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2009年1月

人生に逆境はない。如何なる境遇に在りても、天に事へ人に仕へる機会は潤澤に恵まれている。

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 人生に逆境はない。如何なる境遇に在りても、天に事へ人に仕へる機会は潤澤に恵まれている。
  大正十三年六月念五    吉野作造
    --吉野作造「日記 二」、『吉野作造選集 14巻』岩波書店、1996年。

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吉野作造(1871-1933)続きで恐縮ですが、吉野の言葉で一番大好きな言葉を紹介します。

すなわち「人生に逆境はない」との言葉がそれでございます。

「そんなこと言われなくても~」

とか……

「エライ学者サンの“アリガタイオコトバ”でしょ?」

とか……早計すること勿れ。

実はこの吉野の言葉は、吉野作造自身が人生において最大の危機中で発せられた言葉であることに注目したいのです。

この言葉がしたためられる前の年(大正12/1923年)、吉野作造は東京帝国大学法学部教授の職を辞しております。その理由は次の通りです。

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氏(引用者注……吉野作造)は横浜の某富豪を説いて支那人、朝鮮学生の学費を出して貰つてゐたが、該富豪が自身の打撃で世話が六ケ(むつか)しくなつたので、氏は自分で費用を造らうと考へたのである。それは大学教授の収入よりも新聞社の方がズツト善い待遇を与ふるからであつた。
    --赤松克麿編『故吉野博士を語る』中央公論社、1934年。

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うえの引用は、吉野作造に「新聞社」仲介の世話をとった米田実(朝日新聞社)の言葉です。遠因は、大正12年9月の関東大震災にあるのですが、震災により横浜の素封家の留学生に対する援助が見込めなくなったため、吉野作造自身が世話をしようとのことで、収入のよい「朝日新聞社」へ入社するわけです。

しかし……。
半年もたたないうちに、筆禍事件によって、退社をよぎなくされてしまいます。

その進退窮まった際に、日記に記されたのが、一番最初の引用です。

軍部、枢密院、貴族院への容赦のない批判は、時の権力から過剰な弾圧をくらってしまい、朝日新聞自身も吉野作造を護れきれなくなってしまい、退社という運びで、「何の過失なくして乃ち失業の群に入る」(吉野日記、1930年3月21日)という、客観的にみれば、マア「どうしようもない状況の中」に投げ込まれます。

そのなかで発せられた言葉です。

しかし、吉野自身は「人生には逆境はない」との言葉どおり、このあとも使命の道を歩み通します。

身に降りかかった逆境のなかにおいても、吉野はなお「天に事へ人に仕へる」ことを使命として、まさに“生き抜きます”。
「天に事へ」とは、クリスチャンとして神に仕えることなのでしょう……、もう少し多元的な表現をとるとすれば、「真理に身を投じる」とでもいえばいいでしょうか。そして「人に仕へる」とは他人のために事をなすということなのでしょう。

このふたつは吉野の生涯における二つの人生の大指針なのですが、はからずも逆境によって表現された言葉なのだと思います。

朝日新聞退社後、社会的には不遇な状況が続きますが、吉野作造は次の手を打ち始めます。それが吉野晩年の労作となる「明治文化研究」に結実するのですが、そこでデモクラシー議論以上の、業績を後世に残すことになります。
※そこで集められた資料、そして史料に対するコメンタリーは、現代の「群書類従」と評価されております。蛇足ですが、学生支援は投資信託でがんばったようです。

大正~昭和初期にかけて盛んにデモクラシー、そして社会主義、その他種々の主張が百家争鳴の如く繰り広げられていくわけですが、その淵源としての日本の近代はどこにあるのか?

その史的、そして史料的追求が、晩年の吉野のアカデミズムの一つの結実として花開くことになります(いうまでもありませんが、現況政治への批判は死ぬまで平行しながらやりつづけます……其の意味で決して隠遁ではありません、念のため)。

で……、前振りが長くなりましたが……、これも「例の如く」ということで、“お許し下さいませ”。

ちょうど、通信教育部では、この数日が、「卒業決定」のタイミングです。

レポートは通ったか。
単位は揃ったか。

すべての総決算の時期でございます。

ちょうど……、
宮城へ調査旅行へ赴く前に、「卒業決定レポート」と雄々しくしたためられたレポートを頂戴しました。

しかし、課題票と中身が合致せず(例えば、第1課題の課題票添付に対して、内容が第2課題)、事務局に問い合わせると、「大変申し訳御座いませんが、再提出で」とのことでしたが、「急いで返して、そして再提出すれば」とのことで、取り急ぎ返却。内容的には全く問題がありませんでしたから、提出デッドラインのみでございます。

そして、東京へ戻ると、その「再提出」のレポートが手元に届いておりました。

それをみるにつけ「人生に逆境はない」と実感です。

科目によるのかも知れませんが、まだ間に合うものが多いと思います。

最後まで「あきらめずに」がんばってほしいと思います。

なぜなら「人生には逆境はない」ので、なんとかなるもんです。

あきらめるのか、それともくいつていくのかのどちらかです。

悩んでいる方がいましたら、今は悩むより、書いて出す時期です。

がんばって欲しいと念願しつつ……、出羽櫻(山形)を飲酒。

本当に最後までがんばってほしいです。

「再提出」を出した学生さん、ありがたいことに、「心遣いありがとうございます。私も本年どうしても卒業したいと考えています。最後まであきらめず、絶対勝利の一念でがんばります」との「付箋」をつけてくださいました。

その「付箋」一生涯の宝物にさせていただきます。

マジで、がんばれ!

あきらめるな!

ちなみに今日は「日本愛妻家協会」が制定した「愛妻家の日」のようです。
1月の1を"I"に見立て、「あい(I)さい(31)」とか……。

昨年、当日、細君に“ガタガタ”言われて、鉢植えを買った気がするので、今年は意趣返しで、チューリップの切り花です。

これで今回は“ガタガタ”言われることはあるまい。

例の如くですが、「世のお父様、ご亭主、伴侶、etc」様、ご用意した方が、よろしいことかと存じます。

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旨いもの・酒巡礼記:宮城編 「地酒 居酒屋 蔵」

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旨いもの・酒巡礼記:宮城編 「地酒 居酒屋 蔵」   

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私は何もいふことはありません、たゞ、吉野君から私のところへおくられた仙台の櫻が三本ばかりあります、さかずに十年、今さくかと、今年も櫻を眺め待つてゐたのに、突然吉野君の訃報をきゝまして、何の言葉もなく、感慨無量です。
    --柳田國男「故人寄贈の櫻悲し」、『帝國大学新聞』1933年3月21日付。

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吉野作造研究の途上、宮城県大崎市(旧古川市)にて、その往時を偲ぶべく、一泊しましたが、その渦中で立ち寄ったのが、表題の「地酒 居酒屋 蔵」でございます。

本当は学を論じようと思った次第ですが、「風味」を忘れないうちにと思い、取り急ぎ、「旨いもの・酒巡礼記:宮城編」として上程しましょう。

古川街中のちょうど中央部に位置したところで、ホテルから近く、地酒もそろっているとのことで、今回は調べての訪問です。

こういうのを「隠れ家」とでもいうのでしょうか。

ネットのmap類ではホテルから確かに5分程度の距離なのですが、なかなか発見できず、お陰で、40分程度、市中巡廻というやつで、それはそれで、この古川という街を堪能することができたのはありがたかったのですが、「もう今日は辞めて、違う店にするか」などと諦めて、もと着た道を戻っていると、「もしや……」、

……というわけで、無事に邂逅した一店です。

写真の通り、店の構えは奇をてらったり、ぴかぴか光らせたりという無粋な造作ではなく、市中にひっそりと「たたずむ」という表現がぴったりで、「なかで勝負します」という空気がなんともさわやかです。

まさに、一軒家の一層で店を営むという風情ですから、訪問道中で、「見落として」しまったようでございます。

さて、扉をくぐると……、
なかは、温かい空気と穏やかな光、そして清げにまとめられた仕様に、身も心も「暖められる」というやつで、(恐らく)責任者の方でしょう、言葉遣いのしっかりしたお兄さんに、誘われ、まずは、「プレミアムモルツ(生)」で喉を潤す。

ちょうどその日は、東北とはいえ風のない小春日和の温かさでしたが、やはり東京の人間には少し「肌寒さ」を覚えさせずにはいられない寒さでしたが、雰囲気に「暖められ」、ビールがうまいこと、うまいこと、疲れを忘れるかのように一気に流し込みました。

出された「お通し」もいいではありませんか。

エビの和え物、サラダ、そして温泉卵。

どれも丁寧に造られた一品です。

お店の迫力と値打ちは、この「お通し」に現れるのだろうと思います。

さて……
普通だと、生ビールを2,3杯いただいてから、日本酒へという流れなのですが、「今日は日本酒を味わう」と心に決めていましたものですから、早々に飲みほすと、

「あずまみね 岩手 純米吟醸無濾過」を頼んでから、

「この季節でこのあたりの料理だと何が旨いですか」と給仕のお姉さんに聞くと、

「白子とか、生牡蠣でしょうか」

……とのことだそうな。

宇治家参去、実は、白子と生牡蠣はNGのため、やはり、宮城は「牛」と、そして世界三大漁場のひとつとして知られる「三陸沖漁場」を有しておりますから、「天然」ものの「魚」でも、ということで、先ずは……

「牛タンの網焼き」
「天然ぶり 大とろの照り焼き」

を頼んでみる。

先に出てきたのが、牛タンですが、宇治家参去、牛タンも「あまり旨いものではない」という印象があったのですが、さっと炙ったようなのですが、なかも綺麗な焼け具合の肉と添えられた浅漬けを口に運ぶと、そうした通念が破壊されてしまいました。

「土の匂いが旨い」とはこのことなのでしょう。

味わいに舌鼓をうちつつ、手元の酒も心許ない量になってきてい、焼き物は頼んでいたので、

「日高見 宮城 吟醸」
「秋いかげその唐揚げ」

をお願いする。

さすが、米どころです。

酒は何を頼んでも、米の味わいが生きており、「口の中で、酒をふくみつつまわしながら、いただく」という感じで、じっくりとその味わいを楽しむことができました。

また二合目になりますが、この器がなんともよいではありませんか。
大きめの枡に、細かく氷を削り、ステンレスの容器に酒を、そして、グラスを氷に置き、両者を自分の目の前で冷やしながら、やる。

なんともいえません。

で……
「げその唐揚げ」って聞きますと、「飲み屋の定番で安い“とりあえず”一品シリーズ」だよなって部分がありますが、いやいやなかなかどうして……。

「蔵」の出してくれるげそにも度肝を抜かれます。
揚げたてのげそは、非常に柔らかく、そして味わいが深い。
烏賊は生でも、焼いても、煮ても、旨いのですが、旬を詰め込むように「揚げ」ていただくのも、いやはや、捨てがたいものです。

添えられた「マヨネーズ」はおそらく自家製なのでしょう。まったく「くどく」ありません。

そうこうするうちに、注文してから30分程度してから登場したのが、真打ちです。

「天然ぶり 大とろの照り焼き」さん、ありがとう!

久し振りに、(心の中で)「泣いてしまいました」です。

ぶりは比較的大好きな食材で、生(刺身・鮨)もよし、塩焼きもよし、そして照り焼きもよし、なのですが、なかなか旨い照り焼きをだすところはありません。

しかし、久し振りに本物と出会うことができたことに、感動です。

まず、厚さが違います。

スーパーなんかですと、1cm弱のぶりの切り身が百数十円で流通しておりますが、いただいたそれは、かるく2cmオーバーです。様子はまさに「照り焼き」ですが、その肉厚のある、そして時間をかけてしんまで丁寧に火を通した(変な焦げ付き全くなし)それは、まるでステーキです。

まぐろほど「くどく」もなく、さわやかな白身と、照り汁の絶妙なバランスに「脱帽」です。天然物は、身が全く崩れません。

天然の自己主張とは他者が受けとることのできる最高の褒むべき自己主張なのでしょう。

肴が一流で有れば、酒も一流が欲しいということで、

責任者のようなお兄さんに、

「メニューに乗っていないので、今日用意できるものって何かありますか?」って伺うと、

しばし談笑していたカウンター越しの板長のお兄さんが、「どういうのが好みですか?」って伺ってくれましたので、好みを少々お話しすると、

「十四代 純米大吟醸 特吟 播州 愛山、アリマスヨ」

肴の真打ちと、お酒の真打ちに乾杯(完敗)です。

最後に、「生身」もほしいよな……ということで、ライトな一品として、

「まぐろの中落ちと山芋の和えもの」

を所望して、鶉の卵と醤油をかけ回して、口の中へ。

鮮烈な山芋のしゃきしゃき感と、新鮮なまぐろの濃い味わいが、絶妙に調和され、〆の一品が完成しました。
※お薦めは刺身の盛り合わせ(2人前)でしたが、それほど量は難しいよなということで上記の一品。

これだけ飲んで食ってみると、1万いったかな~と思っていたところ、会計は6000円弱。もう少し頼んでおけばよかったと猛省すること幾千万。

ああ、また生きたい。
ああ、また逝きたい。

……そのように思う宇治家参去です。

もてなしも最高であれば、食材も最高、そして日本酒も本物の「蔵」。

なにかまた理由を造って、古川の街を訪れたい……そう思わざるを得ない最高のステージです。

ただし、「隠れ家」です。
大人のように飲みましょう。

■ 地酒 居酒屋 蔵
宮城県大崎市古川東町5-47
0229-24-9555
営業時間  17:00~00:00
(定休日) 月曜日

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131年前の今日

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 日清戦争前後の事を回想すると、現代とは大部様子が違ひ、子供心にも外国の侮りを受けたと聞かされて憤慨したり、国威を海外に輝かしたとの話に昂奮したことなど憶い出す。福島中佐の西伯利(シベリア)単騎横断(明治二十六年)はあの頃西洋でどんな風に見られて居たか知れぬが、我国では破天荒の冒険に西洋人のどぎもをぬいた痛快事として吹聴され、私共子供眼には中佐は一個世界的英雄として映じ、その一挙一動の報道には毎に熱血をわかしたものである。新聞の断片的報道を丹念に集め、地図によって覚束なき旅行談でもするとなると、学友会などは満場立錐の余地なき盛況であつた。
    --吉野作造「日清戦争前後」、『経済往来』1933年1月号。

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平成二十一年(二〇〇九)、一月二九日(木曜)、快晴。

昨日、吉野作造記念館ニテ、博士論文作成上必要不可欠ナル史料ノ調査ヲ行ヒ、無事終エル。
夕刻ヨリ、古川ノ街ヘ繰リ出シ、往時ノ息吹ニ浸ルトトモニ、日本酒ニテ、吉野作造ノ偉績ヲ独リ讃エタリ。

……ということで、早めに寝てしまったので、早めに起きてしまった宇治家参去です。

記念館では展示物を閲覧させて頂いたあと、前もって連絡していたので、クリスチャン・デモクラット吉野作造(1878-1933)が使った聖書を閲覧させて頂き、書き込み等を確認させて頂き、2,3点気になるところを伺い、生家跡を巡ってから、ホテルへ。

ホテルのとなりの酒屋で自分用のおみやげを購入し、そのあと、古川の街を彷徨いながら、飲み屋へ行き、東北の味を堪能させて頂きました。

古川は、2006年、周辺地域と合併し、大崎市と改称されておりますが、その中心をなすのが、旧古川市で、吉野作造はその地に綿屋の息子として生まれました。こざっぱりとした街で、清涼な空気とホコリ気のないたたずまいが印象的な街です。

吉野は、第二高等学校(現在の東北大学)を経て、Imperial University of Tokyoの法科大学へ進学し、あとはご存じの通り大正デモクラシーの旗手として活躍した次第です。

さて……。
何故、吉野作造の魅力に惹かれるのでしょうか。
きっかけとしては、指導教官から吉野作造でやってみなさいという契機としては外発性ですが、その著作をひもとくなかで、吉野作造でやってみる意味はあるな……というのは実感するのですが、そのひとつは、やはり吉野作造自身が「自分は善いことやっているんだぜ」という雰囲気が全くないというところでしょう。

確かにデモクラシーを説き、国際協調を説き、帝国主義に批判的な立場から中国・朝鮮問題にも容喙しております。

その意味で業績としては、たしかに「善いこと」をまあ、やっているわけですが、本人自身はちっとも善いことをやっているとはおもっていないし、うえに引用したとおりですが、長じてからは、軍国主義とか民意を反古にする翼賛体制に批判的な立場をとるわけですが、それでも、自分自身も「愛国者だった」というところを臆面もなく語る人はほとんど存在しません。ある意味で、「俺は根っからの反軍国主義者だ」という手合いは多いのですが、そうではなく、あくまでも「自然体」で語りかけるところにその魅力があるのかもしれません。

正義を語るために、作られた物語に酔うのではなく、正直に語るスタイルがどこまでもその魅力です。いかに議論としては反対者であったとしても、吉野作造はねばり強く対話を通して、相手と理解しようとした姿勢は、職業革命家の描いてみせる夢想とは遠くかけ離れたレアリストの強さと、理想を実現させようとする本物の使命観を見せてくれているように思われます。

さて本日1月29日。
今から、131年前の今日、この古川の地で吉野作造が誕生しました。
吉野作造の民本主義の思想は、主権の所在を問わない点で、確かに「理論としての限界」は存在します。デモクラシーの旗手として活躍した当時からも、その点を、右からは、天皇親政の立場からの批判(上杉慎吉)されていますし、左からは、理論の陥穽を批判(山川均)されております。

しかし、吉野作造が見出し大切にしたのは、理論そのものではないという点です。理論よりも優先されるべきは、民衆の幸福の促進という点だったことを忘れてはいけないのでしょう。

戦後、確かに体制・理論としての民主主義は確固として樹立されます。しかし、民意に耳を傾ける、そしてその幸福の増進を図る……という目的がデモクラシーの議論のなかですっぽりと抜け落ちてしまうと、状況としては「プロクルテスの寝台」(人間のサイズにベッドを合わせるのではなく、ベットのサイズに合わせるように人間をひっぱたり、切り刻んだりするというギリシア神話のエピソード)になってしまうのでしょう。

盟友・内ヶ崎作三郎は吉野の死後、「(吉野作造は)無限の親切の人」だったと語っておりますが、その人格を支え、薫育した宗教の問題を解明するのは、この無宗教性がもてはやされる現代においてこそ必要な作業なのだと思います。

ともあれ、生誕131年目を迎えた吉野作造の思想の持つ意味はいやまして大きいものだと思います。

さあ、東京へ戻りますか。

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2時間禁煙!!

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今、宮城県の古川(大崎市)へ向かっています。
古川は、吉野作造(1871-1933)の生地であり、銘酒「一の蔵」のふるさとでもあります。
もちろん前者の探究が目的ですが、2時間弱、煙草が吸えないのは応えますね。
しかも、いつもですと、「居酒屋新幹線」状態で、のっけから飲み始めて目的地へ向かうわけですが、本日はこれからが“仕事”なので飲むわけにもいかず。
※東北新幹線は全車禁煙!

すこしお勉強します。

すこしすると古川駅に到着しました……ので煙草すってから、出発!!

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やはり見終わって夢が残るものじゃなきゃだめだよ

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 ウルトラマン。
 それがはじめて誕生したのは、昭和四十一年、もういまから二十年以上も前のことだ。つくった時から、こんなに時間がたった現在でも、ウルトラマンのことは、いろんな人たちから質問される。
 
 どうやって、ウルトラマンは誕生したのですか?
 どうやって、毎週毎週、怪獣たちをうみだしたのですか?
 ありえない情景を、どうやって撮影したのですか?

 ぼくにとっても意外なことだったが、世代が代わっても愛されるウルトラマンの生命力が、いつしかぼくの経歴を代表するものになっていった。
 それはおそらく、円谷英二監督の夢にふれて、その夢の翼を自分のものにしたかったからだ、と思う。やはり、ウルトラマンに夢をたくし、視覚効果のすばらしさを愛したからだ、と思う。
 「きたならしいものはだめだよ。見ていてヘドの出るようなものや、残忍なものや、暴力だけがまかりとおるものや、気持ちのわるいものや、血まみれを売りものにするようなものはね」
 円谷さんは、くり返しスタッフたちに説いていた。
 「やはり見終わって夢が残るものじゃなきゃだめだよ。きたならしいもの、目をそむけちゃいけない現実、社会問題、……それは別のリアリズム映画がやってくれる。特撮というのはね、だれもが見たくても見れない光景や視点をつくりだすためにあるんだよ。どんな巨大な怪獣を出そうが、ミクロの細菌の世界に潜入しようが、日ごろ見られない夢を見せるようにしなきゃだめなんだよ」
 じゅんじゅんと説く、眼鏡ごしの円谷さんの微笑はほんとうに、やさしかった。いったん、撮影の現場にはいればきびしく、そして細かく目を配っていた監督も、見学に来る子どもたちにはひどく親切だったことを思いだす。
 ウルトラマンは、そんな円谷監督の愛情に育まれた、といっていい。
    --実相寺昭雄『ウルトラマン誕生』ちくま文庫、2006年。

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昨日、息子殿の塾でお勉強をしていたようなのですが、週に一度塾へいく楽しみのひとつが、近くにあるスーパー内で、ウルトラ大怪獣バトルNeoのカードゲームを2回ぐらいやらせてもらえることのようです。

それで、なにやら「珍しいカード」をゲットした模様にて、朝から「たたき起こされ」その講釈を受け、元気に登園、そして宇治家参去は元気に布団に沈没……という状況です。
昼前に起きると、細君から、昨日は面接の練習があったとのことだそうですが、「パパと何をして遊んでいますか?」との問いに対して、「怪獣ごっこ」と応えたそうな。

また、「ウルトラマンかいな」……という状況ですが、「遊んでくれない」……という声が多数を占めるなかでは、まあよしとしておきましょう。

で……。
昨日、ちょうど短大に学期末試験のため行きましたが、自分のメールBOXに封筒があり、みてみると、知己の学生さんから、近所で見つけてくださった「ウルトラマントランプ」等一式が届けられておりました。

先週、大学へよられた際、預けてくれたそうなのですが、

ありがとうございます。

これで、また息子さんも明日への活力が沸いてくること間違いなしです。

さて、冒頭は、ウルトラ・シリーズにおいて、アンチ・ヒーロー的なドラマづくりで異色の存在として知られる実相寺昭雄(1937-2006)監督の言葉です。

たしか、円谷英二(1901-1970)は、終始、特撮においては、グロテスクなものを使わないと公言しておりましたが、その言葉を紹介した部分です。

たしかに、現実の世界は、「目をそむけちゃいけない」現実であり、きたならしいものやその有象無象に満ちあふれているわけですが、特撮がそれを取り上げる必要もないんでしょう。それは「別のリアリズム映画がやってくれる」。

だからこそ、円谷プロは、「子供の夢」にこだわったのだと思います。

いつまで息子殿がウルトラマンに関わるのか知る術もありませんが、「日ごろ見られない夢」をそこで見ているのだろうと思います。

しかし、24時間ウルトラマンは、「はまりすぎだろう」と思います。
なにせ、寝言もウルトラマン関係なので……。

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たんなる計算といえども、よい思いつきを得るための欠きえない一手段にはなる

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……ところが、近ごろの若い人たちは、学問がまるで実験室か統計作成室で取り扱う計算問題になってしまったかのように考える。ちょうど「工場で」なにかを製造するときのように、学問というものは、もはや「全心」を傾ける必要はなく、たんに機械的に頭をはたらかすだけでやっていけるものになってしまったかのようにかれらは考えるのである。だが、ここで注意すべきことは、こうした人たちの大部分が、工場とか実験室でどのようなことがおこなわれているかについてなにも知っていないということである。実験室でも工場でも、なにか有意義な結果を出すためには、いつもある--しかもその場に適した--思いつきを必要とするのである。とはいえ、この思いつきというものは、無理に得ようとしてもだめなものである。もとより、それはたんなる機械的な計算などとはおよそ縁が遠い。だが、たんなる計算といえども、よい思いつきを得るための欠きえない一手段にはなるのである。
    --マックス・ヴェーバー(尾高邦雄訳)『職業としての学問』岩波文庫、1980年。

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ようやく、学期末試験終了にて、本年度の短大の講義関係すべて終了しました。
セメスター制ですから、半期15回で「何が残せたのだろうか」……などと忸怩たる部分はあるのですが、考える材料、考える仕方、そして他者との摺り合わせ方は紹介することができたのではないかと思います。

哲学とは、人間とは何か、そして(人間の住まう)世界とは何かを、言語を操って探究する学問ですので、ひとはどこからでも考え、悩み、そして生きぬくことができるのだろうと思います。

大学の学問は確かに、現状として「実験室か統計作成室で取り扱う計算問題」のようなところは厳然として存在します。その最も遠いところに位置するのが、哲学とかそうした根本学になるのですが、それでも「計算問題」も無駄ではないのだろうと思います。

要はそこからどうしていくのか。

その部分にかかっていくのでしょう。

愚者は退き賢者はよろこぶのが道理です。

その意味で、小さな賢者たちにとっては、「たんなる計算といえども、よい思いつきを得るための欠きえない一手段にはなる」のだろうと思います。

そのきっかけを学んで頂けたのであれば、所定の目的を達成したのではないかと思います。

試験、お疲れ様でした。

しかし!

試験は、受ける方も大変なのは体感的に理解しておりますが、しかし! 実は採点し、成績をつけるのも、それ以上に大変です!

試験の1時間は、ぼんやりすごしておりましたが、これからが自分の試験時間……のようですね。

とほほのほい!

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異邦人についての「それは私の責任である」というこのあり方

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 他の人間に対する有責性というかたちでの、他の人間の近接性はそれゆえ、「現前化」が、知として、そこから引き出しうるものとは別の仕方で意味することになる。ひとりひとりが自分に対して意味する内的な再-現前化とは別の仕方で意味することになる。人間性の究極にして固有の意味は、顕現されるものとしてであれ、顕現する作用としてであれ、覆いを剥がされた真理としてであれ、知のイエシスとしてであれ、他者に対してあるいはおのれに対しておのれをさらけ出すことであると、いうのは確かなことなのだろうか。人間がそれであることができるものを超え、人間がおのれをそれとして示すことができるものを超えては人間は意味を持つことはできないというのは確かなことなのだろうか。そのような意味は、最初に到来するものの顔のうちに、その他者としての未知性のうちに住まっているのではあるまいか。その他者が私の助力を呼び求め、私に有責性を課すのは、まさにそのことが他者の異邦人性(étrangeré)と深く結びついているからではあるまいか。異邦人が私に課すこの有責性、異邦人についての「それは私の責任である」というこのあり方は、私が「舞台に登場する」ときの、神が私の観念に到来するときの仕方ではないのだろうか。神はその要請によって私を審問しつつ異邦人を愛され、その要請に対して私が「私はここにおります」(me voici)と返答することによって私は神の証人となるのではないだろうか。
    --エマニュエル・レヴィナス(内田樹訳)「意味についての覚え書き」、『観念に到来する神について』国文社、1997年。

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さすがに四日も仕事を休んで、いきなり市井の職場へ放り出されて、四時間も連続して食品レジをうち続けると、まあ、それは堪える一日になるわけですが、お客様をお待たせするわけにもいきませんし、マネジャーとしての賃金に見合った働きという意味でも「それは私の責任である」という仕方で「応え」ませんと問題がある訳なので、本来(しかし現実世界に対する、そもそも「本来」ってナンダ?)のマネジメント業務を横に置いて、今日はがっつり、副業務の一日です。

しかし、それはそれで、なんといいますか、ある意味で、現実世界への復帰の強烈なリハビリとなり、まあ、それはそれでよしとしながら、晩酌に酔う宇治家参去です。

で……。
今日、レジを打っていると、私は知らないのですが、どうも私をしっているお客様のようにて、「私の古傷」を心配してご指摘下さるお婆様がひとり。

「私の古傷」とは何ぞや……というところですが、宇治家参去、実は自転車転倒にて、過去3回ほど、腕の骨を折る・ヒビが入るという過酷な経験をしているのですが、その3回目をやったのが、ちょうど一年半前のことです。

ちょうど、市井の職場の送別会か何かで、しこたま酒を呑み、ほろ酔い?気分で、自転車で爆走して帰宅した結果、自宅の直前にて転倒。

「いてぇ~なあ」

……と思うよりも、

「着ていたコート大丈夫かな?」

……と思う程度で、そのまま布団へ合体したわけですが、起きてみると、激しい痛みが左肘をかけめぐり、どうしようもないので病院へ行くと「折れています」とのことにて……固定し、鎮痛剤をいただいて、仕事をしたものです。

しかしながら、今と同じ勤務先ですから……、

「レジ応援お願いします~」

……ってなりますと、石膏と添え木で固定し、三角巾で腕をつったまま、レジにも入らないといけないので、よく入っていたのですが……、

今日のお婆様、その時に私がおそらくレジを打った方なのでしょう……、その古傷を覚えていたようにて、

「こないだは腕が大変だったみたいけど、今度は風邪?お大事に」

やさしく声をかけて下さいました。

今日はマスクをしておりましたので、「風邪?お大事に」というわけですが、そんな古い話まで覚えていたとは驚きです。

しかもこちらとしては、まったく顔に覚えのないお客様ですので、まさしく一眼の亀のような貴重な再会です。

食品レジを打っていると、結構、常連さんなんかは顔を覚えるわけですし、いくら並んでいても、自分のレジに並ぶお客様という奇特な方もいるのですが、この方に関しては全く覚えがなく……といっても、無下に、

「えー、お宅どちら様でしたっけ?」

……などとふることもできませんので、

「いつもありがとうございます。お陰で手は良くなったのですが、この寒さですから、ちょいと風邪を引きまして……、あ、あ、大丈夫ですよ。もう治りかけてますから。お母様も、体調には十分注意してくださいね」

……と軽薄な部分もあるのですが、われながら、ぺらぺら言葉がでることに驚きです。

すると、

「わたしも、今日、手の爪を痛めちゃったんだけど、怪我とか風邪には注意しないとね」
……と会計になり、

「ありがとうございました。またお越し下さいませ」

で、クローズ。後ろにならんでいた、これまたオバチャンが、「早くせんかい、ボケ」って<眼差し>で見なさいで下さいまし。

「大変、お待たせ致しました……」

と波がおわるまで、うち続けた次第です。

さて……。
おそくら、自分が彼女に対しては、覚えもないように、まったくの<異邦人>(étrangeré)なのですが、彼女は自分に対して、何らかのイメージとか表象をもっていて「係わって」来てくださったのでしょう。それがもちろん逆の場合もあります。

しかし、そこで、そうした<異邦人>とどう向かい合っていくのか。

無下に、関係性を切断する(=有責性を放棄する)ことも簡単です。
しかし、その関係性に係わっていく(=有責性を真っ当する)ことも実は案外、簡単なことなんです。

そういう問題に対して、どう舵を切っていくのか……。
レジを打ちながら考えたある日の宇治家参去です。

しっかし、よく覚えているよなあ~というのも実感ですが、実は腕骨折3回はすべて1年の間での出来事にて(うち2回は酒気帯び)、それ以来、事故を起こしていない、自分自身も、「まあ、捨てたもんではないわな」……ということで、飲んで寝ます。なぜなら、今日はこれ以上骨折する心配が全くありませんので。

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(あっという間に……) そこは〔雪国〕であった

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 池波正太郎さんの文章が映画的である、というのは、もう定評のあるところである。
 その上に、これももう云われつくしていることかもしれないが、池波さんの文章は、『池波節』とでも呼ぶしかない、実に強烈な個性を持っている。
 これはもう、和田誠さんの「倫敦巴里」のなかで、川端康成の「雪国」をそれぞれの作家の文体描写でやったらどうなるのか、というこころみがあり、その中に池波さんの文体もあって、それがまた野坂昭如や山口瞳のものと並んで最も傑作の部類であるのを見ても分かる。
 「それは……
 文筆家・嶋村が、再び〔湯沢温泉〕を訪れるための汽車の旅であったが、〔国境〕の長いトンネルを抜けると、
 (あっという間に……)
 そこは〔雪国〕であった。」
 と……
 いうわけだ。(つい、やってしまった)
 池波さんの文章は、どこで、たまたま、どんな切れはしを目にしてもそれとわかる。著者名が欠け落ちていたところで、まるで、〔池波正太郎〕という大きなハンコが、ひとつひとつの文章にべタリとおしてあるように、一目瞭然である。
    --中島梓「解説」、池波正太郎『鬼平犯科帳 (七) 』文春文庫、2000年。

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目ざめたときは、もう四ツ(午前十時)をまわっていてが、窓障子の日射しが薄暗かった。
(昨日の冷え込みで……)
雪になったに違いない。
宇治家三去には、何かそのことがうれしく感じられた。

と……。
いうわけだ。 (つい、やってしまった)

と……いうわけで、朝起きてみると、どんよりと曇った空の下、なにやら白いものが舞っております。

本日の東京は最低気温日というわけではありませんが、空と気温と適度な湿り気の絶妙な邂逅が、冬の空に大輪を咲かせております。

おそらくつもることはないのでしょうし、つもってしまうとそれはそれで、〔大変な労力〕を消耗させてしまい、そのことを嫌悪するひとびとが多数いらっしゃることも承知の上ですが、
(雪が降る……)
というのは、わたしにとってなにものに代え難い興奮と喜びを与えてくれるものだと思います。

嗚呼、積もってくれないかねええ、〔雪国〕ほどにとはいいませんが。

さて昨日。
先日、知人が〔旨そうに〕焼酎のお湯割りをいただいているのを見て、そして、ちょゐ健康のために……と、焼酎(桜島/本坊酒造)をやってみましたが……自分には「お湯割り」は肌に合わなかったようで、結局ロックです。

あまり……意味がなかったようでございます。

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足をつけるべき大地や新しい大地を得ようと苦闘しつつある人間性との闘い

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 われわれは、哲学的理念の展開の全人類(必ずしも自分自身で哲学的研究に携わっているとはかぎらない全人類)におよぼす影響を考えるとき、次のように言わねばなるまい。
 デカルトから現代にいたるまでの、さまざまな矛盾をふくみつつも統一的な近代哲学の動きを内的に理解することによってはじめて、この現代そのものの理解も可能になる。現代の真の闘い、ただ一つの意味のある闘いは、すでに崩壊した人間性と、まだ大地に足をつけている人間性、というよりはむしろ、足をつけるべき大地や新しい大地を得ようと苦闘しつつある人間性との闘いである。ヨーロッパ的人間性そのものの本来の精神的闘いは、諸哲学の闘いとして演じられる。すなわち、懐疑的哲学--あるいはむしろ哲学ということばだけは保持しているが、哲学の課題はもたない非哲学--と、まだ生きている真の哲学とのあいだの闘いである。その<生きている>ということは、その哲学がその真正で真実な意味を得ようとし、それによって真正な人間性の意味を得ようと苦闘しているという点に見られる。潜在的な理性をそれのもつ可能性の自己理解に到達させようとし、それとともに、形而上学の可能性を真の可能性として洞察させようとすること--これこそが形而上学ないし普遍的哲学を苦労に満ちた歩みによって実現する唯一の道なのである。次の二つのいずれが真実であるかは、この課題が果たされるかいなかによってのみ決定される。すなわち、ギリシア哲学の誕生とともにヨーロッパ人にとって固有なものとなった目標(テロス)--理性が潜在的な状態から明白に顕在化する無限の運動において、そしてこの自己のもつ人間的真理と純正さによって自己を規制しようとする限りない努力によって、哲学的理性にもとづく人間であろうとし、それ以外のものにはなるまいとする目標--が単に一個の歴史的事実としての妄想にすぎないのか、したがって多くのほかの人間性と歴史性のうちの、ただ一つの具善的人間性を偶然獲得したものにすぎないのか、それとも、人間性そのもののうちにエンテレキーとして本質的にふくまれていたものが、ギリシア的人間性においてはじめて発現するにいたったのではないのか、が決定されるのである。人類一般とは本来、発生的にも社会的にも結合された多くの人間性からなる人間存在のことであるが、人間が理性的存在(理性的動物)であるとすれば、それはその全人間性が理性的人間性である限りにおいてのみそうなのである。すなわち、ただ潜在的に理性へ向けられているにすぎないか、あるいはすでに自己自身に達して明確な自覚をもち、いまや本質必然的に人間的生成を意識的にみちびいているエンテレキーへとはっきり向けられているのかの差はあるにしても、理性的人間性たるかぎりにおいてのみそうなのである。それゆえ、哲学すなわち学問とは、人間性そのものに「生得的」で普遍的な理性が開示されていく歴史的運動だといってよいであろう。
    --E.フッサール(細谷恒夫・木田元訳)『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』(中公文庫、1995年)。

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 哲学書なるものをひもとくと確かに難しく、何が書いているのか、そして何をいいたいのか理解に苦しむ局面が現実には存在します。しかしながら、ひょっとすると、その言説とは、生きた人間の足跡であり、その歴史とは生きた人間の積み重ねなのかもしれません。その意味では書中でつづられたひとつひとつの文字とは、人間の呻吟慟哭であり、歓喜であるのかもしれません。

だからこそ“読みにくい”のでしょう。

その意味では、まさに現代において哲学書をひもとく行為とは、闘いなのだと思います。

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現代の真の闘い、ただ一つの意味のある闘いは、すでに崩壊した人間性と、まだ大地に足をつけている人間性、というよりはむしろ、足をつけるべき大地や新しい大地を得ようと苦闘しつつある人間性との闘いである。

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闘いが闘いであるがゆえに、その実践には苦闘が不可避的につきまとってしまいます。しかし、それは人間の精神において必要不可欠な闘いなのだと最近思うようになりました。。

人間性なるものは、そもそもできあがった体系としての枠組みで形成される概念とは似て非なる「概念」なのだと思います。しかし、性質とか性格とか成分とかそうしたものの総体としては何か、完成したものとみてしまい、そこから逸脱するあり方を「高見」から批判し、一人正義の悦に浸ってしまうこともありますが、その行為こそ実は人間性を「損なう」ものとして機能してしまうのでしょう。

さて、冒頭の引用は、現象学運動を始めたE.フッサール(Edmund Gustav Albrecht Husserl,1859-1938)の言葉です。

現象学とは何か……。

かいつまんで大雑把にいうならば、世界や物事が、すでに仕上がって「ある」とするものの見方や態度に対して、それをいったん棚上げ(=判断停止〔エポケー,epokhế〕)し、そのような信念……それは世界に対する信念であったり、事物に対する信念……がどのようにして成り立ってきたのかを今一度再確認しようという哲学的運動です。
※フッサールによれば、エポケーの次のステップが「現象学的還元」というものですが、これに関してはまた後日。

で……。
エポケーとは命題を「カッコに入れる」ことを意味します。
言うなれば、世界という現実についての信念を一旦カッコに入れてしまい、断言を回避するアプローチを取り、そのような信念がどのようにして成立するか、そしてそのような「ある」ものとしての世界は、経験からどのように構成されるのかを探求するやり方です。ですから、世界の実在を疑うような仕方の単なる懐疑とは全く異なる方法です。

さてフッサール自身ですが、彼はユダヤ人であるがゆえに、ナチス政権によって、晩年はその活動が制限されます。
教授資格剥奪、大学への立入禁止、国内での全著作発禁……。
そうしたナチズムという前代未聞の非合理主義の嵐が吹きすさぶなか、理性の問題を今一度問い直した著作が、『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』といってもよいでしょう。

近代啓蒙主義の思潮と近代自然科学の発達はともに理性に重きを置く、いわば理性<信仰>をその根柢においています。しかし、理性は万能ではありません。はからずも、カントが理性の限界をその“二律背反”として喝破したが如く、理性にはそもそも限界があります。

しかし逆説的ですが、その限界を弁えず、観念の<信仰>として理性が一人歩きしだしたとき、近代化は一挙に開花します。ですけど、近代化という文明史的出来事は人間を、カント的にいうならば、「目的」として取り扱わず「手段」として取り扱う結果に陥ります。

こうした事態に対しては、理性に対する批判も現実には噴出してきます。
そしてその対抗軸として非理性ないしは非合理主義といってもよいかもしれませんが、そうした批判思潮も出てきます。

そうした引き裂かれた限界状況のなかで、今一度、理性の分限を弁えた上で、どのように理性を捉え直していくのか……それが晩年のフッサールの関心だったのかもしれません。
理性とどのように向かい合っていくのか。
そして、理性とか学問の定義する「人間」概念、そして「人間性」概念から、「あぶれた」対象をどのように取り扱っていくのか。

フッサールの時代批判とは、近代ヨーロッパ文化形成の史的歩みに対する批判として展開されておりますが、その史的歩みとは、「諸哲学の闘い」であり、その闘いとは、人間の理念をめぐる闘争の歴史にほかなりません。

ナチズムという非合理主義が、合理主義の「仮面」を装い、合理的に「非人間」を対象化して「処理していく」……。

そうした歴史に挑戦し、今一度、理性の可能性と、「人間とは何か」の問題をするどく提起したのがフッサール自身の苦渋に満ちた闘いなのだと思います。

晩年の著作ですが、何度も読み返すと、単なる理性批判、科学的合理性の批判以上に、人間なるものを束縛してしまう何らかのデーモン的なるものと、ひとり孤高に闘ったのが、フッサールの営みではなかろうか……などと、現象学は専門ではありませんが、……ひとりそう実感する宇治家参去です。

お陰様で不慮の事故?によって、4日ほど、お休みを頂戴しました。
最初の二日はきつかったですが、都合4日も、まあ「何もしない」休日、……まあ、気ままに本を読み、眠くなれば寝る生活というのも子供が生まれてからは初めてで、ある意味でリフレッシュできました。

明日から地獄の釜がぐつぐつと煮え立つような市井の職場……。
人間に挑戦するなかで、また自分自身の「人間」概念、「人間性」概念を、まあ言うならば、外から無理矢理拡大してくれるところなので、そのなかで、すこし、また人間に対する考察を深めていきたいな……などと思う夕暮れです。

昨日は「賀茂鶴」(賀茂鶴酒造/広島)で軽く晩酌。
なんとなく、酒に対する味覚が復活しつつあり……というところでしょうか。

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「野蛮状態へ落ち込んでいく」ぐらい理性を使いなさい

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 (一)啓蒙時代の哲学者は、人間の際限なき完成への可能性と歴史の進路を決定する人間--少なくとも啓蒙された人間--の力を信じた。そして、たとえ歴史の経過が予見もされず、あるいは意図もされなかったような結果に導こうとも、「理性の狡智」が進歩のために働いていると考えられた。科学によって啓蒙された人間は、人類を増大してやまぬ福祉へと導く未来への道を知っている。このような楽観主義にとっては歴史は実際意味をもっている。この楽観主義の点では、マルクスさえも啓蒙主義やヘーゲルと意見を一にしている。すなわち、マルクスも歴史の進路が理性によって定められていることを信じるのである。
 しかしながら、ヘーゲルは歴史というものは理性への信仰と切離して見ると、「いともおそるべき光景をつくりなし、最も深い感動と最も希望なき悲しみとをひき起す」〔K・レーヴィット前掲書五三頁〕ということを意識していた。というのは、激情と邪悪が世界史を支配する力だからである。彼は元来人間の善性と完成への可能性は信じないが、人間の不条理にもかかわらず歴史を支配する理性は信ずるのである。
 しかし、歴史が理性に対するこの信仰なしに見られる場合にはどうであろうか。人間の善性と完成への可能性とに対する信仰--それは果たして不変のまま残り得るであろうか。啓蒙主義の楽観主義--それは確乎として残り得るであろうか。例えば、リスボンの地震はおそろしいできごとであった。また、第一講において、われわれはフランス革命がその意図に反する結果に終わったことを見た。すなわち、自由な憲法の代りに軍による専制、自由な諸国民の連盟の代りに帝国主義、平和の代りに戦争がもたらされたのである〔本書三-四頁を見よ〕。さらに、十九世紀の実験の進行--それは啓蒙主義の信仰を正当化したであろうか。
    --R.K.ブルトマン(中川秀恭訳)『歴史と終末論』岩波書店、1959年。

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人間は理性の力を適性に用いることで、その知福を増大させ輝かしい未来をこの地に実現させることが可能であると、人々にその見取り図を鮮やかに示して見せたのが18世紀の啓蒙主義(Erleuchtung)の光明だったのですが、現実には、理性を使って人間はどこへ導かれたのでしょうか。

聖書学者のブルトマン(Rudolf Karl Bultmann, 1884-1976)が「ギフォード講演(Gifford Lectures)」で分かりやすく指摘している通り、「自由な憲法の代りに軍による専制、自由な諸国民の連盟の代りに帝国主義、平和の代りに戦争がもたらされた」のがいうまでもない現実です。
※言うまでもありませんが、ブルトマン自身は別に理性「主義」とか啓蒙「主義」を批判はしても、「理性」とか「啓蒙」そのものを批判しているわけでもありませんし、新約聖書を徹底的に史的・批判的に研究することでその学問の世界に一時代を築いた人物です。
話がそれましたが……

さて、第二次世界大戦で辛酸を経験したドイツの哲学者ホルクハイマー(Max Horkheimer, 1895-1973)とアドルノ(Theodor Ludwig Wiesengrund Adorno, 1903-1969)は共著(徳永恂訳)『啓蒙の弁証法』(岩波書店、2007年)のなかで、「何故に人類は、真に人間的な状態に踏み入っていく代りに、一種の新しい野蛮状態へ落ち込んでいくのか」というテーゼを立て、するどく問題を追及しました。

その中で二人が指摘したのが、「道具的理性」が社会全体を支配しているということです。

では、この「道具的理性」とは何でしょうか。

すなわち、それは合理性を追求するために自分を含めた他者を手段とする構造……すなわち、道具として動員する……判断基準を持つ精神構造のことです。二人は社会構造・経済構造の根底を支えるのは「道具的理性」であり、政治構造・経済構造を変革しても、それを組み立てている近代社会の精神構造=道具的理性が変化しなければ、なにも変わらないと見ています。

本来、「神話を解体し、知識によって空想の権威を失墜させることこそ、啓蒙の意図したこと」(徳永訳前掲書)だったのですが、「啓蒙は通訳しきれないものを切り捨てる。たんに思考のうちで質的なものが消失するだけでなく、人間は否応なく現実に画一されていく」(同前)流れになってしまいました。

理性は自己反省ができません。
だからカント(Immanuel Kant, 1724-1804)は『純粋理性批判』のなかで、理性の能力を限界づけようと試みたのでしょう。

しかしその理性そのものの絶対化が一旦構築されてしまうと、結果としては、「通訳しきれないものを切り捨てる」合理化と、「画一」していく他者手段化の構造も同時に反省・検討されないまま、所与のものとして全面的にシステムとして稼働してしまいます。

考えてみれば、現代人は確かに理性を使って合理的な判断を用いて生活をしております。
例えば、どこかへ行くにしても、コスト・時間・労力を「考えて」移動手段を選択します。急ぎの仕事で東京(駅)から、横浜(駅)へ行くために、東京から一旦西船橋へ出てそこから武蔵野線へ乗り換え、西国分寺駅で中央沿線に乗り換え、そして横浜線で横浜へ向かうひとは皆無でしょう。

その意味で理性を使って「賢く」生きることは必然であり必要不可欠なモーメントです。

しかし、それと同時にアウシュビッツの狂気も、ポルポトによる大虐殺も、狂気の上に行われた惨事ではなく、理性的・合理的判断の結果行われたものでもあるのもまた事実です。

そうした経緯からなのでしょう……。
現代哲学の世界では「理性」とか「啓蒙」だとかという言葉に敏感で、一昔前のような「光輝ある」「高貴な」概念としてして使用してしまいますと、いぶかられてしまうのが現状です。

ですけど、現実の生活の中では、果たして「何故に人類は、真に人間的な状態に踏み入っていく代りに、一種の新しい野蛮状態へ落ち込んでいくのか」というほど、理性を使っているのだろうか……という疑問も出てくるのがひとつの生活実感です。

ちょうど火曜日から、インフルエンザで出社停止になっているのですが、所要の確認のため、市井の職場へ電話をいれると、一件懸案事項が案件クローズになっており、一安心しました。その案件とは、クレームの後処理なんですが、後味の悪いクローズですが、自分の手を放れ、一安心したのも事実です。

ちょうど、年頭。

詳しくは措きますが、テナントに対するクレームのようにて、「できる/できない」というサービスに対して怒り心頭の御仁ようにて、「店長を出せ」ということ。

その日。
店長はちょうど冬休みの最終日にて、本日の最上席者(副店長格の課長)も運良く?事件の5分前に帰宅……、で、上位在籍者が宇治家参去一人のみというオサムイ状況で……、名詞をお渡しして、深々と謝罪を申し上げ、矛を収めて頂いた次第です。

ちなみに少し「恐かった」です。

退店後、そのテナントの担当者に状況を確認すると、当該人物の「異議申し立て内容」とかなり状況が違ったようで……。

念のため、隣のテナントの方にもヒアリングしてみると、同じ様子のようでして……。

つまり、「これをやってくれ」ということに対して「できない」と対応されたということに対するクレームだったのですが、確認してみると、「できない」ではなく、「ただでやれ」だとか「お預かりしたうえでの対応になる」と細かく丁寧に説明した事実も判明し……、結局なんだったんだろう……という茫然自失です。
※要は、例えばテレビの修理を持ち込んできて、テレビの修理なんかは、よくわかりますとおり、配線問題を除いて機械内部の問題の場合、1時間2時間では修理できず、お預かり対応になるのですが、まあそれを、なんで今日中にできないのだ! ここで買ったからタダで直せ!(因みに持ち込みの商品はうちでは扱っていないメーカーなのですが)……という内容です。

クレーム(claim)とは、まさにそのまんま……「異議申し立て」ということで、それはサービスを受ける側、すなわち消費者の立場としては、間違いのない「正当な権利」だと思います。

異議を「申し立てられた側」は「真摯」に受け止めることによってサービスを向上させることが可能になりますし、不利益を被った側は不利益を「回復」します。その意味ではその申し立ては、くどいようですが「正当な権利」であると思いますし、受けた側にとってもそこから未来を切り開く「生産的」な契機なのだと思っております。

だからこそ、出来る範囲で丁寧に説明し、応対し、そして「回復」を目指すことに関しては「手を抜く」ことができません。

しかし……。
最近、そうしたカテゴリーに当てはまらないような事案が多く、「結局なんだったんだろう……」という茫然自失してしまうことがしばしばです。

で……
話は戻りますが、結局そのお方、翌日は電話で一時間大騒ぎ。
数日後、再度来店され、またお店で大騒ぎのあげく、「なんかくれ」。

「なんかくれ」……はないよなあと担当した課長と話していたのですが、その時は、とりあえず、謝罪で応対し、お引き取りいただいたとのこと。

結局、「過剰請求」と判断せざるを得ず、次回があった場合は、警察と会社の法務担当での対応……という流れに決定し、案件がクローズしたという次第です。

さて……ここで終わると、ある企業のクレーム担当者の「嘆き」「ぼやき」で終わってしまうので、最初の問題に戻ります。すなわち、「啓蒙主義」とか「理性」の問題です。

人間に光を与えると同時に、闇の部分を合理的に拡大させるのが「理性」とか「啓蒙主義」の落とし穴かもしれません。

しかし、それ以上に、くどいようですが、その前に、それほど「理性」を生活のなかでは使っていないのではないだろうか……クレームと対峙するなかで、そのことをひしひしと感じます。

「大声を出した者が勝ち」というわけではないと思うのですがねえ。

しかし、「大声を出した」方が「勝てる」というのも「理性の狡知」とでも考えればよいのでしょうかねえ。

で……。
すこし熱は下がり始めたので、栄養をつけようということで、昨夜はすき焼きでした。
やはり「すき“焼き”」ですので、最初は“焼き”ながらやりましたが、これをやると、どうしてもあれがほしくなるわけで、軽くビールと日本酒(にごり・桃川酒造)で一杯です。

熱は下がり始めているのですが、けだるさがとれておりません。

理性的に判断を下すならば、病み中で、酒を摂取するのは非理性的な行為なのですが……自分自身が理性を説きながらも、非理性的な行為をやってしまいますので、非理性的な御仁にからまれることが多いのだとすれば、すこしオサムイ話です。

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【覚え書】第44第大統領就任演説、速報

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すこし調子がよくなってきて、テレビを見ていると無事にバラクオバマ(Barack Hussein Obama, Jr.,1961-)が大統領に就任したもようでしたのですが、国民国家を正当化するような方向へリードされたり、特定のヒーローを造りたくはないとは思いつつ、changeがもたらされるのでは、祝うべきなのだろうか……などといううだつのあがらぬことを考えながら、就任演説を読んでおりましたが、すこし「新しい風」に注目したいと思います。

日本の場合、「新しい風」が吹いても、それは「ただの風邪」とか「すかしっ屁」でおわることがほとんどですが、米国の場合、それが「強烈な風邪」となる場合もあれば、「鮮烈な風」となる場合もあるにもかかわらず、看過せざる影響を及ぼします。

ちなみに、オバマ政権によって駐日大使に任命されたのが合衆国を代表するリベラル派の国際政治学者ジョセフ・ナイ(Joseph S. Nye, Jr.,1937-)氏です。

ジョセフ・ナイといえば、軍事力など「ハードパワー」に偏らず、価値観や文化など「ソフトパワー」も外交手段として活用すべきだとする「スマートパワー」論の提唱者として知られる人物です。

おそらく軍事偏重ではないかたちでの幅広い同盟関係を築く方向へ向かっていくのでしょう。

90年代の後半より、ナイは、日米同盟を米英同盟のような緊密な関係へ転換すべきと報告書で提言しておりますので、おそらくハードだけでなく、ソフトな側面からも包括的なパートナーシップの構築を目指していくところにねらいにあるのだろうと思います。

そのことが善いことなのか、悪いことなのか拙速な判断はさけるべきでしょうが、今後の動向は気になるところです。

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◇ オバマ大統領就任演説

国民の皆さん

 私は今日、厳粛な思いで任務を前にし、皆さんの信頼に感謝し、我々の祖先が払った犠牲を心にとめて、この場に立っている。ブッシュ大統領が我が国に果たした貢献と、政権移行期間に示してくれた寛容さと協力に感謝する。

 これまで、44人の米国人が大統領としての宣誓を行った。その言葉は、繁栄の波と平和の安定の時期に語られることもあったが、暗雲がたれ込め、嵐が吹きすさぶただ中で行われた宣誓もあった。こうした試練の時に米国が前進を続けられたのは、政府高官の技量と展望だけでなく、我々国民が、先達の理想と、建国の文書に忠実でありつづけたためでもある。

 それが我々の伝統だった。我々の世代にとっても、そうありつづける。

 だれもが知る通り、我々は重大な危機にある。わが国は(イラクやアフガニスタンで)戦争状況にあり、敵は憎悪と暴力のネットワークを持っている。経済状況も悪く、その原因は一部の人々の貪欲(どんよく)さと無責任さにあるものの、我々は困難な選択を避け、次世代への準備にも失敗している。

 多くの人々が家を職を失い、企業も倒産した。健康保険制度もカネがかかりすぎ、多くの学校(制度)も失敗した。毎日のように、エネルギーの使い方が地球を危険に陥れている証拠も挙がっている。

 これがデータや統計が示した危機だ。全米で自信が失われ、アメリカの没落は必然で、次の世代は多くを望めない、という恐れがまん延している。

 今日、私は我々が直面している試練は現実のものだ、と言いたい。試練は数多く、そして深刻なものだ。短期間では解決できない。だが知るべきなのはアメリカはいつか克服するということだ。

 この日に我々が集ったのは、恐れではなく、希望を選んだためで、争いの代わりに団結を選んだからだ。

 この日、我々は実行されない約束やささいな不満を終わらせ、これまで使い果たされ、そして政治を長いこと混乱させてきた独断などをやめる。それを宣言するためにやって来た。

 我々はいまだ若い国家だ。だが、聖書の言葉を借りれば「幼子らしいこと」をやめる時が来た。我々が、不朽の精神を再確認する時がきた。より良い歴史を選ぶことを再確認し、世代から世代へと受け継がれた高貴な理想と貴重な贈り物を引き継ぐ時が来た。それはすべての人々は平等、自由で最大限の幸福を追求する価値があるという、神の約束である。

 我が国の偉大さを再確認する時、我々は偉大さが決して与えられたものでないことを理解する。自分で手に入れなければならないのだ。我々のこれまでの旅は、近道では決してなかったし、安易に流れるものでもなかった。それは心の弱い、仕事より遊びを好み、富と名声からの喜びのみを求める人々の道でもなかった。むしろ、リスクを選ぶ人、実行の人、創造の人の道だ。恵まれた人の場合もあるが、多くはその仕事については知られず、長く困難な道のりを歩み、我々を繁栄と自由へと運んでくれた人々だ。

 我々のために、彼らは、ないに等しい荷物をまとめ、海を渡って新しい生活を探した人々だ。

 我々のために、彼らは額に汗して働き、西部に住み着き、鞭(むち)打ちに耐え、硬い土地を耕してきた人々だ。

 我々のために、彼らは(米独立戦争の戦場の)コンコードや(南北戦争の)ゲティズバーグ、(第二次世界大戦の)ノルマンディーや(ベトナムの)ケサンで戦い、死んだ人々だ。

 歴史の中で繰り返しこうした男女がもがき、犠牲を払い、我々がよりよい生活を送れるように苦労してきた。彼らは、米国が我々の個人的な希望の集大成よりも大きい存在だと思っていた。生まれや富、党派の違いより偉大だと思っていたのだ。

 この旅を今日、我々は続けている。我々は今でも地上で最も繁栄し強力な国だ。我々の労働者は今回の危機が始まった時と同様、生産性は高い。発明心に富み、商品やサービスは先週、先月、昨年と同様に求められている。

 我々の能力は落ちていない。だが、過去に固執し、狭い利益しか守らず、面倒な決定は後回しにする時代は終わった。今日からは、我々は立ち上がり、ほこりを払い、アメリカ再建の仕事に取りかからねばならない。

 どこを見回してもすべき仕事がある。経済状況は、大胆で迅速な行動を求めている。我々は新しい職場の創造だけでなく、成長のため新しい基盤を作らねばならない。

 我々は道路や橋、電線やデジタル通信網をつくり、我々の商業を支え、我々の結びつきを強めなければならない。我々は科学を本来あるべき場所に引き戻し、技術を活用し医療の質を引き上げると共にコストを下げる。

 太陽、風や土壌を使って我々の自動車の燃料とし、工場を動かす。我々の学校や単科大、大学を新たな時代の要請にあわせるようにする。これらすべてが我々には可能だ。これらすべてを我々は実行するのだ。

 我々の志の大きさに疑問をはさむ人もいる。我々のシステムでは大きすぎる計画は達成できないという人々だ。彼らは覚えていないのだ。彼らはすでにこの国が成し遂げたことを忘れているのだ。想像力が共通の目的に出会った時、必要が勇気と出会った時、自由な男女に達成できることを忘れているのだ。

 皮肉屋が理解できないのは、彼らが寄って立つ地面が動いたということだ。我々を余りに長期間、消耗させた使い古しの政治論議はもはや適用されない。今日、我々が問うのは、政府が大きすぎるか小さすぎるかではなく、機能しているかどうかだ。家庭が人並みの収入を得られるよう仕事を見つけ、威厳をもって引退できるよう助けているかどうかだ。

 答えが「イエス」の施策は継続する。「ノー」の施策は廃止する。公金を預かる我々は、説明責任を果たさなければならない。適切に支出し、悪い習慣を改め、誰からも見えるように業務を行う。それによって初めて、国民と政府の間の重要な信頼を回復できる。

 市場が正しいか悪いかも、我々にとっての問題ではない。富を生み出し、自由を拡大する市場の力は比肩するものがない。だが、今回の金融危機は、注意深い監視がなされなければ、市場は制御不能になり、豊かな者のみを優遇する国は長く繁栄することはできないことを我々に気付かせた。

 我々の経済の成功は国内総生産の規模だけでなく、繁栄が享受される範囲や、望む人すべてに機会を広げる能力にかかってきた。慈善としてではなく、公共の利益に通じる最も確実な道としてだ。

 我々の防衛一般に関しては、我々の理想と安全のどちらかを選ぶという間違った考えを拒絶する。建国の父らは、想像もできないような危険に直面しながら、法の支配と人権を確約する憲章を起草し、それは何世代もの血で拡大されてきた。これらの理想はいまだに世界を照らし、我々は方便のためにこれらをあきらめることはない。

 だから、我々を今見ている他の民族や政府に対して言いたい。巨大な都市から、私の父が生まれたような最も小さな村まで、米国は平和で尊厳ある将来を求めるすべての国々とすべての男女、そして子どもの友人であり、もう一度、指導力を発揮する用意があることを知ってほしい、と。

 先人がミサイルや戦車を使うのみならず、信念と確固たる同盟をもってファシズムや共産主義に勇敢に立ち向かったことを思い出そう。先人は軍事力だけが我々を守るのではないことや、またそれを好き勝手に使えないことを知っていた。

 代わりに、彼らは慎重にそれを使うことで力が増し、安全は目的の正しさからと、他国の手本となる振る舞い、謙虚さや自制心から発することを知っていた。

 我々はこの遺産を引き継ぐ。これらの原理に再び導かれ、解決により一層の努力が求められる新しい脅威に対抗できる。我々は責任を持ってイラクから撤退し始め、イラク人に国を任せる。そしてアフガンでの平和を取り戻す。古くからの友人とかつての敵と共に、核の脅威を減らすために絶えず努力し、さらに地球の温暖化とも戦う。

 我々の生き方について言い訳はしないし、それを断固として守る。無実な人々を殺したり、脅迫で自己の目的の実現を図る者に対し、告げる。我々の意思の方が強く、我々の意思を曲げることはできない。我々の方が長く生き、そして打ち負かす。

 我々の多様な出自は強みであり、弱みではない。キリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒、ヒンズー教徒、そして無宗教者の国だ。地球上の津々浦々から来たあらゆる言語と文化で形作られている。内戦(南北戦争)や人種差別という苦い経験もしたが、その暗い時代をへて、我々はより強くなり、きずなも深くなった。かつての憎しみはいずれ消え、我々を分け隔てた壁はいずれ消える。世界が小さくなるにつれ、我々が共通に持つ人類愛が出現する。そしてアメリカは平和の時代をもたらす役割を果たさねばならない。

 イスラム世界との関係では、互いの利益と互いの敬意を基本として共に歩む方法を探す。対立をあおったり、国内の社会問題が生じた責任を西側世界に押しつけようとする指導者たちよ、何を壊すかでなく、何を築けるかで、国民に評価されることを知るべきだ。

 腐敗、策略、口封じで権力にしがみつく指導者たちは、大きな歴史の過ちを犯していることを知るべきだ。しかし、その握りこぶしをほどくならば、我々も手を差し伸べる。

 貧しい国々の人々には、我々が一緒に汗を流すことを約束する。農地が豊かになり、きれいな水が流れるようにし、空腹を満たすとともに、飢えた心も満たす。そして我々のように比較的豊かな国々は、国外での苦しみに無関心でいたり、影響を気にとめずに、地球の資源を浪費はできない。世界は既に変革しており、我々もそれに合わせて変わらなければならない。

 我々は進む道を熟慮しながらも、今まさに、遠く離れた砂漠や山々で警戒に当たる勇敢なアメリカ人たちへ謙虚に、そして感謝の念を持ち、思いをはせる。彼らは今日、我々に教訓を与えてくれる。アーリントン国立墓地に眠る英雄たちと同じように。彼らが自由の守護者だからだけでなく、彼らは奉仕の精神を体現し、自分たち自身よりも偉大なものが存在し、それに意味を見いだす人たちだからこそ、たたえる。そして、この歴史的な瞬間に、まさにこの精神を我々がみな共有しなければいけない。

 政府の能力や義務は、究極的には米国民の信念と決意が決定する。それは、堤防が決壊した時に見知らぬ人をも招き入れる親切や、友人が仕事を失うことになるよりも、自分の労働時間を削ってでも仕事を分け合おうという労働者たちの無私無欲のおかげで、最も暗い時を切り抜けることができる。煙に満ちた階段を駆け上がる消防士の勇気や、子どもを育てる親たちの意志が、最終的に我々の運命を決定付ける。

 我々の試練は新しいのかもしれない。それに立ち向かうための道具も、新しいかもしれない。我々が成功するかどうかは、労働と誠実さ、勇気、フェアプレー、忍耐、好奇心、忠誠心や愛国心にかかっている。古くから言われていることだ。だが、真実だ。それは歴史を進歩させた静かな力だった。今求められているのは、こうした真理への回帰だ。新しい責務を果たすべき時代だ。我々米国人一人ひとりが、自分自身や国家や世界に義務を負っていることを認識し、こうした義務を嫌々ではなく、喜んで受け入れることだ。私たちにとって、困難な仕事に全力で立ち向かうことほど、自らの性格を定義し、精神をみたすものはない。

 これが市民であることの代償と約束だ。これが私たちの自信の源泉だ。神が未知の運命を自らの手で形作るよう、我々に求めたものだ。

 なぜ男性も女性も子供たちも、どのような人種、宗教の人々も、こうして就任式に集まることができるのか。なぜ約60年前は地方のレストランで差別された父親の息子が、こうして皆さんの前で宣誓式に臨むことができるのか。これこそが、我々の自由、我々の信条の意味なのだ。

 我々が誰なのか、我々がどれほど遠くまで旅してきたか。今日という日を、それを記憶に刻む日にしよう。

 アメリカ建国の年、最も寒かった時、愛国者たちは氷で覆われた川岸で、たき火のそばに寄り添い合った。首都は見捨てられ、敵は進軍し、雪は血で染まった。独立革命が本当に実現するか不確かな時、建国の父たちは、この言葉をきちんと読むよう求めたのだ。

 「未来の世界に語られるようにしよう。厳寒の中で希望と美徳だけが生き残った時、共通の脅威にさらされた国や地方が前に進み、それに立ち向かうと」。

 アメリカよ。共通の脅威に直面した非常に困難なこの冬に、これら永遠の言葉を忘れないでいよう。希望と美徳をもって、この氷のような冷たい流れに勇敢に立ち向かおう。そしてどんな嵐が来ようとも耐えよう。

 将来、我々の子孫に言われるようにしよう。試練にさらされた時に我々は旅を終わらせることを拒み、たじろぐことも後戻りすることもしなかったということを。我々は地平線と注がれる神の愛を見つめ、自由という偉大な贈り物を前に送り出し、それを次世代に無事に届けたのだ、ということを。
    --『毎日新聞』2009年1月21日 2時36分(最終更新 1月21日 10時01分)

http://mainichi.jp/select/world/obama/speech/news/20090121k0000m030175000c.html
    

Full text of Obama's inaugural address
The following in the inaugural address of Barack Obama, who took the oath as the 44th president of the United States on Tuesday.

My fellow citizens:

I stand here today humbled by the task before us, grateful for the trust you have bestowed, mindful of the sacrifices borne by our ancestors. I thank President Bush for his service to our nation, as well as the generosity and cooperation he has shown throughout this transition.

Forty-four Americans have now taken the presidential oath. The words have been spoken during rising tides of prosperity and the still waters of peace. Yet, every so often the oath is taken amidst gathering clouds and raging storms. At these moments, America has carried on not simply because of the skill or vision of those in high office, but because We the People have remained faithful to the ideals of our forbearers, and true to our founding documents.

So it has been. So it must be with this generation of Americans.

That we are in the midst of crisis is now well understood. Our nation is at war, against a far-reaching network of violence and hatred. Our economy is badly weakened, a consequence of greed and irresponsibility on the part of some, but also our collective failure to make hard choices and prepare the nation for a new age. Homes have been lost; jobs shed; businesses shuttered. Our health care is too costly; our schools fail too many; and each day brings further evidence that the ways we use energy strengthen our adversaries and threaten our planet.

These are the indicators of crisis, subject to data and statistics. Less measurable but no less profound is a sapping of confidence across our land - a nagging fear that America's decline is inevitable, and that the next generation must lower its sights.

Today I say to you that the challenges we face are real. They are serious and they are many. They will not be met easily or in a short span of time. But know this, America - they will be met.

On this day, we gather because we have chosen hope over fear, unity of purpose over conflict and discord.

On this day, we come to proclaim an end to the petty grievances and false promises, the recriminations and worn out dogmas, that for far too long have strangled our politics.

We remain a young nation, but in the words of Scripture, the time has come to set aside childish things. The time has come to reaffirm our enduring spirit; to choose our better history; to carry forward that precious gift, that noble idea, passed on from generation to generation: the God-given promise that all are equal, all are free, and all deserve a chance to pursue their full measure of happiness.

In reaffirming the greatness of our nation, we understand that greatness is never a given. It must be earned. Our journey has never been one of short-cuts or settling for less. It has not been the path for the faint-hearted - for those who prefer leisure over work, or seek only the pleasures of riches and fame. Rather, it has been the risk-takers, the doers, the makers of things - some celebrated but more often men and women obscure in their labor, who have carried us up the long, rugged path towards prosperity and freedom.

For us, they packed up their few worldly possessions and traveled across oceans in search of a new life.

For us, they toiled in sweatshops and settled the West; endured the lash of the whip and plowed the hard earth.

For us, they fought and died, in places like Concord and Gettysburg; Normandy and Khe Sahn.

Time and again these men and women struggled and sacrificed and worked till their hands were raw so that we might live a better life. They saw America as bigger than the sum of our individual ambitions; greater than all the differences of birth or wealth or faction.

This is the journey we continue today. We remain the most prosperous, powerful nation on Earth. Our workers are no less productive than when this crisis began. Our minds are no less inventive, our goods and services no less needed than they were last week or last month or last year. Our capacity remains undiminished. But our time of standing pat, of protecting narrow interests and putting off unpleasant decisions - that time has surely passed. Starting today, we must pick ourselves up, dust ourselves off, and begin again the work of remaking America.

For everywhere we look, there is work to be done. The state of the economy calls for action, bold and swift, and we will act - not only to create new jobs, but to lay a new foundation for growth. We will build the roads and bridges, the electric grids and digital lines that feed our commerce and bind us together. We will restore science to its rightful place, and wield technology's wonders to raise health care's quality and lower its cost. We will harness the sun and the winds and the soil to fuel our cars and run our factories. And we will transform our schools and colleges and universities to meet the demands of a new age. All this we can do. And all this we will do.

Now, there are some who question the scale of our ambitions - who suggest that our system cannot tolerate too many big plans. Their memories are short. For they have forgotten what this country has already done; what free men and women can achieve when imagination is joined to common purpose, and necessity to courage.

What the cynics fail to understand is that the ground has shifted beneath them - that the stale political arguments that have consumed us for so long no longer apply. The question we ask today is not whether our government is too big or too small, but whether it works - whether it helps families find jobs at a decent wage, care they can afford, a retirement that is dignified. Where the answer is yes, we intend to move forward. Where the answer is no, programs will end. And those of us who manage the public's dollars will be held to account - to spend wisely, reform bad habits, and do our business in the light of day - because only then can we restore the vital trust between a people and their government.

Nor is the question before us whether the market is a force for good or ill. Its power to generate wealth and expand freedom is unmatched, but this crisis has reminded us that without a watchful eye, the market can spin out of control - and that a nation cannot prosper long when it favors only the prosperous. The success of our economy has always depended not just on the size of our Gross Domestic Product, but on the reach of our prosperity; on our ability to extend opportunity to every willing heart - not out of charity, but because it is the surest route to our common good.

As for our common defense, we reject as false the choice between our safety and our ideals. Our Founding Fathers, faced with perils we can scarcely imagine, drafted a charter to assure the rule of law and the rights of man, a charter expanded by the blood of generations. Those ideals still light the world, and we will not give them up for expedience's sake. And so to all other peoples and governments who are watching today, from the grandest capitals to the small village where my father was born: know that America is a friend of each nation and every man, woman, and child who seeks a future of peace and dignity, and that we are ready to lead once more.

Recall that earlier generations faced down fascism and communism not just with missiles and tanks, but with sturdy alliances and enduring convictions. They understood that our power alone cannot protect us, nor does it entitle us to do as we please. Instead, they knew that our power grows through its prudent use; our security emanates from the justness of our cause, the force of our example, the tempering qualities of humility and restraint.

We are the keepers of this legacy. Guided by these principles once more, we can meet those new threats that demand even greater effort - even greater cooperation and understanding between nations. We will begin to responsibly leave Iraq to its people, and forge a hard-earned peace in Afghanistan. With old friends and former foes, we will work tirelessly to lessen the nuclear threat, and roll back the specter of a warming planet. We will not apologize for our way of life, nor will we waver in its defense, and for those who seek to advance their aims by inducing terror and slaughtering innocents, we say to you now that our spirit is stronger and cannot be broken; you cannot outlast us, and we will defeat you.

For we know that our patchwork heritage is a strength, not a weakness. We are a nation of Christians and Muslims, Jews and Hindus - and non-believers. We are shaped by every language and culture, drawn from every end of this Earth; and because we have tasted the bitter swill of civil war and segregation, and emerged from that dark chapter stronger and more united, we cannot help but believe that the old hatreds shall someday pass; that the lines of tribe shall soon dissolve; that as the world grows smaller, our common humanity shall reveal itself; and that America must play its role in ushering in a new era of peace.

To the Muslim world, we seek a new way forward, based on mutual interest and mutual respect. To those leaders around the globe who seek to sow conflict, or blame their society's ills on the West - know that your people will judge you on what you can build, not what you destroy. To those who cling to power through corruption and deceit and the silencing of dissent, know that you are on the wrong side of history; but that we will extend a hand if you are willing to unclench your fist.

To the people of poor nations, we pledge to work alongside you to make your farms flourish and let clean waters flow; to nourish starved bodies and feed hungry minds. And to those nations like ours that enjoy relative plenty, we say we can no longer afford indifference to suffering outside our borders; nor can we consume the world's resources without regard to effect. For the world has changed, and we must change with it.

As we consider the road that unfolds before us, we remember with humble gratitude those brave Americans who, at this very hour, patrol far-off deserts and distant mountains. They have something to tell us today, just as the fallen heroes who lie in Arlington whisper through the ages. We honor them not only because they are guardians of our liberty, but because they embody the spirit of service; a willingness to find meaning in something greater than themselves. And yet, at this moment - a moment that will define a generation - it is precisely this spirit that must inhabit us all.

For as much as government can do and must do, it is ultimately the faith and determination of the American people upon which this nation relies. It is the kindness to take in a stranger when the levees break, the selflessness of workers who would rather cut their hours than see a friend lose their job which sees us through our darkest hours. It is the firefighter's courage to storm a stairway filled with smoke, but also a parent's willingness to nurture a child, that finally decides our fate.

Our challenges may be new. The instruments with which we meet them may be new. But those values upon which our success depends - hard work and honesty, courage and fair play, tolerance and curiosity, loyalty and patriotism - these things are old. These things are true. They have been the quiet force of progress throughout our history. What is demanded then is a return to these truths. What is required of us now is a new era of responsibility - a recognition, on the part of every American, that we have duties to ourselves, our nation, and the world, duties that we do not grudgingly accept but rather seize gladly, firm in the knowledge that there is nothing so satisfying to the spirit, so defining of our character, than giving our all to a difficult task.

This is the price and the promise of citizenship.

This is the source of our confidence - the knowledge that God calls on us to shape an uncertain destiny.

This is the meaning of our liberty and our creed - why men and women and children of every race and every faith can join in celebration across this magnificent mall, and why a man whose father less than sixty years ago might not have been served at a local restaurant can now stand before you to take a most sacred oath.

So let us mark this day with remembrance, of who we are and how far we have traveled. In the year of America's birth, in the coldest of months, a small band of patriots huddled by dying campfires on the shores of an icy river. The capital was abandoned. The enemy was advancing. The snow was stained with blood. At a moment when the outcome of our revolution was most in doubt, the father of our nation ordered these words be read to the people: "Let it be told to the future world...that in the depth of winter, when nothing but hope and virtue could survive...that the city and the country, alarmed at one common danger, came forth to meet [it]."

America. In the face of our common dangers, in this winter of our hardship, let us remember these timeless words. With hope and virtue, let us brave once more the icy currents, and endure what storms may come. Let it be said by our children's children that when we were tested we refused to let this journey end, that we did not turn back nor did we falter; and with eyes fixed on the horizon and God's grace upon us, we carried forth that great gift of freedom and delivered it safely to future generations.

http://mdn.mainichi.jp/mdnnews/national/news/20090121p2a00m0na013000c.html

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わたくしたちひとりひとりの義務

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 ひとりひとりの個人の運命を改善することなくしては、よりよき社会の建設は不可能です。ですから、各人が自分の運命をきりひらいていこうと努力しながら、しかも同時に全人類にたいして責任をわけもたねばならないのです。なぜなら、自分がいちばん役に立ってあげられるひとびとをたすけることは、わたくしたちひとりひとりの義務だからです。    --M.キュリー(木村彰一訳)「キュリー自伝」、富田正文編『人生の名著8』大和書房、1968年。

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あとは学期末試験をのこすのみで、月曜日、短大で最終講義。

「やくざのような言い方ですが、その方が実感があると思うので、恐縮ですが言わせてもらいます」と断った上で、「お前ら、本読めよ!」とひとこと。

講義の中では何度も「お前ら、本読めよ!」と言い続けてきました。
もちろん、耳学問、百科辞典的な項目の存知も大切なのですが、それだけに終始すると、一本骨格の通った本人の智慧とか知識には、ならないような気がしまして……。

本を読むと言うことは、はっきり言って「労作業」であり、「大変な困難」をともなう実践なのですが、それを「流してしまう」とこれまた「損をする」。

ですから、最終講義では、本を読むために「しおり」を配るようにしております。
家庭で作成できる名刺用の用紙にキュリー夫人(Maria Skłodowska-Curie,1867-1934)の写真とその言葉をいれた、単なるしおりですが、読書をする際に、是非ご利用して戴きたいものです。

現実の中で読書を心がける生活をおくっていただきたいわけですが……。

さて……
ともすると、人間という生き物は、「個人の運命を改善すること」と「よりよき社会の建設」は別問題ととらえがちで、前者をプライベートワールドへ押しこめ、後者を匂いのないパブリックワールドの問題として議論しがちなのですが、そうではないのでしょう。むしろ両者は車輪の両軸の如く、密接に関係しあった間柄関係というのが真相で、「各人が自分の運命をきりひらいていこうと努力しながら、しかも同時に全人類にたいして責任をわけもたねばならない」のでしょうね。

勿論、ガザとかイラクの問題は、確かに海の向こうの問題で、ちっぽけな人間には無力感だけ生じてくる、とっかりのないような問題としてたちあがりがちなのですが、「自分がいちばん役に立ってあげられるひとびとをたすけることは、わたくしたちひとりひとりの義務」を丁寧に遂行することで、必ず突破口は開かれるのではないだろうか……そう実感する宇治家参去です。

で……。
大学の仕事、そして市井の仕事から戻ると、「おでん」が夕食のようだった様子のため、軽く晩酌するのですが、頭が痛くて……多分、二日酔いなのだろうと……思っていると、全く寝ることができず、朝起きると、どうやら、インフルエンザのようで……。

これから病院へ行って来ます。

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「互いに共に在ること」を問い続ける

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 「私たちは反省を介して目覚める。すなわち、私たち自身へと帰還することを強制されて覚醒するのである。だが、抵抗を欠いてはいかなる帰還もなく、客体なくして反省は考えられない*」。人間がじぶん自身にたちもどるのは、とはいえたいていは「客体」からではなく、主体から、つまりみずからひとしい者たちからだ。人間がとりわけて立ちむかう「世界」は、人間に応接する共同世界であるからである。およそ特定の他者たちが現に存在していなかったなら、みずからの(アイゲン)の現存在は現に(da)存在せず、いまあるそのように(so)は存在しなかったであろう。みずからの現存在がそのように現に(ゾー・ダー)存在することで、現存在はつねに一方の性の現存在(ダーザイン)なのであって、同時に他の性の現存在ではない。他者たちの現存(ダーザイン)によって固有の(アイゲン)の現存在は、ただ右の事情によってだけでも、すでに根底から規定されている。他者たちの干渉がなくても完全に規定されているのである。したがって、私たちが他者について、あるいは共同世界をめぐって問題にする場合、その問いは、他者たちがそれに対して「他者」であり、また「世界」となる一者をめぐる問いをふくんでいる。すなわち、一者(アイン)と他者(アンダー)とが互いに共に在ること(ミット・アイン・アンダー・ザイン)が問われているのである。
*シェリング『著作集』(Sämtliche Werke,1856-61)第一巻、三二五頁参照。
    --レーヴィット(熊野純彦訳)『共同存在の現象学』岩波文庫、2008年。

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泥のように飲む(酔う)と書いて「泥酔」というわけですが、ひさしぶりに泥酔です。
大学時代の先輩、後輩、同期と飲み出すと、「ついつい」量をいってしまい、あとで、激しく落ち込む宇治家参去です。

そして……日曜は深酒してはいけないという掟をやぶってしまいました。
何しろ月曜は、大学での講義が済むとそのまま市井の職場なので、今日はこれからきつそうです。

とわいえ、御同道戴きました皆様方ありがとうございました。
いつも思いますが、利害を離れた「学友」の関係というものは本当によいものです。その関係のあり方に共同体のここちよいあり方のひとつの見本をみる思いがします。原初においては全く関係も係わりもなかったひとびとが、集められても「友人関係」は成立しません。しかし、たとえ、全く関係も係わりもなかったひとびとであるにもかかわらず、「友人関係」が成立するというのは不思議なものです。

「人間がとりわけて立ちむかう「世界」は、人間に応接する共同世界であるからである。およそ特定の他者たちが現に存在していなかったなら、みずからの(アイゲン)の現存在は現に(da)存在せず、いまあるそのように(so)は存在しなかった」のでしょう。

自分一人で全人類にかかわっていくなどとううのは不可能なのですが、特定の他者たちの存在によって、自己自身の存在を確立させていくなかで、「互いに共に在ること」を問い続ける中で、自己の問題、そして他者の問題を考えていくしかないのかも知れません。

アトム化された個人の立場も存在しなければ、マスとして扱われる共同体の立場も実は議論の世界のなかだけの話で、現実にはないのでしょう。

自然に、ひとびととの関係性のなかでしか、実は自己自身の存在も形成されないのかもしれません。そこを自然にやっていく……難しいですが、自然にやっていくしかありません。

で……。
自然といえば、ヘロヘロで最終講義を終えると、大学の木々がもう芽吹きはじめておりました。自然とはいいものです。

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大学の個性を感じながら、琥珀のバスペールエールと幸福な再会

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 学校歴主義が批判され、能力主義が批判される背後には、人間の能力は学校歴や試験でテストされる学力で示されるものではない、という考えがかくされている。人間の能力には知的なもののほかに、いろいろな能力がある。人間はその組み合わせでできている。それを知的な能力、しかも条件反射的に答えていくような能力だけが重視される入学試験で、受験生の能力を判定しようとする天に、問題がないか。大学が豊かな教養をあたえることを一つの目的とするならば、知識一元的な考え方は反省しなければならないであろう。もちろん、大学が大学である以上、知性が重視されなければならない。しかし、他の能力もそれぞれに評価するような、多元的な考え方が必要であろう。
 といっても、大学がそれらの多くの能力をテストして入試させる、ということはできるはずがない。その点で意味をもっていたのが、実は各大学のカラーであった。人間にはそれぞれ個性があるように、大学、とくに私立大学には、それぞれの個性があった。バンカラな大学もあれば、紳士を教育しようという大学もあり、知的水準の高い大学もあれば、男子に対抗して女子にも高等教育をあたえようという大学もあった。大学に個性があれば、きみたちも、自分の個性あるいは特性にあった大学をえらぶことができる。ところが、不幸なことに、新制大学になってから、大学の個性はだんだん小さくなっていった。これはエリートの大学からマスの大学への変化と、結びついている。だが、マスの個性になったから、個性は必要ない、ということはありえない。一人一人のもっている個性をのばすことが、教育の基本的な課題であり、これがよりよく果たされるためには、大学がそれぞれのカラーをはっきりさせることである。そのため、入学試験にもそれぞれの特色があってよい。きみたちも、偏差値で大学を見るのでなく、大学のカラーで大学を見る目をもたなければならない。
 そう考えれば、すべての大学を平等なものにしよう、という意見が正しくないことも、明らかになっていく。かつて、ジャーナリズムは早稲田、実業界は慶応という評価があった。そういうカラーをなくして、すべての大学を似たようにするのではなく、東大は東大、一橋は一橋、明治は明治、立教は立教、同志社は同志社、と個性をもった大学をのばしていくことこそ、大切である。そしてきみたちも、まだまだ残っているそれぞれの大学の個性をよく見て、自分の個性にあっていると思われるところに、挑戦すべきである。
    --隅谷三喜男『大学でなにを学ぶか』岩波ジュニア新書、1981年。

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今日明日はセンター試験です。

月並みですが、受験生の皆様がんばってください。

さて昨日。
博士論文の提出手続きの確認のため、大学院でお世話になった立教大学の池袋キャンパスへ1年ぶりぐらいでしょうか……行って来ました。

新宿、四谷、有楽町……このあたりは比較的よく利用しますが、後期課程満期退学後、池袋へ出るのは、サンシャイン水族館と夏のウルトラマンフェスティバルぐらいなものですから、西口関係……自分が通っていたときと、大学周辺の雰囲気が少しがかわっていたことに驚きました。

よく利用していた喫茶店がヘアサロンに生まれ変わり、空き地には複合ビルが建設中。大学の方も、在学中に竣工していた工事が完成したのか、すこしこざっぱりとした様子です。

窓口で詳細を確認すると、「論文博士の場合は、特別な手続きはありません。期日までに関係書類と一緒に提出するだけです」とのことだそうで……あっけなく5分にて終了。教務部で学位規則の書類だけもらい、お世話になった先生の研究室にたちよると授業中なのでしょう……不在とのことで、ぶらりと事業部(一般の大学で言うところの大学生協)にて本を2-3冊買い求め、缶コーヒーで一服です(もちろん喫煙場所にて)。

ちょうど、後期の最終授業とかレポートの提出とか、試験の準備なのでしょう……キャンパスには比較的大勢の学生がわいわいがやがや……。

「大学の自由な空気」がいや~あ、旨かった。

立教は、「自由の学府」をキャッチコピーにしております。

創立者は、日本聖公会の初代主教・チャニング・ムーア・ウイリアムズ(Channing Moore Williams,1827-1910)で、築地に拓いた小さな塾が出発点となっております。
創立当初から“キリスト教に基づく教育”を建学の精神として謳い、チャペルも大学構内にありますし、静謐とした雰囲気が厳然として存在しております。
しかし不思議なことに「キリスト教のために」とか「キリスト教へどうぞ」という雰囲気が全くありません。

ウィリアムズの言葉に「道を伝えて己を伝えず」という言葉があります。
見せかけや名声のための善行を嫌い信仰者としての道を貫いたウィリアムズの歩みの影響からでしょうか……、キリスト教主義であったとしても、そこには「強制」とか「強要」を感じたことは一度もありませんでした。

もちろん、自分自身の専門がキリスト教学になりますので、授業ではガチガチにそうしたものを扱いますが、それでも、やはり学問という立場ですから、信仰や立場の違いは逆に、差異の賞賛のよい見本ではなかったか……思い起こすとそうした空気をかいでいたような気がします。

主体的な信仰の問題を判断するのは当人の問題であって、そこには強要とか強制はなく、それが「自由な学府」としてのカラー、スタイルの淵源になっているのかな……などと煙草を燻らせながら、若い学生たちのただ中で感じた宇治家参去です。

特定の信仰に基づくなどと聞くと、何か束縛とか強制を感じる節がなくはないのですが、そもそもキリスト教をはじめとする世界宗教の場合、むしろ、人間をあらゆる束縛から解放して、自由に真理を追い求めることのできる場所への誘いがその原初の姿であるとするならば、そこで求められるのは、合意に基づかない強制とか束縛という在り方ではなく、むしろ、真理への畏敬の念であり、真理探究への謙虚な姿勢なのでしょう。

そうした雰囲気が「自由の学府」と評される立教にはとうとうと受け継がれた伝統であり、カラーなのだと思います。

さて、大学のカラー。
立教では都合9年間在学しましたが、その前に慶応で学部生活を、これまた都合7年在学しましたが、違う大学へ移ってから、その特色、雰囲気の違いを実感したものです。慶応の場合、スマートと称されるにように、いい意味で「要領がよい」学生が多いのですが、立教の場合、「もっと要領よくやっちゃっていいんでねえの?」などと思う「まじめな」学生が多かったような気がします。もちろん、在学は大学院だけで、しかも、組織神学という極めて異色な場所でしたが、そのあたりは、学生の気風・気質の違いとして感じたものです。

大学で教鞭をとるようになってから、全般的に思うのは、特にゆとり教育以降かもしれませんが、マスとしての大学生と呼ばれる集団に対しては、その「まじめさ」(悪くいえば飼い慣らされている?)を感じるわけですが、そうした抽象化された立場から、もっと生々しい現実の名前をもった学生ひとりひとりと向かい合ってみると、実は、彼ら、彼女らの所属する大学のカラーっていうものは……一昔まえに比べると隅谷が指摘している通り薄くなりつつあるのでしょうが……それでもなお厳然として、カラーを感じてしまうのであるとすれば、建学の精神とか、どういう立場で学生と向かい合っていくのか……という大学の根本原理というものは大切なのかも知れません。

で……。最後に、池袋に行くといつも学生時代から利用しているパブがあります。
名前は失念しましたが、JRの構内に、イギリス風のビアパブがありまして、そこで飲む「バス・ペール・エール」が実にうまい。

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「自然に帰れ」……と言われても

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 結論を述べよう、--森の中をさまよい、器用さもなく、言語もなく、住居もなく、戦争も同盟もなく、少しも同胞を必要としないばかりでなく彼らを害しようとも少しも望まず、おそらうは彼らのだれをも個人的に見覚えることさえけっしてなく、身か偉人はごくわずかな情念にしか支配されず、自分ひとりで用がたせたので、この状態に固有の感情と知識しかもっていなかった。彼は自分の真の欲望だけを感じ、見て利益があると思うものしか眺めなかった。そしてかれの知性はその虚栄心と同じように進歩しなかった。偶然なにかの発見をしたとしても、彼は自分の子供さえ覚えていなかったぐらいだから、その発見をひとに伝えることは、なおさらできなかった。技術は発明者とともに滅びるのがつねであった。教育も進歩もなかった。世代はいたずらに重なっていった。そして各々の世代は常に同じ点から出発するので、幾世紀もが初期のまったく粗野な状態のうちに経過した。種はすでに老いているのに、人間はいつまでも子供のままであった。
 私がこのような原始状態の仮定についてこれほどまで長々と述べてきたのは、古い誤謬と根ぶかい偏見とを打ちこわさなければならず、それには根元まで掘り下げて、不平等なるものがたとえ自然的なものであっても、わが著作家たちの主張するような現実性と影響力とをこの状態のなかでもつにはいかほど遠いかということを、真の自然状態の画面のなかで示されなければならないと考えたからである。
 実際、人々を区別する差異のうちで、いくつかのものは、自然的な差異として通っているが、それらが単に習慣と、社会のなかで人々が採用するさまざまな生活様式との産物であることは見やすいことである。だから、強壮な体質か虚弱な体質か、それによって力が強いか弱いかは、根本的な体格よりむしろその育て方がきびしいか柔弱であるか、ということに基づくことが多い。精神の力についても同様であって、教育は教養のある精神とそうでない精神との間の差をつけるだけでなく、前者の間にも教養に比例して見いだされる差をひろげる。なぜなら、巨人とこびとが同じ道を歩くとすれば、彼ら二人とも一歩歩くごとに、巨人のほうが新しい利点を得ることになるだろうから。ところで、いま社会状態のさまざまな階級を支配している、教育と生活様式のおどろくべき多様性を、みんなが同じ食物を食べ、同じように生活し、正確に同じことをしている動物や未開人の生活の単純さと一様性とに比較するならば、人と人との差異が、自然の状態においては社会の状態よりもいかに少ないものであるか、また自然の不平等が人類においては制度の不平等によっていかに増大せざるをえないかが理解されるであろう。
    --ルソー(本田喜代治・平岡昇訳)『人間不平等起源論』岩波文庫、1972年。
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専制制度の虚構と「社会的あるいは政治的不平等」の問題の不正さを鋭く撃ち、フランス革命の思想的原動力となったがルソー(Jean-Jacques Rousseau,1712-1778)の思想なのですが、ルソーは、言うなれば「後天的」に形成された不・平等を撃ち抜くために、不平等がほとんど存在しなかった「自然状態」なるものを想定します。

人々は、不平等のほとんど存在せぬ自然状態を抜け出すなかで、歴史的な「進歩」とやらを経験して参ります。しかしながらその過程で不平等を生み出され……それが私有制・富・権力の発生という筋道ですが……、その不平等の現実を「肯定」するようになってしまったの現実ということのようで……。

自然界における有限存在としての人間に対する「自然的不平等」(すなわち自然界の法則・掟から不自由という意味)はどうしようもないので、ある意味で「致し方」ありません。しかしながら「社会的または政治的不平等」は「致し方ない」として放置するわけにもまいりません。だからルソーは前者と後者を厳しく峻別した上で、「社会的または政治的不平等」の起源を明らかにするとともに……不平等の存在しない自然状態へ「帰れ」というわけです。

その叫びは、現実にはアメリカの独立、そしてフランス革命の思想的淵源となり、そして近代の人権論の礎のひとつになったのは疑いのない事実であり、何もそれを揶揄しようとか非難しようなどとは毛頭思っておりません。

虚偽の社会と文化の在り方を根柢から批判したルソーの言説には、確かに力強さが存在します。しかしながら、そこには近代という時代の功績のみならず、罪責が含まれていることも確認はしておかないといけないのだと思います(罪責に注目しすぎることで、ルソーの心根を全否定するということではありませんが)。

で……
ひとつ注目したいのが、ルソーがよく持ち出してくる「自然状態」という問題です。
通俗的な使用方法に従うならば、人間は、現実世界の在り方を批判する際、「本来的な在り方ないしは本来そうあったはずという在り方」として(過去に存在したと想定される)「自然状態」を想定し、現状を反省する視点がございます。それともうひとつは、「こうあるべき在り方」という……時間論的に言えば未来論としての……「理念的な在り方」から現実を反省する視点ももちあわせております。そうした範型をもとに現実を反省し、現実を更新していく作業を着地させていく……それが人間なのでしょう。そこで、繰り返しになりますが、今日はひとつ、最初の視点、すなわち「本来的な在り方ないしは本来そうあったはずという在り方」として(過去に存在したと想定される)「自然状態」の問題に注目してみたいと思うのです。

論理的な枠組みとしては上に示したような形になりますが、語法としてはどのように出てくるのでしょうか……。

考えてみますと、例えば、相手(乃至は自己)の行為や発語に対して、その在り方を非難する際、「それは自然ではない」、「それは“本来そうであった”在り方と違うよ」っていう言い方になるかと思います。

そうした反省によって、例えば、矛盾のある現実のありようがたゆみなく「更新」されるのであれば、まったく問題はないのですが、自然状態にこだわりすぎると実は問題なのではなかろうか……そう発想する宇治家参去でございます。

ルソーは、人間の原初状態、すなわち、支配-被支配の関係がまったく存在しない・ないしは関係がかなり希薄な状態、を「自然状態」として捉え、現存する社会の在り方が人間を人間として扱わない「自然」とか「本来」という在り方から「逸脱」した状態として批判しているわけですが、しかしながら、そもそも「自然状態」というものなどあったのかな?という部分です。くどいようですが、現実の矛盾そのものを批判する発想を批判しているわけではありません。しかし冷静になって考えてみると、そもそも「そのような状態など存在したのか?」という確認のできない不可知論の議論へと誘われてしまうだろう~と思ってしまうのです。

もちろん、ルソーも『人間不平等起源論』を著すにあたって、そうした歴史的資料を扱っております。当時ぼちぼち集まり始めた、植民地支配の進展のなかでの、いわゆるヨーロッパ社会から見てのですが、「未開社会」のレポートを参考にしながら、支配-被支配、私有制の緩い状況に、「自然状態」といわば「自然人」を理想化しながらまとめているようです。人間として致命的に変質してしまったヨーロッパ人よりも、不完全ながらも真に人間であるの自然人は「未開の人間社会」に存在するのだろう……そういう議論なのですが……。

果たして無垢な「自然状態」なんて存在するのでしょうか--。

なにやら滅菌室のような気がする、少し疑義の拭いきれない宇治家参去です。

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イロニーの精神とは、まさに緊張を解きほぐす精神

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 基本的なイロニーというものがある。それは認識と混同されるが、芸術と同じく、閑暇の所産である。イロニーはたしかに、真に芸術的であるというには、道徳的にすぎるし、真に滑稽というには、辛辣にすぎる。にもかかわらず、イロニーには、その両者と比較されるような一つの特徴がある。すなわち、芸術、滑稽、イロニーは、生の緊急性が緩んだところで可能になる、ということである。だがイロニスト、つまりイロニーを吐く者は、笑う人よりは自由になっている。というのは、笑う人は単に泣く必要がないから、急いで笑う、というのがしばしばだからである。ちょうど臆病者どもが勇気をふるい起こそうとして、やかましく夜の闇にむかって誰何するのに似ている。かれらは危険を口にするだけで、危険を警戒しているつもりであり、危険を出し抜くことをもくろんで、いっぱし警世家気どりでいる。もはや危険の不意打ちをおそれぬイロニーは、むしろ危険と戯れる。危険はその場合、籠の中に入れられており、イロニーはそれを見物に行っては、それをまねたり、けしかけたり、嘲笑したり、あるいは話しかけて楽しんでいる。それどころか、その慰みがなるべく危険なように、全く真実らしい錯覚が得られるようにと、籠の目から手を突っこんで、わざと危険を冒すのである。こうしてイロニーは、偽りの恐怖をよそおい、飽かずこの心地よい危険を克服し続けてやまず、そして危険は絶えず死滅している。
 その実、回転木馬がうまく廻らぬこともあり、ソクラテスはそのために死んだのだ。かつて古い意識を戦慄させた、あのグロテスクな創造物を近代的意識が試みてみれば、結果はただではすまないからである。とはいえ、イロニーの精神とは、まさに緊張を解きほぐす精神であり、それは一時の平静な状態をすかさず捉えては、その遊戯を再開する。こうして思想はその歴史を通して、いくつかのイロニーのオアシスを経由してきたのである。
    --ウラディミール・ジャンケレヴィッチ(久米博訳)『イロニーの精神』ちくま学芸文庫、1997年。

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日本語で「皮肉」というと何か、否定的なイメエジがつきまといがちです。

言葉が語義通りもつ側面と、その裏に隠された真意という二律背反にそもそも由来しているイメエジなのでしょう。

皮肉とは、欠点とか弱点を意地悪く「遠回し」に批判するという意味合いが強いのですが、それは実は裏をかえすと、対象について、一定の価値、側面のみしか見てとらない構造がそこに存在するのでしょう。

確かに、現実はにはそのように流通しておりますが、皮肉には揶揄とか嘲笑という側面だけではなく、ものごとの「一般的な流通」と「一般的な流通に収まりきらない部分」をあざやかに浮かび上がらせる機能もあるのだろうと思います。

欧米語のそれにあたるイロニー(irony,ironie)に注目してみると、むしろ積極的な側面、すなわち、豊穣な意味合いを持つ言葉の機能をとしてそれをみてとることができます。

元々は、ソクラテスが使った言葉のエイローネイア ειρωνεία(言語は「偽装」とか「仮面」)をに由来しますが、その中核にあるのは、二つの志向性・意義をもつ言葉ということです。対象に対してひとつアプローチではなく、全く異なる側面からのアプローチを可能にする発語がイロニーなのでしょう。

ソクラテスの対話そのものも実はイロニーのひとつの見本です。

日常生活で使用される、だれもが知っている意味合いについて、一旦、思考停止を行い、その対象を「知っていない」ところが議論を始めるのがソクラテスの手法です。
いわば「無知」を「装う」ことによって、言葉が日常生活で慣れしたんだ意味合いから自由になり、哲学的探究へ人は進むことが可能になる。その意味で、イロニーに浮かび上がらせる「もうひとつの意味合い」は、むしろ、日常生活を、彩り豊かな風景に転換させるおおいなる契機を孕んでいるのだろうと思うのですが……。

しかし、これは、独り言では機能しませんから、発語をうける側の精神態度も要求されるのかもしれません。

家のなかで、イロニカルな発言をしましても、だれも受けとめてくれませんのでねえ。

哲学者とか神学者の発言はどうもうざがられます。

ベランダの「ぼけの花」が、寒中に鮮やかな花を実らせたのですけどねえ。

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著者:久米 博,ウラディミール・ジャンケレヴィッチ
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文は文字ではない、思想である

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  思想の軽蔑
 純潔なる思想は書を読んだのみで得られるものではない。心に多くの辛い実験を経て、すべての乞食根性を去って、多く祈って、多く戦って、しかる後に神より与えられるものである。これを天才の出産物と見做すのは大なる誤謬である。天才は名文を作る、しかも人の霊魂を活かすの思想を出さない。かかる思想は血の涙の凝血体(かたまり)である、心臓の肉の断片である。ゆえに刀をもってこれを断てばその中より生血(いきち)の流れ出るものである。ゆえにいまだ血をもって争ったことのない者のとうてい判分することのできるものではない。文は文字ではない、思想である。そうして思想は血である、生命である。これを軽く見る者は生命そのものを軽蔑する者である。
       明治三十六年(1903)

    --鈴木俊郎編『内村鑑三所感集』岩波文庫、1973年。

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昼過ぎから、来週締めきりのレポートを添削しておりましたが、年末年始に投函された量がまとめておくられてきましたので、結構、苦悩しながら格闘している宇治家参去です。

昨年は26日配達分で終了しましたが、その後の投函分と年始の投函分で通常のおよそ約2倍です。

ようやく半分までおわりましたが、今回の分は、いつもと様子が少し違います。まずひとつは、レポートそのものや余白に「卒業レポート」、「卒業エントリーがかかっています」との表記が目立つモノが多いということ。勝敗を決する大切なレポートですから、水準もおのずと高い作品が目立ちます。

そして、次に多かったのが……これも初めてですが……自分が講義した授業に参加した学生さんたちのレポートで、およそ全体の1/3がそれに当たります。

どの作品も力作揃いで嬉しいことなのですが、コメントが一様にならないように注意しないといけないのが悩みとなってしまいます。

さて……
倫理学なる学問は道徳学と事なり、体系や規範を所与のものとして論じる学問ではありません。体系にしろ、規範にしろ、自己自身で点検しながら、そして点検した事柄が、偏っていないのか全体のなかでさらに点検し続けるという、ある意味で難渋な学問です。

しかし生活の中でこそ、その威力が遺憾なく発揮できる学問ですので、届けられるレポートを読んでおりますと、やはり、そのひと、そのひとの、体験、日常生活というものが、学問の視点から念入りに点検されており、実は、レポートを確認しながら、添削者の自分自身がかえって学ぶというところが多いのも事実です。

まさに内村鑑三(1861-1930)のいう通り、「純潔なる思想は書を読んだのみで得られるものではない」のでしょう。「心に多くの辛い実験を経て、すべての乞食根性を去って、多く祈って、多く戦って、しかる後に」まとめられた「文字」が素晴らしいレポートとして届いてきているのだろうと想像しております。

もちろん、単位の取得とか制度的なアプローチをとるならば、「機械的に」「適当に」まとめてだしちゃえば済みますし、それでも、それなりの水準を獲得することは難しくないとは思います。

しかし、自分が教材と生活世界の往復運動を繰り返す中で、発見し、自分で考え、そして考えたコンテンツを再度検証していく……ところにこそ学問の醍醐味は無論存在することは忘れてはいけないのだろうと思います。

特に倫理学のレポートを読んでいると(まあ、課題もそうした作業を要求する課題ではあるわけですが)、その営みが活字になっているのだなあと実感しております。

ですから……。

「これを軽く見る者は生命そのものを軽蔑する者である」

……ということになってしまいますので、神経を使いますです、はい。

しかし、レポートの書き手がレポートに対して過敏に深刻になりすぎて、一文字も書き出せないというのも問題ですよね。
そこで、内村鑑三が、同じ書物で次のように言っている部分が参考になるかと思います。

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  不断の努力
 必ずしも大著述をなすに及ばない、小著述にて足る。われはわが見し真理を明瞭簡単なる文字にて綴りてこれを世に示すべきである。必ずしも大事をなすに及ばない、小事にて十分である。われは神に遺(おく)られて世に来りし以上はかれの造り給いしこの地球を少しなりとも美(よ)くなして天父(ちち)のもとへと還り往くべきである。必ずしも完全なるを要せず、不完全なるものまた可なりである。われは毎日毎時わがなし得る最善(ベスト)をなして患難(なやみ)多きこの世に少しなりとも慰藉(なぐさめ)と歓喜(よろこび)とを供すべきである。「なんじ己のために大事を求むるなかれ」と預言者エレミヤその弟子バルクを訓えていうた(エレミヤ記四十五章五節)。大事のみをなさんと欲する者は何の得るところなくしておわる。なにごとをもなさざるは悪事をなすのである。実に偉大なるの一面は小事に勤(いそし)むことである。完全なるの反面は不完全に堪うることである。大なり小なれ、完全なれ不完全なれ、わが手に堪うることは力を竭(つく)してこれをなすべきである(伝道の書九章十節)。
       大正六年(1917)
    --内村、前掲書。

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ときには課題の大きさや、要求範囲の「おののく」ことって現実にはあります。まさに「大事」に眩暈がしてしまうという部分でしょう。しかし、「小事」から手をつけていかないかぎり、大事を成就することは不可能なのでしょう。
よく、指導教官の鈴木先生に次のように諭されたことがあります。すなわち……。
「(400字詰原稿用紙で)500枚、1000枚書けっていわれると、対象の大きさに圧倒されて、何もしないでおわってしまうということがよくあるけれど、実は、1日1枚でも、3枚でも書けば、1年たてば自ずと仕上がるものなんだよ」

まさに……

「大事のみをなさんと欲する者は何の得るところなくしておわる」
「完全なるの反面は不完全に堪うることである。大なり小なれ、完全なれ不完全なれ、わが手に堪うることは力を竭(つく)してこれをなすべきである」

……という部分でしょう。

不断の努力、普段の努力がやっぱりものをいうのが、学問に限らず、人間世界の実情です。そこを忘れてしまうのも実情ですが、ときどき自分自身を点検しながら、積み重ねていくしかありませんね。

昨年は、自分自身も論文の仕上げを結局1日でスパークさせるという離れ業をやってしまいましたが、今年は着実に攻めていこうと思います。

さっ、仕事に戻ります。

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Book 内村鑑三所感集 (岩波文庫 青 119-5)

著者:内村 鑑三
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離れて戦おうとするのは人間の本質だ

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 離れて戦おうとするのは人間の本質だ。最初の日から人はそのために努力し、その後もずっと努力しつづける。    アルダン・デュピク「戦闘の研究」

最大距離--「人を殺しているのではないと思う込むことができる」
 距離という尺度と殺人プロセスとの関係を検証するにあたって、まず最初は最大距離から見ていこう。ここでいう<最大距離>とは、双眼鏡、レーダー、潜望鏡、リモートカメラなどの機械的手段を使わなければ、個々の犠牲者を認識できない距離のことである。
 グレイはこの問題をはっきり認識していた。「多くのパイロットや砲手は、怯えた非戦闘員を無数に殺してきたにもかかわらず、後悔や反省が必要とはまったく感じていなかった」。ダイアも同様のことを述べて、グレイの観察を裏づけている。砲手、爆撃機の乗員、あるいは海軍兵士は、人を殺すのになんの困難も感じていないというのである。

 ひとつには機関銃手に発砲を続けさせるのと同じ圧力がある、つまり仲間から見られているからだが、なにより重要なのは、敵との間に距離と機会が介在しているということだ。自分は人間を殺しているのではないと思いこむことができるのである。
 全般的に見ると、距離だけでなおじゅうぶんな緩衝作動をもたらす。射手は、目に見えない格子(グリッド)に向けて発砲する。潜水艦の乗員は、<艦船>に向かって魚雷を発射する(船に乗っている人間を撃つのではない)。パイロットはミサイルを<標的>に向かって発射する。

 ここでダイアは最大距離型殺人の大半を網羅している。砲手、爆撃機の乗員、海軍の射手、ミサイル発射員(海上および地上の)はみな、集団免責、機械の介在、そして現在の論に最も関係する物理的距離という、強力な組み合わせによって守られているのだ。
 戦闘での殺人というテーマについて、何年も研究や文献調査を行ってきたが、このような環境で敵を殺すことを拒絶した者は一例も発見できなかったし、またこのタイプの殺人にともなう精神病的トラウマの例も見いだせなかった。広島や長崎に原子爆弾を投下した兵士のケースでさえ、有名な神話に反して、精神疾患の発生例はまったくない。歴史的文献からわかるのはこういうことだ。エノラ・ゲイのために気象偵察を行った航空機のパイロットは、爆弾投下以前から何度も規律違反や犯罪を犯していた。彼は軍を離れてからもくりかえし問題を起こしつづけ、原爆投下に係わった兵士たちに自殺者や精神異常者が続出したという有名な神話は、このただひとりのパイロットの行動がもとになって生まれたにすぎないのである。

長距離--「目と目が会うこともなく、戦闘の汗と緊張感もない」
 ここでいう<長距離>とは、敵を目視することはできても、狙撃銃、対戦車ミサイル、戦車の火砲などの特殊な武器を使わなければ殺せないという距離である。
 ホームズがとりあげている第一次大戦のオーストラリアの狙撃兵は、ドイツの観測兵を撃ったあとで、「全身がみょうにぞくぞくした。子供のころ、初めてカンガルーを撃ったときとは違う感覚だった。一瞬吐き気がして気が遠くなったが、そんな感じはすぐに消えた」と語っている。
 ここでは殺人行為に対する一種の不安がまず見てとれるが、狙撃兵は原則としてチームで行動する。最大距離の殺人と同じく、集団免責、機械の介在(ライフルのスコープ)、物理的距離という強力な組み合わせに守られているのである。
    --デーヴ・グロスマン(安原和見訳)『戦争における「人殺し」の心理学』ちくま学芸文庫、2004年。

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イスラエルとハマスの軍事衝突の停戦交渉が成功することを祈りつつ、すこし、戦争に係わる文献を読み直す宇治家参去です。

うえに引用したのは、グロスマン(Dave Christensen Grossman)の文献ですが、人間に限らず、そもそも動物は、同族への殺人に対して強烈な抵抗感をそもそももっているのですが、その抵抗感をどのように「乗り越えていくのか」そのメカニズムを解明した戦慄の一冊です。

著者自身が、心理学者にして歴史学者、そのうえたたき上げの軍人で、一兵卒を振り出しに下士官、将校と昇進し、中佐として軍事学の教授を務めております。おまけにエアボーンの資格(第82空挺師団)ももっており、まさに精鋭の実戦部隊に属した生え抜きの人物です。

ですから、その議論には、アカデミズムのどこか中に浮いたようなカビ臭さもなければ、軍人の冷徹なごりごりのリアリズムも存在しませんが、講壇の議論もなければ英雄も存在しない戦場のリアリティが、学とリアリズムの幸福な交差によって描写されております。

兵士も人間であれば、実は、同族を殺すことに極めて強烈な抵抗感をもっております。それを「兵士」おして、人間を殺す場としての戦場に送り出すということはどういうことなのか、そしてどうやっていけば殺人に「慣れる」ことができるのか--そのあたりを豊富な資料を縦横無尽につかないがら、この本はわかりやすく教えてくれます。

キーワードだけ引っ張り出すとすれば、「集団免責」、「機械の介在」、「物理的距離(離れているということ」がひとつの大きな契機になっているようです。

ひとつは、「ひとりでは殺せないが、集団なら殺せる」という「集団免責」、そして、自らの手を下すのではないという「機械の介在」、そして「戦闘の汗と緊張」を欠いた物理的距離、これが組織的にプログラム・規律されることでひとは「人を殺すのに何の抵抗もなくなってしまう」。

「条件付け」「プログラミング」という訓練スタイルを聞くと、ことさら耳新しい話ではないような感もなくはないのですが、興味深いのは、第二次大戦までの発砲確率と、ベトナムでのそれが大きく違うというところです。前者の時代、15~20パーセントの兵士しか敵に向かって発砲しなかったのに対し、ベトナムでは90パーセント以上が発砲するようになったということこと……。

適切な条件が機械的に有効に稼働するシステムの恐ろしさという平凡な事実なのでしょうが、これは軍隊の世界にだけ限られた条件ではないということでしょう。

さて……
人間には人間を殺すことへの強烈な抵抗感がもともと存在しておりますが、そのことは聞いてみても「あたりまえじゃん」という議論ですまされる部分が現実にはあります。しかしその一方で戦場で兵士が敵を殺すのも「あたりまえじゃん」と思っているふしも不思議に存在します。実はここが盲点なのかなと思う宇治家参去です。

どこかで自分の世界と、戦闘の世界を切り離して考える思考形式では、「本来……」の議論に「例外」を許容する発想、分断形式の発想から逃れ得ないということです。戦争を批判するのも人間であれば、戦争へ参加する兵士も人間であります。しかし、自分とどこか違う枠組みに、問題のある対象を「起き続ける」限り自分自身の問題にはならないのかもしれません。

人間が人間を殺すことへの抵抗感……戦争を憎む人にも存在すれば、戦争を積極的に肯定する人にも、必要悪として許容するにもあるのでしょう。その事実をふまえた上で、なにを「あたりまえじゃん」としていくのか……グロスマンの議論を読みながら、そのへんをふと切実に思う昨今です。

現実には、抵抗感があったとしても「なぜ人は人を殺すのか」というところがあり、それでもなおかつ「なぜ人は人を殺さないのか」という謎も存在します。しかしこの問題も切り離された議論ではなくひとつものの裏と表かもしれません。

あまり発想がまとまりなく(例の如く)、覚え書きのようなものですが、兵士の問題というのも自分自身の問題として「引き受けながら」現実のなかで思考する・理解する必要が痛切に存在するのだろうと思います。

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 人間が戦い、殺し合うのはなぜなのか、その理由を私たちは一度として理解したことがない。いまこそ、拒絶反応を克服して理解しなくてはならない。また、人間が人間を殺そうとしないのはなぜなのか、という問いも同じように重要である。なぜなら、互いに互いを殺し合うという、人間行動のなかでも究極的かつ破壊的なこの側面を理解しなければ、その側面に働きかけることもできないからだ。そしてそれができなければ、現代文明には存続の見込みがないからである。
    --グロスマン、前掲書。

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身代わりになるのはこの私である

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 身代わりになるのはこの私である。私は隣人の身代わりになるが、この身代わりは私固有のものとして生起する。<精神>とは個体の多様性である。コミュニケーションは他の自我のうちにではなく、この私のうちにその端緒を有している。<自我>という概念の個体化ではなく、隣人の身代わりになるこの私のうちに。全面的に、あるいはまた絶対的に<自我>たるのはこの私であり、絶対者たることはこの私にのみ係わる問題である。私は万人の身代わりになるが、誰も私の身代わりになることはできない。類〔属〕、種、個体といった形式論理学の階層構造にあくまで固執するのであれば、こうも言える。つまり、<自我>という概念からこの私への個体化の過程で高揚が生じ、この私は「隣人のために」〔隣人の代わりに〕と一体化し、隣人に対して責任を負うよう召喚されるのだ。つきつめて考えるなら、身代わりという関係は<自我>のうちにうがたれた<自己>の傷、それも癒着することなき傷を意味している。他人によって告発され、ついには迫害されつつも、<自我>はこの迫害者に対して責任を負う。かかる臣従と高揚は、忍耐においては、非自由の遙か上空にまで上昇する。<善>への忠誠としての臣従なのである。
    --E.レヴィナス(合田正人訳)『存在の彼方へ』講談社学術文庫、1999年。
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宇治家参去が、もう故人ですが、倫理学の師と仰ぎ、……と同時に勝手に弟子を名乗りながら、コツコツと文献を読んでいるのがエマニュエル・レヴィナス(Emmanuel Lévinas,1906-1995)先生です。

ちょうど本日が、誕生日なので勝手に一人お祝いです。

※wiki的に紹介・引用するのが忸怩たる部分も有りますが……所見者のために、引用すると次の通り……。

※wiki的に紹介・引用するのが忸怩たる部分も有りますが、ワタシがあれのこれの書くよりも、というよりも、既に飲んでいるので、最大公約数てきなアレですが……。

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フッサールの現象学とハイデガーの『存在と時間』から出発した。ハイデガー的な暴力的な存在論を排し、非暴力的な存在論の構築を目指して、『全体性と無限』を著す。しかし、デリダの『暴力と形而上学』(『エクリチュールと差異』所収)によって批判され、もう一度倫理-存在論を構築することを目指す。その結果書き上げられたのが、『存在するとは別の仕方であるいは存在することの彼方へ』である。レヴィナスは暴力的でも非暴力的でもない、全く別の倫理-存在論、むしろ倫理-存在論ではない倫理-存在論を構築した。

レヴィナスにおいて倫理学は、私と他者の関係、「他者論」として構築される。その前提となるのは、ある(il y a)、顔(visage)という「存在者」の現前である。そこには存在(être)と所有(avoir; il y a の a は avoir の変化形である)を結ぶ独自な志向がある。

「存在者」は動的な仕方で「私」に対して現前し、名を持ち、実詞化する。このような存在者は名をもたない抽象的な「存在」(être)とは区別される。名をもった「存在者」は、「他者」(l'autre)として倫理学の課題とされる。他者はそれ自体で自存する。レヴィナスにとって暴力とは否定の一種である。また所有は対象の自存性を否定するため、暴力的である。了解は一種の所有であるため、また暴力的なものである。

私が倫理的に他者に対してふるまう限り、私は他者への了解を課題とする。その限りで、私は他者に対してつねに暴力的な関係を結ばざるを得ない。他者とは絶対的に私とは同化されえないもの(存在者)、所有されえないものとしてある。したがって、私が他者を他者として了解するとき、そこには必ず私の了解しえないものが存している。つまり、他者が他者であることをやめることは、ただその死・他者が存在者であることをやめることによってのみ可能である。

すなわち、他者の否定とは殺人としてのみ可能となる。「他者は私が殺したいと意欲しうる唯一の存在者なのである」。そして私は他者を殺しうる。しかし、それは他者の顔と対面しないときにおいてのみ可能となる。殺人への誘惑、他者の否定への誘惑は同時に顔の誘惑でもある。存在の拓けのなかで出会われる「顔」を人は殺すことができない。そしてそのような対面は言葉・言説において可能となる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%8A%E3%82%B9

経歴はフランス語版の方が丁寧なので紹介すると以下の通り。

Levinas est né à Kaunas en Lituanie le 30 décembre 1905 (selon le calendrier julien en vigueur alors dans l'empire russe, soit le 12 janvier 1906 selon le calendrier grégorien).

Fils de Jehiel Levyne (Levinas) et de Déborah Gurvic, Emmanuel est l'aîné d'une famille de trois enfants : Boris (né en 1909) et Aminadab (né en 1913).

Son père est libraire et la famille parle russe. Un professeur particulier enseigne aux trois enfants (trois garçons) l'hébreu à partir de la lecture de la Bible.

La guerre de 1914 pousse la famille à fuir en Russie à Kharkov (Ukraine) jusqu'en 1920. C'est à Kharkov qu'Emmanuel Levinas entre au lycée, malgré le numerus clausus (limitation discriminatoire) permettant à seulement cinq enfants juifs d'y être admis. Il y lit les grands écrivains russes, notamment Pouchkine, Lermontov, Tolstoï et Dostoïevski.

Au cours des années 1920, Levinas se rend en France à Strasbourg pour suivre des études de philosophie (1923-1927). Il rencontre Maurice Blanchot avec lequel il entretiendra une profonde amitié.

De 1928 à 1929, il est l'élève, à Fribourg-en-Brisgau (Allemagne) d'Edmund Husserl (deux semestres), puis de Martin Heidegger (un semestre). Après avoir soutenu sa thèse de doctorat Théorie de l'intuition dans la phénoménologie de Husserl (1930), il s'établit à Paris.

En 1931, il obtient la nationalité française. Marié à Raïssa (Marguerite) Lévi (1932), il œuvre à l'Alliance Israélite Universelle (A.I.U.) de 1933 à 1939. Les Levinas auront trois enfants, Eliane, décédée en bas âge, Simone Hansel (née Levinas), médecin-pédiatre, et le pianiste et compositeur Michaël Levinas.

Levinas est mobilisé en 1939 et fait prisonnier à Rennes ; puis transporté en Allemagne, près de Hanovre. Il est captif dans un Arbeitskommando (commando de travail) pendant cinq ans, où étaient rassemblés les prisonniers de guerre juifs ainsi que certains prêtres catholiques. Il y a cependant rédigé l'essentiel de son livre De l'existence à l'existant. Après la guerre, il donne des commentaires talmudiques aux Colloques des Intellectuels Juifs de France, réunis dans les Lectures talmudiques et Nouvelles Lectures talmudiques. Malgré sa prédilection dans ce domaine, il ne se prétendra jamais « talmudiste », c'est-à-dire maître ès Talmud, mais « amateur, avec toute la connotation amoureuse du terme ».

De 1964 à 1975, Lévinas entreprendra sa carrière universitaire. Celle-ci le conduira de l'Université de Poitiers, par Paris-Nanterre (1967), à la Sorbonne (1973).

Dans les années 1970 et 1980, à l'invitation de la communauté juive de Fribourg (Suisse), Lévinas assure quelques cours à l'université de Fribourg (pensée juive, Husserl, exégèse de la tora).

Emmanuel Levinas décède à Paris le 25 décembre 1995 pendant la fête de Hanoucca.
http://fr.wikipedia.org/wiki/Emmanuel_Levinas

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命日は、12月25日ですが、日本時間において、毎年、ねんごろに追悼供養申しあげています。

……と、書くと、誤解されそうで、現実に細君には誤解されて、「人師・論師を崇拝して……」といわれますが、崇拝ではなく尊敬ですので、細君には「あしからず」。

そして、ちなみにいうと、生誕・命日の“一人祭”は、レヴィナス先生だけでなく……、トマス=アクィナス(1225-1274)カント(1724-1804)ハイデッガー(1889-1976)、ドストエフスキー(1821-1881 ※グレゴリオ暦)、池波正太郎(1923-1990)、笠智衆(1904-1993)、そして吉野作造(1873-1933)あたりは、両日を祝い・弔う長谷川平蔵です。

あと鬼籍に入った江戸家猫八(1921-2001)も数えておきます。猫八さんの葬儀には、葬儀寺がちょうど、その当時の自宅から歩いて3分だったこともあり、参列した思い出があります。

さて……

息子殿と休みの日なんかが被ると、一緒に祝い・弔う訳ですが、本日は長谷川平蔵、仕事にて、ひとりで、懇ろに祝うひとときです。

思えば、レヴィナス先生との出会いは、1992年前後のことで、当時はドイツ文学専攻課程の学部生の時分だったかと思います。当時は、ドイツ語をきちんとやろうということで、ドイツ文学へ在籍しましたが、留年で2年次裏(2年の2回目)から3年次にかけては、取る科目も少なく、ひたすら現実世界と学問世界の応答の中で気ままに、読書・思索することができたので幅広くよめたわけですが、そのなかでの出会いがレヴィナス先生の言葉でありました。なんどか日記で書いている詩人・ワーズワースとの出会いもたしか、その頃だったと思います。

ワーズワースでいえば、ちょうど、静岡の伊東に別荘(というかリゾートマンション)を持っている友人がいて、春夏秋冬関わりなく、書物をもって山野水線を経めぐり会い、活字に触れ、現実を議論したことが思い出深く、そのなかワーズワースとも知り合いしました。

さて……
レヴィナス先生の何が自分自身にとって新鮮だったのでしょうか。
ひとつは、やはりいうもがなですが、真理を大上段で語らなかったことでしょう。
真理を語る痛みの自覚とでもいえばいいでしょうか……発想が大きく転換されました。
感覚的な言い方ですが、ローマ字でいえば、小文字から大文字を形成するという表象です。

で……
もうひとつは何か。
それは、生きていること自体の有責性なのでしょう。近代言語でいえば、自分自身を自律させ自立させ、他者との差異を主張することへの「ひきうけ」です。

その部分がモロに直感され……、毎日ではありませんが、毎度の如く、繙いております。
ちょうど、ドイツ文学を卒業した後、そのまま大学院へ進まず、倫理学課程へ学士入学しましたが、幸いに、担当教員といいますか定年間近でしたがその指導教官が……実はレヴィナスを読んでいる……先生で、実に有難かったと思います。
※卒業生が自宅に招かれ、エスカエゴを振る舞われた折りはびっくらこきました。

で……
その方は、もともとキルケゴール、そしてフランス留学のあと、メルロ=ポンティを専門にされている方でしたが、学生運動に対する紆余曲折・党派的裏切りを辛酸を舐めたかとかで、学術誌を含め一切、論文を書かれなくなった教員でしたが、いろいろ示唆をえることが多かったです。

とわいえ……宇治家参去の場合。
結局、西洋の問題を考えるならば、そのおおもとたる「ユダヤ=キリスト教」そのものを吟味しなくてはいけないだろう……と思って、神学研究科へ進みましたが、今となってはそれはそれで正解ですが、ナイーヴなレヴィナス先生の議論には今もって、全面的に納得はするのですが、関連論文一本すら発表できないのが、チト難点です。

本年度は、レヴィナス先生に係わるコメンタリーにすぎないかもしれないですが、なんとか1本活字にしたいものです、。

しかし、論博の仕上げもあって……。

とかいう言い訳こく前に仕上げるのが、「男(できれば、漢字で“漢”と書いて“男”」なのでしょう……。

がんばります。

ですけど……(くどいよ!)

レヴィナス先生の「存在の彼方へ」(原題は、Autrement q'é tre ou -delà de l'essence)……命日まで、決めて、通算で行くと、言語3回、邦訳4回、読了しましたが、なかなか神髄を得られず……。

今年はがんばります、。

で……「存在の彼方へ」。

序に添えられた旧約聖書の一節、難解です。

一生かかって格闘しそうです。

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主は彼に言われた。「都の中、エルサレムの中を巡り、その中で行われているあらゆる忌まわしきことのゆえに、嘆き悲しんでいる者の額に印を付けよ。」また、他の者たちに言っておられるのが、わたしの耳に入った。「彼の嘘理について都の中を巡れ。打て。慈しみの目を注いではならない。憐れみをかけてはならない。老人も若者も、おとめも子供も人妻も殺して、滅ぼし尽くさなければならない。しかし、あの印のある者に近づいてはならない。さあ、わたしの神殿から始めよ。」
    --『エゼキエル書』九・四-六。

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あらゆる目的に先んじて与えられている生活世界を前提にしている

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 さしあたって、われわれは次のことを思い起こそう。すなわち、われわれが学問と呼んでいるものは、われわれにとってつねに生活世界として妥当している世界の内部での、特殊な種類の目的活動と合目的的作業であり、その点では、普通の語義でのすべての人間の職業と同じことであるが、学問的な志向、また多少とも孤立した、偶発的な、多かれ少なかれ一時的な関心が属している。これらすべては、人間としての立場から考えれば、人間的生活と人間的習慣性の特殊な形態であり、それはすべては、すべての作業が流れ込み、すべての人間やその作業活動や能力が、たえずそこに属している生活世界の普遍的枠内に存している。言うまでもなく、この固有の在り方をもつ普遍的な生活世界自体に新たな理論的関心を向けるためには、これらすべての関心についてのある種の判断中止を必要とする。すなわち、われわれの目的追求や、合目的的な生活につねに付随する方法、目標、目的自体についての批判--たとえば、それらが事実上確保されているかどうか、その方法が正しい方法として守られるべきであるかどうか、などというような批判--に対しての関心についての判断中止を必要とする。われわれに慣習的に妥当している目的のうちに生きているときには--いま、そのどの目的が「番にあたっている」かはともかく--、われわれはたしかに生活世界の地平に生きており、そこに生起するものは、その世界に生活世界的に存在するものなのである。しかしそこへ向けられているということは、普遍的な地平へ向かっているということでもなければ、目的とされたものをこの地平の存在者として主題化することでもなく、したがって主題となった生活世界の存在者として主題化することでもない。それゆえ、学的関心であれその他の関心であれ、それらすべてを追究することをさし控えるということが、まず第一になされるべきことである。しかし、判断中止だけでそれをするというのではない。すべての目的設定、すべての企図も、すでに世界的なものを前提にしているし、それとともに、あらゆる目的に先んじて与えられている生活世界を前提にしているのである。
    --E.フッサール(細谷恒夫・木田元訳)『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』(中央公論新社、1995年)。

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近代哲学が登場したとき、ひとびとは、哲学(ないしは「学」というもの)は世界の全体を普遍的に認識する根本的方法原理になるのではないかと思い、そのことに期待した。それまでは教会へ行けば普遍的な根本原理が教えてくれたものですが、権威が崩壊するなかで、ひとはどこに認識の基盤を置けばという悩みの前に、デカルト(René Descartes,1596-1650)の方法的懐疑はひとつの光明を示したのでしょう。デカルト以降の哲学の歩みは、存在論から認識論へのシフトということになりますが、その後の展開には確かに目覚ましいものがありました。

しかしながら、この世界全体を普遍的に認識するという可能性は、結局挫折します。
自然科学の方は19世紀以降、目覚ましい展開を続けますが、問題なのは「人文諸科学」のほうであります。それが、哲学、歴史学、心理学、社会学、経済学という学問で等しく生じた信念主義と客観主義という対立という事態です。

自然科学をモデルにしながら、人文諸科学でもまさに諸「科学」と称するように、学としての「客観性」「実証性」の探究が試みられましたが、結論から先に言えば、これがなかなかうまくいかない。科学であろうとすればあるほど、現実から遠ざかり、信念系にこだわろうとすればこだわるほど、結局かたくななイデオロギー対立になってしまう。

こうした状況を目の前にした現象学者・フッサール(Edmund Gustav Albrecht Husserl,1859-1938)は、学問そのものが一般の人間の信頼を失うのではなかろうかと危惧したのだと思います。晩年の主著のひとつ『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』(1936)なんかはそうした問題意識の痛切な現れなのだろうと思います。

しかし、現実から遠ざかる方向を避けるあり方、そして信念系にこだわるイデオロギー化をさけるあり方の見本がなかなかみつからない。ひょっとするとその見本などないのかもしれません。

それでは、生活世界のぐだぐだのまんま過ごせばいいのか……、それとも、学問の理念の王国の住人として過ごせばいいのか……などと発想してしまいがちですが、そうではなく、むしろそうした二項対立自体が、学問世界(諸科学)VS生活世界という、実は「アリモシナイ」認識構造を仮説としながら、「演じている」対立なのかもしれません。

学問(人)でありながら、生活(人)でもあるのが、本当のところなのでしょう。

お互いが、お互いを照射するところに、適度な関係が築けるのではないのかな……などと思う宇治家参去です。

客観性も人間を離れては存在しませんし、生活世界も人間と離れては存在しません。

むしろ、その両者を切り離して論じようとするところに、議論のレトリックにのみこまれてしまい、現実感覚を失ってしまう契機が潜んでいるのかも知れません。

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Book ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学 (中公文庫)

著者:エドムント フッサール
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痛みに耐える能力のかそけき光は色褪せた

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 非暴力という方法は、漸進主義か即決主義かという、あの永い間論争されてきた問に正しい答えをあたえてくれる。非暴力は、一方では、無為にすごしたり逃避したりすることに口実をあたえて、結局は一カ所に足ぶみさせることになるような忍耐におちいることをふせぎ、いま一方では、和解させないでたがいの仲を割くような無責任な言葉をはいたり、社会の必然的な動きにたいする盲目な性急な判断におちいったりすることをふせいでくれる。それは、賢明な抑制と冷静な理性をもって正義の目標にむかってすすむことの必要をはっきりとみとめている。だが、それは同時に、正義にむかう歩みをおくらせたり、不正な現状を守る人たちに屈服したりすることが不道徳であることをもみとめている。それは、社会は一夜にして変革することができないことをみとめながらも、人々をして翌朝社会を変革することができるかのように活動させるのだ。
 非暴力を通じて、ぼくたちは、勝利者気分になる誘惑をさけることができる。主として全国有色人向上協会の立派な有効な働きのおかげで、ぼくたちは連邦裁判所で偉大な勝利をかちとった。ぼくたちは、ぼくたちに反対する者を理解し、裁判所の命令が彼らの前に提出する新しい調整をうけいれながら、一切の判決にこたえねばならない。ぼくたちは、ぼくたちの勝利が、白人であると二グロであるとをとわず、一切の人々の善意の勝利となるように行動せねばならない。
 非暴力とは本質的には積極的な考えなので、そこからはいつでも必ず成長という考えがでてこなくてはならない。非暴力は一方では悪と協力しないことを要求するが、他方では、善の建設的な力と協力することを要求する。こうした建設的な面がなければ、悪との非協力は、それがはじまったところでただちに終わってしまう。だから、二グロは、広汎な積極的な目標をもつ綱領にもとづいて活動せねばならないのだ。
    --M・L・キング(雪山慶正訳)「ぼくたちはここからどこへ進むのだろうか?」、『自由への大いなる歩み』岩波新書、1959年。

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授業の関係で、キング(Martin Luther King, Jr,1929-1968)の文献を再読しておりますが、キングにしても、ガンジー(Mohandas Karamchand Gandhi,1869-1948)にしても共通しているのは、敵と戦っていても、その敵を叩き潰して勝利の雄叫びをあげるという発想が皆無という点です。

うえの文章は有名なバス・ボイコット事件が勝利のうちに終結したあとに記された文章なのですが、「ぼくたちは、ぼくたちの勝利が、白人であると二グロであるとをとわず、一切の人々の善意の勝利となるように行動せねばならない」と語るとおりです。

たしかに、運動としては一方の側に立って、キングも言うとおり「悪を責める」必要があるわけですし、その「攻撃を加えることと結果を治療する」ことが重要になってくる訳なのですが、そうした善悪二元論に収まりきらない人間論と運動論の相関関係があるのでしょう。

「悪を放置してはいけない、責め続けよ」という言葉をどこかでキングは残しておりますが、それでもなおかつ、実践と発想は、その責める側と責められる側の分断構造を慎重に退けながら「一切の人々の善意の勝利」を目指す方向であったがゆえに、ある意味では、世界史的な偉業になったのではないだろうか……などと思ってしまいます。

目の前に存在する「悪」は放置しない。
そしてローザ・パークス(Rosa "Lee" Louise McCauley Parks,1913-2005)が法的に制度化された人種分離のバスのなかで、「No」と叫んだように断固として立ち上がらなければならない。
しかし、大切なのは、「勝利者気分になる誘惑をさけること」なのでしょう。
そしてそれは、「非暴力」によって可能になるのでしょう。

ガンジーは、暴力の本質は臆病だと喝破しましたが、その意味でも、そうした人間の内発性に由来する「非暴力」は、勇者の思想と実践で、美徳なのだと思います。

どこを見みわしても、暴力が蔓延している社会です。
たしかに、そういう時代になった責任は、累々と積み重ねられてきた先人たちのそれかもしれません。しかし、それを非難したり、なげくだけでは時代は変わらない。
自分たちの今生きている時代からはちがう時代をデザインするんだと、立ち上がるしかないんでしょうね。

そういえば、ちょうど読んでいたレヴィナス(Emmanuel Lévinas,1906-1995)も、「暴力」の問題に関して面白い文章を残していたので、ひとつ紹介しておきます。

「暴力の非道徳性は痛みをもたらしたはずだが、その痛みもヒロイズムのなかで鈍らされる。ヒロイズムこそ暴力の温床であり、ひとびとがその救いを求め見いだす先なのである。現代世界は忍耐の美徳を忘れてしまった」

忍耐とは、ひたすら、悪とか暴力の存在を堪え忍び「受け入れる」このように思われがちですが、実はそうではなさそうです。

苦痛に対する鈍感は忍耐なのではなく、かえって暴力を増長させてしまうヒロイズムなのかもしれません。

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 さてに現代が暴力の時代であることに疑いの余地はない。暴力とは単に野蛮な行為のみを言うのではない。暴力とは単にエゴイズムのみを言うのではない。暴力は精神的危機のこみいったもつれを快刀乱麻にさばいてみせようと豪語している。暴力は心の問題の方程式の根として登場している。自らを救いの道、魂の治療法として称している。知識人たちは自分たちに特有の在り方をまるで脱力、老衰したものであるかのように恥じ入っている。彼らが熟慮することを恥じ始めたのは半世紀近く前からである。万古不易の本質など人をうんざりさせるばかりである。彼らは今や行動のなかで問題群の始まりを一刀に両断したいと願っている。事象の流れとの暴力的な断絶は--それが去りゆくものを引きとどめるためであれ、なかなか去ろうとせぬものの尻を蹴上げるためであれ--霊を自分自身の出発点に再び送還することになろう。事象の緩慢な変容は耐え難い。となれば傲岸な若者たちの最も激烈で最も非反省的な生き方が、まるで彼ら若者たちこそがその未成熟ゆえに諸文明がため込んできたあらゆる問題をことごとく解決してくれるかのように、もてはやされたとしても怪しむに足りない。例外のほうが規則よりも価値があり、戦いのほうが労働より甲斐がある。粗暴で苛酷で向こう見ずで英雄的で危険で強烈なものなら何でもかんでも祝福される。子供たちにみんながおもねっているのである。冒険を拒否すれば生きることに怯えていると告発される。このような怯え以上に卑劣なものはないらしい。
 しかし暴力はたとえそれが不可避でありかつ義のためのものであるとしても、そこに賭けられた危険あるいは死によって高価にかつ貴族的に償われていたとしても、それ自身では何の価値もないのである。暴力の非道徳性は痛みをもたらしたはずだが、その痛みもヒロイズムのなかで鈍らされる。ヒロイズムこそ暴力の温床であり、ひとびとがその救いを求め見いだす先なのである。現代世界は忍耐の美徳を忘れてしまった。全員がただ一度の機会に一斉に身を投じるスピードのある効果的な行動の前では待機し、痛みに耐える能力のかそけき光は色褪せた。だがエネルギーの絢爛たる誇示は人を殺す。あの忍耐の美徳を思い出さねばならぬ。革命的精神に反対する諦念を説くためにではなく、忍耐の精神を--真の革命に結びつける本質的紐帯を感じさせるために。真の革命は宏大な憐憫から生じる。武器を執る手はその挙措の暴力性によって必ず報復される。この苦痛に対する無感覚が革命家をファシズムとの境界線へと連れてゆくことになるのである。
    --E.レヴィナス(内田樹訳)「忍耐の美徳」、『困難な自由 --ユダヤ教についての試論--』国文社、1985年。

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見てから定義しないで、定義してから見る

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 見なれぬ光景は、赤ん坊の世界にも似て、「大きくて盛んで、騒がしい一つの混沌状態」だ。ジョン・デューイ氏によれば、新しい事柄は、ほんとうに始めてで未知のものであるかぎり、以下のような衝撃を成人に与えるという。「理解できない外国語を耳にすると、いつもわけがわからずチンプンカンプンで、はっきりと区切れた個々の語群をその中から聞きとることは不可能である。さらには、街の雑踏に立つおのぼりさん、海へ出た陸ぐらしの者、複雑なスポーツ競技でエキスパートの間にはさまった初心者、彼らも同じような衝撃を受ける。未経験労働者を工場に入れてみると、最初のうちは工場設備も彼の目には何の意味もない寄せ集めと映るであろう。外国から訪れた人にとって、知人以外の異人様が皆同じ顔に見えるということも周知のことである。羊の群を見ても、外部の者には大小とか大ざっぱな色の違いしかわからないが、羊飼いは一頭一頭全部見分けられる。斑点の広がり方、区別がつかないほどちょっとした息づかいの違いが、素人目には見えない個別の特徴をあらわしているのである。したがって、事物のあらわす意味を自分のものとすること、換言すれば、事物をありのままに理解する習慣をつけるということは、意味の(1)限定性と区別、(2)一貫性あるいは安定性を、そのままでは不明確、不安定なもののなかに導入するということなのである。」しかし、どのような種類の限定性、あるいは一貫性を導入するかということは、それを導入する人にかかっている。
 デューイはこのあとの文章で、化学に造詣の深い非専門家と専門の化学者が、金属という語に下す定義がいかに異なるかという例を示している。素人の定義は、「滑らかさ、硬さ、つや、輝き、かさの割に重いこと……叩いても引き延ばしても切れない力、熱で柔らかくなり、低温で固くなり、与えられた形状を保持し、圧力や腐蝕に抵抗するという、役に立つさまざまな特性」をおそらく含むだろう。一方、化学者はこうした美学上、効用上の諸性質はさておいて、金属とは「酸素と化合して塩基を形成するすべての化学元素」と定義するだろう。
 われわれはたいていの場合、見てから定義しないで、定義してから見る。外界の、大きくて、盛んで、騒がしい混沌状態の中から、すでにわれわれの文化がわれわれのために定義してくれているものを拾い上げる。そしてこうして拾い上げたものを、われわれの文化によってステレオタイプ化されたかたちのままで知覚しがちである。
    --W.リップマン(掛川トミ子訳)『世論 (上)』岩波文庫、1987年。

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ちょい、気になりつつ、再度メディア論の古典である『世論』をひもとくある日の宇治家参去です。著者のウォルター・リップマン(Walter Lippmann,1889-1974)といえば、全米で最も著名なジャーナリストといって過言ではありません。

『世論』では、政治がいかに誤った認識によって人々を動かしているのかを分析しておりますが、リップマンはその根本原因を人間の認識の誤りやすさに求めております。

それがいわゆる「ステレオタイプ」の問題です。

人間は外界を「ステレオタイプ」という枠組みを通してしか理解することができません。
しかしこのステレオタイプは外界の精確な反映ではありません。
プラトンの真理論に見られる鏡像理論……すなわち、対象(真理)を精確に鏡のように映し出すように、対象を認識・記述することなど人間にとってはハナから不可能なわけなのですが、ともすれば、そうした理屈に乗りやすい側面があるわけですけども、現実は、どうなのでしょうか……。

リップマンによると、人間にとって不可避的現象のひとつであるステレオタイプの思考枠組みとは、どちらかといえば、望むものを見たいという願望やいかに先入観に合致しているかという基準によって形成されるものとのことです。

さて……
それぞれが全く異なる存在者である個々人においては、経験はそれぞれが独自の多様なものでありますので、当然、多様なステレオタイプが存在することになりますが、実際の生活活動においては、そうした個々人の共同性が常に意識され、問題にならざるを得ません。その場合、個々人の差異を乗り越え、いわばグルーピングされたかたちの、いわば共通した一般項が必要となってきます。それが集団に関与するステレオタイプになってきます。しかし、そこで求められているステレオタイプとは、あくまで個々の存在者、そして諸集団をいわば「まとめ上げる」一般項である以上、実際におきている現象よりも、むしろわかりやすい、そして耳に入りやすいシンボルが採用されることがほとんどです。

政治における言説もそのひとつであり、歴史を振り返ってみれば理解できるとおり、口の上手い山師の言語操作、利益誘導がそのほとんどです。また人間という生き物そのものがリップマンが指摘したとおり「認識の誤りやすい」生き物ですから、シカタガナイと言えばシカタガナイのでしょうが、シカタガナイですまないのも生きている生活世界なのでしょう。

だからこそ、リップマンは、そうした危険性をいわば是正すべく、誘導された「世論」を精密に検証する、いわば不偏不党なジャーナリズムに「世論」を公正に導く契機を求めただろうと思います。そして事実、マッカーシズムとベトナム戦争に対して容赦のない批判を行ったリップマンの歩みそのものがそのひとつの模範だったのかもしれません。

しかしながら……、メディアそのものがなんらかの利益誘導を計っているような現実を勘案してしまうと、決定的な「事実」や「証拠」が人々を正しい方向に導くという保証はまったく存在しないのかもしれません。そこに残されているのは、真偽のパワーバランスしかないのが現実かもしれません。

それでもなお、プライベートな世界にのみ引きこもることができないのが人間の社会生活であるとするならば、「誤りやすき」存在であることを踏まえたうえで、粘り強くひとびとと問題を検討するなかで、合意形成をめざしていくしかないのかなあ。

ちなみに、『世論』と訳された本書の原題は、PUBLIC OPINION 。『世論』の表題には「よろん」とルビがふられております。
「世論」に対しては「よろん」と「せろん」の二通りの読みが現在では流通しておりますが、もともとは区別があったようで、「よろん」=「輿論」=public opinion,「せろん」=「世論」=popular sentiments,とするのが正しいようです。前者が「討議による合意」であるとすれば、後者は「情緒的な共感の陳述」といったところでしょうか。

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【覚え書】「アメリカよ・新ニッポン論:第1部・同盟と自立/5 ◆ウルトラマン脚本家--沖縄帰郷」、『毎日新聞』2009年01月08日付(木)。

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ちょゐと忙しくて手抜きのようでスイマセン。
ただ、講義で使用しているネタに関連する記事ですので、いちおうということで。

「僕は人間という侵略者の協力をしている」。

ジレンマを感じなくなる……、鈍感になると、ますます人間から遠ざかっていくのかも知れません。

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アメリカよ・新ニッポン論:第1部・同盟と自立/5
 ◆ウルトラマン脚本家--沖縄帰郷

 ◇「被支配」の歴史に葛藤
 沖縄県南風原(はえばる)町。那覇市に隣接するベッドタウンに、故金城哲夫の実家はある。戦後テレビ史の不滅のヒーロー、ウルトラマンを生んだ伝説の脚本家。残された書斎には遺影と台本や人形が並び、「シュワッチ」の掛け声に胸躍らせた昔の少年たちが全国から見学に訪れる。

 1966年に始まり、今も続く長寿シリーズのストーリーは、「正義が勝つ」単純明快さが基本。だが、「ウルトラマン」「ウルトラセブン」までを主に担当した「金城時代」の作品からは、一貫して深いメッセージを感じ取った人も多い。ファンクラブを作った名古屋市の医師、渡辺豊信さん(50)は「異質な存在との共存や融和が描かれていた」と、その魅力を語る。

 傑作とされるウルトラセブン第42話「ノンマルトの使者」。人間より先に地球に住んでいた知的生物ノンマルトは、人間によって海底へ追われたが、そこにも人の手が及ぶ。人間との共存を求めたノンマルト。その使者に立った少年は、ウルトラ警備隊アンヌ隊員に海底開発の中止を懇願する。

 少年 人間はずるい。いつだって自分勝手だ。

 アンヌ 人間が人間のことを考えるのは当然のことじゃない。

 支配する側とされる側の溝。一緒にシリーズを手がけたシナリオライター、上原正三さん(71)は「金城は沖縄の人々が抱いてきたふつふつとした思いを表現した」と言う。

 沖縄は支配者が次々入れ替わってきた。江戸時代は島津藩が琉球王国に侵攻し、廃藩置県で明治の日本に組み込まれた。戦後は米国に統治され、72年の本土返還後も在日米軍基地の7割が集中する。

 金城は6歳で沖縄戦を生き延びた。中学卒業後に上京。ウルトラシリーズの全盛期、沖縄では復帰運動が盛り上がる。「故郷が揺れている。自分は何をしているのか」。69年に突然帰郷。一転して自らのルーツをたどるように郷土演芸・沖縄芝居の脚本を書いた。

 しかし、「沖縄をきちんと知ってほしい」と沖縄海洋博覧会(75年)の演出を手がけたことが、「経済振興に名を借りた環境破壊に手を貸した」と批判された。次第に酒量が増え、翌年、実家のひさしから転落死した。37歳。「沖縄はこのままでいいのでしょうか」が口癖だった。米国と本土のはざまで葛藤(かっとう)した末の早世とも見える。

 戦後、沖縄では「独立論」が語られてきた。本土復帰後も「米軍は出て行け」の叫びには、日本への複雑な感情も交じる。

 95年、米兵による少女暴行事件で抗議集会に約8万人が集まった時、島では独立論も燃え盛っていた。

 昨年10月、国連人権委員会は初めて「琉球・沖縄の人々を先住民族として認めるべきだ」と日本政府に勧告している。今年は島津藩の侵攻から400年、廃藩置県から130年。沖縄の歴史の節目の年でもある。

 ゲーツ米国防長官は、共和党政権から民主党政権に代わっても留任することになった理由の一つに「米軍再編の完遂」を挙げる。しかし、最大の懸案である普天間飛行場(宜野湾市)の移設で、沖合への移設を求める地元と、日米合意を堅持する政府の溝は埋まらない。大田昌秀元知事(83)は「本土の人たちは日米安保が不可欠と言うが、沖縄の不安は募るばかりだ」と、独立論の勉強を始めている。

 「ノンマルトの使者」の結末は、人間が海底人を滅ぼし、ウルトラセブンもそれに手を貸す。ラストシーンでヒーローは自問する。「僕は人間という侵略者の協力をしている」。ジレンマを抱える「正義の味方」のつぶやきだ。【隅俊之】=つづく
    --『毎日新聞』2008年01月08日付(木)。

http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090108ddm002030061000c.html

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つっかえつっかえ話し合えばこそ

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 自分が流暢に話せないことを弁解するわけではないが、すらすら外国語が喋れてコミュニケートできるからといって個人と個人の気持ちがすんなりと通じ合うというものでもないと僕は思う。すらすらとコミュニケートできればできるほど絶望感がより深まっていくということだってあるし、つっかえつっかえ話し合えばこそ気持ちが通じ合うということだってある。楽器の演奏にたとえるなら、超絶的なテクニックがあるからといって必ずしもより明確に音楽を表現することができるわけではない、というのと同じだ。もちろんテクニックはないよりある方がいい。だいいち楽譜が読めなければ演奏もできない。でも極端なことを言えば、ばしゃばしゃミスタッチがあっても、途中でつっかえて演奏を中断してしまっても、こころを打つ演奏というのはあるはずだ。僕はそう思う。僕の経験から言うなら、外国人に外国語で自分の気持ちを正確に伝えるコツというのはこういうことである。
 (1)自分が何を言いたいのかということをまず自分がはっきりと把握すること。そしてそのポイントを、なるべく早い機会にまず短い言葉で明確にすること。
 (2)自分がきちんと理解しているシンプルな言葉で語ること。難しい言葉、カッコいい言葉、思わせぶりな言葉は不要である。
 (3)大事な部分はできるだけパラフレーズ(言い換える)こと。ゆっくりと喋ること。できれば簡単な比喩を入れる。
 以上の三点に留意すれば、それほど言葉が流暢じゃなくても、あなたの気持ちは相手に比較的きちんと伝えられるのではないかと思う。しかしこれはそのまま<文章の書き方>にもなっているな。
    --村上春樹「やがて哀しき外国語」、『やがて哀しき外国語』講談社文庫、1997年。

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ときどき村上春樹(1949-)を読みますが、読んでおりますと、実に痛感するのが、村上春樹の作品は小説よりも、エッセーの類のほうが実は面白いのではないだろうか……というところです。もちろん、いうまでもありませんが、このことは小説をはじめとするの諸創作作品の質がわるいということではなく、エッセーの方が話題がダイレクトなために考えている内容が伝わりやすいということでありますが、ときどき読み直すと、「なるほどね」と頷く部分が多々あります。

うえの文章は、村上春樹がプリンストン大学へ客員教員として招聘された滞米経験での思い出の一コマですが、外国語に限らず、音楽の場合もそうですし、文章の場合もそうですが、なかなか気持ちや考えを誰かにコミュニケートするという作業は難問です。しかしコミュニケートなしに生きていくことが現実的に不可能であるとすれば、村上春樹の提示している3つのポイントはほぼほぼ正鵠を得ていると思いますし、物書きのはしくれとしては、留意すべきポイントなのだろうと思います。

さて本日。
昨年9月末〆で提出した紀要掲載のために書いた論文が冊子になって到着しました。わたしくしごとですが、自分の書いたものが「活字」として「形」になるのはうれしいものです。

「吉満義彦の人間主義論 --近代批判とその神学的根拠(1)」、『東洋哲学研究所紀要』(第24号、2008年)。

苦労した割には、コンテンツがないんだよなというのが実感ですが、論文を書くうえでも、3つのポイントは大切になってきます。

「考えている」「思っている」ことはだれにでもできますが、それだけではだめなのでしょう。要は、それを自分以外の誰かが読んでも・聞いても「理解」できる「コミュニケート」できる内容に転換する作業が不可欠なんだよな、というところです。

この労作業を抜いてしまうと、論文だけに限らず、日常生活に関しても、想念の押し付け合いになってしまうのだろうな~と思う昨今です。

で……。
本日、春の七草を頂きましたが……少し泥臭かった。
もうすこし洗うべきではなかったろうかと思うのですが、それをそのままコミュニケートしてしまうと、「じゃあ、おめえが洗えよ」ってなってしまいますので、少し工夫が必要かも知れません。

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著者:村上 春樹
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我欲は千の悪魔以上に害がある

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144 我欲は千の悪魔以上に害がある。
人よ、自分に気をつけるがよい。我欲をもった自分を背負いこむと、千の悪魔以上に自分を害するであろう。
    --シレジウス(植田重雄・加藤智見訳)『シレジウス瞑想詩集 (下) 』岩波文庫、1992年。

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我欲の固まりをしごく自覚している宇治家参去です。

今日は、やっぱり「辛口」だよなあ~と、市井の仕事が済んでから「一ノ蔵」の300ml瓶を買って、「さあ飲もう!」と部屋へ入ると、眼鏡が粉砕されておりやした。

我欲が強い故か……、眼鏡はその日の気分とか、TPOで六つほど使っておりますが、そのうちのひとつの、ひとつのレンズがはずれておりやした。

恐らく、昨日帰還した息子殿の仕業なのでしょう……。

あまりいじくると可哀想なので、今回は我慢します。
そして、「我欲をもった自分を背負いこむと、千の悪魔以上に自分を害」してしまいますので、「一ノ蔵」で適度に「酔って」忘れた方がいいでしょう。

よくありますが、メイドさんが、ご主人の大切にしていた壺なんかを割って「どうしよう!」とありますが、「なんじゃこりゃああああ」と恫喝するよりも「怪我がなくてよかったね」と収める方が「大人」」ですから……。

とわいえ、しかし、なあ~。

これで眼鏡やられたの10回目でござんす。

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旨いもの・酒巡礼記:東京都下編 「隠れ家 旬菜 ダイニング ささ花」

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旨いもの・酒巡礼記:東京都下編 「隠れ家 旬菜 ダイニング ささ花」

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 意伯は夕餉のためにわざわざ料理屋を探して、彼なりに妻を慰労したようである。宿の食事は癖のない据え膳らしく、我儘が言えない。旅のはじめに料理屋で味わう土地の味は、万には一生の贅沢であった。海辺のそれはどれも野趣に溢れて、中でも時季のカツオが絶品であった。厚い刺身はねっとりとして舌を蕩かし、骨ごと輪切りにして甘辛く煮付けた切り身は豪快であった。はじめて見るナガラミや牡蠣の卵とじ、飯沼蒟蒻というカイソウやノゲノリは磯の香りに満ちていた。彼らは塩茹でにした殻付きのナガラミをしみじみと眺めて、
 「これは海のタニシでしょうか」
 「まあ、そんなところだろう」
 とヤマサの醤油で味わった。夫婦が夫婦らしく旅の休らいを楽しんでいた。
 「調子の牡蠣は夏場のものだそうでございますよ、漁夫は生のまま食べるとか」
 宿の女中の話を受け売りしながら、万は豊かな海の幸をぺろりと平らげてしまった。
    --乙川優三郎「秋の陽射し」、『むこうだんばら亭』新潮文庫、平成十九年。

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時代小説を読んでいて、実は読み耽ってしまう部分というのが、話の筋とか捕り物の顛末というよりも、むしろ、季節の味わいを描写したシーンにその醍醐味があるのではないだろうか……などと思う宇治家参去です。

味わいの妙を絶妙な筆致で描き出す名手の筆頭に数えられるのは、いうまでもなく池波正太郎(1923-1990)の作品ということになりますが、ここ十数年の作家でその名手はだれかといった場合、藤沢周平の再来と評された乙川優三郎(1953-)かもしれません。
ちなみに「藤沢周平の再来」と評された乙川ですが、実は、作品が世に認められるようになり、それからそうした評価が付くようになって、はじめて藤沢周平(1927-1997)を読んだとかで、本人自身は、好きな作家に山本周五郎(1903-1967)を挙げております。

さて、池波正太郎の世界にも、そして乙川優三郎の世界にも共通しているのが、それがどのような季節の幸であったとしても、書物の世界のなかだけの架空の食卓ではなく、実際に作って食べることのできる一品だからこそ、リアリティがあるのかもしれません。真似て作るほど宇治家参去のレベルは高くありませんが、冬になると、やはり常夜鍋としての「小鍋だて」くらいはつくります。

それともうひとつ両者の共通点として指摘できるのが、キャビアやフォアグラ(それはそれで旨いのですが)というような、高価なものが実はほとんど出てこないということではないかと思います。季節の山菜・海産を丁寧に拵えたものの描写がほとんどで、食材とどのように向かい合うのか、読んでいながら考えさせられるところがあります。

で……。
この「丁寧に拵える」というところが実は困難な訳ですが、久し振りに「丁寧に拵えた」料理を提供するお店で、家族とささやかな新年会を行って参りました。
昨日……。
義母が息子殿を東京まで連れてきてくださったのでその足で、自宅から近い「隠れ家 旬菜 ダイニング ささ花」で軽く祝宴です。

この店、花小金井駅北口のビルにある店ですが、訪問は始めて。
年末、細君が所用でこの店を利用したようですが、なかなか雰囲気もよく、料理も「丁寧に拵えた」ものを出すとのことでいってみました。

なかは、掘り炬燵の小さな個室と大きな宴会場だけのつくりで、清潔感にあふれた雰囲気で、BGMはもちろん、控えめの音量で流すJAZZ。

ビールはヱビスビールのみで、日本酒(地酒)、焼酎類もそれなりにそろってい、よく躾られた若者たちがてきぱきと給仕してくれ、雰囲気もよければ、酒もうまいというので、はやい時間ではありましたが、なかなかににぎわっているようでした。それもウルサイという感じではなく、大人の空間で、「時間を忘れさせてくれる」とはこのことなのでしょう。

宇治家参去、この日、何も食べておらず、がまんできずに夕方、マクドナルドを食していたため、喫食は控えめで、酒メイン(……っていつもそうですが)でセレクトです。

アボガドと生ハムのサラダも抑えられたドレッシングがよく、唐揚げも丁寧に揚げているのでしょう、ジューシー感がこたえられません。刺身も鮨も素材が新鮮なのでしょう、臭みがなくこれも上品な味わいです。

自分は、ニラとエリンギを白胡麻であえた饅と、博多明太子と大根おろし合えで地酒を三合ほど頂きましたが、これもくどくなく酒の友としてはふさわしい、抑えられた味わいです。

地酒は「十四代」が時価でおいてあるようでしたが、あいにくこの日はなく、「ポスト十四代」と評される「笹一(さゝ一)」(笹一酒造/山梨)でゆっくり始め、純米吟醸の「黒龍」(黒龍酒造/福井)を堪能し、「飛露喜」(廣木酒造/福島)で締めました。

ことわざに「灯台もと暗し」とありますが、家の近くにこのような「さわやかな店」があるとは知らず、新しい発見です。

独立店舗ではなく、グループ店になるようですが、大きなチェーン店ではありません。しかし、「丁寧に拵えた」旬の幸は本物です。

■ 隠れ家 旬菜 ダイニング ささ花 花小金井
  東京都小平市花小金井1-1-11 エメラルドビル2F
  無休 17:00~01:00

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むこうだんばら亭 Book むこうだんばら亭

著者:乙川 優三郎
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常難の日々

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 私たちは関係について思惟するのではなく関係するのである。ことは内在的瞑想ではなく、行動に係わる。世界の不浄性--旧約聖書がその所与のすべてとともに受けとめているのはこれである--のなかにおいてこそ、聖潔は築かれる。然り、聖潔は築かれる。聖潔とは行動である。世界の贖いは存在しない。世界の変革が存在するのである。自分自身の贖いはすでにして行動である。内在的悔悛とは論理矛盾である。受苦には魔術的効果などありはしない。受苦する価値があるのは、彼が受苦しているからではなく、苦難に耐えて昂然と頭を上げている彼の正義のゆえにである。受苦も死も人間の受難を表現する語であるが生とは受難ではない。生とは行為である。生は歴史のなかにある。
 ここで言う歴史は罪からではなく、人間の創造から始まる。完全なる存在のパラドクスは、自分以外に自分と等格のものを望んだこと、つまりは存在の多様性を、したがって内在性を超える行動を望んだことに存するのである。ここにおいて神は創造それ自体を超越したのである。ここにおいて神は「自らを空とした」のである。神はこうして話しかける相手を創造したのである。
    --E.レヴィナス(内田樹訳)「シモーヌ・ヴェーユ、反聖書」、『困難な自由 --ユダヤ教についての試論-- 』国文社、1985年。

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元旦に細君がなにやら、決意とか目標をしたためていたのですが、今日、よく見てみると、私の目標のところ--「大学での常勤」と書かれております。

いまのところ、何のアテもありませんが、ひとまず論文の提出の先に見えてくる当面の山がその目標ということになるのですが、その書かれた紙をよく見てみると「字」が間違っている。

すなわち、「常“難”」と最初は書かれていたようで、上から斜線を引いて「常“勤”」と書き改められていたようでした。

そこで、「字が間違っているけど、全部書き直した方がよくない?」とやぶへびをしてしまいますと、「そういう人が直せばいい」ということで案件がクローズです。

で……
「常難とは上手いことをいうねえ」と細君にふると、

「常難のような人生ですからねえ」

なるほど……。

しかし、自分としては、まずもって今の境涯を甘受することは決してできませんが、それと同時に大変で苦しい状況ですが、「苦しい!助けてくれ!」というような悲壮感のようなものは不思議なことですが決してありません。と同時に楽天的なところもありません(「楽観」ではなく「楽天」)。

「受苦には魔術的効果などありはしない」ので、苦しみに酔って、耐え忍ぶ義人を演ずることもありません。

そして……現状を甘受せず、そして苦しみに酔わず、昂然と進む中で苦難が意味あるものになるのでしょう。

ちょうど、レヴィナス(Emmanuel Lévinas,1906-1995)が、受苦の歩みを決して辞めなかったシモーヌ・ヴェーユ(Simone Weil,1909-1943)のことを書いている文章を読んでいたところでしたので、今日は「常難」という言葉に引っかかった宇治家参去です。

レヴィナスの人生は、ユダヤ人の歴史と同じく「受苦の歴史」であったといってよいのですが、それだからこそ、彼の言葉は肺腑から出てきた迫力と輝きがあるのでしょう。

痛みは痛みとして引き受けながらも、現状にたゆみなく働きかける。
痛みに酔わないようにしながら、痛みは常に存在することを把握する。
そのすがたこそ、「受苦しているからではなく、苦難に耐えて昂然と頭を上げている」人間なのでしょう。

「受苦も死も人間の受難を表現する語であるが生とは受難ではない。生とは行為である。生は歴史のなかにある」。

ただ、歩きながら、このことを恬淡とした素の歩みのなかで実践したいものです。

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困難な自由―ユダヤ教についての試論 Book 困難な自由―ユダヤ教についての試論

著者:エマニュエル レヴィナス
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【覚え書】「アメリカよ・新ニッポン論:「真の和解」遠く 被爆地と真珠湾、相互訪問訴える元記者」、『毎日新聞』2009年01月03日付(土)。

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アメリカよ・新ニッポン論:「真の和解」遠く 被爆地と真珠湾、相互訪問訴える元記者
 ◇「両国トップが花を手向けるだけでいい」 独ドレスデン、旧敵同士で追悼
 チェコとの国境に近い鉄道を乗り継いで8時間。ドイツ東部の古都は、夕闇に包まれていた。昨年11月15日、共同通信の元ワシントン支局長、松尾文夫さん(75)はドレスデン中央駅に降り立った。駅前の大通りには、空襲を受けて破壊されたビルの暗い影。戦争の記憶がまだ少し残っていた。明治期に留学した森鴎外も愛したこの街こそ、松尾さんが13年前から思い焦がれた都市だった。

 95年2月13日--記者をやめて通信社の新規事業部門にいた松尾さんの目は、出張先の米ワシントンのホテルでテレビニュースにくぎ付けになった。「ドレスデンの和解」を伝えていた。第二次大戦末期、米英軍はドレスデンを空爆。教会も含む無差別爆撃で、美しい街並みの8割が破壊され、3万5000人以上が亡くなった。この日は「50周年追悼ミサ」が行われ、英米の王室や軍トップが出席していた。

 松尾さんは衝撃を受けた。アメリカとドイツが和解を果たしている。日本も大戦末期、無差別爆撃を受けた。そして、広島、長崎が人類初の被爆地となった。調べてみると、米大統領は被爆地に行っていないし、日本の首相もなぜかハワイ真珠湾の戦艦アリゾナ記念館で花を手向けていなかった。日米は真の和解をしていない、と痛感する。「言葉は要らない。ただ、両国のトップが手を合わせ、花を手向け合うだけでいい」。ジャーナリストに復帰した松尾さんは「日米首脳の相互訪問」を訴え始めた。

 原体験がある。国民学校6年のとき、疎開先の福井市で空襲に遭った。農道の行き止まりのサツマイモ畑に伏せていたとき、米爆撃機B29の集束焼夷(しょうい)弾が落ちた。わずか20メートル先。田んぼの泥が全身に降ってきた。死の恐怖より、母が握りしめた手の痛みを覚えている。弾は奇跡的に不発だった。アメリカに殺されずにすんだ。

 <なぜアメリカと戦争をしたのだろう>。戦争相手の国のことを知りたくて、松尾さんは記者を志す。1960年、ケネディが当選した大統領選挙取材から半世紀、アメリカという国の本質を探り続けた。自由の国、民主主義の国。その思想を力で押しつける超大国。冷戦、ベトナム戦争、ニクソン・ショック、9・11同時多発テロ、イラク戦争……。アメリカは理想を掲げて膨張し、傷つき、しかしそのたびに新しいビジョンを示して復活するしたたかな国だ。

 「米大統領が広島で花を手向けてほしい。日本はそれをきっかけにアジア諸国との和解を進めなければならない」

 05年8月16日付の米有力紙「ウォールストリート・ジャーナル」に松尾さんの論文が掲載された。翌日、スピークス元大統領報道官から賛意を伝える電話があった。シーファー駐日米大使も「お話を聞きたい」と言ってきた。日本よりむしろ、米側が提案を真剣に受け止めている気がした。

 昨年秋。古都ドレスデンの5日間の滞在中、松尾さんはさまざまな人と出会った。「和解の日」当時の市長に会えた。何より、同世代の空襲経験者の女性と話ができたのがよかった。彼女たちは英語でいう「サバイバー(生き残り)」と呼ばれ、テレビにいまも出演する有名人。社会から大事にされていると感じる。石だたみの道を歩き、空爆の破壊から12年かけて再建された聖母教会の前にたたずみながら、歴史について考えた。歴史と向き合うことの大切さと難しさ。母は自分のことを「焼け出され」と口ぐせのように言って卑下していた。母たちの世代にとって戦争体験は恥ずかしいことなのだ。日本人は戦争を忘れたがっているのか。

 ドイツから帰国してまもなく、日本外国特派員協会で行われた田母神俊雄・前航空幕僚長の講演を聞いた。アメリカに気を使いながら「侵略はなかった」と自説を繰り返す姿勢は痛々しく、かわいそうに思えた。和解するということはけじめをつけることから始まるのだ。日本人自らの手でけじめをつけなければ。それが「生き残った」自分の使命だと感じる。

 昨年末、甲府市内。「戦争犠牲者の追悼と和解」と題された市民講座に、松尾さんは招かれていた。学生が、年配者が熱心に話に聴き入る。「和解の意味がわからない」「結局は軍事力とドルによる国の意思が優先されないか」。午後9時をすぎても続いた。松尾さんは学生に説いた。「アメリカという国をよく、勉強してください。その結果として和解があるのです」【滝野隆浩】=次回は6日に掲載

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 ■ことば

 ◇聖母(フラウエン)教会
 ドイツの古都ドレスデンの旧市街地区にある、18世紀に17年かけて建立された美しいバロック様式のプロテスタント教会。ナチス・ドイツの降伏3カ月前、すでに戦況が決していた1945年2月13、14日に、米英連合軍の空爆によって全壊した。戦争初期のロンドン空爆への報復とされている。戦後は戦争の傷跡を示す遺物として、がれきのまま放置されていたが、東西ドイツ統一を機に市民から再建計画が持ち上がった。英米などから集まった寄付は1億ユーロ以上。残ったがれきを最大限活用する「世界最大のジグソーパズル」と言われた修復作業に12年の歳月をかけて、戦後60年の05年10月30日に再建された。

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    --『毎日新聞』2009年01月03日付(土)。
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090103ddm003030007000c.html

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万世をまうにぞきみをいはひつる 千歳のかげにすまんと思へば

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よしみねのつねなりがよそぢの賀に、むすめに代りてよみ侍りける
     そせい法師

万世(よろずよ)をまうにぞきみをいはひつる 千歳のかげにすまんと思へば

    --佐伯梅友校注「巻第七 賀歌 356」、『古今和歌集』岩波文庫、1981年。

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大晦日……仕事を終えてから結構飲んだわけですが、起きて新年。

細君とふたりなのですが……起きてから、屠蘇を!とプリーズするのですが……どうやら、

「酒臭い(1)」……。
(1)精確には「酒」は飲んでおらず、「ワイン」臭いというべきなのでしょうが突っ込むと「やぶ蛇」というやつで……。

細君手作からのおせち料理を目の前に「おちょこ一杯」にて終了する元旦の宇治家参去です。

新年の出発ののち、一時間ほど端座して新年の決意を使命に転換です!!

そして……「寒いので~」

おちょこ一杯ほど、「お許し」が出たので、ゆっくり味わってから、隣町に住む細君の妹儀夫婦の招待を受けていたので。おじゃましてすき焼きでかる~く晩酌。

しかし……。

ビールとスパークリングワインだけですと……。

どうしても「しまりせん」。

新年の祝い酒に用意していた『〆張鶴「月」本醸造』(宮尾酒造)にて、まさに「〆」を今やっております。

新年の出発ののち、細君より「本年はちがう一年に! ぼーっとしている時間があれば、研究をしないさい!(済んだら「思うさま」飲んでよいよという含み有り)」と恫喝(激励?)されましたので、すこしだけ、論文の入力と、短大の授業の準備完了させ、元旦より本業のスタートです。

明日は、昼から市井の仕事です。

やるぞ!!

……しかしながら「〆張鶴」。
うますぎですよ~。ほんま、あまり「呑ませないでくださいまし」。

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著者:佐伯 梅友
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これからはひたすら正義と善とに仕えよう

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 一二月三十一日
 これからはひたすら正義と善とに仕えよう、しかもそうする機会が求めずして現れるに従ってそれをしよう、と。一旦固い決意を抱いたならば--これはたしかに、あらゆる「よい計画」のなかで最も理にかなったものである--、そうなれば、日も月も季節も年も、いや、生涯の終わりの大多数の出来事さえも、気にかからなくなり、暦もほとんど無用な道具になってしまう。
 時間というものは、時間から主として享楽を期待して活動を期待しない者にとってのみ、価値と意味をもつのである。
 さあ、安心しなさい。あなたが、これまでと違った者になろうと真面目に思うなら、人間の知恵や教えなどなくてすませる時期が訪れるであろう。なぜなら、あなたは全くひとりでに、すなわち、浄められた本性のおのずからな衝動と傾向から、いつも正義と善とを考え、かつそれを行うことができるからである。
 ダンテ『神曲』煉獄篇第二七歌一一〇-一四二行、ヨハネによる福音書一四の一六・一七

 そうなったら、神があなたのためになされたご苦労に対し、また、ようやく目標に達したあなたの生涯について、神に感謝をささげなさい。
 では、その日まで御機嫌よう。また、そうなるために勇気をもちなさい。
 ただ、たとえばアグリッパ王のように「あなたにはあわや説得されるところだった」(使徒行伝二六の二八)などと決して言ってはならない。このような冷淡な、中途半端な同意は、このアグリッパの実例(パウロはこれと正反対である)が示しているように、明らかな反撥よりも、なお一段と絶望的なものである。
    --ヒルティ(草間平作・大和邦太郎訳)『眠られぬ夜のために 第一部』岩波文庫、1973年。

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さきほど市井の仕事から帰宅し、ようやく一息ついた宇治家参去です。

暦の上では、新年ということになるのでしょうが、呑んで寝て起きるまでは、自分自身の内在的な時間感覚が大晦日という状況で--、早く呑んで寝るべきなのですが、日課としている、スイスの公法学者にしてモラリストとして知られるヒルティ(Carl Hilty,1833-1933)の枕頭の書『眠られぬ夜のために』を読むまでは--と思い、呑むのを少し我慢して、いまようやく飲み始めた所です。

この『眠られぬ夜のために』というのは、面白い本で、それぞれ365日分の小文といいますか、哲学的断章がのせられており、本編は一部と二部にわかれておりますので、一年ごとに第一部と第二部を交互に読めるように編まれております。

敬虔なクリスチャンとして、人生、人間、神、死、愛などの主題について含蓄深い言葉を読んで寝るのが宇治家参去の習慣です。

ですから細君からは「耶蘇臭い」といわれる始末ですが、それはそれで自己自身のオリジナリティとでも言えばいいのでしょうか、専門臭ですのでどうしようもありません。

さて--、大晦日の頁を先ほど読んでいたわけですが、「一旦固い決意を抱いたならば--これはたしかに、あらゆる「よい計画」のなかで最も理にかなったものである--、そうなれば、日も月も季節も年も、いや、生涯の終わりの大多数の出来事さえも、気にかからなくなり、暦もほとんど無用な道具になってしまう」んだろうな、というところです。
新渡戸稲造の特異な表現を借りるとすれば「ココだな」という部分です。

すなわち、その経緯・経過のなかでは紆余曲折は存在するのでしょうが、始めにたてた「決意」を大切にするひとは、年月がいくらかかろうとも、成就することができるのではないだろうか--そういうところです。

とくに、正義とか善といった問題は、孟子(B.C.372-289)の「巻第三 公孫丑章句上・六」にあるような形で、作為以前の「思わずはっとしてかけつける」ような心根をきちんと大切にする限り、それが自己自身の決意と重なった瞬間に、それは見事な華を咲かせるのではないだろうか--そういうところです。

正義に関しても善に関しても、言説を駆使して「説明」することは可能です。そしてそれを「売り物」「看板」にすることも可能です。

しかし、自己自身の決意として、本然的なあり方を大切にしながら、称賛も拍手も全くないなかで、それは誰にも省みられないかもしれないのですが、それにもかかわらず、なお、自己自身の営みを辞めないあり方を継続し続けることができれば、人は勝利することができるのではないのかなあ~などと思った次第です。

ヒルティの『眠られぬ夜のために』には数十回と読み直した一書ですが、通俗的な表現に傾いてしまいますが、本物の一書は「不思議なことに何度読んでも新鮮」なものです。

時に触れて自己自身の営みの無益さ、無生産性、そして無意味さを痛恨することが多い宇治家参去です。

しかし、それでもなお、本年こそ、活路を開く礎の一歩となる一年にして参りたいと思いつつ……呑んでいると、冷蔵庫内にてオードブルを発見したので、もう一陣やって新年の早朝?を迎えようかと思います。

皆様の毎日に幸いあれ!

ともあれ……。

あけましておめでとうございます。

この4-5年間、ひとりで正月を迎えておりましたが、本年は、息子殿は細君の実家へおくっておりますが、細君は在京のため、少し?華やかな新年がむかえられそうです。

しかし……それだと「アマリノムコトガデキナイ」んだよなあ~。
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眠られぬ夜のために〈第1部〉 (岩波文庫) Book 眠られぬ夜のために〈第1部〉 (岩波文庫)

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