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ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だななどとだれにも言わせまい

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 ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だななどとだれにも言わせまい。
 一歩足を踏みはずせば、いっさいが若者をだめにしてしまうのだ。恋愛も思想も家族を失うことも、大人たちの仲間に入ることも。世の中でおのれがどんな役割を果たしているのか知るのは辛いことだ。
 ぼくらの世界は何に似ていただろうか。この世界は、ギリシャ人が、雲のかたちにでき上がりつつあった宇宙の起源にあったとする混沌に似ていた。わずかにちがっていたのは、この混沌がおわりの、真のおわりの始まりであって、この終わりから何かがまた始まろうとする端緒ではないと思われたことだ。世界がなお保っている力のありったけを汲みつくそうとするさまざまの変容を前にして、ごく少数の目撃者だけがこの神秘を解く鍵を見出そうと努力していた。しかしただ分かったのは、この混乱のためにいずれ現存するもののすべてが天寿をまっとうして死ぬだろうということだった。いっさいは、もろもろの病をしめくくるあの無秩序に似ていたのだ。つまり、肉体のすべてを結局は目に見えないものにしてしまう死が姿を現わすに先立って、いままでひとつのものだった肉がばらばらになり、数を増した肉体の各部分がそれぞれ自分勝手な方向に伸びだすのである。その結果ゆき着く先はかならず腐敗であり、もはやそこに復活ということはない。
 その頃、きわめてわずかの人だけが明晰な目をもっていて、すでにこの大きな腐りゆく残骸のうしろの見えないところで、さまざまの狂暴な力が動き出しているのを看破できた。
 ほんとうに知らねばならないものについて、ひとは何ひとつ知ってはいなかったのだ。というのは、人びとのもつ教養はあまりにややこしいものになっていたので、表面のしわ以外のものを理解することができなかったのである。教養なるものはもっともらしく秩序立てられた世界のなかで微にいり細を穿つたぐいの探究にわが身をすり減らし、その一方、ほとんどすべてのその道の専門家が自分たちの注釈しているテキストを正確に判読することもできない有様だった。錯誤というものはいつでも真実ほど単純ではない。
 ほんとうに大事なものにもとづいて造られたA・B・Cが必要だったのだ。ところが文字を読むことを学ぶ代りに、心からの煩悶のためにときどき眠れないことのあるひとたちは、さまざまの結論を想像するのだったが、そうした結論はすべていろいろの時代の退廃の比較検討から引き出されていた。たとえば、野蛮人の侵入、機械の勝利、パトモス島の幻覚、ジュネーヴや神へのさまざまの訴えにもとづく結論である。なんと世間は頭が良かったことか!
    --ポール・ニザン(篠田浩一郎訳)「アデン・アラビア」、『ポール・ニザン著作集1』昌文社、1966年。

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何かを忘れているんだよなア~と、市井の職場でまたまたアリエナイほど食品売り場のレジをうっているなかで、お客様へ笑顔を振りまきつつ、隔靴掻痒という一日で、これまた、

「(内規を無視したその業務で)今日は連続打刻時間記録更新か!」

……などと、花粉症に悩みつつ、頭のなかは頭蓋骨の中をシングルモルトのアイスがぐるぐるとその内側をこじ回すようにぐるぐるでしたが、幸い、休憩時間中に呼び出しはくらうことなく、学生時代に読んだ本を再読したところです。

サルトル(Jean-Paul Charles Aymard Sartre,1905-1980)のお友達だったポール・ニザン(Paul Nizan,1905-1940)の『アデン・アラビア』(ADEN,ARABIE,1931)がそれなのですが、それをむかし読んでいたとき、「青臭えな」と先輩からボソっと言われたことがまさに「青臭い」記憶の一コマですが、昔読んだ「青臭え」一冊というのは、オジサンになってから--“オジサン”という表記をしておりますが、自覚としては“オジサン”といより“ナイス・ミドル!”という自己認識ですが--、……もどります、すなわちオジサンになってから読んだ方が、“しっくり”くることが多いなアなどと思う昨今です。

ポール・ニザンは、盟友サルトルと同じく1905年にフランスで生まれ、処女作の『アデン・アラビア』を刊行したのが1931年、すなわち26歳の頃になります。ニザンは、グランゼコール(Grandes Écoles)や大学の教員・研究者を養成することを目的にする高等師範学校(École normale supérieure)出身ですから、将来は約束された経歴なのですけれども、その栄誉を捨て去り世界の現実に関わっていった人物です。

ニザンが青年の頃のヨーロッパの情勢とは、かのハイデッガー(Martin Heidegger,1889-1976)がナチスへ入党したとおり、ファシズムかコミュニズムかという二者択一という状況です。

ニザン自身は当初フランス共産党へ入党しますが、晩年は絶縁状をつきつけます。

そして第二次世界大戦の初頭、有名なダンケルク撤退作戦(1940)の渦中に戦死し短い生涯を終えます。

で……
ニザンの眼差しとは、入党以前からそうなのですが、現実をまじまじと眺め関わるというスタイルで、まさにアデン、アラビアといった中東の陽光で目が灼けつきてしまうほど、その過酷な現状を見続ける、そして関わり続けるというのがそれ生き方であり、それが昇華された作品です。

今の世の中もそうかも知れません。

ぶっちゃけ、材料として暗雲しか存在しません。

しかし、その暗雲の中で、苛烈に行動し、戦い、短い生涯を走り抜けたのが彼の人生なのでしょう。

ブルジョワ社会のなかで、約束された人生を送ることも可能だったはずです。
しかし、オリエンタリズム(サイード)というヴェールにつつまれたアデンへニザンは赴く中で、欺瞞に充ちた植民地主義の実像を目の当たりにし、裸のままでものごとに向かい合うことの大切さを本然的に理解したとき、相手が暗雲であろうとも、ヒトラー(Adolf Hitler,1889ー1945)であろうも、そして何であろうと“戦う”人生というものを選択したのだろうと思うものです。

人間とは不思議なもので、生まれたままの社会に対する深い愛着をどこかでもっております。それはまさに赤子が慈母をしたうがごとく、その風土・環境・文化に対する「育まれた」感情かも知れません。

しかし長ずるにつれ、それと同時に自分の生きている社会の欺瞞や偽善に気づき、そこで生きていくことに、不安感や憎悪する気持ちを持って「なんなんだてめえ」式に憤怒し、苦悩する局面も存在します。

その憤怒や苦悩を、苦労を諦めて生きるのか、それとも(その結果が憤死になろうとも)あえて挑戦していくのか--選択は簡単です。

そしてそうした訓戒は古より存在するのは承知の助で、そうした挑戦が裏切られてしまうことの方がパーセンテージ的にはマジョリティなことも承知の助なのですが、「それでもなお」そのように選択すべきか……。

ニザンの著作を紐解くと、「挑戦し続ける」ということの意味や重大性は痛感せざるを得ないところです。

『アデン・アラビア』を読んでいると、二ザンの激しく純粋な、そして美しい怒りは、心にひだに、まさに鋭利なナイフのように染みこんできます。

「青臭い」……。
確かに議論としては「青臭い」です。
しかし感情としての「青臭さ」を欠如してしまうと、年齢に関係なく青臭さだけでなく、人間としての「溌剌さ」も失ってしまうのかも知れません。「青臭い」というのは方法論的な組み立て方が一切ない「感情」なのでしょう。しかしその「感情」がないと感情を具現化する「方法論」を組み立てようにも組み立てようがございません。

二ザンの時代と今の時代は違う時代だ!……呑気に、そして評論家風に「評する」ことはたやすいことです。

ニザンと進む道が異なっても、そして発想も違ったとはしても、なにか自分が違和感を感じることに対して、その感覚を「シカタガナイ」と退けるのは早計かも知れません。

「どうなんだ?」と怒りを持って生きてゆかないと、“オッサン”になったとき、この本を再び繙くことはできないんだろうな……などと思うこと屢々で……。

などと……感慨に耽りつつ、愛吸の紙巻き煙草マルボロ・メンソールに火をつけたところ、不思議なことに、軍歌が脳裏をこだましました。

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「雪の進軍」
作詞・作曲:永井 建子

一、
雪の進軍氷を踏んで
どれが河やら道さえ知れず
馬は斃(たお)れる捨ててもおけず
ここは何処(いずく)ぞ皆敵の国
ままよ大胆一服やれば
頼み少なや煙草が二本

  ……

http://www.youtube.com/watch?v=ELvCVDLFauk

http://www.youtube.com/watch?v=kDIVRjoFmG0

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残り2本かあ……。

というところで、冒頭の「何かを忘れているんだよなア~」というわだかまりが、軍歌の音色によって、その当体が顕わになりました。

2月の頭に、教鞭を執っている短大の卒業式後の謝恩会の出欠の連絡が来ていたのですが、返信〆切が金曜日までだった……このまま放置するわけにはいかないので、遅ればせながら担当者へメールを送信、「リミットすぎて申し訳御座いません」。

例年、卒業式を迎え、謝恩会なんかに参加させていただくと、まさに、このイベント、また人生の区切り点というのは、「それがひとの一生でいちばん美しい年齢」なんだろうな……などと至極痛感するところですが、実は、それはひとつの出発点にすぎません。

その意味で、卒業してから10年、20年経ったあとで、「それがひとの一生でいちばん美しい年齢だななどとだれにも言わせまい」、「戦っている今こそ一生でいちばん美しい年齢だ」と言って欲しいと思うある日の宇治家参去であり、自分自身も、そう勇気をもって語れる自己自身でありたいな……などと決意する“ナイス・ミドル!”でございます。

蛇足ですが……

担当者様、また関係各位……スンマセン!

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