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2009年2月

「自発性」は異論の余地がない価値なのか?

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 西欧の思考のなかには、尊厳の欠如を敗北に帰着させるような伝統の優位を見てとることができる。道徳的な寛大さそれ自身も、客観的な思考の必要に従属したものと考えられるわけである。そこでは、自由に帰属する自発性は問いただされることがない。自由を制限されることのみが悲劇であり、醜聞となる。自由は、それがなんらかのしかたで自由自身に課せられている場合だけ、問いただされることになるのである。もしも私が、自分の存在(エグジスタンス)を自由にえらびとることができたのなら、いっさいは正当化されるであろうからである。私の自発性にはいまだ理性が欠けている。その自発性が敗北することで、理性と観想が目ざめるのである。敗北の苦痛が、叡智の母であったことになるだろう。自発性の敗北からだけ、暴力にくつわをはめ、人間関係のさまざまに秩序を導入する必要が生じるはずだ。それなのに政治の理論は自発性を異論の余地がない価値と考えて、そこから正義を引き出そうとする。政治理論にあっては、私の自由と他者たちの自由とを一致させるような自発性のもっとも完璧な遂行を、世界の認識をつうじて確証するこそが問題となるのである。
    --レヴィナス(熊野純彦訳)『全体性と無限 (上)』岩波文庫、2005年。

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自発性とか、自己責任という問題は確かに重要なエレメントであり、それに則って生きていくことができれば、それに「越したことはない」のですが、それだけで生きていける人間というのはごく僅かです。

そしてそのごく僅かの人間に関しても、四六時中自発性だけでいきているわけではありません。

しかしながら、どうしてか人間という生き物は自発性、自己責任というエレメントを最高尊貴の価値概念として見まがう部分があるようです。

奴隷社会から市民社会への変遷を振り返ってみますと、他者による支配という他者制御の時代から、自分が自分の主であるという自発性へパワーシフトしていくのがその歴史です。

しかし、人間は一元的価値観からスパッと「割り切れる」ものでもありません。
たしかに自発性というのはモチベーションとしては大切なのは至極理解しております。
しかし、それだけでないのが人間の世界であり、自発性の部分もあり、他発性の部分もあり、そのどちらにも属さない部分もある……というのが実情でしょう。

自発性至上主義になってしまうとどこか息苦しくなってしまう宇治家参去です。

昨日は市井の仕事も休みでしたので、まったく何もせず、すなわち、学問の仕事を行うこともなく……それはそれで朝一番で次の添削用のレポート課題の山が宅配されましたが……、本もよまず、研究もせず、ただぼんやりと一日を過ごさせていただきました。
※まっ、ただうえに引用したレヴィナス(Emmanuel Lévinas,1906-1995)の文章だけは最後に読んだわけですけども、深く突っ込まずということで……。

たまにはこんな日も必要かも知れません。

自発的に考えるならば、休みだからこそ、論文の手直しをする必要もありますし、学問の仕事の課題を消化する必要もあるわけですが、自発的にそれを遮断し、ただ、思うままに時間を過ぎ去らせたというところです。

朝から雪がふりだしましたが、それも夕方前には雨となり……東京では思わぬ初雪でしたが、雪がおわることに一抹の寂しさをおぼえつつ、マア昨日はご生誕祭ということで、定番のすき焼を味わいつつ、とっときの酒を楽しませていただきました。

月末になると……細君の用事で酒屋へ行くのですが、そこがまた地酒大爆発といいますか、レアなやつをそろえておりまして、4合瓶で2000~3000円以下の銘酒を月1本ほど買ってきてくれます。だいたいは店主のお薦めですが、これがはずれがないわけで……。

2-3日前にゲットしたのは、かの有名な黒龍(黒龍酒造株式会社、福井県)の2月にのみ醸造するといわれる限定酒「吟醸 垂れ口」(辛口)で、マアそこは誕生日までは我慢しようということで、喉をならしながらまちかえておりました。いわゆる「うすにごり」の新酒というやつで、槽口からこんこんと尽きることを知らぬように流れ出す味わいと芳醇な香りが濃厚で、辛口なのにどうして!とたまげた次第です。

ちなみに「たまげた」とは「魂消た」と表記すると聞きますが、まさにそのとおりで豊かな味わいに完敗……乾杯です。

ただ、この酒も自発的にゲットしたわけでもなく、そうした余裕が現代には必要なのかも知れません。

訓戒的に「自発的にやれ」「お前の責任だ」……などというフレーズがこれみよがしに流通する昨今ですが、それだけじゃアねえんですよ。

で……黒龍と一緒に勇姿をみせているのは、Tiffanyのマネークリップ。
今年のお祝い?は昨年のと同じく眼鏡でエントリしたのですが、昨日は天候がよくなく後日ということで。

自分から自分へということで指定日配達で夕刻に届きました。
Tiffanyって女性のアクセというイメージが強いですが、ナイスミドル向けの商品も手ごろな価格で多く……コレクターしているところもあって、何かあると意識して集めるようにしておりますが、今回はマネークリップにしてみました。昨年は、ビクトリノックスのナイフのTiffanyモデルを購入しましたが……これも使い用がなく、防湿庫。

今回のマネークリップも挟む「お札」がないので、防湿庫行き確実かと。

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精神の風が、粘土の上を吹いてこそ、はじめて人間は創られる

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 ぼくは、あるひと組の夫婦の前に腰をおろした。その男と女のあいだには、子供はどうやらわずかに凹(くぼ)みを作って、眠っていた。子供は、眠りながら寝返りを打った、するとその顔が、燈火の前に浮び出た。おお! なんと愛すべき顔だろう! この夫婦から、一種黄金の果実が生れ出たのだった。この鈍重な二人の者から、美と魅力のこの傑作が、生れ出たのだった。ぼくは、このつややかな顔、この愛すべき、とがらせた唇のやさしい表情の上にうつむいた。そうして、ひとり言をもらした、これこそ音楽家の顔だ、これこそ少年モーツァルトだ、これこそみごとな生命の約束だと。伝説の中の小公子たちも、この少年となんら変るところはなかった、保護され、いつくしまれ、教育されたなら、この少年になりえないというものは何一つないはずだ! 花園に、新しい薔薇の変種ができると、園丁たちは大騒ぎする。人はその薔薇を別々に取り分け、人はその薔薇を培養し、人はその薔薇を大事にする。ただ人間のためには、園丁がない。少年モーツァルトも、他の子供たちと同じく、金属打抜き機にかけられる運命だ。モーツァルトが、キャバレーの腐敗の中にあって、腐れはてた音楽を、自分の最大の喜びとするようになるのだ。せっかくのモーツァルトも、これで万事休すだ。
 ぼくは、自分の車室へ戻ってきた。ぼくは、ひとり言をもらした。彼らは、すこしも自分たちの運命に悩んでいはしない。いまぼくを悩ますのは、慈悲心ではない。永久にたえず破れつづける傷口のために悲しもうというものでもない。その傷口をもつ者は感じないのだ。この場合、そこなわれる者、傷つく者は、個人ではなく、人類とでもいうような、何者かだ。ぼくは憐憫を信じない。いまぼくを苦しめるのは、園丁の見地だ。いまぼくを苦しめるのは、けっして貧困ではない。貧困の中になら、要するに、人間は懶惰(らんだ)の中と同じように、落ち着けるものなのだ。近東人の中には、幾代も汚垢(おこう)の中に住んで、快としている者さえある。ぼくがいま悩んでいるのは、スープを施しても治すことのできないある何ものかだ。ぼくを悩ますのは、その凸でも、凹でも、醜さでもない。言おうなら、それは、これらの人々の各自の中にある虐殺されたモーツァルトだ。
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 精神の風が、粘土の上を吹いてこそ、はじめて人間は創られる。
    --サン=テグジュペリ(堀口大學訳)『人間の大地』新潮文庫、平成十年。

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二月ももう終わろうとしているわけですが、今月はめずらしく哲学系の著作をひもとくことが殆どありませんでした。再度読み直すべき文学作品と専門とするキリスト教関係の著作のみで……今月が終わろうとすることに唖然とする宇治家参去です。

学問の仕事は二月初頭に短大の成績を返却し、一般入学試験が終了したので、ひととおり終了し、あとは、所属する研究所の年度末の学術大会と卒業式のみで、論文を組み立て直しを、市井の仕事の合間に行うという状況で……、業績としては残せるものが少なかったひと月なのですが、その根底を支える仕込みという上ではひとつ前進したのか……ということにしておきましょう。

ただ今月は公私ともにアリエナイ状況が頻発し……本日もマアそうで、何度も繰り返しますが、世の中のサラリーマンの方々には脱帽する次第で……、そして、そのなかで、二足のわらじのような形で学問を探究する人々には最敬礼というわけですが、裏拳、正拳、蹴拳で粉々にされてしまった段ボール箱たち、ごめんなさいで、そしてありがとう。

……ということはさておき。
年末に博士論文のエントリー資格でトラブり、1月に調査旅行を終え、2月に、論文の組み立て直しを指導教官の鈴木先生からうけるなかで、ようやくですが、自分が何をやりたいのか少し形になってきたような気がします。

重箱の隅をつつくようなかたちでの「作業」としての「研究」は、まがいもなく組織神学というジャンルになる「手作業」になるわけですが、その「手作業」をするなかで、何をやろうとしているのかひとつ明確になってきのかな……というところです。

ひとつは、やはり、昨年来より大きな自分自身のテーマとなった「“人間”とは何か」という大問題です。これはドイツを代表する哲学者カント(Immanuel Kant,1724-1804)が哲学の目的とは何かに関して『純粋理性批判』でまとめたところなんですが、そもそも人間が何か「学問」なるもに向き合おうとする契機もここに存在します。すなわち「自分とは何か」「そしてその限界とは何か」そしてその限界と相即的に浮かび上がる「超越」とは何か……という問題ですが、そのことを、ひとつのイデオロギーとして固定化することを酒ながら……をゐ!変換ミス……避けながら、恐らく死ぬまででしょう……たえず探究していかないといけないな……という部分でしょう。

そしてもうひとつはそれと切実に関わってくる論点です。
これに関してもこれまでのエントリーで何度となく触れている部分ですが、異なる存在とどのように向き合っていくのか、どのようにお互いの差異を尊重しながら認め合うことができるのかという探究です。

少し踏み込んで表現するならば……異なる他者の多様な尊厳性を確保しつつ、どのように共同して存在できるのか……それを抹殺せずに共存・協働できる方向はあるのか……という探究です。酒飲みながら……といういつもの情況ですから巧く言えないのですが、ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe,1749-1832)の言葉を借りると次の通りになるでしょう。即ち……

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個々の人間、個々の民族の特性をそのまま認めながらも、真に誉むべきものは全人類に属することによってこそきわだつのだという確信を失わぬようにしてこそ、真に普遍的な寛容の精神が最も確実に得られる。
    --ゲーテ(登張正實編訳)「文学論・芸術論」、『世界の名著38 ヘルダー・ゲーテ』中央公論社、1979年。

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みんな違っててアタリマエなのですが、ひとは自分と違う存在を目の当たりにすると驚くというよりも「恐怖」するのが現実です。しかしそれは立場を入れ替えてみれば同じことで、自分がそう思っているように相手もそう思っているわけで、できれば、その違いを何か一定の価値観に導くという方向性ではなく、お互いにその違いを恐怖するのではなく讃え合える方向はないのか……模索したいところです。
ただしここでもじゅうようになってくるのは昨日の魯迅(Lu Xun,1881-1936)のところで紹介しましたが……

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誠実な人がよく口にする公理についてみても、それは今日の中国で、けっして善人を助けることにならず、かえって悪人を保護する結果になる。なぜなら、悪人が志を得て、善人を虐待するときは、たとい公理を叫ぶ人があろうとも、彼は絶対に耳に入れない。叫びはただ叫びにおわって、善人は依然として苦しめられる。ところが、なにかの拍子に善人が頭をもたげた場合には、悪人は本来なら水に落ちなければならぬのだが、そのとき、誠実な公理論者は「報復するな」とか「仁恕」とか「悪をもって悪に抗する勿れ」とか……をわめき出す。すると、この時ばかりは単なる叫びでなくて、実際の効果があらわれる。善人は、なるほどそうだと思い、そのため悪人は救われる。だが救われた後は、してやったりと思うだけで、悔悟などするものでない。のみならず、兎のように三つも穴を準備してあるし、人に取り入ることも得意だから、間もなく勢力を盛り返して、前と同様に悪事をはじめる。そのときになって公理論者はもちろん再び大声疾呼するであろうが、今度は耳を貸すものでない。
    --魯迅(竹内好訳)「『フェアプレイ』はまだ早い」、竹内好編訳『魯迅評論集』岩波文庫、1981年。

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この点だけはわすれずに念頭においてほくしかないのだろうと思います。そして自分が傷をつけるよりも、つけられるなかで、他者から学んでいくという方向性は堅持したいものです。

またそうしたかたちで、自分自身の生を育んでくれた両親に感謝が堪えないわけですが、……、なんか少し耶蘇臭いかな?。


冒頭の一節へ。
アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ(Antoine de Saint-Exupéry,1900-1944)の名著『人間の大地』(Terre des Hommes,1939)の末尾からです。

サン=テグジュペリといえば、なんといっても「大切なものはね目には見えないんだ」との一節で有名な『星の王子さま』(Le Petit Prince,1943)が人口に膾炙されているわけですが、そうした『星の王子さま』へ至る根底の議論がなされているのが『人間の大地』とか『夜間飛行』(Vol de Nuit,1931)といった、『星の王子さま』以前の大作です。

周知の通り、サン=テグジュペリは“飛行機乗り”として有名で、そうした飛行士体験がもとになって、『夜間飛行』、『人間の大地』、『星の王子さま』が著されております。特に後者二冊は、自身の墜落~生還経験が大きく影響しており、人間とは何か、そして自然と人間、そして運命という論点が色濃く語れた一冊なのですが、宇治家参去としては『星の王子さま』よりも『人間の大地』です。

民間航空会社へ勤務時代のリビア砂漠での遭難、そしてサハラ砂漠での遭難のなかで、「人間らしい」とは何かを肺腑の奥底から論じたわけでそこに大きな魅力を感じてしまいます。

「人間とは何か」という論題と同じく「人間らしいとは何か」を論じてしまうと、その論点からはずれた人間はまさに「人間らしい人間ではない」という軋轢を不可避的に生みだしてしまうわけですが、サン=テグジュペリの文章を読んでおりますと、そうした嫌味とけれんくささをまったく感じません。

「世の中は腐っている!」と青臭く啖呵することは簡単です。
そしてそうしたひとびとを「おめえら方法論的に間違っているよ」って知識人風にうそぶくことも簡単です。

しかし……そうした議論を踏まえた上で、あえてそこに踏み込んでいくのがサン=テグジュペリの議論なのかもしれません。

池波正太郎(1923-1990)の長谷川平蔵@『鬼平犯科帳』に言えば、

「そんなことは百も承知だ……」

……というところでしょうか。

だから宇治家参去は、次の言葉に涙します。

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ぼくは憐憫を信じない。いまぼくを苦しめるのは、園丁の見地だ。いまぼくを苦しめるのは、けっして貧困ではない。貧困の中になら、要するに、人間は懶惰(らんだ)の中と同じように、落ち着けるものなのだ。近東人の中には、幾代も汚垢(おこう)の中に住んで、快としている者さえある。ぼくがいま悩んでいるのは、スープを施しても治すことのできないある何ものかだ。ぼくを悩ますのは、その凸でも、凹でも、醜さでもない。言おうなら、それは、これらの人々の各自の中にある虐殺されたモーツァルトだ。
    --サン=テグジュペリ、前掲書。

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人間のためには、園丁がない。

 精神の風が、粘土の上を吹いてこそ、はじめて人間は創られる。

宇治家参去は、37年前の雪の降る早朝、産声をあげたそうです。
いまようやく、その使命がみえはじめてきたところです。

今日はKOEDOビール(株式会社協同商事 コエドブルワリー)でも飲んで寝ましょうか。

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実直な人が、悪を見のがすのを寛容と思い誤って、いい加減な態度をつづけてゆくならば、今日のような混沌状態は永久につづくだろう

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 仁人たちは問うかもしれない。では結局、われわれには「フェアプレイ」は一切無用なのか、と。私はただちに答えよう。もちろん必要だ。だが時期が早すぎる、と。これすなわち「言い出しっぺ」論法である。仁人たちはこの論法を採用したがらないかもしれないが、私のほうが筋が通っている。というのは、国産型紳士あるいは西洋型紳士たちは、中国には中国の事情があるから、外国の平等や、自由や、等々のものは中国には適用できぬと、口ぐせのように言っているではないか。この「フェアプレイ」もそのひとつだと私は思う。そうでないとすると、相手がきみに「フェア」でないのに、きみが相手に「フェア」にふるまう結果、自分だけがバカを見てしまって、これでは「フェア」をのぞんで「フェア」に失敗しただけでなく、かりに不「フェア」をのぞんだとしても不「フェア」に失敗したことになる。それゆえ「フェア」をのぞむならば、まず相手をよく見て、もし「フェア」を受ける資格のないものであれば、思い切って遠慮せぬほうがよろしい。相手も「フェア」になってから、はじめて「フェア」を問題にしてもおそくはない。
 これはすこぶる二重道徳を主張するきらいはあるが、やむを得ない。そうでもしなければ、中国には多少ともましな道がなくなってしまうからだ。中国には、今でもたくさんの二重道徳がある。主人と奴隷にしても、男と女にしても、道徳がみなちがっていて、統一されてはいない。もし「水に落ちた犬」と「水に落ちた人」だけを一視同仁にあつかったとしたら、それはあまりに偏した、あまりに早い処置であること、あたかも紳士たちのいわゆる、自由平等は悪いわけではないが、中国では早すぎるというのと同様である。それゆえ、「フェアプレイ」の精神をあまねく施行したいと思う人は、少なくとも前に述べた「水に落ちた犬」が人間の気を帯びるまで待つべきだと私は考える。むろん、今でも絶対におこなってならない、というのではない。要するに、前に述べたように、相手を見きわめる必要があるのだ。のみならず、区別をつける必要があるのだ。「フェア」は相手次第で施す。どうして水に落ちたにしろ、相手が人ならば助けるし、犬なら放っておくし、悪い犬ならば打つ。一言にしていえば「党同伐異」あるのみだ。
 心はどこまでも「婆理(ボーリー)」、口はどこまでも「公理(コンリー)」の紳士諸君の卓論はここでは問題外として、誠実な人がよく口にする公理についてみても、それは今日の中国で、けっして善人を助けることにならず、かえって悪人を保護する結果になる。なぜなら、悪人が志を得て、善人を虐待するときは、たとい公理を叫ぶ人があろうとも、彼は絶対に耳に入れない。叫びはただ叫びにおわって、善人は依然として苦しめられる。ところが、なにかの拍子に善人が頭をもたげた場合には、悪人は本来なら水に落ちなければならぬのだが、そのとき、誠実な公理論者は「報復するな」とか「仁恕」とか「悪をもって悪に抗する勿れ」とか……をわめき出す。すると、この時ばかりは単なる叫びでなくて、実際の効果があらわれる。善人は、なるほどそうだと思い、そのため悪人は救われる。だが救われた後は、してやったりと思うだけで、悔悟などするものでない。のみならず、兎のように三つも穴を準備してあるし、人に取り入ることも得意だから、間もなく勢力を盛り返して、前と同様に悪事をはじめる。そのときになって公理論者はもちろん再び大声疾呼するであろうが、今度は耳を貸すものでない。
 もっとも「悪を疾(にく)むこと太(はなは)だ厳」にして「之を操(と)ること急に過ぐ」るのこそ、漢の清流と明の東林とが失敗した原因だといって、批評家はよく非難を浴びせるが、そのくせ、相手のほうが「善人を疾むこと仇のごと」くであったことを忘れているのだ。もしこれからも光明と暗黒とが徹底的にたたかうことをせず、実直な人が、悪を見のがすのを寛容と思い誤って、いい加減な態度をつづけてゆくならば、今日のような混沌状態は永久につづくだろう。
    --魯迅(竹内好訳)「『フェアプレイ』はまだ早い」、竹内好編訳『魯迅評論集』岩波文庫、1981年。

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魯迅(Lu Xun,1881-1936)の作品は何度読んでも難解で、なかなかその奥義に到達できないところがありますが、それは散文に限らず、評論に関しても同じで……、なんと表現すればよいのでしょうか、難解といえばドストエフスキー(Fyodor Dostoyevsky,1821-1881)の作品も難解ですが、ぼそぼそと語る響きに耳を傾ける難解さがドストエフスキーのそれであるとすれば、魯迅のそれは、切れすぎる剃刀で次々と切り落とされる片方を拾い続けるような難解さとでもいえばいいでしょうか……。

ある意味では、戦略的な苦渋に満ちた難解さなのかと思うところです。

うえに引用した文章は、戦間期の混乱した中国(中華民国)における魯迅の発言のひとつです。理性的な「大人」であれば、いわゆる「フェア・プレイ」を訓戒的に遵守するのがそのひとつの理想とされるわけですが、それを訓戒的に墨守すればするほど、一の悪のために十の善が滅んでしまう……しかし、「フェア・プレイ」を気取るジェントルマンたちは、それでもなお自分ルールとしている「フェア・プレイ」を守り続けてしまう。そうした状況に対する苛立ちとでもいえばいいのでしょうか……そこを激しく突いた魯迅の血の弾丸がうえの文章になろうかと思います。

振り返ってみれば、自分自身にも同じ様なところがあります。
魯迅も指摘している通りで「では結局、われわれには「フェアプレイ」は一切無用なのか、と。私はただちに答えよう。もちろん必要だ」ということです。

しかし、その「フェア」に専念し続けるとどうなるのでしょうか……。
現実の生きている人間の生活世界から遠ざかってしまう場合も多々あるのかもしれません。特に知識に関わる生き物は、やれ価値自由だの、不偏不党だの、よけいなスローガンが頭をよぎるわけで、そこに引きずり回されてしまう部分があります。
※ただしヴェーバー(Max Weber,1864-1920)がいうとおり、“価値自由(Wertfreiheit)”とは、不偏不党の中立性とはまったく異なる概念なのですが、ここではひとまず措きます。

で……
結婚した当初、細君に酷く叱られたことがあります。
作業架設の議論にしか過ぎませんが、たとえば、「私が強盗殺人犯ぶっ殺されたらどう思う」という無理難題をふられたわけですが、そこで……

「一応……理性を司る哲学とかそのへんの学問を“行じている”知識人?としては、“それでもなお”殺人犯に対して、死刑を宣告することには荷担できない。すべての人間の生命は尊厳されてしかるべきであり……云々かんぬん」

「あきれた……」とのことだそうです。

フェアを徹底的に追求していくと、マアおそらく上のようないい方がフェアであると判定されるのでしょうが……そこには違和感が必ずつきまといます。魯迅の隔靴掻痒もそれなのかもしれません。

「要は貴方はどう思うのか……ということだ」とのことだそうです。

「やはり……知識人?に属する立場にあるものとしては、それがオフィシャルな発言であれ、プライベートな発言であれ、“それでもなお”……踏み込めないんです」

「……」

これがフェアを徹底的に追求していく議論の陥穽なのかもしれません。
その辺りを魯迅もうまく表現しております。
※蛇足ですが、、それを踏まえ最近では、「仇討ちに行きます」と答えるようにしておりますが……。

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誠実な人がよく口にする公理についてみても、それは今日の中国で、けっして善人を助けることにならず、かえって悪人を保護する結果になる。なぜなら、悪人が志を得て、善人を虐待するときは、たとい公理を叫ぶ人があろうとも、彼は絶対に耳に入れない。叫びはただ叫びにおわって、善人は依然として苦しめられる。ところが、なにかの拍子に善人が頭をもたげた場合には、悪人は本来なら水に落ちなければならぬのだが、そのとき、誠実な公理論者は「報復するな」とか「仁恕」とか「悪をもって悪に抗する勿れ」とか……をわめき出す。すると、この時ばかりは単なる叫びでなくて、実際の効果があらわれる。善人は、なるほどそうだと思い、そのため悪人は救われる。だが救われた後は、してやったりと思うだけで、悔悟などするものでない。のみならず、兎のように三つも穴を準備してあるし、人に取り入ることも得意だから、間もなく勢力を盛り返して、前と同様に悪事をはじめる。そのときになって公理論者はもちろん再び大声疾呼するであろうが、今度は耳を貸すものでない。
    --魯迅、前掲書。

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しかしだからといってその前提条件を、「無用だ」「戯れ事にすぎない」ということもナンセンスなのかもしれません。だからこそ魯迅は慎重に、「では結局、われわれには「フェアプレイ」は一切無用なのか、と。私はただちに答えよう。もちろん必要だ」と答えている通りです。

善をめぐる前提条件は決して譲ることはできない。
しかし、所与の「フェア」なるものが人間を規定し、その奴隷となるのか。
それとも人間自身がそうした所与の「フェア」なるものと、そして共同存在の人間同士で、その「フェア」をどのように立ち上げていく、そして実現していくことを選択していくのか。どちらを選ぶのもまさに自由ですが結果は大きく違ってくるのかも知れません。

ともすると、公正を意味する「フェア」を考えると、国産型紳士や西洋型紳士が代表する公理論者は前者の立場を取りがちなのですが、それによって失われてしまうものも多いと魯迅は見て取ったのでしょう。積極的に「フェア」を立ち上げるためにはどのような「戦略」が要求されているのか……原点を忘れずに考え、行動しなさい……そう諭しているように思えて他なりません。

ちょうど、本日、細君が夜、所要のため、息子殿を風呂に入れるのですが、これがまた言うことを聞きません。だからといって手を挙げるわけではありませんが、「フェア」とは何か……少し生活の中で考えざるを得ません。

放っておいても子供は生物学的には育ちます。しかし人間のある意味では強制的な関与がなければ人間には成長しないもんだよな……などと実感すること頗るあり、魯迅の次の言葉に納得です。

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それゆえ「フェア」をのぞむならば、まず相手をよく見て、もし「フェア」を受ける資格のないものであれば、思い切って遠慮せぬほうがよろしい。相手も「フェア」になってから、はじめて「フェア」を問題にしてもおそくはない。
    --魯迅、前掲書。

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別に子供に対する親の監督権限を強化せよとか、善を実現するためには何をやってもヨロシという議論ではありません。

ただ、前提としての「フェア」なる理念を決してどぶ溝に捨てることもなく、理念を理念たらしめる、そしてそのたらしめる努力の中で悩みながら前進することこそ肝要なのではなかろうか……ふと風呂から出た息子殿の体を拭きながらそう思う次第で。

昨今の様々なニュースを見るにつけ……身近な生活で言うと詐欺の横行から為政者の不祥事、そして人間を抽象化してしまった結果の経済危機の状況……「善人は依然として苦しめられる」(魯迅)のであれば、安全地帯から「フェア」を墨守するのではなく、戦場のただなかで他者と語り合いながら「フェア」を立ち上げていかなければいけないのかなと痛感する次第です。

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【研究ノート】遠藤周作「日本人の宗教ってなに?」、『変わるものと変わらぬもの』文春文庫、1993年。

01_img_0498 悩み、考え抜く力が喪失してくるとつい【覚え書】とか【研究ノート】でお茶を濁す宇治家参去です。

ことしの花粉症はひどく、鼻喉だけでなく、目までやられてしまうのが難点で、思考停止とはこのことをいうのかもしれません。

市井の職場のバイトくんからも、

「宇治家参去さん、薬飲むとか治療した方がいいッスよ」

……といわれるわけですが、

「おめえ、俺の薬は知っているだろう!」

……と切り返すと、

「マジで、酒ッスか?」

……と漫談になってしまいます。

さて、ここ1週間ほど、遠藤周作(1923-1996)の著作を再度読み直しておりますが、小説だけでなくそのエッセーも秀逸です。

周知の通り、遠藤周作は、旧制中学の頃、ローマ・カトリックの洗礼を受けております。
日本の文芸関係の知識人は、キリスト教との接点が多いわけですが、実は、死ぬまでその信仰を維持できた人は僅かです。

ですから、俗にそうした状況を揶揄して「卒業クリスチャン」(武田清子)という表現がありますが……キリスト教に触れて、やがてキリスト教から離れていくという状況を「卒業」との表現ですが……そういうひとびとと比べてみた場合、遠藤周作は「卒業クリスチャン」という歩みをせず、死ぬまで信仰を大切にした希少な知識人のひとりであると評価することができます。

しかし、『沈黙』などにみられるように、キリスト教信仰の問題は遠藤周作にとって大きな問題であり、葛藤であり、省察対象であったわけで、その問題とは何かといった場合、それは「日本人でありながらキリスト教徒であるという矛盾」であったといってよいでしょう。

遠藤自身は晩年次のようにかたっておりますが、すなわち自分自身の創作活動とは「だぶだぶの洋服を和服に仕立て直す作業」なのだということですが、このことはは、当該宗教が文化的土壌の全く異なった地域でいかに文化内開花していくのかという極めて神学的・哲学的問題あり、それはひとりキリスト教に限られた問題ではありません。

遠藤の文章を読んでおりますと、その部分を考えるヒントを垣間見ることができますが、やはりそれはそれとして、遠藤自身が痛感しているのは、日本社会における宗教に対する歪な精神構造への違和感なのだと思います。

だからこそ、それとひとつものとなった「だぶだぶの洋服を和服に仕立て直す作業」が必要になってくるのですが、それは日本社会への「迎合」ではなく、おそらく「地の塩」として批判的に関わっていく漸進主義的改革のアプローチなのだとおもうところです。

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 「正月は?」
 とたずねると、若い人たちはハワイに行きます、とか、ロスに出かけてきます、などと元気よく答える。
 夢みたいな話だ。ひと昔前の日本人には日本を離れて外国に行くなど生涯そう滅多にあることではなかった。昭和二十五年、私が留学する時は先輩、友人たちが何度も何度も壮行会をやってくれ、大挙して横浜港まで見送りにきてくれたものだ。
 それが今は若い連中はまるで隣町にでも出かけるように、正月は「ハワイに行ってきます」「ロスに出かけます」と言う。
 口惜しいから、こっちはイヤみがましいことを横むいてつぶやく。
 「そう手軽に外国に出かけられるようになると、世界は狭くなり、未知の国を知る、夢も悦びもなくなるだろうね。君たち寂しい人生だなァ」
 こっちは年寄り。グアムの白浜で若者たちにまじって遊んでも一向に面白くないし、
 「正月は?」
 とたずねると、
 「いや寝正月ですワ」
 若い人たちとまったく違う、情けないお答えだ。
 一年間の、ラッシュ通勤、会社での気苦労、家庭でのゴタゴタ、それらすべてを一時的ではあるが、去(ゆ)く年と共に流して、とに角、溜りに溜った疲労を寝正月でいやそうというのが、中高年の正月だ。
 幼い頃とちがって猿まわしもない、獅子舞いも来ない。がらんと砂漠のような街のなかに車の数も少なく、午後になって、やっと、近所の神社に晴着をきた娘や親子が出かける姿をみるのが、この頃の正月だ。
 テレビをひねれば、どのチャンネルも同じような、くだらん趣向のゲームを同じ顔のタレントが出てやっている。くだらん、つまらん、退屈だ。
 だが昔の正月と今の正月の根本的な違いは、昔の正月にはどこか年改まって「めでたい」という空気があったことだ。家々の門松や屠蘇(とそ)の匂いにもたしかに新鮮で、新しく生きる「再生」の悦びがあったし、昔の日本人が正月に抱いた宗教的な余韻が感じられたものである。
 正月元旦は宗教的な「再生」とむすびつく。この感覚は戦後、まったく日本人の社会から失われた。失われたものをゲームや歌合戦のテレビが埋めるようになったのである。
 いや、「まったく」と書いたのは間違っていた。忘れていたのだが、まだ日本人には正月元旦、初詣をするという習慣だけは残っていたっけ。
 私の仕事場は原宿の参道のちかくにあるので、一日(ついたち)の午前零時を期してドッと明治神宮にくりこむ参拝客の群れを毎年、眺めることができる。
 「日本人にはもう宗教がないとよく言われるが」
 と外国人の友人が私にたずねた。
 「元旦の光景をみると、そうでもないじゃないか」
 だが、これらの参拝者たちは何を求めて神社や仏閣に行くのか、調べたかね。
 「受験の合格」「いいボーイ・フレンドに出あえるように」「今年こそ赤ちゃんを」「息子夫婦が仲良くなるよう」
 これでは神さまも仏さまも大変でしょう。日本人の大半の初詣では、結局は今年も「御利益がありますように」の一語につきるのだ。
 しかしねえ、考えてみると一年の大半は合理主義、無神論、常識的科学第一主義でかたまった若い世代たちが元旦だけ、神や仏のお力を信じているのだから、この矛盾した精神構造はどうなっているのだろう。
    --遠藤周作「日本人の宗教ってなに?」、『変わるものと変わらぬもの』文春文庫、1993年。

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呪詛から対話へ、対話から共存へ、共存から協働へ

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 キリスト教とマルクス主義の対話と、その後に明らかになっていった出来事の数々を見て、わたしは次のことを悟った。すなわち、対話においては、相手の長所を真剣に受け止めるべきであって、欠点や過ちを次々とあげつらうことは慎むべきだ、ということである。対話は、参加者のアイデンティティを失わせるものではなく、むしろそれをより深く理解せしめるものである。真摯な対話を続けるならば、ひとはロマン的な空想で自分を描き出すことを止め、他者の批判的な目で自己を見るようになる。真剣な対話においては、他者の批判的な検証に供することのできないようなある高次の権威に訴えることで困難な問題を回避することはよろしくない、ということも期待するに至った。より重要なことに、対話そのものの性格はわれわれの主題ではなかった。われわれは真剣にキリスト教とマルクス主義について討議を重ねたのであって、対話のための対話をしたのではない。後になってようやく明らかになったことであるが、問題が起きるのは心を開いたキリスト教徒とマルクス主義者の間ではなく、対話に参加していないマルクス主義者とキリスト教徒の間である。

(中略)

 ヨーロッパにおけるキリスト教とマルクス主義の対話のカイロスからして、以上の経験はわれわれにいくつかの教訓を与えてくれる。

 ●生命を脅かすような対立が現存し、その解決が対話によって得られるという希望があること。われわれの会話の中でいみじくも一人が言った。「もしいまわれわれが話し合わなかったら、やがてわれわれはお互いを撃ちはじめるだろう」。
 ●参加者は、自己の信仰や世界観の文脈の内部から対話へと向かわなければならない。真理問題をないがしろにしたままの対話は重要性をもち得ない。
 ●参加者はみな、自己と対話者とが代弁している人々のことを忘れてはならない。もし参加者が自己のよって来たるところからあまりに乖離し、その共同体の代弁者と見なされなくなった場合には、その参加者は自己の共同体へと帰って報告をおこなう時に敬意をもって迎えられず、そのためやがて孤立し、個人的な意見だけを語るようになる。
 ●対話は、「対話のために」という名目だけで続けられてはならない。その動機は、生命を脅かすような深刻な状況を変革するため、つまり実践的な結果をもたらすためでなければならない。ガロディは、この動向を「呪詛から対話へ、対話から共存へ、共存から協働へ」と表現した。
    --ユルゲン・モルトマン(森本あんり訳)「多元主義神学は宗教間対話に有効か」、G・デコスタ編(森本あんり訳)『キリスト教は他宗教をどう考えるか ポスト多元主義の宗教と神学』教文館、1997年。

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ここ数十年来、ポストモダニズムや脱構築の一環として、キリスト教批判乃至は宗教批判--宗教哲学・宗教の形而上学的性格に対する批判--が盛んに議論され話題を集めております。

確かに、従来の「キリスト教」に対する見直しが議論され、そしてキリスト教のみならず従来の「諸宗教」そのもののあり方が見直しを迫られ、真摯に議論される状況は歓迎されてしかるべきであります。しかしながら、そうした「批判」そのものを歓迎する日本の人々が、自己自身の信念、宗教伝統にそのあり方を振り向けないのであれば、それはいささか残念なことかもしれません。

歴史的な原因はもちろん存在しますが、宗教なるものに対して伝統的に「淡泊」な精神的態度がマジョリティな日本においては、その「淡泊」な態度そのものが多元的価値の現れであると説く論者も多く、そうした精神風土を「絶対」と「絶対」の信念対立を回避する「寛容さ」や「智恵」と見てとる風潮が今なお強く存在します。

しかし、その中身を見てみると、果たして、「多元的」で「寛容」な精神構造なのかどうか、疑わしく感じるのが実情で、そこには相も変わらぬ日本人の自己礼賛思考が裏返しに表現されているように感じられて他なりません。

「宗教」の内実を深く探究する方向を回避しながら、議論として「宗教」そのものを俎上に載せないのがその実情でしょう。

「多元的」で「寛容」なあり方という看板は掲げているもの、実は、真面目な議論から宗教そのものを取り上げる姿勢を排除しているだけであって、そこには、「一元的」で「非寛容」な精神しかのこされていないように思えて他なりませんし、それは単なる「無関心」が現れただけなのでしょう。

そして非寛容の事例をたどるならば、戦国末期の切支丹弾圧、そして近くは、先の大戦下における一元的価値観・信念系への強制的な統合のあり方をひもとくまでもなく、枚挙にいとまがないというのはまさにこのことでしょう。

かつてマザー・テレサ(Mother Teresa,1910-1997)は、「愛」の反対概念は何かと問うた場合、それは「無関心」であると答えたことがありますが、コンテンツそのものに対する深い探究を退け、そのもの自体を議論すべくもない(=個人の内面への極度の還元主義)として「無関心」を装うことが何か知的であると思うそうしたあり方とは、まさに「愛」とは対極なのでしょう。

挙げ句の果ては、宗教に対して「無関心」を決め込む精神構造の裏返しとしての、まさに安易で安直な「精神世界ブーム」の過熱という現象を見てみますと、マア「なんだかな」などと思うことしばしばです(マア、制度宗教自体が力を失い、魅力を提示できなくなってきたという側面も現実に存在し、それを加速させているという状況も承知ですけれども)。

さて……例のごとく話が脱線しましたが、

宗教多元主義とはもと、キリスト教の絶対性に対する主張への深い反省と、そして諸宗教とキリスト教の関係をめぐって定義された議論です。たしかに歴史を振り返ってみると、実例を挙げるまでもなく、キリスト教のもつ暴力性に根ざす批判として定義された疑義でありますが、こうした疑義はひとりキリスト教のみに限定される問題ではありません。

信仰とは、客観的な1番があって、これはだいたい2番目だな、そしてこれは5番目ぐらいだなと査定できる対象ではありません。当事者にとってはまさにそれは「代換不可能」な「1番」であり、そこには2番もなければ、3番もありません。

要は信仰とは信仰者にとって「絶対」という側面を有します。
当事者にとってそれが「絶対である」という感情(シュライエルマッハー)を抜きにしては信仰なんて成立することは不可能なのです。

しかしそれと同じように、他の信仰をもっている人間も自己自身の信仰を「絶対」だと信じております。
※(くどい蛇足の注)本朝では、どうやら「絶対」と「主張する」ことが浅はかであり、お馬鹿であると見なす風潮がありますが、それは、「絶対」を浅はかとし、お馬鹿と見なすフリをしながら、結局は、他者の絶対の寛容しないという「絶対」の一方的主張なのですが……。

またしても、例のごとく話が脱線しましたが戻しましょう。

……よって、すなわち(ゴホッゴホッ)、
だからこそ、その「絶対」と「絶対」を向き合わせる構造、視座、対話の場が必要になってくる--宗教多元主義の議論とはそうした素地から誕生してきた議論です。

そうした芽吹きがひとつの大きな潮流となったのは、やはりなんといっても第二バチカン公会議の成果であることを言うまでもありません。

1960年代以降、そうした諸宗教間の対話が現実のものとなり、数々の成果が生み出され、真摯な自己理解と他者理解の美しい見本がつぎつぎと登場し、方法論も様々なかたちで整備されてきました。

しかしながら、90年代中盤ぐらいからでしょうか……そうした議論そのものが、退潮傾向になってきているフシがあり、開かれた態度から自閉的な精神空間の重々しさが支配的になってきているのも実情です。

そしてそうした傾向を加速化させる生活情勢が追い風となって、ますます自派のぬくもりのなかに沈潜していく傾向が顕著になってきているのですが、それに関しても(感情としてはわからなくもないのですが)、「なんだかな」というところで……。

冒頭で引用したのは、「希望の神学」(Theologie der Hoffnung)を説くユルゲン・モルトマン(Jürgen Moltmann,1926-)の「宗教間対話」に関する論説の一節です。

「絶対」と主張する信念系の対立に関して、日本的アプローチとしては、そもそも「絶対」と主張すること自体を否定する方向へと傾きがちですが、そのことが「絶対」と主張することを「絶対」に「否定する」というパラドクスに陥りがちなのが現実です。しかし実は大切なのは、実は「絶対」の問題とは要はだれにむけて発信していくのかというところに帰着するのではないだろうかということなのでしょう。

そもそも「絶対」の主張は自己自身に向けるものであって、他者に「絶対」と主張しても本来無意味なはずなのですが、そこがこの数千年来の歴史のなかで鳥違われてしまったのかも知れません。

異なる「絶対」の主張に対して、どのように向かい合っていくのか……。

モルトマンが体験的に--それはプラハの春の前後、マルクス主義者との対話を通して--みてとった「対話のカイロス」はひとつの参考になるのかも知れません。

「もしいまわれわれが話し合わなかったら、やがてわれわれはお互いを撃ちはじめるだろう」

そして

「呪詛から対話へ、対話から共存へ、共存から協働へ」

異なる「絶対」と向かい合うことは決して心地よい対話ではありません。
しかしその向かいあい、そして語らいを抜きにしては、おのれ自身の「絶対」なるものも本物の「絶対」にはならないのだろう……などと思う宇治家参去です。

ホントはモチっと折り目正しく議論したかったナイーヴな論点なのですが、チト酒も回り始めておりましたで、また次回?ということで……。

で……最後に蛇足ついでにもひとつ。

モルトマンの次の言葉もなかなかいいんですよね!

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《とりなしの祈り》

 主よ、私たちは、自分自身のためにではなく、

 暗やみの中で苦しみ悩む民衆のために、願います。

 私たちは、この地上の収容所で囚われた者、国外退去させられた者、

 流罪者、発言を封じられている者のために、祈ります。

 どうか、彼らの苦悩の中にいてください、

 苦境の中にいる彼らに耐える心を与えてください。

 そして、彼らを自由へと導いて下さい。

 私たちは、私たちのもとにある、病気の人、障害のある子供、

 いまわの際の人、悲しんでいる人々のために、あなたにお願いいたします。

 孤独の中にある彼らと共にいて下さい。

 彼らに慰めを与えて下さい、

 そして彼らに、あなたの満ちあふれるいのちを、与えて下さい。

 私たちは、見捨てられたと思い迷っている人々、憤っている人々のために祈ります。

 その人生は、空虚で無意味となり、愛に欠け、そして思いやりもなくなったのです。

 あなたの熱心のゆえに、彼らを離れさせないで下さい。

 彼らに、新しい確かな霊を、与えて下さい。

 私たちは、あなたの前で静かに、彼らに代わって、彼らの名前を呼びます。

 なぜなら、私たちは、主にある兄弟、姉妹だからであります。

 主よ、私たちの願いをうけ、彼らの祈りに、聞いて下さい。

 あなたの義をもたらし、不義の権力を消滅させて下さい。

 あなたの平和をもたらし、軍備と戦争と報復を、絶滅させて下さい。

 あなたの光をもたらし、私たちの中にあり、また周囲にある、混迷を消し去って下さい。

 しかし、神よ、私たちの主なるイエス・キリストを通して、

 私たちに勝利をもたらして下さったことを、感謝いたします。

    --J・モルトマン(田村信吾、蓮見和男訳)『無力の力強さ』新教出版社、1998年。

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Book キリスト教は他宗教をどう考えるか―ポスト多元主義の宗教と神学

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Book 無力の力強さ―ユルゲン・モルトマン説教集

著者:ユルゲン モルトマン
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ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だななどとだれにも言わせまい

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 ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だななどとだれにも言わせまい。
 一歩足を踏みはずせば、いっさいが若者をだめにしてしまうのだ。恋愛も思想も家族を失うことも、大人たちの仲間に入ることも。世の中でおのれがどんな役割を果たしているのか知るのは辛いことだ。
 ぼくらの世界は何に似ていただろうか。この世界は、ギリシャ人が、雲のかたちにでき上がりつつあった宇宙の起源にあったとする混沌に似ていた。わずかにちがっていたのは、この混沌がおわりの、真のおわりの始まりであって、この終わりから何かがまた始まろうとする端緒ではないと思われたことだ。世界がなお保っている力のありったけを汲みつくそうとするさまざまの変容を前にして、ごく少数の目撃者だけがこの神秘を解く鍵を見出そうと努力していた。しかしただ分かったのは、この混乱のためにいずれ現存するもののすべてが天寿をまっとうして死ぬだろうということだった。いっさいは、もろもろの病をしめくくるあの無秩序に似ていたのだ。つまり、肉体のすべてを結局は目に見えないものにしてしまう死が姿を現わすに先立って、いままでひとつのものだった肉がばらばらになり、数を増した肉体の各部分がそれぞれ自分勝手な方向に伸びだすのである。その結果ゆき着く先はかならず腐敗であり、もはやそこに復活ということはない。
 その頃、きわめてわずかの人だけが明晰な目をもっていて、すでにこの大きな腐りゆく残骸のうしろの見えないところで、さまざまの狂暴な力が動き出しているのを看破できた。
 ほんとうに知らねばならないものについて、ひとは何ひとつ知ってはいなかったのだ。というのは、人びとのもつ教養はあまりにややこしいものになっていたので、表面のしわ以外のものを理解することができなかったのである。教養なるものはもっともらしく秩序立てられた世界のなかで微にいり細を穿つたぐいの探究にわが身をすり減らし、その一方、ほとんどすべてのその道の専門家が自分たちの注釈しているテキストを正確に判読することもできない有様だった。錯誤というものはいつでも真実ほど単純ではない。
 ほんとうに大事なものにもとづいて造られたA・B・Cが必要だったのだ。ところが文字を読むことを学ぶ代りに、心からの煩悶のためにときどき眠れないことのあるひとたちは、さまざまの結論を想像するのだったが、そうした結論はすべていろいろの時代の退廃の比較検討から引き出されていた。たとえば、野蛮人の侵入、機械の勝利、パトモス島の幻覚、ジュネーヴや神へのさまざまの訴えにもとづく結論である。なんと世間は頭が良かったことか!
    --ポール・ニザン(篠田浩一郎訳)「アデン・アラビア」、『ポール・ニザン著作集1』昌文社、1966年。

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何かを忘れているんだよなア~と、市井の職場でまたまたアリエナイほど食品売り場のレジをうっているなかで、お客様へ笑顔を振りまきつつ、隔靴掻痒という一日で、これまた、

「(内規を無視したその業務で)今日は連続打刻時間記録更新か!」

……などと、花粉症に悩みつつ、頭のなかは頭蓋骨の中をシングルモルトのアイスがぐるぐるとその内側をこじ回すようにぐるぐるでしたが、幸い、休憩時間中に呼び出しはくらうことなく、学生時代に読んだ本を再読したところです。

サルトル(Jean-Paul Charles Aymard Sartre,1905-1980)のお友達だったポール・ニザン(Paul Nizan,1905-1940)の『アデン・アラビア』(ADEN,ARABIE,1931)がそれなのですが、それをむかし読んでいたとき、「青臭えな」と先輩からボソっと言われたことがまさに「青臭い」記憶の一コマですが、昔読んだ「青臭え」一冊というのは、オジサンになってから--“オジサン”という表記をしておりますが、自覚としては“オジサン”といより“ナイス・ミドル!”という自己認識ですが--、……もどります、すなわちオジサンになってから読んだ方が、“しっくり”くることが多いなアなどと思う昨今です。

ポール・ニザンは、盟友サルトルと同じく1905年にフランスで生まれ、処女作の『アデン・アラビア』を刊行したのが1931年、すなわち26歳の頃になります。ニザンは、グランゼコール(Grandes Écoles)や大学の教員・研究者を養成することを目的にする高等師範学校(École normale supérieure)出身ですから、将来は約束された経歴なのですけれども、その栄誉を捨て去り世界の現実に関わっていった人物です。

ニザンが青年の頃のヨーロッパの情勢とは、かのハイデッガー(Martin Heidegger,1889-1976)がナチスへ入党したとおり、ファシズムかコミュニズムかという二者択一という状況です。

ニザン自身は当初フランス共産党へ入党しますが、晩年は絶縁状をつきつけます。

そして第二次世界大戦の初頭、有名なダンケルク撤退作戦(1940)の渦中に戦死し短い生涯を終えます。

で……
ニザンの眼差しとは、入党以前からそうなのですが、現実をまじまじと眺め関わるというスタイルで、まさにアデン、アラビアといった中東の陽光で目が灼けつきてしまうほど、その過酷な現状を見続ける、そして関わり続けるというのがそれ生き方であり、それが昇華された作品です。

今の世の中もそうかも知れません。

ぶっちゃけ、材料として暗雲しか存在しません。

しかし、その暗雲の中で、苛烈に行動し、戦い、短い生涯を走り抜けたのが彼の人生なのでしょう。

ブルジョワ社会のなかで、約束された人生を送ることも可能だったはずです。
しかし、オリエンタリズム(サイード)というヴェールにつつまれたアデンへニザンは赴く中で、欺瞞に充ちた植民地主義の実像を目の当たりにし、裸のままでものごとに向かい合うことの大切さを本然的に理解したとき、相手が暗雲であろうとも、ヒトラー(Adolf Hitler,1889ー1945)であろうも、そして何であろうと“戦う”人生というものを選択したのだろうと思うものです。

人間とは不思議なもので、生まれたままの社会に対する深い愛着をどこかでもっております。それはまさに赤子が慈母をしたうがごとく、その風土・環境・文化に対する「育まれた」感情かも知れません。

しかし長ずるにつれ、それと同時に自分の生きている社会の欺瞞や偽善に気づき、そこで生きていくことに、不安感や憎悪する気持ちを持って「なんなんだてめえ」式に憤怒し、苦悩する局面も存在します。

その憤怒や苦悩を、苦労を諦めて生きるのか、それとも(その結果が憤死になろうとも)あえて挑戦していくのか--選択は簡単です。

そしてそうした訓戒は古より存在するのは承知の助で、そうした挑戦が裏切られてしまうことの方がパーセンテージ的にはマジョリティなことも承知の助なのですが、「それでもなお」そのように選択すべきか……。

ニザンの著作を紐解くと、「挑戦し続ける」ということの意味や重大性は痛感せざるを得ないところです。

『アデン・アラビア』を読んでいると、二ザンの激しく純粋な、そして美しい怒りは、心にひだに、まさに鋭利なナイフのように染みこんできます。

「青臭い」……。
確かに議論としては「青臭い」です。
しかし感情としての「青臭さ」を欠如してしまうと、年齢に関係なく青臭さだけでなく、人間としての「溌剌さ」も失ってしまうのかも知れません。「青臭い」というのは方法論的な組み立て方が一切ない「感情」なのでしょう。しかしその「感情」がないと感情を具現化する「方法論」を組み立てようにも組み立てようがございません。

二ザンの時代と今の時代は違う時代だ!……呑気に、そして評論家風に「評する」ことはたやすいことです。

ニザンと進む道が異なっても、そして発想も違ったとはしても、なにか自分が違和感を感じることに対して、その感覚を「シカタガナイ」と退けるのは早計かも知れません。

「どうなんだ?」と怒りを持って生きてゆかないと、“オッサン”になったとき、この本を再び繙くことはできないんだろうな……などと思うこと屢々で……。

などと……感慨に耽りつつ、愛吸の紙巻き煙草マルボロ・メンソールに火をつけたところ、不思議なことに、軍歌が脳裏をこだましました。

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「雪の進軍」
作詞・作曲:永井 建子

一、
雪の進軍氷を踏んで
どれが河やら道さえ知れず
馬は斃(たお)れる捨ててもおけず
ここは何処(いずく)ぞ皆敵の国
ままよ大胆一服やれば
頼み少なや煙草が二本

  ……

http://www.youtube.com/watch?v=ELvCVDLFauk

http://www.youtube.com/watch?v=kDIVRjoFmG0

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残り2本かあ……。

というところで、冒頭の「何かを忘れているんだよなア~」というわだかまりが、軍歌の音色によって、その当体が顕わになりました。

2月の頭に、教鞭を執っている短大の卒業式後の謝恩会の出欠の連絡が来ていたのですが、返信〆切が金曜日までだった……このまま放置するわけにはいかないので、遅ればせながら担当者へメールを送信、「リミットすぎて申し訳御座いません」。

例年、卒業式を迎え、謝恩会なんかに参加させていただくと、まさに、このイベント、また人生の区切り点というのは、「それがひとの一生でいちばん美しい年齢」なんだろうな……などと至極痛感するところですが、実は、それはひとつの出発点にすぎません。

その意味で、卒業してから10年、20年経ったあとで、「それがひとの一生でいちばん美しい年齢だななどとだれにも言わせまい」、「戦っている今こそ一生でいちばん美しい年齢だ」と言って欲しいと思うある日の宇治家参去であり、自分自身も、そう勇気をもって語れる自己自身でありたいな……などと決意する“ナイス・ミドル!”でございます。

蛇足ですが……

担当者様、また関係各位……スンマセン!

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【覚え書】「ノーム・チョムスキー氏語る オバマ政権誕生、負の側面も見よ」、『毎日新聞』2009年2月21日(土)付。

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苛烈なアメリカ帝国主義批判として知られる在米知識人のひとりが言語学者ノーム・チョムスキー(Avram Noam Chomsky,1928-、本業は言語学の生成文法論)です。

オバマ新政権は発足したばかりですが、どのように評価するのか……楽しみにしたところ、インタビューが収録されておりましたので、【覚え書】として残しておきます。

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 長年にわたり、米国の内側から政府の非民主的、帝国主義的な側面を批判してきたマサチューセッツ工科大のノーム・チョムスキー教授(80)。オバマ大統領の就任や世界的な経済危機をどうみているか、インタビューした。【ボストン(米マサチューセッツ州)で小倉孝保】

 ◇黒人と女性競う 考えられぬ光景だった
 --ブッシュ前政権8年の評価は。

 ◆大多数の国民の実質所得は減少し、巨額の貿易・財政赤字ができた。イラク戦争はテロの危険を増加させると予測されていたが、結果はこれをはるかに超えた。世界における米国の権威は失墜。「テロから国民を守る」との口実で拷問や不法拘束、市民へのスパイ行為が行われ、法による統治システムはずたずたになった。

 --オバマ氏の当選をどう考えるか。

 ◆米国では建国以来、少数の豊かな者が権力を握り、政府の目的はそうした層の権利保護だった。黒人はいまだに2級市民で、女性が社会的権利を獲得するのも遅かった。だが、今回の民主党の候補者選びは黒人と女性の争いになった。わずか20年前にも考えられなかったことで、米社会の文明化を示すものだ。黒人とヒスパニック(中南米系)が投票に大きな役割を果たしたことも注目される。

 ただ、(大統領選の結果を)詳細にみると、白人はおおむねマケイン氏(共和)を支持したと言える。(金融危機の悪化などで)明日にも職を失うかもしれない状況の中、白人は保守傾向を示した。

 また、オバマ氏が草の根の資金調達を行った、というのは神話だ。メディアによると、オバマ氏の選挙資金の多くは金融界からだった。小口の寄付は全体の25%程度とみられている。巨大企業が当落を決める非民主的状況は変わっていない。

 --国際社会の信頼回復は。

 ◆オバマ氏は(前政権のように)科学を否定しないし、(キューバの)グアンタナモ収容所での拷問も支持しない。ブッシュ(前大統領)・チェイニー(前副大統領)体制が高慢で不作法だったこともあり、欧州は米国と距離を置いたが、オバマ氏となら一緒に(政策を)やれるだろう。

 ◇経済危機の遠因作った者たち、新政権に
 --今回の経済危機をどう見るか。

 ◆第二次大戦後の経済制度が終焉(しゅうえん)し、70年代に経済の中心が製造から金融に移行した結果、資本は管理されず、通貨は(規制や国境の枠を超えて)自由に飛び回るようになった。こうした新自由主義経済について、まじめな経済学者は当初から危険性を予測していた。

 今回の危機はまた、豊かな国が貿易や市場の自由化を自国に都合良く利用していることを示している。約10年前にインドネシアやロシア、ブラジルなど貧しい国が経済危機に見舞われた際、国際通貨基金は(公営企業の)民営化を促し、金利を上げるよう指導した。だが、米国は今回、金利を下げ、(金融機関への公的資本注入などで)国の関与を強めている。かつて貧しい国に求めた政策とはまったく逆なのだ。

 --オバマ政権の対応ぶりは。

 ◆オバマ政権の経済担当者の中にも、この危機の遠因を作った者がいることを知っておくべきだ。(国家経済会議委員長の)サマーズ氏はクリントン政権時代に財務長官として、デリバティブなど金融派生商品の規制に反対した。

 また、オバマ氏の経済政策顧問を務めるルービン氏は、クリントン政権の財務長官から(米金融大手で政府の救済を受けた)シティグループの経営委員会会長になり、膨大な報酬を受け取っていた。オバマ政権では、こうした人々に歓迎される解決策が模索されるのだろう。

■人物略歴
 1928年、米フィラデルフィア(ペンシルベニア州)近郊で、ユダヤ人の両親のもとに生まれる。ペンシルベニア大で言語学博士号を取得。61年からマサチューセッツ工科大言語・心理学部教授。すべての言語に普遍的特性があるとする生成文法理論をうち立て注目される。ベトナム戦争批判始め、詳細な事実分析で米国の政策を厳しく批判している。

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思い出はあまりムキになって確かめないほうがいい

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 子供の頃は憎んだ父の気短かも、死なれてみると懐かしい。そのせいかライスカレーの匂いには必ず怒った父の姿が、薬味の福神漬のようにくっついている。
 子供の頃、我家のライスカレーは二つの鍋に分かれていた。アルミニュームの大き目の鍋に入った家族用と、アルマイトの小鍋に入った「お父さんのカレー」の二種類である。「お父さんのカレー」は肉も多く色が濃かった。大人向きに辛口に出来ていたのだろう。そして、父の前にだけ水のコップがあった。
 父は、何でも自分だけ特別扱いにしないと機嫌の悪い人であった。家庭的に恵まれず、高等小学校の学歴で、苦学しながら保険会社の給仕に入り、年若くして支店長になって、馬鹿にされまいと肩ひじ張って生きてきたせいだと思うが、食卓も家族と一緒を嫌がり、沖縄塗りの一人用の高足膳を使っていた。
 私ははやく大人になって、水を飲みながらライスカレーを食べたいな、と思ったものだ。
 父にとっては、別ごしらえの辛いカレーも、コップの水も、一人だけ金線の入っている大ぶりの西洋皿も、父親の権威を再確認するための小道具だったに違いない。
 食事中、父はよくどなった。
 今から考えると、よく毎晩文句のネタがつづいたものだと感心してしまうのだが、夕食は女房子供への訓戒の場であった。
 晩酌で酔った顔に飛び切り辛いライスカレーである。父の顔はますます真赤になり、汗が吹き出す。ソースをジャブジャブかけながら、叱言(こごと)をいい、それ水だ、紅しょうがをのせろ、汗を拭け、と母をこき使う。
 うどん粉の多い昔風のライスカレーのせいだろう、母の前のカレーが、冷えて皮膜をかぶり、皺が寄るのが子供心に悲しかった。
 父が怒り出すと、私達はスプーンが--いや、当時はそんな洒落たいい方はしなかった。お匙が皿に当たって音を立てないように注意しいしい食べていた。
 一人だけさじを使わなかった祖母が、これも粗相のないように気を遣いながら、食べにくそうに箸を動かしていたのが心に残っている。
 あれは何燭光だったのか、茶の間の電灯はうす暗かった。傘に緑色のリリアンのカバーがかかっていた。そのリリアンにうっすらとほこりがたまっているのが見え、あれが見つかると、お母さんがまた叱られる、とおびえたことも覚えている。
 白い割烹着に水仕事で赤くふくらんだ母の手首には、いつも、二、三本の輪ゴムがはまっていた。当時、輪ゴムは貴重品だったのか。

(中略)

 カレーライスとライスカレーの区別は何だろう。
 カレーとライスが別の容器で出てくるのがカレーライス。ごはんの上にかけてあるのがライスカレーだという説があるが、私は違う。
 金を払って、おもてで食べるのがカレーライス。
 自分の家で食べるのが、ライスカレーである。厳密にいえば、子供の日に食べた、母の作ったうどん粉のいっぱい入ったのが、ライスカレーなのだ。
 すき焼や豚カツもあったのに、どうしてあんなにカレーをご馳走だと思い込んでいたのだろう。
 あの匂いに、子供心を眩惑するなにかがあったのかも知れない。
 しかも、私の場合カレーの匂いには必ず、父の怒声と、おびえながら食べたうす暗い茶の間の記憶がダブって、一家団欒の楽しさなど、かけらも思い出さないのに、それがかえって、懐かしさをそそるのだから、思い出というものは始末に悪いところがある。
 友人達と雑談をしていて、何が一番おいしかったか、という話になったことがあった。その時、辣腕で聞えたテレビのプロデューサー氏が、
 「おふくろの作ったカレーだな」
 と呟いた。
 「コマ切れの入った、うどん粉で固めたようなのでしょ?」
 といったら、
 「うん……」
 と答えたその目が潤んでいた。
 私だけではないのだな、と思った。
 ところで、あの時のライスカレーは、本当においしかったのだろうか。
 若い時分に、外国の船乗りのはなしを読んだことがある。航海がまだ星の位置や羅針盤に頼っていた時代のことなのだが、その船乗りは、少年の頃の思い出をよく仲間に話して聞かせた。
 故郷の町の八百屋と魚屋の間に、一軒の小さな店があった。俺はそこで、外国の地図や布やガラス細工をさわって一日遊んだものさ……。
 長い航海を終えて船乗りは久しぶりに故郷へ帰り、その店を訪れた。ところが八百屋と魚屋の間に店はなく、ただ子供が一人腰をおろせるだけの小さい隙間があいていた、というのである。
 私のライスカレーも、この隙間みたいなものであろう。すいとんやスケソウダラは、モンペや回覧板や防空頭巾の中で食べてこそ涙のこぼれる味がするのだ。
 思い出はあまりムキになって確かめないほうがいい。何十年もかかって、懐しさと期待で大きくふくらませた風船を、自分の手でパチンと割ってしまうのは勿体ないのではないか。
 だから私は、母に子供の頃食べたうどん粉カレーを作ってよ、などと決していわないことにしている。
    --向田邦子「昔カレー」、『父の詫び状』文春文庫、2006年。

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私見になりますが……、随筆とかエッセーの類いというものは実は女性の手になるもののほうが巧いのではないだろうかと思います。

清少納言(966?-1025?)の事例をひくまででもなく、放送作家として知られる向田邦子女史(1928-1981)の文章もそのひとつで、彼女の傑作随筆集がうえに引用した『父の詫び状』です。

戦前と現在の記憶と思い出を往復しながら、生活に注目するその筆致は細やかで力強く、そして普段ひとびとが「省みることすらしない」(=省察の対象として俎上に載せない)「生活」そのもののもつ醜美善悪を「みずみずしく」うかびあがらせる文章にはおどろくばかりです。

日本の伝統的なライフスタイルにおいて、男性は働くモノ、女性は家を守るモノという不文律の掟があり(マアそれにも善し悪しがあるわけですが)、そうした既存の認識軸のなかでは、当然男性は働くことに執着し、「生活を省みる」ことはほとんどありませんし、現状としておそらくその「暇」もないことでしょう。そして家を守る立場の女性のほうでもそれはそれで「忙しすぎて」なかなか「生命活動」の現場である「生活」そのものを省察することがなかなかできてこなかったという状況を導いてしまいました。

そしたジェンダー的役割分担論に対する批判はここ20年来、大きくなっておりますし、そして旧態依然としたライフスタイルを反省させるという意味では、ひとつのチャレンジになったのだろうと思います。

認識軸は替わり、役割分担論を乗り越え、共同分担という認識軸を導いたとしても、議論として違和感がのこる部分も現実には存在します。それは、そこに生きている人間をやはりパワーゲームのひとこまと扱ってしまう思想の陥穽なのかもしれません。各自各自で還元不可能な生活の現場があるわけですが、いっしょくたんに役割議論で大鉈をふるってしまうと、それはそれで、実は切り落とされてしまう、かけがえのない部分もあるというと部分です。

なにもそうした現状をレコンキスタしようとする知的営みを揶揄し、前時代的な家族関係を、「教科書」論者たちのように復権しようというわけではありません。前時代的な前提は唾棄されるべきであり、改革論者のそれはしかるべき方向性であり、今後の新しい家族関係を構築するひとつの大きなヒントを秘めていることは疑いようもありません。

しかし、どのような構造を選択しようとも、大切なのは、そのコンテンツを意味あるものにたらしめていく当事者の真剣な省察なのだと思います。その意味で、思想が生活を牽引するのではなく、仕事、家庭、育児、すべての「生命活動」の現場である「生活」そのものと、思想・歴史・社会との不断の対話、吟味が生活者に求められているのだろうと思います。

その意味で、前時代的な家族システムを「大声」で「公共性の回復じゃ、ボケ」と叫ぶひとびとにも、また逆に、旧体制を批判し、髪を振り乱して、そして鬼の首でもとったかのように「おまえら、古いんじゃ、ボケ」と革命家気取りの知識人にも、ついていけない宇治家参去です。

要は「器ありき」ではなく、「どう器のなかみを充実させていくのか」そしてそのコンテンツによって「その器をいごこちのよい方向性へ変容させていくのか」というところなのだろうと思うのですが……。

と……。
話が脱線です。

向田邦子女史の話に戻ります。

この文章に初めてであったのは、高校一年の時の秋だったと覚えております。
ちょうど、「現代国語」〔略して「現国」というやつ〕(今あるのかしら?)の何かの問題集に出題されたいた「文章」として出会ったのが最初の邂逅です。

宇治家参去……お恥ずかしい話ですが、このブログの文章の通り、国語というやつが苦手な人種でして……、そのゆえ、比較的「現代国語」の問題集は意識して挑戦するようにしていたのですが、その挑戦の中でマアであったわけです。

「昔カレー」
向田邦子は、戦前の家庭の食卓の思い出をそのなかで語っておりますが、その思い出……同じ様な思い出を共有する「辣腕で聞えたテレビのプロデューサー」ですら、「答えたその目が潤んでいた」というような、懐かしく・温かく・そして遠くなったノスタルジアなのですが、それにどう向き合っていくのかひとつのあり方が示された一文です。

思い出したくない「思い出」もあれば、思い出さなければならない「思い出」もあります。

しかし……

「思い出はあまりムキになって確かめないほうがいい。何十年もかかって、懐しさと期待で大きくふくらませた風船を、自分の手でパチンと割ってしまうのは勿体ないのではないか。」

この一文をよんだとき、胃の腑をぎゅっとつかまれたようで、この時代に読んだ文章のなかでは一番感銘を受けた一文でした。

きちんとした問題であると、通例その「出典」が示されております。

それから、かたっぱしから向田邦子女史の文章は読んだものです。
おまけに弟にまで宣教活動し、自分以外にも「のめり込む」勢いで、そうなるとこちらも冷静になってくるので、「ハシゴを登らせて夢中にさせてから、ハシゴをとるなよ!」と言われたのもいい「思い出」です(ちなみに「ハシゴを登らせる」のは自分の得意技のひとつだろうと思います)。

で……
思えば、それが「ひとりを丁寧に集中して読む」きっかけになったのかと思います。
そんなことしておりましたら、大学入試の直前まで、現代国語の成績は上がらず苦労したのも、マア「思い出」のひとつとなっております。

今のあり方からすると理不尽ですが、厳格な父。
そして、何も不平をいわない母。
猫との生活で死ぬまで独身であった向田邦子女史のライフ・スタイルとは、徹底して自分の生活と向き合うという方向性です。

生活なんてどうでもいいよ!っていうのが、旧体制保持論者であり、新体制推進論者の常ですが、そこに喜びと発見を見出す無名戦士の言葉には、まさに驚きと発見があるばかりで……。

ひさしぶりに読み直しましたが、いいものです。

思えば、向田邦子女史の文章と出会ってから一〇数年を経て「倫理学」なる学問を教えるようになりましたが、倫理学の方法の基礎とは「身近なものごとに注目」することです。そしてそれを徹底的に歴史と社会、そして自分自身と不断の対話をくりかえすなかで、「これはどうなんだろう」「あれはどうなんだろう」と徹底的に吟味していく作業です。

そのひとつの基礎が、向田邦子女史の文章にちりばめられていたわけですが、その意味ではまさに「すべてに無駄はない」(短期観測をすれば、大学入試には直結しませんでしたが)のだろうと思います。

しかし……

「 子供の頃、我家のライスカレーは二つの鍋に分かれていた。アルミニュームの大き目の鍋に入った家族用と、アルマイトの小鍋に入った「お父さんのカレー」の二種類である。「お父さんのカレー」は肉も多く色が濃かった。大人向きに辛口に出来ていたのだろう。そして、父の前にだけ水のコップがあった。
 父は、何でも自分だけ特別扱いにしないと機嫌の悪い人であった。家庭的に恵まれず、高等小学校の学歴で、苦学しながら保険会社の給仕に入り、年若くして支店長になって、馬鹿にされまいと肩ひじ張って生きてきたせいだと思うが、食卓も家族と一緒を嫌がり、沖縄塗りの一人用の高足膳を使っていた」

結婚したとき、この話を思い出し、自分も「やったるぜい」などと息巻いていましたが、事態は逆のようで……そこがチト辛い宇治家参去です。

運が悪ければ……「父にとっては、別ごしらえの辛いカレーも、コップの水も、一人だけ金線の入っている大ぶりの西洋皿も、父親の権威を再確認するための小道具だったに違いない」ということはさらさらなく、「何もない」というのが自分自身の「小道具」となっているようで……。

強い亭主になれません。

久し振りに、古い「お父さん」のカメラでフィルムを入れずシャッターを切ってみる。

画は切り取られませんが、デジカメには再現できないその音はなぜか「昭和の音」がこだましておりました。

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<存在それ自体>の力が、存在者に<存在への勇気>〔生きる勇気〕を与えるのである

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 これまでわれわれは<信仰>(faith,Glaube)という言葉を、神秘主義的なあるいは人格的出会いによる存在の根底とのかかわりの記述のため使用することを避けてきた。それは、<信仰>という語がその本来的意味を喪失し、何か「途方もないものを信じる」ような意味に用いられるようになってきたということも、その一つの理由である。しかし、<信仰>という語を神秘主義にも人格的出会いにも用いなかった理由はそれだけではない。その決定的な理由は、神秘的合一も、人格的出会いも、<信仰>という言葉の内容を十分みたすものではない、ということである。たしかに、霊魂が有限なるものを越えて無限なるものへと上昇し、そして存在の根底と合一するにいたる、ということのなかに<信仰>は存在する。また人格的な神との人格的出会いのなかにも<信仰>はある。しかし<信仰>という概念のなかにはそれ以上のことが含蓄されているのである。<信仰>とは、<存在それ自体>(being-itself)の力によってとらえられている状態である〔ここをドイツ語訳は敷衍してこう訳している--信仰とは、われわれに無制約的にかかわっているところのもの、つまりわれわれの存在と意味の根底、によって捉えられていることである〕。生きる勇気とは<信仰>の一つの表現であって、<信仰>が何を意味しているかは、生きる勇気を通して解明されねばならないのである。われわれは勇気をこう定義した、勇気とは、存在が無にあらがって自己自身を行程することである、と。この生きる勇気の行為において、<存在それ自体>の自己肯定(die Selbstbejahung des Seines-Selbst)が、その行為をする存在者のなかに働くのである。<信仰>とは、<存在それ自体>の力が、存在者に<存在への勇気>〔生きる勇気〕を与えるのである〔この部分はドイツ語訳が説明的であるのでそれによった〕。
 このような経験は、逆説的性格をもっている。それは人間が肯定されているという意味の肯定であり、そしてその肯定に基づいて人間が自己を肯定することなのである〔ここもドイツ語訳によった〕。<存在それ自体>は、すべての有限的存在を無限に超えている。神は、神と人間との出会いにおいても、人間を無制約的に超越しているのである。<信仰>は、その逆説的性格において、この無限の隔たりを橋渡す。それはこの無限の隔たりにもかかわらずそこに<存在それ自体>の力が現前しているという事実を受け容れるからであり、人間がその隔たりにおいて分離されているにもかかわらず<存在それ自体>の力によって受け容れられているということを受け容れるからである。信仰は「それにもかかわらず」受け容れる。そしてこの信仰の「それにもかかわらず」から生きる勇気の「それにもかかわらず」が生まれるのである。信仰とは、何か不確かなものを承認するという一種の理論的肯定ではない。信仰とは、日常的経験を越えている何ものかを実存的に受け容れることなのである。信仰とは臆見ではない。それは一つの状態(a state,ein Zustand)である。それはあらゆるものを超越しておりしかもあらゆるものがそれに参与しているところの<存在それ自体>の力によってとらえられている状態なのである。この<存在それ自体>の力によってとらえられている人は、自己自身を肯定することができる。それは彼自身が存在の力によって肯定されているということを知るからである。これこそそこで神秘主義的な生きる勇気と人格的出会いにおける生きる勇気とが結合される一点なのである。<信仰>がこの両者における生きる勇気の基礎となっている。
    --パウル・ティリッヒ(大木英夫訳)『生きる勇気』平凡社、1995年。

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ちょうど吉野作造(1878-1933)の「四海同胞精神」、そして「ひとはすべて神の子である」(「神の子」は人間に内在する「仏性」と言い換えてもよいのでしょうが)という信念を再度確認しつつ、読んでいたのが、現代プロテスタンティズムを代表する亡命ドイツ人神学者ティリッヒ(Paul Johannes Tillich,1886-1965)の『生きる勇気』です。

一般向けに語られた言葉で、古今の聖賢の言葉に耳をかたむけながら、「生きるとは何か」そしてその根源力の「勇気」とは何かをかんがえさせられた一冊です。

「生きる勇気」とは確かに「自己自身を肯定する」ことなのでしょう。
しかし、その肯定を何によって媒介して肯定するのか、そこが大切になってくるのかも知れません。

媒介を欠いた……すなわち己をむなしゅうするような徹底的な自己相対化を欠いた「自己自身を肯定する」ことは、自己自身の物神化にほかならず、物神化のレベルとは、自己自身とは異なる自己自身化であるとすれば、本来的な意味での「自己自身を肯定する」とは隔たった物象化になってしまうのでしょう。

自己自身をたえず「相対化」するなかで、その現場のなかで、「自己自身を肯定する」……決してたやすいことではなく、そしてなかなかできないことですが、その真の「自己自身を肯定する」ことによって、人間という生き物は、自分自身を肯定し、そして自分自身と「共に(=友に)住まう」他者を肯定することができるのかもしれません。

自己自身を物神化した自己自身とは自己自身とかけはなれた自己自身であり、そこには自己を肯定する力もなく、他者を許容する寛容も存在しないだろうと思います。

そうした誘惑をさけつつ、自己自身のどうしようもなさを自覚し(=存在の肯定)、そこからはい上がっていくのが、信仰の呈示する「生きる勇気」なのだろうと思います。

宗教学者としては、そこまで「踏み込む」のはタブーなのですが、そもそも宇治家参去は神学者ですから、こうした議論は許容してもらいたいというところで……。

一昨日……。
久し振りに、家族と寿司ツアーへ出かけましたが、寒鰤は旨かったです。

一般的には、冬は味覚の乏しい季節だと認知されがちですが、冬だからこそ、食物の余塵するメタボも締め付けられ、ウマミがますというのは真実かも知れません。

飲みながら書いているので、詳細なコメンタリーはまた後日でゆるしてちょんまげじゃ。

ですけど……(いつもながらくどいのが宇治家参去です)、

寒梅が終わりつつあるのが、すこし寂しいところです。

もう、桃とか櫻なのかな?

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生きる勇気 (平凡社ライブラリー) Book 生きる勇気 (平凡社ライブラリー)

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根拠のある楽天的、積極的人生観 師匠の必要性 笠置そば

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 前段に於てはからずも恩師故佐々政一先生のことに触れたが、私が先生の薫陶を受けたのは高等学校に入校した当時、僅々一年余りの事である。国語作文の先生で、極めて熱心親切な人であつた。此点に於て得る所素(もと)より少からずあつたが、就中(なかんずく)私の感謝して措かざる点は、作文を二度も三度も書き直させられた事である。たしか一年生の時であつたと思ふ。教科書の外に第一学期に於て鴨長明の『方丈記』を自修せしめられ、それから「方丈記を読む」と云ふ課題で文章を作らしめられたのである。当時私はまだ信者ではなかつたけれども、基督教の楽天的な積極的な人生観にかぶれて居つたから、『方丈記』の全文にも劣らぬ程の長い論文を草して、自分丈けの考では痛快に長明の所説を反駁した積りであつた。佐々先生も或点に於ては楽天的、又積極的の人であつたから、私の態度に素より反対ではなかつた。けれども先生は長明の論拠と私の駁論の根拠とを極めて精密に対照して詳細の批評を朱書せられ、議論としてはまだまだ重大なる欠陥があると指摘せられた。而して最後に先生は、こんな不精密な不徹底な論拠で長明と戦はうとするのはこの至りである。本当に君が其主張に忠実ならんとするなら、今一度よく考へて書きなほせと云ふ批評で、且又口づから今一度書きなほせと命ぜられた。そこで初めて成る程議論をするには余程精密に思想を練らねばならないナと大いに啓発されて、更に一生懸命勉強して前とは全然面目を改めたつもりの新論文を先生に呈出した。所が先生は之れをも極めて親切叮寧(ていねい)に対照批評せられ、特に此の二度目の論文では私の文章の論理上の欠陥を極めて痛烈に指摘せられた。而して又之れでも成つてゐないから、今一度書き直せとの注意を与へられた。そこで私は又再び多大の啓発を得て今一層奮励して第三の論文を書いた。之れも亦先生は極めて精密に通読されて極めて細い朱書の批評をせられた。けれども大体に於て前よりも余程満足のやうであつたが、最後の批評にこんな文字があつた。
 「之れで君の論拠はよくわかつた。しかし長明は一方の極端に立つて自分の人生観を歌ひ、君は又他の極端に立つて君の人生観を歌つて居るのだ。まだ議論にはなつてゐない。本当に論ずるならば君はもつと深く突込んで長明の思想を研究し給へ。さうして又もツと精密に君自身の思想を整え給へ。双方銘々自分の立場を歌つて居るのでは、傍観者は下手な君の方よりも遙かに文章の巧い長明の方に団扇を上げるであらう。」
    --吉野作造「自己のために弁ず(3)」、『新人』一九一八年三月。

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博士論文作成上に必要な資料調査のために、1月末に宮城県の吉野作造記念館(宮城県大崎市)に行ってきましたが、その調査報告と内容の論文への落とし込み・反映の打ち合わせのため、昨日は、指導教官の鈴木先生の仕事場へおじゃまし、2時間弱、種々ご指導を受けてきました。

吉野作造(1878-1933)の人生観乃至人間観は、「キリスト教に基づく楽天的な人生観」(竹田清子)などと評価があり、ほぼほぼそれが定説となっております。またうえの文章の中で散見されるように「当時私はまだ信者ではなかつたけれども、基督教の楽天的な積極的な人生観にかぶれて居つた」などと本人も書き記しているとおり、そうした傾向が顕著です。

それに加え、信仰の師である海老名弾正(1856-1937)の影響から「すべての人間は神の子である」(神子観)という信仰を大切にし、「すべての人間は神の子」であるならば「救われないはずがない」との信念を抱き、それを土台に「民本主義」という政治理論が形成するという論理です。

すっきりした構造です。

しかし、「キリスト教」と「楽天的」という言葉は、ある側面から振り返ってみるならば、水と油のような関係でもあり、「果たして……」という感覚を抱くのも事実です。

それが、キリスト教における「罪」(原罪)の問題です。

確かに、信仰の師である海老名弾正にしても、吉野作造自身に関しても「罪」の意識はほとんど省みられておりません。例えば海老名と対照的な人物に福音主義の橋頭堡を守ったとされる植村正久(1858-1925)などは「罪」の問題を真摯に受けとめることによって「神人隔絶」を強調し、その「隔絶」があるからこそ「信仰」が必要であり、「信仰」によって「救い」が完成されるという論理をとりますし、罪の問題に関しては内村鑑三(1861-1930)も言葉と論理はまた違いますが、同様に看過できない大きな問題としてとらえれております。

それに比べると、海老名弾正、吉野作造においては、造物主と被造物という意味では、確かに神と人間の存在における断絶は「踏まえられておりますが」、断絶とか罪を強調するよりも、「救済の可能性」を強調する側面が強く、その思想傾向性から「楽天的」と評される結果になったのがその消息なんだろうと思います。

罪とか断絶の問題があまり語られないのは事実です。
しかし、どこかでその「楽天的」という傾向は、根無し草の「脳天気」という意味での「楽天的」とは異なる側面も有しております。それが罪意識は希薄であったとしても「キリスト教信仰」を欠いては、その「楽天的」「積極性」は完成されないという信念なのだろうと思います。

その意味では、吉野作造の「楽天的」という言葉は、日本における仏性論と比較した場合、例えば、天台の本学思想系の「楽天的」という言葉と似ては非なるものなのでしょう。中古天台思想においては、万人に仏性が内在するという議論を前提に、仏性という「素晴らしい種子」がハナから内在しているのであれば、仏性を湧現させる「修行」(乃至信仰)は必要ないとの主張が出てきます。そうした何の介在も無い意味での「楽天的」を脳天気とするならば、吉野作造の楽天的はまったく異なった「楽天的」なのでしょう。

それが「キリスト教信仰によって結ばれる」という必要不可欠な介在であり、仏教的言説で言うならば「仏性を湧現させる・磨く修行」の必要性ということなのでしょう。

確かに吉野作造は「楽天的」「積極的」に「人間の善性」が無限向上する「可能性」を説いて止みませんし、「人間には善性(神の子)」が内在するという論拠をたよりに、入れ物やシステムがどうであれ、人間は和楽共和の世界を形成できると説きつづけます。

しかし、その根底には、根拠のない楽天的な脳天気な立場からの発想というよりも、「信仰」によって「人間」は「陶冶」され、お互いに手を取り合える存在であるという「信仰」があったからなのだろうと思います。

その意味では、吉野の人間観というのは、「楽天的」と片づけてしまうには、齟齬が多く、今後どのように評価・表現していけばよいのか悩むところです。

そして、罪の問題が稀薄であるからといって、世俗外禁欲が全く欠如しているという節もないので、そのあたりももう少し踏み込んでいく必要があるかも知れません。

ちょうどうえの文章では、吉野作造は旧制高校時代の思い出を語っておりますが、そこでは「当時私はまだ信者ではなかつたけれども、基督教の楽天的な積極的な人生観にかぶれて居つた」と吐露しておりますが、仏教的無常観を説いた鴨長明の話題をめぐって作文を何度も書き直しさせられたエピソードが語られております。

完全な世俗外禁欲を励行したわけではありませんがその境界線上を歩み続けた鴨長明との出会いにも、吉野の世俗外禁欲形成に伴うヒントがあるかもしれません。自叙伝を残した人物は数多く存在しますが、吉野の場合、まとまった形の自叙伝は本人自身、一冊も残しておりませんが、それもある意味では世俗外禁欲の結果なのかもしれません。

……などと談笑しつつ、やはり、学問の師・鈴木範久先生は偉大でありました。

どこにそれだけの大きな引き出しと知識、そして今なお増しつつある探求心。
世界中から鈴木先生を求めて訪れる研究者が多いのも理解できますが、そうした大先生のもとで学べる自分自身の幸福と責任も自覚するわけで、いつもお会いするたびに、自分のちっぽけさと学問探究者としての自分自身の未熟さを自覚する毎日です。

その意味では、世俗内の学問世界になりますが「師匠」とはありがたいものです。吉野作造も上の文章では、佐々先生(佐々政一〔醒雪〕,1872-1917)の学恩に対する深謝を述べておりますが、まさにそのとおりで、人間は人間によってしか磨かれませんし、それによって学問も人間性も深めていくことが可能なのだと思います。

ともすれば、一般的な世間では、師匠をもつことに対して「自分自身の個性がなくなってしまうから、いやだ~」という風潮が顕著に見られますが、実はその逆で師匠をもつことによって自分自身が開眼開花するのではないだろうか……鈴木先生との交流・薫陶のなかでいつもそのことを思います。

どの道、どの世界においても、模範とする師匠がいない人生こそ「自分自身の個性がなくなってしまう」のだろうとつくづく実感するわけですが……。

で……。
この博論指導へ伺うといつもその前後に立ち寄るのが「笠置そば」です。

都内ですと、西荻窪にもあったかと思いますが、経由路線の都合上、西武線の本川越で降りて、東武東上線の川越市駅まで歩いていくのですが(直結じゃないので)、その途上にあるのが、この「笠置そば」です。

フランチャイズのいわゆる「駅そば」なんですが、単なる「駅そば」ではございません。

ふつうのイメージですと、あらかじめ湯煎されたやつを、もう一度湯煎して戻し、汁を入れてさっと出すというあり方ですが、コチラでは、あらかじめ湯煎の取り置きをせず、最初から茹でてくださり、一旦冷水で締めぬめりをおとし、そして再度湯煎して出してくれ、種物も取り置きの揚げ物ではなく、一枚一枚揚げてくださったのをのせてくれます。

今回は、ゴボウ天とちくわ天をセレクト。揚げたてですから、天から溢れる汁まで熱く濃厚です。

毎度よるわけですが、叮寧に出された蕎麦は格別で、毎度巡礼せざるを得ません。

ご近所の方はどうぞ。

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何かうまくいかないと、がっかりするよりも怒りが出てくるんですよね

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 「緒方さんの行動のもとになっているエネルギーは何でしょうか?」
 「何だか知りませんけれどもね……」
 数秒の沈黙のあと、緒方さんは続けた。
 「怒りかもしれないですね。何かうまくいかないと、がっかりするよりも怒りが出てくるんですよね。何とかしたいと、こんなことは受け入れられませんと。それはいろいろな形でひどくなったかもしれませんね。これは承知できませんという気持ちですよね」
 「それはやっぱり人権とかそういうことに照らしてという……」
 「そんなに難しい話じゃないんです。何かに照らすんじゃなくて、実態がということです。この一〇年で私、癇癪(かんしゃく)もちになったのかもしれないけれども」
 そう言うと、厳しかった緒方さんの表情が不意に緩み、笑顔になった。
    --取材・構成 東野真『緒方貞子--難民支援の現場から』集英社新書、2003年。

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やることはやっているつもりで、論文も書いておりますし、文句は言いながらも?市井の仕事へ真面目に勤務し、問題があればあるで真摯に対応し、家族との応対もときどき「ウザっ!」と思いながらも、その心を否定することなく向き合いながら、そして余った時間?で、渇いた心のひだを酒でほぐしながら、一日一日精一杯?生きている宇治家参去です。

しかし、タスクを消化するだけでは「何かが物足りない」「何か違うんだよな」などと心のなかのもうひとりの宇治家参去がぼやくのも自覚しており、そうした状況の中で、やることはやっているつもりなのですが「今年はなんとかしなきゃナ」という焦りもありまして……自分自身の存在に対して存在そのものから「怒り心頭」ということをよく痛感します。

「やることはやっている」という「安堵」がひとつのドグマとなっているのかもしれません。それがひとつのスタティックな構造と化したとき、人間の「成長」なんて夢物語なのかもしれません。

とわいえ、そうした状況を快復することにおいて、その生きている現場から「降りてしまう」ことはハナからできませんので、その状況を丁寧に見つめ直し、自分自身に対する「不本意さ」に対する「怒り」を原動力としながら、自分自身の存在をいわば「脱構築」(déconstruction)していかないとね!ということで……今日は久し振りに、市井の仕事も忙しくなかったので、屋上に登り、夕陽を眺めつつ合掌……ではなく、大きく深呼吸をし、「子供のような」怒りの矛先をおさめながら、「さあ、もう一度、仕事をしよう」と現実へ戻りました。

「自己自身の営みそのものが、昨日の構造のままではないのだろうか?」
そのことを、内的に破壊しながら、新たな構造を生成していかない限り、自分自身の存在というものがひとつのドグマになってしまうのかもしれません。

もちろん、神学というひとつのドグマが研究対象ですから、「それでよし」と甘受することも可能でしょうが、そもそも神学というものそのものが、プラトン的なスタティックな体系というよりも、実は現実世界とのたゆまざる往還関係のなかでのたえず構築していかざるを得ないものというのが実は真相ですから、そのへんのゆらぎとか怒りとか喜びに敏感になっていかないと、固定化したドグマになってしまうのでしょう。

丁寧に日々の生活をおくりながら、その構造をたえず構築仕直していく、そのひとつの原動力としての「怒り」という感情……実は大切かも知れません。
うえのインタビューは、長年国連難民高等弁務官を努めてきた緒方貞子(1927-)の言葉です。

「怒りかもしれないですね。何かうまくいかないと、がっかりするよりも怒りが出てくるんですよね。何とかしたいと、こんなことは受け入れられませんと。それはいろいろな形でひどくなったかもしれませんね。これは承知できませんという気持ちですよね」

「怒り」と聞くと、ふつう「否定的なイメージ」で敬遠されがちで、思想・哲学の世界でも「理性」を狂わせる排除されてしかるべき因子とみなされる「感情」のひとつなのでしょうが、こうした人間の事実を払拭した理性とか、紳士面した大人の態度などというものは、じつは虚仮威しの理性とか、ジェントリティなのかもしれません。

明日は……というよりは今日は博論の指導を受けてきます。
精確には博論の指導というよりも、先月の調査結果の精査・探究が目的です。

すこしまた活路を開く歩みに至らしめたく思うところですが……はやく起きなければならないのにもかかわらず、飲んでおりますが、そのどうしようもない自分自身に対する「怒り」を原動力に、ひとつ有閑な……もとい、勇敢な一歩にしてまいりたいと思うある日の宇治家参去です。

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 怒りが原動力であるという緒方さんの言葉は、強烈な印象となって私の中に残った。
 慈善活動や人道援助を行う女性に対して、私たちはややもすると「慈母」的なイメージをいだきがちである。緒方さんによく冠せられる「難民の母」という言葉は、そのことをよく表している。べつにそれが間違っているわけではない。緒方さんの人柄を問われて、「細やかな心配り」を挙げる人も多い。しかし、緒方さんのインタビューをしていて私がむしろ感じたのは、問題を解決しようとする強靱な意志と仕事に対する厳しさ、そして卓越した分析力と創造性であった。緒方さんを知る職員の一人は、「緒方さんは危機になればなるほど強くなる」と言った。どんな緊急事態に陥っても、諦めずに新しいアイデアを出し、指示を飛ばすのだという。そうした彼女の行動を支えてきた原動力は、現場を歩くことから生まれる「怒り」なのだ。
    --東野真、前掲書。

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【覚え書】On 'Darwin Day,' many Americans beg to differ(The Christian Science Monitor from the February 12, 2009 edition)

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2月12日付の『The Christian Science Monitor』にて興味深い記事を読みましたので、【覚え書】として紹介しておきます。

合衆国では、この100年、進化論の是非をめぐって様々な立場から議論がつづいているという状況があります。

伝統的に聖書を重視するプロテスタントの信者が多いわけですが(とくに南部)、なかでも聖書の字句を一字一句正しいものとして受けとる聖書無謬説をとる保守派は、聖書の記述と相異なる進化論に対して「いかがなものか」と思うのが道理でありまして、それが公立学校教育の生物の時間で扱われるようになる……ということになれば、「ちょっと、待てよ!」と動き出すのが人間世界の通例です。

進化論などアリエナイとしていた人々にとって、それが自分たちの子供の通う学校で教えられるようになれば、まさにそれは大問題でありまして、20世紀初頭より、学校教育の場で進化論を教えることに対する反対運動が高まって参ります。

そのなかで、州法になりますが、さまざまな反進化論法が次々と成立してくるわけですが、そうなるとそれにたいして「いかがなものか」と感じる人々も出てくるのが、これまた人間世界の実情でありまして、これまで何度か言及したと思いますが、アメリカという国で興味深いのはこうした声が出ると必ず、それに対する異議申し立ての声が必ず出てくるというところです。

これらの反進化論法に対し、司法の場で、公平に争って廃止しようとする動きが出てくるわけですが、ここで興味深いのは、両者の信念対立の議論として勝負をしていかないところです。最終的には、聖書無謬説に基づく「創造科学(創造論に基づく科学)」が、反証可能性を欠いた擬似科学として司法の場で退かれてしまうわけですが、戦略としては興味深いのは、主として、特定の信条に一致しないという理由で進化論を教授することを禁止することは、特定の理論を抹消することに他ならない、という表現の自由や信教の自由の問題として扱っていく戦略です。

進化論が科学なのか、はたまた創造科学が科学なのか……そうした議論を煮詰めていくことも勿論重要なのですが、そうした信念系の対立の議論はなかなか収拾がつかないのも現実です。ですから、どちらが自由に反するのか……そうした戦略手法には驚くばかりで、さすが、平等よりも自由を尊重する気風に憧れすら抱くばかりなのですが、もうひとつの現実を見てみると、確かに、ファンダメンタルなひとびとの主張するあり方は結果としては退けられたのは事実であったとしても、そういう信念を採択しない(=進化論はウソッパチで、人間は猿から進化したのではなく創造されたという立場)をとる人々が合衆国ではマジョリティであるという事実を思うと、マア「人間世界とは一筋縄ではいかないわな」などと思う宇治家参去です。

宇治家参去その人としては、進化論の是非、そしてファンダメンタルな理論の是非よりも、実はそうした自分と異なる信念体系を「学ぶ」ことによって、「他者の存在」を学ぶことができるのでは?……などと思っている方ですから、実は異なる意見に耳を傾けることによって自己の信条は強固にされ、他者に対する寛容すらも強固になるのが真相なのだろうと思っております。

自分のモットーとしている言葉の一つが、フランスを代表する啓蒙思想家ヴォルテール(Voltaire,1694-1778)言葉ですが、すなわち「君の意見に賛成できないが、君が意見を述べる権利は死んでも守る」( Monsieur l'abbé, je déteste ce que vous écrivez, mais je donnerai ma vie pour que vous puissiez continuer à écrire.)という信念がない限り、いかに自分が大切にしている信念・信条であったとしても、それは文字の世界だけであって、その人自身の生き方には昇華されないのだろうと思います。

理論・理屈の奴隷になることはたやすいですが、理論・理屈に生き抜くのは困難です。

しかし、自分とまったく異なる存在と直面してはじめて、自分自身の信念・信条、ふみこめば信仰は深まるものだと思う次第なのですが……。

マア、わたしなどは、どちらかといえば、動物に近いほうなので、とりあえず、「浦霞」(株式会社佐浦/宮城県)にむらがる動物の如く、サクッ飲んで寝るのが一番かも知れません。

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On 'Darwin Day,' many Americans beg to differ

By Jeremy Kutner Contributor to The Christian Science Monitor from the February 12, 2009 edition

This Thursday, celebrations are under way worldwide to mark Charles Darwin's 200th birthday. From Argentina to Australia, people are gathering for film screenings, quiz contests, and museum exhibits on "Darwin Day" – along with at least one "survival of the fittest" cake-eating contest.

In the US, though, Darwin remains a controversial figure. Two centuries after the famed naturalist's birth, more than 40 percent of Americans believe human beings were created by God in their present form, according to recent polls from Gallup and the Pew Research Center – a view impossible to reconcile with evolution propelled by natural selection.

Such creationist beliefs lack scientific merit, educators say, and in classrooms evolution reigns supreme. Opponents have tried an array of challenges over the decades, and the latest tactic recently scored its first major victory. It's a tack that is changing the way the cultural battle over evolution is fought.

In June of last year, Louisiana became the first state to pass what has become known as an "academic freedom" law. In the past, fights over evolution took place at the local school board level, but academic freedom proponents specifically target state legislatures.

Such laws back away from outright calls for alternative theories to evolution, electing instead to legislate support for teachers who discuss the "scientific strengths and scientific weaknesses" of issues such as evolution in the name of protecting the freedom of speech of instructors and students alike.

In 2009, bills have been introduced in Oklahoma, Alabama, Iowa, and New Mexico. Their likelihood of success is uncertain: In the wake of the Louisiana result last year, similar bills were introduced in Florida, Michigan, Missouri, and South Carolina, all of which failed.

But it's a strategy shift, opponents say, which is disingenuous at best, and dangerous at worst.

"Quite honestly, there aren't any strengths and weaknesses to evolution in the way they say. It's the hook they use to introduce nonscientific explanations," says Robert Gropp, director of public policy for the American Institute of Biological Sciences in Washington. "You have to give [evolution opponents] credit: They've gotten crafty about arguments they make. 'Academic freedom' sounds very all-American, but the problem is it sets aside the way science is done, the way we teach science."

Supporters of such legislation, like Oklahoma state Sen. Randy Brogdon (R), who introduced The Scientific Education and Academic Freedom Act 10 days ago, wonder how people who claim evolution is iron-clad could object to open debate.

"It befuddles me," Senator Brogdon says. "It's amazing that people who believe in human secularism don't want to have an open discussion.... My gosh, what kind of system do we have if we only teach one set of information, one piece of the puzzle?"

Model legislation is currently being promoted by the Discovery Institute, a Seattle-based organization that had supported the teaching of "intelligent design," which claims that life is too complex to have simply evolved without the hand of an intelligent designer. The Institute is offering an alternative to Darwin Day that it is calling "Academic Freedom Day." "We're doing sort of a counter to Darwin Day, which has become a sort of quasi-religious celebration," says John West, a senior fellow at the Institute.

Academic freedom arguments echo a long history of defeated attempts to challenge evolution's primacy in the classroom. Calls for equal classroom time for "creation science" gave way to less overtly religious support for "intelligent design." But in 2005, a federal court rejected the teaching of intelligent design in public-school classrooms.

The US District Court for the Middle District of Pennsylvania concluded its ruling by saying: "We have addressed the seminal question of whether ID is science. We have concluded that it is not, and moreover that ID cannot uncouple itself from its creationist, and thus religious, antecedents."

"It was a shot across the bow nationally," says Tom Hutton, senior staff attorney for the National School Boards Association. "The case was really noticed by school boards." Merely mentioning intelligent design or religious alternatives to evolution became anathema.

Academic freedom laws specifically mention that they should not be seen as supporting a religious viewpoint. Language began to focus on "scientific" objections to evolution itself, something most evolutionary biologists say don't exist in the way such language implies.

"I wish everyone could understand the profound degree to which we understand evolutionary biology," says Elena Kramer, a professor of evolutionary biology at Harvard University in Cambridge, Mass. Professor Kramer says she is often disappointed with the rhetoric of evolution supporters who often dismiss those with religious viewpoints, but adds, "There is no legitimate scientific evidence that evolution has not occurred."

But putting questions about the "strengths and weaknesses" of evolution at the heart of the debate makes issues of religious intrusion into science classrooms difficult to evaluate.

Louisiana's Board of Elementary and Secondary Education approved its new guidelines based on the law in mid-January, allowing teachers to introduce "supplementary materials" into classroom discussions, though the review process for determining which materials were nonreligious in nature remains unclear.

"This is very, very, watered down from the earlier generation of strategies, and it's harder to deal with that on legal level because it's not about the legislation" but rather about how individual teachers choose to interpret the legislation, says Joshua Rosenau, spokesman for the National Center for Science Education, a leading critic of such legislation.

It's a debate that's currently being played out in Texas. There, the State Board of Education recently voted to excise "strengths and weaknesses" language from the state's science standards, which had been on the books for two decades. But the Board's chairman then succeeded in getting language approved supporting discussion of the "sufficiency and insufficiency" of certain evolutionary principles.

"That shocked a lot of people," says the chairman, Don McLeroy, a self-identified "young earth creationist." But Mr. McLeroy insists such efforts are well within the law. "It's certainly not a religious standard.... People are probably opposed to [the new language] for ideological reasons." Voting on the final wording will take place in March.

Yet activists on both sides acknowledge that, while the debate over science education is far from resolved, school boards have far more pressing issues at hand. "When schools are not worried about laying off a huge percentage of school staff this may loom larger," says Mr. Hutton of the National School Boards Association. "It's taken some of the wind out of the sails."

http://www.csmonitor.com/2009/0212/p01s03-ussc.html

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quasi-religionに「なんだかな」

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 しかしわたしは、精神の分野で行ったわたしの実験を、ぜひ話しておきたいのだ。というのは、それは私自身にしかわかっていないことだからである。またその実験から、わたしは、政治の分野の活動にわたしがもっている力を引き出してきたのであった。もしも実験が真に精神的なものであれば、自己礼讃が入りこむ余地がありうるはずはない。それは、わたしに謙譲を加えるのみである。過去を熟考し、回顧すればするほど、ますますはっきりとわたしの限界を感じてくるのである。
 わたしがなしとげようと思っていること--ここ三十年間なしとげようと努力し、切望してきたことは、自己の完成、神にまみえること、人間解脱(モクシヤ)に達することである。この目標を追って、わたしは生き、動き、そしてわたしの存在があるのである。語ったり、書いたりするやりかたによるわたしの行為のいっさいと、政治の分野におけるすべてのわたしの冒険は、同じ目的に向けられている。
 しかしわたしは、一人の人に可能なことは、万人に可能である、とつねに信じている。だから、わたしの実験は、密室の中で行われたのではなく、公然と行われてきた。そして、わたしはこのことのために、実験の精神的価値が減じたとは考えない。世の中には、個人とその創造者のみにしかわからないものがいくつかあって、それらは、明らかに他の人に伝達不可能のものである。わたしがこれから話そうとする実験の数々は、そのようなものではない。それらは、あくまでも精神的なものである。あるいは、道徳的なものといったほうがよいかもしれない。というのは、宗教の本質は道徳性にあるからである。
    --ガンジー(蝋山芳郎訳)『ガンジー自伝』中公文庫、1983年。

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政治の根底には深い宗教性が必要不可欠であると喝破したのはインドの聖者・マハトマ・ガンジー(Mohandas Karamchand Gandhi,1869-1948)ですが、ガンジーの言葉に耳を傾けてみると、様々な諸分野が分断対立している状況のなかで、どのようすれば、その有機的な繋がりが快復し、強化していけるのだろうか、その模索の人生だったのではないかと思うことがあります。

とくに日本においては、徳川時代以降、倫理と宗教が基本的には棲み分けという状況に強制的にならしめられたためでしょうか、倫理と宗教、もう少し踏み込んで言うならば、道徳と宗教に関する生産的な議論がほとんど見受けられません。

倫理・道徳は深い宗教性を欠如した状態で、「世俗内倫理」としてのみ「方法論」的に語られる乃至は命じられる形でその言説が存在し、宗教はどちらかといえば、冠婚葬祭を初めとする儀礼としてその息を永らえているというのがその現況なのでしょう。

しかし、ヴェーバー(Max Weber,1864-1920)鮮やかに浮かび上がらせたように、現実には「世俗内倫理」として機能する世俗的「道徳」であったとしても、その根底には深い霊性の関わりがあるわけで、その両者を単純に、こちら側とあちら側で立て分けて理解することは不可能なのも事実です。倫理・道徳と宗教の霊性をこちら側とあちら側で立て分けて理解してしまう、そしてそういうものとして流通させてしまうところに、両者の生命が失われてしまう契機が存在するのではないだろうか……そう思えて他なりません。

それが失われてしまう、乃至は力が奪われてしまったとき闊歩し始めるのが、神学者ティリッヒ(Paul Johannes Tillich,1886-1965)の指摘する「quasi-religion」(擬似宗教)なのでしょう。確かに制度宗教の凋落を指摘することは簡単ですが、その過程で力を付けてきたまじない・オカルトとといった「精神世界」ブームを見るにつけ、そのことを実感せざるを得ません。制度宗教が力を失いつつあるのは確かなのですが、quasi-religionの勃興を見るにつけ、「なんだかな」と思うところで……。

人間には「信」という精神構造が存在します。これは宗教に限れた問題ではなく、人間はその社会性を発揮するとき不可避的に発揮される精神構造なのですが(例えば、○○行の電車が××に向かっていくとは思わず、○○行と無意識的であっても「信じて」乗っていくわけですが)、制度宗教が力を失うなかでその間欠を商売風に付いてくるのを見てしまうとまさに「なんだかな」と思うところで……。

確かに現代世界は中世的な教権社会とは異なった社会であり、制度であり、そこに住まう人々の時代であって、「かつての時代」のように、人間や社会全体を「支配する」「コントロール」するイデオロギーとしての宗教や倫理、そして道徳というものは必要在りませんが、それを極度の「個人」還元主義的傾向のなかで、単なる「私秘的領域だけの問題」として理解・流通させてしまうのは、ひとつの極端な理解なのだと思うところです。

カリカチュアされたイメージとしての中世的な宗教や倫理、そして道徳の「支配」というあり方が一方の極端であるとすれば、現今の「私秘的領域だけの問題」として理解する・退けるあり方というのももうひとつの極端なのでしょう。

歴史を振り返ってみるならば、ひとが「自分自身の問題」を「自分自身の問題」として逡巡・熟慮・葛藤しなくなったとき、そしてひとが「他のひとと関わる問題」を「他のひとと関わる問題」として逡巡・熟慮・葛藤しなくなったとき、一方の極端から一方の極端への移行は絶やす生じてしまうのが世の常です。

いずれにしても、イデオロギー優先か、それとも孤立した個人の領域を優先させるのかという二者択一の選択肢のまえには、「生きた人間」は存在しないのかもしれません。

宗教や倫理学といったナイーヴな対象を研究する一学徒としては、宗教や思想というものが諸刃の剣であることは渋々理解しているところですが、それでもなお、人間社会とのその有機的な関係を再構築・快復しない限り、暗雲立ちこめる現況を打破することは不可能なのだろうと思うところです。

しかしながら、その状況に対して「諦める」こともできません。

なぜなら、冒頭でガンジーが吐露していているとおりですから。

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歴史における「挑戦と応戦」(challenge and response)

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望みをもちましょう。でも望みは多すぎてはいけません。
    --ウォルフガング・モーツァルト(柴田治三郎訳)『モーツァルトの手紙 (上) 』岩波文庫、1980年。

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朝……精確には昼ですが……起きると、細君からプレゼント。
一応、念のため、「日本酒でお願いします!」と申告していたにもかかわらず、何故かこの日は例年「ワイン(乃至はスパークリングワイン)」が定番となっているようにて、日本酒は却下された模様です。

で……。
市井の職場へ仕事へ行くと、「いつもお世話になっております」?とのことにて、ワインと煙草をいただき、テナントのおっちゃんからも「いつもありがとうございます」と団子盛り合わせ?を頂戴しました。

ありがたいことです。

煙草を燻らしながら、ワインをのみつつ、団子の甘味に舌鼓という状況できまりでしょうか。

別に望んだわけでもありませんが、望みに対する来月の応酬もきちんとやっておかないとまずいですね。それが人間社会の掟でございますので……。
そのことによって、まさに文化・文明は進展してきたわけであって、それがアーノルド・ジョセフ・トインビー(Arnold Joseph Toynbee,1852-1883)のいう歴史における「挑戦と応戦」(challenge and response)なのでしょう。

ということで、飲んで寝ます。

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二重の自立性、自然的なものの自律的なそれとを統一している

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 天候はたしかに完全にそれ自身で変化し、私は、その自立的な変化というしかたにおいて、それだけ拘束を受けないかたちで天候に出会うことになる。とはいえ、人間がまったく別種の存在であったなら、人間が天候に「依存する」こともおよそありえなかっただろう。なるほど天候はその自然なありかたにおいて、人間のことばで或る者に語りかけることはできない。だが天候にはそれでも、或る者をじぶんに依存させることが可能であるが、その根拠は「自然」--人間の自然のうちにある。人間が同時に自然的な生物でなかったなら、天候が人間にかかわることはそもそもありえなかったことだろう。人間がじしん自然を有するからこそ、人間は自然的なものをその自立性において経験し、理解することができる。人間はじぶん自身のうちで、二重の自立性、自然的なものの自律的なそれとを統一している。このことが、人間外的な自然が人間に対して威力をもちうることに対して、存在論的な根拠を与える。人間との関係における自然の自立性が人間にかかわることになるのは、したがって、人間が人間以下的なしかたで存在しているからでもなければ、自然が人間を超えるしかたで存在し
ているからでもない。人間もまた自然によって現に存在することをつうじてであり、それが人間的な自然であるとはいえ、人間もそれじしん一箇の自然を有することをつうじてなのである。
    レーヴィット(熊野純彦)『共同存在の現象学』岩波文庫、2008年。

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れいのごとくで、れいのごとくで、サラリーマンの皆様は、「まぢで凄いな!」などと納得しつつ、そういったひとびとを送りだす配偶者のひとびとには「笑顔を忘れないでね!」などというコマーシャル的擬似画像は……実はたいせつなんだよなと実感しつつ、自分の「自然性」に吐き気をおぼえつつ……市井の仕事をしていたわけですが、今日がひとつのマックスで、「これ、ありえないだろう」のうえをいく「ありえないだろう」……でして、久し振り?にエア・パンチを「空き段ボール箱」に拳を送りこむ宇治家参去です。

そんなことはどうでもいいのですが、とりあえず……本日は、自分で決めた飲みのアポがあり、若い衆と一献。

北海道の地酒で、北海道の珍味をほおばるわけですが、そうした「パンチを繰り出したくなる」「現実世界」を「丁寧」にレコンキスタする以外に手はないな!ということでクローズ。

言葉で買えば単純なフレーズですが、そこにしか自己自身の実存はないのが現実です。

寝ます!!!

しかし!!!

(詳細はおきますが)現実世界のこうした“どうしようもない現実”に“憤らなくなり”“そんなもんなんだよなあ~”としたり顔で語るようになってしまうと、自分は終わりなのでしょう……その意味では、ありがたいものです。

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特権をわざと「忘れ去ってみる(unlearn)」

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 エドワード・W・サイードはフーコーにおける権力概念を批判して、それはフーコーにあっては、魅惑的で一切を神秘化してしまうようなカテゴリーと化しており、「階級の役割、経済の役割、放棄と反乱の役割を隠蔽する」結果を招いていると指摘しているが、この批判はいまの場合にはきわめて適切である。わたしはサイードの分析に付け加えてさらにひとつ、そこでは権力と欲望の密やかな主体の存在が知識人の透明性によってマークされているという点を指摘しておきたい。まったく奇妙なことにも、ポール・ボーヴェはサイードを咎めて述べている。サイードは知識人の重要性を強調するが、「フーコーの企ては、本質的に、ヘゲモニー的立場にある知識人と反対派的立場にある知識人のいずれもの指導的役割への挑戦なのである」と。ここまでの論述でわたしが示唆してきたこのは、この「挑戦」はまさしくサイードが強調していることがら--批評家が制度的に負っている責任--を無視しているがゆえに欺瞞的である、ということであったのだ。
 この奇妙なことにも否認の言葉によって〔知識人の〕透明性のなかにいっしょに縫いこまれてしまっている主体/主体は、労働の国際的分業の搾取の側に属している。現代のフランス知識人たちには、ヨーロッパの他者の名指しされることのない主体のうちにどのような種類の権力と欲望がやどっているかを想像することは不可能なのだ。かれらの読むものは、批判的なものであれ無批判的なものであれ、そのすべてが、ヨーロッパとしての主体の構成を支持ないし批判しつつ当の他者を生産する論争の内部にとらえこまれてしまっているというだけでない。そのヨーロッパの他者を構成するにあたっては、そのような主体がそれの道程をそれらでもって備給し占拠する(覆いつくす?)ことができるようにと提供されたテクストの諸成分を消し去るために、多大な配慮がなされたのでもあった。イデオロギー的および科学的な生産によってだけでなく、法の制定によってもである。経済的分析がどんなに還元主義的におもわれるかもしれないにしても、フランスの知識人たちはみずから危険を承知の上なのであろうか、この重層決定された企ての全体が、利害、動機(欲望)、そして(知の)権力が無情にも脱臼を起こすことをもとめるような、あるひとつの動態的な経済的状況の利害関心下にあって遂行されたものであったということを忘れているのである。そのような脱臼が起きているという事実をいま、経済的なもの(記述的にもろもろの「階級」を切り離す経済的生存状態)はすでに時代遅れの分析装置になってしまったと診断することをわたしたちに強いるようなひとつのラディカルな発見として引き合いに出すことは、その脱臼の仕事を続行し、それと知らずに「ヘゲモニー関係の新しいバランス」の確保に手を貸すことであるといってよい。しかし、この議論にはすぐあとで立ちもどるとして、知識人が自己の影としての他者のたえまない構成に関与している可能性を前にして、知識人にとっての政治的実践のひとつのありうる方策は、経済的なものを「抹消のもとに」置いてみることであろう。そして、経済的要因が最終的な決定因または超越論的なシニフィエであると主張するときには、実際にもそれがどんなにか還元不可能なものであっても、まさにそれが抹消されるときにも、それは社会的テクストをどれほど不完全にではあれ書きこみ直している(reinscribe)のを見てみることであろう。
    --G.C.スピヴァク(上村忠男訳)『サバルタンは語ることができるのか』みすず書房、1998年。

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サイード(Edward Wadie Said,1935-2003)以降のポストコロニアル批評を考える上で、とりわけ重要な思想家のひとりがガヤトリ・チャクラヴォルティ・スピヴァク(Gayatri Chakravorty Spivak,1942-)です。

インド出身のスピヴァクは、アジア出身でもっとも著名な女性知識人と評されており、主著のタイトルにもなっている「サバルタンは語ることができるのか」というその挑発的な彼女の問いは、現代世界において「知識」の「権力性」の問題を考えるうえでは、避けてはとおれない重要な問いかけとなっております。

サバルタンとは、イタリアのマルクス主義思想家・アントニオ・グラムシ(Antonio Gramsci,1891-1937)に由来する用語で、もともとは、南イタリアの組織化されていない最貧困農民層を指していたものです。

現代インドを対象とする研究者たちは、インド国内の最貧困層、下層カースト、ないしはアウト・カースト(カースト外のひとびと)をあらわす概念として用い、政治的・社会的状況を分析・説明しようとその言葉を使用しております。大雑把にいえば、まさに「多種多様な被抑圧下層民」と言い換えてもよいでしょう。

さて、スピヴァクは、「サバルタンは語ることができるのか」と「挑発的な問いかけ」をしたわけですが、何が「挑発的」なのでしょうか。

スピヴァクの批判は、ミシェル・フーコー(Michel Foucault,1926-1984)やドゥルーズ(Gilles Deleuze,1925-1995)といった現代フランスを代表するポスト構造主義の思想家たちにむけられております。それは、彼ら西洋の知識人がいわば、サバルタン的な状況におかれた人を「代弁して語る」ことによって、ますますサバルタン自身は「声を奪われ」「抑圧されている」のではないかという指摘です。

たしかにフーコーやドゥルーズは、権力の構造をあざやかに浮かび上がらせ、入り組んだ現代社会の現況を見事に示しだしたわけで、そのことによってマルクス主義的権力論は色あせたものになってしまったほどであります。しかし、スピヴァクは、彼らの言説が生産されればされるほど、サバルタン自身は「声を奪われ」続けていくということに注目していきます。

著作の中では、具体的にフーコーやドゥルーズが指摘されておりますが、何もスピヴァクは、このふたりだけを「槍玉」にあげようとしているわけではありません。

そもそも西洋の知識とは対象を「表象」したり「代表」したりすることによって対象を概念化する体系を豊富に備えておりますが、スピヴァクの批判とは、そうした知識体系そのものが、サバルタンという「語ることのできない」存在を不可避的に生産、そして再生産しているのではないかというというところに存在します。いうなれば、西洋的な知識の枠組みそのものに対する批判です。

理論や言説が鮮やかかつ難解であればあるほど「それらがかれらを魅惑し、わたしたちを不安にさせるのは、研究主体(男性もしくは女性の専門家)がみずからを透明な存在に偽装するのをそれがゆるしてしまいかねない」(スピヴァク、前掲書)のでしょう。

さて……、
仮に現実のサバルタンに何かを語らせたとしても、それは現実に存在する知識の権力関係を維持するどころか、かえって強化するだけですし、結果としては、「語らせる」“前”も“後”も、そこからこぼれおちていってしまう「語れないもの」としてのサバルタンが生み出されていってしまう‥‥。

すなわち、状況としてはサバルタンは常に沈黙を強いられ、知識の権力の共犯構造は堅固に維持されたままであります。

そこをスピヴァクは突いていくわけです。

「語ることのできない」存在を「語らせる」とだいたいどのようになるのでしょうか。

「サバルタンは語ることができるのか」のなかで、スピヴァクは最後にヒンドゥー教徒の伝統的な風習である「サティー」を取り上げています。サティーとは、先に死んだ夫の火葬の薪の上で自らの身体を捧げ供養するという寡婦殉死の風習です。

この風習に対しては、ふたつの「言い方」が存在します。
ひとつはインドの支配階級からのそれで、寡婦の自殺を「女性の貞操という理想を達成するために」自ら選択した自殺と位置付け、「献身という意思と勇気」を賞賛する言説です。

これに対してもうひとつの代表的な「言い方」は、西洋からのアプローチで、サティーは非文明的な野蛮な行為にほかならない、との批判がそれであります。この「言い方」からは、ヒンドゥーの男性は女性に自殺を強要する存在として批判され、同時に、まあ返す刀で、殉死の決意を「翻意」した女性は、「自由意志」をもっている存在として称揚されてしまいます。

しかし、このどちらも男性中心主義的な観点からひねり出された「言い方」に他なりません。

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 サバルタンは語ることができない。グローバル・ランドリー・リスト〔世界各地の国際空港のホテルなどに置いてある洗濯可能品目を長々と列挙した表〕に恭しく「女性」という項目を記載してみたところで、こんなものにはなんの値打ちもない。表象=代表(representation)の作用はいまだ衰えてはいない。
    --スピヴァク、前掲書。

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いずれにしても実際にサティーで自殺をする女性は、いわば「分析」の「対象」に「閉じ込められた」ままで、そこにどのような主体が存在するのか、結局は語られることはありません。表象=代表(representation)されるだけですから……。

そして、スピヴァクは、この沈黙させられた声に耳を傾け、その断章からサバルタンの女性の声を呼び起こそうとするわけですが、このサティーの自殺のただなかの中に、この伝統が持っている暴力に対する抗議の声に耳をすまそうとしていきます。

こうした実践をどのように日常生活の中で立ち上げていくのか。
すこしながくなりますが、ふたたびスピヴァクの言説に戻ってみようと思います。

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 もっとも、わたしがいま述べた注意が有効なのは、あくまでも、サバルタンの女性の意識--あるいは、より受けいれられやすい言いかたをするならば、主体--ということが口にされる場合である。第一世界や第三世界における有色の女性たちや階級抑圧のもとに置かれている女性たちが展開している性差別に反対する活動についての報告をおこなったり、あるいはさらによいことには、その活動に参加するというのは、疑いものなく、今日わたしたちに課せられているもっとも緊急の行動目標である。わたしたちはまた、人類学、政治学、歴史学、社会学の分野でおこなわれつつある、これらの沈黙させられた領域の内部にあってのあらゆる情報検索をも歓迎すべきである。しかしながら、意識あるいは主体なるものの想定と構築がそういった活動を支えており、そうであるかぎり、それは結局のところ、学問や文明の進歩に認識の暴力を混ぜ合わせながら、帝国主義的な主体構成の作業に合体していくことにならざるを得ないだろう。そしてサバルタンの女性はいつまで経っても依然として無言のままでありつづけていることだろう。
 こんなにもいろいろな危険にみちたフィールドにおいては、サバルタンの女性の意識というような問いを問うのは、そうそう容易なことではない。だからこそなおのこと、そのような問いは観念論者の仕掛けた燻製のニシン〔注意を他に逸らさせるための仕掛け〕ではないということを実践主義的なラディカルたちには気づかせる必要があるのだ。フェミニズムあるいは反性差別主義の企画のすべてがこの問いに尽きるわけではないけれども、それを無視するということは、それ事態、ひとつのそうとは認識されていない政治的な所作なのである。そして、これはこれで長い歴史があるのであって、それは研究者の占めている場所を透明に〔見えなく〕してしまうような男性的なラディカリズムに協力するものにほかならないのである。サバルタンの女性という歴史的に沈黙させられてきた主体に(耳を傾けたり、代わって語るというよりは)語りかけるすべを学び知ろうと努めるなかで、ポストコロニアルの知識人はみずから学び知った女性であることの特権をわざと「忘れ去ってみる(unlearn)」。このようにみずから学び知った特権をわざと忘れ去ってみるということはポストコロニアルの言説をそれが供給しうる最良の道具を用い手批判するすべを学び知るということをこそ意味しているのであって、ただたんに植民地化された者たちのいまは失われてしまった姿像を帝国主義的な歴史叙述に代置するという意味ではない。だから、サバルタン・スタディーズという反帝国主義的な企ての内部にあってさえサバルタンの女性が無言でありつづけているのが問われないでいるのを党ことは、ジョナサン・カラーが示唆しているように、「意見を違えることによって差異をつくり出す(produce difference differing)」とか、「本質的なものとして定義された性的アイデンティティーに訴え、そのアイデンティティーに結びついた経験を特権化する」ということではないのである。
    --スピヴァク、前掲書。

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スピヴァクの提案は「忘れ去ってみる(unlearn)」ということです。unlearnですから、いわば「学び捨て去る」と捕らえてみても良いかと思います。

この言葉はまさに「学ぶ(learn)」という語を意識して用いられた言葉ですが、日常生活を振り返ってみると、先進世界に住む人々はあらゆるメディアを通じて、まさに日常的に知識を学んでおります。しかし実はこのこと自体が特権的なことであり、まずもって知識を持っていることの特権性を自覚しなければならないのでしょう。

近代初頭のイギリスの哲学者フランシス・ベーコン(Francis Bacon,1561-1626)の言葉に、「知は力なり」(Ipsa scientia potestas est)という有名な一節があります。

確かに「知は力」なのですが、それは諸刃の力ということを決して忘れてはいけないのかもしれません。知識を持つことは、偏見を持つことであり、損失でもあるのでしょう。その意味で、「学ぶ人」は常に、自分たちが得た知識の特権性を自覚し、そして解体した上で、それを再構築していかなければならないのだろうと思います。

スピヴァク自身は、サイードが教鞭をとったコロンビア大学の教授として精力的に活動しております。その意味ではまさに「特権的な」知識人のひとりであり、そのことをたえず、自覚しながら、学問を行じております。その一方で、インドの最下層の社会に入って活動も行っております。しかし、どちらか一方に対して「べったり」しているわけではなく、そのただ中で「矛盾」を実感しながら、思索し、行動しているとのこと。

現実世界の「矛盾」なんて、そうそうに解決できる問題でもありませんし、分かりやすく「整理」できる対象でもありません。

しかし、それを「物知り顔」で「整理」してみせたとき、「語ることのできない」存在は「語ることのできない」ままなのかもしれません。

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スピヴァクみずからを語る―家・サバルタン・知識人 Book スピヴァクみずからを語る―家・サバルタン・知識人

著者:ガヤトリ スピヴァク
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〔業務連絡?〕「書物復権2009」始まる

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 書物を買いもとめるのは結構なことであろう。ただしついでにそれを読む時間も、買いもとめることができればである。
    --ショウペンハウエル(斎藤忍随訳)「読書について」、『読書について 他二篇』岩波文庫、1983年。

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よくある話ですが、例えば……
「参考文献で指示が出ていた」
「注文したけど版元で品切、絶版になっていた」
「図書館の本で読んだことはあったが、手元に置いておきたい」

……学問に限らず、必要な本が「販売されていない」状況に当惑し、「どうするべ」となってしまうことがよくあります。

ネットや古書サーチで「手に入れることは不可能」ではないのでしょうが、やはり、新書で欲しいということもあると思います。

そうしたリクエストに応えてくれるのが「<書物復権>共同復刊」企画で、今年ではや13回目を迎えたそうです。

参加出版社は以下の通りです(8社)。

岩波書店
紀伊國屋書店
勁草書房
東京大学出版会
法政大学出版局
白水社
みすず書房
未來社

日本を代表する学術文献の出版社ばかりで、各社とも「復刊候補リスト」を提示しておりますが、ノミネートされた書目以外でもリクエスト可能です。

投票に参加することで、あの「まぼろし」の「一書」が手に届くかも?

下記のURLより詳細を確認することが可能です。

http://www.kinokuniya.co.jp/01f/fukken/?type=mail&date=20090211&link=01

いうまでもありませんが、ドイツの哲学者・ショーペンハウアー(Arthur Schopenhauer、1788-1860)が警句しているとおり、「ついでにそれを読む時間も、買いもとめる」必要がありますが、これだけは売っておりませんので、自分で作るほかありません。

で……
宇治家参去は、提示されたリクエストのこのあたりをポチっと押しておきました。

・ベルナール・フランク(斎藤広信訳)『方忌みと方違え 平安時代の方角禁忌に関する研究』岩波書店、1989年。

・ベルジャーエフ(斎藤栄治訳)『ドストエフスキーの世界観』白水社、1978年。

ちなみに、カールスバークはやはり「ビールの王様」ですね!

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一切を生産に差向けられたものとなす産業主義的概念と可成に異つた価値階列

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 文化の「人間中心主義的」(anthropocentrique)概念に対して、キリスト教的概念は、真実に人間的な且つ「人間主義的」(humaniste)概念として対立するが、私はこの語を使用しつゝ、その語の語源的意味に違はぬ唯一の『人間主義』(humanisme)を考へてゐるのである。それは即ち聖トマス・アクィナスがその実例を示す所のそrであり、キリストの血によって清められたるヒューマニズムであり受肉性の人間主義(humanisme de l'Incarnation)である。
 かかるヒューマニズムは本質的な聖階秩序(ヒエラルシー)を尊重し、観想的生を活動的生の上位に置き、観想的生がより直接的に第一『原理者』のその愛(そこにこそ完徳性が存する所の)にむかつて行くことを知つてゐる。それは活動的生が犠牲にされなければならないといふのではなく活動的生はそれが完全者達の許において実現する所の模型(タイプ)に、即ち観想の充溢より発する所の活動にむかつて行かねばならないといふのである。
 しかし聖人達の観想を人間的生の頂点におくならば、然らば人間の一切の活動は、而して文明自らはそれに向つて、将に自らの目的として秩序づけられてゐるといふことを意味すべきではないか。聖トマス・アクィナスは(おそらくは幾分の皮肉なしにではなく)然うであるかの如くに思はれるといつた。何となれば肉体的労働や商業は、生活に必要なる事物を身体の為に獲得して、観想の為に要求されたる状態におかれる様にする以外の目的を有しないから。道徳的諸徳と実践的思慮は、観想にとって必要なる情念の静穏と内的平和を獲得する事以外に何の目的があるのか。国民的生活の全支配は、観想に必要なる外的平和を確保する以外の何の目的があるのか--「それらを正にあるべき如くに考察するならば、人間的生活の一切の機能は、真理を観想する人々に奉仕する如くに思はれる」。
 正にここに近代世界が持つ所の文明観たる、一切を生産に差向けられたものとなす産業主義的概念と可成に異つた価値階列が存する。人々はここに貨幣の繁殖性の--自然によって規定された条件から逸出する一切のものと同じく制限のなき繁殖性--上に立てられた制度政体からそれ自身出で来たる所の「経済の優位」が何の点において、資本主義にせよマルクス主義的にせよ、唯物論的なる文化の概念が何の点において、教会の共同の師聖トマスの思想と対立的なものであるかを理解する。
    --ジャック・マリタン(吉満義彦訳)『宗教と文化』甲鳥書林、昭和十九年。
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詳しくは措きますが、ひさしぶりに市井の職場のまたまた例の如く「アエリナサ」に「怒り心頭」で、『ランボー 怒りの脱出』(Rambo: First Blood Part II )のシルヴェスター・スタローン(Sylvester Gardenzio Stallone,1946-)のように、裏拳にて壁に拳を繰り出そうかと思ったほどですが、繰り出してしまうと、宇治家参去とスタローンではつくりが違いますので、手が悲鳴をあげてしまうということで、ひさしぶりに痛飲でしのぐことで、お茶を濁すという状況です。

金儲けの現場は確かに大変で、このことは世の勤労者がつくづくと実感するところなのでしょう。それでもなお、やはり考えないといけないのは、「制限のなき繁殖性--上に立てられた制度政体からそれ自身出で来たる所の『経済の優位』」と自分自身がどのような関係を結んでいくのか、実に問われているのだろうと思わざる得ない昨今です。

古典的なマルクス主義にせよ、高度に発達した現代資本主義のそれにせよ、「貨幣の繁殖」を「制限のなき繁殖性」を目指して追求していくのは同じなのでしょうが、古典的時代においても、そして現代の時代においても、集散性や効率、そしてシステムと流通に違いはあったとしても、そこに現実に存在する「人間」の問題を欠いてしまった場合、黄金は残ったとしても不毛な砂漠しか残らないのでしょう。

欲望は欲望を生み、その欲望は際限なき欲望を生んでいく。
しかし、その欲望の主体も人間であるし、その欲望を担保する「信頼」を実体化させる根拠も人間なのですが、「百年に一度」の事件を眺めていると、どうも「人間」という視座が見えないようで、そして、現実に、金銭や物品の受け渡しをする最前線で仕事をしていても、そのことが「建前」としては見えるのですが、現実にはまったく「見えてこず」凹んでしまうことの多い毎日です。

警世の預言者・内村鑑三(1861-1930)であったならば、「この、拝金主義者め」と痛罵することも可能でしょうが、現代の人々にはその言葉はなかなか受けとめられないかも知れません。

「あなただけ、お好きに、高潔な生き方を選択してくださいな、私は私で、この拝金街道まっしぐらで結構ですから」というかたちで、「やんわり」と話をクローズされるのがオチでしょう。

しかし、手段が目的に転じてしまうというのは、なにかがちがうんだよなナ~という違和感が残るところで、アリストテレス(Aristotle,384.BC-322.BC)が説いたように、手段-目的の連鎖の集結点は「幸福(善の実現)」にあるはずなのですが、目的が喪失した手段だけがひとりあるきしているようで……、そしてそれに対する有効な言説が不足している、あるいは力をうしなっている……そこに何か不毛さ感じてしまう次第です。

しかし、実はハナから「有効な言説」など存在しないのであって、言えることは、子供に対する説教のような「言い方」、すなわち、「“何のため”という問いかけ」しか実は存在しないのであって、それをどう粘り強く語り続けていくのか、そしてそれをどう自分の生き方として昇華していくのか……それしかないのかもしれません。ただぼんやりとですが。

さて--。
出勤前、所属する研究所より荷物がひとつ。
昨年仕上げ、一月に活字となった論文の「抜刷」(50部)が到着。
例年ことですが、「抜刷」が届くと、「さあ、そろそろ、次のヤツに手をつけないと……」と思うのですが、思うだけで終わってしまうことが殆どですから、本年はすこし「変えてやろう」というわけで、二日酔いの頭で、次年度分の史料を読んでいるところです。

今回は、戦前日本を代表するカトリック思想家・吉満義彦(1904-1945)の議論を参考に、「人間主義批判」を考えてみました。言うまでもありませんが、批判といっても、「人間主義」に対する「アンチ」ではなく、「クリティーク」するという意味であって、現代の思想世界において圧倒的に評判の悪い!「人間主義」(精確には「人間中心主義」の問題)を検討し、どのように、その精神を快復していくのか概観しようと試みたわけですが、ご多分にもれず、予定稿数をオーバーしてしまったので、「その1」ということで区切り、次年度は、マア「その2」というわけです。

世界史の教材を繙くまでもなく、宗教改革、ルネサンスを経て、権威の漆喰をうち破る原動力として「人間主義」の言説が整備されたわけですが、過去の歴史を振り返ってみればわかるとおり、「人間のため」という言い方で「人間」自身が疎外されてきたのは疑いのない事実です。ですから現代思想の世界では、「もうそんな人間にこだわる、人間とは何かを考える必要などないヤ」って気風が顕著です。

しかし、それで済ませるのも、なんだかなあ~という状況で、「貨幣に対する際限なき欲望」のごとく?「“人間とは何か”という答えのない永遠の問いかけ」を際限なく探究する欲望のみは横溢で、そのあたりを博士論文とは別に探究しております。

「その1」では、吉満義彦の近代批判を振り返り、近代の中心に位置する「人間(中心)主義」の説く「人間」なるものが、実は「空虚で空っぽな」“抽象化”された立場のそれにすぎないというところを概観したわけですが、「その2」では、吉満の立場(カトリック神学/ネオトミズム)からの提示された対抗概念〔受肉性の人間主義(humanisme de l'Incarnation)〕を確認できればと考えております。

うえに引用した文献は、吉満の師にあたるフランスのカトリック思想家ジャック・マリタン(Jacques Maritain,1882-1973)の論文を日本語に翻訳して、吉満自身が解説を付けて出版した著作なのですが、発刊が昭和十九(1944)年のことです。

吉満が亡くなる一年前なのですが、まさに「一切を生産に差向けられたものとなす産業主義的概念と可成に異つた価値階列」よろしく「一切を戦争に差向けられたものとなす産業主義的概念と可成に異つた価値階列」をつっぱしていった状況に冷や水を指すような内容なのですけれども、よく出版できたよなっていうところに驚きです。

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「全ての酒はビールに通ず」

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……中世より近世への転換期に於ける思想界の状況について概観したところを要約するならば、仏教は数百年にわたる思想的覇権を喪失して、僅かに封建支配者の宗教政策(具体的には対切支丹政策)への完全な奉仕によって無気力な存在を保つ隷属的位置へとあわただしく転落しつつあり、これに対応して神道はその理論的基礎を従来の仏教より、新興の儒教に切り換えんとし、この間ヨーロッパより流入し来ったキリスト教は、一切の伝統的観念形態との鋭い対立を通じて、我が国民に幾多の新たなる問題を提示したけれども、封建社会の再編成途上に於ける政治的権力の激烈な弾圧を蒙って、強制的に思想界から放逐せしめられ、かくしてひとり儒教が、とくに鎌倉時代に入り来った宋学が、近世封建社会の確立と共に急激に蔓延して殆ど思想界を独占するに至るのである。
    --丸山眞男「伝統的イデオロギーの諸形態」、『丸山眞男講義録[第一冊] 日本政治思想史1948』岩波書店、1998年。

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日本を代表する政治学者、思想史家(哲学者といってもよいかもしれませんが)のひとりが丸山眞男(1914-1996)です。

もともと、丸山眞男の作品に関しては、手軽な岩波新書の『日本の思想』なんかで、比較的若いうちから“慣れ親しんできた”ところもあり、マア「日本を代表する良識的な政治学者なんだよな」とまさに、若い頃は“たかをくくって”おりましたが、ちょうど大学院の中盤くらいから、丸山の講義録やら座談録が相次いで出版されたこともあって、あらためて読んでみると、自分の浅はかな通念を打破された思い出があります。

すなわち、丸山は専門も深いけれども、その専門をささえる知識・教養も“半端ではない”ということです。

丸山はプロパーとしては、まさに「政治学」を専門とするわけですが、丸山の業績でおもしろいなと感じる部分は、現今の政治学の対象を論じるにあたって、その「古層」を丹念に探っていくという部分です。

「古層を丹念に探る」と聞けば「現在の状況を確認するために、過去に目を向けることでしょ? 誰でもやっているじゃないか?」などと聞こえてきそうですが、確かにそういわれればそうなのですが、実際にこれをやっていくのは大変なことです。

例えば、昭和の戦後政治史を概括するに当たり、例えば、戦中・戦後の政党関係論をふまえた上で、題目を論ずる政治学者なるものは多数ありますが、丸山が追求していく「古層」とは、そうした「昨日」だけではないということです。

例えば、日本における政治思想史を論じるに当たっては、大正・明治の事件はいうまでもなく、それを「古層」から規定していく江戸思想史(細かくは朱子学の系譜学)、そしてその江戸思想史を規定していく、江戸期以前の思想史・学問史をふまえた上で、丸山は問題を論じていくわけです。そしてそれを大学で講ずる。

なかなかできることではありません。

確かに「専門家」としての「知識人」は自分が「専門」とする分野を丁寧に追跡すればよいわけですが、そもそも「専門」と呼ばれる対象は、その分野に「収まりきる」ものではありません。しかし、その土台・土壌をどのようにふまえ、その沃野のうえに、どのように「専門」を深くうちたてていくことができるのか……そのことが問われているような気がして他なりません。

さて……。
上の引用では、近世初頭における日本における諸宗教の動向を概括した部分です。
この切支丹時代を経て、宗教(仏教)は倫理と分離され、宗教は葬送儀礼を担当し、儒教ただひとりが倫理を担っていくことになります。そして宗教と倫理の問題が再び見直されるようになるのは、遠く明治時代に至って、キリスト教が再渡来してから議論されるようになるのが思想の流れです。

たしかに、キリスト教(ここでいうキリスト教とは狭くいうならば戦国時代に渡来したローマ・カトリック)は、積極的に「封建的イデオロギー(豊臣秀吉による天下統一による一元的な武家政権のイデオロギー)」を「革命」しようという発想はありません。しかし、それが大名の宗教(キリシタン大名)から、民衆の宗教へと土着化するなかで、宗教を問題にしない……否、手段としてみる……体制イデオロギーからは結果として、「怪しい存在」として疎まれ、まさに「政治的権力の激烈な弾圧を蒙って、強制的に思想界から放逐せしめられ」てしまいます。

そして、「仏教は数百年にわたる思想的覇権を喪失して、僅かに封建支配者の宗教政策(具体的には対切支丹政策)への完全な奉仕によって無気力な存在を保つ隷属的位置へとあわただしく転落しつつあり」だったのですが、切支丹放逐と同時に、「転落」してしまうわけでございます。

もちろん、このことが幸か不幸かは一概に論ずることはできません。
たとえば、その時代までに形成された日本的精神風土の「死者」に対するアプローチ、すなわち、生者は死者に“触れてはいけない”という“穢”の問題から考えると、仏教が葬送儀礼に徹したことは、その問題をレコンキスタとしたいう意味で積極的に評価することも可能なのでしょうが、それでもなお、現在の日本人の宗教観を著しくいびつなものとして規定する「古層」になったことだけは疑いようのない事実であり、そのことを勘案すると、「どうなのかな」などと思ってしまいます。

で……。
風邪を引く、ないしは、調子が悪いと、実は煙草の味が実に「クソ不味く」なります。
しかし、生来の愛煙家としては、それでやめるようなことはなく、実にぷかぷかとやるわけです。例えるならば、大のサッカー好きのサラリーマンの方が、朝7時には家を出ないと行けないのに、朝4時からのサッカー中継を見て出勤するようなもので、この場合においては、他者は「録画で見ろよ」って忠言するかもしれませんが、当人においては、「リアルタイムで見ないと意味がない」との反論の如く、調子が悪くても、煙草に火をつけます。

これと同じように、本日も、肺腑が重いのは重いのですが、煙草に火をつけると、「クソ不味く」なく、「味わい」を感じられるようになったので、チトはやいですが、「独り快気祝」でございます。

宇治家参去……連日日本酒を飲んでおりますが、実は日本酒以上に大好きなのがビールです。どこかの偉人が言った言葉にあるのかどうか定かではありませんが、「全ての酒はビールに通ず」というわけで、本日は「世界一魔性を秘めたビール」と称されるゴールデン・エールの最高峰『Duvel』(ベルギー)にて晩酌です。

連日の如く、晩酌用に「湯豆腐」はセッティングされていたのですが、これだけだとチト「盛り上がらない」ので、冷凍食品のコーンとほうれん草、それに「鎌倉ハム」の熟成ベーコンをいため、簡単なソテーをつくり、これから一献です。

いわゆるラガービールが「下面発酵」なのに対し、ベルギー、デンマーク、ドイツ系のビールに多いのが「上面発酵」のエールビールで、大麦麦芽を使用し、酵母を常温かつ短時間に発酵させた、その複雑な香りと深いコクはなんともいえません。

この鼻に抜ける香りがなんともいえません(「鼻に抜ける」というほど快復しているということでしょう!)。

と……。
ここで終わると何なんで、最後にひとつ。

丸山眞男はうえの講義録において、キリスト教が戦国~江戸時代初期において流行(たった半世紀でおよそ75万信徒!)に関して、次のような理由を指摘しております。すなわち、①貿易の利、②仏教徒への対抗、③宣教師人格の高潔、④慈善・育児・病院・救貧活動の4点です。

①②に関しては「日本史」の教材を繙けば分かるように、①対明貿易から次の貿易相手・先端知識の宝庫として「南蛮」への関心でえあり、②織田信長が手を焼いたように武装僧侶・堕落僧侶への対抗機軸としての需要といことになります。ただし、これは統一政権が誕生した折りには、その役目を終える契機であって単なる「戦略的需要」にほかなりません。しかし③④に関してみるならば、それが民衆の宗教、生きた信仰の契機であって看過すべからざる理由なのでしょう。

フロイス(Luis Frois,1532-1597)をはじめとする、戦国期に来日した宣教師の報告を読んでいますと、面白いように、堕落した仏教の僧侶に対する批判がえんえんと羅列されております。
べつにキリスト教を宣揚しようという意図は毛頭ありませんが、その意味では、江戸幕府によって仏教という制度宗教が“骨抜き”にされる以前に、実はその命脈をおえていたのかな……などとも思ってしまいます。この時期渡来したキリスト教は結果としては、政治的権力の激烈な弾圧を蒙って、強制的に思想界から放逐せしめられ」てしまいますが、そうした状況にいたらず、諸宗教の、いわば「人道的競争」が保証されていたならば、また違った思想状況が現在に展開していたのかもしれません(とわいえ、歴史の事例を“if”で語るのは鬼門なのですが)。

とわいえ?
アナロジカルにいうならば、フロイスの批判というのは、ルネサンス末期を代表する人文学者にして、宗教改革の旗手として名高いエラスムス(Desiderius Erasmus,1467-1536)の聖職者に対する批判として有名な『痴愚神礼讃』(大出晃訳、慶應義塾大学出版会、2004年)を読んでいるようでもあり、その歴史の連鎖に驚くばかりです。

ともあれ、宗教社会学の知見に耳を傾けるとそのデータから俗に言われるとおりですが、宗教への回心とは、その信仰の高低深浅というよりもその紹介者の影響が最も大きいという報告がかなり存在しますが、結局は「人」によるんだよな、などと思う宇治家参去です。

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「小文字の生活」と「大文字の生活」のただ中で奮戦するしかないのでは?

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 プラトンが、「汝自身を知れ」というマキシムを、全く新しい意味に解釈したときは、ギリシャ文化およびギリシャ思想の転回点であった。この解釈は、ソクラテス以前の思想には見られなかったのみでなく、ソクラテスの方法の限界を、はるかに超えた問題を導入したのである。デルフォイの神の要求に従うために、また、己を検討し、己を知る宗教的義務を遂行するために、ソクラテスは、個別的人間に接近したのであった。プラトンは、ソクラテスの探究方法の限界を認識した。問題を解くためにはもっと広いプランに投影しなければならない、と彼は断言した。我々が個人的経験中に遭遇する現象は、極めてさまざまであり、はなはだ複雑で矛盾したものであるから、これを解きほごすことは、なかなかできない。人間は、その個人的生活の中で研究すべきものでなく、政治的および社会的生活の中で、研究しなければならない。プラトンによると、人間性は困難なテキストのようなものであって、その意味は、哲学によって解明されるべきものである。しかし、我々の個人的経験の中では、このテキストは、判読できないほど極く微細な文字で書かれている。哲学の最初の任務は、これらの文字を拡大することでなくてはならない。哲学は、それが国家の理論を展開しないうちは、人間に関する満足な理解を得ることはできない。人間の性質は、国家の性質の中では、大文字で書かれている。この場合には、テキストの、隠された意味が、突如姿を現わし、不明瞭、不鮮明と思われたものが、明瞭となり、読むことができるようになる。
 しかし、政治的生活は、人間の共同生活の唯一の形態ではない。人類の歴史において、現在の形のような国家は、文明化が、ある程度進んでから後で生まれたものである。人間は、このような形態の社会組織を発見するよりも、はるかに前から、その感情、願望、および思想を組織しようとする、別の試みを行っていたのであった。このような組織化および体系化は、言語、神話、宗教、および芸術の中にみられる。もし人間の理論を発展させようと考えるならば、我々はこのように広い基礎を取り上げなければならない。国家は、どんなに重要だとしても、すべてではない。それは、人間の他のすべての活動を表現することもできず、また、吸収しつくすこともできない。たしかに、これらの人間的活動は、歴史的発展中において、国家の発展と密接に結びついており、多くの点で、政治的生活の形式に依存している。しかし、これらの諸活動は、なるほど歴史的に孤立して存在しているものではないけれども、それぞれの目的と価値をもっているのである。
    --カッシーラー(宮城音弥訳)『人間 シンボルを操るもの』岩波文庫、1997年。

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現代の社会情勢、世界状況、そして人間世界の最大の問題を指摘するとすれば、それはまさに硬直した「分断」がそのひとつなのでしょう。そして、その分断を超克すべく提示される概念が「統合」という方向性の示唆になるのかと思います。もちろん、宇治家参去にはそうした次世代を牽引する概念なんかをグランドデザインするほどの能力もありませんので、いつものとおりのスケッチということで……。

で……
その「統合」の問題に戻りますが、「統合」と呼ばれるものが、歴史を振り返ってみるとそれがたしかにそうであったように--つまり、なにかひとつの極限を中心に、それに向かって整列「させられる」ような「統合」であった場合、それは「統合」ではなく、中心でないにもかかわらず「中心」とされるものに、「強制」的にしたがわされるものであり--それは「統合」とは似て非なるものになってしまうのでしょう。

それは「調和」ではなく、「暴力」にほかならない--そう実感する宇治家参去です。

さて「統合」を論じる前に、まず「分断」のほうに目をむけてみるとすれば、ひとつ指摘できるのが、やはり、諸価値関係・対峙関係における「分断」の問題になるのではないだろうかと思います。

現代ドイツの哲学者にして「哲学的人間学」をリードしたカッシーラー(Ernst Cassirer,1874-1945)の『人間 シンボルを操るもの』を再読するなかで、はあなるほど!と思うことしばしばあり、先に「分断」のほうを眺めてみようかと思います。

うえの引用は、二人の哲学者の思考傾向の顕著な差異に注目している部分です。
人類の教師たるソクラテス(Socrates,469.BC-399.BC)は、「汝自身を知れ」というモットーをもとに、「己を検討し」対話という手法を通じて「個別的人間に接近」しました。

一概には言えませんし、そして、古代ギリシアと現在のテクノロジー社会を同一視することは決してできませんが、それでもなお次のことは確認できるかと思います。すなわち、ソクラテスの生きた古代ギリシアの世界とは、まさに思想の大空位時代ということです。そしてその思想の大空位時代は、現今の状況の大きな禍根となっている意味では同じであり、両者とも、ケ・セラ・セラの相対主義優位の時代であったと思います。

「白も黒である」などという言い方がもてはやされる時代状況下において、クラテスは個別的人間に接近していきます。そして対話を通じて、それでもなお、個別的人間の関心や差異を超えた真理--もうすこしひらたくいえば--誰にでも「当てはまるような」「何か」はあるはずだと考え、それを模索したわけですが、その答えにこたえる前に、刑死してしまいます。

そのことが弟子プラトン(Plato,428/427.BC-348/347.BC)の課題となってきます。
一つは、ソクラテスが探求し、そしてこたえることのなかった「真理」とは何かという問題であります。そしてもうひとつは、ソクラテスはいわば「民主政治」の名のもとに「殺された」わけですので、この世における真理の実現(幸福の実現)にふさわしい共同体とはどういう状況なのか、という問いがその二つ目の大きな課題です。

哲学史的に振り返るならば、前者の課題は「イデア論」として結実し、後者の課題は、大著『国家』で提示される「哲人政治」という形で提案されております。

たしかにプラトンは、「ソクラテスの探究方法の限界を認識した。問題を解くためにはもっと広いプランに投影しなければならない」と考えたのでしょう。

カッシーラーの指摘の通り「我々が個人的経験中に遭遇する現象は、極めてさまざまであり、はなはだ複雑で矛盾したものであるから、これを解きほごすことは、なかなかできない。人間は、その個人的生活の中で研究すべきものでなく、政治的および社会的生活の中で、研究しなければならない」というとおりで、プラトンの思考プロセスも理解できなくはありません。

考えても見れば、「人間は困難なテキスト」であります。
個人的経験のなかだけで、その全体や実像を捉えることははなはだ困難です。
また、それと同様に、政治的および社会的生活の中だけでも、理解できることは限りが存在します。

しかし歴史を振り返ってみるならば、ソクラテス的アプローチのみによって「人間は理解できる」、ないしはその逆にプラトン的アプローチにのみによって「人間は理解できる」と発想したのがその実情ではないでしょうか。

それこそが「分断」なのだと思います。

「「我々が個人的経験中に遭遇する現象は、極めてさまざまであり、はなはだ複雑で矛盾したものであるから、これを解きほごすことは、なかなかできない」。

けれども、「政治的生活は、人間の共同生活の唯一の形態ではない。人類の歴史において、現在の形のような国家は、文明化が、ある程度進んでから後で生まれたものである。人間は、このような形態の社会組織を発見するよりも、はるかに前から、その感情、願望、および思想を組織しようとする、別の試みを行っていたのであった。このような組織化および体系化は、言語、神話、宗教、および芸術の中にみられる。もし人間の理論を発展させようと考えるならば、我々はこのように広い基礎を取り上げなければならない」のでしょう。

永遠の対立なのかもしれませんが、個別の存在者を第一優先するあり方だけでも不十分ですし、個別の存在者を超えた共同体を第一優先するあり方でも不十分なのでしょう。

そのどちからだけの道を「真実の道」と「思いこみ」、他者と遮断された形で「統合」を装いながら「訓戒」を垂れてしまうこと自体が「分断」なのでしょう。

人間の生活とは個別的側面もあれば、政治的側面も同じように存在します。現実はどちらが先かという議論よりも、その両者が入り乱れ、当事者に直面してくるというのが真相だろうと思います。

前者が、「小文字」の世界であるとすれば、後者は「大文字」の世界なわけですが、直面した際、その問題に対して「孤立する」ことなく「真剣に勝負を挑んで」いかないかぎり、差異を尊重する「統合」などありえないのでしょう。

ですから……。

どうも土曜日にどなたかに風邪をうつされたようで、「頭がボッーとする」わけですけども、目前の課題に対して「真剣に勝負を挑んで」いかなければと、鉢巻きを締め直す宇治家参去ですので、「寝る前に飲む」という「恒例」の「行事」ですが、「丁寧」に扱って参りたいと決意する次第でございます。

卵酒を作ればよいのですが、面倒なので、「雰囲気」を味わいながらというやつで、本日は、「純米 白川郷 にごり酒」(三輪酒造、岐阜県)にて、鋭気を養おうと思います。

しかし、飲んだ後に気が付いたのですが、薬を先に飲もうと思っていたのを失念していたようにて、今から飲んで、飲み直して寝ますです。

で……(くどいよねえ)。

話が元に戻りますが、「大文字の世界」しか語らない、そして「小文字の世界に沈潜していく」のみの「したり顔」の評論家のコメントをテレビなんかで見ていると、「をぃをぃ」と思ってしまうのは、宇治家参去一人ではあるまいと思います。

知識人とは何か。
ポストコロニアル批評のサイード(Edward Wadie Said,1935-2003)が的確にコメントしているので最後にひとつ。

今日は久し振りに市井の職場の屋上より、「富士山」の勇姿を拝見することができましたが、まさに「富士の高嶺を知らざるか」でございます。

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 わたしが考える知識人は、可能な限り幅広い大衆にうったえかける者であり、大衆を糾弾する者ではない。大衆こそ、知識人にとって、生まれながら(ナチュラル)の支援者である。知識人とって問題なのは、ケアリが論じたような大衆社会全体のありようでなく、むしろインサイダーとかエキスパート、あるいは通人とか専門家(プロフェッショナル)の存在である。なぜなら、この種の人間は、今世紀はじめにコラムニストのウォルター・リップマンが定式化したような方法で、世論を形成し、世論を体制順応型に誘導し、有識者からなる少数の政権担当者集団にすべてをまかせるよう大衆をそそのかしてしまうからだ。インサイダーは特殊な利害に奉仕する。だが知識人たる者は、国粋的民族主義に対して、同業組合的思考に対して、階級意識に対して、白人・男性優位主義に対して、異議申し立てをすべきである。
 普遍性の意識とは、リスクを背負うことを意味する。わたしたちの文化的背景、わたしたちの用いる言語、わたしたちの国籍は、他者の現実から、わたしたちを保護してくれるだけに、ぬるま湯的な安心感にひたらせてくれるのだが、そのようなぬるま湯から脱するには、普遍性に依拠するというリスクを背負わなければならない。いいかえるとこれは、人間の行動を考える際、単一の基準となるものを模索し、それにあくまでも固執するということである。外交政策や社会政策を考えるとき、これが、ゆるがせにできない問題となる。つまり、もし敵による不当な侵略行為を非難するならば、自国の政府が弱小国家を侵略した場合にも、ひるまず非難の声をあげられるようになっていなければならないということだ。知識人にとって、これならば語って良い、これならば行ってよいという指針などありはしない。真に世俗的な知識人にとって、崇拝すべき、また確固たる指針として仰ぐべき神々など存在しないのである。
    --エドワード・W・サイード(大橋洋一訳)『知識人とは何か』平凡社、1995年。

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【研究ノート】吉野作造「巻頭言 人類の文化開展に於ける種子・地盤・光熱の三要因」、『中央公論』1923年2月。

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【研究ノート】吉野作造「巻頭言 人類の文化開展に於ける種子・地盤・光熱の三要因」、『中央公論』1923年2月。

コメンタリーを余り交えず、忘れちゃいかんだろうな~というメモの抜き書を【覚え書】としていましたが、少しだけ言及しながら、最低限の【覚え書】に対する「覚え書」を【研究ノート】として残すことにしました。

……というのは、また風邪をひいたようで、脳が機能停止状態になっており、それでも、毎日論文をまとめないといけない(少しでも前進しよう!)ということで、再度読んでいた一文を紹介します。

教科書的記述に従うならば、吉野作造(1878-1933)の憲政論・デモクラシー論は、「大正デモクラシー」を牽引する議論として華々しく論壇をリードしたわけですが、当初から左右両派から手厳しい批判も投げかけられ、苦渋に満ちた面持ちで「民本主義」を説き続けたのが実情です。

職業的革命家気取りの「社会改造家」からは「手ぬるい」と批判され、夢想家的理想主義者からは、「吉野の議論は理想を語っていない、単なる折衷案だ」と揶揄されたのが実情です。

しかしながら、吉野の議論を丹念に読んでみると、実は、「現実を見ろよ」って批判するレアリスト気取りの革命家こそ「現実を見ていない」し、「ぐだぐだの現実を撃つ」と称し、清廉な理想を説く「理想主義者」こそ「理想を語っていない」という現実を暴き出しているのではないだろうかと思うことが多うございます。

それが今から紹介する一文に面目躍如として現れているようでございます。

ちなみにいえば、「仏性」なる言葉をクリスチャンデモクラット吉野が使うのもこの一文であり、「人間は皆神の子である。神の子であるならば、信仰の関わりなく救いがあるはずだ」との信念を常々語っていた吉野の、また別の側面をみた思いが致します。

吉野の言うキー概念としての「神子」観は信仰の師・海老名弾正(1856-1937)より受け継いだ概念であり信念でありますが、海老名-吉野に共通してみられるのは、人間は皆「神の子」であるならば、キリスト教信仰を保持していようがいまいが、それにかかわりなく「救い」はあるはずだとする信念のようなものです。まさに「万人に救いの可能性」……「仏性」という言葉に注目するならば「万人に成仏する可能性が潜在する」との発想と受けとってよいと思いますが……そうした発想が顕著で、キリスト教思想史の関わりから表現するならば、いわゆるUniversalism(ユニヴァーサリズム)に近いそれなんだろうなと思われます。

カルヴィンの予定論を退け、万人に救いの可能性を見出したキリスト教プロテスタンティズムにおける一派をUniversalist(ユニヴァーサリスト)と言いますが、本朝で省みれば、明治中盤にユニヴァーサリストは渡来し、教会形成を行っております。

そして仏教思想史との関連で「仏性」を省みれば、『法華経』や『涅槃経』で説かれる「成仏」論に関係してくる部分です。
すなわち、仏道修行の究極の目的は「成仏」……キリスト教で言えば「救いの成就」でしょうか……になりますが、『法華経』などでは、万人に内在する仏性を開発し自由自在に発揮することで、自己の成仏を成就できるだけでなく、他の衆生の苦しみをも救っていける境涯を開くことができると説かれるわけです。

そこに神子観と仏性観が絶妙に交差しているよな~などと思うわけですが、ユニヴァーサリストとの交流関係、そして吉野作造と仏教的思想の関わり……この問題の解明も大切な課題かも知れません。

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 人類の文化開展に於ける種子・地盤・光熱の三要因

 樹を植えて良き実を結ばしめんが為には種子と地盤と裕(ゆたか)なる光熱と三ツの条件が揃はねばならぬ。文化の発展乃至価値の創成にもまた同じ様なことが云へる。
 地盤が悪るければ折角の良種も伸びやうがない。御天道様(おてんとうさま)も畢竟(ひっきょう)無駄光りだ。故に良農は先づ地の肥痩を吟味する。外に仕様が無いとなれば施肥に依て土質の改善をさへはかる。而して是れ取も直さず現代に於て社会改造の大(おおい)に叫ばるゝ所以(ゆえん)ではないか。
 現代のやうな悪組織の社会を地盤として立派な人文的果実の結成を期待す可(べか)らざるは言ふまでもない。従て現代に在てかの所謂(いわゆる)社会改造は実に焦眉の急務だ。此点に於て吾人は世上多くの社会運動家等の努力を多とするものである。けれども若し当代の文化運動は所謂社会改造に尽くと為す者あらば吾人は残念ながら其識見の浅劣なるを咎めずに居られない。
 地盤は畢竟生命発育の条件だ。断じて其の原因ではない。原因は実に種子其者に潜在するのである。而して這個(しゃこ)生命の潜在原因を促して自発的に発芽成長せしむるものは、固(もと)より地盤の能くする所ではない。この第二段の而してより根本的な働を司る者は実に太陽の光と熱とでないか。換言すれば万物の化育を司る自然の温情ではないか。この自然の裕かなる温情に触れて始めて死者の如く頑(かたく)ななりし種子は、自らの生活力を意識して自ら其本質を発展せんとするの意思を喚び醒(さま)さるゝ。人類愛の宗教的情操の人生に於ける文化的意義は主として茲(ここ)に在ると思ふ。
 人類愛と社会改造とは文化開展に於ける二大要因だ。宗教と科学と提携すべきものなるが如く、愛の宣伝は社会改造の運動と互い相排斥してはならぬ。兎を追ふ者は山を見ず。自己の立脚する処に狭く観点を局限し、一面の姿相を以て全斑(ぜんぱん)を推さうとするときに、ともすると悲むべき破綻は起るものだ。世上幾多の奉仕献身の士よ。諸士は今この大局に眼を投じて実質的協力の途をもつと明に観るの必要を感ぜぬか。
 地盤と光熱との問題に次いで起こるのは種子そのものの問題だ。種子の問題になるとこゝに自然的観察と理想的観察との岐(わか)れ目が注意さるる。動植物の種子は進化論などの示す如く何処までも自然科学的因果律の支配を脱し得ない。悪種より良果を得るの見込は絶対にないから、良果を獲(え)んとするものは常に良種の選択に注意する。加之(しかのみならず)これは畢竟人類の用を為すものに過ぎず、其自身に目的を有するものでないから、質の良否に由て選択を厳重にするは差支(さしつかえ)なき事でもあり又必要な事でもある。之と同じく、昔人民は国王貴族の用を為す者と考へられて居た時代には、恣(ほしいまま)に民の部族を分ち其間に待遇の厚薄を附せられたことがある。併(しか)し乍(なが)ら今日は最早(もはや)四民平等の世の中となつた。すべて人は其自身目的の主体であると決められた。質の良否を分割して之を遇するの道を異らしむることは許されない。強き者にも弱き者にも各々其処(ところ)を得しむるが是れデモクラシーの一特徴だといふは実に茲処(ここ)から来る。
 更にも一つ突き進んで考へねばならぬことは、現代の思想は何故に質の良否に由て人を分割するを許さぬのかの点である。そは外でもない。人類に在ては他の自然物の如く遺伝其他の自然的因果律に支配さるゝ方面よりも、彼は単に人類なるが故に本来無限に向上発達するの可能性を具有すとされ、この可能性を有するの点に於て万人は平等と認めらるゝからである。地盤が悪い為に又光熱に浴するの薄かりしが故に、人類の中には十分伸び得ずして終るものはあらう。併し彼は其環境さへ順当のものであつたなら、必ず人類としての本来の面目を発揮し得た筈だ。自然物の如く親が乞食であつたから倅(せがれ)はどうせ碌(ろく)な者にはなれまいと云つた様な因果的約束に縛らるゝものではない。人格的本質に於て甲乙優劣の差ある筈なしとするのが即ち当代の理想的人生観だ。故に此立場よりすれば、仮令(たとえ)人類は其自身の主体でないとしても、質の良否を分割選択するの必要はないことになる。必要なるは唯地盤の良否を吟味することである。豊裕なる人類愛的温情を潤沢に流れしむることである。
 理想主義の立場を社会改造運動の邪魔物と考ふることの如何に浅果敢(あさはか)なものであるかは此上(このうえ)説明するまでもなく明白であらう。理想主義の立場は人類のすべてに謂(い)はゞ仏性を認め、而して其の本質的発展の礙(さまた)げらるゝは一に物理的環境に在りと為すのだから、それ丈け社会改造の急務を感ずるものではないか。社会を改造したつて裕なる光熱の放射がなくば芽は出まい。而してこの人類愛の温情はすべて人皆仏性ありとの信仰を背景としなくては容易に生じ得ないのではないか。
 理想主義、人類愛、社会改造。協戮(きょうりく)は生命の発育だ。割拠は人生の破綻だ。近代文明の諸問題は結局根本に於て這般(しゃはん)の点を如何に観るかに帰すると思ふ。
    --吉野作造「巻頭言 人類の文化開展に於ける種子・地盤・光熱の三要因」、『中央公論』1923年2月。

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「あれね? あれ、実は、失敗しちゃってさぁ……写っていなかったんだよ……」

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 私にとって、クラシックカメラは、
不便=使い倒す楽しみ、であり、
不便=悪い、ではない。
 その他、みんなあまり気づいていないが、失敗する楽しみもある。フィルム装填をきちんとやらないと必ず失敗して、
 「あぁ、畜生! この野郎、バカヤロー!」
と悔しがって地団駄踏むことになる。大事な写真を撮ろうとして写っていなかったりしたら、後で訊かれたときに、
 「あれね? あれ、実は、失敗しちゃってさぁ……写っていなかったんだよ……」
と恥をかく楽しみもある。
 あまり楽しみになっていない、と思われるかもしれないが、何の苦労もせずにきちんとした写真が撮れるこのご時勢、昔ながらに失敗するなんて貴重な体験だと思うよ。散々失敗を繰り返して、その後うまくいったときの喜びはまた格別なんじゃないかなぁ。失敗しながら試行錯誤して身につけたことは忘れないし、失敗を糧としていろいろなことが自然に覚えられることはいいことだと思う。
 「總是人們話説青春…酸甜苦辣、滋味難分」
 青春は「酸っぱい、甘い、苦い、辛い」、すべて渾然一体で分けがたいものだ。
 その証拠に、私の友人でAF一眼レフに高倍率ズームレンズという組み合わせをこの五年間使っているものがいるが、被写界深度、絞りの効果、などなーんにも理解していない。写真もちっとも上達しないので、本人もイヤになって、最近はオートボーイしか使わなくなった。これはある意味正しい選択かもしれない。
 道楽で写真を撮っているなら失敗はいくらでも許されるんだから、ちょっとぐらい苦労したって、失敗したっていいじゃないか、と大きな気持ちで写真を撮っていただきたいところである。
 それでは、成功を祈る。
    --中村陸雄『ソビエトカメラ党宣言』原書房、2001年。

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道楽で写真を撮る宇治家参去ですが、先月末、宮城県の「吉野作造記念館」への調査旅行の帰路、新幹線車中に、デジカメを置き忘れてしまったので、それ以来、その代換写真機を物色していたのですが、ヤフオクにてちょうど手頃な機械が出品されておりましたので、運良くゲットしました。

紛失したカメラの後継機になるのですが、今から四年前に発売されたCanonの「IXY Digital L3」(2005年)というのがそれです。最初に使っていたのは、このシリーズの初号機となる「IXY Digital L1」(2003年)というものですが、これは単焦点(光学ズーム不可)ですが、接写がかなりできるので、それなりに遊ばせて貰ったものです。サイズ的にも煙草一箱より小さめというのが使いやすく、何処にでも持ち運べ、軽快につかえるところがいい機械です。

さて……
今回手に入れたモデルは、紛失したモデルの後継機ということで光学ズームが付くようになった機械ですが、最新のモデルからするとスペックはおちるものの、「遊んで写真を撮る」というニーズにはおつりが出るほどで、状態はよくありませんが、撮る機能には全く問題なく、付属品含め、5000円程度。サイズ的にも写真の通り、コンパクトでどこへでも連れて行ける相棒になることは間違い有りません。

そしてこれが大切なのですが、大枚はたいて手に入れた高級品でもありませんので、また「紛失」しても「痛く」はありませんし、仕事や研究で使うわけではないので、これで少し遊んで見ようと思います。

まずは、試写ということで、午前中、1時間ばかり、100枚近く撮ってきましたが、なかなか動作も機敏で、機能的には全く問題なくいい写真が撮れています。接写のやり方が紛失したL1とは微妙に違うのでその「馴れ」が必要ですが、このもどかしさがなんともいえません。

最新機種と比べると、液晶も小さく、まさに……「不便」です。
しかし……

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不便=使い倒す楽しみ、であり、
不便=悪い、ではない。

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ですから、また紛失?するまで「使い倒していこう」と思います。

銀塩で始めたカメラ道楽ですが、最近、ライカやコンタックスも全然さわらなくなってしまったのですが、また時間を見つけては、フィルムをいれて楽しみたいものです。
しかしながら、そこで「培われた」写真を撮る「楽しみ」の心は、機械としてはデジタルカメラになっても「健在」のようですので、またフィルムをいれるまで時間がかかりそうですが、銀塩にせよ、デジタルにせよ共通するのは「あぁ、畜生! この野郎、バカヤロー!」とか、「あれね? あれ、実は、失敗しちゃってさぁ……写っていなかったんだよ……」と恥をかきつつ、楽しんでいる自分自身でありまして……「そこが、マア写真道の奥の細道なんだよな」とひとり、悦に浸っております。

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 道楽で写真を撮っているなら失敗はいくらでも許されるんだから、ちょっとぐらい苦労したって、失敗したっていいじゃないか、と大きな気持ちで写真を撮っていただきたいところである。

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写真に限らず、道楽に関しては、まさにうえのような部分、余裕とでも言えばいいのでしょうか……そういうところがないと、なかなか長続きしないものです。

道楽やるのに「眉間にしわ寄せる」必要は全くないのですが、そこを勘違いしてしまうと、道楽が道楽でなくなってしまうのでしょうね。

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(一)ただしさ、(二)わかりやすさ、(三)ありがたさ

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 ……ここでふたたび最初にとりあげた翻訳につき考慮される三要素、(一)ただしさ、(二)わかりやすさ、(三)ありがたさ、にかえろう。むろん、聖書の日本語訳のいずれにおいても、これらの要素は不可欠であるが、これを聖書の日本語訳の歴史においてかえりみると、まず、キリシタン、または中国において、深刻な問題であった「カミ」の訳語を始め、「愛」などのキーワードとなる言葉の訳の適切さについては、どうやら激しい議論がなされなかったといってよい。わずかにウェンライトにより、天地の出現をめぐり「成る」か「造る」かの重要な指摘があったにもかかわらず、それは大きな議論をよばなかった。すなわち日本においては、翻訳の「ただしさ」(これの比重はしだいに増大してくるとはいえ)よりも「わかりやすさ」と「ありがたさ」への関心が強い。あったのは語義論ではなく文体論である。あわせて妥協的である。
 それにもかかわらず、日本語訳された聖書は、日本の文化、社会に大きな影響を与えた。「ただしさ」への比較的な無関心の所産である「神」や「愛」が、日本語の「神」とか「愛」の言葉の概念を変える作用をもたらしている。たとえば夏目漱石の作品『行人』(一九一四)で語られている神はもはや従来の日本の神ではない。あるいは有島武郎を「惜みなく愛は奪ふ」(一九一七)でいう愛は、仏教的、日本的愛とは異なり、「惜みなく愛は与へる」意味となっている。その意味にもとづくからこそ、はじめて「惜みなく愛は奪ふ」の論題が成り立つのである。さらに翻訳に強くみられた文体論への傾斜は、日本の文学をはじめ日本文に新しい折衷体を生み出した。日本の近代詩歌はもとより、文学との深い関係はすでに多く論じられている。
 今回は聖書の翻訳の面から見たに過ぎないが、このことは同時に日本のキリスト教の受容全体にもあてはまらないであろうか。キリスト教思想の受容も、同様に感覚的、情緒的、あるいは風俗的な「文体」への傾斜であり、ときには妥協であることである。キリスト教の「ありがたさ」の受容に比し「ただしさ」の受容が、今なお大きな課題となっているかもしれない。
    --鈴木範久「聖書の日本語訳--略史と問題」、鈴木範久監修『聖書と日本人』大明堂、2000年。

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聖典の他言語への翻訳は非常に難しい問題です。
いっそのこと、イスラームの『クルアーン』のように、聖典としての利用における翻訳を忌諱する立場もありなのかもしれませんが、現実の受容に関しては、これもまた困難です。
※もちろん、『クルアーン』の場合も、日本語訳(現在三訳)もありますが、それはあくまでも「信徒」にとっては「補助的な手段」「参考」にすぎず、聖典としてはアラビア語で伝えられたそれをもちいなければなりません。なぜなら『クルアーン』が預言者・ムハンマド(Muhammad,570頃-632)に対してアラビア語で伝えられたという事実が、伝統的に重視されますので、アラビア語で書かれたそれのみが『クルアーン』と見なされるわけです。

さて、最初に戻りますが、聖典の他言語への問題ですが、『クルアーン』における補助的注釈としての翻訳の事情の由来もそれに由来するわけですが、他言語へ翻訳する必要性は、やはり、その宗教が、大雑把に言えば、それが世界宗教への展開するための不可避的な問題なのでしょう。

イスラームでいえば、もともと、アラブ人のアラビア語を話していた地域で布教が始まったわけですので翻訳などという問題は元々なかったわけですが、それが拡大するなかで、最初に直面するのが翻訳の問題でした。最終的には上述したとおり、聖典ではなく「注釈」「補助」「参考」という位置づけですが、アラビア語を母国語としない者にとっては非常な便宜となっているのは言うまでもないでしょう。

そしてキリスト教の場合、仏教の場合も、イスラームでいう「注釈」「補助」「便宜」というわけではありませんが、その苦労は同じです。

キリスト教の『新約聖書』の場合、もともとは当時のローマ帝国で一般的に流通していたギリシア語方言のひとつ「コイネー」によって書かれたものですが、早い時期からラテン語、シリア語、コプト語に翻訳され、流通していったようです
※「正典」の成立はまた別の問題なので、後日紹介します。

仏教においても、パーリ語なんかで記録された初期仏典が、これも早い時期から、各地の言語に翻訳され、布教に欠かせないメディアとして同じように利用されております。

しかし、布教・そして利用に関して、欠かすことのできないメディアとしての「聖典の翻訳」ですが、これが実に非常に難しい問題です。

たとえば、日本にキリスト教が伝来するのは、「以後・よく・広まる・キリスト教」という語呂合わせで覚えた「1549(天文18)年」、フランシスコ・ザビエル(Francisco de Xavier,1506-1552)の鹿児島上陸をその嚆矢とします。

しかし、キリスト教で説く「カミ(Deus)」の概念をどう翻訳するのか……先人たちは並々ならぬ苦労をしたようです。鹿児島で訳された初期の訳語に「大日」という訳語がありますが、これは、太陽をシンボルとする「大日如来」をヒントに訳された言葉ですから、かなりの混乱があったようです。由来を何も知らないひとびとは、それこそ、「天竺(インド)より更に西から着た新しい仏教の一派」との勘違いが生じたようで、この訳語は早々に放棄されてしまいます。その後紆余曲折を経て、翻訳不可能ということで、ラテン語の言葉Deusをそのまま音写し、「でうす」という言葉がキリシタン時代には、神をあらわす言葉として流通します。

これはキリシタン時代のキリスト教における一コマですが、神を「大日」と訳すように、「聖典」の「他言語」への翻訳は非常に難しいわけですが、どの宗教においても、それが世界宗教であろうとすれば、まさに「避けては通れない」艱難なのでしょう。

さて……。
日本においては、キリシタン禁教後、再び、キリスト教が紹介されるのは幕末~明治維新以後ということになります。解禁後、米英のプロテスタント系宣教師団と日本人協力者を中心に、さまざまな翻訳がおこなわれるわけですが、そこでの問題をまとめたのが最初に引用したまとめの一文です。

まず、大前提として「聖典の翻訳」において必要不可欠の要素とは何かといった場合、最大公約数として指摘できるのが次の三つの部分であることは論を待ちません。すなわち、「(一)ただしさ、(二)わかりやすさ、(三)ありがたさ」がそれであります。そしてこの三つの要素がうまく調和したとき、マア最高の翻訳の誕生ということになるのでしょうが、これがなかなかできず、聖書の日本語においてはどうだったか、振り返ってみるならば、どちらかといえば、「ありがたさ」の受容に比し「ただしさ」の受容があまり省みられなかったといってよいでしょう。これが日本におけるキリスト教の受容そのものの問題と密接にリンクしているわけですけれども、例えば、聖書に記述された「カミ」もそのひとつです。もともと、日本語における「神」の概念は、一神教でとかれる「唯一神」の概念を意味しておりません。いわばアニミズムやシャーマニズムの手垢にまみれたそれで、物の怪から生き霊、悪霊までを意味するひろい概念です。

これがキリシタン、または中国においては、「ただしさ」の観点から喧々諤々の議論が繰り返され、前者においては「でうす」、後者においては「天主」という翻訳が採択されるわけですが、こうした問題に関してはあまり議論されることがなかったということです。
※例えば、「愛」に関しても同じで、仏教的エートスの土壌においては「愛」とはすなわち「愛着」の「愛」であり、解脱を妨げる否定的概念であり、キリスト教の説く「愛」とはもともと似ては似つかぬ概念です。

で……。重視された「ありがたさ」への関心ですが、実はこの問題も軽視すべからざる問題の一つです。重視が悪いと言うことでは全くなく、重視されてしかるべき問題の一つです。これはどこかの知識人がいっていた談話ですが、例えば、己のモットーなんかを短い言葉で表示する場合、例えば、断然、中国の古典とか、日本の古文から拾ってくる方が、「ありがたく」感じてしまう。それにくらべると、西洋古典の現代語翻訳の文章をそこにもってきてしまうと、内容がどのように良くても「うすっぺらく」聞こえてしまう。こうした問題があるのだろうと思います。

どちらがよいかというわけではりませんが、伝統的な日本文体論においては、はやりどちらかといえば、「文語体」の文章の方が「ありがたさ」を伝えることには一役かったのは事実でしょう。

聖書の「マタイによる福音書」(五・3-10)を例えば、文語体と口語体の代表的翻訳を比べてみると次の通りです。

まずは、1917年に出版されたのが『大正改訳』と呼ばれる翻訳聖書です。
この翻訳はがちがちの文語体というよりも、少し折衷訳なのですが、教会外の人にも多く読まれ、日本におけるキリスト教理解に大きく貢献したことでしられた文献です(「目から鱗」、「狭き門より入れ」といった日本語の成句として定着した言葉もこの翻訳聖書に由来します)。

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『幸福(さいはひ)なるかな、心の貧しき者。天國はその人のものなり。幸福なるかな、悲しむ者。その人は慰められん。幸福なるかな、柔和なる者。その人は地を嗣(つ)がん。幸福なるかな、義に飢ゑ渇く者。その人は飽(あ)くことを得ん。幸福なるかな、憐憫(あはれみ)を得ん。幸福なるかな、平和ならしむる者。その人は神の子と称へられん。幸福なるかな、義のために責められたる者。天国はその人のものなり。』

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次に、1987年に出版された『新共同訳』ですが、これは現在もっとも広く流通している日本語聖書になりますが、同じ箇所を示すと次の通りです。

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 「心の貧しい人々は、幸いである、
   天の国はその人たちのものである。
  悲しむ人々は、幸いである、
   その人たちは慰められる。
  柔和な人々は、幸いである、
   その人たちは地を受け継ぐ。
  義に飢え渇く人々は、幸いである、
   その人たちは満たされる。
  憐れみ深い人々は、幸いである、
   その人たちは憐れみを受ける。
  心の清い人々は、幸いである、
   その人たちは神を見る。
  平和を実現する人々は、幸いである、
   その人たちは神の子と呼ばれる。
  義のために迫害される人々は、幸いである、
   天の国はその人たちにものである。」

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一慨にその善し悪しを云々することは難しいですが、「ありがたさ」という観点すると、やはり『大正改訳』の方がこなれているのでは?などと思ってしまいます(ワタシダケ?)

で……。
「ただしさ」という議論はひとまずおきますが、それにもかかわらず、『大正改訳』で日本語化された言葉「目から鱗」、「狭き門より入れ」が常套句として定着したように、こうした聖書の「翻訳に強くみられた文体論への傾斜は、日本の文学をはじめ日本文に新しい折衷体を生み出した。日本の近代詩歌はもとより、文学との深い関係」を生みだしたのは事実ですから、俗に「人口比1%の信徒数でありながらも、10%以上の影響を与えた」というのは紛れもないそのひとつの偉業になることは間違いないと思います。

さらに踏む込めば、例えば「愛」という言葉にしても、もともと「否定的要素」しかなかったこの言葉に、「積極的な言葉」の概念を与えた・変化をもたらした事実も同様に評価できるのだろうと思います。

とわいえ、「ただしさ」への無関心も問題であるわけで……。それならば原典で読んで、信仰しろっていうファッショな言い方も否定はできませんが、それはそれでねえ……と感じつつ、その難問を前に……散歩の途中に買い求めたオーストラリアワインを呑むある日の宇治家参去です。

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仁に当りては師に譲らず

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子曰。当人不譲於師。

子曰く、仁に当りては師に譲らず。

子曰く、仁に進む道においては、先生より先に進んでも一向構わぬ。

    --「衛霊公第十五、414」、宮崎市定『現代語訳 論語』岩波書店、2000年。

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今朝は久し振り?に6時起きで大学へ出勤です。
勤務する短大の一般入試があり、午前午後と厳粛な空間にて試験監督に従事しました。

倍率は約8倍(併願があるので実質は6倍程度)!
少子高齢化が進み、大学淘汰が容赦なくはじまったこの時季において、これだけの受験生が集まるのは、まさに「アリエナイ」ことでございます。

同じ敷地の大学の方は、不況の影響もあってか、昨年比5%減(それでもすごいのですが)なのですが、短大の方は、昨年よりも受験者数が増加です。

少子高齢化の問題だけでなく、「女子短期大学」という「文化」時代が退潮傾向のなか、検討しているのではないかと思うのですが、それも創立者の尽力と、そこで学ぶ学生のひとりひとりの努力と奮闘があるからこそ、まさに「アリエナイ」ことが「アリエテシマウ」のだろうと思います。

ワタクシ個人としては、受験生皆合格させたいところですが、やはりそうもいかないところが辛いのでありますが、そうしたジレンマを忘れることなく、ひとりひとりの学生と向き合っていきたものでございます。

昨年は、まだ構内に雪が残っていたものですが、本年は、薄曇りながらも無風で、比較的穏やかな一日で、無事故で、事故者もだすことなく「無事終了」したことにまず安堵です。

さて……
試験はマークシートになるのですが、ぱらぱらめくってみると、「マークシートといっても実は大変で、トータルな判断材料になっている」と少々驚き。

マークシートというのはまさに「機械的」な「試験」の代名詞なのでしょうが、実はそこで要求されるのは、根底としてはまさに「学力」なのでしょうが、「限られた時間内」に「それなりの量の問題」を「処理する」現実的な力、人間力といってもよいかもしれませんが、そうしたトータルな力が要求されるのでは……などと実感です。

新学期、構内で顔を合わせる皆様方、どうぞ宜しくお願いします。

終了後--
「おちる人もいるだろうが、受験したということは生命に刻まれている。それだけもう短大生です」(趣意)との創立者から伝言と温かい飲み物の激励が差し入れられました。

いい大学で教鞭を執らせていただいていることを今更ながら実感したものです。

いずれにしましても、受験生のみなさん。お疲れさまでした。
そして本学を受験していただき、ありがとうございました。
四月には短大で待っています!

そして、最初に引用した『論語』のとおり、教員たちをぐんぐん「抜いていく」本物の「福徳ある」「知性の豊かな」女性リーダーに成長して欲しいものだと思う宇治家参去です。
だからこそ、自分自身の知性も人格も「これで完成だ!」などと安住してはならないのだろうと自覚しつつ……疲れました。

今日はチト早めに休みます。

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卑しい人は後悔することができない

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 後悔なるものがある。後悔は私のうちなる人間性の持続的努力の意識であって、持続的努力が打ち負かされてしまった後にも残り、それが打ち負かされてしまったという不快の感情と結合している。それはわれわれを不安にするが、われわれの高貴なる自然の高価な抵当である。このわれわれの根本衝動の意識から良心もまた生ずるのである。良心の鋭さと敏感さには個人によって強弱の違いがあるが、甚だしきは良心が全く欠けている場合がある。卑しい人は後悔することができない。なぜなら彼のうちなる人間性は下等の衝動に反抗するだけの力さえも持っていないからである。賞と罰とは徳と悪徳との必然的結果であり、しかも新たな徳と悪徳とをもたらすものである。なんとなれば度重なる大勝利によってわれわれの特有の力は拡大強化されるからである。またあらゆる作用性の欠如、或いは度重なる敗北によってこの力はますます弱くなるからである。--ただし罪過と帰責という概念は外的法律に対する意味のほかにはいかなる意味も持っていない。罪を犯し、その犯罪の責任を帰せられる者とは、公共の安全を脅かす彼の衝動の働きを阻止するために、彼に対して社会が人為的な外的な力を発動せざるをえない者のことである。
    --フィヒテ(量義治訳)「人間の使命」、岩崎武雄編『世界の名著 フィヒテ シェリング』中央公論社、1980年。

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人間というのは、「後悔できる」うちがはななのかもしれません。
「後悔できる」のであれば、再起がどのような結果を導くかは問わないとしても、再び、立ち上がる、組み立て直すことができるわけですから。その意味では「後悔することができない」のは、アリストテレス(Aristotélēs,384.BC-322. BC)のいう「神」か「野獣」だけなのかも知れません。

さ、今日も例の如くマアアリエナイ市井の仕事の忙しさぶりなのですが、そのなかで気が休まるのが、一服しているときの宇治家参去です。

しかし、この一服の最中に、携帯している内線電話がなりひびくと、天国から地獄へと、という感じで、自分の中だけですが怒り心頭するわけですが(それも仕事なので致し方ないわけですが)、今日はそういうわけではなく、自分の仕込み不足に、がっくし「後悔」です。

自分はライターの類、ロゴが入ったような限定品を除いて使い捨てのライターを使用しません。使い捨てがマア、まさにMOTTAINAIわけですので、オイルとかガスを自分で充填して使うタイプのライターを使っております。

今日使っていたライターはガスになるのですが、点火しても火がつかない!
しかし、燃料切れではないはず、なぜなら、燃料は昨日寝る前に補充したからです。
何度か試してみるのですが普段と、すこし音が違うようにて……、おそるおそるライターの部位をチェックしてみると、発火させる石が、なくなっていたようで……。

時間的に、喫煙者がだれもいない時間の一服であり、ライターを借りることも出来ず……、100円ライターを買えばいいわけですが、それもなんだかなあ~という感じで、自宅まで強制我慢です。

今から、がつんと吸って寝ようかとう思いますが、石の入れ替えはOKです。

昨日、燃料入れるときにチェックしておけばよかったのですが……まさに「後悔」です。

2-3日おきに使うライターも変えるもので、燃料はその時々チェックしているのですが、今度から「石は大丈夫か?」という感じでチェックするしかないですね。

ドイツ観念論の大家・フィヒテ(1762-1814)は「それはわれわれを不安にするが、われわれの高貴なる自然の高価な抵当である。このわれわれの根本衝動の意識から良心もまた生ずるのである」と言っておりますから、今回の「勉強」は「高貴なる自然の高価な抵当」であると弁え、そこから学ぶことによって「良心もまた生ずるのである」と思いつつ、久し振りにパイプに、こだわりの草を入れ、少しゆっくりと味わってみようかなと思います。

……しかし、夜中に部屋のなかで、パイプをやると、細君から文句いわれるんだよなあ~。
昼間、パイプをやるときは、かならず外で吸うのですが、さすがに夜中は寒いので部屋のなかでやってしまうと文句を言われるので、またそのことも学習せずにやって「後悔」するのも何なので、チト、外へ行って来ます。

ちなみに昨日は節分のようでしたが、恵方巻をやるのも「なんだかなあ~」という天の邪鬼ですから、三色蕎麦をいただきました。

蕎麦道も奧が深いです。。

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探求せられる「こと」は人間の間柄に公共的に存する

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 方法の問題において我々がまず顧慮しておかなくてはならないことは、総じて学問すなわち「問うこと」がすでに人間の存在に属することである。元来「学」とは「まねぶこと」「模倣すること」を意味した。すなわちすでに為し得る他の人についてその仕方を習得することである。それは第一に作用、行為であってノエーマ的な知識ではない。第二にそれは他の人との間に行われるのであって孤立人の観照ではない。学が特に知識に関する場合でも、すでにできあがった知識を単に受け取って覚え込むのは学ぶことではない。学ぶのは考え方を習得して自ら考え得るに至ることである。だからこの際ノエーマ的契機を抜き去ってノエーシス的契機にのみ即するならば、学とは人と人との間の面授面受の関係であるとも言い得られる。同様にまた「問う」とは訪(とぶら)いたずねることである。人を訪ねる、人を訪(と)う、というごとき行為的連関において、その人に安否を問うというごときことが行われる。安否を問うのはその人の存在の有りさまを問うのであり、従ってその人を問うことにほかならぬ。このような間柄の表現が問いの根源的な意味である。間柄においては相互の気分が共同の関心事であり、従って相互の間柄そのものが両者の間に置かれるのである。さらに共同の関心は間柄において見いださるるさまざまの道具に向かう。従って道具について何事かが問われる。その「こと」は問う者と問われる者との間にある。従って問いは間柄において共同に存在する。ことの意味を問うに至っても依然として同じである。かく見れば学問も問いも「人間」の行動であって孤立人の観照ではない。学問とは探求的な間柄である。探求せられる「こと」は人間の間柄に公共的に存する。すなわち問いは根本的に「人間の問い」なのである。
    --和辻哲郎『倫理学 (一)』岩波文庫、2007年。

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久し振りに「ぼやいて」みましょうか。
何があったというわけではありませんが、「根拠がないから何をやってもいいわけでもなかろうに」と最近、とみに実感する宇治家参去です。

でわ。

学問の世界においては、対象を正しく「問う」ことによって、その営みを前進させてくることが可能になったわけで、その意味では学問とは、まさに「問い(方)を学ぶ」という意味合いをもっているのだと思います。

倫理学者・和辻哲郎(1889-1960)は、学問とは「問う=訪(とぶら)いたずねること」と大著『倫理学』のなかで指摘しております。

「問う」ことが「訪いたずねること」(人間論的には「安否をとう」)であるとすれば、問いを探究することで、問いに対するアプローチが先鋭的にならないように自戒する必要もあるのではないだろうか……精確には、そしてそのことが実は「孤立人の観照」なのではないだろうか……と、考えることがしばしばあります。

例えば、「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いがあります。

しかし、この問いの探究が先鋭化してしまい、他者と切り離された「孤立人の観照」としただ「他の人」に対して向けられる「問い」として、いわば「一人歩き」してしまうとどうなるのでしょうか。

そこには「他の人」から「まねぶ」姿勢は一切存在しておりません。

「問い」を探究することは確かに大切です。
それは時分自身が問い、そして「他の人」との間の相関関係がうまく機能したとき、最高度にその威力が発揮するあり方なのだと思います。

しかし、自分自身で「問う」という“振りをしながら”、自分で探究することもなく、ただ「他の人」に対して「問い」を“投げつける”だけであったならば、それは「問う」そして「学ぶ」という「探究する」あり方とは似て非なる結果しか残さないのでしょう。

元来、哲学的探究において「なぜ」という問いは言うまでもなくきわめて重要な問いかけのひとつです。

しかしその実、「なぜ」ということが問われれば問われるほど、その根拠が挙げられれば挙げられるほど、そのまた根拠は何か、というふうに無限背進してしまうことが往々にあります。

たとえば、うえの問題に関してカントは定言命法(「汝の確率が……」)によって根拠づけられると考え、和辻哲郎は「信頼の裏切り」だから殺してはイケナイと説明しています。

しかし、「なぜ信頼を裏切ってはいけないのか」と更に問いが進んでしまうと、応答責任性に反するから(和辻)……などと応えることも方法論的には可能でしょうが、それでも、次には「なぜ、応答する必要があるのか」というふうに「根拠の根拠」を求めて議論が無限に進行していくわけです。

無限に続く問いかけのなかで、結局答えを見つけだすことに疲れ果ててしまうことは、その不条理を嘆く以上にありふれた現況です。

そしてその背進が進めば進むほど、結局、探究の途上で「究極的な根拠なんてないや!」となってしまうこととすればそれは不毛の荒野以外の何者でもないのでしょう。

探究が途中で挫折した結果、たとえば「人殺す論理」の場合、具体的にはどういう物言いがでてくるのでしょうか--。

「理由もないから、あるいは、殺しても善いのではないか」というもの言いがそのひとつでしょう。

ミニマ・モラリア(最低限の倫理)の「議論」として比較的頻繁に出てくるもののひとつに「他人に迷惑をかけていないから何をやってもいいだろう、ボケッ!!」っていう言い方があります。

論理学の方法論的議論としては確かに「筋」は通っています。
他人に迷惑をかけていないのであれば、確かに「何をやってもよい」のでしょう。

しかし、その議論には、実は、何か居心地の悪さを感じられずにおれないのも人情です。そして、それは痛痒のような居心地の悪さといっていいでしょう。

根拠の根拠が求められないのは理由にならないのでしょう。

その居心地の悪さとは、おそらく問いと答えの応答関係のみに真偽を委ねる、排他的な詭弁なのではないだろうかという点です。哲学者・思想家はえてして、議論における厳密性を追求する過程で、現実感覚を喪失してしまうのかも知れませんが、そうした地に足のついていない議論が昨今跋扈するようになっているのではないかとは思う宇治家参去です。

論理学の初歩の初歩では、まさにイエスorノー、イエスorノーで、とことこん、状況を整理しながら、真に至ろうとします。誤った与件は排除され、飽くなき真理を追究していくのが、その議論の目的ですから、致し方有りません。

しかし、その過程で、オッカムのカミソリによって切り落とされてしまう何かがあるのでしょう。

そこに居心地の悪さを覚えるのだろうと思います。

以前にも書いたかも知れませんが、「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いは、「なぜ人を殺してもいいのか」という問いとひとつものの裏表です。それを「ふまえず」どちらか一方のみを厳密に追究するのは、筋道は通っているように見えても、現実からどんどん遠ざかっていってしまうのではないでしょうか。

そして、そのトータルな「問い」を見つめずに、先鋭化していく問いは、実は「自分自身の問題としてに問われていない」し、それだけでなく、「なぜ、なぜ」とだけ、他者(応答者)を責め続ける独白に他なりません。

悪く言えば「孤立人の観照」と称しておきながら、「孤立人として観照」すら放棄したといっても過言ではないでしょう。

根拠の問いを相手にぶつけるだけぶつけ、自分に問わない、そして他者とすりあわせないのであれば、論旨は通っていたとしても不毛な荒野しか存在しません。

「何で人を殺してはいけないのか」……答えのない問いをぶつけ、それで答えがないことをいいことにして、そして最後に出てくるのが「していいんだ」という論理は、自分自身の問いの探究と似て非なるものでしょう。

本来、この手の問い……すなわち「なぜ」という問い……は、自己自身が探究すると同時に、共同存在としての他者との相関的な応答関係を欠いては存在し得ません。子供が「何」と問う在り方とは全く異なる在り方なのですが、「なぜ」という問いを投げかけながら、「何」と問うやり方は、どこか無邪気さを装いながら、自分自身の問いとして煮詰めないそれであり、オルテガ(José Ortega y Gasset,1883-1955)なんかにいわせると、おそらく「甘えんぼの自己正当化」ということになるのでしょう。

伝統や権威を批判する手法として上記の議論スタイルは確かに、時代を大きく転換させる翠点として機能したのは事実です。

しかし、この手の問いは、そのトータルな問い方の広さをを全体の中で、そして自分自身の問いとして高めながら、そして、他者とすりあわせる作業(対話)なしには完遂できない問いなのだと思います。

そして、付け加えるならば……、
問いに対する答えがない……というのは理由にならないのではないだろうかと本能的に嗅ぎ取ってしまいます。

議論は議論でおおいにやればよい。

その議論の中で、「孤立人の観照」として「他の人」に問い訪ねるだけでなく、自分自身も問い、そして「他の人」と一緒に悩み・考える・そして「根拠の根拠」に至らないにしても、自分も「他の人」も「心底納得する」ところへ高めていかない限り、なかなかうまくは生きていけないのだろうと思います。

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「問う」とは訪(とぶら)いたずねることである。人を訪ねる、人を訪(と)う、というごとき行為的連関において、その人に安否を問うというごときことが行われる。安否を問うのはその人の存在の有りさまを問うのであり、従ってその人を問うことにほかならぬ。このような間柄の表現が問いの根源的な意味である。

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しかし、「問う」とは「訪いたずねる」ことであるとすれば、通俗的ですが、発話者と受話者の間における「相互尊敬の念」がない限り、結果としては根拠の根拠は手に入れることは出来なかったとしても、「問い」を意義あるものに転換し、「納得して」生きていくことは不可能かもしれません。

それこそが「大人の詐術」だと無邪気さんにはののしられるのも承知ですが、「“根拠がない”から○○だ」と開き直るよりも、コッコイイ大人なのでは?

……などと思う昨今です。

ですから、少し“濁った”宇治家参去は、「國盛のにごり酒」(中埜酒造株式会社)でまどろみつつ、ぼちぼち寝ましょうかねえ。

“にごり”のふくよかさが、しばれる冬の夜には、マア効くわけですナ。

で……思い出しついでひとつ。
そう言えばヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel,1770-1831))が面白いことを言っている。

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 精神にあっては外的なものはただキッカケであるにすぎない。精神はこの外的なものを問題にするが、結局は自分自身と自分自身の諸規定だけが問題である。
    --ヘーゲル(武市健人訳)『哲学入門』岩波文庫、1952年。

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【覚え書】K.ボールディング「真理こそ、賢明な人間、正直な人間が頼らねばならぬものである」、『二十世紀の意味』

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自分の通った大学のモットーのひとつに、Calamvs Gladio Fortior という言葉が御座います。これはラテン語ですが、言い慣れた日本語に訳すと、「ペンは剣よりも強し」との言葉になります。

人類が長い辛い坂道を登ってくることができたのは、やはり剣の力ではなく、ペンの力、言い換えれば、知識の力によるのでしょう。そのことを科学としてもいいでしょうし、経済学に「宇宙船地球号(Spaceship Earth)」の概念を導入した経済学者・ケネス・ボールディング(Kenneth Ewart Boulding,1910-1993)の好きな言葉で表現するならば、それは「学習」ということなのでしょう。

ともあれ、人は何を学ぶことによって、数限りない困難を乗り越えてきた事実は疑いようがございません。もちろんそのスピードは歴史的に振り返るならば、緩慢としたときもあり、爆発的な時季もあり、種々一本道ではありませんが、そのことによって、目の前にある危機をなんとか対処してきたものだと思います。

そしてそうした危機というものは、年表に掲載された過去の事件だけではございません。いうまでもなく、現代世界にはかつての人類が経験した以上の「どうしようもない」状況にあふれかえっております。しかし、やはり、それは、知とか学びによって--それは非常に時間と根気の要される労作業なのですが--それによって乗り越える以外、根源的に有効な手だてはないのだろうと思います。

対処すべき問題や仕事の大小が問題ではないのだと思います。
そして、解決するのは、政治家や有名人やエライ学者先生なのではないのだろうと思います。
他者から、そして人類の遺産を学ぶことによって、地味な努力を続け、ねばりづよく関わっていく人たちが時代の大転換を実は完成させるのだと思います。

その意味では、大きなかけ声とか、善玉悪玉を対峙させるイデオロギーは、問題の解決にとっては、無用であるだけでなく、かえって有害であるのかもしれません。

……ということで、覚え書。

……ということで、飲んで寝ます。

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 現在、生活の多くの領域には、故人の役割の一種の両極化が現れている。その大部分は全く無意識的ではあろうが、しかし、これは大転換に対する二つの根本的に異なった態度を反映するものである。一方には、絶望し、希望を捨て、ニヒリズムや日常の義務の平凡な実行に退いている人たちがいる。この人たちにとっては、大転換の圧力や危険が大き過ぎるのであろう、危険にばかり眼を奪われて、ボテンシャルが眼に入らず、闘争を放棄する結果に終わっている。他方には、まだ人類への希望を持ち続け、危険にもかかわらず私たちの前方に横たわる巨大なポテンシャルを認め、それゆえに、傷つけるよりは絶えず建設することを、破壊するよりは創造することを、危険を減らし、コースを導くことを求める人たちがいる。自然科学者の間にも、自分たちの仕事を意義あるチャンネルへ導こうと努め、市民としての役割を果そうと努める人たちがいる一方、非生産的な劃一性と型に嵌った行動へ退いている人たちもいる。社会科学者の間には、純粋部門と応用部門とを問わず、これまた自分たちの仕事の重要性に対する、また、この領域における人間の知識追求の切迫性に対する意識に導かれるままに、活溌な活動に飛び込んでいる人たちがいる。これに対して、非生産的な方法論議に退き、科学の精神を捕えるよりは、科学の儀式を行なうことを求める人たちもいる。
 哲学には、解答のない問題と戦ってまで人間思想の領域に新しい次元を開こうとする人たちもいるし、浅薄な科学主義に安住する人たち、実存主義的絶望を無神論的な神に祭り揚げる人たちもいる。文学には、人間の想像力を働かせて人間を高め自覚を実現するという偉大なる伝統を承け継ぐ人たち--そういう人たちは、サイエンス・フィクションの無名作家の間にも見出される--もいるし、リアリズムの名の下にエロを食いものにし、人間に関する人間のイメージを貧しくしようとする人たちもいる。美術には、ひたすら新しさだけを追求して、美に対する一切の関心を失った人たちもいるし、技術時代の美的規準を発見するという巨大な問題と戦い、現代人類の途方もない危険とポテンシャリティとを美的形式においてコミュニケートしようとする人たちもいる。
 宗教には、人間を彼の条件、彼の環境に目覚めさせ、先進社会の必要に適った方向へ宗教という大種族を発展させようとする人たちもいる。また、無智を権力追求のために露骨に利用し、神の名を持ち出して自分たちの偏見に権威を与えようとする人たちもいる。政治には、世界共同体の必要を認めて、公務の許す範囲内で平和の確率および発展のチャンスを増す仕事に従事している人たちもいる。憎悪を敵に向けることによって大衆の内的緊張を利用し、世界に混乱と分裂とを作り出すことによって権力を握ろうとする人たちもいる。人間味のある現実的な組織を作り出し、品格ある組織者としての役割を果そうとする実業家、経営者、官僚もいる。問題を小さくし自分の利益を大きくすることだけを考える人たちもいる。世界の発展に寄与し得る健康で創造的な子供をたくさん育てている主婦や母親もいる。将来の社会にとってマイナスの価値を持つような神経症的人間を作り出している主婦や母親もいる。学問の貴さという感覚を生徒のうちに生み出し、彼らの創造性を刺戟する学校教師もいる。自分の個人的緊張の捌け口に生徒を利用し、学問への愛情を亡ぼし、創造的衝動を殺してしまう学校教師もいる。
 古風床しい賛美歌でもあり労働歌でもある、「あなたは、どちらの側か」という言葉を唱えて、この連禱を終りたくなるであろう。しかし、これは危険な質問である。そういう質問は、対話よりは弁証法へ、教育よりは説教へ、自己吟味よりは自己弁護へ、新しいものを学ぶよりは古い偏見を堅める方へ向うものである。私たちはみな両方の側にいるというのが真実である。問題は、私たちすべての内部において、いかに一方を高め、いかに他方を低めるかである。この問題に対する簡単な答えを知っていたら有難いと思う。しかし、不幸にして、私はそれを知らない。多くの部分的な答えはあるが、私は全体的な答えは知らない。
 右の質問に答えようとすれば、もう一つの質問へ導かれるであろう。偉大なる転換には、見えざる大学が見えるようになる時期があるのであろうか。私たちは、転換のイデオロギーに献身し、人類に転換を実現させることを使命とする、イエズス会や共産党のような見える組織を必要とするのであろうか。この考えは大いに魅力がある。大転換という思想には、一つのイデオロギーに必要なすべての要素が備わっていると言えるかも知れない。歴史解釈もあるし、未来のイメージもあるし、個人的および政治的行動の批判もあるし、各人の役割もある。必要と思われるのは、この思想を体現し、宣伝し、組織して、人類を文明後社会の柵の中へ導き容れる職業的聖職者である。それが--ハーマン・カーンの謂わゆる--一つの「シナリオ」であることは私も疑わない。しかし、私は、それが唯一のシナリオでないことも疑わない。そして、それが最善のシナリオであることには、大きな疑問を持っている。エリートの規律ある「見える大学」というのは、たしかに、一つのイデオロギーの目的を達成するための魅力ある近道のように思われる。けれども、こういう近道は、過去において殆ど不可避的に破局を生んだとは言わないまでも、少なくとも、益よりは害を生んだし、幸い、益を生んだ場合でも、非常に大きな犠牲を伴うものであった。これは経験的一般化であるから、科学というよりは、私が通俗的知識に与えた定義に含まれるものである。正直のところ、私にしても、高貴な目的と思われるもに身を献げるエリート組織が必ず益よりは害を生むという論理的証明が出来るわけではない。これは、まだ本当の科学的知識が確立されていない領域なのである。それゆえ、将来、過去の自覚的集団の特色であった誘惑、堕落、権力の濫用などに陥ることのない、転換を使命とするひとびとの自覚的集団を組織する方法が見出される可能性を排除しようとは思わない。それに、こういう集団の宣伝するイデオロギーが強い善悪両面を含んでいる時なら、こういう集団が非常に有効であるかもしれない。しかし、九九の表を宣伝するには、イエズス会士になる必要もなければ、共産主義者になる必要もない。私は、大転換の思想はイデオロギー的立場に似ているよりは、九九の表に似ていると考える。そうであれば、この思想は見えざる大学によって宣伝した方がよいであろう。なぜなら、この思想はその明白な有用性によっておのずから普及するであろうから。それは、説得や強制という技術を殆んど全く必要しないであろう。こういう場合には、この特殊な真理の宣伝に献身する「見える集団」などは、便利であるよりは邪魔になるであろう。この理由によって、私は、真理そのもの以外の規準を設けようとは思わない。真理こそ、賢明な人間、正直な人間が頼らねばならぬものである。
    --K.ボールディング(清水幾太郎訳)『二十世紀の意味 -偉大なる転換-』岩波書店、1967年。

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一杯やるかい?……一杯やる会?

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 読書といえば普通、図書館や書斎でひとり静かに本と向き合う姿を連想するが、私いや友達は幾人かで相談して決めた同じ本を読むのである。毎月一回、集まって自分達で課した「課題図書」を読んで感想を述べあう。いつまでに何を読むか決めているから、宿題を出された生徒のようになんとかして読もうとする。それだけならいわゆる読書会かというと、読書会のようでもあり、そうでもないところがみそである。わたしはこのユニークな読書会もどきの仲間に支えられて、着実に弱点の補強をすることができたのであった。この一風変わった会は「長く続ける」「楽しく読む」「なんでも広く読む」ことを不文律として、毎月一回缶ビールをちびりちびりやりながら概してとりとめもなく時に少しだけまじめに、本を話題にしておしゃべりする集まりである。一九九〇年一月にスタートして今年で一三年続いたから、継続の点ではいくらか、自分達をほめてあげてもいいだろう。この間に読んだ本の題名を列挙してながめてみるといささか感慨深い。
 これだけ長く持続できたのは、この会が普通の読書会とちがって、「飲み会」と「読み会」を同じ比重でうまく結合したからであった。仕事上の付き合いや親しい仲間同士で居酒屋などで一杯やるのは珍しくない。いわゆる読書会もちまたに少なからずある。だが仕事を終えて居酒屋で一杯やりながら出る話題といえば、ほとんどが職場の不満、ぐち、上司のあらさがし、人事のうわさなどか、野球かサッカーなどのあたりさわりのない話になりがちで、どうもそれでは空しいし、おもしろくもない。一方まじめな読書会というのも結構だが、どこか堅苦しいし、毎月定期的にながく続けるには無理がある。ならば一杯やりながら少しだけまじめに、あらかじめ共通の本を読んできてそれに話題を集中させてみようというのはどうだろうか、というむしのいいアイディアがこの会を生んだ。
 もっとも私達は「読書会」と称するにはあまりにおこがましいことをよく自覚していたから、「読書会」とは言わずにそれを「一杯やる会」と称している。「一杯やる会」といっても、せいぜい缶ビールにスーパーで調達する安あがりのつまみ、腹ごしらえのための麺類やいなり寿司、生野菜と漬物が並ぶ程度で、時に旅行のみやげの各地の名産、高価な地酒とかワインの差し入れがある。これらを口にしながら、第一部、まずは課題図書とは関係ない雑談からはじまる。やはり仕事がらみの話が中心になりがちだが、時事的な話題、趣味の話、家庭内のエピソード、メンバーの誰かが旅行から帰った直後などには、詳細な報告談などが語られる。予定時刻の半分はこんな調子で、やがて誰からともなく「ではそろそろ本題に」となる。
 第二部に入っても、司会者とかレポーターがいるわけでもない。なにかかっこいいことを発表しなくてはならないとなると参加しずらくなるから、発言は義務的ではなく、各自が勝手に意見を述べ合い、作品についてなにか知っていることがあれば、紹介しあう。まとめとか結論は一切ない。多忙で一ページも読まずに参加することも珍しくない。要するに決められた本を読んできて、それを共通の話題にして飲むだけだから、読むことよりも飲むことがお目当てで出席することもある。しかしそれこそが一三年も持続し、一〇〇冊を越す作品を読むことができた秘訣であった。そしてみな「飲むほうがお目当て」と謙遜しながら、たいていは生真面目に読んできた。このような楽しみを用意すると同時に、必ず散会する前に次会に取り上げる作品と日時を決めることにした。それがもうひとつの継続の秘訣である。
    --高柳直正「『飲み友達』から『読み友達』へ」、鶴見俊輔編『本と私』岩波書店、2003年。

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うえの引用文にあるとおり、読書会は最高です。

読書会の手ほどきをうけたのは、たぶん、大学一年生の頃だったかなと記憶しております。
先日、都立大学駅周辺にて「泥飲」した仲間たちと、日吉キャンパスのクラブハウスにて、先輩の進行のもと、毎回決めた一冊を読んできては、昼休みとか、放課後に、その内容を議論したのが最初だと思います。

次の年には、自分たちがその外枠をつくって、後輩たちと一緒に読んだわけで、そこでマルセル(Gabriel Marcel,1889-1973)を知り、アイトマートフ(Chinghiz Aitmatov,1928-2008)を読み、プラトン(Plato,B.C.427-347)の「国家論はどうよ」と論じ、宮本輝(1974-)の「河三部作」に出会ったのもこの頃のことだと思います。

哲学者、作家、詩人……ジャンルを問わず、若い雄叫び?で、議論し合ったことが懐かしいものです。宮本輝が大好きな同期の桜からは、長じて、経済学の手ほどきも受けることになり、異文化交流?の醍醐味をあじわったものです。

で……もうひとつ。
先の読書会では飲むことはなかったのですが、読みながら飲み、飲みながら読んだのは、ちょうど、修士課程に在学している頃だったかと思います。
現在所属している研究所の先輩(専門は日本仏教、当時は博士課程在学中)と、月に一度、読書会といいますか、勉強会といいますか、そして飲み会といいます、そういう集いをやっていた思い出があります。

当時、人類学者の先駆者・ジェームズ・ジョージ・フレイザー(Sir James George Frazer,1854-1941)の影響もあってか、呪術と科学の分岐をめぐる信念系と対立と客観精神のかかわりに関心があったので、そのケーススタディとして陰陽道の思想的枠組みを探究しようと、自己に探究をかしておりましたので、陰陽思想の影響を受けた仏教における経典をちまちまと白文で1年ぐらい読んでおりました。

結果としては式神をとばすことはできませんでしたが羅盤だけは仕えるようになったのがイタイ?青春の一コマですが、陰陽道関係の文献が片づくと、サンスクリット語の勉強をしていた学生(専門は初期大乗)も交え、『法華経』をきちんと原典から読もう……ということになり、漢文経典、サンスクリット原典、そして現代西洋語の訳を対照させながら、読んでいた思い出があります。

ちょうど、修士論文で日本で最初の宗教学者・姉崎正治(1873-1949)の宗教学の変遷を追跡していたので、『法華経』研究へと合流した次第です。
東京帝国大学文科大学において最初に宗教学の講座が開設された折り、姉崎がその最初の教官としてその創設に尽力したわけで、後に日本の宗教学研究の発展の基礎を築いたことで知られるのですが、これも学問の師匠・鈴木先生から、「君は姉崎をきちんと踏まえていた方がよい」という、形としては外圧なのでしょうが、それによって、内発的に学が拓いたわけなのですが、そのなかで、姉崎の発想の根幹をさぐるべく、法華経原典への挑戦へと繋がった次第です。

姉崎は、盟友・高山樗牛(1871-1902)に、マア“折伏”されて、日蓮信仰を終(つい)の信仰となし、後に、ハーバード大学へ交換教員として渡米中には、名著『The Buddhist Prophet NICHIREN』(邦訳は『法華経の行者 日蓮』)をハーバード大学出版局より著し、西洋世界に、まとまった形で、鎌倉仏教を紹介した人物です。

かなり思い入れもあったようで、息子には「金吾」と命名しているほどですが、自己の信仰を熱烈にたもちながら、その信仰をいわば、学として論じていくという車輪の両輪をきちんとやった人物でしたから、その根本となる、『法華経』をきちんと読んでおこう……そういうながれで、読書会となったわけなのですが。

で……
もちろん、宇治家参去は、サンスクリットのデーヴァナーガリーは読めませんので、ローマナイズされた文献を読んでもらい、それを漢文で対照させ、異同本との照合、西洋語の訳での解釈なんかを相関させながらやっていましたので、それはそれは果てしのない道のりで、3年かけて、まだ「薬草喩品」ぐらいまでいくかいかないかという遅々たるスピードでしたが、冒頭にある「『飲み友達』から『読み友達』へ」のように、楽しく読み、楽しく飲み、楽しく思索を深めることが出来たのは良い思い出です。

それが悪いというわけではありませんが、やはり、なんとなく飲みに行ってしまうと、仕事の愚癡であったり、社会に対する不平不満であったり……まあ、飲むのは好きなのでそれはそれで楽しい部分もあるのですが、……上の文章でも指摘のある通り「どうもそれでは空しいし、おもしろくもない」のもある一面からすればそれが実情です。

この仏教経典学習会は、およそ5年ほど続けましたが、やはり学び・飲むというのは、「なんとなく飲み会」よりはやはり、話題がきちんときまっており、お互いにそこから何か学ぼう……という目的観がはっきりしていますから、飲んで騒いだで終わらず、いつも「何かを持ち帰るもの」があったと思います。

専門も経歴もちがう面々が、一書に向かい合うものですから、これが実に面白い!

真面目なネタがほとんどですが、様々な側面から一つの対象を浮かび上がらせる作業は実に痛快です。

もちろん、翻訳における意味転換の問題や、風土や時代背景の影響、そして語義的な問題大家の解釈、中国、日本における受容史等々……種々論じるわけですが、それだけではありません。

例えば次のようなネタでも盛り上がるわけで……

仏典に残されている釈尊(像)を映像化してみた場合、誰が演じるのに相応しいのか?
やはり、体をはって、衆生(有情も無情も)を守り抜くその勇士に注目するならば、アーノルド・アロイス・シュワルツェネッガー(Arnold Alois Schwarzenegger、1947-)だろう……とか。

「おまえのサンスクリット語の発音は、ヒンディー訛りだ」……とか。

「宇治家参去さんの宗教観は耶蘇臭い」……だとか。

思えば、わいわいがやがやとやっておりましたが、そこで立体的に学んだコンテンツは、自分自身の思索を深める上で必要不可欠の土台となり、根柢になったのは事実です。読み進めるうちに、仏教関係者だけでなく、さまざまな市井の人々や別の専門家も交えながら、月に一度あつまり、自由闊達に論じたその時間は忘れがたい思い出です。

その当時はみな、独身で比較的わがままの効く気楽な環境でしたから、長ずるにつれ、物理的に時間の接点がつくりにくくなり、自然と立ち消え……精確には休止……となってしまいました。

ですけど……。
またやりたいんですよね。本を読んできて「一杯やる会」を。

たしかに、「読む」という作業は、そのひとの唯一性なきわめて個人的な作業なのですが、それでおわると、ひとりの事業になってしまうのですが、それを摺り合わせていくと、一つの対象を「ああ、こんなふうにも見ることができるんだ」っていう驚きと発見の連続になるのものなんですよね。

その全体性のなかで、一書を一緒に読んで飲む……最高なひとときだと思う訳なのですが……。

またやりたいなあ~。

読みたいなあ~。
飲みたいなあ~。

まじで、「ぴかぁぁぁ~ん」と来るんですよね。
一書に対して一書にやってみる異文化交流(異業種?)交流というものは。

ということで……。
とりあえず、だれとも一書を一緒によむことができないのですが、その日の再現することを祈りつつ、宮城紀行の最終版にゲットした、古川(宮城県大崎市)の地酒「純米吟醸 宮寒梅」〔(名)寒梅酒造〕でも飲んで寝ます。

しかし、名前がいいですね。

「寒梅」

……近所の小学校の門庭脇の梅の古木を見上げると、もう、花びらを解き放しはじめておりました。

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