「私どもが食物に対して、なみなみならぬ感心をしめさざるを得ないのは当然だろう」ということで手打ちうどんに挑戦記!
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高松市はアザミちゃんからのお便り。
「私は他県のお客様がよくいらっしゃる某うどん店で働いているのですが、みなさん様々なうどんの食べ方を披露してくれます。ざるうどんが長くて、立ち上がってまでうどんを持ち上げ、だしをあふれさせるなどはザラで、生醤油うどんを頼んでできたうどんに醤油さし(200mlほど)一杯に入っていた醤油を全部かけて一口食べて呆然としている人もいます。この間はうどんを箸にスパゲティのように巻きつけて食べるおじさんがいて、ひっくり返りそうになりました」
団長「県外客にとって、さぬきうどんの初体験は謎だらけやろうなあ。セルフサービスの店なんか行ったら、注文の仕方からわからんやろ」
S原「食べ方もわからんメニューがありますからね」
団長「動転して、ちくわでだしを吸うやつも出てくる……」
S原「そんなやつ、いませんって!」
などと偉そうに言っているが、実は我々も知らない食べ方をする讃岐人がいっぱいいるのである。何しろ基本的には「何でもあり」なんだから、セルフの店なんかはそれこそ客の好き勝手で、どんな食べ方をしても誰も怒らない。コロッケをうどんにのせて、だしでボロボロ崩しながら食べる人もいるし、おでんのスジを取って串から抜いてうどんにのせて食べるおっちゃんも見た。ここ数年あちこちで見られる「釜玉」というメニュー(生卵をといてその上から熱々のうどんを入れ、醤油をチャッとかけて混ぜて食べる)も、実は客が勝手に生卵を持ち込んでそうやって食べているのを見た店がメニューにしたのが始まりらしいのである。
--麺通団「文庫版あとがき」、『恐るべきさぬきうどん 麺地巡礼の巻』新潮社、2001年。
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どのうどんが偉いというわけではありませんが、こうした書物を紐解くと、「讃岐うどん」は恐るべしと思う、東京在住でうどんよりも蕎麦をこよなく愛する讃岐人・宇治家参去です。
昨日は……久し振りの3連休2日目!……細君及び息子殿との約束がありましたので、昼過ぎより、手打ちうどんに挑戦させていただきました。
母親がむか~し、打って食べさせてくれたことは思い出の片隅にあるのですが、自分で打つのはじめてですので、とりあえず、塩加減とか寝かせる時間をネットにて下調べして準備の準備OKです。
午前中は論文のできあがったところの入力および校正を少し済ませ、それから小麦粉とご対面でございます。
今回はだいたい4人前ということで、小麦粉(饂飩用、ホントは東急ハンズなんかですとそれでも地元で業務用で使われるえり抜きの小麦粉があるのですが、今回はスーパーで売っている日清の小麦粉にて代用)を準備して、さあ、格闘です。
小麦粉×340g、水150g+塩16gを計測し、
塩を解いた水にて小麦をまずまぜあわせ、だいたい馴染んできたところで、ビニール袋に密封し、まずは寝かせます。
だいたい1時間ぐらいでしょうか、1次熟成です。
そんでもって、すこし様子を見てから、今回は讃岐うどんにしよう!ということで、うどん踏み踏みにチャレンジです。1次熟成で粉っぽいところが馴染んでなくなってきた小麦粉ボールを、踏んで踏んで、そしてまた巻物のようにまき直し、踏んで踏んで左右に伸ばす……そしてまたまき直し踏んで踏んで……。
通常のうどんですと、この「踏む」作業の変わりに手でこねるわけですが、讃岐うどんのコシの強さは、この踏み踏み作業によって、讃岐うどんに生まれ変わるわけですので、ちと念入りに!
今回は息子殿がヘルプしてくださいました。
……でもって、もち肌のような生地になったところで、再度密封して2次熟成でございます。
これも1時間くらい同様に寝かせ、次はうどん切りの段階です。
打ち粉をうって、生地を巻いて伸ばして、包丁をいれる。
……聞けば簡単な作業ですが、これがなかなか面倒です。
一番難しい作業だったかもしれません。
道具もないので、簡易まな板のうえで麺を伸ばす……ところまではうまくいくのですが、包丁を均一に入れるのが大変困難です。
じぶんがやると、こりゃ、うどんの見てくれとしては「商売で出すことのできない“武蔵野うどん”風だよな」と思いつつ、切り分けていきましたが、それを見ていた細君も興味を示したのか、最後の1枚は自分がやりますとのことにて、包丁手をチェンジ、宇治家参去が切り分けるよりも見事でございました。
チキショー、道具がなかったからなんだ……って小さな声で。
でうどんをゆでること12~3分。
なんか雰囲気が出てきました!
おおっ、うどんではないか!
ということで、ぬめりをとり、再度軽く湯煎して完成です。
先ずは、讃岐うどんの王道・釜玉うどんで一杯。
あたたかいうどんを笊でしゃしゃっと水をきり、そこへ生卵をひとつ。
宇治家参去はこうした場合、白身がいやなので、予め黄身だけにしていた卵をおとし、薬味をのせ、鎌田醤油のだし醤油をちゃちゃっとかけまわし、完成です。
これを箸でからめて、食べると……。
「お店でだされるやつより旨いんでねえの?」
……我ながら驚く次第です。
つよくコシがあるにもかかわらず、つるつると黄身とだし醤油にからんだ麺が胃袋へと充填されていく幸福とはここにあるのでしょうか。
我ながら、「オレってやばくねえ?」ってかんじです。
難点は、宇治家参去の切り分けたうどんが均一ではないため、ときおり「ツルッツルッ」とはいかず、ひっかかるところですが、それでも旨かったです。
次は、ざるうどんで一杯です。
今回、ざるの汁で関西風が準備できなかったので関東風で頂きましたが、これも旨い。
麺の輝きがなんともいえません。
エビスをのみながらやりましたが、これはやみつきになりそうです。
寝かせる時間がありますので、全体としては3時間程度はかかるのですが、作業時間は正味1時間でしょう。こねたり、踏んだりするのは確かに重労働ですけど、その労働の対価に見合う一品ができあがることは間違いありません。
興味のある方は是非!
次は道具をそろえて、再トライです!
しかしなんで、宇治家参去はこうまで食に対して飽くなき探究者となってしまうのでしょうか。
そのことを池波正太郎(1923-1990)は美しい言葉で語っておりますので最後にひとつ。
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人間は、他の動物と同様に、
「食べなくては、生きて行けない……」
ようにできている。
私どもが食物に対して、なみなみならぬ感心をしめさざるを得ないのは当然だろう。
--池波正太郎『散歩のとき何か食べたくなって』新潮文庫、昭和五十六年。
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伸ばして、切って、茹でる!
釜玉の幸せ、
ざるうどんの悦楽、
不揃いなうどんがつやつやしております~!
冗談でつくった一本饂飩モドキ@鬼平犯科帳は、まさに噛んで喰うというやつです。
次は蕎麦に挑戦だ!
散歩のとき何か食べたくなって (新潮文庫) 著者:池波 正太郎 |
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