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具体的な倫理的問題に満ちている時代であるという現実に出会って苦慮している

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……倫理的体系についての学問的な問いなどは、およそ問題の中でも最も無意味なものであるように思われる。このことは、われわれの時代が倫理的に無関心な時代であるからではなく、かえってその逆に、われわれの時代が、未だかつて西欧の歴史に見られなかったほど、具体的な倫理的問題に満ちている時代であるという現実に出会って苦慮しているからである。既存の生の秩序が確立している時代であれば、(中略)……倫理的なことが、理論的な問題として、世人の関心事となるであろう。
    --D.ボンヘッファー(森野善右衛門訳)『ボンヘッファー選集 4 現代キリスト教倫理』新教出版社、1962年。

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水曜日は休日の所為か、昨日はしたたかに飲んだようで、細君が朝早く起きたときにも飲んでいたようで、それから眠り昼過ぎに起きたわけですが、気分よく寝ているわたしのうえに馬乗りになって起こす必要はないのではないだろうかと思う次第です。

まさに現代は「具体的な倫理的問題に満ちている時代」であることは間違いありません。

嫌な離床状況をしたわけですけれども、早々にアタマを切り替え、ちょいとのこっていたレポートの添削をすませたあと、論文用の史料を精査してから一服、このまま家で引きこもるのもなんだかな……ということで、雨の降りしきる武蔵野の原野をひとめぐり……とはいかず、本屋へ寄ってから、「サア今晩は何か乙な酒でも飲んでやろう」と思案し、地酒屋へいくも「本日定休日」!!!。

いわゆるこれを「がっくし」とか「orz」とかいうアレなのでしょう。

とりあえずコンビニで3/4より発売開始となった限定ヱビスビール「シルクヱビス」を10本買ってから、喫茶店にてディートリッヒ・ボンヘッファー(Dietrich Bonhoeffer,1906-1945)を身読する。

うえに引用したのがボンヘッファーの言葉になりますが、彼はドイツの福音ルーテル派の牧師にして、20世紀を代表するキリスト教神学者の一人であります。有名な史実としては、終始一貫してヒトラー(Adolf Hitler,1889-1945)の政策・思想を批判し続けた人物で、ヒトラー暗殺計画に加担したために、別件逮捕のすえ、ドイツ降伏直前の1945年4月9日、絞首刑で最後を迎えてしまいます。

ちなみに、ベルリン大学で最高成績で学位を取得しておりますが、決してアカデミズム一辺倒の石頭ではありませんし、現実を等閑視する役人的聖職者でもありません。

つねに、生活のただ中で同苦しながら独歩する生涯……それがボンヘッファーの生涯かも知れません。合衆国留学時代には、アフリカ系アメリカ人の差別の問題に直面し、そのなかで同時代人として苦闘するマハトマ・ガンディー(Mohandas Karamchand Gandhi,1868-1948)の言葉も耳を傾けながら、理念を現実の生活空間のなから立ち上げようとした生涯なのかもしれません。

ちょうどうえに引用した文章は、1940年頃のもので、ボンヘッファーがまさに「同時代人」として反ナチ抵抗運動に参加し、ユダヤ人たちへの受苦への深い共感……仏教的に表現するならばこれが「同苦」なのでしょう……を抱きながら活動に挺身する時期にしたためた一節です。

具体的な倫理的問題に直面し苦慮している時代には、たしかに倫理的体系をめぐるアカデミックな議論など、「問題の中でも最も無意味なもの」なのかもしれません。ボンヘッファーがつづった情熱は、死後60年以上を経た今の時点でも、強く共振できる響きが存在します。否、むしろ現代においては、その当時よりも、具体的な倫理的問題(状況倫理)は複雑化し、錯綜しているのが現実です。

こうした状況に対してどのような道があるのでしょうか。

振り返ってみるならば、理念(神学の文脈でいえば教義・教理)から弾呵するというのもひとつの手なのでしょう。そして、対処療法的なワクチン接種のアプローチもありなのでしょう。現状ではそのふたつで、進行するなにがしかを弛緩させようとするアプローチがほんとどです。

別にそれを否定しようとは思いませんし、挑発的なボンヘッファー自体、理念先行型のアプローチも、現実対処型の革命家的アプローチを否定しているわけではありません。

ただ、その両者に挑戦しながら、第3の道を模索しているというのが実情でしょう。

前者が「啓蒙主義的なルミナス」の「野蛮さ」であれるとすれば、後者は、「直截療法的な原始」の「野蛮さ」なのでしょう。

どちらも現実を批判する力とはなり得ても、現実を善処する方向へ傾かないことが多いのが通例です。

その引き裂かれた現実の中で、道を模索したのが彼の生涯なのですが、苦しいことに、その両者からの批判は苛烈であり、足をひっぱったのがその実情だと察せられます。

どこか遠いところから野蛮を指摘することは可能です。

しかし、それ自体がひとつの野蛮にほかならず、ボンヘッファーは自分一人が「野蛮」を引き受けることで、ヒトラー「暗殺」計画に同意したのではないだろうかと思うほどでございます。

それはそれとしておいておくとして……。

いずれにてしも、理論をありがたがるのでもなく、現実しかないぜと嘯くのでもなく、その両者の相関関係からしか、リアルな理論も出てこないし、現実をうち破る本当のちからもでてこないのかなと……実感する宇治家参去です。

……と、書きつつ、今日もはやくからはじめたので飲んでおりますが、「シルクヱビス」はまさに「絹のように、なめらかな口当たり」でございます。

宇治家参去としては、「なめらかな口当たり」よりも「琥珀ヱビス」のような、ちょゐとコクの効いた味わいのほうを所望するわけですが、これはこれで、季節のビールとしてはいいものなのでしょう。

とくにあまり飲まない女性が、「ふぅぅぅぅ」と一缶ぐらいのむのに相応しいビールかも知れません。

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