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僕は人生に退屈したけど、歓喜地に到る

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大工の弟子

僕は都会に行き
家を建てる術を学ぼう
僕は大工の弟子となり
大きな晴れた空に向かって
人畜の怒れるやうな屋根を造らう。
僕等は白蟻の卵のやうに
巨大の建築の柱の下で
うじうじとして仕事をしてゐる。
甍(いらか)が翼を張りひろげて
夏の烈日の空にかがやくとき
僕等は繁華の街上にうじやうじやして
つまらぬ女どもが出してくれる
珈琲店(カフエ)の茶など飲んでる始末だ。
僕は人生に退屈したから
大工の弟子になつて勉強しよう。
    --萩原朔太郎「大工の弟子」、三好達治選『萩原朔太郎詩集』岩波書店、1981年。

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市井の仕事が休みの日の場合、本来は本業の仕事に手をいれるべきなのですが、ちと萩原朔太郎(1886-1942)の詩集でもさやさやとめくりながら、日がなまったりとしていようと思っていた矢先、細君の自動車の免許が更新とのことで、手続き終了後、街で待ち合わせてして買い物につきあえ、とのことで早朝からたたき起こされて気分のすぐれぬ昨日です。

3月にしては寒い一日で、雨もちらほら。
時間をかけて買い物後、帰宅するともう夕刻にて、

「まったく〝人生に退屈したから〟どこか連れて行ってくれ!」

……などと懇願すると、あっさりOKのようで、これだから人間の人生は退屈と冒険の中間にあるのかもしれません。

……ということで、子供が幸い帰省して不在なので、子供を連れていけない?ところへということで、ハードな大人向け、大人の隠れ家的な焼き鳥専門店へ二人で向かい、ひさしぶりに本物の焼き鳥を味わってきました。

ぼんじり、ねぎま、ささみ、もも、せせり等々をたれと塩で堪能です。

おじゃましたのは近所にある「かんきち(歓喜地)」という小さな焼鳥屋で、カウンターと3テーブル程度の座敷程度というほんとうに小さな焼鳥屋さんなのですが、これが出てくるものが本物ばかりで、小さな子供さんが食べることのできるようなものはないことはないのですが、これはやはり大人同士で、喰いつ喰われつ、酒を呑みながら味わうというのが乙な雰囲気です。

2回目ですが、焼き鳥よりも楽しみにしていたのが、「自家製鳥ハム」。

おそらく薫製はしてないのでしょうが、塩漬け熟成させ、味わいが凝縮されているにもかかわらずさっぱりとした鳥の肉は、大山の地鶏で、薄肌色のハムに新鮮な葱と胡瓜をのせて、これもおそらく自家製なのでしょう、芥子マヨを少しつけて食べると、不思議なものですが、たちまちに幸福になってしまうという始末で……。

「なにか面白い酒はありませんか?」

ということで、登場したのが「淡麗辛口 東の麓 十五代」(山形)。

「十四代とは〝全く関係ありませんが〟おなじ山形の酒で、かなりイケますよ」

……とのことで、一献。

これが「切れ味抜群」なのですが、「味わい」が糸をひくというツワモノで、知られざる銘酒に驚くばかりです。

天然川海老の素揚げも、塩が効いていてこれまた旨かった!

「人生に退屈」しようとすると無理矢理「退屈にさせられない」環境があるのは身の福運かな?などと思いつつ、これから仕事が六連チャン。ひさしぶりに疲れそうです。

しかし、名前がいいですねえ~「歓喜地」。
「かんぎじ」と読めば、菩薩の修行の位のひとつだそうで、「仏法を信じ、一切衆生を救済しようとの立願を起こし、ついには自らも仏になるという希望を持ち歓んで修行する」ことだそうです。

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