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【覚え書】「〔今週の本棚〕 中島敦 生誕100年特集 三浦雅士評 日本にはまれな形而上学的小説家」、『毎日新聞』2009年5月3日(日)付。

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市井の仕事をしながら、本日は壁パンチをすることはなかったのですが、義憤の連発というやつですが、「憤り」という違和感の感覚を感じなくなってしまうことは非常に恐ろしいことではないだろうかと感じる宇治家参去です。

いわば人間と世界に対して鈍感になってしまう感性とでもいえばいいのでしょうか--。

久し振りに、痛風で足が痛く、パンチするどころではなかったわけですが、宇治家参去自分一人が、なにかをかぶるのはまったく問題ありません。しかし、責任もないバイトくんたち……しかし、管理側の思惑とは裏腹に、ひとりひとりがそれなりの責任感をもって汗かきながら心臓をばくばくいわせながら仕事に励んでくれているのが実情なのですけど……そうしたひとびとを酷使させてしまうシステムには辟易とするわけで……、説明責任も必要だろうと思うわけですが、それ以外の時間は、課題も積み重なっていて、考える“暇”がないというわけで……恐縮ですが、【覚え書】にてお茶を濁させていただきます。

マア、こうして熱く知(血)をたぎらせていることに、生きている実感を感じるわけですけれども。

さて……。
中島敦(1909-1942)の小説は殆ど読んでおりますが、その創作の可能性に関しては目を見ひらかれたようで、さすが三浦雅士(1946-)と唸ってしまった次第です。

ひとつはニヒリズムの問題ですが、おそらく巷で流通している「ニヒリズム」と称される現象は「シニシズム」に他ならず、徹底的な実存の問題とは全く関わっていないということ。

もうひとつは、サイード(1935-2003)を初めとするポスト・コロニアル批評の文学批判理論から、もういちど、中島敦の作品と向かい合っていかないといけないなと実感する部分です。

忙しいのは承知ですが、取り組まなければならない課題がさらに山積みで、それはそれでありがたいことですね!

月曜日にベトナム語の外国人作家の短編集を貰ったのですが、読めない……。
ベトナム語の勉強もしろよってことですかねえ~。

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中島敦 生誕100年特集
三浦雅士評
日本にはまれな形而上学的小説家

 中島敦は日本人にはまれな形而上学的な小説家である。難解ではまったくないが、鋭く深い。
 その資質は、二十四歳で書き始め、三年ほど温めて、結局、完成を断念した長編小説『北方行』に端的に示されている。
 主な語り手は黒木三造。その精神的な先輩が折毛伝吉で、おそらく近代日本にはまれな純粋ニヒリストである。伝吉をニヒリズムに突き落としたのは小学校の教師であった。
 「そいつが、そう三年の時だったかな。地球の運命ってものについて話したことがあったんだ。しかも何時間も何時間もね。如何にして地球が冷却し人類が絶滅するかを、その男は、--実際憎むべき悪漢だよ--如何にも恐ろしげな表情を以て話すんだ。僕はこわかったね。恐らく蒼くなって聞いていたことだと思う。が、まだそれは--人類がなくなるのや地球がひえるのは我慢が出来たんだ、所が、何と、そのあとでは太陽さえ消えて了うというじゃないか。太陽も冷えて消えて了って、真暗な空間をただぐるぐると誰にも見られずに、黒い冷たい星共が廻っているだけになって了う。それを考えると、僕は堪らなかったね。それじゃ、自分達は何のために生きているんだ。自分は死んでも地球や宇宙はこのままに続くものとしてこそ、安心して人類の一人として死んで行ける。それが、今この教師のいうようでは、自分達の生きていることも、人間てものも、宇宙ってものも何のために自分は生まれてきたんだ。そう思ってね。それから暫く僕は--随分変な児だったに違いないが--神経衰弱みたいになっちまったんだよ。十歳(とお)の少年がだよ。」
 長文の引用をしたのは、ほかでもない、幼い頃に同じ様な疑惑に苛まれたものも少なくないだろうと思われるからだ。少年は人類の滅亡さえ我慢できたのだから、ここで語られているのは死の恐怖ではない。そうではなく、宇宙には意味がないということ、世界は無意味であるということなのである。
 むろん、俗事に忙しい大人たちはこんな疑惑を相手にしない。そこで少年はたんに自分が用地なのだと考えようとする。伝吉の話を聴いた三造にしても、それを、自分たちが「幼稚だとして考えることを恥じている」あまりに形而上学的な問題であるとしている。中島敦もそう考えようとしたのである。だが、疑惑に蓋をすることはできなかった。
 『北方行』の執筆開始は一九三三年、背景になっているのは一九三〇年の北京である。三造が中国人に嫁いだ叔母のもとに旅行し、叔母の家庭や、そこに出入りする国際色豊かな人々と交渉するさまを描く、構想力豊かな堂々たる長編小説だが、現実への疎隔感を抱いた三造、その病がさらに進行しているかに思える伝吉を克明に描き始めるに及んで、挫折した。疑惑を幼稚であるとして退けることができなくなったのだ。
 ここに中島敦の文学の出自がある。『北方行』の中断後、「かめれおん日記」「狼疾記」が書かれ、「わが西遊記」二篇が書かれるが、そこではこのあまりに形而上学的な問題が、さらにいっそう克明なかたちで取り上げられるのである。
 中島敦は一九〇九年五月五日に生まれた。文壇に登場したのは四二年二月、すなわち三十三歳になろうとするときだ。人が虎になる話として有名な「山月記」、文字をじっと見つめていると文字でなくなるという日常的な体験を古代の伝説として描いた「文字禍」の二篇が『文學界』に掲載された。七月に短編集『光と風と夢』が、十一月に同じく短篇集『南島譚』が刊行され、十二月四日、三十三歳で没した。文壇登場のその年に亡くなったのである。
 生前に刊行された『光と風と夢』『南島譚』の二冊に収録された短篇群は、みな、宇宙には意味がないということ、世界は無意味であるということを、直接間接に問題にしている。また、意味の発生の恣意性を問題にしている。
 亡くなった直後、「名人伝」「弟子」「李陵」が矢継ぎ早に雑誌に発表されたため、中島敦が直面していたこの問題以上に、素材とされた中国古典の世界のほうが読者に強い印象を与えることになった。たまたま漢学者の家系に生まれたこともあって、以後、長く中国ものの書き手であるかのように誤解されることにもなったのである。むろん、それもまた中直敦の重要な側面だが、肝心の形而上学の問題が見過ごされてはならない。
 たとえば『光と風と夢』『南島譚』には、中島敦の植民地体験が生かされているが、かつてもいまも、植民地問題を形而上学の問題として捉えた作家は少ない。
 植民地関係の図式は幼年時代の権力関係の図式、意味付与の図式の反復にすぎない、そしてその権力関係の図式は人間の存在様式に根ざしている。簡単にいえば、子どもは植民地人として生まれてくるのである。中島敦はおそらくそう考えていた。少なくとも感じていた。
 中島敦の魅力が明かになるのはこれからだろう。
    --「〔今週の本棚〕 中島敦 生誕100年特集 三浦雅士評 日本にはまれな形而上学的小説家」、『毎日新聞』2009年5月3日(日)付。

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