« 「自己へ反省すると同じ程度に他者へ反省し、他者へ反省すると同じ程度に自己へ反省するもの」としての根拠 | トップページ | これらみな人間の偉大な仕事だ »

「音読」から「黙読」へ--近代読者の成立を言祝ぐ?

A01_r0014425 A02_r0014431

-----

 現代では小説は他人を交えずひとりで黙読するものと考えられているが、たまたま高齢の老人が一種異様な節廻しで新聞を音読する光景に接したりすると、この黙読による読書の習慣が一般化したのは、ごく近年、それも二世代か三世代の間に過ぎないのではないかと思われてくる。こころみに日記や回想録の類に明治時代の読者の姿をさぐって見るならば、私たちの想像する以上に音読による享受方式への愛着が根づよく生き残っていたことに驚かされるのである。
 無政府主義の指導的理論家として知られている石川三四郎(明九年-昭三十三年)は、戦後執筆した『自叙伝』の中で、少年の頃祖母の寝物語に聞かされた楠公記や大岡政談から受けた感銘を記し、つづいて父と兄との睦まじい読書風景に触れて、文明開化の風潮が中仙道筋にあたる地方豪家の知的雰囲気を革めてゆく状況を興味深く語っている。

 父なども兄にいろいろな本を読ませて聞くことを楽しみにして居り、例えば昔の漢楚軍談とか三国志とか言うものを読ませて居つたのを記憶しています。後には福沢諭吉の『学問のすゝめ』という書物を東京から買つて来て読ませたこともありました。(同書、上、三一ページ)

 この漢楚軍談や三国志は貸本屋から借りたものかもしれない。この時代には大部の読本や軍記物を所蔵している一般家庭は異例に属し、それだけに貸本屋や知人から借り出した際には、家族こぞって読書の娯しみを頒ち合うのが、ふつうの事だったらしい。山川均(明十三年-昭三十三年)の『ある凡人の記録』にも、このような小説の読まれ方が示されている。

 私の少年時代には、子供の読みものは少なかったし、(中略)木版時代の本屋が消滅したあとに、田舎ではまだ活版時代の新しい本屋は生まれていなかった。それで小学校のころ、私は新聞の広告を見て、博物の書物がほしくなり、わざわざ東京の冨山房(?)から取りよせたこともあった。なにか特別の家でもないかぎり、どこの家庭にも蔵書というほどのものはなく、私のところでも『論語』や『孟子』『唐詩選』とか『日本外史』といったたぐいのものがいくらかあったにすぎなかった。懇意な家に『八犬伝』があったので、一と冬『八犬伝』を借りて来て、毎晩、父がおもしろく読んでくれるのを、母は針仕事を、姉は編物をしながら、家内じゅうで聞いたことがあった。ところが一二年すると、久しぶりにまた『八犬伝』でもというので、また借りて来ておさらえをするというありさまだった。(『山川均自伝』一五七~一五八頁)

 一葉の日記には明治二十四年から二十五年にかけて、彼女が母親の滝子に小説を読み聞かせている記事が数ケ所現われる。ちなみに二十五年三月は一葉の処女作『闇桜』が桃水の紹介により「武蔵野」誌上に発表された月にあたる。

 日没後母君によしの捨遺読みて聞かせ奉る。(明治二十四年九月二十六日)
 此夜小説少しよみて母君に聞かし参らす。(明治二十五年三月十二日)
 夕飯ことに賑々しく終りて、諸大家のおもしろき小説一巡母君によみて聞かしまいらす。(明治二十五年三月十八日)

    --前田愛「音読から黙読へ--近代読者の成立」、『近代読者の成立』岩波現代文庫、2001年。

-----

音読すると家族から大ブーイングをいつも受けてしまう宇治家参去です。
語学力が落ちてはいけない!と定期的にフランス語やドイツ語の文献を紐解きますし、語学には音読が必要不可欠です。

ですからときどき「Es ist……」「Je n'ai rien……」なんてやると、それを聞き慣れぬ家人にとっては「たまたま高齢の老人が一種異様な節廻しで新聞を音読する光景に接した」気分なのでしょう。

たしかに現代世界は音読文化ならぬ黙読文化であり、そこに黙々と読む「近代読者」が成立するわけですが、宇治家参去に似て?本が大好きな五歳の息子殿は、本に限らず、目につく活字はすべて「音読」しております。

「あ・さ・ひ・すうぱあどらい、ひゃく・はち・じゅう・えん」

ただ、宇治家参去が寝ているときに、その横でやられると始末に負えないものがあり、いやな寝返りをうってしまうのですが、まさに目につく活字はすべて「音読」して「読んで」「理解」しているようです。

で……。
本日、驚いた訳ですが、息子殿が、アニマルカイザーか何だかの絵本と向き合っているのですが、一向に「音読」する気配がなく……。
絵だけ追ってさやさやとそそくさにページをめくるわけでもなく、じっくり一ページ、一ページと向き合っているようで……。

不思議に思い細君に伺うと、

「声に出さずに読むことができるようになったみたい。最近ときどき、音読せずに読んでいるみたいよ」

……とのことだそうです。

もちろん、音読/黙読の比率は圧倒的に音読が大多数を占めるのは承知ですが、「ああ、これで息子殿も『近代読者』になってしまった!」かと思うと一抹の寂しさがよぎる宇治家参去です。

さて、音読から黙読へという転換に関しては先行研究は種々存在します。
活版印刷というテクノロジーは必要不可欠なのですが、それだけではないようです。
東洋文化圏よりもいちはやくその変化を蒙ったヨーロッパにおいてさえ、グーテンベルグの技術革新から、現代の読書の方式が一般化するまでにはおよそ300年近くの歳月を要します。

筆写された書物から活字の書物へと流通が変化したにもかかわらず、長い間、書物は独りで読まれるときであっても、声をあげて朗読されたものだそうです。

その意味では、技術革新だけでは転換は発生しなかったのでしょう。
技術革新とともにエートスとか時代を規定するエピステーメーといったものの変容が実は大きく影響していることは疑いようもありません。

ではそれが何かといった場合、議論は別れるわけですけれども、例えば、ヨーロッパ世界においては、デカルト(René Descartes,1596-1650)によって個の立場の哲学的立脚点が整備もひとつの契機なのでしょう。

そして、それと同時に、信仰を極限的な<個>へと還元するプロテスタンティズムの発想が定着してきますが、その両者が腕組みをして時代を規定する発想を変革したことは疑いようのない事実なのかと思います。

とくに後者は、内面世界への沈潜--すなわち他人の存在という喧噪から離れ“かけがえのない”わたしを内省する--を促す個人への集中ととらえることも可能ですから、そうした宗教改革やピューリタニズムの伝統も、エートスの転換を促す大きな後押しになったのでしょう。

息子殿の文化変容は、「音読」から「黙読」へのコペルニクス的転回というわけですが、そこでふと思いついたのが、エクリチュール(écriture)とパロール(parole)の問題です。

息子殿がやっているのは、エクリチュールをパロールしているわけですので、それを同一視することはできませんが、

すこし補足しますが、言葉には、「書き言葉」と「話し言葉」が存在します。前者が、「エクリチュール(écriture)」であり、後者が「パロール(parole)」です。

ですから息子殿がやっている音読とは完全なパロールではありませんが、何かそうした概念が頭をよぎりますものですから、細君に、

「いよいよ、息子殿も『近代読者』に成長し、音声優位主義から脱却したのでしょうか?」

……などとふると、

「だから、哲学とかワケノワカラン学問をやっている連中は、小難しい“解説”に奔走するからウザイ」

……とクローズされる始末です。

「授業でも、そうした専門用語で学生さんたちを翻弄しているのでしょう?」

……などと追い打ちをかけてきますので、

「いやいや、授業では、インテリやくざな雰囲気で、地の言葉で、オープンに話しておりますよ!」

……って返しましたが信用してくれず。

で……戻りましょう。
言葉には「書き言葉(エクリチュール)」と「話し言葉(パロール)」という区別が存在しますが、伝統的な西洋哲学では言語を考察の対象とする場合、実は「書き言葉」よりも、「話し言葉」としての言語に特権的な座席が与えられておりました。

通俗的な対比ですが、絶対的な境位を象徴する言葉「言語道断」にみられるように、東洋的な文化においては「言語」を「超えた」(メタ・言語?)ところに真理とか真実を求める傾向が強いですが、それにくらべると、西洋的な文化においては、徹底的に「言語」にこだわる傾向が顕著です。それはまさにヨハネ伝の冒頭に記された「初めに言(ことば)があった」(新共同訳)の示すとおりです。

しかしその言葉そのものを丁寧に点検していくと、まさに「書き言葉」なのか「話し言葉」なのかという問題が生じてきますが、しかしそれではどうして伝統的な西洋哲学は、文章化された「書き言葉」よりも「話し言葉」が重視されてきたのでしょうか。

単純にその根拠を尋ねるならばそれは「話し言葉」のほうが「書き言葉」よりも、語を発する主体の意識内容(思考・意志・感情・欲求)をなまなましく「ありのまま」に表現できると考えられてきたからでしょう。

「話し言葉」と違って「書き言葉」とは、まさに「話す」「主体」が表象するコンテンツを代理的に再現する「記号」として機能しますから、結局の所、「話す」「主体」が表現したいそれを、いわば間接的にしか再現できません。

「話す」「主体」が言葉を用いて話したい、表現したいと思う対象をその「根源」とするならば、「書き言葉」は「根源」たる「話し言葉」よりも「根源」から遠いわけですから、「話し言葉」の方が特権的ということでしょう。

話し言葉によって指示されたものと、指示される対象の同一性の優位こそ特権的というわけです。

同一性とは、同一性から乖離していく対象に対して時として「暴力」的にならざるを得ません。この同一性批判が現代哲学の中心的課題となってくるわけで、その文脈で、例えば西洋形而上学の暴力性を鮮烈に暴露するジャック・デリダ(Jacques Derrida,1930-2004)の音声優位主義批判なんかがでてくるわけです。
※それをひっくりかえして、では「書き言葉」が優先されるべきか--といわれると、それこそがまた二項対立ですから、いうまでもなくデリダは許容しませんけれども。

その意味では、根源(なるもの)との同一性の探究が西洋形而上学の伝統であり、歴史であるといっても過言ではありません。

……このへんまで、補足をしたところで、細君は御就寝あそばされたようにて、人文科学の無力にさい悩まされる宇治家参去です。

さて、息子殿が「近代読者」へ変貌した理由は何でしょうか。
今度息子殿に伺ってみようかと思いますが、自分自身の行為に関して詮索されることを極度にいやがる質ですので、教えてくれるでしょうか。

しかし、エクリチュールをパロールすることによって、人間は「自分の聞いている声を自分自身で確認したい」という欲求を持つとよく言われますが、それからひとつステップアップしたということは、淋しい話ですが、息子殿も大人の階段を上っているというなのでしょうか……ねえ。

ただ最後の蛇足……というか自分自身に対する研究覚え書。

日本の場合、明治期に「音読」から「黙読」へと大きな文化変容を蒙ります。その渦中で、二葉亭四迷(1864-1909)に代表されるような「言文一致」運動が勃興しますが、この「言文一致」運動とは、「書き言葉」として本朝の場合、伝統的に「文語文」が尊重されてきたわけですが、明治期の文芸運動のなかで、文語文にかわって日常語を用いて口語体に近い文章を書くことの主張が登場し、その実践が「言文一致」運動というわけです。もちろん、「話した(パロール)通りに文章として書く(エクリチュール)」わけではありませんが、そのあたりの接点も丁寧に探究すると面白そうですね。

A03_r0014420

|

« 「自己へ反省すると同じ程度に他者へ反省し、他者へ反省すると同じ程度に自己へ反省するもの」としての根拠 | トップページ | これらみな人間の偉大な仕事だ »

哲学・倫理学(現代)」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「音読」から「黙読」へ--近代読者の成立を言祝ぐ?:

» インテリ芸能人の経歴ブログ!〜学歴、エピソードなど〜 [インテリ芸能人の経歴ブログ!〜学歴、エピソードなど〜]
インテリな芸能人の学歴やエピソードをご紹介するブログです。 [続きを読む]

受信: 2009年6月 1日 (月) 17時57分

» エピス ストール [エピス ストール]
エピス ストール専門サイトです。エピス2009年の新作中心に紹介しておりお探しの商品を簡単に検索できます。 [続きを読む]

受信: 2009年6月 4日 (木) 17時55分

« 「自己へ反省すると同じ程度に他者へ反省し、他者へ反省すると同じ程度に自己へ反省するもの」としての根拠 | トップページ | これらみな人間の偉大な仕事だ »