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「喉元過ぎれば熱さを忘れる」わけでもなく

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 人類社会のすべての構成員の、固有の尊厳と平等にして譲ることのできない権利とを承認することは、世界における自由と正義と平和との基礎であるので、
 人権の無視と軽蔑とは、人間の良心をふみにじった野蛮行為を生ぜしめ、一方、人間が言論と信仰の自由および恐怖と欠乏からの自由とを享有する世界の到来は、一般の人々の最高の願望として宣言されたので、
 人間が専制と圧迫に対する最後の手段として反逆に訴えることを余儀なくされてはならないものであるならば、人権が法の支配によって保護されることが大切であるので、
 各国間の友好関係の発展を促進することがたいせつであるので、
 国際連合の諸国民は、基本的人権、人間の尊厳および価値、ならびに男女の同権に関するその信念を憲章において再認識し、かつ、一そう大きな自由の中で社会的進歩と生活水準の向上とを促進することを決意したので、
 加盟国は、国際連合と協力して、人権および基本的自由の普遍的な尊重と遵守の促進を達成することを誓約したので、
 これらの権利と自由とに関する共通の理解が、この専制を完全に実現するためにもっとも重要であるので、
 ここに、
 総会は
 社会の各個人および各機関が、この宣言を念頭において、加盟国自身の人民のあいだにもまた加盟国の管理下にある地域の人民のあいだにも、教育によってこれらの権利と自由との尊重を促進し、かつ、国内および国際の漸進的措置によってそれらの普遍的で効果的な承認と遵守とを確保する努力をするように、すべての人民とすべての国が達成すべき共通の基準として、この世界人権宣言を、弘布する。

 第一条 すべての人間は、うまれながら自由で、尊厳と権利について平等である。人間は、理性と良心を授けられており、同胞の精神をもって互いに行動しなくてはならない。
    --高野雄一訳「世界人権宣言」、高木八尺ほか編訳『人権宣言集』岩波文庫、1957年。

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本当は理性的に、冷静に、そして深い霊性の眼(まなこ)でもってして、ものごとを省察し、判断し、行動すべきなのですが、なかなかそれができません。

職場だけでなく、自分に係わってくるあらゆる事柄に対して常に違和感を抱き、そしてぶち切れそうになるのを必死に押さえながら、憤怒で茹で蛸のような性根と闘いつつ生きている宇治家参去です。

『世界人権宣言』で謳われているが如く、「すべての人間は、うまれながら自由で、尊厳と権利について平等である。人間は、理性と良心を授けられており、同胞の精神をもって互いに行動しなくてはならない」からこそ、理性的な判断を下しながら、内面の善悪を見据え、できることから挑戦していく在り方を選択すべきなのですが、どうも理性よりも、目の前の不義に対しての理性的処理といよりも、憤怒が先行する日々で、なかなかうまく生きていくことの出来ない宇治家参去です。

これが稀代の天才・レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci,1452-1519)であったならば、ロゴス(logos・理性)とパトス(patos・感情、情熱)の美しい融合というかたちで、世に示すことが可能なのでしょうが、そうもいかないわけでございまして……、ちょうど、今朝朝刊を読んでいて憤ってしまったのですが、『新語・流行語大賞』にノミネートされた言葉がそのひとつでございます。

詳しくは以下のWebで発表されております。
新語・流行語大賞
http://singo.jiyu.co.jp/

で、どの言葉かともうしますと、「フリーチベット」という言葉でございます。

解説によると次の通り……。

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フリーチベット  3月に暴動が起きたチベットを中国人民解放軍が制圧。そんな人権を尊重しない中国にオリンピックを開催する資格があるのか!と世界中が「フリーチベット!」を叫んでいるように見えた4月、聖火リレーが各地で抗議行動にあい、このままでは五輪開催はありえないんじゃないかと本気で考えたものでした。

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「なんたるちあ」とはこのことなのでしょう。

あれだけ盛んに市井の耳目を煽った話題でございますが、結局はその程度の認識しかなかったのかい!というところでございます。

すなわち、日本のメディアからするならば、それは「ひとりの人間としての人類の問題」としてではなく、単なる“流行”語にすぎないというところでございます。

結局、流行だったのでしょうか……。
そうはないはずだと思うのですが、ノミネートさせた御仁の知性を疑うというよりも、その感性をより一層疑ってしまいます。

中華人民共和国云々、チベット亡命政府云々、以前の、知性を疑うような、そして人間性を疑うような(……という表現をとると二項対立の落とし穴に陥ってしまうのは承知ですが)、ノミネートではなかろうかと驚ゐてしまった宇治家参去です。

チベットの問題に関しては過去に書いておりますので、問題そのものに対するアプローチは控えますが、いわば“掃き捨て”の“流行”と同じように、人間の問題を……いわば、あざ笑う、ネタにする、からかう、おちょくってみる、茶化す、小馬鹿にする……そういう心根に、一時の憤怒もこえ、そして、次に出てくる憐れみをもこえ、一種の虚脱状態の宇治家参去です。

「すべての人間は、うまれながら自由で、尊厳と権利について平等である。人間は、理性と良心を授けられており、同胞の精神をもって互いに行動しなくてはならない」はずなんですが、それをできない自分自身はそれを見つめ直しながら、自省し、明日への一歩を踏み出さないといけないことは重々承知しており、なるべくそうした実践を心がけておりますが、なにか、そう……真面目に考える、生きる、そして前進することに冷や水を浴びせられたような一日でございました。

チベットの問題云々、
そして、そこに介入している中華人民共和国の問題云々、
……以前の問題だよな。

飲んで書いているので……っていつもやん! ちなみに金がないので「剣菱」ですが……すいません。

プロでもアマでもありませんが、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」わけでもなく、その熱さは“忘れない”宇治家参去でございます。

関連エントリは以下。
http://thomas-aquinas.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_0fcd.html

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