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「あれね? あれ、実は、失敗しちゃってさぁ……写っていなかったんだよ……」

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 私にとって、クラシックカメラは、
不便=使い倒す楽しみ、であり、
不便=悪い、ではない。
 その他、みんなあまり気づいていないが、失敗する楽しみもある。フィルム装填をきちんとやらないと必ず失敗して、
 「あぁ、畜生! この野郎、バカヤロー!」
と悔しがって地団駄踏むことになる。大事な写真を撮ろうとして写っていなかったりしたら、後で訊かれたときに、
 「あれね? あれ、実は、失敗しちゃってさぁ……写っていなかったんだよ……」
と恥をかく楽しみもある。
 あまり楽しみになっていない、と思われるかもしれないが、何の苦労もせずにきちんとした写真が撮れるこのご時勢、昔ながらに失敗するなんて貴重な体験だと思うよ。散々失敗を繰り返して、その後うまくいったときの喜びはまた格別なんじゃないかなぁ。失敗しながら試行錯誤して身につけたことは忘れないし、失敗を糧としていろいろなことが自然に覚えられることはいいことだと思う。
 「總是人們話説青春…酸甜苦辣、滋味難分」
 青春は「酸っぱい、甘い、苦い、辛い」、すべて渾然一体で分けがたいものだ。
 その証拠に、私の友人でAF一眼レフに高倍率ズームレンズという組み合わせをこの五年間使っているものがいるが、被写界深度、絞りの効果、などなーんにも理解していない。写真もちっとも上達しないので、本人もイヤになって、最近はオートボーイしか使わなくなった。これはある意味正しい選択かもしれない。
 道楽で写真を撮っているなら失敗はいくらでも許されるんだから、ちょっとぐらい苦労したって、失敗したっていいじゃないか、と大きな気持ちで写真を撮っていただきたいところである。
 それでは、成功を祈る。
    --中村陸雄『ソビエトカメラ党宣言』原書房、2001年。

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道楽で写真を撮る宇治家参去ですが、先月末、宮城県の「吉野作造記念館」への調査旅行の帰路、新幹線車中に、デジカメを置き忘れてしまったので、それ以来、その代換写真機を物色していたのですが、ヤフオクにてちょうど手頃な機械が出品されておりましたので、運良くゲットしました。

紛失したカメラの後継機になるのですが、今から四年前に発売されたCanonの「IXY Digital L3」(2005年)というのがそれです。最初に使っていたのは、このシリーズの初号機となる「IXY Digital L1」(2003年)というものですが、これは単焦点(光学ズーム不可)ですが、接写がかなりできるので、それなりに遊ばせて貰ったものです。サイズ的にも煙草一箱より小さめというのが使いやすく、何処にでも持ち運べ、軽快につかえるところがいい機械です。

さて……
今回手に入れたモデルは、紛失したモデルの後継機ということで光学ズームが付くようになった機械ですが、最新のモデルからするとスペックはおちるものの、「遊んで写真を撮る」というニーズにはおつりが出るほどで、状態はよくありませんが、撮る機能には全く問題なく、付属品含め、5000円程度。サイズ的にも写真の通り、コンパクトでどこへでも連れて行ける相棒になることは間違い有りません。

そしてこれが大切なのですが、大枚はたいて手に入れた高級品でもありませんので、また「紛失」しても「痛く」はありませんし、仕事や研究で使うわけではないので、これで少し遊んで見ようと思います。

まずは、試写ということで、午前中、1時間ばかり、100枚近く撮ってきましたが、なかなか動作も機敏で、機能的には全く問題なくいい写真が撮れています。接写のやり方が紛失したL1とは微妙に違うのでその「馴れ」が必要ですが、このもどかしさがなんともいえません。

最新機種と比べると、液晶も小さく、まさに……「不便」です。
しかし……

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不便=使い倒す楽しみ、であり、
不便=悪い、ではない。

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ですから、また紛失?するまで「使い倒していこう」と思います。

銀塩で始めたカメラ道楽ですが、最近、ライカやコンタックスも全然さわらなくなってしまったのですが、また時間を見つけては、フィルムをいれて楽しみたいものです。
しかしながら、そこで「培われた」写真を撮る「楽しみ」の心は、機械としてはデジタルカメラになっても「健在」のようですので、またフィルムをいれるまで時間がかかりそうですが、銀塩にせよ、デジタルにせよ共通するのは「あぁ、畜生! この野郎、バカヤロー!」とか、「あれね? あれ、実は、失敗しちゃってさぁ……写っていなかったんだよ……」と恥をかきつつ、楽しんでいる自分自身でありまして……「そこが、マア写真道の奥の細道なんだよな」とひとり、悦に浸っております。

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 道楽で写真を撮っているなら失敗はいくらでも許されるんだから、ちょっとぐらい苦労したって、失敗したっていいじゃないか、と大きな気持ちで写真を撮っていただきたいところである。

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写真に限らず、道楽に関しては、まさにうえのような部分、余裕とでも言えばいいのでしょうか……そういうところがないと、なかなか長続きしないものです。

道楽やるのに「眉間にしわ寄せる」必要は全くないのですが、そこを勘違いしてしまうと、道楽が道楽でなくなってしまうのでしょうね。

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