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人をだますってことはこれはいけないことだけれどもね、堀君。だまされるということもけしてほめられたことじゃないですよ

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……私が助手になってすぐですから、まだこの舎のあそこの元の部屋におって下宿を決めないでおった時に、夜あれは十時前だったと思いますが、先生がコソコソと来られたんです。であけてみたら先生がおられるんですね。それで入って来られて、「堀君一寸困ったことができた。」と。吉野先生よくその辺までお歩きになってそしてどうするかと呑喜で一寸こう、やって、そしてまた電車でお帰りになるんですね。で、「困ったことが堀君起こった。」と。「何ですか。」って言ったらね--その前にその神田の古本屋で探すように命令を私と奥平助手とが受けておったんです。あれがいっこう我々が見つけんものですから、あれは催促に見えたと思ってねおったところが「いや堀君、ちょっと電車代を六銭貸してくれないか」とこうきた。あの時は六銭でした。六銭貸してくれないかと。でどうなすったんですかと言ったらね、「こういうことなんだよ、」てね。この会館(引用者註--この思い出を書いている吉野作造門下の堀氏が当時寄宿していた東京帝国大学学生基督教青年会=当時のところ)のところのロビーに引っぱって来てね、「実は歩いて帰っていたところが今の農学部あたりのあの辺からね、四十ちょっと過ぎた位の婦人がついてきた。何だろうと思っていたら声をかけられた。先生は吉野作造先生でいらっしゃいませんかと言うので、はいと言ったと。そうしたらね、どうか先生私の話をちょっと聞いてくださいと言われた。」そして今の農学部の門の所に先生はいらした。そしたら縷々とその身上話をした。非常に悲しい話だったと。彼女は自分の体を売って暮らしているというのです。こういう人間は本当に立ち直れるか。先生は立派なクリスチャンでいらっしゃると聞いています。どういうものでございましょう、と言ったんです。すると吉野先生はね、「それは誰でも罪人だけど、だからねえ私だって同じだよ」と。そしたら、有難うございましたと涙を流して、「どうか私のために祈って下さい」とこう言ったんです。で先生はあの農学部の門の凹んだ所がありますね、あそこへ行ってお祈りをしたんです。一所懸命やった。そして目が覚めたら婦人がいなかった。そしてきれいに金を取られてしまったとこういう話だ。こうまあいかにも吉野先生のある面を表す。そして私に曰く、「人をだますってことはこれはいけないことだけれどもね、堀君。だまされるということもけしてほめられたことじゃないですよ」と。特に注意しなきゃならんのは、「ああ大学の先生ですね」とか「立派なクリスチャンでいらっしゃるそうですね」とかまあいろいろ言う。その時にね、人間ていうのはやっぱりね、いい気になって調子に乗るもんだ。それがいかん。その間にシャッとやられる。それはね、気を付けたまえと、それは吉野先生の非常な御教育のやり方であって、私はそれをあれから何十年と忘れたこともなく思い出すのであります。こういう事を限りなく私は思い出しております。
    --東京大学学生基督教青年会編「追想談 堀豊彦氏」、『吉野作造先生 五十周年記念会記録』東京大学学生基督教青年会、1984年。

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今日もがっつり市井の仕事でレジを打ちながら、足の痛風が痛いわナ……と嘆きつつ現実世界に翻弄されるある日の宇治家参去です。

さあぼちぼち休憩に行くか!

……と気合いを入れて気分を入れ直しておりますと、サービスカウンターから、

「宇治家参去さん、ちょいと難しい案件がありますので応答して頂けませんか」

……とのことだそうな(池波風ですねエ)。

これから休もう!と思っていた矢先にこうした事態が出来すると、「うえっぷし」とカトちゃん@ドリフターズばりに、くしゃみをしてひとりバックドロップを展開したいところですが、そうした時間もないので、そのまま伺うと、……ふ~む、またまた久し振りにアリエナイ展開が現出し、……池波正太郎(1923-1990)の描く『鬼平犯科帳』の長谷川長官でしたら、「人間という生き物は不思議な生き物よ……」って語れそうですが、そう含蓄深く味わっているほど時間もないので、手短に要件を伺うと……、

宇治家参去の勤務しているGMS店舗はマア駅前にあるわけなのですが、
要は駅前で転んで怪我をした……ということで、なんとか、最寄りの?当店までたどり着けた……そこでスイマセンが、病院へ行きたいので、そこへ行くまでの金を貸してくれないか!

……との申し出のようで。

この手の商売に携わっておりますと、いろいろな事案……すなわちまともなクレーム(それはまさに宝の山なんです、そこから改革できるので!)から、過剰請求、意志喪失者まで様々な問題と格闘させて頂き、マア、まさに「人間とは何か」という極めて倫理的命題を深めさせてくれる事件に直面させられてきましたが、この手の事案ははじめてで……。
たしかに地域に密着した小売業としては、利用されるお客様以外にも地域に住まわれている人々に対する密着したサービスをどのように展開してくのか……という命題は極めて重要な問題です。

たとえば、やすらぎ・小休止用のベンチを店舗の周辺に設置したりだとか、不審者につけまとわれる方々に対するSOS的な窓口を提供したりだとか、地域の祭だとか催事があるときには、こちらも協力したりだとか……。

しかし、今回の「申し出」は遙かにそうしたキャパシティを凌駕する事案のようで……。

また、チトその御仁、お酒の匂いもぷんぷんしているようで……。

……手っ取り早くまとめました。

話を聴いていると、確かに駅前で転倒したとのことですが、話が二転三転しますので、「自分で転んだのですか」と伺ったところ、

「いや、タブン、誰かに押された」……

と本人がいいますから、

結局の所、こちらとしては医療費を出したり、病院まで交通費をだしたりすることもできません。店内での転倒・事故であれば、もちろん対応をしますが、今回は話が別になってきます。

ですから……、

「“押されて転んだ”ということであれば、警察を呼びますし、刑事事件にする必要がないのであれば、救急車を呼びますか?」

……と最終確認をしたところ、

「救急車を呼んでくれ」

……とのことで、119番通報して、到着するまで一緒に待機です。

ぼんやり待っていると、

「警察は、おれの話を信用してくれないんだ。転んだのはオレだけど、タブン、ダレカに押された!“ハズ”っていっても……信用してくれないんだ」

「そうですよねえ、たぶんじゃア、まずいでしょう」

……などとやり取りをしていると救急隊が到着です。

電話でも詳細を通知しておりましたが、隊の責任者と話をしていると、

……どうやらその筋では有名人のようでして……、ガックシ。
実弟が救急救命士ですし、東京消防庁に限らない問題です。
本来出動不要の軽微の出動がかさなってしうまとどうなるのでしょうか。
本来駆けつけなければならない要件がスルーされてしまうという二律背反の到来です。

「申し訳御座いません!」
……そこに尽きます。

そしてその御仁、隊員たちに誘われ病院へ向けて出発された模様です。

さて、ちょうど昨日になりますが、博論の追い込みをかけているなかで、ひとつ珍しいと言いますか、なかなか手にすることの出来ない資料を入手することができたので、昨日も読み、本日もその解読をしていたところですが……。

宇治家参去ただひとりだけでなく、かの吉野作造先生(1878-1933)も苦労していたんだよな……などと事案解決?後、休憩時間を利用して読んでいるときに、今は亡き吉野作造先生となにやら健闘をたたえ合った次第です。

何度も紹介している通りですが、吉野の盟友・内ヶ崎作三郎(1877-1947)は吉野の死後、「(吉野作造は)無限の親切の人」だったと語っておりますが、その無限の親切とは悪なるものを容認するようなフリーハンドの、作業仮説上の無節操な「価値中立」ではなかったのかもしれません。

冒頭に引用した文章を読んでおりますと、何をはげまし、何と戦っていくのか考えさせられてしまいます。

積極的に善をなしていくということは職業革命家の専売特許でもありませんが、無節操な博愛家とも無縁の理想を抱いた現実主義者の一歩一歩の歩みかも知れません。

……ということで?
最近、またまた痛風で足が痛いので、いっぺえ飲んで寝ます。

しかし東大YMCAの私家版的なたった数十頁の希少な資料でしたが、お陰で200枚ぐらい書き直しになってしまいそうです。

マア、この時点で邂逅できたというのは不幸中の幸いということでしょうか?

……ということにしておきましょう。
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