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現実生活への準備としては、ほかのことが必要である。それは人間を認識することである

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<人間>自分の知について熟考することは、すでに或る程度まで、自己自身について熟考することである。けれども、学校で習った知〔学問〕は主として書物の上の知であって、実在からかけはなれており、教育上の図式を実在の厳密な分析ととり違えさせるおそれがある。
 現実生活への準備としては、ほかのことが必要である。それは人間を認識することである。そして、書物のうちで得られた世界についての認識は、直接的で実験的な認識によって補われることが必要だ。
 まず我々自身である人間の、ついで我々の生活の過去も現在も含んでいる人間全体の、経験したことを熟考すれば、書物の中で見出した観察は正気を与えられるだろう。
 人間の認識を深めること、おそらくそこに哲学の本質的な目的がある。
    --P.フルキエ(中村雄二郎・福居純訳)『哲学講義I 認識I』ちくま学芸文庫、1997年。

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学生時代の友人のひとりが、缶コーヒーの缶をコレクションしているという男がいましたが、そのころは「ふ~ん、面白い趣味だな」って思っただけでしたが、今思い起こすと、缶コーヒー自体の改廃も激しく、伝統的なブランドと化した定番アイテムにおいても、その図案やデザインがひっきりなしに変わることを勘案するならば、そのコレクションの保存場所を確保することがまずは大変なのではなかろうか……そのようにあんずるある日の宇治家参去です。

その友人の男ではありませんので宇治家参去の場合、飲んだビールとか日本酒の瓶をコレクトしているわけではありませんので、飲んだあとの缶とか瓶は基本的に資源ゴミへと消えてしまいます。

つい2日前が週に一度の缶・瓶のゴミの収集日でしたから、自宅内の缶・瓶ごみ箱がからっぽになっておりました。

しかしながらキッチンの片隅に、先日飲みほした菊正宗酒造の辛口本醸造「ひやし樽酒」の300ml瓶がそのまま捨てられずに確保されており……、

宇治家参去以上に律儀で杓子定規な細君のことですから「(ゴミに出すことを)忘れた訳ではあるまい」

……などと思いつつ、「なんでゴミに出さずに残しているのだろうか……」などとふと引っかかったのはその時かぎりで、またその日の夜になって別の酒を呑んで寝てしまうと忘れてしまっていたわけですが……。

で……
今朝起きてから小用にたってみると、トイレの窓辺に移動していた「ひやし樽酒」の300ml瓶とご対面でございます。

あぁ、こういうことに使ったのか……!

……などと一人合点してしまった次第です。

できることなら、大関(株)の「ワンカップ」にて、飲酒後の「ワンカップ」が生活世界において再利用・再活用させた図式……A Cup of Happiness……でやってほしかったわけですが、ワンカップの瓶でやってしまうと、大輪の紫陽花では都合がわるいわけで……、やはりここは300ml瓶の出番となったのか……ということで、まさに A Bottle of Happiness ってことでしょうか。

しかし、紫陽花につかえる筈の花瓶がないわけではございません。
そこをふと不審に思い、幼稚園の役員会から帰宅した細君に伺ってみると、

「バランスの不安定な花をトイレに生けるのに、大枚叩いて購入したスワロフスキーの一輪挿しなんかを使えるわけがないでしょう! 酒瓶で十分十分! 貴方も酒瓶見ているだけで“飲んだ気”になれるでしょう。それで十分十分!」

ま、いずれにせよ、蒼い菊正宗の「ひやし樽酒」の瓶の色合いが、うっとうしい梅雨を払うようで、快適なトイレライフをおくることが出来そうです。

しかし……。
何年も細君と暮らしておりますが、ちょいと粋なことをするではないか!などとその人間像を新たなにさせられたわけですが、

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現実生活への準備としては、ほかのことが必要である。それは人間を認識することである。そして、書物のうちで得られた世界についての認識は、直接的で実験的な認識によって補われることが必要だ。

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フランスのリセで使われている「哲学」の教科書に書かれている通りでございます。

書物とはよく向き合いますし、人間ともよく向き合いますが、それはそれぞれ別個のものではなく、「書物のうちで得られた世界についての認識は、直接的で実験的な認識によって補われることが必要」なのでしょうし、(ついでながらにリライトすれば)「現実生活のうちで得られた世界についての認識は、間接的で客観的な読書世界の認識によって補われることが必要」なのかもしれませんね。

で……。

「貴方も酒瓶見ているだけで“飲んだ気”になれるでしょう。それで十分十分!」

……などと戯言をぬかされたものですから、

「いや、しかし、瓶を見ただけでは“飲んだ気”にはなれないし、かえって“飲みたく”なってしまうように酒飲み風流人間の思考と肉体はできているようですが」

……といってしまったのがやぶ蛇のようでした。

「とやかくいう暇が在れば、スワロフスキーの花瓶をいくつわってもセコセコしないですむ経済状況に転換してくれ」とのことで終話です。

がっくし。

……ということで?

この時間になって冷蔵庫を開けてみると、ビールが全くなし!

……ということで?

再度がっくし。

……ということで?

近所のコンビニへ走ると、ひさしぶりにみたこともないヤツと出会えまして……。

今晩はちと、蒼い憎いヤツを楽しみつつ。

ちなみに獲物は、コロナ・エキストラ(Corona beer)。

通常は330mlサイズの瓶で市販されているモデロ社(Grupo Modelo)が製造するメキシコのビールですが、缶のそれと対面するのは初めてです。

いやはや、缶のコロナなどないよな!などと早合点してはいけないかもしれません。

「まず我々自身である人間の、ついで我々の生活の過去も現在も含んでいる人間全体の、経験したことを熟考すれば、書物の中で見出した観察は正気を与えらる」はずですから。

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