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ドイツにおける教養理念の変貌へ進めたいのところですが……息切れ

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……「教養」の原語にあたるBildungやその動詞形であるbildenあるいはsich bildenが人間の精神的領域にかかわる概念としてもちいられるようになったのは、十八世紀末がはじめてではない。その源をたどれば中世の神秘主義にゆきつくし、時代をくだって敬虔主義の著作家たちもこれらの語を神の人間にたいする働きかけを表現するために使用した。そして、一八世紀の半ばころになると、これら一連の言葉は神との関係をはなれて世俗的な意味でもちいられることが多くなり、折からの啓蒙主義的思潮の高まりのなかで、Bildungは人間の知的実際的能力の開発を指す言葉として「教育」Erziehungとほとんど同義的に使用された。
 だが、十八世紀も最後の、二,三十年になるBildungなる概念の自立化がすすみ、それは「啓蒙」Aufklärungや「教育」Erziehungとは区別される、より高次の次元を獲得していった。ヴィルヘルム・フォン・フンボルトは一七九二年の著作のなかで「人間の真の目的は--みずからのもろもろの能力をひとつのまとまりある全体にむけて最高度に、しかも調和のとれた仕方で発展させることである」と書き、また、ゲーテは『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』の主人公をして「ここにあるがままのわたし自身をまったくそのままに完成させてゆくことが、わたしの若いころからの漠然とした願望であり、糸でもあったのです」と語らせている。これらの言葉は、そのころから人びとが教養という言葉に盛りこもうとしていた意味内容の核心をいちはやく大胆に定式化してみせたものとして、今日でも引用されることが多い。それらは、各人の個性の自発的な発展と完成が教養という概念の中心に据えられるようになったこと、いいかえると、職業に就くために人間の知力を開発するといった意味での教育と区別されて、教養という言葉がもちいられるようになったことを示している。
 このような意味あいの教養理念が優勢となっていく背景には、むろん、当時のドイツの精神文化における古典主義的、イデアリスムス的、新人文主義的、さらにはロマン主義的な諸潮流の高まりという事情がよこたわっていた。手近の哲学事典や歴史事典における「教養」の項目をのぞいてみても、教養理念の形成にかかわった人物として、カント、ゲーテ、ヘルダー、フンボルト、フィヒテ、シュライエルマッハー、ヘーゲル……等々、十八世紀末から十九世紀初頭にかけてのドイツ精神文化の大きなうねりを代表する詩人や思想家の名前が、ふんだんに挙げられている。ここでは、これらの一人一人についてその教養理念形成とのかかわりを論ずることはできないが、たとえばカントの批判哲学によって能動的な主観の優位が確立されたことが、あるいは、ゲーテの作品と生き方を通じてギリシア人に範をもとめて自己の個性を発展させてゆく人生の実例がしめされたことが、教養理念の形成と普及に大きく貢献したことは間違いない。
    --野田宣雄『ドイツ教養市民層の歴史』講談社学術文庫、1997年。

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……っと、入力して、さあ、教養論の続きをすすめようと思ったのですが、「一番搾りとれたてホップ」を飲んでいると、力つきてしまいました。

本来、人格の完成・個性の発展を目指す教養理念(ドイツ)が、どのように排他的なエリート集団を「飾る」理念に変貌したのか……まとめようと思っていたのですが、明日にでも改めます。

最近疲れが取れないんですよね。

今週の水曜から息子殿も、お受験?のために塾へ通うになったのですが、息子殿にまけないように自分自身も知識と向かいあっていかねばな……と思う今日この頃です。

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すんません。

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