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【研究ノート】吉野作造「巻頭言 人類の文化開展に於ける種子・地盤・光熱の三要因」、『中央公論』1923年2月。

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【研究ノート】吉野作造「巻頭言 人類の文化開展に於ける種子・地盤・光熱の三要因」、『中央公論』1923年2月。

コメンタリーを余り交えず、忘れちゃいかんだろうな~というメモの抜き書を【覚え書】としていましたが、少しだけ言及しながら、最低限の【覚え書】に対する「覚え書」を【研究ノート】として残すことにしました。

……というのは、また風邪をひいたようで、脳が機能停止状態になっており、それでも、毎日論文をまとめないといけない(少しでも前進しよう!)ということで、再度読んでいた一文を紹介します。

教科書的記述に従うならば、吉野作造(1878-1933)の憲政論・デモクラシー論は、「大正デモクラシー」を牽引する議論として華々しく論壇をリードしたわけですが、当初から左右両派から手厳しい批判も投げかけられ、苦渋に満ちた面持ちで「民本主義」を説き続けたのが実情です。

職業的革命家気取りの「社会改造家」からは「手ぬるい」と批判され、夢想家的理想主義者からは、「吉野の議論は理想を語っていない、単なる折衷案だ」と揶揄されたのが実情です。

しかしながら、吉野の議論を丹念に読んでみると、実は、「現実を見ろよ」って批判するレアリスト気取りの革命家こそ「現実を見ていない」し、「ぐだぐだの現実を撃つ」と称し、清廉な理想を説く「理想主義者」こそ「理想を語っていない」という現実を暴き出しているのではないだろうかと思うことが多うございます。

それが今から紹介する一文に面目躍如として現れているようでございます。

ちなみにいえば、「仏性」なる言葉をクリスチャンデモクラット吉野が使うのもこの一文であり、「人間は皆神の子である。神の子であるならば、信仰の関わりなく救いがあるはずだ」との信念を常々語っていた吉野の、また別の側面をみた思いが致します。

吉野の言うキー概念としての「神子」観は信仰の師・海老名弾正(1856-1937)より受け継いだ概念であり信念でありますが、海老名-吉野に共通してみられるのは、人間は皆「神の子」であるならば、キリスト教信仰を保持していようがいまいが、それにかかわりなく「救い」はあるはずだとする信念のようなものです。まさに「万人に救いの可能性」……「仏性」という言葉に注目するならば「万人に成仏する可能性が潜在する」との発想と受けとってよいと思いますが……そうした発想が顕著で、キリスト教思想史の関わりから表現するならば、いわゆるUniversalism(ユニヴァーサリズム)に近いそれなんだろうなと思われます。

カルヴィンの予定論を退け、万人に救いの可能性を見出したキリスト教プロテスタンティズムにおける一派をUniversalist(ユニヴァーサリスト)と言いますが、本朝で省みれば、明治中盤にユニヴァーサリストは渡来し、教会形成を行っております。

そして仏教思想史との関連で「仏性」を省みれば、『法華経』や『涅槃経』で説かれる「成仏」論に関係してくる部分です。
すなわち、仏道修行の究極の目的は「成仏」……キリスト教で言えば「救いの成就」でしょうか……になりますが、『法華経』などでは、万人に内在する仏性を開発し自由自在に発揮することで、自己の成仏を成就できるだけでなく、他の衆生の苦しみをも救っていける境涯を開くことができると説かれるわけです。

そこに神子観と仏性観が絶妙に交差しているよな~などと思うわけですが、ユニヴァーサリストとの交流関係、そして吉野作造と仏教的思想の関わり……この問題の解明も大切な課題かも知れません。

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 人類の文化開展に於ける種子・地盤・光熱の三要因

 樹を植えて良き実を結ばしめんが為には種子と地盤と裕(ゆたか)なる光熱と三ツの条件が揃はねばならぬ。文化の発展乃至価値の創成にもまた同じ様なことが云へる。
 地盤が悪るければ折角の良種も伸びやうがない。御天道様(おてんとうさま)も畢竟(ひっきょう)無駄光りだ。故に良農は先づ地の肥痩を吟味する。外に仕様が無いとなれば施肥に依て土質の改善をさへはかる。而して是れ取も直さず現代に於て社会改造の大(おおい)に叫ばるゝ所以(ゆえん)ではないか。
 現代のやうな悪組織の社会を地盤として立派な人文的果実の結成を期待す可(べか)らざるは言ふまでもない。従て現代に在てかの所謂(いわゆる)社会改造は実に焦眉の急務だ。此点に於て吾人は世上多くの社会運動家等の努力を多とするものである。けれども若し当代の文化運動は所謂社会改造に尽くと為す者あらば吾人は残念ながら其識見の浅劣なるを咎めずに居られない。
 地盤は畢竟生命発育の条件だ。断じて其の原因ではない。原因は実に種子其者に潜在するのである。而して這個(しゃこ)生命の潜在原因を促して自発的に発芽成長せしむるものは、固(もと)より地盤の能くする所ではない。この第二段の而してより根本的な働を司る者は実に太陽の光と熱とでないか。換言すれば万物の化育を司る自然の温情ではないか。この自然の裕かなる温情に触れて始めて死者の如く頑(かたく)ななりし種子は、自らの生活力を意識して自ら其本質を発展せんとするの意思を喚び醒(さま)さるゝ。人類愛の宗教的情操の人生に於ける文化的意義は主として茲(ここ)に在ると思ふ。
 人類愛と社会改造とは文化開展に於ける二大要因だ。宗教と科学と提携すべきものなるが如く、愛の宣伝は社会改造の運動と互い相排斥してはならぬ。兎を追ふ者は山を見ず。自己の立脚する処に狭く観点を局限し、一面の姿相を以て全斑(ぜんぱん)を推さうとするときに、ともすると悲むべき破綻は起るものだ。世上幾多の奉仕献身の士よ。諸士は今この大局に眼を投じて実質的協力の途をもつと明に観るの必要を感ぜぬか。
 地盤と光熱との問題に次いで起こるのは種子そのものの問題だ。種子の問題になるとこゝに自然的観察と理想的観察との岐(わか)れ目が注意さるる。動植物の種子は進化論などの示す如く何処までも自然科学的因果律の支配を脱し得ない。悪種より良果を得るの見込は絶対にないから、良果を獲(え)んとするものは常に良種の選択に注意する。加之(しかのみならず)これは畢竟人類の用を為すものに過ぎず、其自身に目的を有するものでないから、質の良否に由て選択を厳重にするは差支(さしつかえ)なき事でもあり又必要な事でもある。之と同じく、昔人民は国王貴族の用を為す者と考へられて居た時代には、恣(ほしいまま)に民の部族を分ち其間に待遇の厚薄を附せられたことがある。併(しか)し乍(なが)ら今日は最早(もはや)四民平等の世の中となつた。すべて人は其自身目的の主体であると決められた。質の良否を分割して之を遇するの道を異らしむることは許されない。強き者にも弱き者にも各々其処(ところ)を得しむるが是れデモクラシーの一特徴だといふは実に茲処(ここ)から来る。
 更にも一つ突き進んで考へねばならぬことは、現代の思想は何故に質の良否に由て人を分割するを許さぬのかの点である。そは外でもない。人類に在ては他の自然物の如く遺伝其他の自然的因果律に支配さるゝ方面よりも、彼は単に人類なるが故に本来無限に向上発達するの可能性を具有すとされ、この可能性を有するの点に於て万人は平等と認めらるゝからである。地盤が悪い為に又光熱に浴するの薄かりしが故に、人類の中には十分伸び得ずして終るものはあらう。併し彼は其環境さへ順当のものであつたなら、必ず人類としての本来の面目を発揮し得た筈だ。自然物の如く親が乞食であつたから倅(せがれ)はどうせ碌(ろく)な者にはなれまいと云つた様な因果的約束に縛らるゝものではない。人格的本質に於て甲乙優劣の差ある筈なしとするのが即ち当代の理想的人生観だ。故に此立場よりすれば、仮令(たとえ)人類は其自身の主体でないとしても、質の良否を分割選択するの必要はないことになる。必要なるは唯地盤の良否を吟味することである。豊裕なる人類愛的温情を潤沢に流れしむることである。
 理想主義の立場を社会改造運動の邪魔物と考ふることの如何に浅果敢(あさはか)なものであるかは此上(このうえ)説明するまでもなく明白であらう。理想主義の立場は人類のすべてに謂(い)はゞ仏性を認め、而して其の本質的発展の礙(さまた)げらるゝは一に物理的環境に在りと為すのだから、それ丈け社会改造の急務を感ずるものではないか。社会を改造したつて裕なる光熱の放射がなくば芽は出まい。而してこの人類愛の温情はすべて人皆仏性ありとの信仰を背景としなくては容易に生じ得ないのではないか。
 理想主義、人類愛、社会改造。協戮(きょうりく)は生命の発育だ。割拠は人生の破綻だ。近代文明の諸問題は結局根本に於て這般(しゃはん)の点を如何に観るかに帰すると思ふ。
    --吉野作造「巻頭言 人類の文化開展に於ける種子・地盤・光熱の三要因」、『中央公論』1923年2月。

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