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【研究ノート】遠藤周作「日本人の宗教ってなに?」、『変わるものと変わらぬもの』文春文庫、1993年。

01_img_0498 悩み、考え抜く力が喪失してくるとつい【覚え書】とか【研究ノート】でお茶を濁す宇治家参去です。

ことしの花粉症はひどく、鼻喉だけでなく、目までやられてしまうのが難点で、思考停止とはこのことをいうのかもしれません。

市井の職場のバイトくんからも、

「宇治家参去さん、薬飲むとか治療した方がいいッスよ」

……といわれるわけですが、

「おめえ、俺の薬は知っているだろう!」

……と切り返すと、

「マジで、酒ッスか?」

……と漫談になってしまいます。

さて、ここ1週間ほど、遠藤周作(1923-1996)の著作を再度読み直しておりますが、小説だけでなくそのエッセーも秀逸です。

周知の通り、遠藤周作は、旧制中学の頃、ローマ・カトリックの洗礼を受けております。
日本の文芸関係の知識人は、キリスト教との接点が多いわけですが、実は、死ぬまでその信仰を維持できた人は僅かです。

ですから、俗にそうした状況を揶揄して「卒業クリスチャン」(武田清子)という表現がありますが……キリスト教に触れて、やがてキリスト教から離れていくという状況を「卒業」との表現ですが……そういうひとびとと比べてみた場合、遠藤周作は「卒業クリスチャン」という歩みをせず、死ぬまで信仰を大切にした希少な知識人のひとりであると評価することができます。

しかし、『沈黙』などにみられるように、キリスト教信仰の問題は遠藤周作にとって大きな問題であり、葛藤であり、省察対象であったわけで、その問題とは何かといった場合、それは「日本人でありながらキリスト教徒であるという矛盾」であったといってよいでしょう。

遠藤自身は晩年次のようにかたっておりますが、すなわち自分自身の創作活動とは「だぶだぶの洋服を和服に仕立て直す作業」なのだということですが、このことはは、当該宗教が文化的土壌の全く異なった地域でいかに文化内開花していくのかという極めて神学的・哲学的問題あり、それはひとりキリスト教に限られた問題ではありません。

遠藤の文章を読んでおりますと、その部分を考えるヒントを垣間見ることができますが、やはりそれはそれとして、遠藤自身が痛感しているのは、日本社会における宗教に対する歪な精神構造への違和感なのだと思います。

だからこそ、それとひとつものとなった「だぶだぶの洋服を和服に仕立て直す作業」が必要になってくるのですが、それは日本社会への「迎合」ではなく、おそらく「地の塩」として批判的に関わっていく漸進主義的改革のアプローチなのだとおもうところです。

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 「正月は?」
 とたずねると、若い人たちはハワイに行きます、とか、ロスに出かけてきます、などと元気よく答える。
 夢みたいな話だ。ひと昔前の日本人には日本を離れて外国に行くなど生涯そう滅多にあることではなかった。昭和二十五年、私が留学する時は先輩、友人たちが何度も何度も壮行会をやってくれ、大挙して横浜港まで見送りにきてくれたものだ。
 それが今は若い連中はまるで隣町にでも出かけるように、正月は「ハワイに行ってきます」「ロスに出かけます」と言う。
 口惜しいから、こっちはイヤみがましいことを横むいてつぶやく。
 「そう手軽に外国に出かけられるようになると、世界は狭くなり、未知の国を知る、夢も悦びもなくなるだろうね。君たち寂しい人生だなァ」
 こっちは年寄り。グアムの白浜で若者たちにまじって遊んでも一向に面白くないし、
 「正月は?」
 とたずねると、
 「いや寝正月ですワ」
 若い人たちとまったく違う、情けないお答えだ。
 一年間の、ラッシュ通勤、会社での気苦労、家庭でのゴタゴタ、それらすべてを一時的ではあるが、去(ゆ)く年と共に流して、とに角、溜りに溜った疲労を寝正月でいやそうというのが、中高年の正月だ。
 幼い頃とちがって猿まわしもない、獅子舞いも来ない。がらんと砂漠のような街のなかに車の数も少なく、午後になって、やっと、近所の神社に晴着をきた娘や親子が出かける姿をみるのが、この頃の正月だ。
 テレビをひねれば、どのチャンネルも同じような、くだらん趣向のゲームを同じ顔のタレントが出てやっている。くだらん、つまらん、退屈だ。
 だが昔の正月と今の正月の根本的な違いは、昔の正月にはどこか年改まって「めでたい」という空気があったことだ。家々の門松や屠蘇(とそ)の匂いにもたしかに新鮮で、新しく生きる「再生」の悦びがあったし、昔の日本人が正月に抱いた宗教的な余韻が感じられたものである。
 正月元旦は宗教的な「再生」とむすびつく。この感覚は戦後、まったく日本人の社会から失われた。失われたものをゲームや歌合戦のテレビが埋めるようになったのである。
 いや、「まったく」と書いたのは間違っていた。忘れていたのだが、まだ日本人には正月元旦、初詣をするという習慣だけは残っていたっけ。
 私の仕事場は原宿の参道のちかくにあるので、一日(ついたち)の午前零時を期してドッと明治神宮にくりこむ参拝客の群れを毎年、眺めることができる。
 「日本人にはもう宗教がないとよく言われるが」
 と外国人の友人が私にたずねた。
 「元旦の光景をみると、そうでもないじゃないか」
 だが、これらの参拝者たちは何を求めて神社や仏閣に行くのか、調べたかね。
 「受験の合格」「いいボーイ・フレンドに出あえるように」「今年こそ赤ちゃんを」「息子夫婦が仲良くなるよう」
 これでは神さまも仏さまも大変でしょう。日本人の大半の初詣では、結局は今年も「御利益がありますように」の一語につきるのだ。
 しかしねえ、考えてみると一年の大半は合理主義、無神論、常識的科学第一主義でかたまった若い世代たちが元旦だけ、神や仏のお力を信じているのだから、この矛盾した精神構造はどうなっているのだろう。
    --遠藤周作「日本人の宗教ってなに?」、『変わるものと変わらぬもの』文春文庫、1993年。

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