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「自発性」は異論の余地がない価値なのか?

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 西欧の思考のなかには、尊厳の欠如を敗北に帰着させるような伝統の優位を見てとることができる。道徳的な寛大さそれ自身も、客観的な思考の必要に従属したものと考えられるわけである。そこでは、自由に帰属する自発性は問いただされることがない。自由を制限されることのみが悲劇であり、醜聞となる。自由は、それがなんらかのしかたで自由自身に課せられている場合だけ、問いただされることになるのである。もしも私が、自分の存在(エグジスタンス)を自由にえらびとることができたのなら、いっさいは正当化されるであろうからである。私の自発性にはいまだ理性が欠けている。その自発性が敗北することで、理性と観想が目ざめるのである。敗北の苦痛が、叡智の母であったことになるだろう。自発性の敗北からだけ、暴力にくつわをはめ、人間関係のさまざまに秩序を導入する必要が生じるはずだ。それなのに政治の理論は自発性を異論の余地がない価値と考えて、そこから正義を引き出そうとする。政治理論にあっては、私の自由と他者たちの自由とを一致させるような自発性のもっとも完璧な遂行を、世界の認識をつうじて確証するこそが問題となるのである。
    --レヴィナス(熊野純彦訳)『全体性と無限 (上)』岩波文庫、2005年。

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自発性とか、自己責任という問題は確かに重要なエレメントであり、それに則って生きていくことができれば、それに「越したことはない」のですが、それだけで生きていける人間というのはごく僅かです。

そしてそのごく僅かの人間に関しても、四六時中自発性だけでいきているわけではありません。

しかしながら、どうしてか人間という生き物は自発性、自己責任というエレメントを最高尊貴の価値概念として見まがう部分があるようです。

奴隷社会から市民社会への変遷を振り返ってみますと、他者による支配という他者制御の時代から、自分が自分の主であるという自発性へパワーシフトしていくのがその歴史です。

しかし、人間は一元的価値観からスパッと「割り切れる」ものでもありません。
たしかに自発性というのはモチベーションとしては大切なのは至極理解しております。
しかし、それだけでないのが人間の世界であり、自発性の部分もあり、他発性の部分もあり、そのどちらにも属さない部分もある……というのが実情でしょう。

自発性至上主義になってしまうとどこか息苦しくなってしまう宇治家参去です。

昨日は市井の仕事も休みでしたので、まったく何もせず、すなわち、学問の仕事を行うこともなく……それはそれで朝一番で次の添削用のレポート課題の山が宅配されましたが……、本もよまず、研究もせず、ただぼんやりと一日を過ごさせていただきました。
※まっ、ただうえに引用したレヴィナス(Emmanuel Lévinas,1906-1995)の文章だけは最後に読んだわけですけども、深く突っ込まずということで……。

たまにはこんな日も必要かも知れません。

自発的に考えるならば、休みだからこそ、論文の手直しをする必要もありますし、学問の仕事の課題を消化する必要もあるわけですが、自発的にそれを遮断し、ただ、思うままに時間を過ぎ去らせたというところです。

朝から雪がふりだしましたが、それも夕方前には雨となり……東京では思わぬ初雪でしたが、雪がおわることに一抹の寂しさをおぼえつつ、マア昨日はご生誕祭ということで、定番のすき焼を味わいつつ、とっときの酒を楽しませていただきました。

月末になると……細君の用事で酒屋へ行くのですが、そこがまた地酒大爆発といいますか、レアなやつをそろえておりまして、4合瓶で2000~3000円以下の銘酒を月1本ほど買ってきてくれます。だいたいは店主のお薦めですが、これがはずれがないわけで……。

2-3日前にゲットしたのは、かの有名な黒龍(黒龍酒造株式会社、福井県)の2月にのみ醸造するといわれる限定酒「吟醸 垂れ口」(辛口)で、マアそこは誕生日までは我慢しようということで、喉をならしながらまちかえておりました。いわゆる「うすにごり」の新酒というやつで、槽口からこんこんと尽きることを知らぬように流れ出す味わいと芳醇な香りが濃厚で、辛口なのにどうして!とたまげた次第です。

ちなみに「たまげた」とは「魂消た」と表記すると聞きますが、まさにそのとおりで豊かな味わいに完敗……乾杯です。

ただ、この酒も自発的にゲットしたわけでもなく、そうした余裕が現代には必要なのかも知れません。

訓戒的に「自発的にやれ」「お前の責任だ」……などというフレーズがこれみよがしに流通する昨今ですが、それだけじゃアねえんですよ。

で……黒龍と一緒に勇姿をみせているのは、Tiffanyのマネークリップ。
今年のお祝い?は昨年のと同じく眼鏡でエントリしたのですが、昨日は天候がよくなく後日ということで。

自分から自分へということで指定日配達で夕刻に届きました。
Tiffanyって女性のアクセというイメージが強いですが、ナイスミドル向けの商品も手ごろな価格で多く……コレクターしているところもあって、何かあると意識して集めるようにしておりますが、今回はマネークリップにしてみました。昨年は、ビクトリノックスのナイフのTiffanyモデルを購入しましたが……これも使い用がなく、防湿庫。

今回のマネークリップも挟む「お札」がないので、防湿庫行き確実かと。

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