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何かうまくいかないと、がっかりするよりも怒りが出てくるんですよね

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 「緒方さんの行動のもとになっているエネルギーは何でしょうか?」
 「何だか知りませんけれどもね……」
 数秒の沈黙のあと、緒方さんは続けた。
 「怒りかもしれないですね。何かうまくいかないと、がっかりするよりも怒りが出てくるんですよね。何とかしたいと、こんなことは受け入れられませんと。それはいろいろな形でひどくなったかもしれませんね。これは承知できませんという気持ちですよね」
 「それはやっぱり人権とかそういうことに照らしてという……」
 「そんなに難しい話じゃないんです。何かに照らすんじゃなくて、実態がということです。この一〇年で私、癇癪(かんしゃく)もちになったのかもしれないけれども」
 そう言うと、厳しかった緒方さんの表情が不意に緩み、笑顔になった。
    --取材・構成 東野真『緒方貞子--難民支援の現場から』集英社新書、2003年。

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やることはやっているつもりで、論文も書いておりますし、文句は言いながらも?市井の仕事へ真面目に勤務し、問題があればあるで真摯に対応し、家族との応対もときどき「ウザっ!」と思いながらも、その心を否定することなく向き合いながら、そして余った時間?で、渇いた心のひだを酒でほぐしながら、一日一日精一杯?生きている宇治家参去です。

しかし、タスクを消化するだけでは「何かが物足りない」「何か違うんだよな」などと心のなかのもうひとりの宇治家参去がぼやくのも自覚しており、そうした状況の中で、やることはやっているつもりなのですが「今年はなんとかしなきゃナ」という焦りもありまして……自分自身の存在に対して存在そのものから「怒り心頭」ということをよく痛感します。

「やることはやっている」という「安堵」がひとつのドグマとなっているのかもしれません。それがひとつのスタティックな構造と化したとき、人間の「成長」なんて夢物語なのかもしれません。

とわいえ、そうした状況を快復することにおいて、その生きている現場から「降りてしまう」ことはハナからできませんので、その状況を丁寧に見つめ直し、自分自身に対する「不本意さ」に対する「怒り」を原動力としながら、自分自身の存在をいわば「脱構築」(déconstruction)していかないとね!ということで……今日は久し振りに、市井の仕事も忙しくなかったので、屋上に登り、夕陽を眺めつつ合掌……ではなく、大きく深呼吸をし、「子供のような」怒りの矛先をおさめながら、「さあ、もう一度、仕事をしよう」と現実へ戻りました。

「自己自身の営みそのものが、昨日の構造のままではないのだろうか?」
そのことを、内的に破壊しながら、新たな構造を生成していかない限り、自分自身の存在というものがひとつのドグマになってしまうのかもしれません。

もちろん、神学というひとつのドグマが研究対象ですから、「それでよし」と甘受することも可能でしょうが、そもそも神学というものそのものが、プラトン的なスタティックな体系というよりも、実は現実世界とのたゆまざる往還関係のなかでのたえず構築していかざるを得ないものというのが実は真相ですから、そのへんのゆらぎとか怒りとか喜びに敏感になっていかないと、固定化したドグマになってしまうのでしょう。

丁寧に日々の生活をおくりながら、その構造をたえず構築仕直していく、そのひとつの原動力としての「怒り」という感情……実は大切かも知れません。
うえのインタビューは、長年国連難民高等弁務官を努めてきた緒方貞子(1927-)の言葉です。

「怒りかもしれないですね。何かうまくいかないと、がっかりするよりも怒りが出てくるんですよね。何とかしたいと、こんなことは受け入れられませんと。それはいろいろな形でひどくなったかもしれませんね。これは承知できませんという気持ちですよね」

「怒り」と聞くと、ふつう「否定的なイメージ」で敬遠されがちで、思想・哲学の世界でも「理性」を狂わせる排除されてしかるべき因子とみなされる「感情」のひとつなのでしょうが、こうした人間の事実を払拭した理性とか、紳士面した大人の態度などというものは、じつは虚仮威しの理性とか、ジェントリティなのかもしれません。

明日は……というよりは今日は博論の指導を受けてきます。
精確には博論の指導というよりも、先月の調査結果の精査・探究が目的です。

すこしまた活路を開く歩みに至らしめたく思うところですが……はやく起きなければならないのにもかかわらず、飲んでおりますが、そのどうしようもない自分自身に対する「怒り」を原動力に、ひとつ有閑な……もとい、勇敢な一歩にしてまいりたいと思うある日の宇治家参去です。

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 怒りが原動力であるという緒方さんの言葉は、強烈な印象となって私の中に残った。
 慈善活動や人道援助を行う女性に対して、私たちはややもすると「慈母」的なイメージをいだきがちである。緒方さんによく冠せられる「難民の母」という言葉は、そのことをよく表している。べつにそれが間違っているわけではない。緒方さんの人柄を問われて、「細やかな心配り」を挙げる人も多い。しかし、緒方さんのインタビューをしていて私がむしろ感じたのは、問題を解決しようとする強靱な意志と仕事に対する厳しさ、そして卓越した分析力と創造性であった。緒方さんを知る職員の一人は、「緒方さんは危機になればなるほど強くなる」と言った。どんな緊急事態に陥っても、諦めずに新しいアイデアを出し、指示を飛ばすのだという。そうした彼女の行動を支えてきた原動力は、現場を歩くことから生まれる「怒り」なのだ。
    --東野真、前掲書。

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