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思い出はあまりムキになって確かめないほうがいい

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 子供の頃は憎んだ父の気短かも、死なれてみると懐かしい。そのせいかライスカレーの匂いには必ず怒った父の姿が、薬味の福神漬のようにくっついている。
 子供の頃、我家のライスカレーは二つの鍋に分かれていた。アルミニュームの大き目の鍋に入った家族用と、アルマイトの小鍋に入った「お父さんのカレー」の二種類である。「お父さんのカレー」は肉も多く色が濃かった。大人向きに辛口に出来ていたのだろう。そして、父の前にだけ水のコップがあった。
 父は、何でも自分だけ特別扱いにしないと機嫌の悪い人であった。家庭的に恵まれず、高等小学校の学歴で、苦学しながら保険会社の給仕に入り、年若くして支店長になって、馬鹿にされまいと肩ひじ張って生きてきたせいだと思うが、食卓も家族と一緒を嫌がり、沖縄塗りの一人用の高足膳を使っていた。
 私ははやく大人になって、水を飲みながらライスカレーを食べたいな、と思ったものだ。
 父にとっては、別ごしらえの辛いカレーも、コップの水も、一人だけ金線の入っている大ぶりの西洋皿も、父親の権威を再確認するための小道具だったに違いない。
 食事中、父はよくどなった。
 今から考えると、よく毎晩文句のネタがつづいたものだと感心してしまうのだが、夕食は女房子供への訓戒の場であった。
 晩酌で酔った顔に飛び切り辛いライスカレーである。父の顔はますます真赤になり、汗が吹き出す。ソースをジャブジャブかけながら、叱言(こごと)をいい、それ水だ、紅しょうがをのせろ、汗を拭け、と母をこき使う。
 うどん粉の多い昔風のライスカレーのせいだろう、母の前のカレーが、冷えて皮膜をかぶり、皺が寄るのが子供心に悲しかった。
 父が怒り出すと、私達はスプーンが--いや、当時はそんな洒落たいい方はしなかった。お匙が皿に当たって音を立てないように注意しいしい食べていた。
 一人だけさじを使わなかった祖母が、これも粗相のないように気を遣いながら、食べにくそうに箸を動かしていたのが心に残っている。
 あれは何燭光だったのか、茶の間の電灯はうす暗かった。傘に緑色のリリアンのカバーがかかっていた。そのリリアンにうっすらとほこりがたまっているのが見え、あれが見つかると、お母さんがまた叱られる、とおびえたことも覚えている。
 白い割烹着に水仕事で赤くふくらんだ母の手首には、いつも、二、三本の輪ゴムがはまっていた。当時、輪ゴムは貴重品だったのか。

(中略)

 カレーライスとライスカレーの区別は何だろう。
 カレーとライスが別の容器で出てくるのがカレーライス。ごはんの上にかけてあるのがライスカレーだという説があるが、私は違う。
 金を払って、おもてで食べるのがカレーライス。
 自分の家で食べるのが、ライスカレーである。厳密にいえば、子供の日に食べた、母の作ったうどん粉のいっぱい入ったのが、ライスカレーなのだ。
 すき焼や豚カツもあったのに、どうしてあんなにカレーをご馳走だと思い込んでいたのだろう。
 あの匂いに、子供心を眩惑するなにかがあったのかも知れない。
 しかも、私の場合カレーの匂いには必ず、父の怒声と、おびえながら食べたうす暗い茶の間の記憶がダブって、一家団欒の楽しさなど、かけらも思い出さないのに、それがかえって、懐かしさをそそるのだから、思い出というものは始末に悪いところがある。
 友人達と雑談をしていて、何が一番おいしかったか、という話になったことがあった。その時、辣腕で聞えたテレビのプロデューサー氏が、
 「おふくろの作ったカレーだな」
 と呟いた。
 「コマ切れの入った、うどん粉で固めたようなのでしょ?」
 といったら、
 「うん……」
 と答えたその目が潤んでいた。
 私だけではないのだな、と思った。
 ところで、あの時のライスカレーは、本当においしかったのだろうか。
 若い時分に、外国の船乗りのはなしを読んだことがある。航海がまだ星の位置や羅針盤に頼っていた時代のことなのだが、その船乗りは、少年の頃の思い出をよく仲間に話して聞かせた。
 故郷の町の八百屋と魚屋の間に、一軒の小さな店があった。俺はそこで、外国の地図や布やガラス細工をさわって一日遊んだものさ……。
 長い航海を終えて船乗りは久しぶりに故郷へ帰り、その店を訪れた。ところが八百屋と魚屋の間に店はなく、ただ子供が一人腰をおろせるだけの小さい隙間があいていた、というのである。
 私のライスカレーも、この隙間みたいなものであろう。すいとんやスケソウダラは、モンペや回覧板や防空頭巾の中で食べてこそ涙のこぼれる味がするのだ。
 思い出はあまりムキになって確かめないほうがいい。何十年もかかって、懐しさと期待で大きくふくらませた風船を、自分の手でパチンと割ってしまうのは勿体ないのではないか。
 だから私は、母に子供の頃食べたうどん粉カレーを作ってよ、などと決していわないことにしている。
    --向田邦子「昔カレー」、『父の詫び状』文春文庫、2006年。

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私見になりますが……、随筆とかエッセーの類いというものは実は女性の手になるもののほうが巧いのではないだろうかと思います。

清少納言(966?-1025?)の事例をひくまででもなく、放送作家として知られる向田邦子女史(1928-1981)の文章もそのひとつで、彼女の傑作随筆集がうえに引用した『父の詫び状』です。

戦前と現在の記憶と思い出を往復しながら、生活に注目するその筆致は細やかで力強く、そして普段ひとびとが「省みることすらしない」(=省察の対象として俎上に載せない)「生活」そのもののもつ醜美善悪を「みずみずしく」うかびあがらせる文章にはおどろくばかりです。

日本の伝統的なライフスタイルにおいて、男性は働くモノ、女性は家を守るモノという不文律の掟があり(マアそれにも善し悪しがあるわけですが)、そうした既存の認識軸のなかでは、当然男性は働くことに執着し、「生活を省みる」ことはほとんどありませんし、現状としておそらくその「暇」もないことでしょう。そして家を守る立場の女性のほうでもそれはそれで「忙しすぎて」なかなか「生命活動」の現場である「生活」そのものを省察することがなかなかできてこなかったという状況を導いてしまいました。

そしたジェンダー的役割分担論に対する批判はここ20年来、大きくなっておりますし、そして旧態依然としたライフスタイルを反省させるという意味では、ひとつのチャレンジになったのだろうと思います。

認識軸は替わり、役割分担論を乗り越え、共同分担という認識軸を導いたとしても、議論として違和感がのこる部分も現実には存在します。それは、そこに生きている人間をやはりパワーゲームのひとこまと扱ってしまう思想の陥穽なのかもしれません。各自各自で還元不可能な生活の現場があるわけですが、いっしょくたんに役割議論で大鉈をふるってしまうと、それはそれで、実は切り落とされてしまう、かけがえのない部分もあるというと部分です。

なにもそうした現状をレコンキスタしようとする知的営みを揶揄し、前時代的な家族関係を、「教科書」論者たちのように復権しようというわけではありません。前時代的な前提は唾棄されるべきであり、改革論者のそれはしかるべき方向性であり、今後の新しい家族関係を構築するひとつの大きなヒントを秘めていることは疑いようもありません。

しかし、どのような構造を選択しようとも、大切なのは、そのコンテンツを意味あるものにたらしめていく当事者の真剣な省察なのだと思います。その意味で、思想が生活を牽引するのではなく、仕事、家庭、育児、すべての「生命活動」の現場である「生活」そのものと、思想・歴史・社会との不断の対話、吟味が生活者に求められているのだろうと思います。

その意味で、前時代的な家族システムを「大声」で「公共性の回復じゃ、ボケ」と叫ぶひとびとにも、また逆に、旧体制を批判し、髪を振り乱して、そして鬼の首でもとったかのように「おまえら、古いんじゃ、ボケ」と革命家気取りの知識人にも、ついていけない宇治家参去です。

要は「器ありき」ではなく、「どう器のなかみを充実させていくのか」そしてそのコンテンツによって「その器をいごこちのよい方向性へ変容させていくのか」というところなのだろうと思うのですが……。

と……。
話が脱線です。

向田邦子女史の話に戻ります。

この文章に初めてであったのは、高校一年の時の秋だったと覚えております。
ちょうど、「現代国語」〔略して「現国」というやつ〕(今あるのかしら?)の何かの問題集に出題されたいた「文章」として出会ったのが最初の邂逅です。

宇治家参去……お恥ずかしい話ですが、このブログの文章の通り、国語というやつが苦手な人種でして……、そのゆえ、比較的「現代国語」の問題集は意識して挑戦するようにしていたのですが、その挑戦の中でマアであったわけです。

「昔カレー」
向田邦子は、戦前の家庭の食卓の思い出をそのなかで語っておりますが、その思い出……同じ様な思い出を共有する「辣腕で聞えたテレビのプロデューサー」ですら、「答えたその目が潤んでいた」というような、懐かしく・温かく・そして遠くなったノスタルジアなのですが、それにどう向き合っていくのかひとつのあり方が示された一文です。

思い出したくない「思い出」もあれば、思い出さなければならない「思い出」もあります。

しかし……

「思い出はあまりムキになって確かめないほうがいい。何十年もかかって、懐しさと期待で大きくふくらませた風船を、自分の手でパチンと割ってしまうのは勿体ないのではないか。」

この一文をよんだとき、胃の腑をぎゅっとつかまれたようで、この時代に読んだ文章のなかでは一番感銘を受けた一文でした。

きちんとした問題であると、通例その「出典」が示されております。

それから、かたっぱしから向田邦子女史の文章は読んだものです。
おまけに弟にまで宣教活動し、自分以外にも「のめり込む」勢いで、そうなるとこちらも冷静になってくるので、「ハシゴを登らせて夢中にさせてから、ハシゴをとるなよ!」と言われたのもいい「思い出」です(ちなみに「ハシゴを登らせる」のは自分の得意技のひとつだろうと思います)。

で……
思えば、それが「ひとりを丁寧に集中して読む」きっかけになったのかと思います。
そんなことしておりましたら、大学入試の直前まで、現代国語の成績は上がらず苦労したのも、マア「思い出」のひとつとなっております。

今のあり方からすると理不尽ですが、厳格な父。
そして、何も不平をいわない母。
猫との生活で死ぬまで独身であった向田邦子女史のライフ・スタイルとは、徹底して自分の生活と向き合うという方向性です。

生活なんてどうでもいいよ!っていうのが、旧体制保持論者であり、新体制推進論者の常ですが、そこに喜びと発見を見出す無名戦士の言葉には、まさに驚きと発見があるばかりで……。

ひさしぶりに読み直しましたが、いいものです。

思えば、向田邦子女史の文章と出会ってから一〇数年を経て「倫理学」なる学問を教えるようになりましたが、倫理学の方法の基礎とは「身近なものごとに注目」することです。そしてそれを徹底的に歴史と社会、そして自分自身と不断の対話をくりかえすなかで、「これはどうなんだろう」「あれはどうなんだろう」と徹底的に吟味していく作業です。

そのひとつの基礎が、向田邦子女史の文章にちりばめられていたわけですが、その意味ではまさに「すべてに無駄はない」(短期観測をすれば、大学入試には直結しませんでしたが)のだろうと思います。

しかし……

「 子供の頃、我家のライスカレーは二つの鍋に分かれていた。アルミニュームの大き目の鍋に入った家族用と、アルマイトの小鍋に入った「お父さんのカレー」の二種類である。「お父さんのカレー」は肉も多く色が濃かった。大人向きに辛口に出来ていたのだろう。そして、父の前にだけ水のコップがあった。
 父は、何でも自分だけ特別扱いにしないと機嫌の悪い人であった。家庭的に恵まれず、高等小学校の学歴で、苦学しながら保険会社の給仕に入り、年若くして支店長になって、馬鹿にされまいと肩ひじ張って生きてきたせいだと思うが、食卓も家族と一緒を嫌がり、沖縄塗りの一人用の高足膳を使っていた」

結婚したとき、この話を思い出し、自分も「やったるぜい」などと息巻いていましたが、事態は逆のようで……そこがチト辛い宇治家参去です。

運が悪ければ……「父にとっては、別ごしらえの辛いカレーも、コップの水も、一人だけ金線の入っている大ぶりの西洋皿も、父親の権威を再確認するための小道具だったに違いない」ということはさらさらなく、「何もない」というのが自分自身の「小道具」となっているようで……。

強い亭主になれません。

久し振りに、古い「お父さん」のカメラでフィルムを入れずシャッターを切ってみる。

画は切り取られませんが、デジカメには再現できないその音はなぜか「昭和の音」がこだましておりました。

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