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【研究ノート】今日の倫理学の殆どすべてにおいて置き忘れられた二つの最も著しいものは、幸福と成功というものである

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典型的でした。

「おれは勝ち組だからなッ!」

しかし、それは自分でいっちゃダメでしょう……危うくひとりつっこみが声という音としてはっせられしまいそうになりましたが、のみこんで応対です。

市井の職場にて、いわゆる「責任者だせやッ!」ってパターンで、呼ばれて応対すると、クレジットカードのオンライン決算がとおらないとのことで、「なんなんだ」とのご様子。カードに不備(破損)があるわけでなく、機械的に問題もないのですが、エラーではじかれるとのことで、電話で承認をとって手書き対応……。

理由は不明なのですが、おそらく回線上の問題なのでしょうが……たまにあります。たまにあるとだいたい、現金決算で案件クローズというやつですが、「なんでおめえ理由わからねえんだよ」ってことですが、カード会社でもわからず、こちらも平謝り?です。

時間がかかったことにご立腹なようでした。

リミテッドのプラチナカードを使っていたからなんでしょう……「おれは勝ち組だからなッ! おめえらと違うんだよ、ボケっ」……とのことだそうですが、マア人間とは同一人物がふたりとこの世に存在するわけではない、還元不可能な差異が無限にひろがるわけですので、「おめえら」と「わたし」は「違う」ということは倫理学徒として重々理解しておりますし、ぎゃくに「おまえ、おれと一緒だよな」とされてしまうことには激しく抵抗してしまうのが人情ですが……。

ぼちぼち桜も花びらを解き放ちはじめましたが、その桜であっても木とか種類によって、開花のペースがちがうんだよな~などと出勤時、桜の花びらを愛でつつ、還元不可能な差異を実感しておりましたが……

それでもなお、「おれは勝ち組だからなッ!」

……そいつぁア、自分でいっちゃだめでしょう……マジで危うくひとりつっこみしてしまいそうになるある日の夕暮れです。

とわいえ、ここにも考えるヒントが存在するのが人間世界の面白いところです。

こちらの不手際?でご迷惑をお掛け申しあげた今回の御仁、たしかにご迷惑をおかけして恐縮なのですが、そのことばすなわち「勝ち組」(それと対語になる「負け組」)に注目すると、現代の社会において、第一の尊ばれる価値とは何かと問うた場合、それはまさに「成功」というキーワードになるのだろうと思います。

そして踏み込んで表現するならば、成功=幸福であるとする大いなる誤解がこの世で深く流通しているという事実なのでしょう。

たしかに失敗するよりも成功した方がいいし、負けるよりも勝った方がいい。

しかし、それだけでもないんですよね。

ふり返ってみると、面白いことに、倫理学の対象として「幸福」が話題になることがあったとしても……“あったとしても”というよりもむしろ主要な考察対象になりますが……、「成功」そのものが深く省察されたことはほとんどありません。

そしてその流れを辿ってみると、20世紀あたりから、倫理学の主要な対象として「幸福」が論じられることが稀薄になっていったのに対して、著しく力をつけたのが、「成功」という概念です。

しかし、倫理学の議論においては「成功」は論じられたことがほとんどありません。その意味では、幸福=成功ではないのでしょう。

これはなにも「負け組」の一員である人間の「引かれ者小唄」的なルサンチマンではありません。

金もないよりはあったほうがいいし、病んでいるよりも健康であった方がいい。しかし、まさに「それだけでもない」というのが人情なのでしょう。そして人情というならば、苦労してそこから学ぶ、というよりも、中途を省いて一挙に成功するのが労少なくて「アリガタイ」とおもうのもそうですが、それでもなお、「それだけでもない」んですよね。

その意味では、下の引用した戦前日本を代表する知識人・三木清(1897-1945)の文章に学ぶことは大いにあると思います。ちなみに三木清の文章はわたくしぐらいの世代ですとわたくしから見て祖父・父母ぐらいの世代ではよく読まれたようですが今ではどうでしょうか?

ということで、課題がふたつ。

1.退潮傾向にある「幸福論」をもういちど徹底的に吟味すること。幸福感も大切ですが幸福観の探究の必要性と深化。

2.成功とは何か、幸福との関係をめぐって思想史的に位置づけることの必要性。

……なにやらレポート課題に相応しいような議案になってしまいましたが、倫理学を教授するなかで、一つ念頭におきながら自己自身の探究をふかめていかなければならないヨなということで、よなよなビールで締めて今日は寝ましょう。

しかし、実に、温かくなるといろいろなひとがでてきます。

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 成功について
 今日の倫理学の殆どすべてにおいて置き忘れられた二つの最も著しいものは、幸福と成功というものである。しかもそれは相反する意味においてそのようになっているのである。即ち幸福はもはや現代的なものでない故に。そして成功はあまりに現代的なものである故に。
 古代人や中世的人間のモラルのうちには、我々の意味における成功というものは何処にも存しないように思う。彼等のモラルの中心は幸福であったのに反して、現代人のそれは成功であるといってよいであろう。成功するということがひとびとの主な問題となるようになったとき、幸福というものはもはやひとびとの深い関心ではなくなった。

 成功のモラルが近代に特徴的なものであることは、進歩の概念が近代に特徴的なものであるのに似ているであろう。実は両者の間に密接な関係があるのである。近代啓蒙主義の倫理における幸福論は幸福のモラルから成功のモラルへの推移を可能にした。成功というものは進歩の観念と同じく、直線的な向上として考えられる。しかるに幸福には、本来、進歩というものはない。

 中庸は一つの主要な徳であるのみでなく、むしろあらゆる徳の根本的な形であると考えられてきた。この観点を破ったところに成功のモラルの近代的な新しさがある。

 成功のモラルはおよそ非宗教的なものであり、近代の非宗教的な精神に相応している。
 成功と幸福とを、不成功と不幸と同一視するようになって以来、人間は真の幸福が何であるかを理解し得なくなった。自分の不幸を不成功として考えている人間こそ、まことに憐れむべきである。

 他人の幸福を嫉妬する者は、幸福を成功と同じに見ている場合が多い。幸福は各人のもの、人格的な、性質的なものであるが、成功は一般的なもの、量的に考えられ得るものである。だから成功は、その本性上、他人の嫉妬を伴い易い。

 幸福が存在に関わるのに反して、成功は過程に関わっている。だから、他人からは彼の成功と見られることに対して、自分では自分に関わりのないことであるかのように無関心でいる人間がある。かような人間は二重に他人から嫉妬されるおそれがあろう。

 Streber--このドイツ語で最も適切に表わされる種類の成功種主義者こそ、俗物中の俗物である。他の種類の俗物は時として気紛れに俗物であることをやめる。しかるにこの努力家型の成功主義者は、決して軌道をはずすことがない故に、それだけ俗物として完全である。
 シュトレーバーというのは、生きることがそもそも冒険であるという形而上学的真理を如何なる場合にも理解することのない人間である。想像力の欠乏こそがこの努力家型を特徴附けている。

 成功も人生に本質的な冒険に属するということを理解するとき、成功主義は意味をなさなくなるであろう。成功を冒険の見地から理解するか、冒険を成功の見地から理解するかは、本質的に違ったことである。成功主義は後の場合でえあり、そこには真の冒険はない。人生は賭けであるという言葉ほど勝手に理解されているものはない。

 一種のスポーツとして成功を追求する者は健全である。

 純粋な幸福は各人においてオリジナルなものである。しかし成功はそうではない。エピゴーネントゥム(追随者風)は多くの場合成功主義と結び附いている。

 近代の成功主義者は型としては明瞭であるが個性がない。
 古代においては、個人意識は発達していなかったが、それだけに型的な人間が個性的であるということがあった。個人意識の発達した現代においては却って、型的な人間は量的な平均的な人間であって個性的でないということが生じた。現代文化の悲劇、或いはむしろ喜劇は、型と個性の分離にある。そこに個性としては型的な強さがなく、型としては個性的な鮮かさのない人間が出来たのである。

 成功のモラルはオプティミズムに支えられている。それが人生に対する意義は主としてこのオプティミズムの意義である。オプティミズムの根柢には合理主義或いは主知主義がなければならぬ。しかるにオプティミズムがこの方向に洗煉された場合、なお何等か成功主義というものが残り得るであろうか。
 成功主義者が非合理主義者である場合、彼は恐るべきである。

 近代的な冒険心と、合理主義と、オプティミズムと、進歩の観念との混合から生まれた最高のものは企業家的精神である。古代の人間理想が賢者であり、中世のそれが聖者であったように、近代のそれは企業家であるといい得るであろう。少なくともそのように考えられるべき多くの理由がある。しかるにそれが一般にはそのように純粋に把握されなかったのは近代の拝金主義の結果である。

 もしひとがいくらかの権力を持っているとしたら、成功主義者ほど御し易いものはないであろう。部下を御していく手近かな道は、彼等に立身出世のイデオロギーを吹き込むことである。

 私はニーチェのモラルの根本が成功主義に対する極端な反感にあったことを知るのである。
    --三木清「成功について」、『人生論ノート』新潮文庫、昭和六十年。

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