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反対物は互いに排除し合うものでなく相互に依存し合うもの

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個々の人間、個々の民族の特性をそのまま認めながらも、真に誉むべきものは全人類に属することによってこそきわだつのだという確信を失わぬようにしてこそ、真に普遍的な寛容の精神が最も確実に得られる。
    --ゲーテ(登張正實編訳)「文学論・芸術論」、『世界の名著38 ヘルダー・ゲーテ』中央公論社、1979年。

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今年から半期15回講義制が導入されましたので、休日であっても回数調整の都合上、出講となります。自分としては、1回1回の講義でじっくりと手が入れることができるので、それはそれでありがたく、祝祭日などで授業がふっとばされてしまうよりは、回数がきちんと保障されている方がありがたいと思っております。

ただ別の側面から見てみますと、ガチガチな感もなくはないのですが、半年余りそうした制度で講義をしていると、ひとつ痛感する部分があります。
すなわち、教員だけでなく、学生さんも「大変だな~」というのがそれであります。
世の中は祝祭日なのですが、講義に参加しなければならないという部分で、たしかに、様子を見ていると、「疲れている」とまでは表現しませんが、ふつうの平日の授業のときとは、すこしだけ雰囲気が違うような--それが何か特定することはできませんが--そうしたものを感じるある日の宇治家参去です。別にそれで、疲れて寝ているとかそういうわけではないのですけども。

さて--
いよいよ、文学と哲学の関わりの講義も締め部分をちょうど行い、ひとつのケース・スタディーとして、ドイツを代表する文豪・ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe,1749-1832)の話で締めくくりです。

なんで哲学にゲーテが出てくるのかというつっこみをさけつつですが、ゲーテの業績として一つ指摘できるのが、「世界文学」という概念の提唱です。当時のドイツはイギリスやフランスに比べると社会や産業の側面では、いわばヨーロッパ世界のなかでは後進国と見られていた地域になります。そうしたハードウェアな側面だけでなく、文化事象も、おなじように一段低いと蔑まれた時代で、当時のドイツ文学も「田舎文学」と揶揄されたようですが、ゲーテの活躍は、作品をみてもわかるとおり、そうしたドイツ文学を世界という舞台へ引き上げることに成功しました。

どこの人間が読んでも糧となる--そうした「世界」の誰もが関わることのできる「文学」の提示、それが世界文学という概念なのだろうと思います。

蔑まれたからこそ、ルサンチマン的に「勝他」するなんてことにはゲーテは無関心なのでしょう。

ゲーテにとって「勝つ」対象は「他」ではなく「自分自身」であります。

ですから、英仏への恨み節としてのドイツ(文学)の主張--などとやっているようであれば、ゲーテの作品は読まれることもなく、古典として現代受け継がれることもなかったのだと思います。

ややもすれば、所属する民族や文化の優秀性を一方的に説く方向に傾きがちなのですが、そうではなく、その特色の多様性をみとめつつ、どのように、お互いがそれを尊敬していくのか--そのことをゲーテは探究したのだろうと思います。

いうなれば、「個々の人間、個々の民族」の“多様性”と「全人類に属する」という“共通性・連帯性”とが互いに触発を与えながら、共に発展する“調和の文化”を志向したのがゲーテの歩みなのだろうと思います。ですからヒトラー(Adolf Hitler,1889-1945)はゲーテを嫌い、罵倒したのだろうと思います。

「調和」という言葉を聞くと、音階をイメージするように、何か「できあがった」静的な構造・あり方のように見られがちですが、実はそうではなく、げんじつのなかで、試行錯誤されながら、ひとびとが悩み合議しながら「創っていく」構造・あり方かもしれません--ゲーテを読んでいるといつもそのところを感じてしまう宇治家参去です。

その辺の話で締めくくり、来週は別の新しいテーマへ切り替わりです。

で……
もうひとつおまけ?に、今回も新しい試みを継続してみました。
すなわち、次の問題です。
これは、自分が教えている学生さんたちだけでなく、ひょっとすると若い世代の人々に共通している問題なのかもしれないのですが、何か感動する・決意する場合、その瞬間は落涙するほど、「心の底」から--例えば「やるぞ!」って感じで--感動・決意してくれるのですが、その持続とか実践がなかなか難しいという現象です。

この2週間前後、文学とか読書についての話題を取り扱ってきましたが、そういう話をすると、その時・瞬間は「読書に挑戦!」ということで決意してくださるのですが、なかなかその「継続」が難しいのが現実です(またこれもいうまでもありませんが、読む人間は、そんな発破をかけなくても読んでくれるのですけども)。

そこで、そのまま放置するのももったいないので、今年は、数度にわたって「先週から何かを読み始めましたか~」という問いかけをするようにしてみました。

「嫌らしい」問いかけかもしれませんが、しかし、なかなか効果的でもあったようです。一週目はぽつぽつでしたが、二週目になるとぽつぽつが増え始め……そういう情況です。
一度言ったら、ハイそれでお終いではなく、例えば読書に関して言えば、実際に本を手に取るまで、こちらが「関わり続ける」努力というのも必要なのではなかろうか……そんなところを感じた宇治家参去です。

一度言って、ハイお終い……というのは簡単なのですが、それでは駄目なのでしょう。これは読書に限られた問題ではないのだろうと思います。「関わり続ける」には労力と勇気が必要ですが、それを少しだけでも選択することで世界はがらりとかわってくるのだと思います。

むろん、学生さんだけでなく、宇治家参去も、読書といいますか、書物をたえず手放さない生活を心がけております。ともに、書物という人間の世界から何かを学び吸収していければなあと思います。

さて最後に蛇足。
月曜は昼から大雨になってしまったのですが、出勤前、すこし空に青いのが見えていたので、「傘荷物になるなあ~」と思ってそのまま大学へ。

帰るときは土砂降りですが、市井の仕事もあって、小降りになるのも待てず帰路となりました。乗り継ぎのバスが来るまでが一番大変で、ビニール傘でも買うかと悩みましたが、あの便利なビニール傘なるもの……一度使っただけで、使わなくなってしまい、家に溜まっていくという法則を見出しておりましたので、断念し、時間まで、ちょゐウマイコーヒーとケーキを出す喫茶店で小休止。

風邪は引かなかったので、うえの対応で正解のようでした。

「20世紀最後の百科全書派」(野家啓一)といわれているカッシーラー(Ernst Cassirer,1874-1945)が「人間とは何か」を探究するなかで、最後に調和を論じていたので、ひとつ紹介しておきます。「調和」とは何か特定の最高概念に諸々の「多様性」を「単一性」に「まとめ上げていく」わけではなさそうです。

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 全体的に考察した場合、人間文化は、人間の漸次的な自己解放の過程として記述することができる。言語、芸術、宗教、科学は、この過程におけるさまざまの側面である。そっれらのすべての領域において、人間は、新たな力を発見し、これを試みる--それは、彼自身の世界、「理想的」世界をきずき上げる力である。哲学は、この理想的世界における基本的統一性の探究を断念することはできない。しかし、哲学は、この統一性を単純性と混同しない。哲学は、人間のさまざまの力の間の緊張と摩擦、強烈な対立と深刻な闘争を見逃さない。これらは共通の名称のもとに一括することはできない。これらは異なった方向に向かうものであり、異なった原理に従うものである。しかし、このように多様であり、相違があることは、不和と不調和を示すものではない。あらゆるこれらの機能は、互いに補完し完全ならしめるのである。いずれも新たな限界をひらき、人間性の新たな側面を我々に示すのである。不協和は、それ自身との調和のうちにある。反対物は互いに排除し合うものでなく相互に依存し合うものである--それは「音弓と竪琴の場合における如き反対における調和」である。
    ーーE.カッシーラー(宮城音弥訳)『人間 シンボルを操るもの』岩波書店、1997年。

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