る。この二重の「見」を通じて、実在の真相が始めて顕(あらわ)になる、と考えるのでありまして、この二重操作的「見」の存在論的「自由」こそ、東洋の哲人をして、真に東洋的たらしめるもの(少なくともその一つ)であります。

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おそらく、「事物間の存在論的無差別性を覚知しても、そのままそこに坐りこんでしまわずに、またもとの差別の世界に戻ってくる」ことで、「外的には以前とまったく同じ事物、しかし内的には微妙に変質した事物として」世界が「瑞々しいもの」として浮かび上がってくるのだろうとおもいます。「はずして見る、はめて見る」この不断の作業、すなわち「この二重の『見』を通じて、実在の真相が始めて顕になる」のだろうと思います。

プラトンのようにどこかにイデアの世界を想定しなくても、イデアの世界にあるような存在根拠や普遍的真理を、「もとの差別の世界」で覚知できるとすれば、これほど素晴らしいことはないよなあ~などと関心して読んだ記憶があります。

(実現はしませんでしたが)ひところは、華厳哲学でも真剣に探究するか!などと仏教学系への進学をも考えましたが、現実には神学に進学するという選択肢を選びました。しかし、そうしたところでも、どこかで「二重の『見』」を心がけながら、真理の探究、そして現実との対話を繰り返していきたいなと日々思っております。

怒り心頭で、「頼むから静かにしてくれ」などとぼやきたくなる日常生活で、そしてその舞台で、人間関係とかあらゆる関係性のなかで、喜怒哀楽を繰り返しながら、悩んだり・喜んだりしているわけですが、そういう感情とか思念とか全く払拭して、何か真理性を現実に見出していくのは不可能かも知れません。

そうしたものをもっていることを把握しながら、真理を見出していく「複眼の士」(dhu al-‘aynain)として生きていきたい……それが自分自身の課題であろうと思います。

形而上学で説かれる理念の王国は、独り書物のなかだけの難解な話題というわけではなく、生きているこの世界で何かかかわりがあるはずだと常々思っております。その架橋をなんとかして生きているうちにやっておきたいものです。

それが、世界を、そして人々を、温かく見つめ続ける「複眼の士」(dhu al-‘aynain)の眼差しであればと思います。

さて、最後に余談ですが……

井筒俊彦先生のことばとの出会いは、2年の初夏……ですから1991年の頃だろうと思いますが……ちょうど三田の大学図書館で「井筒俊彦展」(だったと思いますが、うろ覚え)をやっており、そこでは井筒先生の学生時代のノートや、調査カードなどが展示されておりました。

話題としては知っておりましたが、びっしりと書き込まれたノートに驚愕した思い出がございます。そのあとから、著作集をまとめて買い、乱読したわけですが、やはり、その異能ぶりに、腰を抜かしてしまいました。古代ギリシアから現代に至る西洋哲学、イスラーム、仏教、中国思想、キリスト教学……。どこまでやればここまで辿り着けるのか……思想や宗教を扱うのであれば、ひらたくいえば、その分野のどこにでも精通しておれば、なんでもできるわけなのですが、そういう人物は殆ど存在しておりません。いわば生きた図書館……とでも言えばいいのでしょうか、そうした人物が井筒先生なのだと思います。

wiki的に井筒先生を紹介すると……次の通り。
学者としてはやってはあるまじき安普請ですが、井筒先生の人生を紹介するのが本論ではありませんので、ちょゐ多めにみてください(苦笑)。

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井筒 俊彦(いづつ としひこ、1914年5月4日 - 1993年1月7日)は、言語学者、イスラーム学者、東洋思想研究者、形而上学者。ギリシア哲学、ギリシャ神秘主義と言語学の研究に取り組み、ギリシャ語、アラビア語、ヘブライ語、ロシア語など20ヶ国語を習得・研究した。

ちなみに、語学的な才能に富んでいた井筒は、アラビア語を習い始めて一ヶ月で『コーラン』を読破したという。語学能力は天才的と称され三十数カ国語を使いこなしたとも言われる。司馬遼太郎は対談の中で井筒を評して「二十人ぐらいの天才が一人になっている」と語っている。

思想研究の主要な業績はイスラム思想、特にペルシア思想とイスラム神秘主義に関する数多くの著作を出版したことだが、自身は仏教徒出身で、晩年には研究を仏教哲学(禅、唯識、華厳、大乗)、老荘思想、朱子学、西洋中世哲学、ユダヤ思想などの分野にまで広げた。またギリシア哲学やロシア文学に関する専門書を若くして出版している。東洋思想の「共時的構造化」を試みた『意識と本質』は井筒の広範な思想研究の成果が盛り込まれた代表的著作とされる。

独自の内観法を父親から学び、形而上学的・神秘主義的な原体験を得た。その後、西洋の神秘主義も同じような感覚を記述していることに気付き、古今東西の形而上学・神秘主義の研究に打ち込んだ。世界的に権威ある碩学であり、現代フランスの思想家の一人であったジャック・デリダも、井筒を「巨匠」と呼んで尊敬の念を表していた。

あらゆる思想研究をおこなったが、イスラムに特別深い愛着を持っていた。著作の『コーラン』に特に顕著に現れている。一方で「井筒は感情移入しすぎている」[要出所明記]という批判もある
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E7%AD%92%E4%BF%8A%E5%BD%A6

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商売病と商売道具

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 日本では、どうも「イスラムはつきあいにくい」というイメージが強い。新世紀の始まりの二〇〇一年、インドネシアでは、イスラムが不浄視する豚肉の成分をつかったということで、〔味の素〕がボイコットされた。また、アフガニスタンのイスラム勢力タリバーンは、シルクロードの貴重な文化遺産であるバーミヤンの大仏を破壊した。さらに、サウジアラビアでは、日本の人気アニメ、ポケットモンスターのカードが禁止されている。ポケモン・カードは、イスラムでは禁じられているギャンブル性が認められることと、カードのデザインの中に、イスラムの「敵」とも見なされるイスラエルの国章であるダビデの星に酷似したものが描かれていることなどがその理由だという。
 これらの事件は、日本人とイスラムの距離を示すことになったが、同時にイスラムに対する理解が欠如していると、ムスリム(イスラム教徒)との円滑な関係が築けないことを痛感させることにもなった。〔味の素〕の事件は、日本人のイスラムに対する無理解や不注意から起こされたものだ。この〔味の素事件〕のように、日本人にとって、いすらむはまさに〔ブラックボックス〕のような存在だ。日本は、イスラム地域と地理的に接していないし、また日本で暮らすムスリムの数も欧米に比べるとそれほど多くない。圧倒的に多くの日本人が「イスラムって何?」という思いをもっていることだろう。
    --宮田律『現代イスラムの潮流』集英社新書、2001年。

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まったく、イスラームとは関係ないのかもしれませんが……おそらく全く関係がない……のですが、イスラームのひとびと同じように?自分自身も「食」に対するタブーを持っております。

それは仏教徒だから、菜食ですかい?……ないしはユダヤ教的に「食べることのできる物」と「食べることのできない物」を峻別しているのですか?などと言われそうですが、そうではありません。

単なる職業病でございます。

市井の仕事も大学の仕事も、いわば対面業務で御座います。

ですので……
……極めて口臭が発揮されるような刺激物を食べることは控えて御座います。

たとえば、ニンニクなんかそうなのですが、翌日が市井の仕事(当然、レジにぶっこまれます)とか、翌日が講義(相手は大勢ですが)の場合、そうした刺激物は控えております。

「おまえさん、臭いよ」
とか……
「先生、ニンニク臭い」
……との影響を与えたくもありませんし、それを聞きたくもないのもので……。

しかし……たまに食べたくなるんですよね……餃子とか、そのあたり。

明日……といってももう本日ですが、今日はのびのびとできる?休日ですから、餃子を食べさせて戴きます。こだわりのような部分かも知れませんが、宇治家参去、結構、餃子を焼くのウマイで御座います。焼くのが上手ければ、味も旨いというわけで、これから新商品のビールのバッタもんで、頂かせて戴きます。

で……
帰宅すると荷物がひとつ。

これも「商売」上必要な物件なのですが、ネクタイでございます。
今時分の大学の教員なんぞは、ノーネクタイの方がマジョリティなのですが、古典的な学問に携わる以上、古典的なスタイルにもこだわります。

ですから、新しいネクタイも必要なわけで……。

コレクションといいますか……総数は百本を超えましたが、毎年、新しいネクタイを所望しております。

いちはやくそれが地に足のついた存在になりたいなあ~と思いつつ、

「圧倒的に多くの日本人が「イスラムって何?」という思いをもっていることだろう。」というわけで、イスラムの専門家ではありませんが、諸宗教に関する基礎知識は、ますます現代人には必要なはずなのに、講座の開けない、ぼやくある日の宇治家参去です。

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【覚え書】ジークフリート・クラカウアー「倦怠」

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時間はあるはずなのに、時間がないので、【覚え書】でもひとつ。

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 今日倦怠を感ずるだけの暇はたっぷりありながら、倦怠を感じない人たちは、結局倦怠を感ずる余裕のない人と同じように退屈な人間である。なぜなら自分自身が行方不明になっているからだ。もし自分自身がいるならば、いまのようにあわただしい世界では、目的もないままに長い間滞在して退屈することを余儀なくされるし、また長い間滞在してじっとしていられる場所などどこにも見つかるはずがない。
 いうまでもなく大多数の人たちには余暇がかけている。生活費を稼ぐのに追われており、その生業でぎりぎりの必要を賄うことで消耗し尽くしてしまう。不快な束縛を多少とも耐えやすくするために、ある種の労働倫理をひねりだす。これが仕事に道徳的な粉飾を施し、何とか道徳的な満足感をつくりだしてくれる。自分のことを道義的存在であると感ずる誇りがあらゆる種類の倦怠を追放するといったらいいすぎかもしれないが、日々の苦役にむけられるありきたりの倦怠はそもそも考慮に値しない。というのも、その種の倦怠は致命的というほどのことはなく、また新たな生へ人を呼び覚ますものでもなく、たんに不満を表すにすぎず、この不満も、ややましな仕事が道徳的に聖化された仕事して提供されればたちまち消えてしまうものだからである。それにもかかわらず、自分に課せられた義務にあくびする人のほうが、好きで仕事をやっている人よりもいくらか退屈な人間ではないということはありうる。好きで仕事をするこの不幸な人は、ますますその仕事にはまりこみ、ついにはものを考える頭がどこかに消えてしまう。この消えた頭をもとにもどす極め付きの倦怠、ラジカルな倦怠は、永遠にかれらからへだてられたままになる。
 ところで余暇が全くない人などいはしない。オフィスは常設の収容所ではないし、日曜休日は制度化されている。したがって原則としては誰にでも、素晴らしい休日にまともな倦怠に身を委ねるチャンスはあるわけだ。それなのに人は何もしようとしない。されるがままになっている。世の中は人が自分自身にいたることがないように気を配っている。ひょっとして人が世の中に関心を持てなくても、世の中のほうは人に対して十分な関心を抱いており、そのために人は世の中に対して十分倦怠を感ずるほどの休息を見いだせない。結局は世の中に対しては倦怠こそがふさわしいのに。

 夕方、満たされぬことに倦んで、街をぶらつく。本当はこの不満のなかに充足のめばえがあるのに。その時ネオンの文字がビルの屋根をかすめる。すると人はもうおのれの空虚のなかから目新しいコマーシャルに呪縛される。肉体はアスファルトに根を生やし、もはや私たちの精神ではない精神は、啓発的な電光掲示とともに、夜のなかから夜のなかへとあてどもなくさまよう。もう一度消え去ることができたならば!だが精神はメリーゴーランドをめぐるペガサスのようにひたすら円を描かねばならず、上空から銘酒の評判、極上の五ペニヒ煙草の褒め言葉を告げるのに倦むことは許されない。何らかの魔法が数千の電球とともに精神を駆巡らせ、電球によって精神はぴかぴか輝く広告文になる。
 たまたま帰宅しても、すぐに立ち去り、映画館のなかで、さまざまな姿をくり広げさせる。つくりものの阿片窟につくりものの支那人になってうずくまる。スター女優のために滑稽なほど賢い芸を魅せる仕込まれた犬に変身する。もくもくと雲立ちのぼって山岳の嵐となる。サーカスの芸人になると同時にライオンにもなる。どうして変身することに抵抗できようか。満たされるのが嫌ではない空洞に、ポスターがなだれ込んでくるのだ。人影のない宮殿のような空白のスクリーンのまえで、ポスターに引きずられてくる。そして次々と場面が登場するとき、この移ろいやすいシーンのほか、この世にはなにもない。じっと見つめて我を忘れる。巨大なブラックホールが生の仮象とともに生動する。しかしこの生は誰のものでもなく、あらゆる人を疲弊させる。
 ラジオも人の本質を塵のように飛散させる。まだ電波を捉える前からそうなのだ。送信しなければならないと信じている者は多いから、人は絶えず妊娠している状態におかれる。いつもロンドン、エッフェル塔、ベルリンを孕んでいることになる。優美なヘッドホーンに誰が抵抗できよう。ヘッドホーンは客間で輝いている。ひとりでに頭の周りに絡みついてくる--そして退屈ではあるが教養のある会話を育む代わりに、人は世間のうわさ話の舞台と化す。そのうわさ話はそれ自身は何らかの客観的な倦怠の産物であるにもかかわらず、個人が倦怠に浸るという慎ましい権利を、決して認めようとしない。魂が遠くまでまさよっているとでもいうように、集まった人は黙って、生気なく座っている。だがその魂は自分の好みにしたがってなのか、獲物なのか誰にも分からなくなる。カフェにおいてさえ、本当はここで針鼠のように緊張して、自己の虚しさを自覚したいと望んでいるのに、やかましいスピーカーが、私的な存在の痕跡を一切駆逐してしまう。音楽が休みのあいあだは、お知らせがホール全体を支配する。。この蓄音機紛いはやめてくれという要求は、耳をすませているボーイに腹をたてられ、断られる。
 このようにアンテナが押しつけてくる運命に人が悩んでいるあいだに、五大陸はますます近づいてくる。実際は、私たちが五大陸に向かって心をくつろがせるのではなく、五大陸の文化のほうが、無制約な帝国主義によって、私たちを占有するのである。まるで空きっ腹で見る夢のようだ。極称の銃弾が遙か遠方から君に向かって飛んでくる。みるみる拡大し、クローズアップされ、唸りをあてて君を襲う。君はそれを止めることはできないし、逃れることもできない。縛られたようにそこに立ちすくむ。巨像にさらわれて、その周りでおびえている無力な人形だ。逃亡は不可能である。中国の不穏情勢がうまく収拾される。すると必ずやアメリカからボクシングの試合が押し寄せる。西洋は、人が認めようと認めなかろうと、常にそこにいる。地球上のあらゆる世界史的事件は--現在の事件だけでなく、生への執着において無恥な過去の事件も--専らただ一つの欲求を持っている。つまり私たちがいると推定されるところでランデブーすることである。しかし館に主人を訪ねることはできない。旅に出ていて、見つからない。空き家はとうにサプライズ・パーティーに明け渡してあり、パーティーが主人として振る舞っている。

 ところで人は追い立てられなければどうするだろうか。そのときは倦怠が、ふさわしい唯一の仕事になる。人がまだ自分自身の有り様を意のままにできるための一定の保証を提供するからである。倦怠を感じないのならば人はそもそもそこに存在しないのであって、初めに述べた倦怠の対象にすぎなくなる。--つまり、ビルの屋上でネオンとして輝くか、映画リールとしてながれ去っていく。人が存在するならば、その存在を許容しない周囲の抽象的な喧騒に必ずや倦怠を覚え、またこのような喧騒のなかにいる自分自身に倦怠を覚える。
 一番いいのは、太陽の降り注ぐ午後、皆が屋外に出ているときに、駅の待合室で過ごすことである。あるいはもっといいのは、家でカーテンを閉めて長椅子に寝そべり、倦怠に身を委ねることだ。憂愁に心曇らせ、極めて尊敬すべきもろもろの観念に戯れる。ついには自分自身のもとにあるという以外のことは何もせず、そもそも何をなすべきかを知らないという状態に満足する--テーブルの上におかれ、ガラス製であるために飛び跳ねることのできないコウロギや、自分の風変わりな形に何の意味も見いだせないサボテンの無意味さに、ひたすら共感する。これらの飾りの置物と同じように、あまりに生真面目にならず、今はただ、あてどない内面の不安、突き返される渇望、真に存在せぬままに存在するものに対する嫌気の念を抱くのみである。
 とはいえ、じっと忍耐するならば、正当な倦怠には不可欠な忍耐をもつならば、ほとんどこの世ならぬ幸福感を味わうことになる。一つの風景が浮かび上がる。華麗な孔雀が羽を広げ、魂に充ちた人間たちの彫像が、姿を見せる。すると君の魂も膨れ上がる。君はうっとりして、常に見失われていたものの名を呼ぶ。大いなるパッションの名を。彗星のように光を発しながら、それが降りてきて君のなかに、他の人たちのなかに、世界のなかにとびこむなら--ああ、そのとき倦怠はついに終わり、今あるすべてのものは……。
 だが人間たちは遙かに遠い彫像のままであり、大いなるパッションはしゅっと音をたてて地平線に消える。いささかも衰えぬ倦怠に似て退屈な瑣事を捻り出す。
    --ジークフリート・クラカウアー(船戸満之他訳)「倦怠」、『大衆の装飾』法政大学出版局、1996年。

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過去と未来を繋ぐ神学とか宗学とか教学

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 宗教の歴史をみれば分かることだが、どんなにすばらしい宗教運動でも、単なる宣教や牧会、霊性や信心、または政治運動や教育事業、社会福祉事業などの活動を中心としただけの宗教教団は、結局、線香花火や根無し草みたいに、一時的には栄えても、自滅消滅してしまう。ある宗教運動が、その社会や文化に根づき、歴史上長く存続し、遙かな世紀にわたって大勢の人々の思考と生き方に影響を与え、彼らの安心立命と「魂」の救いのために貢献するためには、次の二つのことが要件となると思われる。一つは、しっかりした組織としての教団を確立すること。もう一つは、創始者の教義が研究され、愛敬的にまとめられ、理論化され、文書化された教学(宗学)が存在し、機能することである。鎌倉仏教の例を見てもそれは明白である。
 キリスト教では、イエスご自身は何も書かれなかったが、復活のイエス・キリストの出現を体験した使徒や弟子たちにより、イエスの言行が記録され、かつそれをめぐって、例えばパウロによって、福音信仰による義認という贖罪と救済の神学が構築された。それゆえ新約聖書という一つの教典を持つことができたのである。もし新約聖書がなかったら、キリスト教は歴史上、存続していなかっただろう。キリスト教が、人々の心と魂に、更に地中海世界やヨーロッパ世界の社会と文化にほぼ完璧にインカルチュレーション(福音の文化的受肉、あるいはキリスト教の文化内開花、つまりその国の民族の文化、風俗習慣への完全な血肉化のこと)できたのは、初代教会(イエスの生存と宣教と逝き方の記憶を基に、使徒や弟子や監督や長老たちが中心になって伝道し、信者を増やし、教会を設立、発展させていた時代)から殉教の時代、それから教父の時代(教義の理論化と神学大系の構築がなされ、初期の公会議が開かれた頃。四世紀から七、八世紀くらいの時代)と段階的に続いてきたからではないだろうか。
 大雑把で恐縮だが、日本のカトリック教会で言えば、宣教師の渡来とキリシタン増大の時代のあと長い迫害の時代を迎え、今こそ教父の時代を迎えていると言えるのではないだろうか。無論、これまでも優れた神学者や思想家、哲学者も現れたが、残念ながら、後継者の養成や学問の継承という点ではあまり成功したとは言えない。この点、日本のプロテスタントは、明治初期から学問的にも優れた指導者を大勢輩出させ、国家権力による教会の合同・合併という苦しい宗教弾圧を経験したが、有為の弟子たちを多数育成し、その成果は多くのキリスト教主義学校に継承されている。キリスト教の学術書や聖書の研究書の多くは、プロテスタント系出版社による刊行であるが、信心書や霊性の書物ばかりでなく、神学の著作を発行することも、カトリックを宗教文化として日本に定着させることにつながるであろう。
 最後に、日本の神学の構築に向けて一言述べたい。日本の宗教・倫理文化は、人間とは何か、自己とは何か、いかに生きるのかといった課題をめぐって展開されることが多いので、少なくても実践神学の分野においては、インカルチュレーションの問題も含め、オリジナルな日本の実践神学を構築できるはずであると、私は考える。
    --越前喜六「なぜ教会は学問に力を入れるべきか」、『神学ダイジェスト 91』2001年、上智大学神学会。

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本を整理し始めると、整理という本来業務がおろそかになってしまい、整理を脇において、「読み始めてしまう」宇治家参去です。

ちょうど休みだったので、古い紀要をまとめて整理していたのですが、整理ははかどらず、結局、コーヒーを飲みながら、読んでしまったのがうえの引用文でございます。

ちょうど修士のころ、日本におけるユニテリアン運動を初めとするキリスト教諸派の研究していたことがあるのですが、例えば明治とか大正時代に、一時は「わぁーっ」と拡がり、広汎な影響(宗教のみならず文化に対しても)を与えたにもかかわらず、宗教運動としては失敗した事例というのがたくさん存在します。

誤解を招くような表現で恐縮ですが、たとえば、文化的には派手に影響をあたえたけれども、宗教運動(教会形成)には失敗し、具体的に言うならば、法人として消滅してしまった事例というのが存在します。ユニテリアンの運動もそのひとつです。

翻ってみると、文化的に広汎な影響を与えるような「派手さ」はありませんが、例えば、純粋な福音主義を貫き教会形成・信徒の育成に心血を注いだ教派は、連綿と生き残っているという事実も一方には存在します。

その意味では、素描と実感になりますが、宗教(団体)というものは、信仰形成(個の側面)、教会形成(全体の側面)、そして学問の3つの領域のどれがかけてもだめなのかな……などと思ってしまいます。

信仰形成とは、すなわち、個々の信仰者の信仰(心)の薫陶といことです。

そして教会形成とは、信仰共同体の形成という部分です。信仰は機械的な部分・作業・修行としては個々の一人一人の問題になりますが、信仰とは決してひとりでできる・維持できるものではありません。だからこそ、共同体の形成が大きな問題になってきます。

そして、うえの引用文でも触れておりますが、やはり3つ目の視座として学問(教学・宗学)という部分です。信仰を深めるための教義研究・研鑽は必要不可欠です。しかしそのためだけに信仰に関わる学問が存在するわけでもございません。ほかにはどのような視点があるのだろうかと考えてみますと、ひとつには、現実の存在に対する「批判」という役割が存在すると思います。「批判」ということばためにする批判の批判というよりもカント(Immanuel Kant,1724-1804)的なクリティーク(Kritik)という意味合いですが、いわば、現実の存在・運動・情況を「反省」するとでもいえばいいのでしょうか……そうしたところあると思います。

誤解を招く表現ですが、いわば、学としての立場から、自己自身、そして共同体自身が恣意的になっていないのかチェックしながら、その文化的背景のなかで、次代へ繋いでいくそうした使命が、信仰に関わる学問には存在すると思います。

「厚き信仰心だけで充分だろう、ボケ」っていわれそうですが、それはそれで大切であったとしても、それだけでは充分じゃないのだろうと思います。自己自身の問題でありながら、次に繋いでいくこと失敗した場合、宗教(運動)は消滅してしまいます。
個の側面、そして共同の側面、そして過去と未来を繋ぐ学の側面は宗教においては必要不可欠なのだろうと思います。

現実にはこの三者には温度差が存在します。

しかし、その三者が有機的にかみ合った場合、その運動は飛躍的展開を迎えるのではないだろうか……宗教史を学ぶとそのあたりをよく実感します。
※ただし、そうした個、共同、学という機軸で宗教をみるものの見方は、近代以降の宗教理解で、アニミズムとかそのへんはどうするんだ!といわれそうですが、そのことは承知の介ですけどもキリスト教研究者としては、ひとまず、キリスト教とか仏教といった対象に関しては上述のような視座が重要になってくるということだけは言い切れるのだろうと思います。

では、仕事に戻ります。
もう一度、整理しなおすところから……。

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反対物は互いに排除し合うものでなく相互に依存し合うもの

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個々の人間、個々の民族の特性をそのまま認めながらも、真に誉むべきものは全人類に属することによってこそきわだつのだという確信を失わぬようにしてこそ、真に普遍的な寛容の精神が最も確実に得られる。
    --ゲーテ(登張正實編訳)「文学論・芸術論」、『世界の名著38 ヘルダー・ゲーテ』中央公論社、1979年。

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今年から半期15回講義制が導入されましたので、休日であっても回数調整の都合上、出講となります。自分としては、1回1回の講義でじっくりと手が入れることができるので、それはそれでありがたく、祝祭日などで授業がふっとばされてしまうよりは、回数がきちんと保障されている方がありがたいと思っております。

ただ別の側面から見てみますと、ガチガチな感もなくはないのですが、半年余りそうした制度で講義をしていると、ひとつ痛感する部分があります。
すなわち、教員だけでなく、学生さんも「大変だな~」というのがそれであります。
世の中は祝祭日なのですが、講義に参加しなければならないという部分で、たしかに、様子を見ていると、「疲れている」とまでは表現しませんが、ふつうの平日の授業のときとは、すこしだけ雰囲気が違うような--それが何か特定することはできませんが--そうしたものを感じるある日の宇治家参去です。別にそれで、疲れて寝ているとかそういうわけではないのですけども。

さて--
いよいよ、文学と哲学の関わりの講義も締め部分をちょうど行い、ひとつのケース・スタディーとして、ドイツを代表する文豪・ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe,1749-1832)の話で締めくくりです。

なんで哲学にゲーテが出てくるのかというつっこみをさけつつですが、ゲーテの業績として一つ指摘できるのが、「世界文学」という概念の提唱です。当時のドイツはイギリスやフランスに比べると社会や産業の側面では、いわばヨーロッパ世界のなかでは後進国と見られていた地域になります。そうしたハードウェアな側面だけでなく、文化事象も、おなじように一段低いと蔑まれた時代で、当時のドイツ文学も「田舎文学」と揶揄されたようですが、ゲーテの活躍は、作品をみてもわかるとおり、そうしたドイツ文学を世界という舞台へ引き上げることに成功しました。

どこの人間が読んでも糧となる--そうした「世界」の誰もが関わることのできる「文学」の提示、それが世界文学という概念なのだろうと思います。

蔑まれたからこそ、ルサンチマン的に「勝他」するなんてことにはゲーテは無関心なのでしょう。

ゲーテにとって「勝つ」対象は「他」ではなく「自分自身」であります。

ですから、英仏への恨み節としてのドイツ(文学)の主張--などとやっているようであれば、ゲーテの作品は読まれることもなく、古典として現代受け継がれることもなかったのだと思います。

ややもすれば、所属する民族や文化の優秀性を一方的に説く方向に傾きがちなのですが、そうではなく、その特色の多様性をみとめつつ、どのように、お互いがそれを尊敬していくのか--そのことをゲーテは探究したのだろうと思います。

いうなれば、「個々の人間、個々の民族」の“多様性”と「全人類に属する」という“共通性・連帯性”とが互いに触発を与えながら、共に発展する“調和の文化”を志向したのがゲーテの歩みなのだろうと思います。ですからヒトラー(Adolf Hitler,1889-1945)はゲーテを嫌い、罵倒したのだろうと思います。

「調和」という言葉を聞くと、音階をイメージするように、何か「できあがった」静的な構造・あり方のように見られがちですが、実はそうではなく、げんじつのなかで、試行錯誤されながら、ひとびとが悩み合議しながら「創っていく」構造・あり方かもしれません--ゲーテを読んでいるといつもそのところを感じてしまう宇治家参去です。

その辺の話で締めくくり、来週は別の新しいテーマへ切り替わりです。

で……
もうひとつおまけ?に、今回も新しい試みを継続してみました。
すなわち、次の問題です。
これは、自分が教えている学生さんたちだけでなく、ひょっとすると若い世代の人々に共通している問題なのかもしれないのですが、何か感動する・決意する場合、その瞬間は落涙するほど、「心の底」から--例えば「やるぞ!」って感じで--感動・決意してくれるのですが、その持続とか実践がなかなか難しいという現象です。

この2週間前後、文学とか読書についての話題を取り扱ってきましたが、そういう話をすると、その時・瞬間は「読書に挑戦!」ということで決意してくださるのですが、なかなかその「継続」が難しいのが現実です(またこれもいうまでもありませんが、読む人間は、そんな発破をかけなくても読んでくれるのですけども)。

そこで、そのまま放置するのももったいないので、今年は、数度にわたって「先週から何かを読み始めましたか~」という問いかけをするようにしてみました。

「嫌らしい」問いかけかもしれませんが、しかし、なかなか効果的でもあったようです。一週目はぽつぽつでしたが、二週目になるとぽつぽつが増え始め……そういう情況です。
一度言ったら、ハイそれでお終いではなく、例えば読書に関して言えば、実際に本を手に取るまで、こちらが「関わり続ける」努力というのも必要なのではなかろうか……そんなところを感じた宇治家参去です。

一度言って、ハイお終い……というのは簡単なのですが、それでは駄目なのでしょう。これは読書に限られた問題ではないのだろうと思います。「関わり続ける」には労力と勇気が必要ですが、それを少しだけでも選択することで世界はがらりとかわってくるのだと思います。

むろん、学生さんだけでなく、宇治家参去も、読書といいますか、書物をたえず手放さない生活を心がけております。ともに、書物という人間の世界から何かを学び吸収していければなあと思います。

さて最後に蛇足。
月曜は昼から大雨になってしまったのですが、出勤前、すこし空に青いのが見えていたので、「傘荷物になるなあ~」と思ってそのまま大学へ。

帰るときは土砂降りですが、市井の仕事もあって、小降りになるのも待てず帰路となりました。乗り継ぎのバスが来るまでが一番大変で、ビニール傘でも買うかと悩みましたが、あの便利なビニール傘なるもの……一度使っただけで、使わなくなってしまい、家に溜まっていくという法則を見出しておりましたので、断念し、時間まで、ちょゐウマイコーヒーとケーキを出す喫茶店で小休止。

風邪は引かなかったので、うえの対応で正解のようでした。

「20世紀最後の百科全書派」(野家啓一)といわれているカッシーラー(Ernst Cassirer,1874-1945)が「人間とは何か」を探究するなかで、最後に調和を論じていたので、ひとつ紹介しておきます。「調和」とは何か特定の最高概念に諸々の「多様性」を「単一性」に「まとめ上げていく」わけではなさそうです。

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 全体的に考察した場合、人間文化は、人間の漸次的な自己解放の過程として記述することができる。言語、芸術、宗教、科学は、この過程におけるさまざまの側面である。そっれらのすべての領域において、人間は、新たな力を発見し、これを試みる--それは、彼自身の世界、「理想的」世界をきずき上げる力である。哲学は、この理想的世界における基本的統一性の探究を断念することはできない。しかし、哲学は、この統一性を単純性と混同しない。哲学は、人間のさまざまの力の間の緊張と摩擦、強烈な対立と深刻な闘争を見逃さない。これらは共通の名称のもとに一括することはできない。これらは異なった方向に向かうものであり、異なった原理に従うものである。しかし、このように多様であり、相違があることは、不和と不調和を示すものではない。あらゆるこれらの機能は、互いに補完し完全ならしめるのである。いずれも新たな限界をひらき、人間性の新たな側面を我々に示すのである。不協和は、それ自身との調和のうちにある。反対物は互いに排除し合うものでなく相互に依存し合うものである--それは「音弓と竪琴の場合における如き反対における調和」である。
    ーーE.カッシーラー(宮城音弥訳)『人間 シンボルを操るもの』岩波書店、1997年。

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【覚え書】「ひと 日本初の「列福式」実行委員長 高見三明さん(62)」、『毎日新聞』2008年11月21日(金)付。

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考察できないときの【覚え書】でございます。
年がら年中考察していないのは重々承知ですが……。

で……。
よくいわれるように、「日本人(文化)は何でも受容してきた」から「寛容なんだ」というフレーズを聴くと、いつもぶち切れそうになる宇治家参去です。

どこが寛容なのか……。
寛容とは、他者を自己の存在と同じように認め合う勇気の異名です。
キリシタンの弾圧、戦時下での宗教弾圧、そしてKYという厭~なフレーズ……。
どこが寛容なのかしら?

本日、長崎ではカトリック教会の「列福式」でございます。
無事故で大成功してほしいと切に念願する宇治家参去でございます。

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 天正遣欧少年使節のジュリアン中浦ら、江戸時代に迫害を受け命を落としたキリスト教徒188人をローマ法王が「福者」に列する「列福式」が日本で初めて、24日に長崎市で開かれる。実行委員長として準備に奔走しながら、殉教者たちに思いをはせてきた。
 「信仰の自由が認められなかった当時、殉教者は命をかけて良心を守った。マネーゲームなど即物的な風潮が支配する現代に、示唆を与えていると思います」
 弾圧を乗り越え、250年以上信仰を受け継いだ長崎の信徒は「宗教史の奇跡」と呼ばれる。その一方で、長崎は原爆による壊滅も経験した。故郷の歴史は、自身の生い立ちとも重なる。隠れキリシタンの末裔で、妊娠中の母のおなかで被爆した胎内被爆者だからだ。祖母や叔母らは原爆症で命を落とした。
 「母は最後まで被爆体験を語りたがらなかった。戦争の傷跡が、まだ周囲に色濃く残っていました」。母への思いは平和運動につながった。03年のカトリック長崎大司教就任後は、被爆者団体代表や仏教関係者らと共に「長崎県九条の会」の呼び掛け人にもなり、護憲の発言を続ける。
 「188人の殉教者たちは、迫害をしてきた相手すら許した。武力の応酬で平和は築けないのです。理不尽な暴力を経験した長崎で、世界に向けて列福式を開催する意義は大きい」

長崎市出身。福岡市の神学校で学ぶ傍ら、通信教育で慶応大卒。03年からカトリック長崎大司教。
    --「ひと 日本初の「列福式」実行委員長 高見三明さん(62)」、『毎日新聞』2008年11月21日(金)付。

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さかずきをみたせ、あふれるまでに!

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バッカスの歌

プーシキン

よろこびの声はなぜにしずまる?
バッカスの歌よ 鳴りひびけ!
こころやさしい乙女たち
乙女のころにわれらを愛した
わかき妻たちに栄えあれ!
さかずきをみたせ、あふれるまでに!
濃い酒の底へ音をたかく
愛のゆびわを投げいれよ!
さかずきをとれ さかずきをあげよ!
ミューズ万歳 理性万歳!

きよき太陽よ もえあがれ
朝のあかるい光のまえに
部屋のランプの薄れるように
英智のとわの太陽の
光のまえにいつわりの
かしこさは色あせとぼる。
太陽万歳 闇はかくれよ!

野ずえにのこる遅咲きの花は
あでやかな初花よりも愛(めず)らしく
かなしい夢のよすがともなる。
ひとのわかれのときもまた
あまい出会いのときよりふかく
こころにのこることもある。
    --プーシキン(金子幸彦訳)「バッカスの歌」、『プーシキン詩集』岩波文庫、1968年。

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詩をときどき紹介しておりますが、我ながらキャラじゃないよなあ~などと思うところもあったり、「三去さん、それキャラ違いますよ」っていわれそうなのですが、宇治家参去、実は、結構、詩を詠んでおります。

大好きな詩人の一人が上に引用したロシアのアレクサンドル・セルゲーヴィチ・プーシキン(Aleksandr Sergeyevich Pushkin,1799-1837)でございます。

遅ばせながら、ようやく、ボジョレーをサルベージしましたので、今夜はこれがお友達でございます、つまみにはプーシキンの「バッカスの歌」がちょうどよいかと存じます。

泥酔しないように……お休みなさい。

考察全くなしで……申し訳御座いません。

いいわけがてらですが、本当は「あれか・これか」の実在論を忌諱するようになったきっかけを途中まで描いていたのですが、燃料切れ?(燃料の補充しすぎ?)になってしまいましたものですから……。

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来れ、昼と昼との間に横たわれる幸いなる境界、

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眠りに

ワーズワース

ゆるやかに、一つまた一つ過ぎ行く羊の群、
雨の音、つぶやく蜂の声、
たぎり落つる河、風と海、
目路(めじ)はるかなる野辺、白き水の面(も)、澄み渡る大空、
わが思い次ぎつぎに移り行き、横たわれど眠られず、
やがてわが果樹園の樹より囀(さえず)りそむる
小鳥の歌声も聞えん。
かくて初時鳥(はつほととぎす)の物悲しき叫び声。
よべも、また、その前二夜(ふたや)もかくありて、
眠りよ、われ伏せりたれど、幽(かす)かにも汝をうること能わざりき。
されば今宵を眠らしめよ、
汝なくばなどて朝の喜びあらん。
来れ、昼と昼との間に横たわれる幸いなる境界、
新しき思いと喜びに溢るる健康とのなつかしの母よ。
    --ワーズワース(田部重治選訳)『ワーズワース詩集』岩波文庫、1966年。

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せっかくの休日ですが、仕事が山積してい、一日中、家のなかで、学問の仕事をしていたわけですが、やはりいい加減、「疲れてきます」。
ですから「外の空気でも吸ってくれば?」との悪魔のささやきを背にうけて、夕刻からあてどもなく自転車をこ一時間ほど走らせてきました。

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朝まだきより夜遅くまで金銭のために、自からの力を浪費し、
われらのものなるかの大自然に眼を注ぐこと少なく、
われらは自らの心を捨てて賤しき成功に没頭する。
    --ワーズワース「浮世の瑣事が余りにも多し」、前掲書。

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東京とはいえ、比較的郊外に住んでおりますので、大自然とまでいかなくても、小自然ぐらいはのこっている地域ですから、自然の空気を吸い込む?ことが比較的容易な環境です。

一日中、文字とか情報とかデータといったものと対峙しておりますと、やはりアタマがループしてくるわけなのですが、少し寒々とした秋の冷気が鮮烈なる刺激を与えてくれることに感謝です。イギリスの代表的なロマン派詩人・ワーズワース(William Wordsworth,1770-1850)に言われなくても、マア、分かっているつもりなのですが、雑事に翻弄されるなかで、「自然に眼を注ぐ」契機をちょいちょい忘れてしまうわけなのですが、そうしたところへの誘いをダイレクトに語ってくるワーズワースはやはり一種の天才なのだろうと思い直しました。ポケットに入れていたので、ひとつふたつを公園でぱらぱらめくっていましたが、やはりいい加減寒くなってきましたので、早めに帰宅しましたが、「瑣事」は確かに「瑣事」なのですけども、「瑣事」は「瑣事」でそれはそれで、それなりに大切なんだよなあ~とすこしぼやいてみたりもしましたが、やはり現実的に大切なのは、自然オンリーでもだめなのでしょうし、瑣事(自然との対でいえば、人工)オンリーでもだめなのでしょう。
おそらく、例の如くの持論になりますが、その両者を絶えず見放さず、両方を見ながら、相関的に関係させていくことが一番大切なのではないだろうか--などと思い直す秋の夕べでございます。

しかしながら、このワーズワースとかが生きた時代の前後、すなわち、17世紀後半から19世紀にかけて、やはり大きな話題になってくるのは「人の世界(=人工)」と対峙させられた「自然」という発想なのだろうと思います。ワーズワースの場合、湖水地方の自然に不遇な少年時代の心を癒され、そしてその美しさにに魅せられ、歌を詠んだのわけですから、直接的には関係ないのかもしれませんが、たとえば少し前の世代になりますが、フランス革命の原動力となるルソー(Jean-Jacques Rousseau,1712-1779)をはじめとする近代の啓蒙思想家たちの書物を読んでおりますと、なぜだか「自然」ということが種々出てきます。

そこで使われている「自然」なる概念は、何か一種の理想が理念化された概念になるのだろうかと思います。現実の問題のある社会体制(たとえばフランスの場合ですと、革命前のアンシャン・レジーム)を批判するために、そうした「歪んだ」状態になる前の「自然に還れ」という発想ですが、はたしてそれが「自然」な「自然」なのだろうか--そういうひっかかりです。ですから、その意味では、ワーズワースの「自然」とルソーの「自然」には大きな隔たりがあるわけなのですが、単純なグルーピングで現実を分断してしまう暴挙を承知で踏む込めば、おそらく前者が使う「自然」は、自然な「自然」に対する讃美ということ(しかし、すでに人間の言葉の介在という時点で、その自然はある種、「ひとの世」の「人工」になっているのでしょうが、ひとまず措く)、ルソーの場合は、「自然」という言葉を使いながらも、実は、かなり偏った形での「自然」、ある特定の立場から見た「自然」という色彩が、かなり強いのだろうと思います。

ずれるかも知れませんが(たぶんずれているのだと思いますが)つまるところ、どのような立場であったとしても、現実を批判する視座としての理念とか理想を持ち出す場合は、本当の自覚的な謙虚さが必要なのかも知れません。自分自身の立場が「自然なんだ、お前は自然に反している」などといいうのを聞くと、がっくし来てしまう宇治家参去だからなのかもしれませんが……。

さて……
ルソーの持っているファンダメンタルな側面は、確かに、現実の制度を揺り動かす「革命」を準備する思想となりましたし、その出来事は世界史的な出来事なのでしょう。しかし、フランス革命の渦中に渡仏し、そのときは熱狂的にその革命を支持したワーズワースですが、後年は、そうした立場を反省している、むしろ、その熱病的なるものに対する嫌悪すら吐露しております。同じ「自然」という言葉かもしれませんが、素人ながらも、何かふたりの違いを示唆してるように思われます。

そのうち落ちついたら、その辺の消息も調べてみたいものでございます。

で……
ですから、正直なところ、ワーズワースは好きですが、ルソーに関しては正直苦手な思想家のひとりでございます。苦手というか違和感のあると言った方が正確かもしれませんが、そうした苦手とか違和感も直していかないといけませんので、課題が山積です。

で--ワーズワース……。
息抜きついでに、やはりワーズワースでしたらか、ワーズワースを熱心に宣教してくれた大学時代の友人に敬意を表しつつ、彼の大好きなハイネケンを求め、これから一杯です。

帰宅すると、はらはらどきどきしていたメールが送付されておりました。
12月の沖縄スクーリングの次の週に岡山でのスクーリングが連チャンで入っていたのですが、「不開講」「回避」!

ゆっくり「眠りに」つけそうです。

期待を裏切られないように頑張らないと……

ワーズワースネタの関連エントリは以下
http://thomas-aquinas.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_a5de.html

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「ばかも休み休みいえ」

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 平蔵の、やることなすことが物凄い。
 お上へ人足寄場のことなどを建言して、いやに人情ぶかいところを見せるかとおもえば、
 「煮ても焼いても食えぬやつ」
 と断定したが最後、寸分の容赦もなく荒々しい処置をおこなう。
 〔火付盗賊改メ〕という役目は、戦国のころの軍政の名残をとどめるもので、無宿無頼の徒を相手に、面倒な規則やてつづきにとらわれず刑事にはたらくことを、特別にゆるされているそうな。
 「それにしても、長谷川はやりすぎる」
 という評判もある。
 これは主として町奉行など正規の役所から発せられる非難であるが、いまのところ、奉行所などは問題にならぬほど、〔警察〕としての活躍を盗賊改方がしてのけていることに対するねたみも、多分にふくまれていることはいうをまたない。
 だが、はせがわはびくともせぬ。
 「長谷川だとて、むかし若きころは無頼の群れへ入って、悪事をはたらいたというではないか。それがいま、ろくな取調べもせず、みずから刃をふるって賊を斬って捨てるという。どうもおだやかでない。お上のなすべきことではない」
 しきりにいいたれる声も耳へ入る。
 しかし平蔵、そのような不条理は百も承知の上であった。
 人間と、それを取り巻く社会の仕組みのいっさいが不条理の反復、交錯であることを、平蔵はしっかりとわきまえていた。
 「おれの仕様(しよう)がいかぬとあれば、どうなとしたらよい。お上が、おれのすることを失敗と断じて腹を切れというなら、いつでも切ろう。世の中の仕組みが、おれに荒っぽい仕業(しわざ)をさせぬようになれば、いつでも引き下ろう。だが、いまのところ、一の悪のために十の善がほろびることは見のがせぬ。むかしのおれがことをいいたてるというのか……あは、はは……ばかも休み休みいえ。悪を知らぬものが悪を取りしまれるか」
    --池波正太郎「蛇の眼」、『鬼平犯科帳 2』文春文庫、2000年。

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久し振りに、「ばかも休み休みいえ」と言いそうになった・宇治家参去で御座います。例の如くですが、市井の仕事がまたまたトンデモナイ状況で、今日もそれの繰り返し……。口先だけの管理職、機嫌を取るだけの中間管理職、使役され滅私奉公を強要される宇治家参去とその郎党たち……。

詳細は措きますが、久し振りに、「アタマに来た」ものですから、壁にパンチをくりだそうかなどと思いましたが、パンチをすると手も痛いのでよして、目下の業務に集中することでなんとか堪え凌いだ次第でございます。

泥飲して一人バックドロップをするという手もあるのですが、今日は静かに、「鬼平」と対峙しながら、アタマを冷やしていこうと思います。

自分自身としては、見た感じとしては、あまり「熱い」雰囲気の人間、アタマに血が上りやすい人間ではないと自己認識しており、どちらかといえば、まさに「吹けば飛ぶような」デラシネ(dracin)を気取っている?ところもあるのですが、現実の不条理さが、地から足を捉えて離してくれないものですから、ときおり……ねぇ。

書物の世界から人間の世界へ降りて七転八倒している状況です。

アタマのなかでは、「人間と、それを取り巻く社会の仕組みのいっさいが不条理の反復、交錯であること」はハナから分かり切ったことなのです。自分自身としても「むかし若きころは無頼の群れへ入って、悪事をはたらいたという」訳ではありませんが、学問に関わる人間としてはどちらかというと、アウトローといいますか、「寄り道」の多い人間でしたから、そのことは重々承知しております。

しかしながら、生活のなかでそうした状況に対面してみると、そのことを理解しているはずなのに、実際には「腑に落ちない」まだまだ若造で低脳未熟な宇治家参去です。

こうしたサラリーマンの、いわば真似事のような生活を数年続けておりますが、ホンマ、世の中の勤め人のひとびとは、通俗的な表現しかできませんが、「凄いなあ」と思います。

辛抱しながら、現実をたゆみなくレコンキスタしていくところに本物の「凄さ」があるのだろうと思います。

とわいえ、「人間と、それを取り巻く社会の仕組みのいっさいが不条理の反復、交錯であることを」今日は改めて“学ぶ”ことができたのは幸せかもしれません。そのことを理解するだけでなく「しっかりとわきまえ」る覚悟が必要なのだろうと思います、今の自分には。

感傷的ですいません。

だからなのでしょう……、またまた予約していたボジョレー・ヌーヴォーを持って帰るのを忘れてしまいまして御座います。
たい焼きのように世の中は甘くはないですね。

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Book 鬼平犯科帳〈2〉 (文春文庫)

著者:池波 正太郎
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ラーメン屋で読むホワイトヘッド、そして宗教学の必要性

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 「宗教」は、いつでも「憎しみ」の同義語になっていなければならないのだろうか。宗教に対する大きな社会的理想は、それが文明を統一するための共通基盤であってほしい、ということである。それによって、宗教は、粗野な力の一時的な衝突を超えてみずからの洞察を正当化するのである。
 この議論は、プラトンの思想と、キリストの生涯とキリスト教神学の最初の形成期という、三つの絶頂的局面に注意を集中してきた。しかし、伝説的な先行者たちと近代のその後継者たちによる、この十二世紀間全体が、キリスト教の物語を完成するために必要とされる。この物語は、あくまでも、さまざまな水準の洞察に属する諸観念の交渉に関わっている。宗教的精神はいつでも、簡単な説明で片づけられたり、歪められたり、葬り去られつつある。にもかかわらず、文明に向かう人類の旅が始まって以来、宗教的精神は常にそこに存在しているのである。
 <神学>の任務は、<世界>が、いかにして単なる移ろい行く事実を超えた何ものかに基礎づけられているかを示し、<世界>が、消滅していく諸契機を超えた何ものかにどう帰趨するかを示すことである。時間的な<世界>は、有限な達成の舞台なのである。われわれが<神学>に問い訊すのは、消滅していく生命のなかにおいても、われわれの有限な本性に固有の完成を実現するがゆえに、不死であるあの要素を表現することである。このようにしてわれわれは、生命がどのようにして喜びや悲しみよりも深い満足の相を含むかを理解するだろう。
    --ホワイトヘッド(山本誠作・菱本政晴訳)『ホワイトヘッド著作集 第12巻 観念の冒険』松籟社、1982年。

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子供も塾に行ってしまい、休日一人で家にいることができたので、仕事がはかどること、はかどること。

12月アタマにスクーリングもあるので、短大の講義も日程的にモロかぶりですので、今のうちに余分に仕込んでから、出張書類の作成--これがまた面倒なのですが、おそらく馴れた教員ならお茶の子さいさいなのでしょうが、自分はそうはいかず--と格闘してなんとか提出、おまけに、すこし論文の方へも手を入れていると、腹が減る。

アタマを使うと、俗に甘いものが欲しくなったり、腹が減ったりするといわれますが、あれは事実かも知れません。

ちょゐと気分転換へと、外へ出ましたが、近所に美味い蕎麦屋がないので、久し振りにラーメン屋へ向かい、炙りチャーシュー味噌ラーメンを注文する。
半年ぶりのなのですが、炎天下、「ふうふう」いいながら汗を流しながらラーメンを食べるのも夏の快味なのですが、寒さほとばしる晩秋から初春にかけて、冷気の中、ラーメン屋ののれんをくぐり、くぐると同時に眼鏡が真っ白になるのをかき分け、凍てついた五体の隅々まで広がるスープの温かさに酔いしれるのも、また痛快です。

この店は、きちんとチャーシューをバーナーで炙ってくれるところがまた味があり、ときおり利用しております。

で--。
時代小説はよく読みますので、蕎麦やうどんをたぐるくだりにはよく目にしますから、蕎麦を年がら年中所望するわけで、週に一度は食べております。しかし、そういえば、「うまそうに」「ラーメン」を食べる情景を描いた作品には未だ出会ったことがなく、いつかは幸福な出会いを経験したいものだなあ~と、ラーメンを食べながら思った次第です。さりとて、現代の日本の小説は殆ど読みませんので、難しいのかも知れません。

さて、冒頭は、プロセス神学を代表する神学者・哲学者として有名なホワイトヘッド(Alfred North Whitehead,1861-1947)の言葉から。ラーメン屋で読むような本ではありませんが、ぱらぱらめくっていると吸い寄せられてしまいました。

宇治家参去としては、いわば神学とか宗教学が実際のところ、専門になりますので、必然的にこうした文献とはよく格闘するわけですが、宗教学を学ぶ必然性はこうした現代だからこそあるのではないだろうか……そう思うことが屢々あります。

現今だけでなく、歴史上の宗教間対立の問題は、乱暴な言い方ですが、ほとんどが「無知や誤解」に基づくものが殆どであります。宗教学は19世紀半ば以降、もともとは神学の一部門として誕生した学問です。そこでは、当初、ヨーロッパ世界の世界史的拡大という状況を背景にして、キリスト教以外の宗教とキリスト教をどのように対峙させていくのか--そうした神学的理念をもって、比較宗教という形で誕生した学問ですが、学の進展のなかで、そうした先験的な認識への反省も出来し、そのなかで、特定の宗教を「弁証」する学としての学問ではないという立場を取るようになりました。それがここ百数十年の歩みだと思います。だから宗教学では、どの宗教が正しいとか、どの教えが優れているかということには全く関心がありません。極端な謂いですが、そこで求められているのは、対象に対する精確な記述ということです。もちろん、いうまでもありませんが、そうした姿勢に見られる「客観性」とか「価値中立性」とか「学としての科学性」という部分の問題も重大に存在しますが、ここではとりあえずひとまず措きます。

戻ります。

ですから、これもかなり大雑把な言い方になりますが、広い意味での宗教学といった場合、宗教に関する基礎的な知識の記述・研究といった部分が主軸になってきます。そのなかで、たとえば教団論を扱っていくアプローチとして宗教社会学的なそれだとか、聖典の編纂をたどるような文献学、心理的プロセスを記述し、そのメカニズムの解明を目指す宗教心理学、また、宗教現象をどのように理解していけばよいのか、そうした問題を課題とする宗教現象学とか解釈学といった専門性に分岐していきます。

とはいえ、最初にいったように、宗教を学問の対象として俎上に上げる一番大きな問題は、宗教が人間に限られた現象であるがゆえに、それに関する知識をきちんと記述し、整理し、その内容を解明することが最大の目的になってくるのだろうと思います。

では、そうした学問を学ぶという意味はどこにあるのでしょうか。

かつて、文豪ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe,1749-1832)は「一つの言語しか知らない者は、どの言語も知らない者だ」という言葉を残しましたが、その言葉を参考にして、初期の宗教学者で、比較宗教学の祖と言われるマックス・ミュラー(Friedrich Max Muller,1823-1900)は次のようにいっております。

すなわち……
「一つの宗教しか知らない者は、いかなる宗教も知らない」。

この部分がおそらく宗教を学ぶ意味に通じてくるのだろうと思います。

自己に信仰する宗教に対する確信は絶対的でなければなりません。
そうでないと、信仰が内崩してしまうし、信仰する意味もないし、信仰そのものが成立致しません。しかしながら、その絶対的な確信をもちながらも、必要なのは、他者に対する基本的な知識や基礎理解も持ち合わせる努力を惜しまないということだと思います。

無知や誤解を自分自身で「認識」する……それが宗教学の醍醐味であり、必要性なのだろうと思います。宗教学はあくまで、特定の宗教の「弁証」を目指しません。しかしながら、学んだ個人がそこから「弁証」することは可能でしょう。しかしながら、それが敵意や悪意の増幅に直結させてもならない自覚も必要なのだと思います。

「自分が“絶対”と信じる・思う」という現象は、「自分」一人の問題ではありません。そう思う他者が存在する--その自覚をお互いに共有する、そして、他者認識を絶えず磨き上げていく……そうしたところの基礎知識を提供するのが一番広い意味での宗教学になってくるのだろうと思います。

そうした生きる流儀を学ぶことによって「 『宗教』は、いつでも『憎しみ』の同義語になっていなければならないのだろうか。宗教に対する大きな社会的理想は、それが文明を統一するための共通基盤であってほしい、ということである。それによって、宗教は、粗野な力の一時的な衝突を超えてみずからの洞察を正当化する」ことができるのかもしれません。

ただし、自分自身としては、やはりどこまで言っても神学の学徒になりますので、後半部分、すなわち「<神学>の任務は、<世界>が、いかにして単なる移ろい行く事実を超えた何ものかに基礎づけられているかを示し、<世界>が、消滅していく諸契機を超えた何ものかにどう帰趨するかを示すことである」なのだと思います。

重くナイーヴな課題ですが、有限な時間的存在である「世界」のなかで、「生命がどのようにして喜びや悲しみよりも深い満足の相を含むかを理解」する手掛かりを掴んでみたいものであります。

とわいえ、これが、また金にならない学問でして……細君の眼が痛いです。

しかし、久し振りに食べたラーメンは美味でした。
心と体が喜んでおりまする。

これから予約していたボジョレーヌーヴォーを取りに行こうかとも思いましたが、まあ明日でもいいか……。

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【覚え書】「悼む 山下肇さん 東大名誉教授 ドイツ文学 88歳 10月6日死去」、『毎日新聞』2008年11月19日(水)付。

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【覚え書】の連発で恐縮ですが、ちょいこれも残しておかないとなア~と思いまして……。

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 1942年9月、東大ドイツ文学科を半年間の「繰り上げ」卒業、即陸軍へ。「学徒出陣」のほぼ1年前のことである。戦後復員して、旧制浦和高校・新制東大・関西大学で教職をつとめた。「戦中派」という時代の刻印を押されつつも、それを恥じることなく生きぬいた。
 日本戦没学生記念会(わだつみ会)が再発足した59年に、阿部知二理事長を補佐して、自宅に事務局を引き受け、すでに入手困難になっていた「日本戦没学生の手記 きけわだつみのこえ」をカッパブックスから再刊させ、今日にいたるわだつみ会の起訴を築いたことは、最も大きな社会的貢献だったろう。最後まで「わだつみのこえ記念館」の館長をつとめておられた。
 現代ドイツ文学の紹介・翻訳など多数あるが、学問的な業績として残るのは「近代ドイツ・ユダヤ精神史--ゲットーからヨーロッパへ」(80年)であろう。モーゼス・メンデルスゾーンとハインリッヒ・ハイネに焦点を当てながら、解放と迫害のはざまで引き裂かれた東欧系ユダヤ人の精神の系譜を追った労作。この先駆的な研究に着手した動機として、戦争中、ユダヤ人というだけの理由でハイネ研究さえ自由にできなかった、日本のドイツ文学のあり方への反省がったことにも注目したい。
 訳業のなかで、ゲーテ「ファウスト」と、20世紀の代表的哲学者で、この人もユダヤ人のエルンスト・ブロッホの「希望の原理」は、翻訳文化賞に輝いた。とくに後者を貫くユートピアへの呼び声は読者の心を奮いたたせずにはおくまい。
 大学定年後、叙勲の打診があったが、固辞しつづけたと聞く。(翻訳家・高橋武智)

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【覚え書】「風知草:「田母神支持58%」考=専門編集委員・山田孝男」、『毎日新聞』2008年11月17日(月)付。

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ちょゐ首をやってしまい、痛くて首が動かない、すなわち、頭が回らないのですが、忘れてはいかんと思い、【覚え書】ということで……。

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風知草:「田母神支持58%」考=専門編集委員・山田孝男
 先週、国会の参考人質疑を傍聴して最も印象に残った前航空幕僚長のセリフは「ヤフーの質問(=投票)で58%が私を支持している」だった。

 インターネット上のアンケートなど客観性がないと笑うのは簡単だが、いくらたたかれても田母神(たもがみ)コールが沸き起こるのが現実だ。このモヤモヤを払うためには、何が誤りでどこは擁護されるべきかを明確にしなければならない。

 「日本は侵略国家であったのか」と題する田母神論文は400字詰め原稿用紙で18枚。冒頭から15枚目までは、近現代の戦争に関し、日本は常に攻撃的意図を持たず、万事はソ連共産党と中国共産党の謀略にはめられたのだという主張であり、論拠はいずれも近刊のノンフィクション(二次資料)だ。

 これに対し、朝日新聞、毎日新聞から週刊新潮まで多くのメディアに登場して共産党謀略説を否定してみせたのが現代史家の秦郁彦(はたいくひこ)(75)である。当事者からの聞き取りや原資料の確認を重視する実証的な軍事史研究の第一人者だ。

 田母神俊雄が共産党の工作だと論じているのは、1928年の張作霖(ちょうさくりん)(中国の軍閥政治家)爆殺事件、日中全面衝突の契機となった37年の盧溝橋(ろこうきょう)事件と41年の日米開戦である。

 秦の批判は「張作霖爆殺事件の再考察」(07年5月、日大法学部紀要「政経研究」)「盧溝橋事件の研究」(96年、東大出版会)「検証・真珠湾の謎と真実」(01年、PHP研究所)に詳しい。いずれも実証主義に徹した労作だが、問題は、どれだけ精密に反論されても、田母神とその支持者は絶対に屈しないということだ。

 なぜか。田母神論文には、わずかながら、もっともな主張が含まれている。

 結論の「集団的自衛権(同盟国を攻撃した国に対して応戦する権利)を行使できず、武器使用の制約が多く、(相手のミサイル基地をたたく)攻撃的兵器の保有も禁じられている現状では自力で国を守れない」というくだりである。

 この一念で問題を提起した以上、歴史論争に負けて引っ込むわけにはいかないというのが田母神の心境だろう。

 自衛隊の国際平和協力業務定着に伴い、武器使用の制約をめぐる矛盾は拡大している。集団的自衛権、まして攻撃的兵器は議論の余地が大きいが、安倍晋三がアクセルを踏み、福田康夫がブレーキをかけ、安全保障政策は漂流中だ。

 折も折、世界の軍事・経済を牛耳ってきた米国のパワーが落ち、本能的に対米依存脱却=自立の必要を感得した民衆が、理屈を度外視して田母神論文に反応しているというのが私の現状理解である。

 田母神論文は俗説を継ぎはぎした論外の駄作だ。駄作に300万円与えた企業は恐縮するどころか、英訳を出版して世界に発信するという。

 それを呆然(ぼうぜん)と見守るのではなく、何が誤りかを明確に指摘するのが政治家の役割だと思うが、そうなっていない。役人の事なかれ主義に引きずられ、前空幕長を定年退職扱いにして更迭の意味をぼかした。

 政治家と役人だけが悪いとは言わない。メディアは田母神批判を競っているが、その矛先は集中と確信を欠く。田母神の言動を大ざっぱに全否定してもネット上の田母神支持を増やすだけだ。歴史問題を確かに論じ、安保政策を不断に議論する必要がある。(敬称略)

http://mainichi.jp/select/seiji/fuchisou/news/20081117ddm002070072000c.html

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蛇足ですが、論文そのものは以下のURLにPDF形式で掲載されております。

(和文)http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf
(英文)http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu_english.pdf

しかしなあ~、自分も300万円欲しいです。

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余裕のある合理主義

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 「知るを知ると為し、知らざるを知らずと為す。これ知るなり」これは『論語』の言葉です。合理主義の典型といってよい言葉です。「わかったことはわかったこととする。しかし、わからないものはわからないとする」というわけです。何でもないことですが、それをうやむやにするというのが私たちの日常にもよくあります。それは合理主義に合わないことです。『論語』ではまた、知とは何かということを聞かれた孔子が、「民の義を努め、鬼神を敬してこれを遠ざく、知と謂うべし」といった言葉があります。孔子が死とか鬼神とかいった神秘的な不可解な世界に立ち入ろうとしなかったことは有名で、それが孔子の合理主義をよく示すものだと言われています。ところが、ここで鬼神を「遠ざける」のはいいとして、その上にまた「敬して」という言葉がついております。儒教では祖先の霊をおまつりしますが、世間で祖先の霊はおっかないとするのをそのまま受けて、それを尊敬して、そっと遠ざけておく。敬遠ということですね。野球なんかでも「敬遠の四球」などと言いますが、「さわらぬ神にたたりなし」といった言葉にも近いんですね。
 本当に合理主義に徹底するなら、鬼神というような理性で確認できない曖昧なものは、否定すべきなんですね。それがヨーロッパ的な合理主義というものです。ところが儒教はそれを否定しないんですね。遠ざけるんだけれども、尊敬の態度を持ってそっとしておけ言うんです。そのうち人間の経験が積まれて、はっきりしてきた段階で否定すればいいというわけです。しかし、近づいていって、鬼神の世界を信用したりするのはもちろん合理主義ではない。孔子はそういう神秘の世界の深みに入ろうとはしなかった。『論語』の中では他にもたくさん例がありますが、死後の世界、あるいは死の問題、そういうものに孔子がふれようとはしなかったことははっきりしています。しかし、それでいて、そういう世界も大事なものとして、そこにそっとしておくという姿勢を持っていたのです。
 これは本来の合理主義としては曖昧な態度ですね。私がとくに儒家的合理主義とよぶのは、そういう曖昧さを持った合理主義だからです。そして、いわゆる合理主義ということについて、ヨーロッパとは違ったべつの基準がそこにあるのだと考えたいのです。もちろん、デカルトをピークとするヨーロッパの合理主義の有効性はそれとして尊重すべきでしょうが、それと別にこの儒家的合理主義もまたたいへんな貴重なもので、本当の合理主義はむしろこちらからも知れないとさえ思えるです。人間理性の働きが非常に現実的で、実際的だということですよね。
 形式的にAかBかと分けて、Aが正しいBが間違っている、Bは切り捨てよ、というやり方はいかにも合理主義でびしっとしています。まさに、知ることと知らないことを分けてしまって、その基準に従ってまっすぐ進む。民主主義というのもそうです。多数で決められたことが採用され、少数は消されます。多数決の原理で現在の民主主義は保たれています。確かに、多数決は守られなければなりませんが、それだけでいいのかという問題があるでしょう。よく言われていることですが、一〇〇票が四九票対五一票に分かれたとき、五一票の方が勝って、四九票は抹殺だという、それだけでは済まないものがあるでしょう。四九票を投じた人の意志が残るわけです。だから、形式的にはそうせざるを得ないから多数決に従うけれど、しかし、少数派に対する配慮を当然考えなければなりません。相手を切り捨てて、独走しちゃいかんのですよ。
 ところが、純粋民主主義というのは、切り捨てなければいけない、切り捨ててこそ進んで行くんです。だから、今日では純粋民主主義は完全には行えない、少数派のことを相当に考えていかなければならないという反省が、いま世界的に非常に強くなってきています。民主主義を守っていくというのはそういうことなんです。切り捨てばかりやっていたら、民主主義そのものが危なくなってしまうのです。その編に現代の問題があるわけです。それじゃ、民主主義はどの方向に向いて行くか。私は「儒家的合理主義」、言いかえれば現実的合理主義の考え方がもっと生かされていくべきで、そこからまた「中庸主義」というものを考えていくべきだと思っているのです。
 「中庸」というのは、あまり耳慣れない言葉かも知れません。「中道」と言った方がわかるかも知れません。文字どおりには「右でもない左でもない、真ん中の道」ということです。けれど、「中庸」の意味はそれだけではないのです。『中庸』という本には、「舜(しゅん)、問いを好み、好んで邇言(じげん)を察し……」と言って中庸を説明した言葉があります。舜というのは聖人でありますが、ひろく質問することを好んだ。そして「邇言」というのは「身近な言葉」という意味で、旬は質問をして身近な言葉についてよく考えた。そして、「其の両端を執(と)りて其の中を民に用う」と言われています。この最後の言葉が大事です。身近な言葉の中からその両端をとってきて、その中を民衆の政治に使ったと言うのです。この「両端を執る」というのは、右でもない左でもないと言って、左右の両端を切り捨てるのではなくて、右もとり左もとって、その真ん中を守ることです。真ん中には右も左も含まれていなければならないのです。いわば右でもあり左でもある、そういう「中庸」なのです。
 さて、そういう「中庸」を考えますと、単純に左右の両極端を排除せよということにはなりません。また一方に「右か左かどちらかを抹殺しろ」といったりすることも、「中庸」にはならないのです。かりに右の端が柔で左の端が二であるとします。十と二の真ん中は六だ、では六以外はダメだというようなそんな決め方はしない。アリストテレスというギリシャの哲学者も「メソテス」という言葉で「中庸」のことを言っているのですが、これも数字で説明して、中は六だけではないと言っているのです。動いていていいのです。中国の『中庸』のなかにも同じようなことが書いてあります。真ん中は揺れてもいいのです。しかし、そこに両方の意味が込められていてこそ両端の中なのです。これは難しいです。決して日和見的な折衷主義ではない。両端を見比べて自分だけ良い顔をするといったものではないのです。
    --金谷治『中国思想を考える 未来を開く伝統』中公新書、1993年。

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月曜日が宇治家参去としては、一番キツイ曜日で御座います。
前日まで市井の仕事で深夜に帰宅後、朝一番で大学へ向かい、昼から講義。
講義が済むと再び市井の仕事という……仕事スパイラルな一日なのですが、月曜のナイトタイムの職場は、自分以外の上席者がすべて休日のため、ちと責任の重い一日です。
とりあえず、本日はなにもなく無事に終了したわけです……すこしほっとしながらも肩と眼がバキバキです。

また月曜は前日までとうってかわって好天日……大学のある八王子も19度オーバーで、意気地なしだなあ~と思うのですが、季節はずれのアイスコーヒーを選択するなど、忸怩たる一日でございます。

さて、今日は市井の職場の休憩中に、合理主義の問題を考えていたわけですが、そのなかで考えることしばしばありまりました。ですので、うえのような長い引用を入力してしまった……訳でございますが……。

今日、短大の哲学の講義を日中行いましたが、久し振りに「演説」を行ってしまいました。もちろん、講義内容に関して「説明」する「解説」する必要はありますので、「語る」部分というのは教員としてあるわけですが、それだけに徹してしまうと、学生さんたちも「疲れてしまう」部分が現実に存在してします。ですから、なるべく、有機的な講義をということで、双方向の試みを入れております。それを入れながらも、お恥ずかしい話ですが、「語ってしまった」=「演説」してしまった次第でございます。

ただ思ったより、「寝ている」学生はほとんどおらず、それとなく……という方もいらっしゃいましたが、比較的聴いていてくれる学生が多かったのは幸いです。

それでは何を演説したのか……と申しますと、これは常々自分自身に対する「戒め」としている部分なのですが、人間とか、世界に対して、それは「こんなもんだよ」って捨てゼリフを吐かないように生きていこう……その部分です。人間とか、世界というものは「こんなもんだよ」ってだけじゃないんですね、現実のところでは。しかし、せせこましく生きていると、ふと「あいつはあんなやつだからサ……」とか「あのひとはあれだから、ヤなんですよね……」ってなってしまう部分はあるのですが、そういう対象化・分断を酒ながら=もとい、避けながら生きていかないとトンデモナイ目にあってしまうのも、これまた現実のひとつの側面です。

それが、対象を「これである」と一面的に定義づけして、それを固定化してしまう、悪しきデカルト的分離主義(吉満義彦)なのだと思う宇治家参去でございます。おもった以上に熱心に聞いてくださったのがありがい部分です。

あのひとや、あの対象を、「そんなものサ」と思わずに「かかわり」続ける「勇気」を選択するところに、本物の「慈悲」とか「寛容」は立ち上がってくるのだと思います。

近代の学知は、周知の通り、あれか・これかという定義づけによって、まさに「前進」してき、人間世界の沃野を機械的に拡大することに成功してきました。その恩恵は語るまでもありません。しかし、それに不可避的に伴う分断構造に目をつぶってきたのも事実です。声なき声、切り捨てられてしまう現実のあり方……まさにその部分に「目をつぶってきた」がゆえに「爆発的」な「前進」が可能になったのだと思います。

そうした状況に対する思想的反省が省みられるようになったのは19世紀後半から現在にいたる思想史的営みということになるのだろうと思いますが、それを批判するだけでも問題は解決されないのもまた事実です。矛盾を見つめながら、できることから着手し、そして生きている現場から世界とか、人間そのものにつながっていくしかない……そういう「演説」をしてしまいました。

本当は今日はサルトル(Jean-Paul Charles Aymard Sartre,1905-1980)の有名なテーゼ、すなわち「飢えた子供の前で文学は何をできるか」(1964年4月『ル・モンド』紙のインタビュー)を論じる予定だったのですが、それに向けての助走としてはよかったのかもしれません。この問題はまた後日(おゐ、それは何時よっていう誹りはお許し候)考えますのでお許しを。

で……。
あれか・これかの二項対立の問題、すなわち対象を概念化することによる暴力の問題ですが、自分自身としてはゐきている実感(という表現で恐縮ですが)には組みできないという境界線上で「佇む」ないしは「祈る」という行為しか選択できません。こちらを100%の善、対象を100%の悪として“対峙”させて……“外”に存在すると想定される対象を滅却してしまう……そういう合理主義的判断に対して眩暈を覚え、うろうろしてしまうんですね。

どうして……
自分自身が、あれか・これか……という二元論に嫌悪を懐くようになったのかは、まだ精確にはわかっておりません。ひとつにはやはり90年代初頭より続く、共産主義政権の崩壊が大きな影響を与えているのですが、結局、その問題は資本主義VS共産主義というイデオロギー対立から、別の項目に関する二項対立にかわっただけで、根本的には人間の問題が一向に解決されていない(まあ、解決とまではいいませんが)……そういう歴史の経緯をリアルタイムで眺めてきたからかもしれません。

まさに「形式的にAかBかと分けて、Aが正しいBが間違っている、Bは切り捨てよ、というやり方はいかにも合理主義でびしっとしています。まさに、知ることと知らないことを分けてしまって、その基準に従ってまっすぐ進む」ことによって、近代人は、権威の漆喰、そして俗信・迷信を含む魔術から「解放」されることによって、成功と繁栄を享受したのですが、果たしてそこに成功と繁栄はあったのだろうか……そういう胃痛をいつも感じております。

人間の世界とは「形式的にAかBかと分けて、Aが正しいBが間違っている、Bは切り捨てよ」だけじゃないんですよね。もちろん、だからといって、「目の前に存在する」あきらかな「不正」を甘受するという意味で捉えてもらって困るのですが……それがそうした佇み者=宇治家参去のジレンマですが……、それはそれとして不断に生活実践として対峙しつつも、そうした「Aが正しいBが間違っている」っていう部分は、自分自身にも内在しているという自覚がないかぎり、前衛理論的な革命に伴う不可避の暴力を招きかねないんだよな~あと思う次第でございます。

慈悲とか慈愛って画に描いた餅にすることもできるのですが、それを本物の餅にするには、不断に目の前に存在する一人に関わり続けるしかないんだような~、そこにしか漱石・夏目金之助(1867-1916)のいうような「足下を掘れ」も存在しないし、スピヴァク(1942-)のいようような「理想とほど遠い現実でも、それを直視して、行動しなければ、なにも始まらない」という部分なのだと思います。

実はこの問題は重要な問題なのですが、かなり酔っ払って書いておりますのが、申し訳ないところ。

すでに議論が破綻しているのですが……って「それはいつもでしょ」ってつっこみもご容赦いただきながら、話を続けます。

後日、しらふのときに改めますが、もうちょい、書き殴ります。

あれか・これか……をどう、現実感覚に即して超克していけばよいのか。

声なき声、文字なき声、そして呻吟をどのようにうけとめるのか、その余裕が求めてられているように思えて他なりません。

あれか・これかは確かに、前進する「爆発的」な核エネルギーのような破壊力を秘めています。しかし人間は、前進するだけでなく、後退したり、佇んだり、寄り道したり……そういう紆余曲折をしながら現実には活きております。それは「お前は怠けものだ」とかっていうような一方的な通告を、自分としては選択したくないんですね~。

人間ってそれだけの生き物じゃありませんから。

それをしている人に対して、そうじゃないよというのであれば、関わり続ける、そばに佇みつづけるなかで、共に同苦しながら、宣告じゃないやりかたで進みあいたい……そう思う宇治家参去です。

ちょうど本日、大学の勤務を終え、ダルイ市井の仕事の終盤、心配していた後輩から連絡があり、一杯飲むことになりました。飲むのは大好きなのですが、ちょゐ体調も最低でアレだったのですが、すこし心配していた部分もあり、飲み屋へ流れました。

彼は以前の日記にも何度書いている、音楽でがんばるぞーという若者です。まだまだメジャーデビューはしておりませんが、日々、苦闘しながら戦っております。

10月に始めての彼女が出来て、喜びを分かち合った次第ですが、最近、「それにはまりすぎているようで……」と相談を受ける。

彼女か音楽か……そういう二元論は選択できません。
自分で苦闘しながら、彼女も、音楽をも……その距離感を確認しながら(それは失敗もあれば成功もあるのですが)やっていくしかないよね……そういう話となる。

ともすれば、音楽(ないしは仕事)のために家族を犠牲にせよ、ないしは、音楽(ないしは仕事)を切り捨てて彼女を選択しろ……という言い方が現実は存在しますが、そんな言い方はできません。あれか・これか……ではなく、いわば「余裕をもった合理主義」を自分自身の生活感覚の中で取得するしか、ないのだと思います。

すいません、支離滅裂で……

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道徳的に厳しく悪いことを許さないイメージ

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 キリスト教徒作家やミッション・スクールの影響は、なんといっても日本人の多くがキリストについての何らかのイメージをもつようになったことに示される。キリストの教えである福音そのものの理解はまだ不十分であるが、漠然としたかたちで隣人愛、博愛主義的な視野の広がりをもたらしている。しかし、文学作品とミッション・スクールという道を通っているだけに、キリスト教が西洋文化の最も重要な要素という意識が強く、それが人類の宗教とか私たち日本人にぴったりくる信仰として受け入れるには、いまだ至っていないという感を禁じえない。御利益を中心とする日本人の信心の傾向に対し、キリストの教えが「ありがたみ」を感覚的に与えるものでなく、精神的な人格の向上と改心をもたらすものであるだけに、少々一般庶民には伝わりにくい面があるように思われる。
 福祉活動を通しての献身的な教会の活動は、多くの人びとの心をとらえるものではあっても、それがキリスト教に帰依している人の当然の行為であって一般凡人のものではないという隔たりを与えているようである。一般に教会の人間、すなわち司祭やシスターまた信徒に対しても、その期待が大きいためか、あるいはキリスト教の高い道徳的水準を重要視しているためか、厳しいまなざしが注がれている。明治以来、今日まで続いている一般の人びとのキリスト教に対するイメージは、前記したもの以外に、道徳的に厳しく悪いことを許さない宗教と映っているようだ。洗礼を受けることは、福音の教えとは異なり、厳しい道徳・倫理的生活を要求されることであるように人びとの目に映っているのが現実である。
 他方、より深くキリスト教の教えを知っている者のなかには、聖書や外国の教会の諸活動を見ながら、現代の正義の擁護者としての大きな期待を教会に寄せる傾向も見られる。    --ヨセフ・ハヤールほか(上智大学中世思想研究所編訳・監修)『キリスト教史11 現代に生きる教会』(平凡社、1997年)。

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ちょうど、九月に苦闘した紀要論文の初稿が届いておりましたので、昨日から時間を見ては、入力ミスの訂正、引用箇所の照合……等々、訓詁学的な作業をちまちまとやっております。原稿の入稿はこれまでも電子メールで送付していたのですが、初稿はいつも、製本するために刷り出したやつを郵便で送ってもらっておりましたが、本年からはそれがそのままPDF化されて送付されてくるようになりました。時間的なロスは少なくなりますので便利で、時代の進歩を実感する部分なのですが、結局は、朱を入れたそれを郵便で返却するべ……というかんじですから、早めに返却しないとマズいのですが、なんとか本日の市井の仕事の休憩中に終了です。

その折り、すこし、歴史的事実の確認のために、教会史に関わる文献を読んでおりましたが、うえの一文がその一節です。

日本人はどのようにキリスト教を理解したのだろうか……。自分が長年、戦っている?研究対象のひとつになるのですが、やはりどこか引用部分の後半部分で示されているような状況、すなわち、「明治以来、今日まで続いている一般の人びとのキリスト教に対するイメージは、前記したもの以外に、道徳的に厳しく悪いことを許さない宗教と映っているようだ。洗礼を受けることは、福音の教えとは異なり、厳しい道徳・倫理的生活を要求されることであるように人びとの目に映っているのが現実である」という見方が先行しているフシは否めません。

明治以降、再渡来したキリスト教は、やはりアメリカ合衆国の宣教師団がもっとも規模が大きく、そこで紹介されたそれが厳格なピューリタニズムを主体としたキリスト教であった所為もありますから、キーワードを拾っていくならば、「道徳的な厳しさ」とか「倫理的」とか、「善悪の峻別」……そういうイメージが強烈に存在します。

確かに明治期のキリスト教受容を振り返ってみると、キリスト教を受容した最初期の人々は、ほとんどが佐幕系の武士階級のひとびとが大多数です。ちょうど儒教の君臣道徳が崩壊し、武士道が廃れるなかで、そうした道徳的な厳しさの新しい価値観として受け入れられたという側面もありますので、ピューリタニズムが主体となって渡来したということはある意味ではベストマッチだったのかなとも思います。

そこでは、「キリストの教えが「ありがたみ」を感覚的に与えるものでなく、精神的な人格の向上と改心をもたらす」側面が強調されたりするわけですが、現実はそれだけがキリスト教ではありません。突き放したような言い方をするならば、ある一面だけが強調された受容と表現することも可能だと思います。

このことが良いことなのか・悪いことなのか……その評価・解釈は今後の課題になるのですが、ひとつだけその歩みの特徴的な部分を指摘するとすれば、うえの引用文から考えるとすなわち次の部分です。

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キリスト教徒作家やミッション・スクールの影響は、なんといっても日本人の多くがキリストについての何らかのイメージをもつようになったことに示される。キリストの教えである福音そのものの理解はまだ不十分であるが、漠然としたかたちで隣人愛、博愛主義的な視野の広がりをもたらしている。しかし、文学作品とミッション・スクールという道を通っているだけに、キリスト教が西洋文化の最も重要な要素という意識が強く、それが人類の宗教とか私たち日本人にぴったりくる信仰として受け入れるには、いまだ至っていないという感を禁じえない。

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キリスト教は日本へ再渡来以降、信徒数の若干の増減はありますが、ほぼ人口の1%という数で推移しております。しかしながら、考えてみるとキリスト教徒作家やミッション・スクールの影響というものは、それが一面的な印象を生みだす側面としては機能しましたが、見方をかえると、それは、1%という勢力ながら、ほぼほぼその10倍に値する人々に何か、関わりを持たせた、影響を与えた、ということです。もちろんそれは教育とか文学、はたまた社会福祉だけでなく、ひろく人間の文化現象という次元でみるならば、もうすこし高い数値の影響を与えているのではないだろうか……というところです。

現実には西洋の文化と渾然一体としての受容ですが、その影響は計り知れない部分が存在します。現実の信徒数の増減は大切な問題になりますが、それ以上の影響を与えているという事実は、宗教の存在・影響というものを考えるうえではきわめて重要な材料を提供していると思いますし、そのあたりは評価されてもよいのだろうと思います。

などと考えながら自宅へ帰ってみると、大切なヤークト・パンターの砲身がまっぷたつにおられていた。一つは偽装工作されておりましたが、号泣です。

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著者:ヨセフ ハヤール
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私自身を憂慮の重荷から解放し、書くことで心を慰めるためです。現代の悲惨はすでに絶望的だからです

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幸い二日酔いにならず見事に短大へ出勤し、本日は無事故で推薦入試の面接官業務を遂行でございます。

少子化……もとい、高校生への受験指導的に言うならば……少子高齢化といった方がよいのでしょうが……そうした事態が進行するなかで、毎年、志願者数、倍率が著しい低下を見せなる現況に反して、むしろ高騰という状況を招来している宇治家参去の勤務校は「異色」の高等教育機関なのでしょう……。

受験生一同及び教職員・役員に対して、創立者より伝言も頂戴するなかで、一名の欠席者をだすこともなく、本当に「無事故」で推薦入試が終了しました。
※しかし、「一言」いうならば、面接なので審査する方も生命力を使ってしまいました。しかしそれは心地よい疲れであります。

いうまでもありませんが、こうした教育機関で教鞭をとらせて頂いていることへの感謝と身の福徳を決して忘れてはならないと思います。
たえず、「精神の間断なき飛翔」(レオナルド・ダ・ヴィンチ)を目指して、自己自身も錬磨し続けなければならないとの実感であります。

重ね重ねですが、受験生の皆様、本当に本学を選んでくださり、誠にありがとうございました。来春より本学で宇治家参去をお見受けした際は、どうぞ宜しくお願いします。

これまたいうまでもありませんが、近すぎると酒臭いかもしれませんので、若干、距離をおいて話しかけて頂けると快適かと存じます。

さて……終了後。

これまた勤務校?といいますか……同じ敷地内の大学の通信教育部で教鞭を執っているのですが……本年・年頭、大阪での地方スクーリングにて熱心に宇治家参去の倫理学の講義を一番前に坐って聞いてくださった学生さんが、これまた折良くこの週末の秋期スクーリングに参加されてい、「すこし懇談??しませんか?」とのことでほぼほぼ一年ぶりの再開へと……。

合流するまでは、月曜の授業の仕込みと、研究所紀要の初稿の手入れに専念で、なかなか有意義といいますか、朝から学問専念できたことが少々嬉しい宇治家参去です。

スクーリングが終了した18時前は、もはや真っ暗……。

危ぶまれていた降雨にはならず、合流後、八王子駅北口の「月の雫」で、旧交を温めつつ、闊達な談論の花が咲いた次第ごでございます。

ある意味で言えば……物理的なハードフレームな側面に注目すればということですが……短大と対極にあるのが通信教育部なのだと思います。片や18歳前後の学生たちオンリーな世界、片や18歳前後から人生の大先輩たちまでの学生さんたちの世界です。

両者は四大ともちがう精神世界でございます。

おもえば、様々なひとびとと交流をするなかで、何が学問なのか……というところをいつも突きつけられます。ある意味では、智慧とか知識とかを考えさせられる契機になるわけですが、通信教育部を受け持っていると、それがほんとうに有難いところだなと感じます。そしてそれが限定的な職域・年齢世代の短大生と照射しあってい、それが自分自身の学問性を磨き抜いてくれることに感謝でございます。
※いうまでもありませんが、前者においても極めて「学ばせて戴く部分」は無限大に存在するのですが、その部分は後日論じるということで。

で……、
本日は、「月の雫」にて、人生の先輩と快飲させていただいた訳ですが、種々、学ぶところがございました。

ひとつ目は、やはりなんといっても、本学創立者が常々ご教示されている点ですが、「誰のための学問か」という部分です。表現としては通俗的には「大学は大学に行けなかった人の為に存在する」といわれますが、様々な経験を経て、通信教育という体裁でありながらも、「学を問う(=訪う)」(@和辻哲郎)という学生さんたちと交流するなか実感するのが次の部分です。すなわち、学生さんたちは「すでに学んでしまっている」という状況です。

この「すでに学んでしまっている」ということは何かと申しますと、育児や家事や、仕事や地域の社会活動のなかで、いわゆる学問の領域で問題となっている部分に、実は直面しているという事実です。しかし、たとえば、経験はしているのですが、それが「言葉にならない」……そういう状況が存在します。

そこが実は現実のもやもやであり、言葉にならないジレンマです。

それをそっと、うしろから「後押しする」、「言語化する」、そして、「未来へ繋ぐ」……それが智慧とか知識の役割なのかな?などとふと思うことがあります。

しかし、それが結合された瞬間が実は、極めて「美しい」んですよね!!

書物の中の言語が、日常生活の中で立ち上がり、そして生きた言語として機能する。そして当人へ知識を与えるだけでなく、いきていくうえでの希望とか、彩りを添える契機となる……そこが、通信教育……博く言えば生涯学習の要なのかもしれません。

快飲しながら、学生さんのもつ生命の溌剌とした輝きと学ぶ姿勢の真剣のもつ美しさにに、一種のまぶしさと眩暈(カミュ)感じた宇治家参去です。

「お土産」までご持参下さり、号泣の至りでございます。
新大阪駅限定のウルトラセブンストラップには、愚息も号泣予定でございます。

ぶっちゃけ、吹けば飛ぶような宇治家参去です。
博士論文は仕込んでいますが、学位授与(予定)はちょい先で、しかも、学位があったからといって目処のたつジャンルでもございません。
「自画自賛」のようで、恐縮ですが、そうしたヘタレでナイーヴでチキン野郎ですが、そうした代換不可能な「顔」(レヴィナス)を持つひとりひとり向かい合うなかで、「丁寧」に生きていくなかにしか自分自身は存在しないのかもしれません。

しかし、そんなヘタレ小僧に声をかげてくださり、ホンマにありがとうございました!
そうした薫陶に薫陶される学者といいますか教育者といいますか倫理学者(ホンマは神学者だろ?)の身の幸福を実感する宇治家参去です。

で……引証しとかないと宇治家参去ではございませんでしょ?

ということで、ひとつ。
ルネサンス初期の人文学者・文学者・詩人のペトラルカ(Francesco Petrarca,1304-1374)の言葉にでも耳を傾けてみましょうか。

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 私はふんだんに範例を用いますが、それはすぐれた本物の範例です。しかも、私の思いちがいでなければ、こころよさとともに権威の宿っているような範例なのです。その使用をもっと控えることもできるように、という人もいます。たしかに、私も範例なしですますこともできましょう。いな、沈黙することだってできるでしょうし、おそらくそのほうが賢明でしょう。
 しかし、こんなにおびただしい現代世界の諸悪、こんなに多くの破廉恥のあだいにあっては、とても黙ってはいられません。私はまだ諷刺的な作品を書いたことがありませんが、この一事を見ても、私は充分に忍耐を示したように思われます。この醜悪な現代よりはるか以前にもつぎのように書かれているのであれば、なおさらです。
  諷刺を書かずにはいられない。  (ユウェナーリス『諷刺詩集』第一歌三〇)
私はおおいに語っているし、おおいに書いてもいます。現代に益をなすためというよりも、私自身を憂慮の重荷から解放し、書くことで心を慰めるためです。現代の悲惨はすでに絶望的だからです。
 しかし、なぜ私はときとして範例をふんだんに用いるのか、ことさら範例に執着するようにみえるのか、そのわけをたずねられたら答えましょう。読者も私とおなじ考えだろうと思うからだと。
 すぐれた人たちの範例ほど私を感動させるものはありません。じっさい、みずからを高めるのは有益です。また、自分の精神にもどこか強化ところがあるか、どこか高邁で、逆境にもたじろがぬところがあるのか、みずからを欺いてはいないか、といったことを吟味するのも有益です。そしてそのための最良の方法は、万事にもっとも確かな教師である経験によるほかは、自分があやかりたいと願っている当の人びとの精神と自分の精神をくらべてみることです。こういうわけで、私の読む著作家がしばしば範例を提示してこうした吟味を可能にしてくれるなら、私はひとしく彼らに感謝をささげるのですが、そのように私の読者からも感謝されたいのです。この希望はおそらく私の錯覚ですが、いまあなたに語っていること自体は真実です。じっさいこれが、私の文体の真因の第一なのです。
    --ペトラルカ(近藤恒一訳)「範例の効用を範例で示して フラ・ジョヴァンニ・コロンナに」、『ルネサンス書簡集』岩波文庫、1989年。

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ほんとうにこういう引用と文章を書いてみたいものでございます。

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和平(やはらぎ)を求むるものは福(さいわい)なり

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日本国の天職如何、地理学は答へて曰く、彼女は東西両洋の媒介者なりと、勿言(いふことなかれ)、何ぞ簡短の甚しきや、是れ一大国民たるに恥づべからざる天職なればなり、是れ希臘国の天職たりしなり、是れ英国の天職にして彼女の強大なるは彼女が能く其天職を蓋せしが故なり、媒介者の位置、……「和平(やはらぎ)を求むるものは福(さいわい)なり、其人は神の子と称へられるべければなり」。
 地理学の指定に係る我国の天職は大和民族二千年間の歴史が不識の中に徐々として蓋しつゝありし大職ならずや。
    --内村鑑三『地人論』岩波文庫、1942年。

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無教会主義キリスト者・内村鑑三(1861-1930)が青年時代に著したのが冒頭に引用している『地人論』です。初版は『地理学考』とのタイトルで、1894年の出版されましたが、「世界の地理を一大詩篇として見たる作」と内村自身が呼ぶ異色の作品で、読んでいるとなかなか面白いところがあります。基本的には冒頭で地理学の目的が論じられ、そのケーススタディとして世界各地の風土を地理学の立場から論じているわけなのですが、やはり内村鑑三です。「二つのJ(JapanとJesus)」を持ち出すまでもなく、地政学的なスタンツと自己自身の信仰の立場から「日本という地域に住んでいるひとびとの使命・天職とは何か」をさらりと織り込んでいるところが彼らしいです。

おそらくその部分こそが内村鑑三自身がつっこんで議論したかった部分なのかもしれませんが、青年時代はそこはかとなく触れているところが一寸興味深いところです。

さて……。

「日本国の天職如何、地理学は答へて曰く、彼女は東西両洋の媒介者なり」

果たして内村の叫びから百年を超えた現在、状況はどのようなものであるのでしょうか……問うまでもない絶望的な状況にあるのかもしれません。

サブプライムローンに端を発する金融危機に関していうならば、欧米のそれにくらべると「壊滅的なダメージ」を現実は被っていないにも拘わらず、報道の有り様は、何か不安を煽る体たらく……何か意図的な誘導を感じざるを得ません。どのように生活者の視点から、世界へと、そして人々へと関わっていくべきなのか、もう一度考え直す必要が痛切に感じられ、ここ数年……隔靴掻痒な感が拭いきれない宇治家参去です。

で……。
本書はもともと、警醒社から1894年(明治27)に『地理学考』として出版されましたが、その後、改題を経て、全集に収録されました。これが手軽な文庫本として再録するのが岩波書店の岩波文庫ということになるのですが、その初版が出るのが、1942年(昭和17)6月のことであります。著名な内村研究者である鈴木俊郎の解説を付せられて出版されますが、これがちょうど歴史的に言うならば、ミッドウェー海戦前後の時代状況です。

出版業界に対する締め付け・用紙の配給が制限されるなかで、「よくぞ、出版したな」というのがもうひとつの実感です。鬼畜米英と主導されているときに、「是れ英国の天職にして彼女の強大なるは彼女が能く其天職を蓋せしが故なり」などと記された書籍が出版されたことに驚きです。

知性とか知識とはこういう形で不滅の光を放ちだすのかもしれません。

さふいえば……
いよいよ、自宅からも富士山が遠望できる季節になってきました。
これから初春まで、その容姿に楽しませてもらいます。

しかし、今日は昼から勤務校の推薦入試の試験監督なので、ぼちぼち「軽く」飲んで寝ます。二日酔いではいけませんから……。

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カフカと「本醸造 じょっぱり」の幸福な出会い

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 Kが到着したのは、夜もおそくなってからであった。村は、深い雪のなかに横たわっていた。城山は、なにひとつ見えず、霧と夜闇(やあん)につつまれていた。大きな城のありかをしめすかすかな灯りさえなかった。Kは、長いあいだ、国道から村に通じる木の橋の上に立って、さだかならぬ虚空を見上げていた。
 やがて、泊まる場所をさがしに出かけた。宿屋は、まだひらいていた。あいた部屋はひとつもなかったが、宿の亭主は、この夜ふけの客におどろき、面くらって、酒場でよければわらぶとんにでも寝かせてあげよう、と言った。Kに異存はなかった。数人の百姓たちがまだビールを飲んでいたが、Kは、だれとも口をきく気がしなかったので、屋根裏部屋から自分でわらぶとんをおろしてきて、ストーヴの近くに横になった。あたたかった。百姓たちは、静かにしていた。Kは、疲れた眼でしばらくは彼らの様子を窺っていたが、やがて眠り込んだ。
    --F.カフカ(前田敬作訳)『城』新潮文庫、平成十七年。

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高校は地元でいうところの「進学校」と称される部類に属する学校に通っておりました。もともと旧制中学からの切替になりますので、学校そのものはすでに創立百年を超えた、ある意味で「由緒ある」?学校に通っておりましたが、そのなかの親友の一人に無類の読書家がおりました。

神学校の……もとい、“進学校の読書家”などと聞けば……牛乳瓶のふたのような眼鏡をかけた読書家を想像しがちかと思いますが、決してそんな人物ではありません。
どちらかといえば、学校当局からあまり「よろしくない」とカテゴライズされる人物で、広義になりますが、むしろ「アウトロー」を地でいくようなかんじの人間です。しかしながら、眼の色かえて勉強するわけでもないのですが、成績も悪くもなく、スポーツもそれなりにこなす「ヤサ男」で、音楽と文学にかなりの蘊蓄のある「親友」のひとりでした。ブルースの良さを教えてくれたのも彼であり、「カフカが面白い」と教えてくれたのも彼のおかげです。ちなみに「ひゃっ、ひゃっ、ひゃっ!」と笑うので「ひゃひゃ夫(お)」とか「御(お)ひゃひゃ」り呼ばれたいたのが懐かしい思い出です。

さて、確か、高校二年の夏の頃だったかと思いますが、彼が薦めてくれたのが、フランツ・カフカ(Franz Kafka,1883-1924)の小説です。詳しくはカフカの作品を紐解いて戴くと幸いなのですが、カフカを評するキーワードをぽつぽつだすならば、「不安」、「孤独」ということになるでしょうし、その非現実的で幻想的な作品には、独特の「不条理」さに満ちあふれております。通俗的な分類でいくならば(しかしながら実はそれに収まりきらない射程を秘めているとは思いますが)、いわゆる「実存文学」の先駆者のひとりに数えられる人物で、うえに引用した作品でも、たとえば次の様な表現を眼にするとそのことが理解できるかと思います。
すなわち……

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測量師のKは深い雪の中に横たわる村に到着するが、仕事を依頼された城の伯爵家からは何の連絡もない。村での生活が始まると、村長に翻弄されたり、正体不明の助手をつけられたり、はては宿屋の酒場で働く女性と同棲する羽目に陥る。しかし、神秘的な〝城〟は外来者Kに対して永遠にその門を開こうとはしない……。職業が人間の唯一の存在形式となった現代人の疎外された姿を抉り出す。
    --裏表紙、前掲書。

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ひょっとすると、カフカを紹介してくれた「ひゃひゃ夫」は、名刺でいうならば、その存在を対象化する職業的な身分……その当時なら「進学校の高校生」……という実存規定に対して、なんらかの違和感を感じていたのかも知れません。対象を概念化することによる分断への抵抗でもいえばいいのでしょうか……そうした焦燥感をどこかにもちあわせていたのかもしれません。

薦められて読んで時は、正直、「全く理解できません」でした。
今になって考えてみると、そのときの出会いが、ドイツ文学専攻へ進ませる一助になったのではないかと思います。フランス語はもともとやっていたので専門的に勉強する必要はねえや、っていうことで、仏文には進みませんでした。しかし、哲学をやるには、近代言語ではドイツ語は必要不可欠です。それで「ドイツ文学専攻」へ進み、ドイツ語を徹底的にやろうなどと発想し、専門課程へ進級する際、「ドイツ文学専攻」へ進みましたが、結局ドイツ語はあまりものにはなりませんでしたが、カフカ、ゲーテ、トーマス・マンは徹底的に読んだ記憶が御座います。

さて……
そうした問題は、高校生だけに限られた問題ではなく、あらゆるひとびとにどこかで関わってくる問題なのかもしれません。それが言葉にならない、形にならない、苛立ち、不安、孤独となってあらわれてくるのだろうと思います。それとどのように向かい合っていくのか……その部分を自分自身としても、単なる現象として処理するのではなく、何か有機的なものとして向かい合いたいな……などと思う今日この頃です。

なぜなら、結局の所、そうしたあり方、そしてそうしたあり方を規定する制度そのものをすべてぶっ壊して、「自然状態」に「還る」ことなど不可能だからです。えてして、見直してしかるべき現状を「撃つ」際、ひとは「それ以前」の「無垢」な「自然状態」を夢想しがちですが、そんな「自然状態」など単なる「作業架設・仮説」にしか過ぎません。もちろん、問題ある現状を「肯定」しようという意味ではありませんが、生きている人間はそこを離れて生きていくことは現実には不可能なのですから、その意味では、そこに内在しながら、脱構築していく他あるまい……そういう実感です。

で……話が長くなりましたが(いつものことですが)、そういう近代人の懊悩、そして焦燥感を宇治家参去自身も教員をやりながら感じておりますが、そのひとつが、地方スクーリングを実施する際に、「履修予定者人数不足」で「不開講」というパターンです。

市井の仕事から帰ってきて、メールを開いてみると、「今回不開講はありません」とのことで、大学から「履修予定者人数一覧」が送付されてきておりました。

ぶっちゃけ、「ほっ」と胸をなで下ろしました。
12/6-7、沖縄で「倫理学」を講じる予定ですが、我ながら「倫理学マイナーだしなあ~」などと、「かなり」不安に思っていたのですが、どうやら「開講」できるようで、ほっとしました。沖縄で学を講じるのは始めてです。週頭に、石神先生と来年度のレポート課題の打ち合わせ(来年度で改訂されるので)の際、沖縄での注意事項?を結構くわしく伺いましたので、初任地ですが、なんとか無事故で遂行したいと思います。

しかしながら、ほっとすませることなく、最高の授業ができるようにがんばりましょう。

とわいえ、本日、「見たこともない」「酒」をゲットしましたので、ちょゐ飲んで、明日から頑張ります。

「本醸造 じょっぱり」(六花酒造株式会社/青森)。

一口飲んでみましたが、おもったより「いけます」ね。
淡麗なのですが、味のメリハリがはっきりとしてい、いい酒です。

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国家は個人の団体である。個人を離れて国家はないのである

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吉野作造(1878-1933)の信仰、そして人生の師匠にあたるのが本郷教会の牧師・海老名弾正(1856-1937)ですが、この人物がまたまた不思議な人物です。

東大の近くにあった本郷教会は、教会史家・山路愛山をして「書生の教会」と表現されたように、当時の学生・また卒業生が構成員のマジョリティという教会で、海老名の説教や考え方は、当時のキリスト教徒の知識人に広範な影響を与えたことで知られております。若き日の吉野作造もまたそうした一群の学生の一人であって、終生・海老名には感謝の意を表しております。

近代日本のプロテスタンティズムの歩みを振り返ってみると、海老名の影響力は大きく評価されてもよろしいわけなのですが、例えば、内村鑑三(1861-1930)や植村正久(1858-1925)の文献が岩波文庫に収録されているのに対し、海老名の場合はそのようではありません。

おそらく海老名に対する評価に起因していることと思いますが、海老名は俗に言われる「日本的」キリスト者という側面がそれなのだろうと思います。正統派の福音主義を代表する植村正久と異なり、ユニテリアンの自由主義神学の影響を受けた海老名の言説は、天皇制イデオロギーと結びつく部分があったりしますので、そのあたりなのだろうと思います。

海老名にとっては国家とは何かといった場合、まさに「至上の存在」なのだろうと思います。「嗚呼我が愛する日本帝国よ」「我は父母よりも爾を愛したり、又妻子よりも爾を愛す。爾の為には我が身体髪膚、否我が生命をも捧げて、毫も遺憾なきなり」との海老名の言葉は、そうした信条をストレートに語っている部分なのだろうと思います。

しかし、最初に「不思議な人物」と評したように、それだけが海老名の全体ではないということです。彼の信条は国家に直結する一方で、政治上・思想上の自由主義にも直結していたというところです。その影響をもろに受けたのが吉野作造なのだろうと思います。

海老名の場合、確かに国家至上主義者です。しかし、単なる国家至上主義者ではなく、国家を構成する人民の政治的自由を尊重することも忘れてはおりません。
例えば次のような言葉も残しております。

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 現今日本要路の人々は今尚ほ封建時代の旧思想に支配せられて、其遺物たる官僚政治を理想として居る。これらの人々には実に看過すべからざる二大誤謬がある。即ち(一)列国を恐れて(二)国民を尊敬せざることこれである。
 彼らは皇室の神聖の認めて居る、併乍ら果して国民の神聖を知つて居るか。此一を知つて二を知らざるは恐るべき罪悪である。
 忠君は皇室のみと心得て国民の如何は問はないやうな忠君が何の役に立つか。愛国といつても国家は愛するが人民はどうでもいゝといふ愛国はどこにある。国家は個人の団体である。個人を離れて国家はないのである。然るに此の信念なくして個人を軽蔑して顧みない者の如きは実に神の前に大なる不敬である。
    --海老名弾正「今は祈祷の時なり」、『新人』1905年10月号。

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このことは海老名にだけ限定される問題ではないのですが、明治時代の知識人には、国家的傾向と同時に、その構成員をきちんと見つめ直すという方向性が歴然とあることが多いです。そのことに驚きを隠し得ないわけです。対比的に見るならば戦前昭和期の国家主義者には、海老名のような発想を見いだすことはほとんど不可能なのですが、明治期の保守系の論客をみているとそういうところがちらほらと見受けられます。

それともうひとつ言えるのは、自分の思想と全く異なる者を「排除」しようとしないことであります。海老名は国家主義的・日本的キリスト教を説き、日露戦争においては積極的に聖戦論を展開しております。しかし、自分とまったく主義主張の異なる非戦論者とも、胸襟をわって向かい合っているところがあります。

海老名の本郷教会は、当代一流の知識人・宗教家を招いては講演を頻繁に開催しておりますが、例えば、日露戦争当時、海老名の論敵である非戦論者・木下尚江(1869-1937)を自分の教会に招いて演説をしてもらったりもするわけで、自己の信念は「譲らない」けれども、他者の信念をも「尊重」する……自分としても海老名の思想に共鳴することはできないけれど、そうしたそうした自由闊達な雰囲気には、拍手を送りたくなってもしまいます。

本郷教会には、クリスチャンのみならず、社会主義者、自由主義者たちの交流も見受けられ、そこからは初期の社会主義者も、リベラリストも、そして組合活動家も輩出しております。
そうした自由な空気を胸いっぱいに吸い込んで大正時代に活躍するのが吉野作造ということになると思いますが、そうした基礎的な部分を本郷教会、海老名弾正から学んでいったことだと思います。

明治時代を宣揚するつもりでは毛頭ありませんが、同じ「国家主義者」であったとしても、戦前昭和の人物像とはまったく違う在り方がそこにはあり、興味をそそられる今日このごろです。

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同一の肉体的感覚をともに感じている

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 しかし肉体に関してはしばしば肉体的感覚の非共同性が説かれている。他人が痛みを感じているとき、その心的な苦しみはともにすることができても、痛みそのものをまでともにすることはできぬというのである。なるほど他人の足の痛みは自分の足の痛みではない。一般に他人の肉体的感覚は自分の肉体において感ずることのできないものである。しかしそれだからといって肉体的感覚をともにするということが全然ないというのはうそである。たとえば我々がともに炎天の下に立っている時には我々はともに熱さを感ずる。我々がともに寒風に吹かれていれば我々はともに寒い。だから労働をともにする生活においては、肉体的感覚をも常に共にしているのである。かかる時我々は相手の表情を介してその肉体的な感覚を類推する、(すなわち己の同様な表情や感覚との連関と比較して比論的に同一であると推論する)というごとき回りくどいことをやっているのではない。同一の肉体的感覚をともに感じているのである。
    --和辻哲郎『倫理学 (一)』(岩波文庫、2007年)。

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日本を代表する倫理学者・和辻哲郎(1889-1960)は、美文家だと評されますが、読んでいるとそのことを常々実感します。人間の世界の機微を重々承知していたのでしょう……なかなか表現できない、アイマイな人間世界をこれほどまでにか!と思うほど、言語化するその能力には脱帽です。

人間は喜び、怒り、哀しみ、楽しむ、存在でありますが、それをどのように「共感」するのでしょうか。まったく理解できないと発想することも出来ますし、ある一面ではそれとは逆に、理解し合えるとも発想することができます。然し現実には、理解し合おうとして「回りくどいこともをやっている」場合もあるでしょうし、そのことに裏切られて、理解を拒むこともあるでしょうが、根本的には、「それとなく」「同一の肉体的感覚をともに感じている」ことも多いかと思います。

さて……そうした人間世界の喜怒哀楽の例の如く翻弄されておりまする宇治家参去です。
ちょうど、11月18日が細君との結婚記念日(入籍日)ですが、あいにく本年はその日、仕事なので、ちょい早いですが、本日祝宴を催しました。

年がら年中、金欠でございますので、細君には花を、そして、細君だけに何かをすると機嫌を損なってしまうために、息子殿にはウルトラ怪獣1匹を土産に、本日は夕刻より、国分寺の「感じのいい」ダイニングで祝宴でございます。

まえまえから気になっていた店なのですが、期待を裏切られず、喜びに満ちあふれたひとときとなりました。

本物の味・串焼・もつ鍋・鶏刺し「串焼だいにんぐ 白金」
串焼きはすべて備長炭でジューシーに焼き上げておられてい、鶏はすべて鳥取の大山鶏。
……などと書くと、飲兵衛の集合するおっさん向けの店かな?などと連想しそうですが、そうではありません。

BGMにはJAZZの流れる大人の空間で、店員さんたちも丁寧に躾られてい、きびきびとした所作が頼もしい、妥協しない雰囲気が最高です。

気が付くと結構……飲んで食っておりました。

細君曰く……

「今日は、“鶏攻め”だね」

興味のある方は是非!
JR中央線・国分寺駅北口から1分。
言い値はしておりますが、お薦めです。

「串焼だいにんぐ 白金」
国分寺本町3-4-3 茶金ビル3F
042-325-4517

……ともあれ、結婚して来週で七年目。
ありがとうございました。

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良書を読んで欲しい……

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「哲学」の授業では、ひととおりの哲学史の概観と整理がおわったので、後半はテーマ別につっこんで議論するように授業を組み立てております。そのなかで最初にやるのが「文学」の問題です。「文学」と云えば、漱石とかゲーテとか出てきそうですが、広く云うならば、「何故古典名著の読書が必要なのか」を講義するようにしております。哲学に限らず、学問とはいわば「本を読まないことにははじまらない」からです。

通俗的な対比ですが、冒頭で良書と悪書の違いを学生さんたちに議論させたうえで、「古典名著」を読むことの重要性を紹介するようにしております。

良書とはすなわち、何百年にもわたって読み継がれている古典名著ということになろうかと思いますが、それだけ「読み継がれている」にはやはり訳があります。

その部分を念入りに話し、聞き手もそれなりに納得するわけですが、実際にトルストイやゲーテを手にしてみるとチンプンカンプンでしたというリアルな問題も厳然と存在します。

そういう場合にはやはり実際上のアドバイスが必要となってきます。
まずはじめに言えるのが、古典名著とはその存在性を比喩的に喩えるなら、チョモランマとかアルプス山脈のような名峰ということです。それを読むということは登山と同じコトになりますので、「読むため」の「基礎体力」ができていない場合、古典名著とよばれる名峰を登攀することは難しいわけになります。

だから、山登りに馴れていない場合は、好きなジャンルから、「読む習慣」をつける以外に方法はありません。「読む習慣」がつけばスタートすることができると思います。

それともうひとつ重要なのが一度でやめないということです。
結構よんでいる人間でも「理解」できない場合という現実は存在します。
何故そうなるのでしょうか?

古典名著のもうひとつの側面ですが、古典名著とは、ある意味で「鐘」のようなものです。これは、読み手のキャパシティに大きく左右されてしまう部分ですが、すなわち、小さくたたけば小さく響かないし、大きく打てば大きく響く……そういうところが存在します。だから、10代の自分では理解できなかった内容であったとしても、20代になってから理解できる、また30代、40代になってから理解できるということがあるのです。

自分自身の場合もそうでした。
よく紹介しておりますがドストエフスキーの作品なんかもそうしたもののひとつで、10代、そして20代では話の筋を追うことはできたとしても、残念ながら理解するという状況には至りませんでした。それが30を超えてから改めて読み直すと、ぐんぐん引き込まれていく……そうしたところがあると思います。

そして最後にいえることですが……そしてそのことを言うのは訓戒めいて嫌なのですが、踏み込ませていただくと……古典名著こそが人間を薫育するということです。ああ、そういう議論ですかって言われそうですが、このことは、実感としても間違いないと思います。何故なら、偉大な作品には、そこに人間の成功と失敗、美と醜、そして善と悪とその中間色がみごとに描かれているからです。

古典名著への挑戦は確かに、しんどい・骨の折れる作業です。そしてその作業は一種、「修行」の趣さえ存在します。しかしながら、そうした労作業の中で、ひとりひとりの読み手が自分自身で手につかむ宝とは現実のダイヤモンド以上の輝きをもっている至宝なのだと思います。

幸福な社会を目指すと言っても、指導者が大文学を読んでいないようではお話にならないと思います。

短大で授業を聞いてくれている若い女学生たちには、本当に、大学時代に「いい本」をよんで欲しいと切に念願する宇治家参去です。

で……。
「具体的にはどのように進めればよいのですか?」

こうした質問が必ず出てきます。そこで宇治家参去は次のように答えるようにしております。すなわち……。

「ともあれ、よい本を身近においておくこと。そしてカバンに一冊いれておくこと。そうすればいつか手に取る日が巡ってきます、まずは本を手にしてみましょう」

そこから始まるのだと思います。

中国の古典『中庸』には次のような言葉があります。

「博くこれを学び、審らかにこれを問い、惜しみてこれを思い、明らかにこれを弁じ、篤くこれを行う」。

すなわち「何事でもひろく学んで知識をひろめ、くわしく綿密に質問し、慎重にわが身について考え、明確に分析して判断し、ていねいにゆきとどいた実行をする」という意味です。その材料をひろく提供してくれるのがまさに古典名著とよばれる良書たちの存在です。良書と向かい合う作業とは、単に文字を追いかけるということではなく、一書に対して「くわしく綿密に質問し、慎重にわが身について考え、明確に分析して判断し、ていねいにゆきとどいた実行をする」ことなのだと思います。そうすることで「博く」ものごとを「学ぶ」ことができるのだと思います。

そしてもうひとつおまけにいうならば、ほんの話題を対話できる友人をもつことだと思います。自分もそうですが、ほんの話をできる友人ほどありがい存在はございません。

学生生活の一こまにそうした局面をもって欲しいと思う宇治家参去でした。

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博くこれを学び、審(つまび)らかにこれを問い、惜しみてこれを思い、明らかにこれを弁じ、篤(あつ)くこれを行う。学ばざることあれば、これを学びて能くせざれば措(お)かざるなり。問わざることあれば、これを問いて知らざれば措かざるなり。思わざることあれば、これを思いて得ざれば措かざるなり。弁ぜざることあれば、これを弁じて明らかならざれば措かざるなり。行なわざることあれば、これを行ないて篤からざれば措かざるなり。人一たびしてこれを能くすれば、己れはこれを百たびす。人十たびしてこれを能くすれば、己れはこれを千たびす。果たして此の道を能くすれば、愚なりと雖も必ず明らかに、柔なりと雖も必ず強からん。

何事でもひろく学んで知識をひろめ、くわしく綿密に質問し、慎重にわが身について考え、明確に分析して判断し、ていねいにゆきとどいた実行をする。〔それが誠を実現しようとつとめる人のすることだ。〕まだ学んでいないことがあれば、それを問いただしてよく理解するまで決してやめない。まだよく考えていないことがあれば、それを思索してなっとくするまで決してやめない。まだ実行していないことがあれば、それを実行してじゅうぶんにゆきとどくまで決してやめない。他人が一の力でできるとしたら、自分はそれに百倍の力をそそぎ、他人が十の力でできるとしたら、自分は千の力を出す。もしほんとうにそうしたやり方ができたなら、たとい愚かな者でも必ず賢明になり、たとい軟弱な者でも必ずしっかりした強者になるであろう。
    --金谷治訳注「中庸・第11章」、『大学・中庸』(岩波文庫、1998年)。

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アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である

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……唯物論的に見通しの利く文化は、唯物論的により率直になったのではなく、単に低級になったにすぎない。この文化は、おのれ自身が特殊性になるのにともなって、それがかつて他の特殊性と対立した際もっていた真理の塩をも失った。この文化にその責任を問うたところで、否定されるだけで、単に文化的もったいぶりが確認されるにすぎない。しかし今日では、すべての文化的伝統が、中性化され、しつらえられた文化として、なきに等しいものになっている。ロシア人たちが自分たちはその遺産を相続したと殊勝げに喧伝しているその遺産も、取り返しのつかない過程を通じて、その大半がなくてもいいもの、不用なもの、屑となった。すると次に、文化をこういう屑として扱う大衆文化の荒稼ぎ屋たちが薄笑いしながらそれを私的できることになる。社会がより全体的になれば、それに応じて精神も物象化されてゆき、自力で物象化を振り切ろうとする精神の企ては、ますます逆説的になる。宿命に関する最低の意識でさえ、悪くすると無駄話に堕するおそれがある。文化批判は、文化と野蛮の弁証法の最終段階に直面している。アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である。そしてそのことがまた、今日詩を書くこおが不可能になった理由を語り出す認識を浸食する。絶対的物象化は、かつては精神の進歩を自分の一要素として前提したが、いまそれは精神を完全に呑み尽くそうとしている。批判的精神は、自己満足的に世界を観照して自己のもとにとどまっている限り、この絶対的物象化に太刀打ちできない。
    --テオドール・W・アドルノ(渡辺祐邦・三原弟平訳)「文化批判と社会」、『プリズメン』(ちくま学芸文庫、1996年)。

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市井の職場も、クリスマス・モチベーションの11月12日着地完了ということで指示が出ておりまして、このところ、合間をみては演出物の交換を行っております。ダサイ職場ではございますが、普通に暮らしているよりも、「季節感」だとか「記念日」とか、そういうものを「意識」させられる(=そこで稼ぐ!)部分がありますから、そのような「行事」に敏感になってしまうのは、ある意味で有難いのでしょうか……。

出勤前に、細君と息子殿が話をしていましたが、耳を傾けてみると……。

「お母さん! ○○をサンタさんに頼んでください」
「いや~」
「どうして?」
「いい子にしないから」
「いい子にしたら、頼んでくれるの?」
「ウン」

どこにでも「転がっている」ような会話でございますが、5歳の息子はサンタさんの存在を疑ってはいないようでございます。

「実はなあ、クリスマスのサンタクロースという存在はだな、ローマン・カトリックとか正教会で聖人に列せられたニコラオス(Agios Nikolaos,270-345or352)がモデルにされた、架空の人物なんだよ……」

……なんて、言いだしそうになったのですが、細君がギロリと目を剥くので、控えまして御座います。

いつかは本人が気づくことでありますから、とりあえずはふれないことにしましょう。

で……。
そういう俗信とか迷信、ないしは、根拠の疑わしいあり方に対して、太陽のような光明をもってして、白日の下にさらけだそうとしたのが、18世紀より力を持ち始めた啓蒙の力なのでしょう。

啓蒙とは何か--。
「啓蒙とは、人間がみずから招き、従ってまた自分がその責めを負うべき未成年状態から脱出することである」と述べたのはカントである(カント(篠田英雄訳)『啓蒙とは何か―他四篇』岩波文庫、1974年)。

その意味では、息子殿は、自分自身の未成年状態から、自分のちからで脱出していくことが啓蒙の階段を登ってっていくと言うことなのでしょう。

宇治家参去自身が、その階段を無理矢理登らせる必要はないのかもしれません。
無理矢理登らせてしまうというあり方そのものこそが、実は啓蒙の陥穽なのかもしれません。

上に引用したアドルノ(Theodor Ludwig Wiesengrund Adorno,1903-1969)は、盟友・ホルクハイマー(Max Horkheimer,1895-1973)とともに(徳永恂訳)『啓蒙の弁証法』(岩波書店、1990年)という書物を残しておりますが、次のような問題提起を行っております。

すなわち……

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何故に人類は、真に人間的な状態に踏み入っていく代りに、一種の新しい野蛮状態へ落ち込んでいくのか
    --アドルノ・ホルクハイマー(徳永恂訳)『啓蒙の弁証法』岩波書店、1990年。

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……という言葉です。

たしかにそうで、啓蒙の光明によって、人間の知性は蒙いあり方から啓発され、自由に解き放たれることによって、人間は真の自由を獲得する……それが自然科学の発展と手を携え、進歩神話によって、20世紀にいたるまで、人間を「魔術」や「詐術」から「解放」するなどというスローガンのもとに人間に光があてられてきたわけですが、現実には、人間を自由にするはずのテクノロジーが人間自身を蝕んでしまう状況になってしまったというところです。

文明化とか文化生活という標語が実は、一種の野蛮状況を招いてしまったという陥穽とでも言えばいいでしょうか。

そういうジレンマがあります。

おもえば、ユダヤ人の大量虐殺も啓蒙主義的理念である「合理化」というあり方がなければ大量に「処理」することはできなかったわけです。ユダヤ人を「大量」に運ぶ列車の手配、燃料の準備、収容所の設置と施設の管理・保全……。

啓蒙主義を全否定するわけでは毛頭ありません
が……、啓蒙が一人歩きしてしまうと、なにやら、生きている人間をはなれた「プロクルテスの寝台」になってしまうのかもしれません。

サンタクロースの存在は、息子殿自身が確認するのがよいのかな?と酒をのみながら悩む宇治家参去です。

で……。
今年は寒かろうということで、先週、パシュミナのストールを注文していたのですが、本日無事に到着。思っていたよりも軽くしなやかなのに驚きです。実は、カシミヤとかウールといった素材があまり得意ではないので、マフラーはシルクを利用していたのですが、年頭の大阪でのスクーリングでの折り、運悪く?……多分飲み屋で……紛失した(持ち帰るのを忘れた?)ので、渋々カシミヤとかウールで繋いでいたのですが、やっぱり、新しいの欲しいよなってことで、新境地をということで、パシュミナに今回はチャレンジしました。

思っていたよりもけっこういいもんですね。

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 プリズメン プリズメン
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啓蒙の弁証法―哲学的断想 (岩波文庫 青 692-1) Book 啓蒙の弁証法―哲学的断想 (岩波文庫 青 692-1)

著者:ホルクハイマー,アドルノ
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軽薄さは深遠なわざである

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軽薄さ FRIVOLITÉ
軽率さ、あえてやっている気まぐれ、否、そういうふりをしていること。それはひとびとのまじめさに対する恐れ、問題の深刻さに対する恐れから出てくる。この意味において、軽薄さは深遠なわざである。
    --アラン(神谷幹夫訳)『アラン 定義集』岩波文庫、2003年。

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真面目にやらなければならないときに、真面目にやればいいのですが、それを四六時中やってしまうと、どこか息苦しくなってしまうのが人生の実情なのかもしれません。

ですから、宇治家参去は時折、不真面目?に軽薄?生きることを心がけております。聖人君主でありつづけられるのであれば、それはそれで宜しいのですが、人間という生きものは、なかなかそれを押し続けることができません。ですから、「真面目な」文学者とか哲学者というのは、自分で自分が許せなくなってしまい、自死を選択してしまったり、エピキュリアンのようにこの世から遠ざかることでその均衡を維持するよう努めるというパターンが多いような気もします。

しかしながら、生きてゐる人間は、生命活動の舞台である「生活」から「遠ざかること」を選択することは現実的には不可能です。

ですから、ときどき、Take it easy とでも申しましょうか、軽薄に背伸びをする必要があるのではないかと思います。

真面目であるとこと、そして不真面目であることは両立できるのではないでしょうか?
そう思う宇治家参去です。そして踏み込んで言うならば、その両端のみを選択するというのが、実は現実から逸脱したきわめて歪な生き方なのかもしれません。その両端の中間領域……すなわち白と黒の間の「中間色」こそもっとも重要なのだと思います。

特に近代日本のキリスト教の歴史を振り返ってみると、メインストリームとしては、道徳的に峻厳なピューリタニズムのそれとしての受容であって、そこから逸脱するあり方に、近代人の苦悩を読みとることがしばしばあるのですが、そうした慟哭・自省などを見ておりますと、本来の救いとは関係のないとまでは申しませんが、補助的なところに振り回された感もなくはないので、そのように考えることがときどきございます。

ま、ですから、時折、息抜きと称して学問から遠ざかってしまうと、「ポリティカリィー・コレクト・トークン」(村上春樹)で、細君から恫喝される日々でございます。
しかしながら、それは真面目に取り組むための燃料補給なのに~!と思うのですが、なかなか現実世界は難しい様相です。

さて……
今年は昨年よりも寒くなるのが早うございます。
10月末からコートを引っ張りだしましたが、今日はライナーまでつけてしまいました。皆様も季節の変化に十分ご注意を。

せっかくの息抜きが楽しめなくなっちゃいますもんね。

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真面目さ SÉRIEUX
重大さを予見した瞬間、人は真面目になる。真面目さには期待があるが、それを失うことを懸念してもいる。真面目さは警告する。真面目さには、その気になればいつでも軽薄になりうるというニュアンスがある。真面目さに対しては吟味を要する。重大さの方はまるで吟味する必要などないのに。したがって真面目さは外套のごとくに脱げ落ちる。ぼくは真面目だ、そいつは自分で欲しているからなのであって、いつまでもそのままではいないさ。なんとまあ、真面目さは注目を浴びることか!
    --アラン、前掲書。

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われわれの人間的条件のただ中における、どこかに

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木曜からですが、市井の職場はすでにクリスマス体制です。店内にながれるUSENもクリスマスソングのチャンネルに切り替えられ、店内の演出物もぼちぼち赤いのが目立つようにました。早いのか・遅いのか判断には迷うところですが、お歳暮とクリスマスという年末商戦の到来です。それもそのはずかもしれません。食品でいえば、この季節から春先まで鍋一色となりますが、それだけだと何かもの足らない……そこでお歳暮の立ち上げと一緒にクリスマスのモチベーションを展開しているのかもしれません。

しかし、お菓子の靴。
こんなもの売れるのかな~などと思っていると、結果としては結構売れていることにいつも驚きます。子供はやはりうれしいのでしょう。

さて、本日市井の職場へ出勤すると、これまでレジ打ちを敬遠していていたバイト君がレジをうってくれるようになっていた。思ったよりも「堂々」と打っており、人間とは「分からないもの」だなあと感嘆させられます。練習時は、及び腰でぶるぶる震えていたわけですが、まだまだ危ないところもなくはないのですが、そうした様子をおくびにも見せず?打っております。良い意味で期待を裏切ってくれたところがありがたいものでございます。

さて、売り場の様子が落ち着きましたので、久しぶりに実存主義関連の文献をぱらぱらひもといております。実存主義と言えば、「実存は本質に先だつ」「人間は自由という刑に処せられいる」って言い放ったサルトル(Jean-Paul Charles Aymard Sartre,1905-1980)がつとに有名ですが、少々過激なところがあったり、西洋中心主義の落とし穴からは逃れられなかった点で、すこし苦手な人物ではありますが、この時代の文章を読んでおりますと、つくづく実感するのが、文章が難解(そういう部分ももちろんありますが)というよりも、それだけでないというところです。すなわち読み手に読ませてしまう文章というところです。サルトルの場合はもちろん、文学者としての側面もありますので、「読ませる」文章を書くのはしごく理解できるのです。

しかしながら、概していうならば、実存主義以降の思想の営み……構造主義とかポスト構造主義のそれ……は、難解さが全面に出てきて、読ませるという部分がほとんど出てこなくなった……そういうところをひどく痛感いたします。

今日はサルトルの事実上の妻(としか表現できないのですが)ベルトラン・ド・ボーヴォワール(Simone Lucie-Ernestine-Marie-Bertrand de Beauvoir,1908-1986)の著作に目を通します。主著『第二の性』において「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」とし、女性らしさが社会的に作られた後天的に「造られた」ものでしかないと喝破したことで有名な人物です。そういう思想的な絡みもあって「事実上の妻」という関係なのですが、文章はサルトルと比べると逆に、過激というよりも、説得させられるといいますか、そういう方向で「読ませる」文章です。

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 われわれはどんな超越性を超越することも自由勝手です。われわれは何時でも、ひとつの<<他所(よそ)>>の方へ逃れることができます。ところが、この他所たるや、まだどこかに存るのです。われわれの人間的条件のただ中における、どこかに。われわれは彼女(人間の条件)から、絶対、逃げられっこありません。そして、彼女を批判するために、外側から彼女を見つめようとするどんな方法もないのです。彼女のみが言葉を可能たらしめます。善と悪が限定されるのも、彼女といっしょです。効用、進歩、危惧などという言葉が意味を持つのは、計画が、見解と目的を出現させた世界の中でしかありません。これらの言葉は、この計画を仮定こそすれ、その計画に己れを当てはめるようなまねはしますまい。人間は自分以外の人間のことなど微塵も知りません。そして、人間的なもの以外の何ひとつ夢想だにできますまい。では、いったい、人間を何に比較しようとするのですか? どんな人間が人間を批判することができるというのですか? その人はどういう名において云々するつもりでしょうか?
    --S.ボーヴォワール(青柳瑞穂訳)『人間について』(新潮文庫、昭和五五年)。

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人間の条件とは一体どこにあるのでしょうか。
「われわれの人間的条件のただ中における、どこかに」。
しかしこの人間の条件からは逃れられないようですし、それを神の視座として「外側から」見つめようとすることもできないようでございます。

その意味では不断に更新を余儀なく迫れている、関係的な概念なのかもしれません。

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教養ある食卓

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 私は娘時代からケーキや菓子パン、ドーナッツ、クッキー、それにコーヒーが大好きでした。ところが中国の友人はパンが嫌いで、日本のお米が大好きです。そうなると、米にあったおかずを作るようになります。鍋が大好き(食材の栄養が丸ごと食べられる)、お酒も大好き、すいかの種やカボチャの種、クルミやナツメなどをつまみながらお酒を飲んで、最後にご飯に漬物をのせて海苔を巻いて食べるのが大好き、日本の米は粘りがあっておいしいとニコニコです。小腹がすくと、中国茶を飲みながら、植物の種や木の実を食べるので、いつの間にか、私も菓子パンとケーキを食べることがなくなりました。
 買い物をするときは、日本語が読めないので、新鮮かどうか、手にとって確認します。加工品やレトルト食品などは一切買いません。私から見たらとてもきれいな野菜でも、よく洗うように注意されました。(中略)
 中国の友人のおかげで、私にとって、とても大切なことを学ぶことができました。食材を買うときには新鮮かどうか自分の目で確認する、パックに入っているきれいにみえる食材でもよく洗う、調理中に出てきたアクはよく取り除く、味付けは天然の調味料を使い自分で作る……。
 学んだことを実践する中で、いつの間にか添加物や合成着色料、農薬を上手に避ける方法が身に付き、日々、体が喜んでいるのを実感できるようになりました。健康に生きるためには「教養のある食生活」が必要なのです。
    --華陽『ヘルベジクッキング4 多国籍乾物料理』ユック舎、2008年。

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遅筆を直すゆえに、こうしたブログとか日記のようなかたちで、書くことのフットワークの軽快さをみにつけようとしているのですが、なかなかうまくいきませんねぇ。

週の初めに、出版物の謹呈があったのですがなかなか書き出せず。
本日、ようやく「礼状」をしたため投函しました。もっと速く出せばよかったのですが、申し訳御座いません。

ちなみに、贈って下さったのは、以下の書籍。

・小林華陽『ヘルベジクッキング2 お豆、大好き』ユック舎、2003年。
・華陽『ヘルベジクッキング3 乾物の使い方がよくわかる 手軽でおいしい 超簡単レシピ』ユック舎、2008年。
・華陽『ヘルベジクッキング4 多国籍乾物料理』ユック舎、2008年。

料理の本ですが、三冊もありがとうございます。
ちょうど、通信教育部のスクーリングを受けられた学生さんの御母堂様の著作になるのですが、今度贈りますよって、ご挨拶を頂いており、贈って下さいました。
料理に関して宇治家参去はド素人な男料理しかできませんが、読んでみますと、全頁カラーで、大変読みやすく、作ってみたくなる一冊です。これで我が家の食卓にも「教養」がもたらされること間違い無しと革新の核心でございます。

倫理学とは人間のあり方とは何かを問う学問ですが、その意味ではそこに関わってくるすべての事象が検討対象として問題となって参ります。例えば衣食住と人間はどのような関係を結んでいくべきか検討するわけです。その意味では食の問題は人間の生存とは切っても切り離せない大問題であって、日常生活の一コマだから「かえり見る必要はない」などと処理することができません。ですから、そうしたところを考えさせてくれる一冊になりそうです。

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 学んだことを実践する中で、いつの間にか添加物や合成着色料、農薬を上手に避ける方法が身に付き、日々、体が喜んでいるのを実感できるようになりました。健康に生きるためには「教養のある食生活」が必要なのです。

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食に限らず、「学んだことを実践する中で」体も心も喜ぶような「教養ある生活」に、生きる流儀を組み立て直したいものでございます。

さて……教養。
近代ドイツで形成された教養概念の形成と時を同じくして誕生するのが、いわゆる「教養市民階層」と後に表現される「教養身分」です。
貴族と市民という在来の出自による壁をうち破る形で、登場した社会階層といってよいと思います。「高級な、すなわちようようある身分」のひとびとが社会の上層を形づくるべきという観念が、ひとびとの間に広がりはじめていきます。これが18世紀後半から20世紀初頭にかけてゆっくりとひとつの固定的な階層になっていくわけです。
社会をリードすべき階層として、貴族に代表されるような出生による身分に比べると、遙かに自由度の高い階層とも思えそうですが、結局の所、そのようにはなりません。
基本的には近代に整備される大学教育における「教養」教育をうけた人間のみが構成できる階層へとなってしまったからであります。

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 フォドゥングは、帝政期のドイツの教養市民層の第一の指標として大学教育を受けた者であることをあげているが、こういう方向に教養身分の意味内容が狭められ、形式化されてゆくうえでは、なんといっても、一八一〇年のベルリン大学の設立を端緒とするドイツ大学制度の改革の意義が大きかった。この大学改革を通じて、教養理念と大学制度が結びつけられ、教養理念は生涯を通じての人格の多面的で調和的な完成という思想を革新に据えつつも、大学において学問に親しむことをその不可欠の前提条件とするようになった。同時に、そのことによって、大学教育を受けていることが教養身分の一員たることの必要条件とされることにより、そこから教養身分が極端に閉鎖的で排他的なエリート層としての性格をとみに濃くしてゆく傾向も生じたのである。
    --野田宣雄『ドイツ教養市民層の歴史』講談社学術文庫、1997年。

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本来、人格の発展とか調和を目指すべき契機であったはずの教養とか学問そのものが、人間自体を分断・疎外していってしまう。難しいものでございます。

また後日、すこし考えてみようかと思いますが、「教養ある生活」とは、そのようなものでもなかろうと思います。

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ドイツにおける教養理念の変貌へ進めたいのところですが……息切れ

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……「教養」の原語にあたるBildungやその動詞形であるbildenあるいはsich bildenが人間の精神的領域にかかわる概念としてもちいられるようになったのは、十八世紀末がはじめてではない。その源をたどれば中世の神秘主義にゆきつくし、時代をくだって敬虔主義の著作家たちもこれらの語を神の人間にたいする働きかけを表現するために使用した。そして、一八世紀の半ばころになると、これら一連の言葉は神との関係をはなれて世俗的な意味でもちいられることが多くなり、折からの啓蒙主義的思潮の高まりのなかで、Bildungは人間の知的実際的能力の開発を指す言葉として「教育」Erziehungとほとんど同義的に使用された。
 だが、十八世紀も最後の、二,三十年になるBildungなる概念の自立化がすすみ、それは「啓蒙」Aufklärungや「教育」Erziehungとは区別される、より高次の次元を獲得していった。ヴィルヘルム・フォン・フンボルトは一七九二年の著作のなかで「人間の真の目的は--みずからのもろもろの能力をひとつのまとまりある全体にむけて最高度に、しかも調和のとれた仕方で発展させることである」と書き、また、ゲーテは『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』の主人公をして「ここにあるがままのわたし自身をまったくそのままに完成させてゆくことが、わたしの若いころからの漠然とした願望であり、糸でもあったのです」と語らせている。これらの言葉は、そのころから人びとが教養という言葉に盛りこもうとしていた意味内容の核心をいちはやく大胆に定式化してみせたものとして、今日でも引用されることが多い。それらは、各人の個性の自発的な発展と完成が教養という概念の中心に据えられるようになったこと、いいかえると、職業に就くために人間の知力を開発するといった意味での教育と区別されて、教養という言葉がもちいられるようになったことを示している。
 このような意味あいの教養理念が優勢となっていく背景には、むろん、当時のドイツの精神文化における古典主義的、イデアリスムス的、新人文主義的、さらにはロマン主義的な諸潮流の高まりという事情がよこたわっていた。手近の哲学事典や歴史事典における「教養」の項目をのぞいてみても、教養理念の形成にかかわった人物として、カント、ゲーテ、ヘルダー、フンボルト、フィヒテ、シュライエルマッハー、ヘーゲル……等々、十八世紀末から十九世紀初頭にかけてのドイツ精神文化の大きなうねりを代表する詩人や思想家の名前が、ふんだんに挙げられている。ここでは、これらの一人一人についてその教養理念形成とのかかわりを論ずることはできないが、たとえばカントの批判哲学によって能動的な主観の優位が確立されたことが、あるいは、ゲーテの作品と生き方を通じてギリシア人に範をもとめて自己の個性を発展させてゆく人生の実例がしめされたことが、教養理念の形成と普及に大きく貢献したことは間違いない。
    --野田宣雄『ドイツ教養市民層の歴史』講談社学術文庫、1997年。

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……っと、入力して、さあ、教養論の続きをすすめようと思ったのですが、「一番搾りとれたてホップ」を飲んでいると、力つきてしまいました。

本来、人格の完成・個性の発展を目指す教養理念(ドイツ)が、どのように排他的なエリート集団を「飾る」理念に変貌したのか……まとめようと思っていたのですが、明日にでも改めます。

最近疲れが取れないんですよね。

今週の水曜から息子殿も、お受験?のために塾へ通うになったのですが、息子殿にまけないように自分自身も知識と向かいあっていかねばな……と思う今日この頃です。

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Book 教養市民層からナチズムへ―比較宗教社会史のこころみ

著者:野田 宣雄
販売元:名古屋大学出版会
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すんません。

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「知識」=「教養」ではないけれども、「知識」を吸収する必要性はあるんです

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対象を対象化する際に不可避的に生じてしまう二項対立のことは承知の上でも、自分自身としては、「あれか・これか」という二元論をなんとかして避けなければならないということをモットーとしております。
ちょうど、米ソ冷戦という「目に見える」二項対立があったからかもしれません、中学・高校時代の頃は、そうした二元論的な対立構造を「許容する」側面、「シカタガナイ」と受けとめる側面が意識しているにせよ、していないにせよあったのですが、やはり、ベルリンの壁の崩壊(それはちょうど高校三年生の頃ですが)は衝撃でした。それからばたばたとつづく東側諸国の共産党政権の崩壊……このことは、世界観におけるおおきな衝撃となったのは事実です。そしてその後の、(政治的・経済的にミスリードさせている)民族とか宗教の対立という現実に直面する中で、いかに多元的な価値観を、お互いに寛容していくか……このことが大きな課題となっております。

ですから……なかなかできないんですねぇ~。
分かりやすい善悪二元論とか、そうした「あれか・これか」と迫ってくる価値観の衝突において一方に安易に組みすること、そして一方を先験的(ア・プリオリ)に批判するというありかたを選択するということに対してです。

さて、前振りがいつもながい宇治家参去です。

月曜の「哲学」の講義の際、「教養」とは何かを学生たちに議論させてみました。ジョン・デューイ(John Dewey,1859-1952)のプラグマティズムとか教育改革を論じていたこともあり、自分が講じている科目が、いわゆる「一般『教養』」に当たる科目に相当しますので、「自主的」に選択した「教養」とは何か、自由に議論させてみました。

そこで出てくるのは、やはり圧倒的に多いのが、単なる知識ではない「何か」という教養観であります。たしかに、指摘されるとおり知識=教養ではありません。おそらく日本における「教養観」の基底となっているのは「大正教養主義」でしょう。漱石・夏目金之助(1867-1916)門下の阿部次郎(1883-1959)、安倍能成(1883-1966)岩波茂雄(1881-1946,岩波書店の創業者)によって唱導された教養観といってよいでしょう。肝要としては、知識や行動が個人の人格に結びついたあり方を尊んだもので、そこにおては、知識は単なる知識ではなく、人格を形成する大きな要素として尊重された考え方です。文化も鑑賞対象ではなく、人格の涵養に大きく寄与すべきという発想です。

このことに何も異論はありません。

そしてこうした発想の根はどこにあるのでしょうか。
その一つの源流は、近代ドイツで、いわば、制度化された教養観に端を発します。ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe, 1749-1832)をその源泉におき、フィヒテ(Johann Gottlieb Fichte, 1762-1814)によって定式化された教養観です。それはドイツ語の教養を意味する言葉、Bildung(英語でいうBilding)に象徴されるように、知識や歴史、文化、そしてひとびとの行動や考え方を知のレパートリーとして受容するのではなく、自己自身の人格形成(そして踏み込んでいえば、善への向上的要素の起因として)に資するように、そうした対象と向かい合う・学ぶ・べきである、という考え方であります。

このことにも何も異論はありません。
※もちろん、指摘されるまでもなく、そうした教養観(の形骸化)がドイツにおける「排他的」な「特権的」エリート集団としての教養市民層を生み出し、ナチズムの支持母体になったことに関しては後日の論をまってくださいな!(っていつになるのですか?というつっこみはご勘弁を、そして宿題が山積していることは承知しております)。

【註】がながくなりましたが、もどります。
ですから、この教養観にも異論はありません。
小さな子供をみていると理解できるとおりなのですが、知識を身につけることによって生きている世界が拡大するのは、まさにその小さな子供にとって、「喜び」にほかならないあり方なんですね。古典名著に親しみ、そして音楽を聴き、映画を鑑賞し、生きている自然の息吹を感じることで生きる勇気や意味を見出していくのだとすれば、そうしたところに以外にどこに「幸福」を求めればよいのか……などと自問しそうなぐらい、ベストなあり方のなのだと思います。おもえば、その意味で、知識や教養といったものは、その当人を「幸福」へといざなうひとつの契機なのかもしれません。

そして、教養は生活に表象されます。
何げない日常の暮らしにも、優雅さがあり、賢明さが光っていくのでしょう。だから、「教養がない」といわれると、憤激を感じるものなのだと思います。

しかし現実は大変です。
知識が先行すると「苦痛」になるし、さりとて、知識がなければ「進めない」。
そうした二律背反な状況に実は人間は置かれているのでしょう。

「ゆとり教育」もそうしたひとつの試行錯誤の結果なのかもしれません。「ゆとり教育」の罪責に関してとやかくいうのは本論ではありませんので割愛しますが、知識が「苦痛」を生み出すことに対する反省であるとすれば、その発想自体は省みられて然るべきでありますが、形式が伴わなかったところにひとつの不幸があったのかもしれません。

しかし、知識も、「教員」としての「謂い」ですが、やはり「必要不可欠」なんですね。
知識がないことことに「安住」してもらいたくないという部分です。

よくいわれますが、ある漢字が読めなかったから、そのひとには「教養」がない……などという言い方に象徴的現れる世界観ですが、それはある意味で、教養論からすれば、まったくのナンセンスです。しかし、だからといって、その漢字が読めないからといって、「開き直ってしまう」と「困ってしまう」という部分です。

ですから、最初の「あれか・これか」と二者択一を迫る議論に戻るわけですが、漢字が読めないこと=教養がない……ことでもないし、漢字が読めないこと=教養がある……状態でもないよ、そこを感じ取って欲しいなあという……すすり泣きです。

漢字で譬えましたが、知識の欠如という状況=教養がない、ということではありません。しかし、知識が欠如しているという状況=教養がない、という状況であったとしても、知識は吸収する努力を怠ってはいけないという所です。

「知識がないことイコール教養がない人ではありませんが……ね。知識を吸収し、そして自分の財産に転換できないことは……そのことをここでは教養がある・ないという議論に限定しない意味ですが……すなわち、努力を放棄した人間の構えには、何もないのかもしれませんよ」

……またまた難渋な言葉でオチを落としてしまいました。

教養めぐる議論は、初等教育をふくめ、まさに「知識」があるか・ないかの二元論の試行錯誤というのが現実の状況なのでしょう。そうした「あれか・これか」ではなく、①「知識」がないことは「恥ずかしい」ことではないし、②「知識」がないのであれば「吸収」すればよいし、そして③それを単なる「知」のカタログ的レパートリーにおわらせなければ良いのでしょう。それが「教師」の役割なのだと思います。

漢字をしらないことが教養がないことではないと「開き直らずに」、ひとつひとつの課題をこなすなかで、自分自身の財産にしていく……そこに「教養」が「滲み出てくる」ようにしたいものであります。

日本においては、知を「ひけらかす」のが、ある種、教養があるように思われていたフシがありますが、実はそうではないのでしょう。本当に教養のある人(=知識も持ち合わせ、そして知識とか人間社会での現実の錬磨によって磨かれた「智慧の人)とは、「ひけらかす」のではなく、それが「滲み出てくる」のだと思います。いくら「学問」があったとしても、家に帰ったら“野蛮人”、そうしたところには教養は存在しないのだと思います。そしてそこに本朝(という言い方がいいですかね?)の教養観の貧しさがあるのかも知れません。

自分自身への反省を含め、そうありたいものでございます。

ひとつの漢字、英単語(仏単語でもよし!)、そしてひとつの条文、覚えることは、確かにある側面からみれば「苦痛」です。しかしその痛みを自分自身の財産へと転換しゆく、そうした日々でありたい、そして受講生にそうあってほしいと願うある日の宇治家参去です。

自分自身、矛盾に充ちた、過酷な世界に「堪えながら」現実には仕事をしております。しかし世界はそれだけではない。この世界は、悲しい世界ではない。苦しい世界でもない。喜びにあふれた素晴らしい世界なのだと思います。

教養=人格のBildung(形成)観の源泉となったゲーテの母親の言葉に次のような言葉が御座います。

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生きるために学べ、学ぶために生きよ
    --ブランデス(栗原佑訳)『ゲエテ研究』(改造社、昭和12年)。

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生きるために学ぶ、そして学ぶためい生きるあり方に幸福への方途を見出したいものです。ちょうど、今日は、市井の仕事の休憩中、日本を代表する倫理学者にして、大正教養主義の論客の一人にして、オールドリベラリストと評された和辻哲郎(1889-1960)の文章を読んでいたのですが、その「解説」に目が釘付けとなってしまいました。すなわち次の一文です。

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 『ホメロース批判』においても、『原始キリスト教の文化史的意義』においても、『ポリス的人間の倫理学』においても、『孔子』においても、成立過程を明らかにしたのち、先生(引用者註--先生とは、倫理学者・和辻哲郎のこと、前掲四著も和辻の著作)は、自分の仕事はもうこれで終わった、あとは原典を読んでもらうだけだという意味のことをのべられている。この言は一見、奇異の感を与える。ところでマックス・シェラーは、『典型と指導者』という遺稿において、古典というものは、天才の作品であって、一指をも触れることをゆるさぬほど完璧のものであるけれども、しかしそれは決して晦渋なものではなく、その偉大さ・尊さは、およそ人格たるかぎり何人の眼にも明々白々のものであるが、ただ時代の距たりや文化の相違が障害となって理解を妨げているのであるから、古典を解説するものの役目は、その実質そのものの解明にあるのではなく、障害となっているものを取り除いて、その偉大さ・尊さを余人にも見えるようにすることにのみあるという意味のことをいっているが、私は、先生の右のような言も決して無責任な投げやりではなく、そこにはシェラーと相通ずる考えがひそむかと思う。達識はつねに一致するものである。私はむしろ先生に対する敬意を禁じえないのである(ここで論ずるいとまはないが『批判』は障害を取り除いて、この叙事詩の実質を我々の見うるものとなすことに成功していると思う)。
    --金子武蔵「解説」、『和辻哲郎全集 第七巻』(岩波書店、1977年)。

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常々、思う部分で、自分自身に対しても強制的な課題としているわけですが、今の学生さんたちにやってほしいのは、本当にいい本を読んでもらいというところです。つぎの言葉で自己のヘタレさを正当化するわけではありませんが、一冊の名著との出会いは、百の教師の出会いに優ると思います。そうした活字との有機的な向かい合い、そして生活への反省のなかで、教養は自分自身の血となり肉になるのだと思います。

……とか、なんとか、教養論をながし書きしながらアレですが、今日は出勤する際、またまたご恒例ですが、自宅の鍵を持参するのを忘れしまいましてございます。深夜25時に細君を起こして扉をあけてもらいました。

教養を説きながらコレですから……。

とりあえず、タイミングよくフロプレステージュのケーキを買っ帰ってきていたので、それで許してもらいましょう

……でも、本来の教養論からすれば、「物」で「人」をつる・贖罪するのは反則ですが、ちょゐ許してもらいましょう。

それが生活に内在した教養という奴で御座いますよ(苦笑)。

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【覚え書】エリ・ヴィーゼル「無関心と闘うことが至上命令」

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月曜は休日ですが、授業回数の調整の必要上、短大で哲学の講義。
おわると市井の仕事で、かえる直前に、今は別の店舗に勤務されるている方ですが、お世話になった方の仕事上での来訪あり、こ1時間ほど、現在の業務改革について談義。

帰ってくるとこの時間で考える暇がなかなかないのですが、すこし帰ってきてから資料を整理していると、これも、「忘れてはいけない内容だ」と実感しながら、入力まではしたので、ひとつどうぞ。

一杯やって、今日は寝ます。

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無関心と闘うことが至上命令
 これは、無関心に対する闘争が決定的勝利をおさめたことを意味するのだろうか?防衛手段をもたぬ者たちにとって、無関心はもはや脅威を表してはいてはいないことを?残念ながら、答えはノンてある。無関心に対する闘争はいまでもひとつの桃戦であり続ける。それは日々わたしたちに訴えかける。そして、新たなる世紀が民族と民族との歩み寄りを追求するとき、この闘争こそがその主導権を握らねばならない。
 ユダヤ人としてわたしが後ろ盾とする聖書の伝統は、わたしたちに神はその被造物とは決して隔たっていないと教えている。神は神であるがゆえに、無関心をのぞいたすべてである。神は神であり、人間はその被造物であるがゆえに、人間は無関心をのぞいたすべてとなりうる。

 ユダヤの律法や教義の注解を集めた書、タルムードの断章の多くはその美しさゆえに感動せずには読めないが、そこには、人間の探求と生命における神の積極的な関わりが描かれている。神は人間の苦悩に心動かされるのと同様に、その願望にも心動かされる。神は人間の祈りに耳を傾け、その夢に入り込む。

 エルサレムの神殿が破壊されるとき、神は涙を流す。その涙のひと粒ひと粒が、わたしたちの涙とまざりあう。神は国を追われた自らの子たちのあとを追う。その子たちと同じように、わたしたちのだれとも同じように、神は解放を待つ。その解放は全世界的なものとなるだろうし、また全世界的なものでしかありえない。そして神が人間の苦悩に心動かされるのと同様に、人間もまた神の苦しみに対して、そしてまた、いやそれ以上に、同胞の苦しみに対して心動かされるところを示さねばならない。これは、人間どうしの関係において、悪に対する無関心は善の敵であることを意味する。なぜならば無関心は、人間の尊厳を指し示し、深めうるものすべての敵だからである。極端な場合には、無関心はその主体と対象とを蝕む。無関心の虜となった者は、もはや外側の世界も、内面の宇宙も見ることがないだろう。もはやなにも目にはしないだろう。そうなれば、無関心はただ罪であるばかりでなく、罰ともなる。他人の死に対する無関心は、遅かれ早かれわたしたちを自分の死にも無関心とするだろう。どんな共同体でも、その共同体の窮乏と苦痛とに無関心であろうとすれば、しまいには自分たちの共同体のそれにも心動かされなくなるだろう。生者の無関心は、その人間の耳と口をふさぐ。つまりその人間を、よき驚きであれ、それほどよくない驚きであれ、存在の驚きに対して閉ざされたものとする。

 だからこそ無関心と闘うことが絶対的な至上命令となる--わたしたちの内部で、そしてわたしたちの周囲で。わたしたちのなかのある者にとって、これは一瞬たりとも忘れえぬ一種の脅迫概念となった。どこでもわたしの話に喜んで耳を傾けてくださる人びとのいるところで、わたしが何年も前から繰り返してきたことを、ここで言ってもよいだろうか?愛の対極にあるのは憎しみではない。無関心である。美の対極にあるのは醜さではない。無関心である。知の対極にあるのは無知ではない。それもまた無関心てある。平和の対極にあるのは戦争ではない。無関心である。生の対極にあるのは死ではない。無関心、生と死に対する無関心である。

 無関心とどう闘えばいいのか。わたしたちは教育によって無関心と戦い、思いやる心によって、そのカをそぐ。もっとも効果的な治療薬?それは記憶、いついかなるときでも記憶、である。

 以上が、新たなる世紀の到来を--もしかしたら誕生するかもしれない新たなる人類の到来をも-‐ともに待ちながら、目撃者としてのわたし、ユダヤ人としてのわたしが、日本の友に伝えたいことである。わたしたちはすでに知っている。ひとつの民族が苦しむとき、他のすべての民族もそれに傷つくことを。そして、ひとつの危険がある共同体を脅かすとき、目標となっているのは他のすべての共同体であることを--だからこそ、もはや恐怖のなかではなく、苦悩や欠乏のなかでもなく、ごく単純に希望のなかで、たがいに歩み寄る時がきているのてはないだろうか?
    --エリ・ヴィーゼル「ふたつの世界大戦を超えて --20世紀は「暴力の世紀だった。日本の友にこれだけは伝えたい」、『文藝春秋』文藝春秋、2000年1月。

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【覚え書】M.ヴェーバー 「文化科学的認識の主観的拘束」

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学問の内容そのものに対する関心は、そのひとの個人的な知的関心とか、資格取得とか必要性のからみから対面し、知的訓練を体験していくわけなんですが、そもそも、学とは何かという学問論に関しては、初学者のみならず、アカデミズムの世界でもあまり省みられない、ほそぼそとしたジャンルでございます。

いわば、学問とは何か、そしてその学問のいう「客観性」とは何か、そして学問と向かい合う此処の存在者の「主観性」とは何か、そしてそれがどのように絡み合うのか……そういう世界を探求する分野でございます。

ちょうど、修士論文のころ、宇治家参去は、近代における宗教学の誕生とキリスト教の関わり周辺を課題にしておりましたので、こうした学問論とは必然的に向かい合うことが多かったものです。

かなり引用しながらも、そして自説の典拠にする部分も多いのが、社会学者のマックス・ヴェーバー(Max Weber,1864-1920)なんですが、実は結構苦手な対象です。しかしながら、ヴェーバーの学問論(価値自由の問題)を超える労作にはなかなか出会うこともできないのが事実であります。

あまり考察できておりませんが(いつもの通りですね)、たまたま、今日、仕事の休憩中に再度読んでいると、ここは大事だなあ~という部分がありましたので、自分自身に対する覚え書としてのこしておきましょう。

来週末、勤務校の学事関係の都合のため、今週は市井の仕事が久しぶりに6連チャンなので、開いている時間を有効に使わなければならないのですが、仕事の合間に、研究やっているという状況ですねぇ~。
なんとかしないとマズイです。

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 さてこれまで述べたことの結果として判明することは、経験的なものを「法則」に還元することが科学的な研究の理想的な目的とみなさなければならないのだ、との意見に従って文化事象を取り扱うことが、「客観的」取り扱いなのだとすることは無意味であるということである。そしてその取り扱いが無意味だというのは、これまでよく主張されていたように、文化現象、また例えば精神現象というものは「客観的には」法則的に経過することがほとんどないからではなく、(一)社会的な諸法則〔例えば資本主義社会の運動法則〕を認識することは社会的に現にあるものの認識には決してならなくて、むしろそれは社会的な現実の認識のために我々の思惟が用いるさまざまの補助手段のうちの一つに過ぎないからであり、また(二)一定の個々の諸関係をとりながら、常に個別的な性質をもつ生の現実が我々に対してもつ意義を基礎としなければ、いかなる文化事象の認識も考えられないからである。ところが、この現実がいかなる意味をもつときに、またいかなる関係をとるときに、意義をもつものかは、いかなる法則でも露わにはしてくれないのである。というのは、このことは〔法則ではなく〕価値理念に拠って決定されるからである。我々は個々の場合にこの価値理念のもとに「文化」をそのときどきに応じて考察するのである。「文化」とは意味のない無限の世界の出来事のうちから切り取られ、人間の立場から意味を汲みとり、意義を与えた有限の一片なのである。
 人間がある具体的な文化を仇敵として敵視し、「自然への復帰」を望むときでも、人間にとってその文化は文化なのである。というのはこのような敵視の態度をとり得るもの、彼が具体的なその文化を自分の価値理念に係わらせて、そこからそれをあまりに「軽薄すぎる」と思うからである。ここですべての歴史的な個体は論理上必然に「価値理念」に根を下ろしていると語られる場合には、ある事象が歴史的個体を構成するための純粋に論理的にして形式的な要件のことがいわれているのである。あらゆる文化科学の先験的な前提は、我々が白紙で我々の前にあるある一定の、あるいは一般に何らかのある「文化」を価値があると思うことではなく、我々が意識的に世界に対して観点を決め、かつ、これの意味を意味づける能力と意欲とを具備した文化人である、ということである。この意味がたとえどのようなものであっても、我々は生活の場の中で人間の共存の一定の諸現象をこの意味をもとにして判断し、これらの現象が意義あるものとして、これらに(積極的にしろ、または消極的にしろ)観点を決めるよう、この意味が導くであろう。このような観点を決めたことの内容がたとえどのようなものであっても--これらの現象は我々から見て文化意義をもつものであり、それらの現象の科学的な関心はただこの意義に基づいているのである。したがって今ここで現代の論理学者の用語に賛成して、文化認識が価値理念によって制約されていることについて語るとしても、それは文化意義がただ価値ある現象にだけ分け与えられるのだ、という意見のように受けとって、きわめて大ざっぱな誤解を引き起こすことのないようにして欲しい。つまり、売淫制度は宗教や貨幣と同じ程度に一つの文化現象なのである。以上の三つがすべて文化現象であるのは、それらの存在とそれらの歴史的にとる形態とが我々の文化関心に直接にか間接にか触れるからであり、以上三つの概念で考えられている現実の断片を我々に対して意義あらしめているところの価値理念から引き出される観点の下で、三者が我々の認識意欲をそそるからであり、しかもこの理由においてのみ、かつその限りにおいてのみそうなのである。
 文化現実の認識はすべて以上述べたことから判明するように、いつも特殊個別化された観点から行われる認識である。我々が歴史家や社会研究者に対して基本的な前提条件として、彼らが重要なものを重要でないものから区別することができ、しかもかかる区別をする際、それに必要な「観点」をもつよう求めるとすれば、それは彼らが現実の諸事象を--意識的にしろ、無意識的にしろ--普遍的な「文化価値」に係わらせ、さらにこの価値によって我々から見て意義あるようなその連関を取り上げ得ることを知っていなければならない、ということを意味するに過ぎない。このような観点は「素材そのものから引き出さ」れ得る、というような意見が繰り返し現れるとしても、それ以下のことに気づいていない専門家の素朴な自己欺瞞からきていることなのである。
    --マックス・ヴェーバー(祇園寺信彦・祇園寺則夫訳)『社会科学の方法』講談社学術文庫、1994年。

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うまく世渡りをするには悪魔も時に尊敬せざる可(べか)らずサ

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 私は生来からだが非常に弱い。学校時代の体格検査はいつも丙だった。それだのに物心ついてから會(かつ)て病気といふ程の病気をしたことがない。前にも云つた通り、三十九度位の熱なら知らずに居ることが多い、少し悪寒気を覚へる気分も変だなと感ずる時は、大抵九度五分を超へて居る。今度も九度六分になつて始めて気がついた。夫(そ)れでも机に対して本を読んだり物を書いたりするに懶(ものう)くない。大抵の風邪なら夜好きな釜揚うどんの一杯を腹につめて寝れば翌朝はきつと直る。別に無理押をするつもりはなかつたが、案外からだには自信があつた。そして自分で斯(こ)んなことを考へて居た。人間は活きものだ。従て必要なものを自ら創造する、だから医者が三日かゝつてなほる筈(はず)とみた病気も一日でなほるのであらうと。今までは此流儀でどん~~押して行けたのである。
 病院にゐたとき、木下尚江君が見舞いに来られた。右の様なことを話したら、「そんなこと君の著書に書いてあつたつけ」と笑つて居られた。『斯く信じ斯く語る』の中にそんなことを書いてあつたのだ。熱があつても押して行つたり風邪も釜揚うどんで追つ払ふなどの我儘が嵩(こう)じたから斯んなことになつたのだ、チヨイ~~と来る警告を無視して思ふ存分に当り散してゐると、昨年のやうな筆禍事件も起る、今度の病気もつまりあれだネと木下君は附け加へた。だつて警告する方が間違つてゐるんで、己の方が正しいんだよ、からだの事だつて平素弱いと知つてゐるので人一倍の注意はしてゐたんだが、と答へたらそれだテ、自分が正しいだけでは通らぬよ、うまく世渡りをするには悪魔も時に尊敬せざる可(べか)らずサ、と木下君は気持よげに呵々(かか)大笑した。
    --吉野作造「転地先から〔抄〕」、『文化生活の基礎』1925年9月。

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吉野作造(1878-1933)では御座いませんが、金曜の深夜に「風邪ひいたなあ~」などと感じており、吉野作造の場合でしたら、「大抵の風邪なら夜好きな釜揚うどんの一杯を腹につめて寝れば翌朝はきつと直る」わけなのですが、宇治家参去の場合ですと「大抵の風邪なら夜好きな日本酒だとかワインでも存分に腹につめて寝れば翌朝はきつと直る」と思っておりますと、どうやらおちつきまして御座います。

吉野作造先生、ご助言ありがとうございます。
さて、吉野作造の文章を連日読んでいると、思う部分が二つあります。

ひとつ目が、吉野作造の文章は、政論(民本主義の立場からの現実の政治に対する批評)よりも、自己自身をそれとなく「ポロッ」と語っている文章が、存外に面白いということです。うえの文章もそうした吉野の日常生活をかいま見せるいったんなのだと思います。宇治家参去は、吉野作造の生まれ育った宮城の麺文化を存じませんが、おそらく幼少時より「あつあつ」の「釜揚うどん」を食することで、からだにパンチを入れ込んでいたのだろうと思います(読んでいて「うどん」が食いたくなりましたでございます)。

そしてもうひとつが、ヴォルテール(Voltaire,François-Marie Arouet,1694-1778)のいう「君の意見に賛成できないが、君が意見を述べる権利は死んでも守る」( Monsieur l'abbé, je déteste ce que vous écrivez, mais je donnerai ma vie pour que vous puissiez continuer à écrire.)」この部分です。これは自分自身も生きる上でのひとつのモットーにしておりますが、実に、理論とか理屈としてはこのことに対して至極納得するし、そうあらねばならないと思うのですが、現実には、なかなかそれが実践できない部分があるのです。

すなわち「君の意見に賛成できない」し「君自身の権利も認めない」……そういう方向に流れがちなのが現実態でございます。

しかし、吉野作造の場合、それを地でやっていく、そしてそれを意識的な問題としてではなく、自然体でやっていくところに惹かれていってしまいます。うえの文章では、弱った吉野をキリスト教社会主義者の木下尚江(1869-1937)が訪問するくだりが後半部分に出ておりますが、実はこの文章が書かれた20年前から吉野作造と木下直江は、ルソーのいう「一般意志」(国家の目的論)をめぐって喧々諤々の論争を展開し、結局、両者はものの考え方に関しては水と油のごとく相容れません。しかし、ながら人間同士の温かい交流は終生続いているわけです。おなじように、民本主義を真っ向から否定し天皇親政を説いた憲法学者に上杉慎吉(1878-1829)がいますが、上杉と吉野は東京帝大では同僚です。お互いに学説は相反するわけですが、親密な交流は終生続いたと聞いております。

そうした吉野に宇治家参去は惹かれるのかも知れません。

「うまく世渡りをするには悪魔も時に尊敬せざる可(べか)らずサ、」と木下君は、吉野作造先生にアドバイスするわけですが、言論・言説の差異を乗り越える、人間主義者・吉野作造のようにありたいものでございます。

ということですこし調子にのって?ジオラマです。

よくできているよな~あなどと思う事なかれ。
このジオラマ写真、実は1分で出来ます。
航空写真モードのGoogleマップのうえに戦車を乗せただけでございます。
カラーにするとネタバレでございます。

お酒のお陰で風邪も吹き飛ばしましたので(本来は釜揚うどんがよろしいのでしょうが)、気分転換に「琥珀ヱビス」を、マック(McDonald's,関西では「マクド」がよろしいのでしょうか)で頂いた、コカ・コーラグラスで頂きます。

うめぇぇ~。

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すべてが機能しているということ、それこそ無気味なことです

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 シュピーゲル なぜわれわれは技術によってそんなに強く抑圧されるのですか……?
 ハイデッガー 私は、抑圧されるとは言っていません。私は、われわれはまだ技術の本質に対応するいかなる道をも持ってはいないと言っているのです。
 シュピーゲル とはいえ、人はあなたに向かって全く素朴に次のように反問できるように思われます。ここで何が制されているというのか? すべては機能しているというのに。発電所は次々と建てられている。生産はどんどんはかどっている。人々は地球の高度に技術化された部分で手厚く扱われている。われわれは裕福に生活している。一体ここに何の不足があるのか? と。
 ハイデッガー すべてが機能しています。すべてが機能しているということ、そしてその機能がさらに広範な機能へとどんどん駆り立てるということ、そして技術が人間を大地からもぎ離して根無にしてしまうということ、これこそまさに無気味なことなのです。あなたがびっくりなさったかどうか知りませんが、私は月から地球を撮影した写真を見たときびっくりしてしまいました。人間を根無にするためにべつの原子爆弾などはいりません。人間の根無化はすでに存在しているのですから。われわれはかろうじてただ全く技術的な諸関係だけを持っています。今日人間が生きているところ、それはもはや大地ではありません。私は最近プロヴァンスでルネ・シャールと長い対話をしました。この人はご存じのとおり詩人であり、また抵抗運動の闘士でした。プロヴァンスでは今ロケット基地が建設されており、土地が荒らされているのは想像を絶します。詩人ルネ・シャールは決して決してセンチメンタルな人ではなく、また牧歌的なものを賛美するような人ではありませんが、その彼が私に向かって言いました。ここで進行している人間の根無化は、もし思惟と詩作とがもう一度暴力なき威力に達するということがないならば、もうおしまいですと。
    --M.ハイデッガー(川原栄峰訳)「シュピーゲル対談」、『形而上学入門』(平凡社、1994年)。

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認識論優位のこの20世紀にあって、存在とは何か、そして思惟とは何かを深く探求したのがドイツを代表する哲学者・M.ハイデッガー(Martin Heidegger,1889-1976)であります。

技術時代において、果たして存在を探求したり、思惟とは何か(詩作の可能性を含む)……などと探求することは、一見すると不毛で価値のない些末な現象のように、現実社会の人々から退けられそうですが、果たしてそうなのだろうか。

根元的探求への努力を人間が放棄してしまった場合、抑圧を抑圧と感じることができなくなってしまう人間の根無化がはじまるのでしょうか。

さて……
昨夕、外で自転車とかバイクのアレをやっておりましたので、どうやら風邪を引いた模様。しかしながら市井の職場もあるわけなのがつらいところでございます。

自然現象を深くカラダで感じながら、自然と人間に向かいあいながらも、牧歌的なセンチメンタリズムに陥いらないようにしなければならないでしょうね。

今一番儲かるのが金融工学といわれ、その世界にはすごく人気があるわけですが、この秋の一連の騒動をみてみるとなにか、むなしさを感じてしまいます。

さあ、これからレジうちです。

現金を授受しますか。

03mh

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