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【覚え書】K.ボールディング「真理こそ、賢明な人間、正直な人間が頼らねばならぬものである」、『二十世紀の意味』

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自分の通った大学のモットーのひとつに、Calamvs Gladio Fortior という言葉が御座います。これはラテン語ですが、言い慣れた日本語に訳すと、「ペンは剣よりも強し」との言葉になります。

人類が長い辛い坂道を登ってくることができたのは、やはり剣の力ではなく、ペンの力、言い換えれば、知識の力によるのでしょう。そのことを科学としてもいいでしょうし、経済学に「宇宙船地球号(Spaceship Earth)」の概念を導入した経済学者・ケネス・ボールディング(Kenneth Ewart Boulding,1910-1993)の好きな言葉で表現するならば、それは「学習」ということなのでしょう。

ともあれ、人は何を学ぶことによって、数限りない困難を乗り越えてきた事実は疑いようがございません。もちろんそのスピードは歴史的に振り返るならば、緩慢としたときもあり、爆発的な時季もあり、種々一本道ではありませんが、そのことによって、目の前にある危機をなんとか対処してきたものだと思います。

そしてそうした危機というものは、年表に掲載された過去の事件だけではございません。いうまでもなく、現代世界にはかつての人類が経験した以上の「どうしようもない」状況にあふれかえっております。しかし、やはり、それは、知とか学びによって--それは非常に時間と根気の要される労作業なのですが--それによって乗り越える以外、根源的に有効な手だてはないのだろうと思います。

対処すべき問題や仕事の大小が問題ではないのだと思います。
そして、解決するのは、政治家や有名人やエライ学者先生なのではないのだろうと思います。
他者から、そして人類の遺産を学ぶことによって、地味な努力を続け、ねばりづよく関わっていく人たちが時代の大転換を実は完成させるのだと思います。

その意味では、大きなかけ声とか、善玉悪玉を対峙させるイデオロギーは、問題の解決にとっては、無用であるだけでなく、かえって有害であるのかもしれません。

……ということで、覚え書。

……ということで、飲んで寝ます。

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 現在、生活の多くの領域には、故人の役割の一種の両極化が現れている。その大部分は全く無意識的ではあろうが、しかし、これは大転換に対する二つの根本的に異なった態度を反映するものである。一方には、絶望し、希望を捨て、ニヒリズムや日常の義務の平凡な実行に退いている人たちがいる。この人たちにとっては、大転換の圧力や危険が大き過ぎるのであろう、危険にばかり眼を奪われて、ボテンシャルが眼に入らず、闘争を放棄する結果に終わっている。他方には、まだ人類への希望を持ち続け、危険にもかかわらず私たちの前方に横たわる巨大なポテンシャルを認め、それゆえに、傷つけるよりは絶えず建設することを、破壊するよりは創造することを、危険を減らし、コースを導くことを求める人たちがいる。自然科学者の間にも、自分たちの仕事を意義あるチャンネルへ導こうと努め、市民としての役割を果そうと努める人たちがいる一方、非生産的な劃一性と型に嵌った行動へ退いている人たちもいる。社会科学者の間には、純粋部門と応用部門とを問わず、これまた自分たちの仕事の重要性に対する、また、この領域における人間の知識追求の切迫性に対する意識に導かれるままに、活溌な活動に飛び込んでいる人たちがいる。これに対して、非生産的な方法論議に退き、科学の精神を捕えるよりは、科学の儀式を行なうことを求める人たちもいる。
 哲学には、解答のない問題と戦ってまで人間思想の領域に新しい次元を開こうとする人たちもいるし、浅薄な科学主義に安住する人たち、実存主義的絶望を無神論的な神に祭り揚げる人たちもいる。文学には、人間の想像力を働かせて人間を高め自覚を実現するという偉大なる伝統を承け継ぐ人たち--そういう人たちは、サイエンス・フィクションの無名作家の間にも見出される--もいるし、リアリズムの名の下にエロを食いものにし、人間に関する人間のイメージを貧しくしようとする人たちもいる。美術には、ひたすら新しさだけを追求して、美に対する一切の関心を失った人たちもいるし、技術時代の美的規準を発見するという巨大な問題と戦い、現代人類の途方もない危険とポテンシャリティとを美的形式においてコミュニケートしようとする人たちもいる。
 宗教には、人間を彼の条件、彼の環境に目覚めさせ、先進社会の必要に適った方向へ宗教という大種族を発展させようとする人たちもいる。また、無智を権力追求のために露骨に利用し、神の名を持ち出して自分たちの偏見に権威を与えようとする人たちもいる。政治には、世界共同体の必要を認めて、公務の許す範囲内で平和の確率および発展のチャンスを増す仕事に従事している人たちもいる。憎悪を敵に向けることによって大衆の内的緊張を利用し、世界に混乱と分裂とを作り出すことによって権力を握ろうとする人たちもいる。人間味のある現実的な組織を作り出し、品格ある組織者としての役割を果そうとする実業家、経営者、官僚もいる。問題を小さくし自分の利益を大きくすることだけを考える人たちもいる。世界の発展に寄与し得る健康で創造的な子供をたくさん育てている主婦や母親もいる。将来の社会にとってマイナスの価値を持つような神経症的人間を作り出している主婦や母親もいる。学問の貴さという感覚を生徒のうちに生み出し、彼らの創造性を刺戟する学校教師もいる。自分の個人的緊張の捌け口に生徒を利用し、学問への愛情を亡ぼし、創造的衝動を殺してしまう学校教師もいる。
 古風床しい賛美歌でもあり労働歌でもある、「あなたは、どちらの側か」という言葉を唱えて、この連禱を終りたくなるであろう。しかし、これは危険な質問である。そういう質問は、対話よりは弁証法へ、教育よりは説教へ、自己吟味よりは自己弁護へ、新しいものを学ぶよりは古い偏見を堅める方へ向うものである。私たちはみな両方の側にいるというのが真実である。問題は、私たちすべての内部において、いかに一方を高め、いかに他方を低めるかである。この問題に対する簡単な答えを知っていたら有難いと思う。しかし、不幸にして、私はそれを知らない。多くの部分的な答えはあるが、私は全体的な答えは知らない。
 右の質問に答えようとすれば、もう一つの質問へ導かれるであろう。偉大なる転換には、見えざる大学が見えるようになる時期があるのであろうか。私たちは、転換のイデオロギーに献身し、人類に転換を実現させることを使命とする、イエズス会や共産党のような見える組織を必要とするのであろうか。この考えは大いに魅力がある。大転換という思想には、一つのイデオロギーに必要なすべての要素が備わっていると言えるかも知れない。歴史解釈もあるし、未来のイメージもあるし、個人的および政治的行動の批判もあるし、各人の役割もある。必要と思われるのは、この思想を体現し、宣伝し、組織して、人類を文明後社会の柵の中へ導き容れる職業的聖職者である。それが--ハーマン・カーンの謂わゆる--一つの「シナリオ」であることは私も疑わない。しかし、私は、それが唯一のシナリオでないことも疑わない。そして、それが最善のシナリオであることには、大きな疑問を持っている。エリートの規律ある「見える大学」というのは、たしかに、一つのイデオロギーの目的を達成するための魅力ある近道のように思われる。けれども、こういう近道は、過去において殆ど不可避的に破局を生んだとは言わないまでも、少なくとも、益よりは害を生んだし、幸い、益を生んだ場合でも、非常に大きな犠牲を伴うものであった。これは経験的一般化であるから、科学というよりは、私が通俗的知識に与えた定義に含まれるものである。正直のところ、私にしても、高貴な目的と思われるもに身を献げるエリート組織が必ず益よりは害を生むという論理的証明が出来るわけではない。これは、まだ本当の科学的知識が確立されていない領域なのである。それゆえ、将来、過去の自覚的集団の特色であった誘惑、堕落、権力の濫用などに陥ることのない、転換を使命とするひとびとの自覚的集団を組織する方法が見出される可能性を排除しようとは思わない。それに、こういう集団の宣伝するイデオロギーが強い善悪両面を含んでいる時なら、こういう集団が非常に有効であるかもしれない。しかし、九九の表を宣伝するには、イエズス会士になる必要もなければ、共産主義者になる必要もない。私は、大転換の思想はイデオロギー的立場に似ているよりは、九九の表に似ていると考える。そうであれば、この思想は見えざる大学によって宣伝した方がよいであろう。なぜなら、この思想はその明白な有用性によっておのずから普及するであろうから。それは、説得や強制という技術を殆んど全く必要しないであろう。こういう場合には、この特殊な真理の宣伝に献身する「見える集団」などは、便利であるよりは邪魔になるであろう。この理由によって、私は、真理そのもの以外の規準を設けようとは思わない。真理こそ、賢明な人間、正直な人間が頼らねばならぬものである。
    --K.ボールディング(清水幾太郎訳)『二十世紀の意味 -偉大なる転換-』岩波書店、1967年。

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