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「そのままにしておいて。」

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 それ自身が健康で、しかも幼児期に単純かつ自然な導き方をされてきたこの年代の少年は、どこにおいても、決して、障害や困難を回避したり、迂回したりはしない、いやそれどころか、かれは、進んでそれを求め、進んでそれを克服さえするのである。「そのままにしておいて。」と、健康な少年は、かれが通らなければならない道から、一本の木を、自分のために、転がしのけてくれようとしている父親に呼びかける。そのままにしておいて。きっとそれをのり越えてゆくから。」と。少年は、なるほど、はじめは、骨を折って、やっとのことで、それをのり越える。しかし、ともかく、かれは、自分の力で、それを越えたのである。かれのなかに、力と勇気が成長してきたのである。かれは、引返して、また新たにこの障害を越える。こうして、かれは、やがて道になにも横たわっていないかのように、軽々と、それを越えてゆくようになる。かつてはたんに活動することが、幼児を悦ばせたが、いまや一定の目的を持った行為が、少年の喜びを作る、ないし創造する。ここから、少年時代の大胆な、冒険を好む、力のもろもろの現われが、生じてくる。すなわち、洞窟や峡谷にはいりこむとか、樹木や山によじ登るとか、高い所や深い所を探るとか、森や野を彷徨うとかなどである。最も困難なことでも、容易であり、もっとも大胆なことでも、安全である。というのは、そういう行為を促す要求が、かれの心の奥底から、心情から、意志から、出てくるからである。しかし、少年を、すでにこの年代に、高いところや深い所に、また遠いところや広いところに、駆り立てるのは、たんに自分の力を計ったり、調べたり、試したり、測定したり、することだけではない。この時期に発達するところの内面的な生命の特性や要求、すなわち多様なものを一見で見渡そうとしたり、個々のものをひとつの全体のなかで見ようとしたり、特に遠くのものをてもとに近づけようとしたり、遠くにあるたくさんのものを、およびその全体を、自分のなかに取込もうとしたりする、この特性や要求が少年を駆り立てるのである。
    --フレーベル(荒井武訳)『人間の教育 (上)』岩波文庫、1964年。

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幼児教育の祖とよばれるフリードリヒ・ヴィルヘルム・アウグスト・フレーベル(Friedrich Wilhelm August Fröbel,1782-1852)の著作なんかを最近目に通しておりますが、もっとはやく、現物を手に取るべきだったと反省する日々です。

フレーベルの名前は、一般教養か選択科目のような「教育学概論」とか「西洋教育史II」のような科目で名前と概要だけは聞きかじった覚えがあるのですが、これまで実際にその著作に目を通すことはありませんでした。ただフレーベルに影響を与えたヨハン・ハインリッヒ・ペスタロッチ(Johann Heinrich Pestalozzi,1746-1827)に関しては、やや読んでおりましたが、フレーベルそのものはこの年になって初めてです。

この問題はフレーベルだけに限られた問題ではなく、あらゆる問題がそうなのかもしれません。教材とか教科書、そして理論書で触れられるそうした先人たちの名前や考え方、概念、聞きかじりとか耳学問のレベルももちろん大切なのではありますが、実際に手に取ってみないとそのコンテンツまでには至らないことを実感します。

フレーベル自身、苦労した幼年時代、そして青年時代をへるなかで初等教育に従事していくわけですが、いわば、ペスタロッチによって発想された考え方が、フレーベルによって深化・展開されたような構造で、今面白く読んでいるところです。

世界で初めて「幼稚園」(Kindergarten)を創立したのも、その園庭に、花壇や菜園を設置したのも彼の業績です。

さて、フレーベル自身は、子供の本質を、“神的なるもの”と捉えます。

人間観の問題としては、十全に賛同できるわけでもありませんが、子供の心の中にある神的なるものをどのようにのばしていけばよいのか……そこを腐心し、あれこれと悩み抜いた末に、たとえばひとつの思想、そして方法論が議論されているところには、惹かれて読んでしまいます。

もっとはやいうちに読んでおけば、子供と交流する中でのひとつのヒントになったのでは?と悔やまれますが、悔やんでもはじまらないので、これからいかしていける部分があれば、そう心がけるようにしていこうと思います。

で……。
幼稚園も終わったようで、うちのお子さん、今日は義母が東京まで迎えに来てくれましたので、彼からすると祖母とふたりで、細君の実家へ帰っていきました。
今年は、細君が年末年始忙しいので東京で年越し、帰省しません。ですが、祖父母からすると、孫だけでも一緒に過ごしたいのでしょう……わざわざサルベージしてくれました。
本人にとっては、これから一週間強、父母と離れた生活です。
泣かずに、そこで何か発見し、「決して、障害や困難を回避したり、迂回したりはしない、いやそれどころか、かれは、進んでそれを求め、進んでそれを克服さえする」道を歩んで欲しいと思います。

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