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131年前の今日

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 日清戦争前後の事を回想すると、現代とは大部様子が違ひ、子供心にも外国の侮りを受けたと聞かされて憤慨したり、国威を海外に輝かしたとの話に昂奮したことなど憶い出す。福島中佐の西伯利(シベリア)単騎横断(明治二十六年)はあの頃西洋でどんな風に見られて居たか知れぬが、我国では破天荒の冒険に西洋人のどぎもをぬいた痛快事として吹聴され、私共子供眼には中佐は一個世界的英雄として映じ、その一挙一動の報道には毎に熱血をわかしたものである。新聞の断片的報道を丹念に集め、地図によって覚束なき旅行談でもするとなると、学友会などは満場立錐の余地なき盛況であつた。
    --吉野作造「日清戦争前後」、『経済往来』1933年1月号。

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平成二十一年(二〇〇九)、一月二九日(木曜)、快晴。

昨日、吉野作造記念館ニテ、博士論文作成上必要不可欠ナル史料ノ調査ヲ行ヒ、無事終エル。
夕刻ヨリ、古川ノ街ヘ繰リ出シ、往時ノ息吹ニ浸ルトトモニ、日本酒ニテ、吉野作造ノ偉績ヲ独リ讃エタリ。

……ということで、早めに寝てしまったので、早めに起きてしまった宇治家参去です。

記念館では展示物を閲覧させて頂いたあと、前もって連絡していたので、クリスチャン・デモクラット吉野作造(1878-1933)が使った聖書を閲覧させて頂き、書き込み等を確認させて頂き、2,3点気になるところを伺い、生家跡を巡ってから、ホテルへ。

ホテルのとなりの酒屋で自分用のおみやげを購入し、そのあと、古川の街を彷徨いながら、飲み屋へ行き、東北の味を堪能させて頂きました。

古川は、2006年、周辺地域と合併し、大崎市と改称されておりますが、その中心をなすのが、旧古川市で、吉野作造はその地に綿屋の息子として生まれました。こざっぱりとした街で、清涼な空気とホコリ気のないたたずまいが印象的な街です。

吉野は、第二高等学校(現在の東北大学)を経て、Imperial University of Tokyoの法科大学へ進学し、あとはご存じの通り大正デモクラシーの旗手として活躍した次第です。

さて……。
何故、吉野作造の魅力に惹かれるのでしょうか。
きっかけとしては、指導教官から吉野作造でやってみなさいという契機としては外発性ですが、その著作をひもとくなかで、吉野作造でやってみる意味はあるな……というのは実感するのですが、そのひとつは、やはり吉野作造自身が「自分は善いことやっているんだぜ」という雰囲気が全くないというところでしょう。

確かにデモクラシーを説き、国際協調を説き、帝国主義に批判的な立場から中国・朝鮮問題にも容喙しております。

その意味で業績としては、たしかに「善いこと」をまあ、やっているわけですが、本人自身はちっとも善いことをやっているとはおもっていないし、うえに引用したとおりですが、長じてからは、軍国主義とか民意を反古にする翼賛体制に批判的な立場をとるわけですが、それでも、自分自身も「愛国者だった」というところを臆面もなく語る人はほとんど存在しません。ある意味で、「俺は根っからの反軍国主義者だ」という手合いは多いのですが、そうではなく、あくまでも「自然体」で語りかけるところにその魅力があるのかもしれません。

正義を語るために、作られた物語に酔うのではなく、正直に語るスタイルがどこまでもその魅力です。いかに議論としては反対者であったとしても、吉野作造はねばり強く対話を通して、相手と理解しようとした姿勢は、職業革命家の描いてみせる夢想とは遠くかけ離れたレアリストの強さと、理想を実現させようとする本物の使命観を見せてくれているように思われます。

さて本日1月29日。
今から、131年前の今日、この古川の地で吉野作造が誕生しました。
吉野作造の民本主義の思想は、主権の所在を問わない点で、確かに「理論としての限界」は存在します。デモクラシーの旗手として活躍した当時からも、その点を、右からは、天皇親政の立場からの批判(上杉慎吉)されていますし、左からは、理論の陥穽を批判(山川均)されております。

しかし、吉野作造が見出し大切にしたのは、理論そのものではないという点です。理論よりも優先されるべきは、民衆の幸福の促進という点だったことを忘れてはいけないのでしょう。

戦後、確かに体制・理論としての民主主義は確固として樹立されます。しかし、民意に耳を傾ける、そしてその幸福の増進を図る……という目的がデモクラシーの議論のなかですっぽりと抜け落ちてしまうと、状況としては「プロクルテスの寝台」(人間のサイズにベッドを合わせるのではなく、ベットのサイズに合わせるように人間をひっぱたり、切り刻んだりするというギリシア神話のエピソード)になってしまうのでしょう。

盟友・内ヶ崎作三郎は吉野の死後、「(吉野作造は)無限の親切の人」だったと語っておりますが、その人格を支え、薫育した宗教の問題を解明するのは、この無宗教性がもてはやされる現代においてこそ必要な作業なのだと思います。

ともあれ、生誕131年目を迎えた吉野作造の思想の持つ意味はいやまして大きいものだと思います。

さあ、東京へ戻りますか。

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