民衆には無言の、忍耐づよい悲しみがある
民衆には無言の、忍耐づよい悲しみがある。その悲しみは、心のなかに入り込んだままひっそりと口をつぐんでしまう。しかし他方に、外に破れてでてくる悲しみもある。その悲しみは、ひとたび涙となってほとばしりでると、その時から「泣きくどき」に変わるのだ。これは、ことに女性に多く見られる。だがその悲しみは、無言の悲しみより楽なわけではない。「泣きくどき」で癒されるのは、まさに、さらなる苦しみを受け、胸が張り裂けることによるほかない。このような悲しみは、もはや慰めを望ます、癒されないという思いを糧にしている。「泣きくどき」はひとえに、おのれの傷を絶えず刺激していたいという欲求なのである。
--ドストエフスキー(亀山郁夫訳)『カラマーゾフの兄弟 1』光文社、2006年。
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ようやく授業が終了し、宿泊先のホテルへ戻ってきました。
ともあれ1日目無事終了で、自分でいうのもへんですし、「手前味噌」ですが、これまでで一番よく構成することができた講義ではないかと思います。
ナイーヴな自虐ネタも洗練され、倫理学の大切な観点も学生と一緒に考えることができたのではないかと思います。
机と一体化された学生も皆無です。
北海道・札幌では2回目のスクーリングでしたが、さすがに北海道です。
全道から集まってこられるわけですが、やはり宿泊しないと参加できないメンバーも多く、「求めて」きてくださった皆様に感謝です。
ちなみに、今回は千葉から壮年の方がひとり、茨城から青年のかたがおひとりづつ、参加されており、お互いにいい刺激になったかと思います。
皆様はるばるありがとうございました。
明日も全力で講義いたしますので、どうぞよろしくお願いします。
さて……。
あさはやく電話があり、祖母が霊山へと旅だった旨の連絡がありました。
明日が「友引」のため葬儀は月曜とのことです。
誤解を招くような表現で恐縮ですが、ともあれ「友引」でよかったと安堵しました。
スクーリングを終え向かう予定です。
北海道から四国への直行便はなく、すべて羽田での乗り継ぎになるのですが、明日の便では間に合いません。
月曜の朝一のフライトでそのまま葬儀場へ向かうという流れになりそうです。
ん……。
きつい組み立てです。
しかし、不思議なもので、とめどなく涙があふれるわけではありませんが、乾いた悲しみとでも言えばいいのでしょうか、何か空虚な悲しみをじわりじわりと感じております。
今回の札幌への旅は事故もなく順調にすすんでいたわけですので、日常生活など顧みるに値しないと(とまでは思っておりませんが)、いわばタスク消化で、課題をながしていくなかで(それでも課題に対しては真剣に向かい合っているにもかかわらず、すこしその驕りが破壊されたようで……。
ん……。
いろいろときついです。
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