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キリスト教布教史におけるひとつの特異点……明治日本の場合

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 世界の宗教社会史とでもいうべきものを検討するならば、われわれは、新しい世界宗教への改宗が、それらの宗教の教義とはほとんどかかわりなく、主として集団的改宗という形態で行われたことを見出すであろう。それは近代市民社会の出現に先立って進行したから、共同体からの個人の解放がみられないままに、共同体ぐるみの改宗という形をとることになったのである。逆にいえば、市民社会とそのなかでの個人とが現われた段階では、すでにその社会はキリスト教社会であったのであり、したがって、キリスト教からの個人の脱出や、キリスト教自体の新しい展開=宗教改革は問題なりえても、キリスト教への個人的改宗はありえなかったのである。

(中略)

 日本におけるキリスト教の歴史を考察する場合には、一般に三つの源流があげられる。植村正久らの横浜バンドと同志社大学の基礎をきずいた熊本バンドと内村鑑三らの札幌バンドである。しかし、これら三つのグループにおいても、キリスト教への改宗は形態的には一見集団的であるが、共同体的規制の働かないところで、一人一人の改宗として行なわれ、新しい同じ信仰をもったものが互に力をあわせるという意味で、グループを形成したのである。(九頁)
    --隅谷三喜男『日本の社会思想-近代化とキリスト教』東京大学出版会、1968年。

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いわれてみるとマアそうかと思うことでありながらも、よくよくその内実を検討してみると見過ごすことの出来ない、新しいあり方の萌芽を見て取ってしまうということがタマにあるわけですが、うえの考察なんかもそのひとつなのかもしれません。

たしかにキリスト教の歴史を振り返ってみますと、一代イベントとなった宗教改革後の混乱を経ての新旧両派の棲み分けは、1555年のアウグスブルクの和議(Augsburger Reichs- und Religionsfrieden)に端を発するわけですが、そこで議論にされたのは、ひとりひとりの個々人の信仰の選択という問題は御座いません。信仰の選択は都市や領主が決定するものとの保証であり、言うなれば、その地域の領主の選択した宗教が地域の住民の宗教であるとする法令であります。このあとヨーロッパでは30年戦争を経て、新しい時代軸へと切り替わっていきますが、以後、領主の選択した宗教が公の宗教であるとする領邦教会制は確固とした構築物として制度化されていくのが歴史の流れです。

もちろん、信教の自由の保証された地域の現在においては、それも過去の遺産と見るムキもありましょうが、上述の経緯や、反宗教改革の流れで始まった新世界へのカトリック布教の歩みを振り返ってみますと、やはり集団改宗ありきという構造がメインストリームであったことを考えると、完全なる個人への還元主義的宗教としてキリスト教を見る見方というのは、レアで歴史的にはなかなかあり得なかった状況なのかもしれません。

いわずもがなですが、隅谷氏が指摘するとおり「それは近代市民社会の出現に先立って進行したから、共同体からの個人の解放がみられないままに、共同体ぐるみの改宗という形をとることになったのである」わけで、「キリスト教からの個人の脱出や、キリスト教自体の新しい展開=宗教改革は問題なりえても、キリスト教への個人的改宗はありえなかった」時代においては、集団改宗ありきで、どこまでも個人の問題が射程として浮かび上がってくることはなかったのは承知でありますが、それでもなお近代社会とはほど遠い、丁髷切ったか切らなかった時代において、その挑戦をうけきったというのは前代未聞の状況なのだろうと思います。

本朝においては、江戸時代に整備される本山-末寺制、戸籍管理に端を発する(と同時にキリシタンのあぶり出し)寺請け制度の伝統のゆえか、宗教とは「共同体ぐるみのあり方」(と同時にその共同体と相容れない存在を二項対立させてゆく村八分的暴力の権化)という側面がつよいわけですが、逆に言えば、そうした土壌があったこそ、明治以降再渡来したキリスト教は、共同体にはいっていくというよりも、個々人の内面の問題・救いの問題として入っていくというのはキリスト教史においてひとつの特筆すべからざる問題だったのだろうと思われます、あまり省みられることはありませんけれども。。

再渡来後、100年以上経過したわけで、教勢が勢いよくふるうわけではありません、まさに宗教文化史・宗教社会史的にその拡大のあり方をみるならば、人類の歴史におけるひとつの挑戦であり、あたらしいあり方の功罪をあざやかに示してくれているのかも知れません。

思うに、宗教とはどこまでいっても「個人への極度の還元主義」と表現した如く、どこまでいってもそれはその当人の問題であるゆえに、まさに個々人の問題なのでしょう。しかしながら、それで終わってしまうと単なるスピリチュアルに終わってしまう。だからこそ制度化され組織化されるなかで、相互啓発・激励・叱咤の共励共同体をどうしても必要とし、そこで共同体の問題になってくるのでしょう。

これはどちらが先というわけではありません。

個々の立場から共同体を刺激し、共同体の立場から個々の立場を刺激する……その共振関係のなかで、個々の信仰者の信仰が育まれ、ともに思い悩むそしてともに喜び合う仲間との成長があるのかもしれません。

明治初期のクリスチャンたちも同じだったのかも知れません。

数々の反撥をうけながら、信仰を選択し、そして同信の仲間たちと相互にそのあり方を検討しながら、歩みを辞めなかったのがその歴史かもしれません。

前述したとおり、全般としてみるならば、アウグスブルグの和議的、習俗共同体優先でその布教が展開したのがキリスト教の歴史でありますが、そうしたあり方とはちがう歩みを示して見せたのが、近代日本のキリスト教の歩みです。

そこには、世界宗教として何が必要で、何が問題なのか……さまざまな宝の山がつまっているように思われて他なりません。

近代日本のキリスト教史とはある意味では、信仰を選択した第1世代の苦悩のドラマの積み重ねかも知れません。それに対して西洋におけるキリスト教史の巨人たちの歩みとは、うまれたままそうだった……という第2世代、第3世代のひとびとがあたえられた構造を内面化してくドラマに相当するのかも知れません。

こまかいところはまったくつめておりませんが、大雑把に見てみるならば、そういう図式で眺めてみることも可能かもしれません。

……などと飲みながら考えておりましたが、ひさしぶりにスーパードライを飲んでみると「辛かった」!。

むかしは、ビールといえばスーパードライという人間で、その世代に属する一員であることを至極実感しておりますが、最近はめっきり手に取ることが少なくなり(嫌いなわけではありません、ダイスキですが)、ひさしぶりに飲んでみますと、旨いのですが、「辛かった」。

のどごしの旨さは昔から分かっていたつもりですが、この「辛さ」がわかるようになると大人になれるということでしょうかねえ。

冷蔵庫にあった「徳島県産の菜の花の芥子和え」の「鼻に抜ける」辛さも〝春の訪れ〟を予感させるようで、辛さと辛さが共鳴しあう深夜でございます。

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