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見てから定義しないで、定義してから見る

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 見なれぬ光景は、赤ん坊の世界にも似て、「大きくて盛んで、騒がしい一つの混沌状態」だ。ジョン・デューイ氏によれば、新しい事柄は、ほんとうに始めてで未知のものであるかぎり、以下のような衝撃を成人に与えるという。「理解できない外国語を耳にすると、いつもわけがわからずチンプンカンプンで、はっきりと区切れた個々の語群をその中から聞きとることは不可能である。さらには、街の雑踏に立つおのぼりさん、海へ出た陸ぐらしの者、複雑なスポーツ競技でエキスパートの間にはさまった初心者、彼らも同じような衝撃を受ける。未経験労働者を工場に入れてみると、最初のうちは工場設備も彼の目には何の意味もない寄せ集めと映るであろう。外国から訪れた人にとって、知人以外の異人様が皆同じ顔に見えるということも周知のことである。羊の群を見ても、外部の者には大小とか大ざっぱな色の違いしかわからないが、羊飼いは一頭一頭全部見分けられる。斑点の広がり方、区別がつかないほどちょっとした息づかいの違いが、素人目には見えない個別の特徴をあらわしているのである。したがって、事物のあらわす意味を自分のものとすること、換言すれば、事物をありのままに理解する習慣をつけるということは、意味の(1)限定性と区別、(2)一貫性あるいは安定性を、そのままでは不明確、不安定なもののなかに導入するということなのである。」しかし、どのような種類の限定性、あるいは一貫性を導入するかということは、それを導入する人にかかっている。
 デューイはこのあとの文章で、化学に造詣の深い非専門家と専門の化学者が、金属という語に下す定義がいかに異なるかという例を示している。素人の定義は、「滑らかさ、硬さ、つや、輝き、かさの割に重いこと……叩いても引き延ばしても切れない力、熱で柔らかくなり、低温で固くなり、与えられた形状を保持し、圧力や腐蝕に抵抗するという、役に立つさまざまな特性」をおそらく含むだろう。一方、化学者はこうした美学上、効用上の諸性質はさておいて、金属とは「酸素と化合して塩基を形成するすべての化学元素」と定義するだろう。
 われわれはたいていの場合、見てから定義しないで、定義してから見る。外界の、大きくて、盛んで、騒がしい混沌状態の中から、すでにわれわれの文化がわれわれのために定義してくれているものを拾い上げる。そしてこうして拾い上げたものを、われわれの文化によってステレオタイプ化されたかたちのままで知覚しがちである。
    --W.リップマン(掛川トミ子訳)『世論 (上)』岩波文庫、1987年。

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ちょい、気になりつつ、再度メディア論の古典である『世論』をひもとくある日の宇治家参去です。著者のウォルター・リップマン(Walter Lippmann,1889-1974)といえば、全米で最も著名なジャーナリストといって過言ではありません。

『世論』では、政治がいかに誤った認識によって人々を動かしているのかを分析しておりますが、リップマンはその根本原因を人間の認識の誤りやすさに求めております。

それがいわゆる「ステレオタイプ」の問題です。

人間は外界を「ステレオタイプ」という枠組みを通してしか理解することができません。
しかしこのステレオタイプは外界の精確な反映ではありません。
プラトンの真理論に見られる鏡像理論……すなわち、対象(真理)を精確に鏡のように映し出すように、対象を認識・記述することなど人間にとってはハナから不可能なわけなのですが、ともすれば、そうした理屈に乗りやすい側面があるわけですけども、現実は、どうなのでしょうか……。

リップマンによると、人間にとって不可避的現象のひとつであるステレオタイプの思考枠組みとは、どちらかといえば、望むものを見たいという願望やいかに先入観に合致しているかという基準によって形成されるものとのことです。

さて……
それぞれが全く異なる存在者である個々人においては、経験はそれぞれが独自の多様なものでありますので、当然、多様なステレオタイプが存在することになりますが、実際の生活活動においては、そうした個々人の共同性が常に意識され、問題にならざるを得ません。その場合、個々人の差異を乗り越え、いわばグルーピングされたかたちの、いわば共通した一般項が必要となってきます。それが集団に関与するステレオタイプになってきます。しかし、そこで求められているステレオタイプとは、あくまで個々の存在者、そして諸集団をいわば「まとめ上げる」一般項である以上、実際におきている現象よりも、むしろわかりやすい、そして耳に入りやすいシンボルが採用されることがほとんどです。

政治における言説もそのひとつであり、歴史を振り返ってみれば理解できるとおり、口の上手い山師の言語操作、利益誘導がそのほとんどです。また人間という生き物そのものがリップマンが指摘したとおり「認識の誤りやすい」生き物ですから、シカタガナイと言えばシカタガナイのでしょうが、シカタガナイですまないのも生きている生活世界なのでしょう。

だからこそ、リップマンは、そうした危険性をいわば是正すべく、誘導された「世論」を精密に検証する、いわば不偏不党なジャーナリズムに「世論」を公正に導く契機を求めただろうと思います。そして事実、マッカーシズムとベトナム戦争に対して容赦のない批判を行ったリップマンの歩みそのものがそのひとつの模範だったのかもしれません。

しかしながら……、メディアそのものがなんらかの利益誘導を計っているような現実を勘案してしまうと、決定的な「事実」や「証拠」が人々を正しい方向に導くという保証はまったく存在しないのかもしれません。そこに残されているのは、真偽のパワーバランスしかないのが現実かもしれません。

それでもなお、プライベートな世界にのみ引きこもることができないのが人間の社会生活であるとするならば、「誤りやすき」存在であることを踏まえたうえで、粘り強くひとびとと問題を検討するなかで、合意形成をめざしていくしかないのかなあ。

ちなみに、『世論』と訳された本書の原題は、PUBLIC OPINION 。『世論』の表題には「よろん」とルビがふられております。
「世論」に対しては「よろん」と「せろん」の二通りの読みが現在では流通しておりますが、もともとは区別があったようで、「よろん」=「輿論」=public opinion,「せろん」=「世論」=popular sentiments,とするのが正しいようです。前者が「討議による合意」であるとすれば、後者は「情緒的な共感の陳述」といったところでしょうか。

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