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無限なるものを有限なるものに、神的なる精神を感覚的なる現象に、翻訳する

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……しからばその解釈とは何であるか。元来Hermeneutikの名は、神の名Hermesと根源を同じくするhermeneiaから出ている。ヘルメースは神々と人間との間の仲介であり、神の思想を人間にあらわにする。すなわち無限なるものを有限なるものに、神的なる精神を感覚的なる現象に、翻訳する。だから彼は「分かること」(Scheidung,Besonderung)の原理を意味し、従ってまた「分からせること」(hermeneia,Verständingung)に属する一切のもの、特に言語と文学の発明者とせられる。言語文字は思想に形を与える、すなわち人の内の神的なもの無限なものを有限な形態にもたらす。それによって内なるものが分からせられるのである。これがhermeneiaの本質にほかならぬ。しからばそれはローマ人がelocutioと呼ぶもの、すなわち思想の表現である。理解ではなく「理解し得るようにすること」「分かるようにすること」(Versändlichmachen)である。だからこの語の古い意義は、他人の言葉を分かるようにすること、すなわち「通訳」であった。しかしHermeneutikにおいては、内なるものを外に出すという点が重大なのではなく、外に出すことによって分かるようになるという点が重大なのである。分かるようにするのが表現であるならば、表現は根源的に理解と結びついていなくてはならない。従って我々は表現の中から理解を押し出すことができる。
    --和辻哲郎『人間の学としての倫理学』岩波文庫、2007年。

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解釈には、妥当する理解をどのように導き出していくのかという問題がその根幹にあるわけですが、だからこそ、その解釈者が現実に踏みしめている大地という現実と、それを背後からささえる伝統・歴史の有機的な相関関係が必要になってくるのだろうと思います。

「その解釈で妥当するのか」

なにも、永遠不滅の普遍的なアンサーを導き出すのが解釈学ではありません。それよりも重要なことは、「こう考えざるを得ない」とか「これが一番ふさわしいんだよな」と普遍的なるものへむけて何かを立ち上げていこうとする手法が解釈学の技法だと思います。

その意味では、独断的な語りが許される思想の言語やドグマ的な議論とはかけ離れた局面に位置するものであり、過去をふまえたうえで、徹底的に言語と格闘しながら「言語化が不可能」と思われるものを「翻訳」する媒介者なのだろうと思います。

その意味では、コンテンツを発信するわけではないので、コンテンツを発信する的な営みよりも、一段低位に見られがちですが、その内容を吟味検討しながら、共通了解を目指す地味ですが、その地道な営みには、「発言者」的あり方よりも、何か惹かれてしまう宇治家参去です。

「すなわち無限なるものを有限なるものに、神的なる精神を感覚的なる現象に、翻訳する」……こうした方向性が日本の知的遺産とか精神的伝統においては、すこし貧弱なきらいがあり、あまりかえりみられない側面が強いわけですけれども、それでもなお、「すなわち無限なるものを有限なるものに、神的なる精神を感覚的なる現象に、翻訳する」とは素敵だなと思うわけですが、マア、金に直結しないところがチト淋しい今日このごろです。

さて、今朝より、いよいよ北海道へ旅立ちます。
この季節の札幌は初めてですが、天気概況にて確認すると、滞在中の最高・最低気温は、7℃から21℃という広い幅で、木曜日は、7℃から12℃で推移して模様です。

ちと寒そうですね。

東京の感覚ですから、背抜きのスーツで行こうかと思っておりましたが、念のため合い物もスーツか薄目のスプリング・コートをいれていくか……この選択肢が非常に難しいところです。

荷物にはなるのでしょうが、風邪をひくよりまマシか……と思うのですが、結局羽田にもどってくると、それなりの気温のようだと思うので、いずれにしても寒暖の差が大きそうで……。

さて、なんとかパワーポイントの修正も完了しましたが、1回1回のスクーリング講義がが、「寒暖の差」ではありませんが、いろいろと地域性があったり、対合衆の問題意識の差異があったりして、まさに千差万別の授業?になってしまうわけですが、今回はどのような展開になるのか今から楽しみです。

……とわいえ、「何かを教える」という気概は毛頭ありません。
教師から学生に訓戒を垂れるというわけでもありません。
倫理学という学問に対して、教師と学生が一緒に向かい合いながら、「理解し得るようにすること」「分かるようにすること」(Versändlichmachen)を目指しながら今回も頑張って参りたいと思うところです。

……って、朝も早いので、ぼちぼちいっぺえ飲んで寝ますです。

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