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死ぬまで初学者のようです

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 ユダヤ人から見棄てられ、キリスト教徒から見離されたマホメットは、今度は自分の方から積極的にいわばイスラエル宗教の二台先輩ともいうべき両者にぴしゃりと絶縁状を叩きつけたのだった。自分たちの外部には誰一人頼りになる者はない、しかしその代わり自分たちは天下に誰はばかるところもない卓立無依の境地を拓いた、この自由無碍の感慨を籠めてマホメットは新しいキプラを決定した。礼拝時の祈禱の方向を決めるといえばつまらない事のように聞こえようが、実はその意義は非常に大きいのだ。それによってはじめて、本当の意味においてイスラームという一つの新しい宗教が誕生したのであるから。同時にイスラームは思想的、神学的にも深まってきた。
 イスラエル的人格一神教の正統を継ぎながら、しかもユダヤ教でもなくキリスト教でもない宗教、それらの堕落した歴史的宗教よりもっともっと本質的で、もっと純イスラエル的な宗教でそれはあらねばならなかった。歴史を超えた宗教、「永遠の宗教」(ad-din-al-qaiyim)の本当に直接の体現でなければならなかった。マホメットはそういう永劫不変の宗教の象徴としてアブラハムを見出した。イスラームは一つの新しい宗教なのではなく、むしろ本質的に旧い宗教なのである。イスラームは「アブラハムの宗教」の復活にほかならない。この意味で旧い宗教の信者を「ハニーフ」(hanif)と呼ぶ。ユダヤ教の信者でもキリスト教の信者でもない「永遠の宗教」の信者だ。アブラハムは史上最初のハニーフであり、従って彼こそ最初の「イスラーム教徒」である。
 「汝、ハニーフとなりて顔を揚げ、この宗教に向え。これ人間を創造し給えると同じ働きにて神の創造し給いしものなり。神の創造には時空転変あることなし。さればこそ永遠の宗教なるに、それを知る人は極めて稀なり」(コーラン第三〇章二〇節)。永遠の神はその永遠性にふさわしい永遠の宗教を創造してアブラハムに託した。歴代の預言者は相継いでそれを伝えて来た。しかしながら、すべて永遠的なるものは歴史の地盤上においてのみはじめて受肉して現実となると同時に、歴史的現実となることによって人間的なものに汚染し、次第に歪曲されて行く宿命をもつ。アブラハムの宗教もまたこの鉄則の例外ではあり得なかった。今やマホメットは歴史の流れの中で堕落し原型を失った永遠の宗教を再びアブラハムの昔に、純粋無垢な宗教としての本来の姿にそれを返そうとするのである。しかしながら、彼自身のイスラームも、また一つの歴史的現実として、やがて千転万変の運命の波間に放浪して行くであろうことを、果して彼は考えなかったのであろうか。
    --井筒俊彦『マホメット』講談社学術文庫、1989年。

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専門としては、ユダヤ=キリスト教の教義学が実は専門になってきますので、古典ラテン語とかヘブライ語に関しては初級文法はすませ中級以上はマスターしている自負もありますので、写本とかマイクロフィルムの原典でなければ、煙草で休憩しながら辞書をひきひきなんとか解読することは可能です。古典ラテン語に関してはそれでも上級だろう~と自負している部分もあるので、ローマの古典作家に関しては難なく?読むことは可能ですが、著しく乖離した中世ラテン語きびしく、それがマア目下の課題となっております。

ただ、専門が広い意味での「神学」とはいえ、神学と隣接する哲学とか宗教学にも「深く」首を突っ込んでいますので、現代西洋語(英・独・仏)の文献は、それよりもまだマシなレベルで、「読む」「書く」ことだけは可能です(ただ「語学」として教えることは不可能です)。

そのため、本来、キャリアアップのために真剣にチャレンジしなければならない中世ラテン語とか、ヘブライの上級、それと関連するギリシャ語(対応できるのは現代ギリシャだけで、古典ギリシャはNGですが)とかをブラッシュアップすべきなのですが、「幅広く」という意味ではアラビア語もなんとか読めたほうがいいよな~と最近とみに実感しております。

流通言語とか文化としてはヘブライズムとイスラームは火に油の関係ですが……これは最も政治的な影響関係が大だと思うわけですが……それでもなお「啓典の宗教」として根は同一だと考えると、イスラームに関しても言語レベルできちんと押さえておかないとマズイよなという思いがあり、それなりにユダヤ=キリスト教関係の文献が現代ローマナイズされたものを読めればそれでいいじゃんということで、それを徹底的に深めず、あらたなイスラーム、アラビア語に関してもぼちぼち挑戦してもよいのじゃないのかな~などと思う昨今です。

細君からなどすれば、そんなわけのわからぬ言語に挑戦するより、フランス語なりドイツ語なりの「一般教養」の「外国語」で「飯を食っていける」ように「科目」として「定式化」するレベルに上げたほうが良いといわれるわけですが、一研究人としては、それでは自分のナニが深まるような気もせず、忸怩たる部分です。

特に本朝においてはイスラーム学とキリスト教学の乖離が著しく、できるひとはできるのですが、できないひとは(自分も含めて)できないわけで、個別の歴史的制度的宗教を本当に「神の眼」?で見るならば、まったくことなる他者を理解するための仕込も必要だろう……そのように思う昨今です。

博論と個別研究が終われば、ちとアラビア語に挑戦してみようかなと思う昨今です。

とか……いうまえに、花粉症酷く、細君が「べにふうき茶」なるものを買ってきてくれましたが、効くかどうかわかりませんが、「濃厚」なわりにはまったく「苦み」がありませんでした。

とりあえず生涯チャレンジャーの歩みは辞めたくないものです。

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