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鉄の出ずる山に生ずる奇しき物あり

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宇治家参去自身に似て、息子殿も、比較的よく本を読む……といっても絵本ですが……人種のようにて、ウルトラマン関係からいわゆる童話とか絵本の名作?関連まで手広く読んでいるようでございます。

そのような親バカな話題が本論ではございませんが、読むと当然、そういう内容の話になるわけで、そうした方面に関しては細君にまかせているのですけれども、「パパも、何か、“お話”してください」というので、時折ネタを仕入れながら、調理して、「お話」なるものをしております。

いま、一番熱いのが、復古神道の大成者にして国学者の平田篤胤(1776-1843)が聞き書きした『仙境異聞 勝五郎再生記聞』でございます。話としては、前者が江戸時代後期、平田が、いわゆる“神隠し”にあった童で運良くこの世にもどってきた寅吉少年にインタビューをした記録という趣で、後者は、生まれ変わり体験の綴ったという内容です。

江戸時代にマージナルにひろがり、耳目を集めた異境とこの世の接点を読んでいると、想像力がかき立てられます。

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 ○或日人々と種々の物語りの序に、中村乗高の集めたる奇談の書に、或人の女の鉄を食ふ病を煩ひたる由を語りけるを聞きて、
寅吉云はく、鉄の出ずる山に生ずる奇しき物あり。生(な)り始めは山蟻の大きさにて、虫といふべき状なるが、鉄ばかりを食ふ。始め小なる時は鉄砂を食ひ、大きく成るに従ひて釘、針、火鉢何にても鉄物を食ひて育つ物なり。形は図の如く毛は針金の如し。師の此を畜(やしな)ひ置きて試みられたるに、夥(おびただ)しく鉄を食ひ馬ほどに成りて身より自然に火出でて焼け死にたりとぞ。名は何と云ふか知らず。此を麒麟なりと云ふ人もあれど、いかが有らむ。猪また此れにつきて思ひ出でたり。猿は年久しく立ちては、すさまじく大きく成りて立ちあるき、頭に長き髪を生じ、眼は殊の外に光り、自在の術を得て、さて数千年経ては身より自ら火を出して、今迄の体みな焼くるとぞ。然(さ)すれば、其の体内より別に人と然さしも異(かわ)り無く毛もなき体の出づるが、をりをりまた猿の身に成りて群猿と交はり居るなり。此は師のかゝる物の変化も見置けとて、焼けたる体内より、人形(ひとがた)して生まれ出でたるを見せられたり。此をもぬけといふとぞ。
    --平田篤胤(子安宣邦校注)『仙境異聞 勝五郎再生記聞』岩波文庫、2000年。

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文政3(1820)年、浅草観音堂の前に突如現れた少年寅吉の言葉ですが、この寅吉くん、幼い頃に山人(天狗)に連れ去られ、そのもとで生活・修行した人物のようであります。寅吉くんのもたらした異境情報に江戸の知識人たちは沸いたわけですけれども、読んでいると、そのイマジナルな光景に驚き……というよりも、屈託のない興味をそそられる宇治家参去です。
※ちなみにうえの引用文で出てくる「師」とはいわずもがな「天狗」さんのことでございます。

で……、そこで出てきたネタ?をネタにして、息子殿に「お話」をするのですが、今、熱いのが、うえで紹介してしております「鉄を食ふ物」の話題でございます。

ま、現実にはアリエナイ訳なのですが、恐怖と興味津々で聞いてくれるのが面白いところでございます。親の言葉に耳を傾けてくれるアリガタイ時期なので、「白雪姫」とか「一寸法師」だけでなく、もう少しレアなネタを探して、楽しませてやろうかな?などと思います。

しかし、その生き物がなにやらウルトラ怪獣とリンクされているようで……。

産業が発達し、世の中が落ちつき始めた江戸時代には、こうした異境奇聞が沢山存在します。そうした集話を荒唐無稽と退けることは簡単ですが、想像力をかき立てるヒントがつまっているとおもえば、まさに「宝の山」でございます。

しかし、まあ、これもサンタさんを信じている今の時代だけに通用するのでしょう。
もちろん、国学者になれはとはいいませんけれども。

そういえば、中盤以降、寅吉くんが、「師」と仰いだ「天狗」さんたちの生態が記録されておりますので、最後にひとつ。

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仙寅吉物語 二之巻
           平田篤胤筆記考按
 問ふて云はく、山人天狗なれども、夜になりて寝るか。
寅吉云はく、尋常の人と同じ様に寝るなり。我々は云ふも更なり、師は寝らるれば十日、二十日も覚めず、高いびきにてねらるゝなり。
 問ふて云はく、山人天狗などは、夜にも眼の見ゆる物なるか。
寅吉云はく、見ゆるなり。我々と云へども師の徳によりて見ゆることあり。
 問ふて云はく、山人も夢を見る事あるべきか。
寅吉云はく、我が師などはいかに有らむ知らず。我々は夢を見る事、此方に在りしにかはることなし。
 問ふて云はく、人に夢を見せ、また夢にて誨(さと)し言(ごと)する事もなる物か。
寅吉云はく、神通自在なる故に、夢を見する法もありと聞きたり。但し其の法は人の夢枕に立つこと故に、誨さむと思ふから苦しく、誨さるゝ人も甚だ苦患(くげん)なる事なりとぞ。
 問ふて云はく、山人の方へ何ぞ頼みたき事、尋ねたき事などの有る時に、高き所に上りて彼方に向かひ言ひたらむに、届くべきか。
寅吉云はく、尋常に物言ふ如く云ひては、いかほど大きなる声にても、届く事なし。神に祈願をする如く祈りいへば届くなり。
 問ふて云はく、先へ祈願の通りたる事は、いかにして知るべき。
寅吉云はく、聞き受けたる事は其の事をかなえ、夢想にても誨すべし。
 問ふて云はく、其の方に何ぞ尋ね度きことの有らむ時に、山に入りて対面し尋ねたく思ふを、然る事はなるまじきか。
寅吉云はく、それは叶はぬ事にはべり。しか自由に逢はるゝ事にては、彼の境この境の差別の立たざる故なり。
    --前掲書。

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……ってこんなこと書いている場合じゃないのですが、週末の沖縄、頑張りますでございます。

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