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ペンと絵筆による創作は、私にとっては、それによる陶酔が生活を耐えられるように暖かく、そして好ましいものにしてくれるワインのようなものです

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 絵をかくことはすばらしい。私は以前、自分が眼識を持ち、この地上の注意深い散歩者だと信じておりました。ところが、そういう状態は今ようやく始まったばかりなのです。……絵をかくことは、呪われた意志の世界から解放してくれます。
    一九一七年四月二十一日 ヴァルター・シューデリーン宛の手紙から
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 私がもう決して画家になれないことを私はよく知っています。しかし、現実の世界へ没頭しているときの徹底した自己忘却は、ひとつのすばらしい経験です。私が何日間も私自身や世界や戦争や一切のものを完全に忘れていたことは、一九一四年以来はじめてのことでした。
    一九一七年五月二十六日 アルフレート・シュレンカー宛の手紙から
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 この戦争は私に、内発的な発病と、世間との避けられない対決をもたらしました。この対決は今なお続いており、私はそのために体面などはよろこんで犠牲にします。私が今仕事の合間に(私は陸軍省の職員代理としてここで捕虜援助の仕事をしています)何か美しいものを書いたとき、そして一切の現実的なものから離れて疑いなく価値あるものに没頭したいとき、私は詩作はせずに、四十歳になろうというのにはじめてスケッチと彩色画をかくことを始めました。それは詩作と同じくらい、ときにはそれよりはるかによく私の役に立ってくれます。というのは、追求する価値のある唯一の心の状態、個人的な欲望なしに心の底から対象と共に生き、献身するという状態こそ、まさに芸術家のものだからです。そしてそのような状態を、私は絵をかいている数時間のあいだわがものとします。そのとき神の国ははじまり、「すべてのものはおまえたちのもの」となるのです。
    一九一七年七月四日 ハンス・アブーリ宛の手紙から
    --F・ミヒェルス編(岡田朝雄訳)『ヘッセ画文集 色彩の魔術』岩波書店、1992年。

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第二次世界大戦に対して、勇敢にその非を問い平和を訴えた論者は比較的多いのですが、第一次世界大戦に対しては、その非を問い平和を訴えた論者は、それにくらべるとかなり少ないことに驚かされます。

どちらの場合にしても、その歩みは偉大な人間の歩みとして黄金の輝きを放っていることは論を待ちませんが、そうした数少ない論者のひとりが現代ドイツを代表する作家・ヘルマン・ヘッセ(Hermann Hesse,1877-1962)であります。

ヘッセは大戦の渦中、三十編以上の政治的論説を発表し、戦争の狂気と戦うことを試みましたが、方々から「祖国を汚す者」として告発され、孤軍奮闘という状況で……。
罵倒、難癖、当てこすり……、それによってヘッセ自身の精神的破壊がひとつの沸点に達しようとしたわけですが、まさにそうしたとき、ヘッセはすべてものを分断する破壊に対してなお、建設的な作業をしてみようと試み……そのなかで絵を描き始めました。

ある意味では気分転換で始めた創作です。
そのあり方、フレームワークを冷徹なアナリストが分析するならば、一種の「待避行動」と捉えられがちですが、そのスケッチのみならず創作なんかを幅広く概観するならば、「待避行動」として断じてしまうのは、早計の至りでしょう。

「現実の世界へ没頭しているときの徹底した自己忘却は、ひとつのすばらしい経験」とヘッセ自身が語るように、たしかに、「絵をかく」ということで、苛酷な現実から一歩身を引くのは事実です。しかしヘッセにおいてはそれは決して現実からの「退行」を意味しているわけではないようです。

「この対決は今なお続いており、私はそのために体面などはよろこんで犠牲にします」……ヘッセ自身、確かに絵をかくことで、心の均衡を保つことに成功しましたが、そのことは、ヘッセにおいて日常闘争から決して「降りた」ことを意味するわけではありません。むしろ、絵との出会いによって、さらに生き生きと創作し、闘い、自分自身の人生と勝負しつづけたのがその歩みです。

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 ペンと絵筆による創作は、私にとっては、それによる陶酔が生活を耐えられるように暖かく、そして好ましいものにしてくれるワインのようなものです。
    一九二〇年十二月二十一日 フランツ・カール・ギツカイ宛の手紙から
    --F・ミヒェルス、前掲書。

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しらふだけというのは人間の一側面にしかすぎません。おなじく酩酊しているというのも人間の一側面にしかすぎません。その全体があってこそ人間なのでしょう。

ヘッセが絶妙に表現する如く、「生活を耐えられるように暖かく、そして好ましいものにしてくれるワイン」としての創作を生活のどこかに入れてみると、「耐えられないほどぐじゃぐじゃな生活」に「耐えられるように」なるかもしれません。

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