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間接的な関係が個人的な関係よりも深くて、より能動的に作用する場合もある

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 人間存在の最も重要な印である人間性の精神的な特質は人間の労働による物質的生産物からでなくて人間の隣人との、自分自身との、そして世界における究極の精神的な実在との精神的な遭遇を通して知られる。人間の隣人との遭遇には二つの種類があって、個人的な関係を持つようになった同時代人との遭遇があり、また目で見、耳で聞き、書かれた知識によって間接的に知ることになる現存の、あるいは故人との遭遇がある。なぜ、私達が個人的に会ったことのない人々について知識を持つかと言うと、彼らがなんらかの衝撃を私達の生命に与え、あるいは私たちがそう信じるからなのである。そして間接的な関係が個人的な関係よりも深くて、より能動的に作用する場合もある。故ケネディ大統領は彼が一度も会ったことがない何百万人もの同時代人にきわめて強い印象を与え、その死は広く人類にとっての個人的な死別であるかのように世界中でひしひしと感じられたのである。しかしケネディ大統領の同時代人への影響はその強さ、および結果の大きさの展で釈迦、老子、孔子、キリスト、マホメット、マルクス、ガンジーが後世に及ぼした影響とは比較にならない。これら高度の宗教、および哲学の諸派の創始者たちは彼らの生存中には生まれていなかった無数の人々に影響を与えている。また数え切れないほど多くの場合、彼らに一度も会ったことがことがない人間に現に会ったことがある人よりも深い影響を与えて来たのである。
    --A.J.トインビー(吉田健一訳)『現代が受けている挑戦』新潮文庫、平成十三年。

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久し振りに……でもないかナ……、10時間程度寝てしまい、起きると正午の峠ははるか後方におきざりにしたような時間で、家人も外出でだれもおらず、チト酒のこっているな~などと顔を洗い、本業に向かい会う宇治家参去です。

さふいえばむかし、近所のおじいさんに「長く床につくことができるのは若い証拠だ! 赤ちゃんはなんぼでも眠っているだろう」などと教えていただいたことがありますが、その意味では、宇治家参去はまだまだ若いということでしょう。

で……
ゴールデンウィークは市井の仕事で例の如く連勤になってしまいますが、水曜は運良く、嵐の前の静けさのような休日を迎え、がっつりと寝かせても頂いたのでございます。

起きてから、サア、仕事にとりかかるか……と思った次第ですが、連休明けが〆切のレポート添削を終えると、博論とか紀要論文に手を入れる気力が萎えてしまい、ちと気分転換に……とぶらぶらしてしまいました……ってをゐっ!。

たまにはぶらぶらと称されるリフレッシュも必要ということにしておきましょう。

大学にレポートを返却するためにヤマト運輸の営業所まで歩いて向かい、その足で近所をぶらぶら……といっても1時間ぐらいのまさに無目的の散歩ですが、なにか風や草の匂いに季節の変化を感じることができたのはひとつの収穫かもしれません。

五月になると日に日に暑くなってきますし、四月初めだとチト肌寒いのが常ですからこのくらいの日和が一番いいのかもしれません。

さて……
帰宅すると、仕事……この場合の仕事とは学問の仕事のこと……もせずに、せっかくの休日をぶらぶらしちゃって!と細君になじられるわけですが、たまにはそうした「何もしない」休日も必要でしょう。
※といっても、何もしなかったわけではなく、レポートは添削したわけで……言い訳?

で……。
通信教育部で担当しているのが『倫理学』というシャイでナイーヴな学問になります。
今月はたくさんのレポートが送られてきたようで、勘定してみると夕方返却した17通を含め返却記録を確認したところ、なんと今月は85通と計上され、昨年比倍です。

課題内容の更新があったりもしましたのでそうなったのでしょうが、ひとつひとつのレポートを読んでいると面白いもので、手書きの文字に書き手の風貌を感じたり、書かれている内容や思索の跡にその人柄を偲んでみたりと、朱をいれつつこちらのほうが、様々な人生体験をさせていただいているように感じて他なりませんでした。

詳しくは措きますが、例えば中部の御婦人のレポート。

「母は一家の太陽であったほうがいいので、そうするよう心がけておりますが、太陽にこだわりすぎると、主人からは“太陽が照りすぎると日照りの水不足になるように、こちらが火傷してしまう”などといわれてしまいます。たしかに太陽であったほうがいいのですが、意識しないで輝くように心がけたいです」(趣意)。

レポートの地の文ではありませんが、余白にコメントのようかかれておりました。

まさになるほど!

……というわけで、太陽でありつづけると大地に滋養をもたらす雨をさえぎってしまいますから、自然に輝き続けた方がベターだよな……などと思った次第です。
※読者諸兄、なんでこれが「倫理学」?ってつっこみは控えるべし!それが不思議なことに「倫理学」なわけですヨ。受けてみると目から鱗というヤツです。

世紀の歴史家トインビー(Arnold Joseph Toynbee,1889-1975)のいう「人間の隣人との遭遇には二つの種類があって、個人的な関係を持つようになった同時代人との遭遇があり、また目で見、耳で聞き、書かれた知識によって間接的に知ることになる現存の、あるいは故人との遭遇がある。なぜ、私達が個人的に会ったことのない人々について知識を持つかと言うと、彼らがなんらかの衝撃を私達の生命に与え、あるいは私たちがそう信じるからなのである」というのはまさに真実なのでしょう。

人間とは不思議な生き物で、その媒介が文字であれ、音声であれ、ネット環境であれ、時間と空間を飛び越え、様々に影響し合えることができる存在なのだなということが実感されて他なりません。

全く脱線しますが、自分が学部の学生の頃は、トインビーの作品、例えば主著『歴史の研究』(「歴史の研究」刊行会、1966年)なんか比較的良く読まれたものです。じわじわと、大きな見取り図として歴史とか文明を論じるスタイルは退潮傾向にあったのも事実ですし、そうした「類型化」が現実の生を引き裂いてしまうことも承知ですが、人間には、やはりある程度の水先案内人は必要なのでしょう……トインビーの文明論を思うとそう思うところしばしばです。

隣人から学びながら、自己を省察し、世界とかかわっていく……そこに生きる意味とか学ぶ意味とかありそうです。

……ということで、夕刻、財布をわすれて散歩したものですから、煙草を買ってしまうと200円しか燃料がなく、その他のリキュールでお茶を濁す宇治家参去です。

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