« 【覚え書】「週刊新潮誤報『捏造したわけではない』 編集長『被害者』強調」、『毎日新聞』2009年04月16日(木)付。 | トップページ | 丈夫な歯と丈夫な胃―― 私が君にのぞむのはこれだ! »

言葉は指示し命名するものでもなければ、存在を指す精神のシンボルでもない

01_rimg0049

002_r0013341

-----

 言語の起源と本質についての哲学的な問いは、実のところ、存在の本質と起源についての問いと同じくらいに古い。というのも、世界全体についての最初の意識的反省の特徴は、まさしくこの反省にとっては言語と存在、語と意味とがまだ分離されておらず、両者が不可分の統一体をなしてあらわれてくるというところにこそあるからである。言語そのものが反省の前提であり条件なのだから、また哲学的「自覚」は言語において、言語を通してはじめて目覚めるものなのだから、精神がおこなう最初の省察もまた、つねに言語をある与えられた実在(レアリート)として、自然的「現実」に比せられる対等の「現実」として見いだすのである。言語の世界は、人間がそれにはじめて目を向けたその瞬間から、人間に対して物の世界が対峙する際に示すのと同じ規定性と必然性、つまり同じ「客観性」でもって人間を包みこんでしまうのだ。物の世界も言語の世界も、それ自身に独自の本質と、あらゆる個人的恣意を絶した独自の拘束力をそなえた一つの全体として人間の前に立ちあらわれる。考察のこの最初の段階でにおいては、物の在り様やその感性的印象の直接的な在り様と同じく、言葉の存在や意味も、精神の自由な活動に結びつけられることはない。言葉は指示し命名するものでもなければ、存在を指す精神のシンボルでもない。それ自体、実在する存在の一部なのである。
    --E・カッシーラー(生松敬三・木田元訳)『シンボル形式の哲学』岩波文庫、1989年。

-----

しまった!

本日、チト、飲み会があるので、ぐるなびなんかで調べていたわけですが、その詳細条項を印刷して自室にぱあっとほったらかして……データはすでに携帯のスマートフォンに転送はしているのですが、やはり昭和の人なのかも知れません、その内容を「神」もとい、「紙」に印刷しておりましたので……いたものですから、嗅覚の鋭い細君が「嗅ぎつけ」、「また飲みにいくんかい!」との恫喝にて……ですが、そこに「ワタシ自身ガ“実存”スルワケダ」……と切り返したのがよくないようにて……、ずっぽりと“絞られた”宇治家参去です。

たしかに「世界全体についての最初の意識的反省の特徴は、まさしくこの反省にとっては言語と存在、語と意味とがまだ分離されておらず、両者が不可分の統一体をなしてあらわれてくるというところにこそあるからである」わけですから、語と意味は世界において不思議に麗しい出会いを享受するわけです。

おなじように、宇治家参去と銘酒はお互いにまだ分離されておらず、両者が不可分の統一体をなしてあらわれているですので、その両者(飲み手と飲まれる酒)のどちらか一方を欠如することは不可欠なのですが……この部分は下戸の人(=細君)には理解しがたい領分のようで……、しかし「わたしと全くことなる他者」(=宇治家参去)の理解を拒否するのも「難」でしょう……などとさらに切り返してしまうと、宇治家参去自身が、「わたくし」(=細君)の“実存”を十全に理解していないのだろう「テメぇ」とやられてしまうので、その言葉をぐっとのみこみ、「今日はお日柄も佳く~」と流しながら、新しい家族である「ピーちゃん」(※これは息子殿の命名であって、ワタシ自身の実存としては「ピー太郎」と読んでいるわけですが)と「玉の光」で戯れているわけですが、この人間に親しくなれた十姉妹(ジュウシマツ)のお兄さん(だと思う)、激しく伴侶を求めているようですので、飲みに行く前にでも、伴侶をさがしに、チト、ショップ巡りでもしてきます。

んで……

『十四代』とか『磯自慢』あたりで、格闘してこようかと。

添削すべきレポートの返信も終了しました!
来週の授業の準備も全て完了です!
そして……
再提出?用の博論の序論部分の推敲も終わったゾ!

……ということで、翌日から市井の職場の怒濤の連勤(これが練金ならイイノデスガ)になるのですが、ウコンをたっぷり仕込んで楽しんで来ようかと思います。

おもえば、うちのとなりにある公園のぼたん桜が満開だった。

03_r0013335

シンボル形式の哲学〈1〉 (岩波文庫) Book シンボル形式の哲学〈1〉 (岩波文庫)

著者:E. カッシーラー
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

|

« 【覚え書】「週刊新潮誤報『捏造したわけではない』 編集長『被害者』強調」、『毎日新聞』2009年04月16日(木)付。 | トップページ | 丈夫な歯と丈夫な胃―― 私が君にのぞむのはこれだ! »

告白・独白・毒吐の日々」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 言葉は指示し命名するものでもなければ、存在を指す精神のシンボルでもない:

« 【覚え書】「週刊新潮誤報『捏造したわけではない』 編集長『被害者』強調」、『毎日新聞』2009年04月16日(木)付。 | トップページ | 丈夫な歯と丈夫な胃―― 私が君にのぞむのはこれだ! »